2008年8月1日金曜日

79 人は何を信じるか:信憑性と信頼性(2008.08.01)

 人が信じるのは、信憑性があるかです。多くの人が信じているからといって、正しいというわけではありません。人は何を信じ、どれを信頼すればいいのでしょうか。

 以下に3つの事例を紹介します。その事例から、考えていただきたいことがあります。
 まずは、コンドン・レポートからの事例です。
 コンドン・レポートというの御存知でしょうか。コロラド大学教授のエドワード・コンドンが、アメリカ空軍の依頼を受けて、1967年にコンドン委員会を設立して調査をはじめ、1969年に報告書をまとめました。その報告書の通称が、コンドン・レポートです。
 コンドン・レポートの事例37(Case 37)として、次のような内容ものがあります。
 1967年のある夜、アメリカのジョージア州でパトロール中の2名の警官が、フットボールのような明るい赤色のUFOを目撃しました。警官らは、パトカーで州の外まで追跡したが、見失ってしまいました。ところが、彼らが帰ろうとしたら、またUFOが出現して、今度は警官らを追跡しはじめました。最後に、UFOは、木の高さの2倍ほどの位置に停止し、色をオレンジから白に変え、徐々に消えていったそうです。その後、このUFOは4日間にわたってこの地区に出現しました。ハイウェーで車を追いかけたり、森林パトロールの飛行機に追跡されたりしました。後で調べたら、11の町の警官たちに目撃され、写真まで撮られていたことがわかりまし。
 連絡を受けたコロラド大学の研究者が、現場に急行しました。そして、研究者自身も空で停止しているUFOをみつけました。そのUFOは、マイナス4.2等星に匹敵する明るさでした。最終的に研究者は、そのUFOと呼ばれていたものが、金星であることを確認しました。
 実は、コンドン・レポートとは、UFOに関する調査をまとめたものだったのです。その報告書では、このような多数の事例を調べた結果、「UFOが地球の外からやってきたという説には、何の証拠も認められない」という結論をだしました。
 次の事例は、「地球が丸い」ことの証明です。
 多くの人は、「地球が丸い」と思っています。しかし、それを証明しなさいというと、なかなか証明の方法は思いつけません。「地球が丸い」ことを示す証拠は、学校で習ったはずです。でも、その証拠や証明方法を忘れて、結果だけを記憶して、正しいと信じています。自分で証明を思いつけない人に、「地球が丸い」ことの根拠を尋ねると、多くはアポロやスペースシャトルから撮った写真や映像を示すことでしょう。写真には、暗い宇宙い間に浮かぶ、青くて丸い地球が写っているはずです。多くの人は、写真のようなイメージを根拠に、「地球が丸い」と信じていることになります。
 「地球が丸い」のを直接見た人は、宇宙飛行士以外いません。しかし、多くの人は、自分が宇宙飛行士でもないのに、「地球が丸い」と信じています。丸い地球を見た宇宙飛行士が撮影した画像をもとに、多くの人は「地球が丸い」と思っているわけです。これは、一種のまた聞きの情報を基に判断しているようなものです。
 3番目の事例は、原子の存在です。
 多くの人は、原子の存在を信じています。学校教育で原子があることを教わります。しかし、だれも肉眼で原子を見た人はいません。なぜなら、見えないほど小さいものだからです。原子のイメージは、模型やイラストによるものだと思います。原子の存在の証拠は、信じるに足るものだったでしょうか。証拠に、自分自身が独自に判断できる情報があったでしょうか。
 多分、探して見つかるのは、証拠ではなく、原子が存在するという論理だけではないでしょうか。人は、見たことのないものでも、論理とそれに基づく傍証があれば、信られるのです。
 以上、3つの事例を紹介しました。1番目のUFO以外は、2番目の地球が丸いも3番目の原子の存在も、科学では正しいと考えられています。それらは、多数の証拠あるいは傍証と理論から、すでに科学では存在が確立されているものです。
 ところが、聞いた人が、信じてしまうような気になるかどうかの程度ともいうべき、信憑性には、違いがでます。
 3つの事例について、次のような問題が出たとしましょう。
問題 次の3つの中で一番もっともらしいのは、どれでしょうか。
1 (事実を知る前の)UFOを目撃した警官の説明:本人たちの経験談
2 地球が丸いのを知っているという人の説明:写真の提示
