2018年8月29日水曜日

200 乾坤只一人:唯一さ

 どれだけ多くの人がいても、自分自身は、「只一人」の存在となります。その「唯一さ」は重要です。地質学でも、特異性や唯一さが重要になります。しかし唯一さを理解して、普遍性を探っていきます。

 中国の禅の書に「嘉泰普灯録」というものがあります。「嘉泰普灯録」は、中国の南宋の時代に成立した禅宗の歴史書で、「五灯録」と総称されるもののひとつです。他に、「景徳伝灯録」、「天聖広灯録」、「建中靖国続灯録」、「宗門聨灯会要」があり、すべてで20巻になる書です。
 その「嘉泰普灯録」の五巻に、
  僧問。如何是君。曰。宇宙無雙日。乾坤只一人。
という問答が示されています。
「僧問う、君是いかなるか。曰く、宇宙に双日(そうじつ)無く、乾坤(けんこん)にただ一人(いちにん)」
と読み下します。宇宙には、日(太陽)はふたつとしてなく、天と地の間にも、自分はただ一つである、ということです。太陽と自分を比べて、どちらも「唯一さ」があること点が重要であることを諭す言葉でしょう。「君」はこの問いにどう答えるのか、気になるところですが、このエッセイでは、この「唯一さ」に注目します。
 禅の世界では、「唯一さ」を極めていくことが重要になっているようです。では、他の分野では、「唯一さ」の位置づけはどうなっているのでしょうか。
 そこで、話題が地質学になります。
 地質学が研究対象にしているものは、一度しか起こらなかった事象や、ひとつしか存在しなかったものなど、特異で稀なものが、素材になっていることがよくあります。いや、地質学的にありふれているように見えても、後述するようには、それは唯一の存在といえます。
 そのようなただ一つしかないものは、どのように扱っていくのでしょうか。「唯一さ」を重視して特別な取り扱いをしながらも、そこから普遍性を見出す方向で地質学は進められていきます。
 例えば、地球史では、超大陸の形成され、その後に離散がありました。似たような離合集散の現象は、地球史において2、3度起こっています。それぞれの超大陸は、その時の地球の表層環境や気候、生態系などは、同じ状態のものは2つとしてなく、似た現象と一括りにすると、細部の違いを無視してしまいかねません。ですから、「唯一さ」を重視して、そこにはどのような個性があったのか、そしてその影響下にあったものへ「唯一さ」の伝播を知ることが重要です。その上で、数少ない超大陸の離合集散における普遍性を見出すべきでしょう。事例が少ないので、もしかすると、普遍性の検証が十分ではないかもしれませんが。
 例えば、同じ種類の化石が、同じ地層から多数見つかったとしましょう。同じだから典型的な化石以外は、学術的には不要でしょうか。そうではありません。個々の生物には、個性(個体差)があるはずです。その個性に着目して記載すれば、種内の多様性を把握することにつながります。そこには、個々の個性の「唯一さ」に着目するという考え方があります。そして次の段階として、個性の「唯一さ」と多様性を違う時代の地層でもおこなうことで、多様性からの逸脱を見出します。それが生物の進化などの普遍性が抽出されていくことになります。化石の例では、類似物が時代をまたがって多数あれば、普遍性の検証を可能にすることになります。
 ある超大陸の個性、多数の中のひとつの化石の個性を、自分自身に置き換えると、どうなるでしょうか。
 たとえ、どれだけ多数の同種の中であっても、自分を特徴づけるのは自身の個性です。たとえ人類70億人の同種が存在していても、たとえ自身が他とは劣っていても、たたえ自身に弱点があっても、その個性を持った自分は、「唯一さ」をもっています。「唯一さ」をもっとも身近に感じる存在になります。しかし、自身の「唯一さ」から普遍性へと向かうのでしょうか。禅では、自分自身を深めていくこと、「唯一さ」を深めていくと、哲学や心理学へとつながるのでしょうか。
 ところで、自然界で「唯一さ」を生み出しているのは、宇宙に流れている不可逆な時間です。不可逆な時間とは、エントロピーの法則に従っているものです。エントロピーとは時間とともに常に増加していくもので、熱力学第二法則になっています。一方向にしか流れない時間は、「時間の矢」とも呼ばれます。この「時間の矢」が自然界の「唯一さ」を生み出します。同じように見える現象、出来事であっても、時間軸、つまり時代が異なれば、違ったエントロピー状態になるはずです。時代が違っていても、同じようなものがあったり、同じような現象が起こるのであれば、エントロピーの法則を破る理由があるはずです。その理由を解明していく必要があります。
 地球に流れる時間の「唯一さ」を考えるのが、地質学です。地質学の素材からは、「唯一さ」を知り、そこから普遍性を考えていくことも、地質学の重要な方向性となっています。これは地質学だえでなく自然科学全般の方向性かもしれません。一方、自分自身の「唯一さ」に深く分け入っていくのは、禅であり、哲学、心理学でしょう。これは、人文科学の方向性かもしれません。

