2002年1月14日月曜日

special6 オッカムの剃刀(2002年1月14日)

 カール・セーガンは、「ひとはなぜエセ科学に騙されるのか」(上巻ISBN4-10-229403-1、下巻ISBN4-10-229404-X)やSF小説の「コスモス」(ISBN4022548037、4022548045)の中で、「オッカムの剃刀(かみそり)」という言葉を常識としてよく使っています。ある現象に対する仮説が2つ以上ある場合は、単純なほうを選べ、という教訓として使っていました。私は「オッカムの剃刀」の意味を知りませんでした。私が東洋の常識の標準というつもりはありませんが、もしかするとそのような成句を知らないのは、西洋と東洋における常識の違いに由来するものかもしれません。
 そのようなことから、今回は「オッカムの剃刀」に関する話題です。
 神を考える神学と人間の理性や真理などを論理的に考える哲学は、あるときは対立し、あるときは共存していました。そして、いつしかその目指すところを異にしていきました。また、哲学と自然科学も、かつては不可分の関係でした。例えば、私たちが哲学者としてよく知っているデカルトは、1644年に太陽系の起源について渦動説を唱えています。カントも、1755年に星雲説を提唱しています。19世紀に「科学者(scientist)」という名称ができるまでは、博物学、あるいは物理や化学、生物学などの自然科学を研究人々を、「自然哲学者(natural philosopher)」と呼んでいました。しかし、今や哲学と自然科学は、あたかも別世界の存在に見えるようになってきました。
 このような経緯は、科学の源流をたどれば、どうしても西洋的な古典や哲学などにたどりつくと考えられます。さらに哲学と科学の源流は、アリストテレスにたどり着くのでしょう。そんなアリストテレスの哲学と科学を最大限に利用して、キリスト教的神学を解釈しようとしたのが、スコラ学ではないでしょうか。スコラ学とは、キリスト教における超自然的事象を自然的人間理性、つまりアリストテレスの哲学や科学で理解しようとしていました。スコラ学者たちの信念は、「神は唯一であり全能な創造主である」とか「人間の魂は不滅である」などです。その信念は、この世のすべてを支配しうるものでした。このようなスコラ学が、11世紀から15世紀半ばまでは、西洋あるいはキリスト教世界の知的世界を支配しました。
 スコラ学の最盛期である13世紀を終え、14世紀になると、人間の理性と哲学の領域は、スコラ学者が考えていたよりも、もっと制限されていると考えられるようになってきました。そのような考えの中心人物として、オッカムという神学者が登場します。
 そのはしりは11世紀後半からの、普遍論争に端を発します。普遍論争とは、普遍(概念)が先か、個物(感覚で認識される一つひとつの対象のこと)か先か、というものです。一方は、普遍がほんとうに存在する(実在する)のであって、個物はその影にすぎないと考える立場で、実念論とよばれました。それに対して、個物こそがほんとうに存在し、普遍はたんなる名前にすぎないと考える立場で、唯名論とよばれます。
 14世紀の唯名論の代表的論客が、オッカムでした。オッカムは、スコラ学者の拠り所としている信念が、哲学的・自然的理性によって証明できず、神の啓示によってのみ証明されるということを、論理学的に示しました。
 さてさて、やっと今回の話題のオッカムにたどり着きました。オッカムとは人物名だったのです。今回は、このオッカムについて述べたいがために、長々と前書きを述べてきたわけす。
 オッカム(William of Ockham;1285頃~1349頃)は、イギリス生まれの宗教家(スコラ学者あるいアンチスコラ学者)でもありますが、中世最大の論理学者とも、考えられています。
 オッカムは、アビニョンにある教皇庁で清貧問題を研究しました。その結果、教皇ヨハネス22世の誤りを確信するにいたりました。もちろん、そうなると教皇庁にはいれません。そこで、ルートウィヒ4世の庇護を求めてバイエルンへ逃れました。ルートゥヒは、バイエルンの皇帝で、反教皇の立場をあきらかにして、帝位についていたのです。皇帝と初めて対面したオッカムは、「皇帝陛下、陛下が剣で私を守って下さるなら、私はペンで陛下をお守りします」と述べたといわれています。以後20年間、オッカムは、普遍論争への突入します。その時代背景や、論点は上で述べたとおりです。
 オッカムの論理学は、「論理学要論」にまとめられています。オッカムの論理学は、アリストテレスの時代の論理学(三段論法)を吸収しながら、より進んだ推断(consequentia)の論理学を含んでいます。推断の理論は、「ある岩石は、堆積岩か、変成岩か、あるいは変成岩である」従って「ある岩石は、堆積岩でもなく、火成岩でもなく、変成岩でもない、ということはない」というような論理です。論理学的いい方をすれば、「選言的な肯定命題から、その命題の部分と矛盾的に対立する部分からなる連言的な否定命題への推断は妥当である」という論理形式です。こうした推断の理論は、命題論理学の一種ですが、ストア学派の命題論理学とは違い、新しくつくり出された命題論理学とされています。
 オッカムの「必要なしに実在を多数化してはならぬ」という原理は、「思考節約の原理」とも呼ばれています。この原理が「オッカムの剃刀」と命名され、形式論理学にも、用いられています。「オッカムの剃刀」は、観察された事実、理的自明性など、「十分な根拠」なしには、いかなる命題も主張してはいけないとしています。
 やっと、「オッカムの剃刀」の定義がわかりました。「オッカムの剃刀」とは、どんな仮説にも、十分な根拠が必要であり、不必要に仮説を増やしてはいけないというこのようです。冒頭のカールセーガン氏の「オッカムの剃刀」の使い方は、もともと使い方とは違っています。それは、現在までにそのように変化したのか、それとも拡大解釈をするとそこまで広義に使えるのか、あるいはセーガン氏の誤用か、いずれかはわかりません。でも、私は、「オッカムの剃刀」から、西洋の常識とその由来するところを少し垣間見た気がします。
 日本人が、神道の儀式に通じ、仏教の教義、古事記、日本書紀、枕草子、徒然草などは古典の一つとしています。たとえば、ある宗派を持つ人でも、無信教の人でも、多神教(多くの日本人はこれ)でも、般若心教の一節(摩訶般若波羅蜜多(まかはんにゃはらみった)、色即是空、空即是色)や、各宗派のお題目(南無妙法蓮華経(ナムミヨウホウレンゲキヨウ)、南無阿弥陀仏など)は、聞いたことがあるはずです。これと同じように、西洋の人々は、宗教の如何にかかわらず、キリスト教の教義や宗教家に通じ、ギリシア神話が古典の一つになっています。これが、西洋(キリスト教文化圏)における常識となるわけです。
 ある文化的背景を抜きにして、ある「常識」を前提として、話をはじめても、根源的な部分で通じないこともあります。もしかすると知識として「オッカムの剃刀」のようなことをいくら調べても、「常識」はなかなか身につきにくいものかもしれません。つまり、日本がいくら西洋化しても、国や民族、地域の固有文化の「常識」の相違だけは、消しきれません。それが、固有文化の芯に当たる部分かもしれません。そのようなそれぞれの国や民族の固有文化の上に、近代的科学が築き上げられ、世界の科学の共通文化、つまり科学的常識が構成されているのかもしれません。ですから、ものごとの根源に迫れば迫るほど、固有文化に属する部分にたどり着くのではないでしょうか。そこには、それぞれの人の生い立ちを含めた固有文化があるような気がします。こんな仮説は、「オッカムの剃刀」に抵触しないでしょうか。