3 原子が存在する証拠を知っている人の説明:イラストの提示
 説明を受ける人は、どれも見たことのないものです。3つの例は、いずれも自分が実体験したことのないものです。間接的な情報や証拠によって、もっともらしさを競うのです。
 これら3つの場合で、予備知識もなく先入観もない人が、それぞれの証人から説得されたら、どれを、一番信憑性が高いと思うでしょうか。多分、先入観のない人は、1 UFO、2 地球が丸い、3 原子の存在、という順に、信憑性が高いと答えるでしょう。
 では、なぜこのような信憑性に違いが生まれるのでしょうか。それは、証拠の提示する人と、証拠の質が違っているためだと考えられます。それぞれの事例で書き出してみると、
1 提示する人:多数の警官、証拠:直接体験した経験談
2 提示する人:知っているという人、証拠:写真
3 提示する人:論理を知っている人、証拠:イラスト
となります。
 UFOは、社会的に信頼がある警官が、それも多数目撃したということが、信憑性を増しています。もし、これが、どこかの未開の部族の人たちが、同じ証言をしても、その信憑性は上がらないでしょう。証拠がたとえ経験談であって、その信憑性はゆるぎないものとなります。つまり、同じ人間でも、肩書きや、社会的立場によって、同じことを話しても、信じてもらえるかどうかに大きな違いがあるのです。
 それに比べ、普通の人が一人で説得する2と3の事例の場合、証拠の質の違いが信憑性の違いを生みます。地球の写真も、原子のイラストも、いずれもサイズの変換が行われていて、実物ではありません。ですから、事実(実物)を証拠にしているわけではありません。
 写真は、現実をありのままに写し撮ります。大きなものは遠くから、小さなものは近づいて撮れば、一枚の写真のサイズに写すことができます。
 一方原子は、もともとだれも実物を見たことがないものですから、何らかの情報を元に、頭でイメージして描いたものです。どんなに写実的に描いても、それは架空のものになります。
 実物に依拠するものと架空のものとで、証拠の優劣が生まれます。実物以外の証拠は、証拠の質によって、信憑性に差ができます。
 以上述べてきたように、人がものごとの信憑性を判断するとき、提示した人、提示した証拠の質に大きく左右されるます。これを悪用すると、いかさま商法もできます。
 人は、案外簡単にだまされます。そして、見かけや、見栄え、肩書きなどの本質的でないものに、信憑性を見出します。ですから人の弱点を補うために、証拠との論理にもとづかなればなりません。
 証拠には、見えないもの、断片的なもの、数字でしか示せないもの、痕跡でしかないもの、再現できないものもあります。証拠の違いによって信憑性に違いがあるとしても、信頼性とは違うものだという理性的な判断が必要です。そこに、人の肩書きや、証拠の過多のようなものに左右されない強い心(理性)が必要です。
 最終的に信頼できるものは、筋の通った論理があること、その論理の根拠となる証拠があるものです。どんなに見かけの信憑性があっても、論理と証拠がなければ、信頼性がありません。逆にどんなに信憑性がなくても、論理と証拠があれば、信頼性があります。

・UFO・
コンドン・レポートは、UFOに関するものです。
UFOとは、空軍の公式用語では、
「正体を確認できない飛行物体」のことを意味します。
一般には異星人の乗り物の総称として
使用されることが多いのですが、
厳密には、違っています。
もし公式な用語としてUFOを使うとすると、
UFOはざらに存在することになります。
その飛行物体が、何かわからないまま飛び去ったとしたら、
それは、UFOであり続けます。
もし、UFOとされたものが、子供が手を離してしまった風船で、
風船だと判明した時点で、UFOでなくなります。
異星人の乗り物だと判明したら、UFOではなくなります。
御注意ください。

・夏休み・
夏休みになりました。
北海道の小・中・高学校の夏休みは、
7月25日から8月18までです。
4週間もない短い夏休みです。
まあ、7月下旬から8月上旬が一番暑く、
それ以外は、過ごしやすい時期ですから、
勉学に当てていいはずです。
大学は、9月まで休みになります。
北海道で一番いい時期を、休みとして学生は満喫します。
大学と小・中・高学校の夏休みには大きな違いあります。
この制度は、いいのでしょうか、それとも悪いのでしょうか。
判断に悩むところですね。