2008年4月1日火曜日

75 帰納法と演繹法:無意識での適用(2008.04.01)

 研究をするとき、当たり前で科学的な方法だと思って使われているものがあります。今回取り上げる帰納法と演繹法もそのひとつです。当たり前に見える方法でも、よくよく考えていくと、論理的には正しくないものがあります。科学者でも、そのようなミスを簡単に犯してしまいます。ですから、論理的に正しいかどうかは、常に気を配らねばなりません。

 科学をおこなうときによく使われる手法として、帰納法と演繹法があります。帰納法とは、多数の実験や観察などによって得られたデータをもとに法則や原理を見出すものです。一方、演繹法は、最初に法則や原理があり、それをもとに個別の現象や他の法則や原理を、論理的な推論で導き出そうというものです。この両者を組み合わせて、多くの科学的な営みがなされています。
 地質学者が、ある火山を調べるとします。研究の目的によっていろいろな調査方法がとられますが、一般には、次のような調査がされていきます。
 火山全体を丹念に歩き、観察できる限りの露頭を調べます。露頭では、どのような岩石が、どのようにあるかを調べていきます。そして各露頭のデータから、広域的な火山岩や火山砕屑物の特徴や分布、噴出順序などを明らかにしていきます。
 簡潔に書きましたが、もう少し説明すると、露頭での作業は、次のようになります。
 「どのような岩石」というのは、野外で岩石を観察して、分類し、名称を決めていくことです。野外の肉眼での観察だけで正確に分類が決められなくても、可能な限り特徴を見分けていき、他の岩石と区別できるようにします。時には、正式な岩石名ではなく、その調査のためだけの独自の名称(フィール名と呼ばれています)をつけて区別されることもあります。野外で正確な分類名を決めるためには、事前にいろいろな火山岩を見て経験を積んでいかなければなりません。もしフィールド名でいいのなら、注意深く、根気よく観察できる人なら、はじめてみるような石でも分類は可能です。
 「どのように」とは、分類されたそれぞれの火山岩の関係(前後関係や接触関係など)を調べ、それらをもとに溶岩や砕屑物の噴出順序を調べていきます。このようにして露頭ごとの特徴(産状と呼びます)を記録していきます。
 それらの露頭ごとのデータに基づいて、分類された火山岩や砕屑物が、地図上で分布する範囲を調べ、噴火した溶岩の順序と性質を明らかにして、火山の噴火史を解明していきます。
 野外調査だけではデータが足りませんので、ここまでたどり着くのは困難です。そのために、野外で記載され採集された試料を、研究室に持ち込み詳細に調べられます。岩石を光が通るほど薄くして、岩石専用の顕微鏡で観察します。顕微鏡レベルでのマグマの性質や固まる時の結晶化の順序、マグマだまりの様子などを推定していきます。
 さらに、試料の化学分析もしていきます。得られた化学分析のデータを、解析していきます。いくつかの化学成分を基準にして、岩石の化学組成の変化傾向を見ることが重要になります。縦横の軸に化学組成をとって、グラフであらわすことで、その変化傾向を視覚化していきます。
 例えば、横軸に火山岩の主成分である二酸化珪素(SiO2という化学組成、火成岩や多くの岩石の主成分でもあります)をとり、縦軸に連続的な変化がみえる化学成分(例えば、酸化マグネシウムMgOや酸化鉄FeO、あるいはそれら比率、アルカリNa2O+K2Oなど)をとり、データをその図に入れてきます。今ではコンピュータで簡単に書けるようになりました。
 そのような化学組成の連続的な変化を、地表にマグマが噴出した順にみていくと、マグマだまりでのマグマの変化を捉えることができます。
 なぜマグマの化学組成が変化するかというと、マグマが冷えるためです。マグマだまりは熱いのですが、周りの岩石は冷たいままですので、マグマはだんだん冷めていきます。今まで液体として溶けていた成分が、液体ではいることができる固化していきます。その時、結晶がでてきます(晶出といいます)。
 でてきた結晶が、マグマと比べて重かったり、軽かったりすると、マグマだまりの底や天井に集まります。するとマグマからそれらの結晶の成分が取り除かれることになります。冷却と共に化学組成を変化させていくマグマが、溶岩として流れていくことになります。溶岩を噴出した順にみていくと、時間と共に、マグマがマグマだまりでどのような化学変化を起こしたかを調べることができるわけです。火山岩の化学組成のデータをうまく活用すると、けっして見ることのできない、過去のマグマだまりを再現することが可能となります。このように、化学組成は、火山を調べる時に重要な基礎データとなります。
 余談ですが、昔は化学分析をすべて手作業でしてきました。充分な熟練を要し、馴れないと、とんでもない分析値が出てきたりしました。1週間から10日がんばっても、やっと数個の試料が分析できるだけでした。非常に手間がかかる作業なので、厳選され、必要十分な数の試料だけが化学分析されていました。分析値を用いた後の研究でも、数点や10数点で、火山岩その傾向を見抜くことになります。ところが、現在では分析装置を用いますので、誰でも、大量に、簡便に、そして正確に化学組成のデータが得られるようになって来ました。ですから、大量に得られた分析データで議論することが可能になりました。言い換えると、ひとつのデータの吟味や重みやなくなってきたような気がします。まあこれも時代の流れです。