・帰省・
1週間ほど、京都に帰省していて、本日、帰札する予定です。
台風の後、京都は暑いというニュースがありました。
すごく暑いと思って、覚悟して帰省したのですが、
思っていたほどではありませんでした。
この時期だけ少し暑さも和らいでいたので、ほっとしました。
仕事を持って帰省していたのですが、
仕事をする場所も机もないので、
母のテレビを見ている部屋で、
気を散らせながらも、ぽつぽつと仕事を進めました。
実は急ぎの校正があったのですが。
仕事を思う通り進めようとしても
場所が変わると、なかなか難しいですね。

・母の老化・
毎日のように母とは電話で話はしていたのですが、
電話で声を聞くのと、実際に会って話すのには、違いがあります。
久しぶりに会うことになるので、
容貌の変化にはすぐに気づきます。
そして、何日も一緒にいて話を続けていると、
言動から、その老化の様子もよくわかってきます。
母は、後期高齢者になってだいぶたちますが、
独居でがんばっています。

2018年8月1日水曜日

199 誤謬の混入:目の前の真実

 ファクトが目の前にあっても、脳が見ようとしなければ、フェイクが頭の中で形づくられます。そして他者の批判に、自身の主張をオルタナティブな真実と弁護します。悪循環です。真実は、目の前にあるのです。

