2012年9月1日土曜日

128 アンティキテラの高み

 100年以上前にアンティキテラ島沖の沈没船から不思議な装置が発見されました。その装置は、昔の人の営みも、今どきの人と変わらぬ高み達しうることを教えてくれました。砂上の楼閣の上から眺めた景色は、本当の高みを見失うことがあります。自分を高みに置くことなく、周りを見わたすべきでしょう。

 「今時の若いものは・・・」という言葉は、自分が若いころに聞かされ、うるさく思い、歳をとるにつれて自分が使っていることに気づきます。私だけではないと思います。誰もが使っている常套句ではないでしょうか。どの時代にも、年長者は、若年者にむかって、自分の若い頃と比べて、なにかが劣っているとみなしてきました。自分より秀でている若者がいても、ほんの一部にすぎず、大多数の若者は劣っているとみなしてきました。
 本当に劣っているかどうかは、怪しものです。また、違う時代を生きる人たちに対して、能力や学力を比較したり、成長途中の人に対して前を歩んでいる先達との比較など、本当の比較といえるでしょうか。まあそこには、多分に願望が含まれているのかもしれません。
 では、技術の進歩に関しては、どうでしょうか。昔より今、10年前より今、1年前より今、いや昨日より今日と、時代が新しいほど、技術は進んでいる。これは、多くの人が感じていて、異論はないでしょう。例えば、パソコンの処理スピートや記憶容量、携帯電話のサイズや機能など、まさに日進月歩で、あげればきりなく技術の進歩を示す例はあるでしょう。
 いったんできた技術は、後退することなく、前進があるだけです。ある新しい技術がある時誕生したとしましょう。その技術が社会に普及すると、次々と改良が加えられ、一定の完成度になるまで発展していきます。その過程で、時に、全く新しい技術が付け加えられ、それが以前の技術を乗り越えたり、書き換えたりすることがあります。蒸気機関からジーゼル機関や電気機関へ、ガソリンからハイブリッドや電気へ、プロペラからジェットへ、真空管からICへ、ブラウン管から液晶へ、電球から蛍光灯そしてLEDへ、これも例をあげれば、枚挙にいとまがありません。
 もし過去に信じられない技術があったとしたら、どうでしょう。それはエセ科学のような荒唐無稽の話題と無視されるでしょうか。それとも、科学史を書き換える努力をすべきでしょうか。そんな例を紹介します。
 ギリシア本土とクレタ島の間に小さい島が2つあります。ギリシア本土寄りに、比較的大きなキティラ島(Kithira)があり、それよりさら南東38kmクレタ島寄りに、アンティキテラ島(Antikythera)があります。
 アンティキテラ島は、南北10.5km、東西3.4kmで、南北に伸びた菱形をしています。北の辺には大きく凹んだ入江があり、そこに島の中心となる町、ポタモース(Potamós)がありますが、人口44人という小さい田舎の集落です。アンティキテラ島は、面積20km2しなかい、なんの変哲もない非常に小さい島です。観光地化もしているわけではなく、ほんの小さな田舎といえるでしょう。
 そんな島で、かつて大発見がありました。
 日本ではあまりおこなわれませんが、西洋では一攫千金をねらって沈没船探しがおこなわれていました。1901年に、アンティキテラの沖で沈没船が見つかりました。そこは、海流もよくなく、深く、当時の技術もあまりよくなかったのですが、潜水夫たちの献身的な努力で、いろいろな遺物が回収されました。
 青銅像や大理石の彫刻、土器(アンフォラと呼ばれる)、硬貨などが発見されました。中でも青銅製の「アンティキテラの青年」と呼ばれる像は有名です。遺物の中に、不思議な装置がありました。その装置は、アンティキテラの装置あるいは機械(Antikythera mechanism)と呼ばれています。
 アンティキテラの装置は、34×18cmの大きさで、厚さ9cmの木の箱にはいっていて、中には30ほどの青銅製の歯車がからできていると考えられています。木箱は腐食してなくなっています。また、装置もばらばらに壊れた状態で発見されました。大きな破片は6つあり、いくつかの小さなものまで含めると82個の破片が見つかっています。
 最大の破片は18×15cmの大きさで、重さは369gあります。その最大の破片の一番の特徴は、表面にみえる4つのスポークのようなものに支えられた大きな歯車です。腐食していて不明瞭ではありますが、歯車の周辺には細かい歯が一部残っています。内部にも歯車が見えます。今では、内部に27個の青銅製の歯車があることがわかってきました。
 この不思議な装置は、100年近くかかって、詳しく調べられてきました。一時は、エセ科学の格好の題材にされたため、科学者が近づかない時期もありあました。
