2009年11月1日日曜日

94 帰化生物:タイムスケールの違い

 タイムスケールが変わると、見え方も違ってきます。タイムスケールは非常に重要な視点です。その視点を、科学者すら忘れてしまいます。ついつい自分の分野の固有の時間で、自然を見て、判断し、結論を出してしまいます。その結論が、その分野だけに閉じているなら問題はありません。しかし、その結論が社会問題へ関与するとなると、科学的な判断として重要性を持つことになります。そんな例を紹介しながら、タイムスケールの多様さを考えていきましょう。

 地質学を学んでいると、壮大なる時間の流れ、タイムスケールを感じずにはいられません。地質年代を議論するときは、数万百万年を「誤差範囲」といったり、数万年前のことを「つい最近」といってしまいます。野外で調査をしていても、長い時間の隔たりを見てしまいます。断層を境に、何億年もの年代差がある地層が並んでいたり、連続的にたまっている地層が実は数百万年かかって形成されたなどという実例をみせつけられるのです。このような時間の流れが、身近な自然の中にあることを、地質学者は思い知らせれます。
 皆さんの町を流れる川原に転がっている石が、何億年前、何千万年前にできたものだということが当たり前にあります。多くの人は、その時間の長さを知ることなく、ただの石ころにしか見えないはずです。
 たとえその石ころの年代が1億年前のものだと聞いても、「古いものだなあ」と思うだけで、タイムスケールの違いを感じないでしょう。でも、地質学者は、そこに時間の流れの悠久さを見てしまうのです。そのような訓練を受けてきたのです。それが地質学者の地質学者たる所以でもあります。
 地質学者は、他のどのような科学の分野より、長い時間を研究対象としています。石の中に見え隠れする時間や期間、時代を見つめています。その時間、期間、時代は、地質学者にとっては、実在し、実感できるものとなっています。
 地質学者の扱う時間は、非常にゆっくりとした流れです。その雄大な流れの中に、ダイナミックさ、激烈さ、速さ、さらに一度限りと繰り返し、変化と不変、消滅と生成などを見つめています。
 地質学者がみる自然に流れる時間と、他の自然科学の分野の研究者の感じる時間の流れは、違っています。その結果、地質学者がみる自然と、他の分野の自然科学者の見る自然は、違っていることがあります。地質学者は、大気や海洋、あるいは生物の営みを考えるときに、地質学的タイムスケールでみてしまいます。それぞれの分野の研究者は、地質学はよりずっと短いタイムスケール、早い時間の流れで見ています。そのような研究者によるタイムスケールや時間の流れの見方の違いが、時に自然の見方に大きな違いをもたらすことがあります。
 あることで社会的な問題が発生したとき、研究者の意見が重要性を持つことがあります。その問題を研究している一番中心の分野の研究者たちが、一番よく知っているはずですから、彼ら発言を、重視するのは当たり前です。研究者の成果や意見が重要になり、彼らからの回答が世間への答えとなります。流布すれば、常識となるはずです。
 その当たり前や常識も、ある見方という前提を置いていることに注意をすべきではないでしょうか。私たちは人間として、生物として、時の流れの中に暮らしています。ですからどうしても、生物学的時間の流れでものごとをみてしまいます。しかし、ものごとにはそれぞれ固有の時間の流れがあるはずです。せっかく知恵ある人類として生まれたのですから、違った時間の流れを認識しておく必要があるのではないでしょうか。別のタイムスケールでものごとをみていくと、違ったものが見えてくることも、認識しておく必要があるはずです。
 ある島の例を考えましょう。
 太平洋のど真ん中、見渡す限り、いや周囲数百キロメートルには、他の陸地は見当たりません。まさに絶海に、ある時、島が誕生しました。その島は、火山活動で、海面上に顔を出してきたものです。その後も火山活動は繰り返し起こり、島は成長していきます。やがて、火山活動もいつとはなく終焉し、その島には穏やかな日々が訪れます。数百年が経過します。その日々は、地質学的には長くはないのですが、通常の自然においては長い時間となります。
 あるとき、海鳥がこの島に訪れ、羽を休め、数日過ごします。鳥の糞にたまたま含まれていた種がそこに根付きます。そんな出来事が何度が繰り返され、植物の種類が増えてきます。ある時、嵐に巻き込まれて昆虫が数匹、この島にたどり着きます。幸いその島にあった植物が、その昆虫の住処と餌になりました。またある時、流木に乗ったトカゲが流れ着きます。
 そのような偶然が重なって数千年後、その島には、小さいながらも生態系と呼ばれるものが形成されていきました。数万年後、その島にはうっそうとした森と多様な昆虫や両生類、爬虫類、鳥、そして淡水魚すら住み着くようになりました。
 さらに数十万年後、小さく粗末な船、数艘がたどり着きました。長く船で旅をしてきた人々にとって、その島は楽園でした。水も食料も家や船の材料にも事欠きません。やがて人々はそこに住み着き、豊かな暮らしを始めます。自分たちの島の豊かな産物を、他の島々に持っていき、逆に自分たちの島でとれないものを持ち込んできました。いろいろな野菜、穀物、家畜などなど。農業や牧畜もはじまりました。
 やがて、人の手を離れた生物たちは、野生化して、もともとあった動植物よりたくましく生き、生息域を広げてきました。
 ある時、人々は、自分たちが持ち込んだ動植物を外来種と呼び、もともとあった動植物を絶滅危惧種と呼ぶようなりました。外来種は捕まえ、駆除(殺され)されました。一方、死にそうになっていた絶滅危惧種は手厚く保護され、人工的に繁殖、栽培され、自然に帰されました。
 これは、ある架空の島の話です。しかし島を国や地域に置き換えれば、似たような事例は、よくある話ではないでしょうか。そもそもの発端は、人が生物を不注意に扱ったことや、人の移動、定住などの活動、あるいは開発が、他の生物への大きな変化を強いたのです。人や物流に伴って生物も移動してきたのです。人の行動こそが、告発されるべきことになるはずです。
 もっとタイムスケールを広げてみれば、またまた違うものが見てきます。
 地球表層には、大地と海洋が存在し、地形や緯度の違いによって、さまざまな環境が形成されます。ある時、海に生命が誕生しました。生命は、進化という武器を利用して、多様な環境に進出していきました。生物は、その環境に適応したものや何らかの長所を持つものが、他の種を追いやって自分たちが繁栄するという宿命を持っていました。それが、生命にそもそも組み込まれている進化、あるいは適応と呼ばれる仕組みです。新しい環境があれば、生物はそこに進出するという宿命を背負っているのです。
 人という種は、今や、いたるところに進出しています。通常では住めない環境も技術と知恵を使って進出しています。先に住んでいたい生物からすれば、人類だって外来種です。いや、人類こそ、外来種の最たるものでないでしょうか。すべての生物は「外来」しています。「外来」こそが、生物の生存戦略なのです。
 ところが、人の移動や物流を利用して、勢力拡大の戦略としてきた生物たちは、なぜか、外来種として人から敵対視されています。人の身勝手なタイムスケールでみると、外来種や危惧種などという分類ができてしまうのです。
 人は、なぜ、いつから、他の生命に対して、価値を与えるようになったのでしょうか。人は、今日も、他の生物種に対して生殺与奪権を持っているように行動しています。私には、そのような見方は、まるで神が、生物を扱うような振る舞いにしかみえません。
 タイムスケールを変えると、外来種も絶滅危惧種も自然の営みの一環となり、今までの扱いも変わるはずです。こうみてくると、外来種や危惧種も、ぱっと割り切った答えの出せる問題ではなくなり、人ぞれぞれ意見が分かれるところでしょう。
 でも、そのような答えの出ない状態では、人は行動できません。そこで使われるのが、生物に詳しい専門家の意見です。つまり生物学者です。人のタイムスケールで付けられた外来種と絶滅種というレッテル貼りが、生物学者の手によってなされます。そうなると、生命に、保護されるものと駆除されるものいう明暗ができます。そのレッテルに基づいて、それぞれの生物の運命が、決せられるわけです。これでいいのでしょうか。
 生物学、あるいは生物学者、あるいは自然科学を非難しているわけではありません。視点を変えると違ってみえ、そこには難しい問題が発生するということ、を私はいいたいのです。
 ある一つの視点であるタイムスケールだけを変えても、自然がこのように違って見えました。地質学者である私は、ついつい長いタイムスケールでものごとを見てしまいます。そこから見る景色のあまりの違いを見て、複雑な思いとなります。しかし、いろいろな視点があるはずです。そしてそこからでてくる考え方も多様です。それらの多様性を議論の俎上に上げて後、重要な結論を下すべきではないでしょうか。