 アメリカのトランプ大統領が使った言葉で、フェイク・ニュース(fake news)やオルタナティブ・ファクト(alternative fact)という言葉が、メディアでよく聞ききました。
 フェイク・ニュースとは「偽のニュース」という意味です。これは、トランプ大統領が、自分に批判的な報道を「フェイク・ニュース」だと何度も口にしたり、2018年1月、就任1年目に「フェイク・ニュース大賞」を発表して話題にもなりました。
 オルタナティブ・ファクトとは、「代替の事実」が直訳になり、「もう一つの事実」などという言葉も使われています。オルタナティブ・ファクトは、トランプ大統領就任式(2017年1月)の群衆の数が、空撮写真でみると「過去最少だった」と報道されました。それに対して、スパイサー・ホワイトハウス報道官が「観客は過去最多だった」と反論しました。2017年1月、その発言が「明らかな虚偽」ではないかというメディアのインタビューに、コンウェイ大統領顧問は、「嘘ではなく、もう一つの事実だ」と反論したことで有名になりました。そのために、大統領側は、いろいろな理由を示したのですが、メディアがそれらをすべて論拠を示して否定していきました。
 トランプ大統領は懲りることなく、重要な影響のあるよう政治や外交判断をいまだにSNSで発信しています。民主主義を無視した、非常に乱暴なやり方です。似たような乱暴な議論の進め方が日本の政府でも起こっているように見えます。かなり不安です。
 今回のテーマは、トランプ氏側の主張の中で、あえて「真実」の部分を抽出すると、「見えているものだけが、真実ではない」という点ではないでしょうか。「見えないものは、存在しない」というのは、写真に写っている人の数のように見るべき対象が限定されていれば、それは真か偽かは判断できます。一般化して「見えないものは、存在しない」と定言にすると、明らかに偽となります。科学は、見えないものでも、存在していることを証明しています。
 例えば、小さいもの、細菌やウイスルなどは、肉眼では「見えない」のですが、光学顕微鏡や電子顕微鏡などを用いれば、その姿かたちを「見る」ことができます。今では、高倍率の電子顕微鏡を用いれば、原子を一粒一粒を「見る」ことができます。
 重要なことは、肉眼では見えないものであっても、道具や装置を用いることで、「見える」視覚の範囲を拡大することできます。小さいものだけでなく、遠くのものも性能のいい望遠鏡を使えば見ることできます。また、人の代わりに探査機を送り込むことで、深海や他の天体(月や火星、冥王星、地球近傍小惑星リュウグウなど)を「見る」ことができます。
 私に「見えない」ものが、子どもが「見えた」経験があります。地質見学(巡検と呼ばれています)に参加していたとき、学生時代は火成作用に興味あったので、地層や化石にはあまり興味がありませんでした。だから私は、なかなか化石を発見できませんでした、でも化石に興味のある同級生には見えていました。また、博物館内の観察会で、館の石材を見学しているとき、「化石が見つからないとされていますが、頑張れば見つかるかもしれません」といって案内しました。私は、この石材から見つからないという先入観を持っていました。しかし、なんと子どもが小さな巻き貝の化石を発見しました。見る気がない人には、真実は見えないのです。
 素直に「見れ」ば、事実だとだれもで判定できるのに、トランプ陣営の人のように、その事実を見ようとしなけば「見えません」。皆さんにも、似たような経験があるのではないでしょうか。そこに視覚情報、正しい情報があったとしても、それを素直に見よう、判断しようとする気持ち、姿勢がなければ、真実が見えなかったり、偽に見えたりするのでしょう。
 これは、脳が見ていることに起因しているのです。脳が見ようとしないものは、視覚に情報が入っていても見えせん。脳は、持ち主の考えて簡単に「オルタナティブ・ファクト」を見てしまいます。
 このような誤謬は、人の脳には簡単に入り込んでいます。常識、当たり前だ、面倒だ、などが、誤謬の入り口はささやかなものでしょう。ですから、素直に、ありのままを見ることが、誤謬を除く一番簡単な方法でしょう。
 誤謬の混入は、視覚だけではありません。すべての感覚器官で同じような誤謬が入り込んでいる可能性があります。例えば、マジシャンは、このような視覚トリックを意図的に操作しています。VRのアトラクションでは、イスを傾けることで平衡感覚を惑わして、スリルを味わう仕組みが取られています。ゲームセンターのレーシングカーのアトラクションなども、体勢感覚の錯覚を操作しています。聴覚も、左右の音でステレオ効果をきかせれば、目の前を車が通り過ぎたように思えます。
 これらの例は、感覚器官を通じて情報は正確に取り入れているのですが、脳が騙されているのです。それが、エンターテイメントや楽しみであれば、問題はありません。ですが、民主的な結論、重要な政治判断、より確かな規則性などを見つけたいときには、自分の意を反映した脳が、邪魔をすることがあるはずです。そんな誤謬を最小限にするために、素直に「見る」必要があるでしょう。自身の考えも重要ですが、「見えていること」にこそ「真」があるはずです。

・自然災害・
今年は、西日本では、地震、大雨、猛暑、
台風の逆行など、例年とは違った気候で
自然災害が多発しています。
北海道も日照時間の短い冷たい初夏から、
一気に蒸し暑い夏になったり、
変動が激しいようです。
自然の変化に一番影響を受けるのは農業でしょう。
北海道では大規模農場が多いので、
その被害は全国的に影響を受けます。
まだあまり影響のニュースを聞かないので
ひと安心ですが。

・定期試験・
現在大学は、前期の定期試験期間中です。
毎年思うのですが、祝日などのやりくりで
講義が終わるのが7月末になるので、
停止危険が8月に入ります。
北海道でもこの時期は一番暑くなります。
試験の条件としては最悪の時期です。
それでもスケジュールをこなさなければなりません。
大学は文科省の指示に従っています。
規則ではそうなっているのですが、
もう少し学生の立場でものごとが進みませんかね。