2015年12月1日火曜日

167 地質の唯物史観

 地質学という学問は、唯物史観にそって進められているようにみえます。唯物史観の背景になっている唯物論や弁証法は特別なものではなく、ごく普通にある、当たり前の考え方でもあります。

 唯物史観という考え方があります。「唯物論的歴史観」の略で、史的唯物論と呼ばれることもありますが、ここでは唯物史観と呼ぶことにします。唯物史観は、19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史の見方です。マルクス本人はこの用語を使用することなく、後に用いられるようになったそうです。マルクス主義に基づいた歴史の見方のことなので、思想的な背景もあり、なかなか使いづらい用語かもしれません。しかし、本稿では、「唯物論的歴史観」という原意にそって使うことにします。政治的、思想的な考えをもっているものではありませんので、ご了承ください。
 そもそも唯物史観は、唯物論と弁証法を背景にしています。
 唯物論とは、すべての根源は物質にあるという考え方です。現在の自然科学は、基本的に唯物論の立場をとっているといえます。自然現象は、根源が精神や心にあるという観念論に立つと、科学的論証や検証が難しいためです。観念論では白黒がつかないものが多く、自然科学の方法論には馴染みません。唯物論であれば、事物や事象が論証の対象となるので、成否や正誤の区別がしやすくなります。
 自然科学だけでなく、科学技術も唯物論的立場で進んでいることになります。科学技術に依存している現在社会も、かなり唯物論的状況にあると言えるのでしょう。ところが人文科学や社会科学は、かならずしも唯物論的ではありません。デジタルやインターネットを通じたバーチャルの世界もかなり比率を占めています。そこで使用しているのは科学技術なのですが、営みは社会性、人間の関与、精神への反映などもあり、唯物論ではすまない観念論的部分も多くなります。金や資本が大きな要素になっている経済や人の集合にかかわる政治や社会もまた、唯物論では治まらないようです。
 本題にもどりましょう。唯物論とは古くからある考え方で、古代インドや中国にもありました。また、古代ギリシアの哲学者の唱えた、万物は原子や元素からできている、という考え方は、明確に唯物論といえます。知覚・思考すら元素に還元しました。したがって唯物論は、観念論にたっているキリスト教とは相容れず、批判する立場になっていきます。その後の近世では、フランスのデカルトらの機械論なども唯物論の継承しています。そして、ヘーゲルなどの哲学に取り込まれるようになり、唯物論の重要性が認識されてきました。つまり、現在までさまざまな形態をとりながらも、人の思考には唯物論は絶えず現れている考え方といえます。
 次に弁証法をみていきます。弁証法とは、ものごとの発展様式のことです。ある事物や思考(テーゼ、定立)があったとき、やがてそれと相対するもの(アンチテーゼ、反定立)が出てきて、それら対立、矛盾したものを解消するためによりよいもの(アウフヘーベン、止揚)へと発展していくというものです。それを哲学的構築したのが、ヘーゲルでした。この考え方は、変化しながらも発展、継続していくものに適用可能です。変わりゆくものは、弁証法的変化はよく起こるものです。
 マルスクは、歴史を唯物論的に捉え、弁証法的に発展していくものだとして、唯物史観を考え出しました。現状の国家運営では社会主義がすたれ、共産主義が崩壊しそうで、唯物史観はあまり話題になりませんが、唯物論も弁証法も実は、あちこちに見え隠れしている気がします。
 地質現象も、その好例となっていると思います。
 例えば、地層です。ある時に海底にたまった土砂が、長い時間かかって堆積岩となります。土砂は、過去の時空間で占めていたものが、堆積岩という物質として現在に残されます。それを地質学では、過去を知る研究素材としています。堆積岩は、現在の時空間に存在する「物質」に過ぎません。過去の時空間において形成された「物質」ですが、過去の時空間を形成場としてているもので過去の時空を見ているのではありません。あくまでも物質で、時空間そのものではありません。しかし、地層は、時空間を読み解くために唯物論的アプローチが適用されています。また、土石流のような土砂と水の混じった未固結の物質から、固結した岩石へと変化したものです。物質としても、変化したものから、変化前(過去)の堆積場、堆積環境や後背地を読み取る素材とみなしています。これは堆積岩を唯物史観的視点で見ていることになります。
 化石も似た見方がされています。過去の生物の一部が石化して堆積岩に取り込まれたのが、化石です。化石は堆積岩の一部の構成物であり、「生きている生物」ではありません。論理的には「化石=過去の生物」は検証不能です。なぜなら化石に生物の定義をまったく適用できないからです。しかし、「過去の生物」の一部だったとみなして、過去の生命を探る素材にしています。化石に対して、唯物論を適用しています。さらに、現在見つかっている化石を、過去の生物の一部とした上で、過去の生態、環境を探る手段として利用されています。化石から、過去の生物、そして暮らしていた生態系へと、弁証法的見方があります。化石の研究にも、唯物史観があるように見えます。
 火成岩にも唯物史観が適用されています。過去の既存の岩石が、温度圧力などの条件変化によって溶融したものがマグマです。マグマが固まったものが火成岩です。固体(既存の岩石)から液体(マグマ)を経て、別の固体(火成岩)になるという過程は、弁証法的変化です。火成岩を用いて、マントルや地殻下部の様子や地球の過去の状態を探るのは唯物論的です。
 さらに、岩石の成因として、火成岩、堆積岩そして変成岩があります。3つの成因の中で岩石の多様性を広げる作用として、火成岩が一番大きくなります。それは一番弁証法的変化が起こっているためです。また、地球でできた最初の岩石を考えるとき、弁証法で突き詰めていくことが可能です。地球オリジナルの岩石として最初にできたのは、マグマオーシャンからできた火成岩となります。詳しくは別の機会にしましょう。
 地質学は、過去の時空間で形成された物質から、過去を読み取ります。研究者は、現在手に入る岩石を通じて過去を読み解きます。時間に伴ってさまざまに変化した岩石を扱うので、常に唯物史的視点で岩石を見ていることになります。その手段として、たとえ物理学、化学、数学などの原理を使っていても、過去へ適用するときには、唯物史観が働きます。地質学者は、無意識に唯物史的に自然現象を眺めていることになっています。

・走り続ける・
火成岩の弁証法的変遷については、
以前論文に書いた内容でした。
その後、最初の岩石についても考えを進めていますが、
その前に考えなければならないことが多々あり、
なかなか研究が進みません。
アイディアを簡単に述べるのは楽なのですが、
深く考えていくと、いろいろなことが頭をよぎり
なかなか一筋縄ではいかないテーマだと思えます。
それでも、どこかで割りきって
進めていくほうがいいのでしょう。
完璧主義では、終わりがないからです。
走りながら考えましょう。
ということは、私はこれからも
ずっと走り続けなければならないということでしょうね。

・根雪か・
今年も最後の月、師走となりました。
慌ただしさはいつもなります。
11月末には、激しい雪となり、
その後雨に変わったり
目まぐるしく変化した月末でした。
そして雪で師走ははじまりました。
まさか根雪にはまだならないと思いますが、
心配したくなる雪景色です。