2015年5月1日金曜日

160 時間は本当に存在するのか

 時間を哲学では、非常に難しい対象として研究されています。私は、地質学でどう扱っていくべきかを、重要なテーマととして取り組んでいます。時間は、自然科学でも地質学でも、難しい対象なのです。

 私は重要なテーマのひとつとして、地質学の素材を用いて、過去の時間をどのように、どこまで復元できるかなどを考えています。地質学的なアプローチとして、各種の地層に時間がどのように記録されているのかを、体系化、抽象化を試みています。
 日本列島によくみられる地層は、もともとは陸地から土砂として河口付近にたまったものが、地震や洪水をきっかけにして、大陸斜面を海底土石流として流れ下って、大陸斜面から海溝付近にたまってできたものです。海底を流れていく土石流はタービダイトと呼ばれています。水中を密度の違う物質が流れていくため密度流と呼ばれたり、いろいろな堆積物が混じっているため混濁流とも呼ばれています。
 タービダイトによって形成された地層はタービダイト層といいます。タービダイト層は、「タービダイト」がそのまま使われることもあり、混乱するので、ここでは地層を指す場合には「層」をつけることにします。
 日本列島でよくみられる地層の典型ともいうべきタービダイト層の形成は、上で述べたような成因を持つので短い時間で終わる現象です。小学校の理科で地層のでき方を、実験をしたことがあると思います。ペットボトルに土砂と水を入れて、よく振ります。しばらく置くと、濁りがとれて、土砂が大き粒から小さい粒へと整然とたまっています。これは、地層のできる様子を模擬実験(シミュレーション)としておこない、観察するものでした。
 タービダイトでは、これの作用が大規模に起こったものです。タービダイトは、ペットボトルと比べて大規模ですが、物理的現象ですから、水中での物質の移動がはじまり、混濁し物質の流れが形成され、重力流となり、やがて傾斜がゆるくなると、粒子が沈降します。ペットボトルと実際のタービダイト比べると、移動も、堆積も、何桁も違うものですが、時間としては、地質学的には大きな違いはありません。形成に要する時間は、タービダイトが発生してから、数時間、せいぜい数日で終わる現象になります。
 短時間でできたタービダイト層は、大陸斜面のくぼみや麓、海溝に付近にたまります。そこは、沈み込む海洋プレートが列島側に付け加える付加作用が起こっているとこでです。付加作用によってできたものを、付加体と呼んでいます。
 付加体の主要構成物は、陸側からはタービダイト層、海側からは海洋地殻の岩石や海洋底の堆積物、海山の残骸などがあります。付加作用は、プレートの境界域で起こる激しい地質現象なので、地層はひどく乱れたもの(メランジュと呼ばれます)から、整然としたものまで、同し岩石でも見かけの違ういろいろなものが形成されます。ですから、同じタービダイト層でも、陸地にある付加体では多様な見かけになります。
 このタービダイト層を体系化して、時間記録がどのようになされ、どのように変容するかということを整理しています。このとき私が着目しているのは、地層に記録されている時間が、地層という物質に置き換えられているという点です。過去の時間を直接観察しているのではないのです。地層には、物質という側面と、ある空間を占めているという側面もあります。地層は、過去の時間を空間に置き換えていると読み替えることが可能です。変ないい方に聞こえたかもしれませんが、実は普遍的な見方にも通じるものでもあります。
 物理学の重要な体系である相対性理論では、時間と空間は同じもの、変換可能とされています。時空という渾然一体化したものとみなされます。
 さらに、相対性理論では、光の速度が絶対不変のものになっています。光速度はどのようは状態で観測しても、一定であることは実証されていることから前提とされているものです。ですから、光速度一定の立場でみると、時間も空間も区別がなくなり、過去も未来も存在しないことになります。
 例えば光速で移動している光子からみると、空間は無限に縮み、時間も無限に縮みます。つまりビックバンのときに誕生した光子が現在に残っていたとしたら、我々には137億年もたっていたとしても、その光子には「時間は経過はしない」ということになります。あるいは質量を持たない素粒子(未発見の重力媒体素粒子の重力子、グラビトンなども同じ)の移動は、時間や空間は絶対的存在ではなく、速度こそが不変のものとなります。
 ところで速度は、長さを時間で割った次元を持ちます。長さは空間の単位でもあります。つまり速度とは、空間と時間の比、対応関係を意味しています。質量をもたない、物質ではない存在からすると、時空間を関係を速度で代表できることになります。
 一方、私が研究対象としている地層は、物質です。物質には質量があります。速度と質量を結びつける関係として、相対性理論では、
 E=mc^2
という関係があります。ここでEはエネルギー、mは質量で物質を意味し、cは光速度です。別の表現として、ニュートン力学では、
 F=1/2・mv^2
とも表現されます。Fは力で、mは質量、vは速度です。
 両式は記号は違いますが、形式が同じです。質量に着目すると、質量とは力もしくはエネルギーと速度の2乗との比を表していることになります。別の表現をすれば、エネルギーと質量の比、力と質量の比は一定、あるいは時空の比になるという関係です。
 時間は、光速、速度の中に現れますが、それは時空の比であって、質量を持たないものには単なる定数になります。これはいったい何を意味するのでしょうか・・・・。
 難しい問題です。物理的に考えても、複雑です。物理の実験では時間を観測しますが、それは時計の針の運動やデジタル表示(結晶の発振による)などの規則的に繰り返される運動を、時間と見立ているわけです。本当の時間ではなく、規則的、周期的運動をみているにすぎないのです。物質の運動の周期を数えているだけではなのです。そんな不連続な数、カウントを、時間とみなしているのです。私たちが扱っている時間は、離散的であって、決して連続した流れではないのです。
 時間について、いろいろ考えていると、人は本当に時間を認識すること、まして科学的に扱うことができるのか、過去を知ること、未来を予測することができるのか、などの疑問を感じてしまいます。

・サクラの開花・
サクラが咲きました。
一気に咲き誇るサクラは見応えがあります。
北海道だけではないかもしれませんが、
雪に閉ざされた冬から、春へ。
雪解けのあとに訪れる春の陽気とサクラ、
そして背景の春の青空。
北海道の青空は、本州のように霞んだものではなく
すっきりとした澄み切ったものです。
毎年のことなのですが
サクラの春はいいです。
日本人だからでしょうかね。

・リフレッシュ・
皆さんは、ゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしょうか。
カレンダー通りで、5連休でしょうか。
我が大学は、29日を平常授業の日とし、
5月7日、8日を休講にしています。
そこは、大学の教職員は休みではないですが、
多くの職員は休みをとることでしょう。
学生は9日間の連休となります。
私は、この連休を知って、急に思い立ち、
7日から11日まで調査に出ることにしました。
本当なら6日にでたかったのですが、
運賃がかなり違うので平日に出発することにしました。
4泊5日ですが、移動に2日ですから、
賞味3日間を調査に当てます。
今回は、以前いったところばかりですが、調査としてきます。
なにより野外調査で、リフレッシュできればと思っています。