2021年9月1日水曜日

236 集中した科学と急いでいる科学

 COVID-19へのワクチン開発は、非常に短期間になされました。緊急事態に対して、人類の集中された科学力に驚かされました。では、通常の科学は、もっとのんびりと、遂行されているのでしょうか。


 COVID-19患者への対処として、当初は薬も処置も試行錯誤でしたが、この1年半で、医療現場の経験の蓄積もされてきました。重篤な肺炎に対しても、以前なら失われていた命も、人工呼吸器などの医学的対処と対応医療従事者の献身的対応で、なんとか危機が食い止められています。しかし、感染拡大がひどい状態のため、医療現場も、限界を迎えつつあるように伝えられています。

 COVID-19へのワクチン接種は、もっとも有効な対処法です。計画通りであれば、日本でも、もっと早くワクチンの接種も進んでいるはずなのですが、すべてが、後手に回っているようです。

 我が大学も申請から1月半たって、やっと職域接種がはじまります。9月から、学生と教職員への接種がはじまり、10月初旬には接種が終わるので、10月中には、集団免疫がある程度できるのでは、と期待できます。ただし、変種も次々とでているので、不安が募ります。ワクチン接種で、当初ほどの効果は期待できないでしょうが、感染、発症、重症化のリスクは減るはずです。

 100年前のスペイン風邪(インフルエンザ)のときは、世界人口の30%(5億人)ほどが感染し、死者も4000万人以上(1億人以上ともいわれた)もありました。その時は、なすすべもなく、ただじっと耐えて感染が収まるのを待つだけでした。

 100年前より医療技術や対処薬などは進んでいるので、感染症への対処がかなりできています。それでも、今回のCOVID-19では、現在(2021年8月28日)、世界では2億1500万人以上が感染し、死者は448万人にのぼっています。ワクチン接種率は人口の25.2%となっています。ワクチン接種率からすると、これからも感染者数や死者の数は増えていきそうです。

 さて、今回のワクチン開発をみていると、そのすべてでスピードの凄まじさを感じました。それまでの研究の蓄積もあったのですが、開発の時間も、商品化も量産化も、臨床試験、承認など、いずれも迅速でした。これは、人類全体の危機に対して、一致団結して英知と資源を集中してきた結果でしょう。緊急の課題に対して、人類が一丸となったときの底力を見た気がします。

 しかし、これは緊急事態のときです。日常的な研究は、もっと着実に進められているはずです。

 職業的な研究者の多くは、大学や公立の研究所、民間企業などに在籍しています。組織に属し給与をもらっている限り、組織の目指すもの、目的に向かって努力する義務があります。特に民間企業では、目標達成が最優先、あるいは目標に束縛されて仕事しています。

 大学では、次世代の人材育成として、社会人として必要な教養とともに、専門性も身につけていく教育がなされます。研究者になろうとする人には、大学院に進学して、さらに高度な専門性を身につける必要があります。大学院などのある大学では、教員は研究者養成も重要な任務になります。

 大学の教員は、教育者であることが第一義ですが、研究者であることも求められます。教員は、それぞれの研究テーマを持っています。それぞれの興味で独自の研究テーマを持っています。教育と研究を進めることが、任務になっており、それで生活の糧を得ていることになります。

 大学の教員は、自分の好きなことを、のんびりとしているように見えますが、予算削減、人員削減の煽りもあり、実は大変忙しくなっています。大学の組織運営のための校務もあり、それも給料分になっています。また、ボランティアで研究者集団での役割もあるでしょう。

 研究費が足りないので、外的研究費、競争的研究費を獲得するために、毎年、何種類もの申請書を作成しています。獲得したら、その研究計画にそって研究を進め、最終的には成果報告をすることがノルマとなっています。次々と研究費を獲得したからには、研究期間が単年であれば毎年、数年であっても毎年のように研究成果を上げなければなりません。獲得する研究費が多ければ、それなりに出すべき成果の数も多くなければなりません。研究成果とは、論文を書いて(学会誌や研究会誌、大学の紀要など)、学界(数個の所属学会がある)へ報告することです。学会報告もその中に含まれます。

