2026年9月15日火曜日

303 仏教哲学 7:縁起

 よく使う「縁起」という言葉には、仏教哲学で深い意味が込められています。縁起は、西洋的あるいは科学的因果関係を、より深く解明していきます。縁起は、固定された実体も否定していきます。そこから何が見てくるのでしょうか。


 「縁起(えんぎ)が悪い」などとして日常的に使っている「縁起」は、仏教哲学で用いられているものです。本来は異なった意味を持っており、仏教哲学では、重要な概念となっています。
 縁起とは、すべての事象は、多数の条件が相互依存の連鎖しあいながら起こっていることを意味しています。詳しく見てきましょう。
 仏教経典には、つぎのような形で繰り返しの言葉で表現されています。
  これがあるとき、あれがある imasmiṃ sati, idaṃ hoti
  これが生じるとき、あれが生じる imassuppādā, idaṃ uppajjati
  これがないとき、あれはない imasmiṃ asati, idaṃ na hoti
  これが滅するとき、あれは滅する imassa nirodhā, idaṃ nirujjhati
わかりやすく、書き直すと、
  Aが存在するとき、Bが存在する
  Aが生成するとき、Bが生成する
  Aが存在しないとき、Bは存在しない
  Aが消滅するとき、Bは消滅する
となります。この内容を、原文の「ある」と「ない」を、「存在する」と「存在しない」に、「生じる」と「滅する」も「生成する」と「消滅する」に置き換えていきましょう。すると、
  原因Aが存在するとき、Bが結果として存在する
  原因Aが生成するとき、Bが結果として生成する
  原因Aが存在しないとき、Bは結果として存在しない
  原因Aが消滅するとき、Bは結果として消滅する
という当たり前の内容になります。Aが原因でBが結果という西洋的な因果関係として言い換えたことになります。
 ところが、このような表現では、仏教哲学でいわんとすることからは、ずれていきます。置き換えとともに、AとBを因果として、一方向的で、線形的な関係と見なすことになります。
 仏教哲学では、AとBの「ある」の関係を、単純化せず、Aが「ある」を、ある時、ある条件がたまたま整っていたために、Bが「ある」になったと考えます。「生じる」も「ない」、「滅する」も同様に、変化する条件の中で一時的に成立した関係と捉えます。つまり、因果の間に、変化する条件を考えることで、相互依存する関係を示してことが読み取れます。
 似た文章を繰り返すことで、条件が常に変化していることや、変化が一方的でなく、相互に影響を与え合うこと、非線形で複雑で、なおかつ現在見えている関係が一時的なこと、と捉えていきます。
 もう少し詳しく見ていきましょう。
 仏教哲学では、直線的な因果関係があるはずという科学的方法論の見方を否定していきます。
 ただし、因果関係を否定するのではなく、複雑な関係を「縁起」の概念を導入して包含してしまいます。因(hetu)と果(phala)を包み込むように、縁(pratyaya)と起(samutpāda)が関与していると考えます。「縁」は、「因」を助け、現象を成立させる条件や契機となるものです。「起」は、生起することで、現象が立ち現れる動的状態を意味します。「縁」とは条件群が静的で、「起」とは条件群によって現象が現れる動的な生成運動となり、異なった意味を持っています。
 仏教哲学では、因果や縁起では、双方向や多方向な関係で、なおかつ相互依存や共起するような、複雑な「網状」構造となっています。因果と縁起も、相互に常に関係しながら変化し、時に生起し消滅していきます。
 仏教哲学のある派(アビダルマ仏教)では、複雑な因果を六因・四縁・五果に分類して詳細に分析していきました。結果を生み出す直接的な原因を六因(能作因、倶有因、同類因、相応因、遍行因異熟因)に分け、因が果を生む際に作用する縁を四縁(因縁、等無間縁、所縁縁、増上縁)に、因と縁によってもたらされ結果を五果(異熟果、等流果、離繋果、士用果、増上果)に分類しました。このような因果に関する考察は、西洋科学では見られない精緻さです。
 変化する条件や関係ができると、「実体」が成立することになります。ところが、実体とは、条件や関係から生み出される二次的なものにすぎず、常に変化している「縁起」の中にあります。独立した実体(自性 じしょう、と呼ばれます)は、否定(無自性)されていきます。自性の否定は、固有の本質となる実体も、変化しない永遠不変や独立した存在(例えば、私の本質など)もないことになり、すべての固定された概念を否定し「無我」や「無常」へとつながります。
 単純な因果関係を否定し、変化し続ける関係であり、変化が先行するので自性(実体)ないことになります。「有か無か」「生か滅か」といった二項対立や分析的な視点を否定することになります。
 自性の否定から、実体は「空(くう)」であることを意味します。条件依存によって成立する「縁起」と、固有の本質(自性)を欠く「空」とは、同じこと意味しています(詳細は、別のエッセイで紹介します)。
 苦の認識からはじまった考察が、複雑な縁起を認めることで、苦が自性がなく空であることにたどり着きます。苦も最終的に空であることを理解するために、実践していくことが、解脱への道となります。
 縁起の論理を、苦の誕生の解明に適用したのが、十二支縁起と呼ばれるものです。苦の連鎖として、無明(根本的な無知・誤認)、行(無明に基づく意志的形成作用)、識(識別する意識)、名色(心と身体の複合体)、六処(六感覚器官)、触(感官と対象の接触)、受(快・不快・中立の感受)、愛(渇愛・欲求)、取(執着・固執)、有(存在への傾向)、生(誕生・再生)、老死(老い・死・苦しみ)を考えました。
 なんらかの条件によって生じた「苦」は、条件を変えることで変化させられるという論理が、解脱の可能性を提供します。特に、無明→行→識の連鎖を断つことが、解脱においては重要になります。
 この縁起の考えを、冥王代前期に転用していくと、次のような展開になるのではないでしょうか。
 宇宙誕生、銀河の誕生、恒星の誕生など、さまざまな因果や縁起によって、地球誕生へとつながっていきます。さまざまな「因」により「起」として地球誕生に至ります。さらに、誕生直後の地球を「因」として、縁や起がからみ合い、冥王代前期の地質学的変化が進行していきます。地球誕生まで、そして冥王代前期が、たとえ不可知の領域であっても、因果と縁起の概念の適用というメタ的論理が導入可能ではないでしょうか。
 地球誕生までの条件は変動していますが、他の学問分野の知見やモデルなどを導入することで、ある程度把握できます。それぞれの条件が異なれば、さまざまな地球が誕生していきますが、その中で「現在の地球」が「起」として固定されていきます。そして、その「起」とした地球を「因」として、「縁」と「起」が作用することで、検証可能な太古代の地球へと達します。このような考えを進めていけば、不可知領域を攻めていけるのではと考えています。まだまだ思索不足なので、もっと深く考えていこうと思っています。

