2012年6月1日金曜日

125 金環日食のSense of Wonder


 5月21日の金環日食は、日本中に事前にニュースがながれ、当日もいろいろ話題になりました。私は残念ながら見ることはできませんでしたが、準備の過程や待っていること、その後のテレビ番組をみることで満喫しました。これは負け惜しみではなく、金環日食を通じて、さまざまなSense of Wonderを感じたからです。


 2012年5月21日は、金環日食で、日本中が大騒ぎになりました。日食をご覧になられた方もおられるでしょう。九州や首都圏では曇りのところがあり、せっかくのチャンスを逃した方もおられるでしょう。残念だったでしょうが、天気ばかりは、地上の人間には如何ともしようもありません。次のチャンスを待しかありません。熱烈なファンであったら、天気予報を見ながら移動されたかたもいるかも知れません。テレビ局では日食をとるために大きな精力を注いでいました。天下のNHKは、専用ジェットを飛ばして雲の上から撮影していました。
 すでにご存知かもしれませんが、そもそも日食とは何かということを紹介しておきましょう。
 太陽系では太陽が唯一の光源となります。太陽-月-地球が一直線に並んだとき、太陽の光が月に遮られて、その影が地球の落ちたときに日食が起こります。日食が見えるのは、地球に影が落ちている場所だけです。地球の影には、太陽に月が一部かかった状態(半影といいます)と完全に重なった状態(本影)があります。半影の中では部分日食となり、本影では完全な日食になります。
 完全な日食が起こるのは、地球からみて月と太陽の「みかけ大きさ」がほぼ同じためです。月が太陽を完全にぴったりと隠すため、日食が起こります。これは、太陽、地球と月の絶妙な比率になっているためです。「みかけの大きさ」は、太陽は月より400倍大きいのですが、400倍遠くにいるために、地球から見たときの大きさが、ほぼ同じになります。太陽と地球の間に月があるとき、その影の部分が、地球を横切ると、日食が起こります。
 大きさはほぼ同じ大きさにみえるのですが、多少は変化します。月は地球の周りを楕円軌道をめぐっているので、月と地球の距離は変化します。月が遠くにあると小さく見え、金環日食になり、近くにあると大きく見え皆既日食になります。
 余談ですが、太陽-地球-月が一直線に並んだ時、月が地球の影に入った状態が月食です。月食にも部分月食と皆既月食があります。皆既月食は、地球の夜の側であれば全域でみられます。また、地球の影は、月より3倍以上大きいので、その分皆既月食は長く続きます(1時間40分ほど)。年に一度くらいは皆既月食が起こり、多くの地域でみることができるので、ありがた味も少な目なのかもしれませんが。
 今回は月が遠くにある時に起こる日食だったので金環日食になりました。その本影が日本列島、それも関東付近を通りました。人口密集地で起こるものだったので、大きな話題になりました。私の住む北海道では部分日食ですが、80%以上欠けます。たいした日食です。北海道では、6時半ころから日食はスタートし、最大の部分日食の時間は7時50分ころです。めったにない天文ショウです。私も観察するつもりでいました。
 私は天文マニアではないのですが、日食は何度か見ています。1990年7月22日の部分日食(カナダにて)、1997年3月9日の部分日食(神奈川県にて)、2009年の皆既日食(北海道では部分日食を)でした。そしてそのうち、2回は幸運にもカメラで部分日食を撮影していました。
 1990年はカナダで地質調査をしていたのですが、カナダの地質学者が「日食だ」というので、見上げると部分日食を見ることができました。本来なら太陽を直接見ることができないのですが、カナダの西部で大きな山火事があり、その煙が流れてきていて、直接目で太陽をみれてカメラでも撮影することができました。
 1997年は晴れていたので、直接見ることはできませんでした。陽撮影用のフィルターも用意していませんでした。しかし、この時の目的は木漏れ日(あとで説明します)を撮影することでした。2009年のときも、木漏れ日を撮影することが目的でしたが、雲があり雲越しに部分日食を直接撮影できました。
 今回こそは、大きく欠ける部分日食をフィルターをつけて、直接撮影するつもりでいました。撮影のために、いろいろと準備していました。ただし、晴れ間を求めて遠くへ出かけるようなことはしませんでした。身近なところで観察して、部分日食を満喫するつもりでした。
 準備として太陽観察用の大きめフィルター板を購入しました。家族用にメガネを2個、撮影のレンズの前にはめるフィルターを3種作成して、残り部分で、自分と家内用の片目用のフィルターを作成しました。前日の日曜日に天気がよかったので、撮影の予行演習と撮影条件を設定して準備もしていました。
