2023年12月1日金曜日

263 危機回避:事前対処と不可避と

 危機を回避するためには、事前に予測して対処しておく必要があります。それでも不可避の危機は訪れます。予想外の危機があることも、予想しておく必要があります。


 今年は、4月から9月までサバティカルで四国で過ごしました。2010年にも1年間、同じところに滞在しました。今回は、家内も同伴しました。家事は家内が担ってくれたので、半年でしたが、研究に専念でき、充実したサバティカルになりました。
 サバティカルの期間は、半年間と限られていたので、送る荷物もできる限り、少なくしました。幸いにも、最近まで住まれていた家をお借りしたので、電化製品(テレビ、洗濯機、冷蔵庫、オール電化のコンロ、エアコン、扇風機など)や家具調度(タンス類、テーブル、ベッドなど)も使える状態で残してあったので、それをお借りすることにしました。そのため、衣類や食器など身の回りのもの最低限を送ることですみました。
 研究のための商売道具ともいうべき、執務室での研究で利用するパソコンなどのICT関係の機材、また野外調査で利用する撮影機材などは、どうしても必要になります。執務室で使うICT機材(パソコン、プリンター、インターネット用のルータなど)は最小限にしました。野外調査で利用するものは、いつもの使うものをそのまま持っていきました。ただし、実際に野外で移動中にも使うものなので、それほど多くはありませんでした。
 9月30日に帰札して、10月1日(幸い日曜日だったので助かりました)には大学に復帰し、すでに開講されていた後期の講義を、すぐにスタートしなければりません。後期がはじまって2回分あった講義はリモートにして、1回分の講義は補講にして別の日に講義を実施しました。
 ICTも10月からの講義に支障をきたさないように配慮しました。大学のメインのパソコンはそのまま置いておき、戻ってきてすぐに講義が再開できるようにしました。大学のノートパソコンと自宅で使っていた小型パソコンをもっていくことました。自宅のパソコンは、ほぼ毎日大学の研究室に出ているので、実際に使う機会はあまりないので、そのまま使いました。もしトラブルがあっても、ノートパソコンが代替として利用できます。大学でデスクトップパソコンが壊れた時も、そのような対処をしました。大学のノートパソコンが壊れても、大丈夫です。以前は講義のPowerPointのためにこのノートパソコンを用いていたのですが、今では講義室に据え付けてあるノートパソコンを用いることにしました。大学に戻ってきてもすぐに講義が再開できるように、そのままにしてサバティカルに臨みました。
 ただし、大学でのバックアップ用の外付けハードディスク(曜日ごとに別のハードディスクにするので7台)のうち、最も古い外付けのものと小型のポータブルハードディスクだけをもっていくことにしました。サバティカル中にバックアップのために、小型のポータブルハードディスクを買い足しました。
 大学では、多数のハードディスクを使っています。これまで、ハードディスクが何度か壊れた苦い経験があります。その時は、DVDなどのバックアップがあったので被害は最小でしたが、復元できないデータもでてきました。過去のメールが復元できないのは、困りました。
 現在でも、自身の論文や著書のデータはDVDに保存しています。動画をたくさん撮っている人は膨大なデータになるでしょうが、野外調査ではデジカメによる画像が主なので、容量はそれほど多くはなりません。それでも、毎回の調査では数千枚の画像を撮影しますので、DVDでの保存は、手間もかかるので、ハードディスクにしています。現在保存しているデータの総量は5テラバイトになっています。
 現在、曜日ごとに、異なった外付けハードディスクにデータをバックアップすることにしています。データのバックアップの意味もあるのですが、他にも小さな危機回避になています。しょっちゅうあるのですが、別のファイル名にして保存すべき時に、元のファイルに上書きしてしまうことがあります。また削除した部分が、後で必要になったりすることも度々あります。アプリケーションを終了していても、1週間以内ならデータは復元できます。外付けハードディスクシステムのお陰で、何度も助かっています。
 ハードディスクは少しでも不調に見えたら、使わないようにしています。買い替えと時は、将来を考えて多い目の容量のものを買い足してきました。多くのバックアップル用の外付けハードディスクを使っているのは、そのような理由からです。
 危機というと大げさかもしれませんが、トラブル回避には、以前から非常に注意を払っています。なぜなら、何度も失敗をを重ねてきたからです。失敗が大きいほど、時間や労力、精神的な負担、経費もかかることにもなるからです。かつて起こったトラブルを教訓として、次回から起こらないように、最大限の注意を払うようになりました。「転ばぬ先の杖」で、慎重すぎることはないと考えています。
 一番困るのは原因不明のトラブルです。先日も講義中にパワーポイントを使おうと思って、スライドショーをスタートしたのですが、スライドショーにした途端、動かくなくなりました。パソコンを再起動したら、なんとか動くようになり、講義が再開できました。同じ教科で、次の講義でも、再度同様の症状が発生しました。その時は、再起動してもダメでした。パソコンの得意な学生に助けてもらって、いろいろいじってもらっているうちに、なんとか動くようになりました。
 その時は、原因は不明でしたが、学生の操作を思い出して、思い当たった原因がありまし。それへの対処として、三度目がないようにUSBにそのメモをぶら下げるました。今度はトラブルへの対処できればといいのですが。
 トラブルや危機の回避には注意を払っていますが、それでもトラブルは起こります。想定していないからトラブルになるので、そんなトラブルへの対処は、その場での臨機応変の対処しかありません。ICTやその他のテクノロジーが進んで便利になってきた分、対処も多様に複雑になってきました。トラブルがあっても、被害が最小限になるように、その場で対処を考えるしかありません。最終的な危機回避は自分でするしかありません。
 今年は、大学教員として最後のサバティカルという大きなイベントがありました。その際大きなトラブルはありませんでした。それが危機への準備や対処のためなのか、幸運によるものなのか、それとも想定していたトラブルがもともと起こりにくいものだったのか、それはわかりません。しかし、無事でしたので、それがなによりです。

・風呂の改装・
サバティカルから戻った日、風呂を入れようと、
お湯を風呂桶に入れはじめました。
ところが風呂桶から水が大量に漏れていきました。
我が家の風呂は、木製の風呂で、普段は、
乾燥防止に水を少し残していました。
半年間、不在になるので、水を抜いていました。
乾燥して、木の隙間が広がったようです。
何度も水を入れて、木を膨らましたのですが、
少しはましになったのですが、漏れています。
業者に来てもらいましたが、修復不能でした。
風呂全体を改装することになりました。
希望を出して、仕様を決めて、
先日ショールームにいきました。
12月中旬に施工となります。
それまではしかたがないので、
シャワーで過ごしています。

・雪景色・
北海道では、もう何度が寒波が来襲しました。
その際、雪も何度か降りました。
11月下旬の寒波は強くて
北海道の各所で雪になりました。
わが町でも、結構な積雪があり、
一面、雪景色となりました。
冷え込みも何度かあり、本格的な冬が到来しました。
それでも今回の雪は、根雪には少々早そうです。
いったん溶けそうですが、
春先のようなベチョベチョ状態に
ならなければいいのですが。