・固有の文化・
 固有文化の相違を生む一つの要因として、宗教があると思います。去年のアメリカ合衆国へのテロとそれに対するアメリカ合衆国の報復も、このような固有文化に由来する確執ではないでしょうか。他の宗教、民族や国家の固有文化を否定することは許されません。どんなに少数の固有文化であったとしても、認知していく必要があると思います。
 固有文化の大は国家、民族から、小はどこまでいくでしょうか。固有文化の考えを、推し進めていきますと、人それぞれにおける個人の文化、あるいは個人の常識というものに行き着くことになると思います。
 「あいつとは、話が合わない」といって、愚痴をいうことがありますが、それは、それぞれの生い立ちに由来する個人文化の違いに由来するものでしょう。これは、ごく当たり前のことなのです。そのような個性を否定して、いじめをすることは、自分自身もより強い個人文化に出会うと、否定の憂き目にあわされる可能性があります。ですから、他を認めることは、自分の個人文化を守ることに通じるのではないでしょうか。
 同じことが、他の宗教、民族や国家の固有文化を守ることに通じるのではないでしょうか。

・新年・
 あけましておめでとうございます。
 皆様はどんな新年をお迎えでしょうか。
 私は、子連れの帰省でした。故郷でのんびりできないかと思いましたが、やはりはかない夢でした。故郷に滞在中は、寒波に襲われ、非常に寒い思いをしました。元旦は、祖母と長男、家内と長男が、近所を回ったのですが、雨が降り、非常に寒かったです。私は炬燵(こたつ)で丸くなっていました。2日は、祖母と家族全員で、スーパーに子供の買い物に出かけました。一駅しか乗らないのに、待ち合わせ時間が長く、雪までちらつきだしました。3日も寒くかったので、皆で自宅でじっとしていました。
 私の新年は、寒波と炬燵と子守でした。