2004年6月1日火曜日

29 自然への回帰(2004年6月1日)

 先日の朝、大学に向かう中で不思議な感覚に襲われました。その日の朝、道を歩いていて、林の中を通っていこうと、木々の中に入った瞬間に、その感覚に襲われました。周りの音や景色から隔離され、木々の中を草を踏み分け歩ていった時でした。突如、感じました。安らぎとも違う、えも言われぬ感覚でした。それは、大学院時代、野外調査に行ったときに、山に入った瞬間に感じたものと同じものでした。
 大学院時代に、そのような感覚を感じるようになってきたのは、地質調査をはじめてだいぶたってからでした。学部学生のときは、感じなかったものでした。北海道の奥深い山の中に一人で地質調査に入るのは、初めの頃は、恐怖でした。学問という知的好奇心と、自然に恐れおののく自分の恐怖心と戦いながら、自然の中に分け入ってたのです。これから調査に入るという強い緊張感もありました。そんな時期には、こんな感覚は感じませんでした。
 5、6年ほど、野外調査を経た後、そんな感覚を感じるようになりました。今思い起こすと、同じような感覚を感じていたのを、指導教官の言葉からもうかがい知ることがありました。学部学生のとき、その指導教官と一緒へ山に調査に行くと、山に入った瞬間、その先生は、「ああー、山に帰ってきた」としみじみと独り言をいっているのを何度か聞いたことがあります。その時の私は、これからはじまる調査の緊張で、そんな感覚は理解できませんでした。
 山や自然の中で長い時間を過ごした結果でしょうか、そんな気持ちに自分もなっていることに、ある頃から気づきました。 たぶん、その先生と同じ境地に達したからではないでしょうか。
 そして先日、そんな感覚が約20年ぶりで訪れたのです。なぜでしょうか。
 私は、自分の自然への回帰が少しずつできてきたからだと思いたいのです。博物館に勤務しているときには自然を忘れていたと反省して、この大学に来た時に、自然への回帰を目指しました。その成果ではないかと思いたいのです。そのために、2年以上の時間が必要だったのです。
 今から数えると野外調査に費やした時間は、この2年半に115日になります。もちろん、その日数の中には、移動時間もふくまれています。ですから、生の自然に本当に接していた時間は、その半分にも満たないかもしれません。自然の中で費やした時間が、多いか少ないかわかりません。私の場合、それくらいの時間を自然の中で過ごしたら、忘れていたそんな感覚が戻ってきました。
 この感覚が自然回帰の証ならうれしいものです。そしてなにより、この感覚は、非常に心地よいものです。安堵、安らぎ、恍惚、リラックス、どれもぴったりと言い表していません。恩師の言葉を借りれば、 「ああー、自然に帰ってきた」という気持ちです。
 今回の感覚は、以前味わっていたものと同じですが、その目指しているのところは、以前と現在では、ずいぶん違います。
 以前は、地質学の専門家、研究者となるべく、修行ともいうべき野外調査をしながら、専門的な経験を積むべく、自然を見ていました。そして、そんな修行時代を越えて、自分なりの野外調査の仕方が身に付いたとき、そのような不思議な感覚が生まれたのかもしれません。自信ともいうべき裏づけで自然への接し方が固まったときなのかもしれません。
 でも、そのような専門的な見方は、ある一面でしか自然を見てない落とし穴であるということに、ある時に気づいたのです。
 地質学をはじめるまでは、山に行っても、その自然全体を、いろいろな面で楽しんでいました。花や昆虫、鳥、野生動物、景色、もちろん化石も石ころも、いろいろなものに興味があり、広く自然を楽しんでいました。
 でも、地層があったり、岩石が出ている崖は、素晴らしい景色とは、なぜかいつも反対側にありました。その崖を面白いと見るために、知識や好奇心を常に地層に向けなければなりませんでした。そしてやがては、景色なんかどうでもいい、地層や石のほうが面白く、興味深いものになってきました。もちろん自然中で野外調査をしますから、地質学以外の対象も目に入ります。しかし、地質学の対象以外は、すべて自然という背景になってしまいました。まるで灰色の背景のように色あせたものとしか映っていませんでした。