 近年、アンティキテラ装置研究プロジェクト(Antikythera Mechanism Research Project)によって、装置の原理が解明されてきました。ここ数年、その成果が公表されるようになって来ました。成果は、主にイギリスの科学雑誌ネイチャー(Nature)に、2006年、2008年、2010年に論文が公表されてきました。
 2008年6月30日発行のネイチャーでは、高分解能X線断層撮影に基づいた研究が報告されました。機械は37個の歯車を持つ(30個が現存)ことがわかってきました。紀元前100年頃ギリシャで作られたものとされ、装置に記されている天文学、機械学、地理学の使用説明の言語が、コイネー(ギリシャ語の元となっているもの)で書かれていることから、古代コリントスの植民で作られたものであると考えられています。そこにはアルキメデスがいたことから、関係もあるかもしれないといわれています。アンティキテラの装置は、天体の位置を予測するためのアナログ天文計算機、もしくは太陽系儀と考えられ、惑星の運行を示す針もあったかもしれないとされています。復元模型も完成しました。
 2008年7月31日のネイチャーでは、4年周期を示す表示盤が発見され、オリンピックのような競技祭典を表しているのではないかとされました。月の名称が、コリントスの植民地(シラクサの可能性あり)で使われていたものなので、シラクサ人であるアルキメデスの関与の可能性がますますでてきました。
 2010年11月24日のネイチャーでは、バビロニア天文学の仕組みを含んでいることから、バビロニア天文学が古代ギリシアに影響を与えたことがわかりました。獣帯(zodiac)のダイヤルにはずれがあり、それが太陽の運行のずれに基づいているのではなかちされています。惑星の運行にはズレがあるため、惑星独自のダイヤルをもっていたと考えられています。
 現在も、X線画像から新たな文字が解読されています。まだいろいろな発見がありそうです。
 さて、アンティキテラの装置を詳しく説明したのは、あまりに今までの科学技術(時計や惑星の運行)から、かけ離れていた存在の例としてでした。通常の科学史からは、このような装置は存在しえないものとなります。しかし、現実には100年以上前にすでに存在がわかっていたのです。その精巧さ、完成度の高さ、背景の科学的蓄積、いずれをとっても、想像を超える装置でした。そんな超越するもの対して、科学は存在を無視し、思考を停止しました。
 こんな思考停止状態を打開するためには、まずその存在を受け入れることです。つぎに、その存在を現在の科学で解読し、理解していくことです。その結果、アンティキテラの装置の高みが見えてきたのです。
 なにより過去の人の、能力や技術、知恵を見くびっていたのです。ピラミッドや、古代の芸術品は、現在のものに見劣ることは決してありません。勝るものも多々あります。秀でた才能や卓越した技術、大いなる思索、そんな積み重ねは、時代を凌駕することがあるのです。アンティキテラの装置が教えるところです。
 このような経験を、エッセイの最初の話題とした「今どきの若者」に適用することが重要ではないでしょうか。
 まずは、彼らを受け入れることです。もし彼らと何かを比較する必要があるのなら、先入観なく比較すること、いろいろな尺度で比較することではないでしょうか。彼らの行動にはいろいろな思いや感情、願いが背景にあることなどを考慮して理解すべきでしょう。違いがあったとしても、それは個性の多様や時代背景によるもので、個々の人格を受け入れるべきでしょう。そこには、秀でた才能が生まれているかもしれません。そんな時、彼らを援助することが先人の勤めではないでしょうか。そんな蓄積が新たな高みを生みだすのではないでしょうか。
 私達もかつての今どきの若者で、今どきの若者は、今どきの若者なのです。ただ、それだけなのです。

・古代ギリシアのコンピュータ・
ジョー・マーチャント著
文春文庫「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」
(ISBN978-4-16-765179-4 C0198)
を読んで、驚きました。
そして、このエッセイを書くことにしました。
古代の技術を解き明かす科学者たちの
いりいろな格闘が描かれています。
そして、科学者同士の格闘も描かれています。
この本は一読価値ありです。
そして科学は、成果の重要性と
だれがそれを公開したかです。
良心や裏切りもあるかもしれません。
そんな人間模様も描かれています。

・調査・
9月中旬から1週間、調査にでかけます。
忙しくて、本当はそれどこではないのですが、
出かけることにしました。
全く新しい講義の準備が必要なのですが、
でかけないとストレスが溜まり過ぎています。
気分転換が必要なのです。
もちろん、調査の目的はありますが。
今回は研究しが当たらなかったので、
少々懐が痛いのですが、
仕方がありません。