2012年4月1日日曜日

123 Romer's Gap:不連続の悩み

連続性が途切れるところがあれば、そこでなぜ連続しないのかを知りたくなります。また、その不連続(ギャップ)を埋めたいと思う人も出てくるでしょう。人は不連続(ギャップ)を嫌い、連続性を好むからでしょうか。そんな不連続を埋めていく作業を紹介します。

 2つの測定値があるとします。その値を、X-Y軸のグラフの上に表示したとします。グラフ上に2点が離れてプロットされました。この2点を線で結べば線分になり、その線分の両側をのばしていけば、直線になります。直線は、XとYの関数として式を導くことができます。
 計測値は事実のみなすことできます。式は一般則とみなせます。ですから、このXとYに関する式は、最小限の事実から一般則化した規則といえます。科学的帰納法ではあります。最小限のものですが。このような最小限の一般則に、どの程度汎用性があるのでしょうか。
 データが個人の努力で増やせるのに少数のデータから一般化をしていたら、その一般則はあまり信頼性がありません。なぜなら、データを増やせば信頼性が増せるのに、その努力を怠っているのですから、研究の姿勢が疑われます。そんな怪しい姿勢の研究者の出した一般則を、あなたは信じますか。
 一般化は、小さな分野、社会、世界ならいいのですが、大きなコミュニティでの一般化は充分注意が必要です。
 信頼性を高めるには、データ、事実を増やすことです。2点では、信頼性は少ないでしょう。2点の間や大きく外れる測定点が演繹的に必要です。もしその点がその直線に乗れば、信頼性は増します。ただ、外れてはいないが、誤差が大きければ、もっと測定点を増やすべきでしょう。直線化であれば、少なくとも数個、できれば10個以上のデータが欲しいところです。
 もしデータが得がたいものであれば、少ないデータから類推することは起こりえるでしょう。また、少ないデータから素晴らしいアイデアを生み出すことも科学の醍醐味でもあります。
 では、多数のデータがある場合を考えましょう。多数のデータが、2つのデータ群になったとしましょう。それぞれのデータ群の特徴には、大きな違いがあります。そのデータ群のギャップを考えるとき、少数のデータに起こったものと同じような悩みが生じます。一連の一般則で考えるべきでしょうか、それともまだ時期尚早でしょうか。
 将来、技術や科学の進歩によって、2つのデータ群の間のギャップが埋まったとしました。するとそのデータは一連の規則か、2つの別々の規則かによって一般化されることでしょう。同じX-Y軸で広範囲でデータを増やしていいけば、やがて2つのデータ群が、消えて一群になるか、2つから3つへと増加するかもしれません。でも、ばらばらの規則は統一理論が望まれ、それを目指すでしょう。
 これは、最初に示した2点のデータから複数のデータへという話を階層を変えて展開しているように見えます。
 人はもしかすると不連続(ギャップ)を嫌うのかも知れません。連続を見つけたいのかも知れません。でも、連続性があったとしても、どこまで連続するのか知りたいのでしょう。やがては不連続(ギャップ)を発見してしまうこともあります。となれば、その不連続(ギャップ)を解消しようとします。
 この問題は、階層的に考えれば、つぎつぎと上の階層へとメタ的に起こりえます。つまり飽くなき不連続の発見へから連続化と至るのでしょう。これが科学のある側面かもしれませんが。
 では、信頼できる実績をもった研究者が、多数のデータを処理して、データ群の間にギャップを発見したとしましょう。さまざまな理由からそのギャップを埋めるデータを見つけるのは、現状では困難だとしましょう。そのギャップをどう考えるのか。実は難しい問題です。
 もしそのギャップが重要な意味を持つのであれば、個人の問題ではなく、その分野全体の問題として取り組むべき課題となります。そんなとき、その問題に名前をつけられます。
 そんな悩ましい問題として「ローマーのギャップ」(Romer's Gap)というものがあります。存知でしょうか。生物の進化において、重要な課題を含んだキーワードとなるものです。ギャップが必然なのか、それともデータの欠如、不足に由来するものなのか。
 まず、「ローマー」ですが、Alfred Sherwood Romer(1894年12月28日-1973年11月5日)というアメリカの生物学者の名前に由来しています。彼は、動物学で学位と取得したのち、動物学の研究職で生涯を過ごしました。一番の業績は、古脊椎動物の分類を整理し体系化したことでしょう。その研究のために、地質学や古生物学にも深くかかわっていきました。
 脊椎動物において、魚から陸上生物(両生類、爬虫類、哺乳類など)への進化は、基本的な構造や機能に大きな変化が起こっています。それらの進化を考えるために、比較解剖学や発生学などの生物学の分野だけでなく、化石を扱う古生物学や地質学などとの連携も不可欠でした。そのため、ローマーは古生物学者ともされることもあります。