2023年11月1日水曜日

262 普遍の時間の淘汰:マグマミキシング

 ささやかな痕跡的な違いをもとに、普遍的な考えを抽象していくことは、科学の醍醐味です。普遍的な考えが残るかどうかは、時間の淘汰に耐えていくことが必要になります。


 もうかなり昔のことですが、博士論文の執筆の頃を、ふと思い出しました。当時は持っている限りの体力も精神力もつぎ込んで、研究を進めていきました。長期にわたる野外調査、何度も他の施設にいって大量の化学分析をするなど、いろいろと努力を積んできました。
 博士論文の執筆の大詰めの半年間ほどは、大学の研究室に週の半分以上は泊まり込んでいました。大変でしたが、充実した日々でした。しかし、もう二度とできないでしょう。
 理系の研究室は、だれかが実験をしていることが多いので、まるで不夜城のように、建物のどこかには灯りがついていました。それでも、週末や月曜日、特に年末年始などは、夜が更けると、灯りの数は少なっていきました。
 日にちや曜日感覚がなくなったかのように、研究に打ち込む日々でした。今では、そのような体力や精神力はなくなりました。その代わり、要領はよくなっており、短時間での集中を、毎日こつこと重ねることで、研究を進めていく方法を取るようになりました。
 さて、その博士論文のテーマですが、論文3編分ほどの内容から構成されていました。中でも、縁海でできたオフィオライトでマグマミキシングを見出したことが、重要な成果だと考えています。
 素材であるオフィオライトとは、昔の海洋地殻を構成していた岩石です。縁海とは、沈み込み帯の先に日本のように火山列島(地質学では島弧と呼ばれています)ができます。列島の大陸側に海(縁海)できます。縁海でできたオフィオライトであることを示した。マグマミキシングとは、種類の異なったマグマが、マグマだまりの中で混じり合うことです。縁海のオフィオライトでマグマミキシンがあったことを明らかにしました。
 調査地域は、玄武岩が広く、他にも斑レイ岩やカンラン岩が変化した蛇紋岩が分布していた地域でした。玄武岩を中心に研究を進めていました。ただし、古い時代の岩石なので、変成作用や変質作用を受けているので、もともともっていた化学組成とは、かなり変わってしまっています。そこで着目したのは、変成・変質でも変動しにくい化学成分と、残されている結晶(残存鉱物)を用いることで、火成岩としての特徴を調べていきました。
 オフィオライトは、約3億年前ころの海洋地殻であることが年代測定でわかりました。日本列島がまだ存在しない時代の海洋地殻ですが、島弧の後ろ側に広がっている縁海でできた火山岩で、マグマだまりでマグマミキシングが起こっていたというのが結論でした。
 典型的な海洋地殻や島弧の岩石は、化学的に区別がつけることもできます。そして変成・変質を受けていない島弧の火山岩では、マグマミキシングが見つかっていました。オフィオライトで縁海起源であること、そこでマグマミキシングが起こっていることなどは、当時の化学分析の精度ではわかっていませんでした。広域に地質調査した結果、明らかな海洋地殻(東側)、明らかな島弧(中央)、そして不確かながら縁海の痕跡が見つかりました。
 根拠としたのは、残っている結晶(単斜輝石とクロムスピネル)の各種の化学分析でした。あるタイプの玄武岩で、残っている結晶の成分(クロム)の濃度が、外から中心に向かって、多くなったり少なくなったりを繰り返していることがわかりました。波状累帯構造と呼ばれるものです。
 マグマのクロムの成分に変化があったことを意味します。クロムは一番最初に結晶に配分される成分なので、増えるということは、新たにマグマが供給されてきたことを意味しています。ある程度結晶を出したマグマ(分化したマグマ)に新しいマグマ(未分化のマグマ)が供給されると、クロムを含んだ結晶(クロムスピネル)が再度できはじめたり、輝石のクロムの濃度が増えたりします。輝石のクロムの組成変化も、それで説明できました。
 他に、残っている輝石の結晶を分離して、同位体分析(ストロンチウム同位体組成)をしました。年代測定(Rb-SrとNd-Sm年代測定)をするためでもあったのですが、ストロンチウム同位体は変成・変質を受けますが、残っている結晶であれば、影響を排除できます。
 マグマからできた輝石の同位体組成は、マグマの性質を反映しています。マグマはマントルの性質を反映しています。ストロンチウム同位体が、現在の海嶺の玄武岩と比べると、海水の影響を受けていることがわかりました。これは沈み込みの影響で、縁海のマントルに海水成分が加わったと考えました。
 このような分析の結果から、縁海でのマグマミキシングという結論にたどり着きました。考え方は間違っていないはずですが、分析結果については、正しいかどうかは、不安は残るところです。当時の鉱物分離や化学分析の限界に近いところでえた結果からの判断でした。
 岩石の砕いて、汚れているところをすべて除去しています。分離した輝石は、極力、変成・変質した部分は除去していました。少ない試料の量での分析になってしまいました。ですから、分析精度のぎりぎりのところでえたデータの判断となっています。しかし、その結晶の分析精度は保証できます。
 しかし、試料の汚染部分をすべて除去したと思っていますが、見えないものが残っていた可能性も拭いきれません。試料の汚染の不確かも考えると、限界に近いところで判断となります。もしろん、現在の装置や技術をもってすれば、白黒の決着はついたはずです。当時の状況としては、致し方ないものだと思います。
 研究結果は、学問の時流や技術水準を反映しています。ある地域の地質学的素材をもとにしていますが、普遍的一般論を導くという点は、達成できていると思います。しかし、その成果は、時間の淘汰には耐えられませんでした。
 地質学的見方は、もっと大局的な現象に着目しています。多様な島弧の形成メカニズムや地球史上の島弧の役割や位置づけの理解という捉えかたに変わりました。
 島弧でのマグマミキシングは、今では常識になりました。縁海にもいろいろな条件のものがあります。化学組成の微妙な差より、島弧の火成岩の存在と沈み込み帯で形成された高温高圧変成岩の存在が、今では重要とされています。地質帯を代表する岩石の地質学的配置という大局によって決定されていきます。とはいっても、地質学的配置すらも必ずしも当てにならないほど、大地の変動は激しいものですが。
 研究においては、痕跡的な違いに着目して、そこから地質学の普遍性を抽象していくことが、重要であり、醍醐味でもあります。ですから、ささやかな痕跡も疎かにできません。一方、大局的見方が、普遍性を駆逐して、すべてに優先することもあります。
 博士論文では、ささやかな痕跡にこだわりながら、普遍化していきました。この方法論は正しいものでした。しかし、今では、そんな普遍性からの結果より、大局が優先されています。これは地質学の学問における時間の流れが、このような普遍性を重要としなかったのでしょう。
 当時の状況で、あれだけの野外調査をして、あれだけのデータをだし、あんなささやかな痕跡に気づき、そして普遍化をしてきたことは、十分な評価に値すると思います。当時の努力と成果をほめてやりたいと思います。しかし、当時の結果は、時間の淘汰に耐えられませんでした。

・詮なきこと・
このようなエッセイを書いていたのは、
ノスタルジーではありません。
ある時点で重要だとされていることが
時間の淘汰に耐えられるかどうかは
その時点では判断できないものです。
どの程度の手間をかけて、取り組むべきテーマかは
その時の研究動向から判断すべきでしょう。
現時点なら、ささやかな痕跡より、
大局から攻めていくでしょう。
今の技術ならもっと精度よくデータだせるはずです。
過去の成果を、現在の基準で評価をするのは
詮なきことでしょうね。

・野外調査・
先月末に道東調査に出ているので、
このエッセイは、予約配信をしています。
今年は、雪が早く峠に降っています。
峠越えが心配になります。
もう一度野外調査を予定しているのですが、
峠越えのないように、
今月中旬の野外調査は、道南にしました。
これが今シーズン最後の調査となります。
山間部での調査もあるので、雪が心配です。
まあ予定を立てる時は、雪まで予想できません。
あとは与えられた天候で、
できる範囲で調査をするしかありません。

2023年10月1日日曜日

261 由来と展開:descentとevolution

 "descent"は「由来」という意味です。"evolution"は「進化」ですが、もとは「展開」という意味に使われていました。サバティカルを終える当たり、由来と展開、そして進化とマグマの本質について考えていきます。


 1991年から城川、西予と関わりをもって、今年で32年になります。人生の半分は、関わってきたことになります。城川を第二のふるさと思っています。そして、2010年4月からの1年間のサバティカルと、2023年4月からの半年間のサバティカルを経て、結びつきはより強いものとなってきました。
 これまでの人生を考えても、出身地の京都、現住所の北海道を除くと、城川が非常に長く過ごしてきた地となります。生まれ故郷は自身が「由来」した地ですが、大人になって関わってきた地として城川を契機に「展開」してきたことも多々ありました。サバティカル期間最後のエッセイとして、「由来」と「展開」について考えていきます。
 ダーウィン(C. R. Darwin、1809-1882)は、1859年に出版された「種の起源」で、進化論を展開していきました。「種の起源」と呼ばれていますが、英語版では、"On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life"(自然選択という方法、または生存競争の中で好ましい種の保存による種の起源について)というタイトルです。自然選択と生存競争を種の展開に重要で、種の由来にもなります。
 現在、「進化」を意味する英語は"evolution"ですが、「種の起源」の中では、「進化」の意味では用いていませんでした。同じ意味のことは、"descent with modification"(変化を伴う由来)を言葉を用いていました。ダーウィンには「The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex」(人の由来と性淘汰)(1871年)という著書もあり、"descent"という言葉を重視していたようです。
 "descent"の語源は、ラテン語の"descendere"になります。その意味は「降りる」という意味ですが、運動としての下降だけでなく、起源や家系を追跡するという意味でも使用されています。一方、"evolution"は、ラテン語の"evolve"をもとにしている言葉で、その意味は巻いてある巻物を開いて展開していくことで、現在の英語でも「展開」などの意味で使われています。
 それまで生物学では、"evolution"という語は、生物の発生の前成(ぜんせい)説において用いられていました。前成説とは、種子や卵の中に、生物の構造があらかじめ存在しており、構造に基づいて発生していくというものです。まるで小さな生物が「展開」していくように大きくなっていくように考えられました。前成説とは、事前に定められた方向に向かって進んていくことになります。
 その後、17世紀から18世紀にかけて顕微鏡で生物の微細構造が観察されてきて、前成説は否定されました。ダーウィンは、生物は自然選択により変化していくと考えていたので、"evolution"という語は、あまり使わなかったようです。
 ダーウィンと同時代のスペンサー(H. Spencer、1820-1903)が、「種の起源」を読んで、自然選択を適者生存(survival of the fittest)と言いかえたり、「進化」の意味で"evolution"を用いました。また、"evolution"を生物の「進化」だけでなく、拡大解釈していろいろな場面で使い、現在のような意味を持つようにしました。ダーウィン自身は、「種の起源」の第6版でやっと用いています。
 さて、地質学の話になります。
 "evolution"=「進化」という用語が定着してくると、いろいろな分野で用いられるようになってきます。"evolution"=「進化」で、地質学で真っ先に思い浮かぶのは、カナダの地質学者ボーエン(N. L. Bowen、1887-1956)が1928年に書いた、"The Evolution of the Igneous Rocks"(火成岩の進化)という本です。この本では、マグマの「進化」について述べられています。
 ボーエンは、火成岩の多様性をひとつの原理で説明しようとしました。もともと玄武岩質マグマがすべての火成岩のはじまりと考えました。地下深部で形成された玄武岩質マグマが上昇してきて、温度が下がっていきます。すると、結晶ができてきます(晶出といいます)。結晶の形成とともに、マグマの組成も変化していきます。このような変化が進んでいくと、マグマの組成が、ケイ酸(SiO2)成分が増えていきます。例えば、火山岩では、玄武岩→安山岩→デイサイト→流紋岩へという変化、深成岩では斑レイ岩→閃緑岩→花崗岩という変化になることが、ひとつの原理で説明できます。
 結晶として、カンラン石(Mg2SiO4-Fe2SiO4、最初はMgが多い組成となります)がマグマから晶出したします。カンラン石の組成で結晶の分が取り除かれれば、残されたマグマの組成はが変化していきます。ただし、カンラン石のように同じ結晶であっても、その組成が連続的に変化していくもの(固溶体と呼ばれてます)では、マグマと反応しながら変化していくこともあります。別の結晶(輝石、角閃石、黒雲母など)でもマグマと反応しながら、晶出が連続的に起こります。
 カンラン石(オリーブ色)のような有色の鉱物だけでなく、無色鉱物でも同様に反応が起こります。斜長石(CaAl2Si2O8-NaAlSi3O8)内でも、CaAlとNaSiと置き換わりながら(パーサイト置換と呼ばれます)、連続的に変化していきます。有色鉱物でも無色鉱物のいずれの反応も、ケイ酸成分が多くなる変化となり、自然界で知られている一般の火成岩の変化と対応しています。
 ボーエンは、マグマと各種の結晶の間で起こる変化を反応原理(reaction principle)、あるいは反応系列(reaction series)と呼びました。反応原理によって、マグマの組成が変化していくことを、"descent of magma"(マグマの変化)と呼び、"liquid line of descent"(マグマの組成変化の経路、残液変化曲線)と呼びました。
 ここで"descent"は、マグマの組成変化が、反応に用いられるMgやCaの量を中心に考えると「下降」、あるいはマグマ(liquid)の量は減少していくので「下降」という意味に捉えることも可能です。しかし、ケイ酸成分の増加、結晶の増加という相反する現象も起こっています。ですから、「由来」や系統の意味合いで捉えるべきでしょう。
 現在では、火成岩が詳しく調べられ、ボーエンの反応原理がすべてのマグマで起こるわけではないこと、また一通りの反応ですべてのマグマ系列の種類が説明できないこと、マグマの中で固溶体を持つ別の結晶が連続的に反応できないこともあること、条件によって晶出する結晶の種類がいろいろと分岐することなど、一筋縄ではいかないことがわかってきました。
 しかし、反応原理の「原理」は今でも健在です。固溶体とマグマの反応も、多くの火成岩で確認され、マグマの組成変化が晶出によって起こるという原理は、現在でも生きています。
 今では自身の"descent"「由来」の半分は、城川になってきたました。また、城川での"evolution"=「展開」は、後半生においては非常に重要な意義をもってきました。これまでの研究者人生の総括として、2016年から「地質学の学際化プロジェクト」の萌芽は、最初のサバティカルにありました。そして、2度目のサバティカルでは、2024年に発刊予定の「地質学の学際化プロジェクト」の最終巻のための中心論文のひとつと、その草稿を準備しました。このプロジェクで、"evolution"=「進化」できたかどうかは不明ですが、少なくとも"evolution"=「展開」はしていると自負できます。それも城川のおかげです。