・仏教用語・
仏教用語は、日本の日常語に多数入っています。
因果も縁起という言葉も、よく使われています。
「縁起が悪い」は、何が出来事があった時、
不幸や災いなどをもたらす
前兆や予兆に思えることで、
日常生活における不吉なジンクスです。
今回紹介したように、
縁起とは因果に深く関わった
複雑な内容をもった概念でした。

・防災・
最近警戒レベルが5段階に整理されました。
9月になって日本各地で大雨での
警戒レベル4や5の警報が
何度も出されることになりました。
河川や道路など整備が進められ
かなりの災害は防止できるはずなのですが
それでも災害は起こります。
これは、いたちごっこのようです。
自然は人間の想像を越えてきます。
防災は費用がかかります。
費用の限界が防災の限界となります。
現在の警戒は、早めの避難を促すものなっています。
災害からの最大の対処は、
可能な限り危険からは離れるしかありません。
それが最大の防災となるのでしょう。

2026年9月1日火曜日

302 岩石は嘘をつかない

 地質学の格言に「岩石は嘘をつかない」というものがあります。この言葉には、地質学が宗教的呪縛から逃れるための歴史がありました。この言葉が生まれるまでの背景をみていきましょう。


 西洋の科学の歴史と宗教の関係を考えています。近世ヨ―ロッパでは、ルネサンスや宗教改革を経て、ベーコンの帰納法やデカルトの演繹法などの科学的方法論が確立されてきました。自然科学、特に物理学の発展、そして生物学では進化論がでてくるような科学革命が起こってきました。
 同じ時期、地質学でも重要な発見が起こっていました。聖書の記述とは異なった長い時間の経過があったことを野外観察から気づいた地質学者たちがいました。例えば、18世紀後半、スコットランドの地質学者ハットン(James Hutton)は、現在起こっている自然現象は過去にも起こっており、その積み重ねが過去の地質学的変化を起こしてきたと考えました。
 例えば、現在の川が氾濫して、100年に一度の大洪水が起こると、河原の景色や川の形が大きく変わることがあります。洪水が持ち去った土砂は海に流れ込んでいったはずです。大量の土砂が海底に流れこんで、一層の地層になるはずです。長い年月を経れば、何層もの地層ができ、やがて固まり岩石になります。さらに長い時がたてば、場所によっては、地層が持ち上げられ、陸になり、山となることこともありました。山となった地層は、侵食を受けて、露頭となって目に触れるようになります。
 このようなシナリオを、多くのひとは当たり前だと思えます。その背景には、現在起こっている自然界での作用が、昔も同じように起こっていたという、「現在は過去を解く鍵」と呼ばれるに考えに基づいてなされています。このような考え方は斉一説(uniformitarianism)と呼ばれるものでした。
 西洋で斉一説が認められるに当たり、宗教との激しい論争がありました。聖書では、ノアの洪水のようは短期間に起こった天変地異が書かれています。それで大地での大きな現象は説明されてきました。また、聖書には、地球や生命のはまりの物語として創世記があり、そこでは地球や生命の創世にかかった時間が記されています。
 その創世の時期は、現在までは、聖書の記述に基づいて計算できます。アッシャー大司教のものが有名で、キリスト誕生から 4004年前とされており、他にも何人かの人が計算しています。長い計算でも、1万年に満たない年代となっていました。
 ところが、地質学の斉一説で自然現象をみると、地層の形成から陸地での地層の侵食までの時間として、1万年程度の時間では、決してできそうもありません。ハットンは、1788年の論文に、
The result, therefore, of our present enquiry is, that we find no vestige of a beginning, - no prospect of an end.
(したがって、我々の現在の探究が導き出した結果は、はじまりの痕跡も見当たらず、終わりの見込みもない、というものである。)
と書きました。そこで述べたかったことは、地層(地球)の形成がいつはじまったのかの証拠すら見つからないほど古く、地層形成プロセスが、いつ終わるともわからず、未来にも続いてくように見えると、ということでした。