 石炭紀の最初の1500万年間(3億5920万から3億4530万年前の期間、トルネーシアンと呼ばれています)は、化石において大きなギャップがあることが知られています。脊椎動物は、デボン紀の多様な魚類の時代から、石炭紀には陸上動物へと進化します。ところが、海から陸への化石には連続性を欠き、ギャップがありました。脊椎動物の進化を考えると、魚類から両生類の間には、海から陸に上がるという大きな進化が起こったはずです。なのに、その間の移行期を示すような化石がないことに、ローマーは気づいていました。
 この魚類から両生類の化石のギャップを「ローマーのギャップ」と呼んで議論されてきました。広くミッシング・リンク(missing link)と呼ばれているものです。それ後の研究者が、「ローマーのギャップ」と名づけました。
 ちなみにミッシング・リンクを科学的に用いたのは、イギリスの有名な地質学者のライエルでした。小学校用の教科書「地質学入門(Elements of Geology)」(第3版、1851年発行)で用いたので、現在の意味で普及しました。学術的な用語ではなく、不連続が限定されることなく、移行期の化石が未発見であることを広くミッシング・リンクとよんでいます。
 脊椎動物でいえば、いろいろミッシング・リンクがありますが、「ローマーのギャップ」が最大のもとなります。海から陸への進化は、生物にとって非常の大きな変化、飛躍となります。体の構造も仕組み、機能も大きな変化が必要です。そのような変化は、当然化石に残るような骨にも及んでいるはずです。なのに化石がない。
 データがないのは、未発見なのか、もともとないのか、それとも残らない何らかの理由があるのか。決着をみるには、十分な調査がおこなわれる必要があります。論理的には「ない」というには、すべての化石を網羅しなければ証明できません。現実的には不可能です。ですから、化石の不在証明は不可能となります。長きにわたって調査がおこなわれれば、少なくとも移行期の化石は稀な存在であることは証明できたといえます。つまり、進化は連続しているのですが、何らかのギャップはあるということです。それを前提は研究を進めることは可能です。
 グールドたちの唱えた断続平衡説もギャップを説明するものでした。断続平衡説とは、種の進化は、徐々にではなく、短期間に一気に起こるもので、化石に残るような連続的な変化は少なく、大きく飛躍すると考えました。だから移行期の化石は少ないのだというのです。
 研究が進み、あちこちのミッシング・リンクが埋まってくると、変化の大きさや移行期のスピード(期間)に関するデータも集まり、大勢が決まってくるかも知れません。
 「ローマーのギャップ」のミッシング・リンクが埋めれてきました。魚類から両生類の「ローマーのギャップ」に関しても、最近では手を持つ魚(ティクターリクと呼ばれてる種)の化石が見つかっていのですが、やっと今年の3月5日に、スコットランドで見つかりました。
 これで「ローマーのギャップ」は、一応埋まり一件落着でしょう。しかし、そもそもの問題である海から陸への進化とは、ひとつの種で起こったことなのでしょうか。その種がすべての陸上脊椎動物の祖先としていいのであれば問題は、ひとつの化石の発見で決着します。しかし、多様な生物群で海から陸への進化があったとしたら、なぜ、脊椎動物は陸へ向かったのかったのか、という疑問への答えはでてきません。
 もっといえば、海から陸へむかった種の変化(進化)の結果として化石が存在します。でも、化石の発見から、「なぜ、海から陸へ向かったのか」という原因がわかったことになりません。ですから、結果として「ローマーのギャップ」は化石から埋められましたが、原因の「ローマーのギャップ」はまだ残されています。もしかしたらこのギャップはミッシング・リンク全体に、あるいは生物の進化全体に及ぶものかも知れませんね。これは、不連続へのメタ的見方でなのでしょうね。

・思考の迷路・
ここの前半で述べたものは、
自然の階層化であり、一種の輪廻です。
後半の不連続の見方は、
自然の弁証法といえるかも知れません。
自然がそのような仕組みをもっているのか、
それとも人が自然をみるとき
そのような見方をしてしまうためでしょうか。
わかりません。
自然の不連続のメタ的見方を、
さらにメタ的にみているためでしょうか。
このような考えに囚われると、
思考の迷路に踏み込んでいきそうです。

・帰省・
今日まで京都にいました。
母のいる実家に家族を連れて帰省していました。
四国滞在中は私だけは何度か帰省し、
母も我が家には呼んでいるのですが
家族で京都にいくのは
2009年以来の3年ぶりとなります。
親族と会うことになります。
子どもたちは従姉妹と会うことになります。
このエッセイは、帰省前に書いて、
予約発行しています。
ですから、そのときの様子は
別の場所での紹介とします。