・サバティカル終了・
サバティカルが9月末で終了しました。
これが西予市城川町では、
最後の長期滞在になります。
街やジオアミュージアムに
どの程度貢献できたかは不明ですが、
少なくとも、私は、
多くの成果を残すことができました。
それについては別の機会にしましょう。

・進化とマグマ・
今回、進化とマグマについて取り上げたのは、
この半年間で考えていた重要な概念は、
生物の起源と地球の起源です。
それそれにに関わる重要な概念として、
進化とマグマがあります。
サバティカルを終えるに当たり、
それの重要な概念について考えました。

2023年9月1日金曜日

260 単純さと多様性の混沌

 いろいろな仕組み、からくりには、単純さと多様性が行き来しているようです。ここでは、生物の基礎となるDNAからアミノ酸、タンパク質、さまざまな場面で、単純さと多様性が混沌として混在しています。


 生命起源について考えています。生物学は専門ではないので、生物の仕組みの基礎から学んでいくことになります。教科書をみると、生物の遺伝情報やタンパク質合成の仕組みや原理は、かなり解明されてきています。ところが、生命の起源に関しては、まだ規則性すらわかっていません。
 生物学というひとつの学問においても、分野によっては進展の程度が異なっているようです。研究分野では、創成のころはわかっていることもあまりなく、研究者も少ない状態です。その後、その分野で注目を浴びるようになると、多くの記載データも研究者も集まりだし、大きな分野に成長しています。このような研究分野での進展は、次にような、似たような段階を経ていくように見えます。
 まったくの手探りの分野の創成状態(前科学)からはじまります。やがて記載方法が定まり多様性を把握されていき、多様性の中の規則性を見出し、例外を規則性を修正しながらよりいいものにしていく段階(通常科学の開始=パラタイムの成立)になります。ところが、規則性を修正(変則性)しても説明できない例外が見つかる段階(危機)になります。例外が増えていき上位の規則性の修正でも説明できない段階(危機の深刻化=異常科学)になってきます。やがてまったく新しい規則(パラダイム)を見つける段階(科学革命)となります。このような科学の発展過程として、トーマス・クーンが提唱した「科学革命」と呼ばれるものです。
 生物学における生物の仕組みでは、基本的な規則性がわかってきているので、通常科学(パラダイム)がはじまっていますが、まだまだ例外が見つかり、規則性を修正している段階に見えます。ところが、生命誕生に関しては、基本法則もまだ見つかっていない、まったく手探りの前科学の段階のように見えます。
 生命起源を考えるには、生命の仕組みがどうしてできたのかを考えていくことになります。ここでは、生物が利用する化合物、タンパク質の多様さを生み出す仕組みを考えていきましょう。
 タンパク質は、非常に多くの種類があります。大腸菌では4000から5000種が利用され、酵母菌では6000から7000種になるとされています。ヒトでは、2万から2万5000種と推定されています。ところが、地球生命では、20種のアミノ酸から、すべてのタンパク質ができていることがわかっています。
 アミノ酸の特徴は、アミノ基(NH2)とカルボキシル基(COOH)を持った有機分子です。アミノ酸は、中心の炭素に結合している多様な側鎖(R基または側鎖基と呼ばれています)をもっています。この側鎖の違いが、アミノ酸の特徴や性質の違いとなります。20種のアミノ酸が、地球生物では利用されています。
 アミノ酸が基本単位(モノマー)となり、アミノ酸が連なることで、ポリペプチド鎖(アミノ酸鎖)を形成してタンパク質となります。タンパク質の構造は立体的になり、いろいろな性質を持つようになります。20種のアミノ酸が組み合わさることによって、タンパク質の多様性ができていきます。
 アミノ酸は、生物がもっている遺伝情報に基づいて形成されていきます。生物学の基本となる遺伝情報は、デオキシリボ核酸、略してDNAと呼ばれる細胞内の分子に記録されています。
 DNAからアミノ酸を経由してタンパク質までの道筋、あるいはタンパク質の多様性を生む原理はわかってきています。ただし、あくまでも原理であり、多くの組み合わせの中から、なぜそのようなアミノ酸やタンパク質が選択されてきたのか、その理由は必ずしもわかっていません。
 次に、生物の遺伝情報の記録の方法をみていきましょう。DNAは、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種塩基(ヌクレオチドと呼ばれています)からできています。ただし、RNAの場合は、チミンの代わりにウラシル(U)が使われています。塩基同士が対になっているのですが、アデニンとチミン(ウラシル)、グアニンとシトシンが常に繋がる仕組みがあります。この仕組みは、情報保存だけでなく、複製や修正に役立ちます。
 DNAのATGCの4つの塩基は、2進法で考えると、2桁あれば、00、01、10、11として4つの塩基に対応できます。2進法で2桁は、情報科学では2ビット(bit)と呼ばれて入ります。2ビットで4種の塩基が表現できることになります。このように数学的にDNAを情報と捉えることもできます。
 別の見方もできます。4つの塩基がn個並んでいるとすると、その並びの組み合わせは、4のn乗が可能になります。4のn乗を、4^nと表記しましょう。塩基が2個の連なりなら4^2=16通り、3個なら4^3=64通りの組み合わせになります。
 実際には、3つの塩基が連なりが基本単位となり、コドン(codon)と呼んでいます。組み合わせは、64通りになります。今ではコドンの意味はわかっています。
 コドンがいくつか連なって、アミノ酸ができています。コドンの数は、1つの場合から6個の場合まであり、その組わせにより、多様なアミノ酸がつくれます。1つのコドン(メチオニン、トリプトファン)から、多いものだと6つのコドン(アルギニン、ロイシン、セリン)まであります。
 多様性の程度ですが、6つのコドンからなるであれば、3x6=18塩基なので、4^18=687億1947万6736の組み合わせになります。実際には、1個から6個までの選択も含みますので、さらにに多くの組み合わせができます。便宜的にここでは、4^18としておきましょう。塩基は2進数なら、全組み合わせは、36桁、つまり36ビットとなり、現在のパソコンの主流となっているのが32ビットから64ビットのCPUを搭載していますので、パソコンの処理能力の範囲になっています。
 ところが、地球生命では、アミノ酸は20種が利用されているだけです。多様な組み合わせが可能なのに、たった20種しか使われていません。単純なもので多様なものができます。その理由は、なぜなかのかはまだわかっていません。生命誕生の過程で、環境の中で「よりすぐり」のものが選ばれたのでしょうか。
 このようなアミノ酸とコドンの組み合わせの仕組みは、理解されてきています。コドンの機能として、メチオニン(AUG)は、タンパク質合成の開始を示す「開始コドン」と呼ばれています。また、タンパク質の合成終了は、UAA、UAG、UGAの3つのコドンの連なりが「ストップコドン」となります。この間の情報から、タンパク質の合成が進められます。
 その間に情報が生み出す多様性は非常に膨大になることは予想されます。ただし、これは組み合わせ、多様性形成だけの話です。生命体の細胞内では、絶えず、複数のタンパク質の合成しています。細胞では、必要なタンパク質の種類を判断し、その量やタイミング、働く部分など、すべてが調整されているので、非常に複雑なことをおこっていることがわかっています。それを情報処理になぞらえるのは、なかなか難しいものです。
 すべての情報は、DNAに記録されているはずです。ヒトのDNAは、2003年には解読されており、30億7984万3747塩基対だとわかっています。遺伝情報をタンパク質の合成とみなすと、最小単位はコドン1つで3塩基対、最大でコドン6個で18塩基対だとすると、遺伝情報は、10億から1億7000万程度、少なくとも1億程度の遺伝情報が記録可能となります。そこで多様な組み合わせがつくれます。
 ヒトの遺伝情報は、遺伝子としてDNAの中に書き込まれています。遺伝子を構成する塩基対の数は、数百から数千の塩基対を持つことがあります。もし、1000塩基対だとすると、DNAの中には、317万個の遺伝子を持てることになります。
 しかし、DNAには遺伝情報の記録に使われている部分(エクソン)と使われていない部分(イントロン)が大量にあると推定されています。そのうち、イントロンは、スプライシングと呼ばれるプロセスによって利用時には取り除かれるところ、繰り返しになっているリピート配列などもあります。イントロンがヒトのDNAの中で締めている比率は、80〜98%だとされています。300万個の遺伝子の内、60万から6万となります。これでも使用しているタンパク質合成のための遺伝子は十分記録可能です。
 ヒトの遺伝子の数は、推定によって変動することがありますが、およそ2万から2万5000と推定されています。ですから、DNAの情報には、タンパク質合成だけでなく、もっと多様な情報が記録されているはずです。
 ヒトのDNAには、非常に余裕をもって情報が記録されていることになります。一方、たった20種のアミノ酸から多様なタンパク質が利用可能なのですが、その一部しか使っていないことになります。まだ、DNAの中にもアソビ(イントロン)があり、自然の中で、「よりすぐり」が選ばれたのでしょうか。複雑さの中から単純さへの選択がなされています。
 ここでは、タンパク質の多様性の形成のメカニズムだけをみてきました。他にも細胞内にはいろいろな器官や組織もあります。そこでも固有や共通の仕組みが働いています。生命誕生には、それらのうちどれが必要不可欠だったのでしょうか。
 生命の仕組みの中には、単純さと多様性が混在しています。多様性から選択、選別される原理は、まだよくわからないことが多いようです。「よりすぐり」ではなく、「とりあえず」だったのかもしれません。単純さと多様性の混沌が、そこにはあるようです。

・生物学と地質学・
生物学は地質学と比べると、
非常の大きな学問分野です。
知識量も、投入資金、動く資本、また従事する人員も
桁が異なっていることでしょう。
学問内に単純さと多様性が混沌としている点は
共通しているようです。
学問の発展段階のパターンも似ているようです。
後進が大きな学問体系を学ぶのは
教科書はいろいろあっていいのですが、
その分裾野が広く、奥行きも深いので
学ぶことも多くなります。
しかし、そこには単純さと多様性が混在しています。