・視点の変更・
北海道は新型インフルエンザが猛威を振るっていました。
最近は少し下火になりましたが、
まだ完全に終わったわけではありません。
大学でもいくつかのグラブや同好会が
活動休止になりました。
我が家の子供たちが通っている学校も
学級閉鎖、学年閉鎖が相次いで起こっていました。
近所の小・中学校で閉鎖のニュースが流れました。
幸いに我が家には今のところ感染者は出ていません。
しかしいつ、家族や私が発病するか気が気ではありません。
私は、通常のインフルエンザの予防接種を受けましたが、
新型の予防接種はワクチンが足りなので、
優先順位がつくので、私は無理のようです。
でも、かかってしまったら、抵抗力をつけるという視点で考えれば、
それほど悪いことでもないかもしれません。
上のエッセイで述べたように、視点の変更が重要です。

・親孝行・
11月になりました。
母を京都の実家から呼んでいます。
実は、子どもたちの学芸会が
今日ある予定だったのですが、
新型インフルエンザのために、
学級閉鎖が相次ぎ、練習ができなくなったので、
早々と延期の決定が出ました。
しかし、母にはすでにチケットを送っていたのと、
安いチケットなので、
キャンセルや変更ができないものでした。
ですから、行事はないのですが、
母が来ています。
せめて温泉にでも連れて行って
親孝行しましょう。