 その後、この論文は、1795年に2巻の書籍として出版されました。ところが、このハットンの論文も著書も、文章が難解で回りくどく、長文であったため、重要性が多くの人には伝わっていませんでした。それを残念に思ったプレイフェア(John Playfair)は、ハットンの思想をわかりやすく解説した書籍を1802年に書いたことで、その内容が広まっていきました。
 プレイフェアは本の中で、地球の歴史の考察は、宗教教義に基づくべきないと主張し、
The record of the past is written in the rocks; it is a history which we are to read, and not a fable which we are to invent.
(過去の記録は岩石の中に書かれている。それは、我々が読み解くべき歴史であって、我々が捏造すべき寓話ではない。)
といいました。続いて、
In the language which nature employs, the characters are indeed plain and intelligible, but the grammar is yet to be fully understood; and it is from the study of the phenomena themselves, that we are to learn the rules which they obey.
(自然が用いる言語において、その文字は実に明快で理解しやすいものであるが、その文法はまだ完全には理解されていないし、我々が従うべき法則を学ばなければならないのは、現象そのものの研究からである。)
これは、自然のcharacters(文字:地層の重なりや特徴のこと)は観察すれば、わかりやすいものです。しかし、表面に出ていないgrammar(文法:自然法則でここではハットンの示した地質法則)はまだわかっていません。法則は、現象そのものを研究(the study of the phenomena themselves)をしなければならないといっています。
 ハットンもプレイフェアも、地質学現象の法則は、過去の歴史は岩石の中に書かれているので、それを研究していくべきであると、主張したのです。そこから、「岩石は嘘をつかない(Rocks do not lie)」という言葉が生まれました。
 アメリカの地質学者マッキー(Edwin D. McKee)は、地層が地球の歴史を記録していることを、「人間は嘘をつくが、岩石は嘘をつかない。ただ、人間がその読み方を誤るだけだ」として説明していました。同じくアメリカの地質学者のスピーカー(Edmund Maute Spieker)も、いくつかの論文で、この言葉を用いています。
 アメリカの地質学者モンゴメリー(David R. Montgomery)は、2012年に著書のタイトルで、"The Rocks Don't Lie: A Geologist Investigates Noah's Flood"(岩は嘘をつかない:地質学が読み解くノアの洪水と地球の歴史)を出版しています。この中で、岩石が語る真実を聞き入れれば、人の物語の背景にある「現実の驚異」を知ることができる、といっています。そして、科学と信仰は必ずしも敵対するものではないとも考えています。
 斉一説は、過去の現象を探る上で強力な武器ですが、それより優先すべきは岩石に書かれた文字を、読み取ることです。なぜなら、岩石は嘘をつかないからです。

・涼しい夏・
いよいよ9月になりました。
今年の北海道では、
夏の暑さをあまり感じることは
ありませんでした。
昼間暑い日があっても、
夜になると涼しくなりました。
夜も暑て窓を開けていたのは2、3日。
また、エアコンをつけたのも2、3日。
北海道以外では、
猛暑や酷暑の話題が多かったのですが、
今年の夏は過ごしやすくて助かっています。

・術後・
8月上旬に手術を受けてから、
そろそろ1ヶ月がたとうとしています。
人によって治癒の時間は
異なっているそうです。
1ヶ月から長ければ3ヶ月かかるとのことです。
今後も体調が戻るまで
無理せずに過ごすしかないようです。
9月中旬に出かける予定でしたが、
それも中止しました。
健康にもどることを優先しましょう。