・残された目標・
いよいよサバティカル最後の月となりました。
このひと月の目標は、
野外調査が2回、帰省を1回します。
2冊の本の校正、1冊の本の編集、
そして、論文の執筆をしていきます。
1年間でやることを、半年間に詰め込みました。
なかなか大変ですが、
研究に専念できる最後のチャンスなので
できる範囲で進めていこうと考えています。

2023年8月1日火曜日

259 進むことから安堵へ:サバティカルの中間まとめ

 4月のエッセイでは、サバティカルの目標を紹介しました。今回は、折り返し点を過ぎましたので、サバティカルのこれまでのことをまとめておきます。残された2ヶ月をどう過ごすかの整理にもなります。


 サバティカルに来て、4ヶ月がたちました。6ヶ月のサバティカルの内、7月に入った時が、折返しだったので、中間報告を書くべきだったのですが、できませんでした。以前に用意していたテーマで書いてしまいました。今思い起こせば、目標としていたことが、捗っていなかったため、精神的な焦り、野外調査での肉体的な疲労もあったようです。
 ところが、8月を迎えるに当たり、このエッセイのテーマを考えた時、気持ちが穏やかで落ち着いて思考ができていることに気づきました。心の持ちようでもあるので、はっきりした理由はわかりませんが、日常が落ち着き、仕事が捗っているためかと思いました。そこで、今回のエッセイではサバティカルの中間まとめをしながら、心境の変化についても考えていきたいと思いました。
 4月のエッセイでは、サバティカルの目標として、科学教育、地質学そして地質哲学の分野でまとめて書きました。それぞれの成果を要約しておきましょう。
 科学教育では、ジオミュージアムの1周年記念で講演会をして、その内容をまとめたものを、著書に加えるための文章化は終わっています。週刊のエッセイで西予の地質の紹介を、月刊エッセイでは、四国の調査で訪れたところを紹介しています。地質学では、テーマに沿った地域の野外調査を中心に進めていいます。それらの成果をもとに、地質哲学に関連する論文としてまとめています。
 サバティカルの成果を具体的に、本と論文、調査で区分して整理していきます。

【本】当初予定:3冊の本を執筆
 サバティカルに来る前かた取り掛かっていた執筆中の本が、2冊あったのですが、来る前にかなり粗稿はできていました。来てからは、大規模な推敲を進めることが目標でした。6月上旬までで、予定していた推敲が終わりました。9月には校正をおこなって、10月にも大学にどったら出版する予定です。申請していた研究費が採択されたので、出版が可能になりました。推敲、校正、出版のいずれもで、目処が立ったことが安堵感につながっています。
 もう一冊は、毎日書いている2つの文章を、滞在記としてまとめる予定を立てていました。月が変わったら、InDesignに文章と写真を入れるという編集作業を、毎月進めています。その作業は、1日、2日で終わりますので、順調に進んでいます。サバティカルが終わったら、PDFで出版する予定です。

【論文】当初予定:1編の論文の投稿と1編の論文の草稿を執筆
 研究計画にあった1編目の論文の目処が立ちました。これが大きな安堵感に繋がっています。ただし、紆余曲折がありました。
 本の推敲が終わりったので、2つ論文のうち、最初の方に執筆にかかりました。それまで、関連する多くの文献やデータを集めていたのですが、それらを読んで、まとめるのに時間が必要でした。しかし、どの程度の時間がかかるかの予想がまったく立ちませんでした。そのため、5月末の論文投稿の申し込みは見送り、そのときは、9月までに1編の論文とその続編の論文の草稿を書こうと考え、論文投稿は諦めていました。
 ところが、本の推敲が一段落しだした5月中旬から、文献を読み進めていきました。6月上旬になると論文の骨子が見えてきました。8月中旬の〆切であれば、論文が書けそうな見込みができました。そこで、急遽、6月中旬に論文の投稿を申し込みました。
 6月中旬から論文の執筆をはじめたのですが、当初の構成で論文を書いていくと、内容が膨大になりすぎて、終わる目処が立たなくなってきました。焦りながらも書くしかないと、毎日、淡々と書き続けていました。
 しかし、7月中旬で構成上の3分の1くらいまで書いていたのですが、論文の文字数を見ると、これまで投稿した最長の論文の1.5倍にすでになっていました。これでは、掲載不能なのは明らかでした。そこで急遽、論文を2つに分けることにしました。前半だけをとりあえず、執筆すればいいので、終わりの目処できました。8月上旬には粗稿ができそうになりました。
 論文数が増えたので、あと2編の論文の草稿を書くことになりそうです。論文を書いていると、内容が増えていき、2編になっていくことは、私の場合はよくあることです。今回もそうなりました。

【野外調査】当初予定:7回の四国各地の野外調査(私用で3回の帰省)
 サバティカル中の研究テーマを達成するための手段として、野外調査が重要でした。そのため、3泊から4泊の調査に、月に2度ほどでかけていました。その他に、週日(火と金に半日ほど)に家内を連れて、近隣を巡るようにしていました。野外調査の日程や場所の変更はありましたが、順調にこなせていました。気づいていませんでしたが、野外調査や出かけることが多くなっていたので、肉体的疲れも溜まっていて、精神的にも落ち着いて研究に向かうことができない状態だったのかもしれません。
 7月上旬で、前半の野外調査の予定が終わり、夏休みに入りました。7月から8月は暑いので、野外調査はもともとしない予定でしたので、そのようにスケジュールを組んでいました。
 野外調査の夏休みで、1月間は、調査にで外泊することなく、自宅でのんびりと過ごしています。週2回の散策だけは続けていますが、体力的にも楽になりました。淡々と研究に打ち込める気持ちも整ってきています。そんな平穏な状態が、安堵感へとつながっているのかもしれません。
 くわえて、当初、法事に関することで実家への帰省を3回を予定をしていましたが、親族が代行してくることになって、1度の帰省で済むことになりました。帰省ではなく、息子たちにあうための単純な私用による家族旅行を、サバティカル終了前にすることにしました。のんびりとした旅行になりそうです。

 サバティカルの期間、ついつい盛りだくさんの計画を立ててしまいます。前回の1年間のサバティかつでも同じように、大きめの計画を立てていました。半分くらいできればいいやと思っていましたが、5分の3程度は進みました。
 今回は前回と比べて半分の半年しか滞在できました。これが研究者として最後のサバティカルになります。それでついつい盛りだくさんになってしまいした。しかし、今回、家内を同伴しているので、家事に関しては担当してもらっているので、研究にだけ打ち込める条件になっています。
 7月最初の焦りと比べると、8月最初の今は非常に落ちついて仕事ができています。多分、残りの2ヶ月も目処が立ったという安堵感があるのだと思います。いろいろありましたが、とりあえず順調を進んでいるようです。家内の週2度の近隣の散策も、久しぶりに訪れるところばかりですが、なつかしさと新鮮が入り混じった気持ちになります。そんな余裕も安堵感からでしょうか。

・佐田岬・
暑い最中、佐田岬にいきました。
駐車場から岬の先端まで、
1.5kmほどの上り下りを歩かなければなりません。
何組かの人に会いましたが、
戻る人たちは、皆バテていました。
私もバテていましたが、
家内が予想以上にバテていたのですが、
道の駅で買い物をするときは
元気ができるようで、
キャラクターもの、食べ物など
いろいろ買い込んでいました。
暑いときに歩いたご褒美としましょう。

・四国カルスト・
暑いときは、涼しいところがいいです。
西予市には大野ヶ原という
四国カルストの延長部の高原があります。
5月と6月にいきましたが
6月は霧がでていた寒かったです。
7月末にいったのですが
下界が暑かったので涼みにいったのですが
やはり暑くてがっくりしましたが。

2023年7月1日土曜日

258 効率化への違和感での対処

  ある時、ふと違和感を感じることがあります。違和感は、ささやかであるほど、無視してしまいがちです。違和感を大切にし、追求することが、効率化の弊害から逃れる術ではないでしょうか。


