2005年11月1日火曜日

46 道具考:こだわり(2005.11.01)

 現代社会では「もったいない」という言葉は死語に近くなっています。しかし、荷物を整理していたら「もったいない」という言葉をふと思い出しました。そんな話をしましょう。

 皆さんには、「こだわり」のものがあるでしょうか。ある人は車にこだわっているかもしれません。たとえ買えなくても、いつも新車の情報には敏感になっていることでしょう。またある人は、ゴルフに凝っているかもしれません。ゴルフに出かける日には、どんなに早くても、眠くても、起きて出かけ、家族に嫌味を言われているかもしれません。他にも、いろいろなものにこだわりを持っている人がいることでしょう。スキー、カメラ、映画、旅行、温泉、最近では、パソコンや携帯電話、Blogなどもあるかもしれません。
 もちろん私も、例外ではありません。こだわりのものがあります。
 先日、研究室の片隅にあった箱を整理しました。箱を再利用したいので、中身を整理したのです。箱には、かつて使っていた地質調査の道具が入っていました。中には、地質調査で長年愛用してきた薄汚れた調査カバン、調査用のベスト(チョッキ)などが入ってました。いらないものは捨てて、いるものは別のところにしまって、箱だけを使いたいのです。
 真っ先に捨てる決断をしたのは、ベストでした。ベストは釣り道具屋さんで見つけた安いものでした。しかし、10年以上着慣れていたせいか、少々のくたびれていましたが、結構最近も使っていました。あちこち破れているのですが、その度に自分で繕ってきました。もちろん繕い方は下手くそで、見苦しいのですが、山の中の調査ですから、気にせず使っていました。でも、もうそのような調査をすることはありませんので、捨てることにしました。思い出は一杯詰まっていますが、必要がないので捨てました。十分使ったという気持ちがありました。
 もう一つの地質調査用カバンです。調査用カバンのといっても特別なことはありません。キャンバス地で作られたショルダーバックです。地質調査の専門店に行けば、市販品があります。しかしこれは、市販品ではありませんでした。特注品でした。特注品といっても、そんなに高価なものではありません。
 大学の近くには、何軒か山道具店がありました。中には自分の店で、リュックサックなどを作っているところがあり、頼めばリュックも、結構自由に改造してくれました。以前、そこで売っていたリュックの細工を変えてもらったことがありました。その費用は忘れましたが学生時代ですからほとんどお金もかからなかったと思います。
 その後その店で、自分が使いやすい調査カバンを、特別に注文して作ってもらうことにしました。一人で頼むと高くなるというので、安くするために、友人たちと一緒に数個注文することにしました。
 この特注で一番注意を払ったのは、頑丈であることと、防水加工です。地質調査では、道無き所をヤブコギをしながら調査することも多く、石など一杯入れることもあるので、頑丈であることが重要でした。また、地質調査では沢沿いを歩くことが多いので、濡れることもあります。ですから、少々雫が飛んでも、雨が降っても、中が濡れないようになっていることが大切です。この特注の調査カバンは、頑丈さと防水という条件を満たすように、作ってただきました。
 このカバンは、市販の調査カバンより少々高かった記憶があります。しかし、なんと言っても自分が考えたデザインで、自分が使いやすいものです。もともと白い色をしていたのですが、長年の野外調査で使ってきたので、汚れもひどく、金属の部分はところどころサビが出ています。
 今では研究テーマの変更に伴って、以前のような地質調査はしなくなりました。川や海に調査に出かけますが、車でいけるところが主な調査地になっています。現在は、市販のショルダーバックにカメラの撮影道具を入れて使っています。もちろん、石や砂も入れます。しかし、なかなかいいカバンがなくて、いくつか使い比べてみたのですが、まだ満足するものに出会えません。
 実は、このカバンは捨てることができませんでした。次に使う機会がないかもしれませんが、とりあえず、しまってあります。このカバン以上の良いカバンが見つからないことと、やはりこだわりがあったからでしょう。
 この調査カバンに、最近、自分はこだわっているなと感じたものです。前置きが長くなりましたが、こだわりがもうひとつあります。それは、私の研究と生き方に関するものです。
 私は、田舎が好きです。できれば田舎で、自分の好きなことをして生きていければ最高だと思っています。現状はベストではありませんが、ベターな環境であると考えています。私にとって暮らしやすい田舎という環境で自分の研究を進め、そこから全国に向けてその成果を発信したいと考えています。これが、私にとって、一番の、そして生涯かけてのこだわりであります。
 今では、パソコンとインターネットさえあれば、いいものさえ発信すれば、世界にその存在を示すことできます。そのためには、電気があり、インターネット、できれは高速回線があり、食べるための働き口、できれば自分の好きなことで給料がもらえるという環境さえあれば、どこでもいいのです。もしそうなら、自分のとって暮らしやすいところがベストの環境になります。私にとって、その条件を満たす環境が田舎でした。
 現実はそう甘くはありません。田舎にはハンディがあります。インターネットだけが、自分の成果をアピールをする場ではないからです。やはり人の多いところで、その成果を発表しなければなりません。学問や研究の世界では、学会やシンポジウム、研究会などにマメに顔を出して、成果をアピールすることです。