 研究者になりたての頃は、指導教員に、研究内容の指導ともに、論文作成でも懇切丁寧に指導をして頂きました。英語であろうが日本語であろうが、それこそ一言一句、赤を入れられて添削していただきました。一篇本目の論文は非常に苦労しましたが、2篇目、3篇目となるにつれて、指導教官の添削も減り、論文とはこう書くものだという、自分なりの方法も見つかるようになりました。おかげで、自力で論文が書けるようになりました。

 研究者には、年に何本も書く人がいる一方、中にはもっと長い期間をかけて研究を進めてから、論文を書くことあります。論文ではなく、著書を認める人もいます。いわゆる大作をものする人もいます。充分な研究期間を経て成果を出す研究もあります。

 ただし、研究期間が長くなると、研究費がなくなります。期限付きの研究費は、単年度から3年、長くても5年程度です。それより長い10年を越えるようなは研究費はなく、ポケットマネーでの研究となります。研究の完成度を上げるために時間をかけると、研究費がなくなることで、ますます成果が遅れるという、悪循環が生じます。そのような研究者が、大学にはある程度の割合でいます。

 文系の分野では、そのようなタイプの研究をする人もいます。理系や社会系の研究者は、研究費がなければ、なかなか研究成果が挙げられません。そのため、研究成果をなかなか出せない(出さない?)大学教員もいます。多分、肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか。

 大学教員は、少なくとも数年に1篇程度の論文を書くことが、暗黙も求められています。それは、研究分野や研究規模を問わず、求められています。多くの大学教員は、そのようなペースで論文を書いていくことになります。大学教員たるもの、論文を書くことが第一義である、となってきました。それを実行している教員が多くなっています。

 結果として、論文を書いて、投稿し、査読を通し、印刷されるまでの一連の作業に熟練していきます。それなりのテーマ、それなりの書きようなどのコツもあります。それに長けてくると、テーマが決まり、テータが集まり、期待した結果さえ得られば、論文を書くことがルーティンとなり、苦ではなくなり、比較的簡単に仕上げることができます。これはこれはいいのでしょうが、どうも違う気がします。

 興味や深いテーマや、時間や手間の掛かりそうなテーマは後回しになり、手っ取り早く論文になるネタを優先してしまことが、意識的か無意識かはわかりませんが起こっていきます。論文を書くことが優先事項、という主客転倒が起こっています。論文をたくさん書いている大学教員の多くは、そのような状態になっているのではないでしょうか。

 10年、20年など長い時間がかかっても、成果が得られるかどうか不明でも、基礎的な研究として進めていくべきテーマもあるはずです。自分がもっとも興味あること、研究者としてスタートしたときの好奇心や野心、あるとき思いついた壮大なテーマもあったはずです。そのテーマが達成できれば、科学への大きな貢献となり、自身の満足感も大きいはずです。そんな気持ちは、忘れてしまっている研究者も多くいるようです。多くの研究者は研究を進めています。取るに足らない論文の数より、急いてみえなくなった野心、急いて消えた好奇心、急いてなくなった壮大な地平、が重要ではないでしょうか。

 このエッセイは自戒を込めて書きました。


・反省のつもりで・

私は、ここで述べた成果を追い続ける

主客転倒の典型的な教員かもしれません。

論文を次々と書いているのは、

自身の興味が次々と湧いてきていると思っています。

しかし、本質的はまだ解決していないこと

もっと深いテーマ、もっと時間をかけて

取り組むべきことがあっても

解決せずに時間切れとして、

完結せずにとりあえず論文を書いて、

一段落させてしまいます。

そこにはもっと深い謎、未開の天地、

重要な解へのルートがあったのかもしれません。

また、論文を書くために、無意識でしょうが、

テーマを浅く設定しているのかもしれません。

そんな自分に対する反省も込めて

このエッセイを書きました。


・暗黒の時代・

ワクチン接種の時期が遅れているのは、

その調達に誤算があったためでしょう。

しかし、その内実、実態はまったく示されていなので

なにが問題で、なにがボトルネックだったのか、

今後の反省として活かすことができません。

重要な公文書も残さず、正確な情報も開示しない

不思議な体質へとなっています。

自分たちのしていることに責任をもたない、

次世代への遺産を残さない、そんな姿勢に見えます。

将来、平成から令和は、公的記録が残されていない

暗黒の時代と記されそうです。

そんなことも考えられない指導者には

多くの国民は、呆れてしまっています。