 かつて日本は技術立国や工業立国として、世界市場を先行し、席巻していました。今では、その地位が低下しています。市場での競争に勝つために、オートメーションによる大量生産を進めてきました。その時、時間、経費、人手などの効率化が至上命令となっていました。
 効率化が進めば進むほど、生産性はよくなり、利益も上がってきました。一方、人間的な側面がなおざりにされていくことになりました。それが大きな社会的矛盾を産んでいました。
 その反省から、生産現場で作業する場合、個人の自由裁量、個人の個性を重視したり、個人の意志を重んじたりする風潮が生まれてきました。生産現場での個々のアイデンティティの容認は、働きがいとなり、生産性や品質も向上しきました。加えて、多様な需要へ対応も可能となりました。
 生産現場だけでなく、社会や生活においても、アイデンティティの必要性は多くの人が理解し、実践するようになってきました。アイデンティティを認めることは、多様性の容認に繋がっていきます。多様な個への対処には、手間や時間、経費がかかることになります。
 効率化を怠ると、価格に反映されたり、競争に負けたり、品質の低下が起こってきます。その結果、多様性に配慮する余裕がなくなってきます。まして逸脱した多様性まで、通常の対処をしようとすると、非効率的になります。その結果、対処不能、機能不全を来しかねません。このような負のスパイラルに陥ると、簡単に回復はできなくなります。
 多様性の容認の方向性は、効率化とは相反するものになります。効率化と多様性の配慮の兼ね合いは必要ですが、難しいものになります。例外的な事例へどこまで対処すべきでしょうか。特別扱いとすべきでしょうか。
 さて、ここで話は全く変わります。
 大量の化学分析をするとしましょう。岩石の中のある鉱物を、小さな部分で大量に分析していきます。目的は、その鉱物の平均的な化学組成を知ることとしましょう。このような分析方法は、鉱物の記載として、ごく普通におこわれているものです。
 分析データは、一般にバラツキが生じます。自然物の分析なので、仕方がありません。もし、バラツキが少ないときは、中心値付近が、その鉱物がもともともっている値とみなせます。この分析値は使用できます。この状態のデータを noDiv と表記しましょう。
 もし、データにバラツキが大きいときは、その原因や理由を考えなければなりません。試料の調整(試料の研磨や表面処理)や装置に問題があれば、根本的対処が必要になります。そして、その値には信頼性がないので、研究に使用することはできません。バラツキの原因追求が必要になります。
 一方、鉱物自体に不均質がある場合にも、バラツキが生じます。そのバラツキ自体が、鉱物の本質的な属性となります。このような本質的なバラツキをもったデータを mixDiv と表記しましょう。
 中心値がある noDiv は、正規分布に従うバラツキになるはずです。正規分布は、データのバラツキを頻度図にすると、中心値の周辺に釣り鐘状に左右対称に広がるものになります。中心値が求められ、その精度を示すために、誤差を表記します。標準偏差や95%信頼区間などの統計を用いて、誤差を示すことができます。
 最近は、効率化を図られて、分析装置の自動化は進んでいます。大量の分析点を、研究者が指定しておけば、あとは装置がプログラムに従ってその点を測定していきます。点が大量になっても、時間をかけて、装置が自動で測定してデータを出してくれるようになってきました。このような自動化や効率化は、研究者にとっては理想的な状態です。自動分析している間に、別のことに頭を使うことができます。
 次に、 mixDiv の場合を考えてきます。
 もし、鉱物に不均質があれば、正規分布の乱れとなって現れるでしょう。不均質の部分がほんの少しの領域しかない場合や、その不均質が均質の部分と比べて少しの違いしかない場合も、正規分布を乱しますが、その乱れは小さいものになります。このような小さな乱れは、見逃しやすいものです。
 研究者が不均質を認識していなければ、見過ごしたり、無視したりしてしまうでしょう。いずれの小さな不均質も、鉱物の本質的な特徴のはずなのですが、統計処理で漏れてしまいます。
 不均質の可能性を考慮に入れていないとなりません。事前に鉱物を顕微鏡などで詳しく観察して把握しておくか、それがわからなくても、不均質があるかもしれないと思って、データを見ていく必要があります。そして、外れたデータがあった場合、それは結晶でどこだったのか、それは本質的なものなのか、それとも試料調製の問題なのかを、その都度、見極める必要があるはずです。
 通常の鉱物の分析では、早く中心値が欲しいと考えています。そのような例外探しは、事前に存在がわかっていなけばしません。あるかないかもわからない状態で進めることはありません。例外ねらいは、成果を考えると、リスクが大きく、非効率です。
 ところが、だれもが無視していること、当たり前だと思っていることに、大きな発見が生まれることがあります。些細なことほど、盲点となり、それに気づくことから、大きな発見があります。
 大量のデータを欲することと、重要な例外の発見は、異なった方向性をもっています。両者を追いかけることは難しいでしょう。どうすればいいのでしょうか。
 ひとつは、「違和感」のアンテナを敏感にしておくことでしょう。例外の発見は、ささやかな違和感となるはずです。違和感に敏感でなければなりません。違和感を検知して、そこに目を向けるの姿勢が必要でしょう。この違和感を常にもつことが重要だと思います。時間や心に余裕がないと、困難ではあるのですが。
 さて、最初の効率化と多様性の共存の話と、ここでの例外の発見と違和感の話を結びつけましょう。
 効率化を進めながら、個人が違和感を感じた時、個人でそれを追求できる裁量を認める必要があります。その追求の結果を組織で共有することが必要ではないでしょうか。そのために、違和感のアンテナが重要ですが、個人に心の余裕が必要になります。そのような作業空間や環境を整えていく必要があるでしょう。このような環境が重要なことは、誰もが納得できるでしょう。問題は、個人がどこまで実践できるか、どれだけ多くの個人が実践できるか、それを組織が見てることができるかでしょう。効率化の中に多様性や違和感を埋もれされないようにしましょう。

・前半の調査終了・
四国は梅雨に入っています。
台風の影響で激しい雨もあり、
各地で土砂災害もありました。
野外調査にも影響がでましたが、
そのようなものはささやかなものでした。
7月上旬で前半の調査は一段落します。
7月下旬から8月中旬までは、
各地が混むのと、暑さもあるので
地元で大人しくするつもりです。

・再会・
このエッセイは予約配信しています。
この時期に、京都に帰省しています。
息子たちとの会食して、
親族での相談も予定しています。
暑い時期でしょうが、
再会を楽しんできます。

2023年6月1日木曜日

257 アースネーム2:位置を知らせる

 自分の住んでいる位置を伝えるための方法は、まずは住所です。もし住所という方法が使えないとしたら、どのように伝えればいいでしょうか。自然の地形の川を使う方法を紹介しましょう。



 自分の住んでいる位置を伝える方法を考えていきます。現代なら、住所があるので示すことができます。日本なら、都道府県、次に市町村、さらに大字(おおあざ)と字(あざ)に当たる地名、そして番地で示されます。
 地名や住所がないところだったら、どうすればいいのでしょうか。GPSや地図で、緯度経度を読み取って、その値を示せばいいでしょう。もし、緯度経度も決まっておらず、地形しか手がかりがない場合なら、どうすればいいでしょうか。
 地形でもっとも大きな特徴で明瞭に区分できるのは、海と陸でしょう。海は陸に囲まれたところは区分できますが、広いところの内部は区分できません。まあ、海に住むことはないので、考えないことにしましょう。住居は当然、陸にあります。ここでは、陸だけを考えていきましょう。
 陸には、川や山など、特徴をもった地形があります。陸を地形で区分していきましょう。今回は、川の名称だけを用いましょう。陸に名前をつけて、川にも名称をつけます。表記は、海に注ぐ河口からはじめていきます。
 岸由二さんの「リバーネーム」という本があります。その考えにしたがって、「私の川」として、生まれたところの近く川や、現在住んでいるところの川の名前を使って、川の流域の自然を意識しようとするものです。
 それを改良して、「アースネーム」というものを考えました。その考えにもどついて、「32 アースネーム」(2004年9月1日)というエッセイを書きました。アースネームとは、地球の海、陸、川などの自然の地形だけを用いて、位置を記述する方法です。まずは海と陸が大区分となり、どの陸(大陸や島)に属しているのか、その陸地を流れる川は何という名称で、その川のどこに住んでいるのかを記述していきます。
 アースネームでは位置を示すために、川を河口から遡りながら、内陸に入っていくことになります。住んでいる位置にたどりつくまでに、海から本流から支流へと辿っていきます。自ずと支流への愛着や本流への帰属意識が生まれます。それが自然観察から自然理解につながるのではないかという意図があります。
 川は、陸(大陸や島)の中に、山並みに区切られた流域があり、支流も多数ありますが、支流ごとに流域もきまっていきます。このエッセイで、再度、アースネームを取り上げたのは、現在のサバティカルの地を、この方法で表記していこうと考えたためです。
 現在では、「川の名前を調べる地図」
https://river.longseller.org/
というサイトがあり、そこでは日本の河川の名称がすべてわかるようになっています。このようなものを利用して、川の名称を調べていきましょう。表記は、水系から支流の名称を順番に書いていき、住居の位置を示します。
 まず、現在の執務をしているところのアースネームを書いてきましょう。
 四国ー肱川ー黒瀬川ー源光川の右岸
となります。自宅は、
 四国ー肱川ー黒瀬川ー三滝川ー名称不明川(祓川と坂本川の間の支流)の左岸
となります。
 この方法だと、大きな支流は昔の日本の住所表記の大字(市町村名)に相当し、最後の支流では字(地区)より細かい区分まで示せます。住所なら番地まで示されていき、都会ならビル名や階、号室まで示さないとわかりません。しかし、人口の密集していない田舎なら、最後の支流と氏名が分かれば、住居の位置が確定できるほどの精度になります。最後の支流名まで遡れば、位置がかなり詳しく決まります。
 日本は、険しい地形のため山地も多く、短い河川が多数あり、谷も支流も多数できていますアースネームも用いるのに適した地です。また、人が山の奥地にも住んでいるため、河川の小さな支流にも名称が付けられています。
 では、河川名を知らない人が、その位置にいくことができるでしょうか。上記のようなサイトで、河川やその支流の名称を調べることができないときは、どうすればいいでしょうか。現地で詳しい人に聞くのが一番です。
 役場がもっとも手頃ですが、職員の人も、職務上多くの河川を知っていることもありますが、全地域を網羅的に知っているわけではありませんので、知りたいところの支流名まで知っているとは限りません。今回、支所で頂いた城川町時代の古い地図には、細かく河川名が書かれていますが、それでも漏れている河川名も多数ありました。
 情報がない時、近所に住んでいる人に聞くしかありません。ところが、地元の人に河川の名称を聞いても、知らないといわれることがよくあり、よっぽど詳しく知っている人を探さなければなりません。なかなか支流名からたどるのも難しいかもしれません。
 どうすればいいでしょうか。名称ではなく、河口から順番に番号を付けて示す方法はどうでしょうか。河口から支流に順番に、-1、-2、-3・・・と付けていきます。本流から別れて支流に入れば、その支流の支流に新たに新しい番号を-1、-2、-3・・・と枝番号を加えていくことにしましょう。これを支流ごとに繰り返していきましょう。例えば、本流から3本の支流に入り、その支流から5本目の支流に入るのなら、-3-5と表しま。あとはこれの繰り返しになります。
 支流がたくさん枝分かれしていくと、番号も複雑になりますが、一義的に決まっていきます。現在の住所
 四国ー肱川ー黒瀬川ー三滝川ー名称不明川の左岸
を、この表記法で書いていくと、
 四国ー肱川-29-6-4-1の左岸
となります。シンプルなり、名称を知らなくても、河口から河川を辿っていけば、だれでも表記の地にたどり着くことができます。表記方法が、固有名称を用いるか、抽象化した数字をつけていくかの違いとなります。
 アースネームの根本に戻って、なぜこのような名称をつけようと考え方たのでしょうか。それは、自然の地形を利用して、位置を示すことです。川を通じて、地形をよく見ること、あるいは川をよく見ることになります。なら、後者の示し方が合理的です。
 私の住んでいる支流は、肱川の29-6-4-1となります。味気がありませんし、愛着も湧きにくくなります。川に名称があるほうが愛着も湧き、会話での共通認識を持つことできます。昔の人は、なんらかの川や土地に名称をつけていきました。その結果、そこに愛着をもっていたのではないでしょうか。ですから、今の住居のアースネームは
 四国ー肱川ー黒瀬川ー三滝川ー名称不明川(祓川と坂本川の間の支流)の左岸
を採用しましょう。

・簡易上水・
山間の集落は今での多いと思いますが、
沢水をつかっている家が多くあります。
現在住んでいる住居の上水は
共同管理された沢水による簡易水道を使っています。
年間の管理費は払いましたが、
月々の水道使用量はかかりません。
市内でも海沿いや大きな河川がないところでは
ダムで貯水して、それを配管して上水道にして使います。
現在の住居の周辺は、水量も十分あるし、
水質も検査されているので安心です。