 また、最新情報が田舎には流れにくいという弱点もあります。インターネットに流れない情報もたくさんあるからです。それを収集するには、人の集まるところに行かなければなりません。つまり学会など、同じ分野の研究者が集まるところです。それは、大抵は東京近辺の都会で行われます。学会での人の意見や議論から、その分野の先端や問題点などが見えてきます。あるいはキーマンと話をすれば、もっと確実は情報を得られます。彼らは大抵都会に住んでいます。
 理想的には、実力と実績があれば、たとえ田舎にいても、その存在感をアピールすることはできるでしょう。その点でも、私はまだまだです。
 ただ、学問の世界は、比較的フェアな評価を受けます。研究論文を定期的に書き、その内容がよければ、それなりの評価を受けます。立場や肩書きは関係ありません。私は、独自の学問世界を、何とか作り上げられないかと考えています。それは、いろいろ実践的に試しながら、深く考えながら、さまざまな経験をつまなければなりません。もちろん、私はまだ途上です。
 これは自分の信条ですが、同じようなこだわりをもった人がいるとついつい応援したくなります。そんな人と最近知り合いになりました。
 北海道の襟裳岬に近い浦河町にある小さな三栄堂という電気店の店主、三上さんという方です。新聞記事で三上さんが開発したソフト「PC Letter」というものを知りました。早速そのホームページをみて、そのPC Letterというソフトを体験しました。体験といったのは、このソフトは、音声ファイルとカーソルの動きを記録して、一緒に一つのファイルにして、コンパクトに送るものです。ですから聞いて見なければならないのです。
 もともとはこのソフトは、手軽に心のこもった返事を送りたいという発想から生まれたようですが、このソフトに、私は2つの点で心を動かされました。それは、田舎からの発信であることと、私の研究の欠点をこのソフトが補ってくれるのではないかということです。
 上で述べたように、私自身が田舎からの発信を理想としていて、それにはハンディがあることも経験しています。三上さんも同じ境遇にいるのですが、めげることなくがんばっている姿が私の励みになりました。そして、なにより彼のこのソフトに対するこだわりを感じました。
 また、研究の道具として、このソフトは使えると純粋に感じました。今まで私は、科学教育をインターネットを活用して行ってきました。文字と画像がその主な伝達手段です。この文字と画像というメディアは、受身の人にとっては、簡単に切り捨てられるものです。もっと心のこもったもの、これは面白いという気持ち、自分の教えたい熱意が、どうすれば伝わるようなメディアがなかい以前から探していました。
 そんなメディアとして映像がいいことは分かっています。でも、自分自身で映像を扱う気になりませんでした。映像をインターネットで配信するストリーミングの技術があり、私の大学でも実用化されてきています。それを使えばいいのですが、一人でするには、大掛かりすぎるし、だれでも見られるものではありません。それにその効果も不確かです。
 そんなとき、このPC Letterというソフトに出会ったのです。このソフトは、動画を送信するものではありません。静止画と音声、そしてカーソルの動きの記録を、一つのファイルとして作成します。そのファイルは、コンパクトになります。しかし、音声があり、カーソルが動き、そのカーソルで字が書けます。それらによって臨場感が伝わります。送り手の感情が直接伝わります。そして、ストリーミングには、決してマネのできない手軽さです。さらに、手ごろな価格でソフトは手に入ります。
 私は以前やっていた「Terraの科学」という地球科学の講義を、この「PC Letter」というソフトを使ってやってみたいと考えました。もっと多くの人が私の伝えたい学問を聞いてい欲しいと考えたからです。そのためには、現状のソフトの仕様のままでは、いくつか問題がありました。それを改良する必要があります。
 私自身がこのソフトで作られたものを聞いていいと感じてから、2005年4月はじめに三上さんに連絡を取り、制作のために試用させていただきました。つくる側を経験することで、このソフトが私の目的に合うかどうかを試したのです。やはり予想通りに素晴らしいものでした。ただし、講義を配信するには、今の仕様ではいろいろ使いづらいところがありました。そこで、私が使いやすいように、ソフトの改良をお願いしました。三上さんは快くその願いを聞いていただきました。
 そのかいあって、満足のいく仕様になって来ました。そして、PC Letterを用いて「Terraの科学(Part 2)」というタイトルの講義を11月から始めることにしました。この講義は半年がかりで準備してきたことになります。PC Letterは、今でも、使い方が分からなくなることがあり、しょっちゅう三上さんに問い合わせをしています。習うより慣れろですね。
 やっと研究に使える良い道具にめぐり合えました。あとは、PC Letterを使い込んで、良いコンテンツを作り上げることです。良いコンテンツができれば、このPC Letterというソフトの宣伝にもなると思っています。それが三上さんの私への助力に対するお返しになると考えています。
 お互い田舎というハンディをメリットに変わる日が来るように、がんばっていくことになります。まだ、私の新しい試みは始まったばかりです。でも、良い道具、良い人にめぐり合えたと思っています。このめぐり合いを大切にして、PC Letterを長く使い込んで「こだわりの道具」にしたいものです。