 さて、横軸に二酸化珪素、縦軸に酸化マグネシウムのグラフに、データをプロットしたものができたとしましょう。
 さて、ここから今回の本題です。野外で観察した溶岩の噴出順序でグラフを見ると、時間が経過すると、二酸化珪素の量が増え、酸化マグネシウムの量が減っていくことがわかりました。つまり、マグマだまりでは、マグマの成分が、時間とともに、二酸化珪素が増え、酸化マグネシウムが減っていくという変化が起こった推定できます。地質学者は、たぶんカンラン石がマグマだまりで結晶化して、下に沈んでいったため、このような変化が起こったと考えることでしょう。
 溶岩の化学組成から推定したマグマだまりの化学成分の時間変化には、帰納法と演繹法が利用されています。
 グラフ上にプロットされたデータはあくまでも一つの点にすぎません。それが「マグマの組成変化」と呼ばれるとき、化学組成は連続的な変化として捉えられています。つまり、点を線と読み替えるという帰納法が使われています。
 数学的には、位置を示す点が、いくら増えても連続した線にはなりえません。その様子を視覚化するのは、簡単です。どんなに多数の点が集まっていても、グラフを拡大して、点の大きさを小さくしていけば、不連続であることはすぐにわかります。しかし、多くの点が、そのように並んでいるように見えるのは、きっと何らかの規則性があるはずだと考えます。その考え方が帰納法です。多数の個別的事例から普遍化をしていくわけです。
 演繹法は、地表で採取された火山岩の化学組成の変化が、マグマだまりの変化と推定しているところです。この例では、地表の火山岩しかありませんから、地下のマグマだまりに直接結びつける論理的な必然性はありません。でも、多くの火山で、似たような変化が観察されて、このような演繹法が利用され、うまくいっているのだから、今回例に出した火山でも一般則として演繹的に適用してよいだろうということが、意識せずに行われているのです。
 では、演繹法で用いられる一般法則は、どのようにして生み出されるのでしょうか。今回の例では、かつて行われた帰納法によって導き出された法則や経験則が、適用されている訳です。それを完成させるには、火山とマグマだまりの両方の関係がはっきりとわかっている場所があればいいのですが、確実なものはほとんどありません。マグマだまりが地表に出ている例は、いくつかあり、その解析から帰納されています。溶岩とマグマだまりを関連付ける例がもしあったとしても、その例がどの火山でも適用できるという根拠はありません。
 すべての自然科学ではないでしょうが、自然を直接調べるような科学では、このようなに多様な個別事例から、新たな普遍を導きだす方法は、極普通におこなわれています。私も論文を書き、査読者も納得しています。このような考え方は、ベーコンやホッブスが唱えた経験主義的なものの考え方を用いています。一方、演繹的な手法は、前提さえ正しければ、論理的な手続きは筋の通ったもので、デカルトやスピノザなどが考えた合理主義的方法であります。
 現在の科学は、このような演繹と帰納が複合、あるいは相補されている一種の論理実証主義にもづいた方法を用いています。では、このような方法が本当に正しいのでしょうか。実は、問題があることは、今までの経過を見てくればわかるでしょう。
 演繹法の問題は、突き詰めていくと最初の原理原則、数学でいえば公理にあたるものが必要で、その正否は演繹法、あるいは帰納法を用いても示すことができません。逆に、前提さえ正しければ、推論規則を厳密に適用された演繹法による結論は正しいものといえます。
 帰納法の問題は、惑わされやすいのですが、データをいくら集めても証明はできないということです。どんなに正しいデータを多数集めても(前提が真であっても)、結論に論理的必然がないということです。このような帰納法の問題は重要ですが、研究の現場ではあまり配慮されていません。それについての詳細は、別の機会にしましょう。

・帰納法・
帰納法の問題は、カール・ポパーが
「科学的発見の論理」ですでに指摘しています。
それでは科学者も困るので、帰納法の正当化として帰納論理があり、
「帰納法が蓋然性を高める」といういいかたがされています。
しかし、その帰納論理も、論理的に否定できます。
少々ややこしい話になるのですが、別の機会に詳しく説明します。

・旅行・
いよいよ4月、春です。
大学も別れの季節が終わり、出会いの季節になります。
学校では、3月から4月への変化は大きく、
大学にいる人間も心を一新して望むことになります。
そんな3月下旬に、私は家族で
京都から北陸の海岸沿いに旅行に行きました。
私はもちろん調査ですが、家族は観光旅行です。
実は、このエッセイは、出かける前に書いたものを
まぐまぐで予約して配信しています。
ですから、どのような旅行であったかは、
ここで示すことはできません。
でも、私も家族も楽しんでこようと考えています。