・浄化槽・
簡易水道を使っているところは
公共下水道もないところが多くなります。
下水道がないところは浄化槽を使用することになります。
昔住んでいた湯河原は個別の浄化槽を設置していました。
先日、浄化槽の検査の結果が来ていました。
問題はなかったようです。
かつては、家ごとの浄化槽でしたが、
現在では合併浄化槽に切り替えているようです。
下水道が環境にはいいのですが、
田舎で下水を整備するのは大変なので
自然に優しい浄化槽もいいのでしょうね。

2023年5月1日月曜日

256 知足知止:貨、身、名

 城川に来てひと月がたちました。日常生活も落ち着いてきました。あとは、目標を達成するために、日々精進していくだけです。ただし、足るを知ることも、大切にしなければなりません。


 サバティカルがスタートしてから早ひと月が過ぎ、日常の生活パターンもできてきて、落ち着きました。4月下旬には一度調査にもでています。
 来たばかりの4月初旬、新しい環境に慣れるために、いろいろな試行錯誤もしました。北海道の自宅から、必要最低限のものは持ってきたつもりですが、新しい生活がはじまると、やはり足りないものがあります。借りている古い民家にも、不足しているものもあり、気がつくたびに少しずつ買い足して、生活環境を整えてきました。それも4月中旬くらいまでなんとか終わり、日常と呼べる生活ができるようになりました。
 我が家は贅沢を好む風はなく、衣食住、すべてに最低限足りていれば満足できます。私自身も、質素、粗食であっても苦を感じることなく、かなり不自由であっても慣れればなんとかなると思っています。それよりも、やりたいことができる自由、それに時間や精力を使うことを重視しています。
 このサバティカルの半年間は、人生の中でやりたいことのできる充実した時間がとれる、最後のチャンスになります。半年間、研究に集中したいと考えています。四国各地の野外調査をすること、精神的な余裕をもって、静かな環境で、束縛なく自由に思索を巡らせる時間をもつことを重視しています。悔いのない時を過ごしたいと、日々、努力しています。大学にいるときよりも、多くの時間を研究に充てています。
 今回は家内も同伴しているので、週に2度ほどは、近隣に散策に出かけること、健康のために夫婦で温水プールに通って、毎日運動しています。これは、家内のためでもありますが、自身の望むところでもあります。今のところ、順調に日常生活が営めています。
 先日、平日の午後に、大洲の臥龍(がりゅう)山荘を訪れました。山荘にはいくつかの建物がありますが、豪華や華美を求めたものではなく、侘び寂びを重んじたつくりでした。いずれの建物も、粋を凝らし、手間暇を惜しむことなくつくられたものです。静寂なる環境の中で、心地いい時間が過ごせました。
 山荘の中の建物のひとつに、「知止庵」という小さな茶室がありました。そこには音声案内があり、もともとは浴室だったものを、戦後に内部を改装して茶室にしたとのことでした。庵の名称の「知止」とは、ホームページには、陽明学者の中江藤樹の説いた教えからとったとありました。調べると、「知止」のもとは、老子第44章の一節にでてきます。原文と書き下し文は、次のようなものでした。

 名與身孰親 名と身と孰(いず)れか親しき
 身與貨孰多 身と貨と孰れか多(まさ)れる
 得與亡孰病 得ると亡(うしな)うと孰れか病(うれい)ある
 是故甚愛必大費 この故に甚(はなは)だ愛(おし)めば必ず大いに費(つい)え
 多藏必厚亡 多く蔵(ぞう)すれば必ず厚く亡う
 知足不辱 足(た)るを知れば辱(はずか))しめられず
 知止不殆 止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず
 可以長久 以って長久なるべし
(私訳)
名と身のいずれが重要だろうか、
身と貨のいずれが大切だろうか
得ると失うのいずれが問題があろうか
これゆえ惜しめば、必ず大きく失う
多くを持てば、必ず多く失う
足るを知れば、辱められず
とどまるをしれば、危うくももならない
もって、長く久しくあるべし

 全体として、貨より身を、身より名を重んじなさいという意味でしょう。なにより、貨への注意、蔵を戒めています。損得やお金に固執したり、蓄財を戒めています。同感です。無駄遣いをする必要もないですが、身や名のために、使うときは使いなさいといっています。
 山間の小さな地域では、人のためには惜しむことなく使うという風習が今も残っているようです。地縁関係を大切にして暮らしていくということでしょう。私の故郷でも、おこなわれていたものです。地縁的な付き合い、風習の考えは、嫌なことだと思っていました。まして、地元を離れたものには、儀礼ばかりで、面倒だし、お金もかかり、できればしたくないと思っていました。
 サバティカルでこの地に暮らすために、郷に行っては郷に従えということで、少しずつ馴染むように努力しています。このような地縁的な付き合いは、もしかすると、貨を惜しむより、名のために有効に使うことを実践しているのではないかと思いました。他者、みんなのために、祝、祝儀として、餅をまいたり、旅人を接待したりします。
 貨より身を重んじた行為、さらには名を大切にしろといっています。考えると、これらの解釈も難しいものです。身とは身体だけでしょうか、心身、そして精神まで拡大していくのでしょうか。身を重んじるということは、身体に苦痛を伴うような禁欲を説いているわけでもなさそうです。また、名とは、名誉のことでしょうか。それとも、自尊心、自己肯定感、アイデンティティまでいくのでしょうか。
 貨、身、名を考えることの重要性はわかります。しかし、まだ腑に落ちていません。老子第46章には、同じような言葉があります。

故知足之足 故に足(た)るを知るの足るは
常足矣 常に足る
(私訳)
故に足るを知るの足るとは、常に足りているということ

 知足とは、本来は人の欲を戒めたものでした。そして、足るを知っているということは、常に足りているというも意味するということのようです。どこまでで足るのか、どれ以上になるとどまるのか、その境目が難しいです。少なくとも我を忘れることなく、冷静に過ごしていくべきでしょう。
 このエッセイでの思索もここでとどめます。なぜなら、このような考えを巡らすことにも、足るを知り(知足)、とどまることを知り(知止)なければならないでしょうからね。

・知足・
ゴールデンウィークの最中に
このエッセイをお送りします。
執務室で通常と変わらず仕事しています。
COVID-19が終わった大型連休なので
多くの人はあちこちを観光したい、
買い物や遊びたいと思っていることでしょう。
自粛した3年は、あまりに長かったです。
そこから開放されるのは、いいことでしょう。
しかし、足るを知ることも忘れてはいけません。

・知止・
私は、ゴールデンウィーク前に調査にでかけ、
後にも調査にでかけます。
COVID-19の自粛とサバティカルによる校務からの開放、
なんの束縛もなく調査に
専念できるありがたさ痛感しています。
なにより休日や祝日など、
人出の多い時期を外して
出かけられるのはいいです。
以前、博物館にいた頃は、
月曜日休みだったので
その時のように混まない状態で
いろいろなところに出かけられるがいいです。
しかし、必要なものことだけにしたほうがいいですね。
あまり羽目を外さないようにしないといけません。
とどまるを知ること(知止)です。

2023年4月1日土曜日

255 沈思黙考できる心の余裕:半年間のサバティカル

 このエッセイが発行される4月1日に、北海道を離れて四国に向かいます。半年間のサバティカルで、愛媛県に滞在します。以前に滞在した西予市で再度過ごすことになります。滞在中の目的を紹介しましょう。


 4月から、サバティカル(研究休暇)で半年間、愛媛県西予市にて研究に専念できる時間がえられました。2010年にも、1年間のサバティカルを、西予市にて過ごしました。1度目のサバティカルからは、12年が経過しています。
 前回のサバティカルの決定にあたっては、いろいろ予定変更がありました。当初、子どもたちも家族全員で、1年間滞在するつもりでしたが、大学での改組よって、サバティカルの申請時期がズレることになりました。その結果、家族状況に変化があり、単身での赴任となりました。
 今回、子どもたちは同居していないので、夫婦で滞在することになります。受け入れ先も、前回の西予市城川地質館から、四国西予ジオパークミュージアムに変わりました。滞在後ジオパーク申請の準備をはじめ、2013年に日本ジオパークになっています。博物館も、西予市城川地質館を更新して、ジオパークミュージアムを新築して昨年春に開館しました。以前、執務していた場所が物置になり、住居も老朽化で立ち入りができないようです。
 12年間もたつと、いろいろなところで変化が起こっています。
 もちろん、露頭や岩石、自然は10年程度では変わらないのですが、人の営みによって変化します。前回の滞在で利用していた施設も、まだ残っているものもあります。変化したものと変化しないものがありそうです。変化していないとはいっても、なにかが変わっているはずです。それは研究テーマとも関連しています。変化を探ることは、いってから楽しみとしましょう。
 サバティカルでは、達成したい研究テーマがあります。申請時にもそのテーマで明記しています。科学教育と地質学、地質哲学で3つの目的で取り組む予定にしています。最後の地質哲学が重要な目的と考えています。
■科学教育:四国西予ジオミュージアムを通じての教育実践
 これは、なにができるか不明ですが、なんらかの貢献ができればと思っています。個人的には、いくつかのメールマガジンで西予の地質に関する教育用エッセイを書くことで貢献するつもりです。
■地質学:古生代、中生代、新生代までいろいろな時代の島弧の付加体、島弧固有の火成岩類の野外調査
 地質学は、野外調査を中心に進めていきます。四国の各地をめぐり、付加体や火成岩類の典型的な露頭を観察していきます。野外調査をもとに、次の地質哲学へと結びつけたいと考えています。
■地質哲学:地質学的時間記録の様式の哲学的思索
 少々難解で抽象的ですが、次のようなことを深く思索していこうと考えています。
 地質学(あるいは、自然現象全般も)において、時間は不可逆で、戻ることも繰り返すこともありません。なぜなら、地質現象はすべて熱力学の第2法則(エントロピー増加)に従っているためです。地質現象は、同じことの繰り返しに見えても、全く同じものはなく、どこか異なっていることになります。少なくとも熱力学的はエントロピーが増加しています。
 エントロピーも複雑な概念です。「乱雑さ」ともいわれますが、いったん乱れたものを、整った元の状態に戻すには、エネルギーが必要になります。このような戻すのにエネルギーが必要な変化は、不可逆となります。もし可逆ならば、エネルギーの増減がないことになり、平衡状態が継続していることになります。それは、変化していない、なにも起こっていないことになります。
 原子や素粒子など微小の世界でまで考えると、変化が常に起こっています。微視的にみると、エントロピーが増加し続けていることになります。熱力学的には、時間とともにエントロピーが増加していることになり、エントロピー増加から、時間が一方向にしか流れないことも導き出せます。これを「時間の矢」と呼んでいます。
 地層は、過去のある時間の記録媒体とみなせます。不可逆な時間の流れで、連続した地層も、実は不連続で不完全なものになります。これも少々説明が必要でしょう。
 タービダイトと呼ばれる地層は付加体では典型的な地層です。日本列島の地層の多くはタービダイト層です。河川の大洪水や海底地すべりなどが起こり、大量の堆積物が、大陸棚に流れ下り、やがて堆積していき、一枚のタービダイト層ができています。堆積にかかる時間は、数時間、極細粒ものでも数日程度で終わります。それ以降、堆積物はほとんどたまりません。
 再度、似たある海底地すべりが起こった時、次の地層がたまります。このようなタービダイト層は付加体の重要な構成物です。地層とは、時間の流れ見ると、ある時点に一気に溜まったもので、その時期以外は記録が残されていません。大半の時間は、地層の境界の物質の欠落したところに折りたたまれています。
 それでも、過去の地球を、直接探れる素材は、地層しかないのです。地層の時間記録は、もともと不完全であるところに、さらに地質学的過程で、多様に破壊されていきます。地下深部だと、変成作用を受け、時には一部が融けてマグマになってしまうこともあります。大地の運動によって断層や破砕が起こります。表層付近では、風化や侵食、変質なども起こります。地層は古くなるほど、このような地質学的改変も、さまざまな程度で、繰り返し加わっていきます。
 地層は、不完全な時間記録媒体で破壊も起こっているのですが、もしその改変の時期や順番がわかれば、それも重要な記録となります。幸い地層の時間は、化石や放射性核種の年代測定で知ることができます。地層を用いれば、時間軸上に過去の出来事が起こった順番に並んでいます。改変も、定量的に読み取れるものは限られていますが、順番は読み取れます。
 各種の地質学的過程が、時間軸上に、断片的で定性的ですが、並べることができます。このよな記録をたくさん集めれば、パタパタ漫画ように、連続して動いているかのように見えます。これが、その地域の地層の歴史となっていきます。各地の歴史をいろいろな時代で、地球全体で集めていけば、地球の歴史となっていきます。
 少々、壮大で荒唐無稽のような話をしてしまいました。島弧固有の地層や火成岩の野外調査を進めることで、断片的な時間記録から、どのようなことが見えてくるのか、哲学的思索を進めていこうと考えています。このような時間記録の解析や考察は地質学固有の思索です。他にも地質学固有の概念もあるはずです。そのような概念を抽象しながら、思索を深めていこうと考えています。
 いろいろ書いてきましたが、なにより静穏な時間、沈思黙考できる心の余裕がえられることが重要だと考えています。