 前回の日食は、2009年7月22日で、北海道は部分日食の地域でしたが、カメラの用意をしていました。フィルターも用意していなかったので、カメラでは直接撮れないでしょうから、木漏れ日の撮影するつもりでいました。幸い薄い雲がかかっていたので、雲越しに部分日食を、カメラで直接撮影できました。
 日食の木漏れ日は各地で撮影されて公開されているので、ご存知の方もいるかも知れません。小さな穴を光が通ると、向こうの景色が映せるというものです。この原理を利用したものが、ピンホールカメラです。上下左右が反転した映像になります。木漏れ日は、葉っぱの間にできた小さな隙間がピンホールとなり、その穴を光が通りぬけると、太陽が被写体として地面に映ったものです。通常、木漏れ日のすき間がいびつな形をしているのに、丸い木漏れ日になるのは、太陽の形が映されているからです。ですから部分日食では欠けた木漏れ日、金環日食では丸いリングになります。
 今回、日食の現象だけでなく、できれば木漏れ日も撮影したいと考えました。人のあまりこなさそうな林がある近所の公園で、撮影することにし、準備をしていました。
 いよいよ、待望の当日を迎えました。ところがあいにくの曇り空です。天気予報では降雨確率20%でしたので、晴れることを期待していたのですが、霧が上昇したような低めの雲がかかっていました。6時過ぎに公園に到着して、9時過ぎまで寒い中でねばったのですが、まったく太陽の姿をみることはできませんでした。
 日食は見たかったのですが、見れなくてもよかったと思っています。自分の一連の行動を楽しめ、雲の向こうにある日食を感じることができたからです。準備をして、期待している私には、なにより「Sense of Wonder」があったからです。
 Sense of Wonderとは、直訳すると「驚く感覚」というのでしょうか。意味としては、自然や生命など対象はなんでもいいのですが、そのものに驚き、不思議がる感覚、そんな「こころ、気持ち」のことです。もしかすると日本人や現代人が忘れがちなものではないでしょうか。日食という不思議な現象に驚く心もSense of Wonderです。Sense of Wonderは、そんな小さいものではなく、もっと広大な概念を意味していると思います。
 Sense of Wonderは、身の回りのもの、できごとにみられる不思議さを感じ、興味をもつ心がスタートです。メディアが日食と騒ぐので、日食をみるのではなく、不思議なことが起こることにわくわくする気持ち、子どものような心を持つことです。写真をとるためにはフィルターを使えばいいこと。フィルターを使い明るさを数万分の1に減らしてやっと太陽ををみることができ、カメラで撮影できること。通常の太陽を撮影すれば、黒点もみることができること。日食の原理を考えたら、そこにある見かけの大きさと、太陽と月、地球の距離が400という絶妙の値になっていたこと。日食の原理の理解を通じて、月食もわかり日食と月食の違いがわかること。日食を生む奇跡的な偶然、その値のブレが皆既と金環の違いを生むという不思議さ・・・・・それらすべて、ありとあらゆるものに、Sense of Wonderを感じることが大切なのです。
 Sense of Wonderは、人しか持ち得ない非常に高度な精神活動なのかもしれません。今の人たちが与えられた驚きしかもてないとしたら、人としてのSense of Wonderが衰えているのかもしれません。もっと身の回りのものごとに敏感になるべきなのでしょう。

・フィルター・
今回作成したフィルターは
天文雑誌の付録についていたB5サイズくらいのもので
その雑誌込みで1000円以下で購入しました。
なかなか安い買い物でした。
レンズ用のフィルターをつくったので、
今度は丸い太陽をきっちりと撮影しようかと考えています。
できれば黒点をとりたいなと考えています。
予備的な撮影では露出があってなかったようで、
黒点は写っていませんでした。

・天まかせ・
もう6月です。
2012年も半分近く過ぎました。
短いような、長いような、よくわからない時の流れです。
6月は北海道にいい季節です。
今年は少々天候不順ですが、
晴れれば清々しい気持ちのいい日となります。
次男の小学校は今週末が父兄で学校の環境の整備をして
そのあとジンギスカンをします。
そして翌週は運動会となります。
いよいよ今年が最後の運動会になるので
私の母を京都から呼ぶことにしています。
天気が心配ですが、これも日食と同じで
心配してもどうしようもありません。
ただあるがままを受け入れるしかなく、
その日の天候に対処するしかありません。
まさに、天まかせです。