 研究者を目指しているので、そのような見方になっていくのは、仕方がないことかもしれません。でも、専門家になるに従って、だんだん大切なものを捨ててきてしまってきたような気がしたのです。専門家であった時は、それには気づきませんでした。
 博物館にいた時は最もひどい状態でした。博物館の学芸員として、自然の大切さを人に説きながら、自分は極端に自然への接触が少ないという、異常な状態になっていたのです。そのことを職を離れたときに、はじめて気づきました。さらに、自然から離れると同時に、野外に結びついた地質学も離れていきました。まさに机上の学問をしていました。その結果、自分自身が、自然を見る「いびつな目」しか持たないということに気づいたのでした。私は、このような状態を「Scienceに毒された」と呼んでいます。その頃の私は、まさに「Scienceに毒され」ていました。
 もちろん、研究者として、対象物に集中することは、決して悪いことではありません。でも、すべての地質学者が、崖しか見えないような目で自然を見ることが、恐ろしいのです。そして行き着く先は、そのような見方以外の見方をする人や考えが現れると、異端と見なす風潮です。
 多様な視点で考えることによって、より大きな展開や発展が起こることもあるでしょう。多様な視点は、一人の人間においても、地質学者の集団においても、必要なものです。地質学者の集団であれば、多様な地質学者の存在が必要で、その存在をみとめる集団であるべきです。しかし、現実はなかなか難しいものがあります。
 私は、この2年半で私なりの自然への接し方を学んできました。もちろん、その接し方も、人それぞれ、多様であるべきです。私のおこなっている方法が、すべてでもないし、ベストでないはずです。
 私は、ひねくれ者で、人と同じようなこををするのは好みません。それに、問題の一番の根元、興味の一番の根源までに遡り、考えていきます。できれば、自分流を創りたいと考えています。
 皆がコンピュータを駆使して、授業をよりわかりやすくするのを目指すなら、私は、自分の言葉と黒板だけを使って、授業を成立させようとします。そこから人の気づかない何かを見つけたいと考えます。地質学者が見向きもしない、河原の石ころや、海の砂、それをなんとかScienceにできないかと考えてしまいます。
 私の見方ややり方は、多数の専門家からすると、多分時代に逆行していたり、邪道に見えたりするでしょう。でも、そんな見方が、必要な時がくるかもしれません。そこから生まれた知恵がもしかすると、新しい大きなブレークスルーとなるかもしれません。多様さをその中に抱え込み、その存在を是認できるようなコミュニティになることを願っています。

・奇人の学説・
 ここで述べたようなことは、最終的には、結果で判断されます。これが科学のいいところであり、つらいところでもあります。でも、無名のものでも、どんなに奇人であっても、成果がでれば、評価されますし、大きな成果であれば主流へとなっていけます。一方、成果が出なかったり、評価が悪かったりすると、それは、ただの奇説、珍説にすぎません。歴史にすら名を残しません。
 多分、このような試みの多くは、成果が出ずに、変人、奇人の学説となっていったはずです。でも、もしかすると万に一つの可能性が見込めるなら、私は、それにチャレンジする側に進みたいと思います。だって、同じ一生を生きるなら、誰も考えていなかったことにチャレンジながら生きていきていた方が、ずっと面白と思いませんか。その方が、大変かもしれませんが、夢があるのではないでしょう。私は、平々凡々の3流科学者で終わるより、見果てぬ夢を追いかける奇人の科学者でいたいと思います。
 でも、そんな奇抜なアプローチこそが、大発見、大発明を生んだことは、歴史が証明しています。私が、大発見や大発明をするとは限りません。でも、もしこのようなやり方で、成果がでれば、誰もなし得なかったものとなるはずです。見果てぬ夢でしょうかね。