・予約配信・
このエッセイは
ちょうど移動にあたっているでの、
事前に書いて、予約配信をしています。
配信を時間指定できるのは助かります。
今ではどこでもインターネットに
繋がるようになりました。
文書を書いて配信するなど
私にはできそうもありません。
予約配信できるのは助かります。

・謙虚に虚心で・
いよいよ西予での新生活ははじまります。
家内には新生活ですが、
私には2回目の生活となります。
2回目の強みは、勝手を知っていることでしょう。
しかし、なまじ昔のことを知っているために、
比べてしまい、良くなったことはいいのですが
悪くなっていることを挙げつらわないか心配です。
謙虚に虚心で生活をはじめましょう。

2023年3月1日水曜日

254 アブダクションの訓練を

 多くの人は、常識的に振る舞い、常識にもとづいて暮らしてます。当然、「バカなこと」はしないほうがいいはずです。しかし、「バカなこと」を意図的にするのは、アブダクションの訓練になっているのです。


 教育で知識や技能を身につけることは重要です。そこで、常識や行動規範を身につけることも重要になります。人として、日本人として、社会人として、大学生、高校生、中学生、小学生として、それぞれの立場で、一定の常識や行動規範を身につけることは、生きていくためには必要でしょう。しかしその常識が、独創的な考えを摘み取る可能性もあります。常識と独創性の兼ね合い、それを教育にどう取り入れるか、なかなか難しい問題です。
 小学校では、授業として道徳が導入されました。道徳では、ひとつの答えがない話題を用いて、人ぞれぞれ、いろいろなの考え方を示して、お互いに尊重していくような授業が展開されています。これは、机上での考え、議論となります。日常生活で行動しようとするとき、常識との兼ね合いで、どこまで実践できるかが重要です。
 独創性を重んじることで、常識外の考えで進めていこうすると、いろいろなトラブルや軋轢が生じます。多くの人は、他者を慮って、忖度して、常識的な行動になっていきます。どんなに独創的なものがあっても、行動に移すとなると、多くのひとは躊躇したり、抑制したりしてしまいます。
 独創的な行動は、他者からみると、少々奇異で「バカなこと」にみえます。すると「バカなことはするな」と注意を受けます。本当に「バカなこと」はダメでしょうか。まだ未熟な人たちへの注意だけでなく、大人でも常識に反することをしたら「バカなこと」といわれます。
 もちろん違法なこと、人に害をなすようなことであれば、その注意は真っ当でしょう。本当に「バカなこと」はムダでしょうか。大きな飛躍、ブレイクスルーは、そのような「バカなこと」からしか生まれないのではないでしょうか。少なくとも常識的な考えからは、大発見、大発明はなかなか生まれません。
 多くの人は「バカなこと」はできません。特に長年、常識に囚われてきた人にとっては、常識を越えること、常識を破ることは、難しいものです。しかし、子どもたちは、簡単に「バカなこと」をします。大人が「バカなこと」と止めてしまうのは、独創性を摘み取るのではないでしょうか。道徳でおこなっているような多様な考えを、周囲の人が受け入れる姿勢が必要でしょう。
 アップル社のMacやiPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、2005年6月、スタンフォード大学卒業式辞で
 stay hungry, stay foolish
といいました。有名な言葉ですが、再度見ていきましょう。
 「be hungry, be  foolish」ではありませんでした。beではなく、stayを使ったところが重要でしょう。beとは「そうあること」を意味しますが、stayとは「あり続ける」こと、その状態を維持してくことを意味します。hungryであり、foolishであり続けろといったのです。上で述べたこと「バカなこと」をするのと同じ趣旨だと思います。
 「バカなこと」をしたり受け入れるのは、「アブダクションの訓練」ではないかと思います。科学では帰納法と演繹法を使うのですが、アブダクション(abduction)とは、多くの人が実際にはおこなっているのですが、あまり定式がされず、意識していないものです。
 帰納法とは、多くの事実から法則性を見出すことです。その法則は多数の事実から創造的に見出される独創性のあるものです。しかし、法則性は与えられた事実の範囲から導かれたもので、その事実の範囲外に適用できるかどうかはわかりません。ですから、帰納法から生まれる法則性は、あくまでも仮説になります。仮説がどこまで適用できるのかは、演繹法で調べることになります。このようは仮説の検証過程を「仮説演繹法」と読んでいます。
 適用範囲内では法則性は大いに利用することができます。法則を知っていれば、演繹でいろいろと応用できることになります。このような帰納法と演繹法、両者をつなぐ仮説演繹法は、科学ではごく普通に利用されています。
 演繹を繰り返しても、仮説の適用範囲を広げたり、適用範囲を限定したりすることはできますが、新しい仮説を生み出すことはできません。演繹には創造性が内在されていません。
 では、仮説を思いつく方法が必要になります。それが、アブダクションです。アブダクションとは、いくつかの事実(ときには事実がなくても)から、自由に、法則性を推測していきます。事実や根拠がなくてもいいのです。とにかくなんらかの仮説(作業仮説)を発想していきます。その作業仮説は、演繹で検証したり否定すること、否定されたら再度アブダクションを繰り返せはいいのです。
 アブダクションは考える方法なので、小さなものから、大きなもの、常識的なものから非常識なものまで、いろいろなものがあります。アブダクションは、人のもっとも重要な能力である独創性に直結しているものです。できれば、大きな独創性をもったものが有用です。大きなアブダクションは、「バカなこと」の中にあるのではないでしょうか。素晴らしものを生み出してきたジョブスは、それを大学の卒業生に伝えたかったのではないでしょうか。

・祝賀会・
3月になりました。
2月中旬から三寒四温として
暖かい日もありました。
温かい日には雪解けも進んできます。
大学や学校は、卒業の季節になります。
今年からは、学位記授与式とともに
祝賀会も飲食はできませんが、実施されます。
久しぶりの復活する祝賀会となります。
飲食ができないのは残念ですが。

・愛媛のサバティカル・
今年の3月は、いろいろな意味での区切りとなります。
4月からは四国愛媛県に
半年間のサバティカルがはじまります。
今年の4年生が最後のゼミ学生となります。
そのことは学生には伝えています。
コロナ禍のもとで付き合いとなってしまいした。
そんな時代なので、残念ですが、
致し方ないことです。
過去より未来を見ていきましょう。
愛媛での生活にワクワクしていきましょう。

2023年2月1日水曜日

253 論理と実用の狭間

 火成岩の成因に関する因果関係をみてきます。研究では、論理的には正しさが保証されない方法が使われています。マグマだけでなく、自然科学のすべてで起こっていることです。実用を重視しているためです。