・新しいメールマガジン・
 ここで紹介したPC Letterは、百聞は一見に如かずのことわざ通り、試してみるしかありません。このPC Letterのソフトを聞くためには、専用のプレイヤーが必要となります。詳しくは、次のホームページを見てください。
http://terra.sgu.ac.jp/pclecture/index.html
また、三上さんのPC LetterのBlogは
http://pcltr.com/blog/
です。
 このPC Letterを使って新しい週刊メールマガジン「Terraの科学」を発行しています。よろしければ、お読みください。登録は次のところからできます。
http://terra.sgu.ac.jp/pclecture/regist.html
 宣伝になりましたが、こだわりの道具自慢と思ってください。

・こだわり一品・
 現在は消費社会といわれ、壊れれば捨てるという社会です。いやいや、壊れてなくても、いらないから捨てることだってあります。後発の工業製品は、便利になおかつ安くという理念のもとに、すでに持っているものでも、買い替えを促すような販売戦略をとります。消費者はそれに乗っかっています。経済効率を考えると、これがいいのかもしれません。
 いつからこんな社会になったのでしょう。普通の感覚では、使い捨てはダメ、使えるものを捨てるのはダメ、ものを大切にしようという気持ちは、誰だって持っています。でも、どうせ使うなら安くていいものにしたいと、ついつい考えています。
 そんなとき、今回のエッセイで紹介した捨てることのできなかった調査カバンが箱の中から出てきました。十分使える状態です。特注の頑丈にという機能が、まだ生きています。多分私より長持ちしそうです。
 そんなカバンに新たな使い方で、新たな付き合いができればと考えています。今は物置にしまっていますが。今回のエッセイを書きながら、取り出してきれいにして、今後の調査に使えないか試してみたと考えました。なにせ、こだわり一品ですから。