2009年12月1日火曜日

95 観察に真理が宿る:ダーウィン生誕200周年

 早いもので、もう2009年も終わろうとしています。今年最後のエッセイとしてダーウィンを取り上げることにしました。実は、このエッセイを書こうか、書くまいか、かなり迷いました。なぜなら、今年はあちこちでダーウィンが取り上げられているに違いないからです。でも、今回を書かないと、チャンスがないかもしれないので、書くことにしました。私の身近な視点で、ダーウィンについて述べていけばいいのではないかと思いました。それが今回のダーウィンに関するエッセイです。

 2009年は、ダーウィンに関する2つの周年記念にあたります。ダーウィン生誕200周年(1809年2月12日生まれ)と、「種の起源」出版150周年(1859年11月24日初版発行)の年に当たります。世界のいくつもの博物館でダーウィンに関する特別展が開催され、日本でも2008年ですが東京や大阪で開催されました。また、2008年9月、イギリス国教会は、発表当時進化論を誤解していたことを謝罪する記事を発表しています。生物や進化に関する分野では、今年は、ダーウィンについて、いろいろニュースになったことだろうと思います。
 さて、私とダーウィンとのかかわりを、手元にある本から話しましょう。手元には、かなり古いものから新しいものまで、ダーウィンの著作が4種あります。同じ著作でも、発行時期と出版社の違うものもあります。
 まず、ダーウィンといえば「種の起源」です。だいぶ以前に古本で購入した岩波文庫の「種の起源」(1988年発行の第30刷)全3冊があります。もともと「種の起源」は読みづらいものなのに、翻訳では文章がこなれておらずさらに読みづらいものとなっています。しかし、今年出版された光文社古典新訳文庫「種の起源」上巻は、渡辺政隆氏(S.J.グールドの著作を分かりやすいに翻訳されている方)の読みやすい新訳となっています。12月8日に発行予定の下巻が待たれます。届いたら読んでいきたいと思っています。
 次に有名な著作として、「ビーグル号航海記」が挙げられるでしょう。私は岩波文庫の全3冊(1994年発行の第37刷)を持っています。進化論は、ダーウィンにとって重要な業績です。しかし、ダーウィンが博物学者として、いろいろなものごと、特に地質学的現象に興味をもっていたことが、この本からうかがい知ることができます。
 私は地質学を専門としていますので、「種の起源」より、「ビーグル号航海記」の地質学的な記述に興味がありました。たとえば、航海に発見した多様なサンゴ礁が、沈降によって形成されていくことをまとめました(1842年)。それが正しいことが後に証明されています。
 そして次は、ちくま学芸文庫「ダーウィン自伝」(2000年初版)です。この本は、残念ながら現在は絶版のようです。この本はダーウィンの死後、残された遺稿をもとに出版されたものです。
 これら3冊のダーウィンの著作は、非常に有名なので、地質学者でなくても、ダーウィンに興味がある人なら、持っているものではないでしょうか。しかし、私は、もう一つ別の著作を持っています。それは、たたら書房から発行されている「ミミズと土壌の形成」(1979年第1刷)という本です。これも現在絶版ですが、平凡社ライブラリーの「ミミズと土」が購入可能となっています。
 「ミミズと土壌の形成」(1881年)出版の1年後(1882年4月19日)に、ダーウィンは亡くなっています。この本が、ダーウィンの手がけた最後の著書となったのです。
 「ダーウィン自伝」は、ダーウィン自身が数ヶ月の間にこつこつと書いたもので、その後も思いついたときに走り書きを書き加えていたとのことです。その走り書きを、死後まとめて出版されたものが、「ダーウィン自伝」なのです。出版年代でみると「ダーウィン自伝」の方が後に出ていますが、最終的にダーウィン自身が、原稿をまとて、出版をしたものではありません。
 ミミズの研究が、生涯の最後の研究となりました。進化論の提唱者のダーウィンが、ミミズのような小さな生物に着目し、そして行動を観察しているのです。有名なダーウィンにしては、地味な研究にみえます。私が、なぜ、「ミミズと土壌の形成」を持っているかというと、ダーウィンの科学者としての研究姿勢の象徴、そして研究するということへの強い意思をそこに感じているからです。
