2021年1月1日金曜日

228 不特定一人のために To the interest few

 明けましておめでとうございます。今年、最初のエッセイをお送りします。エッセイをはじめた頃の初心を振り返りました。そして、心を新たにして取り組む決意をしました。


 今年のはじめのエッセイは、"To the happy few" という言葉について考えていきます。スタンダールの小説「赤と黒」と「パルムの僧院」の作品の最後に書かれている言葉として有名です。訳すと「幸せな少数の人へ」となるでしょうか。最後に書かれているので、この本を読でくださった人が、「少数 few」かもしれませんが「幸福 happy」になれたら、という気持ちで「献辞(けんじ)」を捧げたのではないでしょうか。

 この言葉、献辞として書かれているようですが、その意味を考えていきましょう。少々不思議な書き方がされているのですが、意味深いものです。

 献辞とは、その本を特定の人に捧げるために書かれるものです。個人の名を示さなくても、ある特定の人に感謝を述べたり、捧げたりするものです。ただし、本の内容に関わった人に礼を述べるときは、「謝辞」として「序文」や「あとがき」の中で示されていくことになります。ですから、スタンダールのこの言葉は献辞となるはずです。

 この言葉は、献辞に見えるので、誰かに宛てたものになりそうなのですが、"few" という不特定で少数の人に宛てられています。この点が、少し奇異なことになります。もう一つは、献辞は、一般には本の最初に置かれるもので、最後に書かれていることも、少々奇異に見えます。

 この言葉が気になったのは、私がこの月刊エッセイ「地球のつぶやき」をはじめる時に、同じような気持ちを持っていたことを思い出したからです。

 「地球のつぶやき」をはじめる前に、スペシャル版として不定期に7回エッセイを発行した後、2002年2月から毎月1回定期発行するメールマガジンにしました。スペシャル版は、定期発行できるかどうかを試すための助走期間でもありました。

 そのスペシャル版の購読者とのメールのやり取りを通じて、メールマガジンを配信する対象がはっきりと定まりました。その時の経緯を振り返りましょう。

 2001年10月23日に発行した特別版エッセイ「special3 分類と類型」の中で、読者のKojさんとやり取りをしていたのですが、その経緯を了承を得て掲載しました(エッセイの本文はホームページに掲載されています)。Kojさんも、あるメールマガジンで、自身のエッセイを配信されていました。お互いのメールマガジンを購読していたことをきっかけに、メールで連絡を取り合うようになりました。

 その時、私は、「不特定の一人のために」エッセイを送ることを意識するようになりました。関係している部分を再録します。

(注)なお「」でくくった部分は、お互いのメールの中の文章を意味します。読みやすいように一部修正を加えています。


【以下、再録】

・不特定一人のために(Kojさんへ)・

 Kojさんの書かれるエッセイは、量も多く、なんといっても内容が硬派な感じがします。欧米の知識人が書くようなタイプの科学的文章のようです。私もそのようなものを書きたいと望んでいるのですが、なかなか難しいです。でもそのKojさんのエッセイが、定期的なものから不定期のものになりました。残念だったのですが、それを惜しみながら、メールをやり取りしました。

 Kojさんは、「小出さんがおっしゃっていたように、そのときそのときの取り組みを精一杯やっておくべきで、そこから何かが生まれて、さらに発展してゆくのだと思います。人と人とのつながりは絶対に無駄になることはないですし。」「人の心は生き物なので、変化していきますが、それにともなってネットワークも変化してゆくかもしれません。でも、つながったまま変化してゆく。ネットワークも生きていますね。生きている心やネットワークは思い通りにならないこともありますが、その分思いがけない変化をして発展してゆくかもしれませんね。それがまた面白かったりして。」とおっしゃいました。

 それに対して、私は、「そうですよね。だから、多くの人の声が、私の活動の支えとなっています。私は、一人に向けても可能限り時間をかけて説明することにします。心に感じるところがありました。」と答えました。

 このようなメール交換のあと、私は、メールマガジンを、「不特定一人のため」に出すことにしました。その結果の一つが「地球のつぶやき」でもあるのです。そして、頂いたメールに対しても、そのつもりで対応していきます。

【以上】


 これから、新しい月刊「地球のつぶやき」エッセイを、「不特定一人のため」に発行することにしました。スタンダールの言葉、"To the happy few" を使わせもらうと、"To the reading few" となるでしょうか。その意味は、「読んでいただいた少数の方へ」というものになります。でも、やはり "To the happy few" の方が、より良いですね。

 スタンダールは、この言葉を使った意図は、現在となっては想像するしかないですが、いつか探れる情報があるようです。

 スタンダールは、小説がまだ売れていない不遇の頃、友人宛てた書簡で、「今、自分が出版しようとしている『イタリア絵画史』を皇帝ナポレオンに捧げたい。しかし、それがどうしても不可能ということであれば、その代わりにこの書物の巻頭に To the happy few という言葉を置きたい」と書いているようです。

 実際のこの言葉が世に出たのは、それから10年後の「赤と黒」でした。そしてこの言葉は同じものですが、ナポレオンに捧げられたものかどうかはわかりません。もし捧げるのなら本の最初に掲載するはずなのに、本の最後に掲載されています。10年という時間の経過と、本の最後という点で、ナポレオンではなく、この本を読み終えた読者に対し、幸せや楽しいと感じた少数の読者に捧げたのだと考えたくなります。そう考えたほうが、この言葉がより輝くのではないでしょうか。少数というところには、日本的な謙譲の姿勢があるのしょうか。

 私は、科学教育の実践として、地質学の解説について週刊エッセイ「地球のささやき Earth Essay」を発行しています。それでは、わかりやすさを旨としています。ですから、「不特定一人のために To the happy few」がふさわしいもでしょう。

 この月刊エッセイ「地球のつぶやき Monolog」を発行しているのは、違う目的があります。少々長くて、そして少々難しいエッセイでは、「不特定一人のために」という対象を定めました。地質学に関連するエッセイですが、哲学的思索とその発信の意図を持って書いています。

 地質哲学という新しく難解な内容になりそうなエッセイですから、それを最後まで読んでくださった読者は少数でしょう。さらに面白いと思っくださった読者はもっと少数になるでしょう。

 ですから、このエッセイをはじめる時に持った対象となる読者へ、スタンダールに倣って、感謝の意味を込めて、今後のエッセイの最後に「不特定一人のために To the interest few」掲載していくことにします。

 年頭に初心を思い出しました。


・初心不可忘・

初心忘るべからず、という言葉は

古くから用いられているものです。

世阿弥「花鑑」の中に

「当流に万能一徳の一句あり。初心不可忘」

という言葉があります。

能の修行のために使われたものですが、

諸般に通じる戒めの言葉でしょう。

人は、長い時間が経過すると、

どうしても最初の心を忘れしまいます。

このエッセイは2001年9月から発行していますので、

今年でちょうど20年目に当たります。

その節目で、初心不可忘としましょう。


・Kojさんへ・

いつの頃からかKojさんとやり取りはしなくなました。

現在は、Kojさんの状況も掴んでいません。

以前、解説されていたサイトを探したのですが、

もう閉鎖されており、近況もわからず連絡もとれません。

ネット上の付き合いだから、連絡が続けていないと

仕方がないのかもしれません。

Kojさん、もし、このエッセイを読んでおられたら

連絡をいただければと思います。