 ダーウィンがミミズに興味を持ったきっかけは、1837年、28歳のときでした。当時ダーウィンは、体調がすぐれず、田舎に療養にでかけていました。その時、おじのジョサイア・ウェッジウッド2世が、燃えかすが地面に沈み込んでいくのはミミズの働きである、といったことを発端としてました。それから研究をはじめ、11月にはロンドン地質学会で、その成果を報告しています。しかし、ミミズの働きに関する論文は、あまり評価されなかったようです。
 「ミミズと土壌の形成」のはしがきの中で、
「書斎で、なん月も、土をいっぱいいれたポットのなかにミミズをかっているうちに、わたしはミミズに興味をもつようになり・・・」
と書いています。
 ダーウィンは何ヶ月も書斎でミミズを飼っていたのです。それは、最初は研究を目的にしたのではなかったが、後に興味をもったかのような口ぶりですが、上で述べたように、以前から興味を持っていたのです。「ダーウィン自伝」の1881年5月1日に書かれた部分では、こう述べています。
「私はいま、小さい著作 "The Formation of Vegetable Mould through the Action of Worms" (「ミミズと土壌の形成」のこと)の原稿を印刷所に送ったところである。これは、わずかな重要性しかもたない問題である。その問題が読者におもしろかどうか私は知らないが、私自身にはおもしろかったのである。読者には興味がないかもしれないが、自分にはおもしろかったのである。」(168ページ)
 つまり、ダーウィンは、観察や実験の重要性よりも、興味を優先していたのです。生涯最後の仕事として、若いころ興味を持ち、そして今も興味をもっているミミズの研究をしたのです。その結果、ミミズと土壌の関係を解き明かしています。私は、研究の内容や成果より、ダーウィンが動植物の飼育や栽培などの実験と観察を重視して、長く研究をおこなってきた点において、研究者としての魅力を感じます。その原動力が興味に基づく自然観察だったのです。
 「ミミズと土壌の形成」のはしがきの中で、
「それは、四十年以上もむかし地質学会で発表した短い論文を完成したものであり、以前の地質学的思考を蘇生させたものである」
と書いています。ダーウィンは、若い頃にはじめたミミズの研究を、「ミミズと土壌の形成」としてまとめ、晩年最後の仕事としたのです。まるで自分の生涯の研究を完結すかのような仕事ぶりです。そして、その仕事が「地質学的思考を蘇生」させることだったのです。
 進化は、目に見えない現象です。過去に起こったことを、現在に生きる研究者が解き明かさなければなりません。ダーウィンは、現在の生物を観察し、実験することで、進化の証拠を見出そうとしていました。過ぎ去った時間の中の出来事の検証を、現在の出来事から窺い知ろうという姿勢です。一種の斉一観に基づく姿勢かもしれませんが、過去の現象に客観性を持たせる有効な手法であることは今でも変わらないと思います。
 ダーウィンにとって、進化論の検証の一つが、ミミズの観察であったのかもしれません。昔畑に撒かれた石灰などの層を掘り起こしてどくらい深くに達しているかや、重い石や古代の建築物が沈んでいくことを観察したりしています。そんな一見地味な観察の集積に、自然の真理を見抜く方法が宿っているのかもしれません。ダーウィンは、自然の真理を見つける方法を悟っていたのかもしません。そしてその方法を、生涯を通じてやり通したのかもしれません
 やはり、ダーウィンは偉大だったのです。

・卒業研究・
いよいよ後一月で、2009年も終わります。
大学では、今4年生が卒業研究の真っ最中です。
私もその対応に右往左往しています。
彼らにとって4年間の集大成です。
その力の入れ方、あるいは成果は
人ぞれぞれのように見えます。
私が卒業論文を書いたときとは時代も違います。
手書きとワープロ、
模造紙での発表とパワーポイントでの発表、
などなど違いは大きいのです。
でも、どれだけ熱意をもって望むかは
比較可能かもしれません。
まあ結局比較していっても、
年寄りの繰言になりそうです。

・博物学者・
ダーウィンの業績は、地理学や生物学、地質学という範疇では
なかなか収まらないような研究者だという気がします。
ダーウィンが興味の対象としたのは、
自然史"Natural history"の記述で、
その向かっていた方向は
自然哲学"Natural philosophy"だったのでしょう。
はやりダーウィンは、博物学者と呼ぶべきだと思います。