 岩石には火成岩と堆積岩、変成岩があるというのは、学校で教わるので、覚えている方も多いでしょう。岩石が3つに分けられているのは、それぞれの起源が異なっているためです。どれほど見かけが似ていても、起源が違えば異なった分類の岩石になります。
 今回は火成岩を題材にします。火成岩とはマグマから形成されたものです。それは事実と多く人が理解しています。例えば、活動している火山で、マグマが流れ出ているのを、映像や画像で見たことがあるでしょう。マグマの存在は、多くの人は知っています。ただし、マグマを調べるのは、危険なのでできません。特別な火山(マグマが定常的に流れてて近づけるところ)で、特別な装備をつけた(耐熱防火服)火山学者が調べることはありますが、一般的にはマグマを直接調べることはできません。
 マグマが固り冷めるのを待てば、火成岩として採取することができます。マグマが固まった火成岩なら、安全に手入できます。マグマと火成岩は対応しているので、火成岩を用いればマグマを調べることになります。
 では、もう少し話を進めていきましょう。マグマは、どうしてできるのでしょうか。
 地下深部で、地球の営みで変動する場所があります。例えば、プレートが沈み込むところやプレート同士がぶつかるところ、プレートが割れて新しいプレートが形成されるところなどが、変動する場となります。そのような場では、通常とは異なった条件(高温、高圧や成分が添加による融点降下など)が現れて、岩石が溶けることがあり、それがマグマとなります。
 溶融条件が継続すれば、マグマがたまっていきます。マグマは、まわりの固体の岩石より体積も大きくなります。膨張で、まわりの岩石(壁岩といいます)に圧力を加え、割れ目をつくっていきます。マグマは周りの岩石より密度も小さいので、浮力が働きます。その結果、マグマは上にできた割れ目にそって上昇していきます。
 上昇していくにつれて、周りの岩石の温度は低くなっていきます。上昇とともにマグマは冷却し、マグマの中で結晶(鉱物)が形成されていきます。温度圧力条件とマグマの組成に応じて、結晶ができるのですが、最初はひとつの種類の結晶ですが、温度が下がるとともに複数の結晶が同時にでてきます。またひとつ結晶で組成が変化すること(固溶体と呼ばれます)もあります。
 マグマの温度低下と形成される結晶の種類や組成の関係は、かなり解明されてきました。例えば、実験室で、岩石を高温高圧状態にして溶かし(マグマの状態)、それを冷却することで、どのような種類の結晶や化学組成になるかを調べる溶融実験があります。化学反応の平衡関係を利用して結晶化の条件を調べることもできます。
 マグマを直接調べることができなくても、これらの方法であれば、多様な火成岩とマグマの関係を調べることができます。つまり、火成岩からマグマがどのような条件でできたのか、を調べることができるようになります。
 さらに話を進めていくこと、火成岩の形成時代がわかれば、その時代のマグマを調べたことになり、時代ごとに火成岩の特徴の変化があれば、火成岩からマグマの時代変化を知ることもできます。
 ここまで述べてきた話には、地質学者が通常に研究している方法です。筋道の通った話に見えますが、考え方や論理にいくつかの飛躍があります。
 まず最初の段階です。時間の流れでみると、マグマ→火成岩の形成順となります。火山で流れたマグマからできた火成岩を採取して調べるということは、時間の流れに沿っています。実際に流れたマグマが固まった火成岩を採取して調べるということ、因果関係がはっきりしたものでした。
 このようないくつかの事例(事実、証拠)から、マグマ→火成岩の因果関係を帰納したことになります。帰納した因果関係に基づいて、火成岩からマグマを調べていくことになります。
 マグマと火成岩の因果関係がはっきりしているものは問題がないのですが、すべてのマグマ→火成岩という関係があるとみなし、火成岩からマグマの性質を調べました。因果関係があるという前提で話を進めてきました。これは確かなでしょうか。
 いくつか事例から帰納した規則性を一般則としました。これは科学ではよく用いられる方法です。そこから、火成岩からマグマを調べるというとき、マグマ→火成岩という一般則を、火成岩→マグマと因果関係を逆にして演繹して利用していることになります。ここには論理に飛躍があります。この因果関係の逆転に問題はないのでしょうか。
 実はこれらは自然科学が潜在的にもっている問題で、解決できないものだとわかっています。帰納には新しい法則を見出す創造性があります。演繹には帰納された法則の適用なので新しいことは生まれませんが、法則の正しさを検証できます。自然界での帰納法は、すべての事例を当たって例外がないことを確認しないと一般則にはできません。法則を演繹ですべての事象で検証するのは、自然界では不可能になります。ここに帰納と演繹の限界があります。
 次にマグマの形成過程についですが、マグマの形成から上昇、火成岩の結晶の過程は、複雑ですが、すべて科学的な必然性はあり、シミュレーションや実験などで起こりそうなことは示されています。自然現象を帰納して一般化して、それを別の場や時代に演繹することを斉一説といいます。斉一説は正しいのでしょうか。
 ある火成岩において、そのような過程が、過去のある場所で起こったと考えていることになります。自然に流れる時間は、エントロピー増大の法則があり、逆転することはできません。エントロピーとは熱力学的に定義される値(熱力学第二法則)ですが、「乱雑さ」とも呼ばれます。時間が経過するとエントロピーも増加していくことから、「時間の不可逆性」を熱力学的に示すものです。すべての自然現象はエントロピーが増加するので、過去に遡ることは、異なった条件を前提とすることになります。つまり、同じ成因で、同じように見える火成岩であっても、時期や時代が異なれば、「似ている」だけであって「同一」ではないことになります。
 科学者は、このような適用限界があるのはわかっています。だからといって、科学を止ることはできません。帰納法と演繹法を用いて、過去に斉一説を適用して現在の科学は進められています。自然科学は実用性を重視します。そこが論理性を重視する数学や論理学とは異なる点でしょう。本来なら論理的に成立しない論理や方法は使えないのですが、実用上、誤差や問題が生じない限り使っていこうという立場です。
 科学者は、論理的には保証されない方法論を用いているという意識を常にもっているべきです。自然現象やえられた事実に謙虚であるべきですね。たとえそれがこれまでの法則に反するものであっても。

・追試・
1月で後期の講義が終わりましたが、
大雪のため、公共の交通機関が大きく乱れました。
定期試験が受けられない学生が多く出てきました。
試験当日の朝、私宛に30通ほどのメールで
大学に行けないという連絡がありました。
大学事務の電話も鳴りっぱなしだったそうです。
これは、追試対象となるので、
多数の追試受験者がありそうなので、
急遽、試験問題を変更することにしました。
成績提出の期限は変更できないので、
来週、一杯、忙しくなりそうです。

・引っ越し・
4月以降、サバティカルで四国に
半年間滞在することになります。
そのために探してもらっていた住居が見つかりました。
住所が決まったので引越し業者を当たったのですが
予約がすでに一杯で
予定通りには引っ越しができないといわれました。
交渉して、なんとか予定通りに
引っ越しをすることができるようになりました。
非常に焦りましたが、調整できて助かりました。
事務的な手続きも、まだ問題が残っています。
順番に対処していかなければなりません。
初めてのことには苦労がつきまといます。

2023年1月1日日曜日

252 可知・不可知の不思議

  明けましておめでとうございます。今回のエッセイは、地質哲学をより深く考えるための指針について考えていきます。南方熊楠の思索が重要な指針になるのではないかと考えています。


 大学教員として残された在籍期間が、あと2年3ヶ月となりました。今年4月からはサバティカル(研究休暇)で、12年ぶりに愛媛県西予市に半年間滞在します。サバティカルの期間の研究計画は申請時に立てています。校務から開放された期間でもあるので、地質哲学として、より深い思索をしていこうとも考えています。その時の指針になるものとして、南方熊楠の思考が参考になるはずです。
 熊楠は、哲学的思索を論文や書籍でまとめたわけでありません。その思索は、土宜法龍(どきほうりゅう 1854 - 1923)との交換書簡で残されています。現在までに発見されている書簡の総数は152通。その内訳は南方から土宜に宛てたものが73通で、残りが土宜からの書簡です。ただし、これらが書簡のすべてではなく、未発見のものがあることも判明しています。
 土宜は、真言宗を代表する僧侶で、高野山の管長も努めました。1893年の万国宗教会議に日本代表のひとりとして参加しています。その時、ロンドンを訪れ南方熊楠と会い、気投合しました。帰国後も30年間にわたって親交が続きますが、その多くは書簡によるものでした。国内では一度しか顔を合わせていません。その時にも面白いエピソードがあるのですが、別の機会としましょう。
 熊楠にはいくつかの重要な思索があるのですが、ここでは可知・不可知、不思議の見方について概観していきます。このような視座は、科学がなにをどこまで解明できるかにも示唆を与えてくれそうです。
 1893年の書簡内の「事の学」、1897年の「金剛の相承」(このエッセイ独自の名称です)、そして1903年の「南方曼荼羅」について見ていきます。それぞれ象徴的な図があるので、よく取り上げられている思索です。
 まずは「事の学」です。現代の自然科学が物の世界を研究し、物同士の関わりの因果を追求してきました。そこには「心」は介在させませんでした。客観性を担保するためでした。ところが、「事の学」とは、心(精神、心理)の世界と物(物質・現実)の世界との関わりについて考えています。「心界と物界とが相接して、日常あらわる」ものを「事」と呼んでいます。両者が交わると「事」ができ、そこには「因果」があるとしています。熊楠のいう因果は、物同士の因果より、心も関係するもっと大きなものと捉えています。
 「金剛の相承」については、釈迦の悟りについての議論となっています。修行により金剛(真実の知恵で堅固で壊れないもの)を悟った時、その理解した内容を言語したものを真言といいます。真言は、悟った人の理解によるものなので、それぞれ独自の内容になり、その表現の仕方も独自のものになります。したがって釈迦も悟りも釈迦独自の真言となります。
 その説明として、2つの図が並べて示されています。ひとつ目の図は、網の目に直線が交っている交点に数字(1~7)やアルファベット(a~d)が書かれています。この世には大本の真理の体系(金剛)が存在し、それが複雑で多義的であるとき(網の目で表記)、人によって理解したこと(真言)は同じではなく、説明をするときもそれぞれの人固有に言語化されたものになるため、多様な表現(相承)となります。このようなものを、ここのエッセイでは「真言の相承」と呼ぶことにしましょう。
 手紙では、「網の目のごとく、二集まって一となり、一散じて二となるように二倍ずつのものとせる」と多様化していくと書いています。ひとつ目の図の横にも図があり、たんぽぽの綿毛のようなものが3つほど書かれています。「レースをあんだように、百集まりて一となり、また分かれて百となる」と非常に多様な(相承)もの(真言)として表現されていくと、熊楠は書いています。
 さらに、「骨髄は同一でも、方便、軌範等の末事はちがうなり」として、悟りも時代変化があると説明しています。時間経過によって、「c d の外物と混和雑揉せる」ために起こり、「1、2、3と年代もかわり、また後になるほど外物外境の関係もかかわるゆえ」、時代によって「真言の相承」も変化していくといいます。
 「真言の相承」の説明は、複雑な自然現象を考える時にも相通じます。自然現象は未だに全貌を知り得ない「金剛」のもとに営まれているように見えます。研究者によって自然現象の見方、捉え方が異なってきます。そのため、説明の仕方も異なっていきます。見方や説明の仕方の違いは、時代の知識体系、パラダイムなど(外物と混和雑揉)により変化するという意味に捉えることができます。
 自然界の金剛の全体像をどのように捉えればいいのでしょうか。「南方曼荼羅」が参考になります。この曼荼羅図の解釈には「不思議」という言葉が使われています。不思議とは、まだ言葉化できていないことです。
 本来、曼荼羅とは、思想の本質を図化したものです。真ん中に主たる仏を示し、周りに他の仏を配置した、対称性をもった幾何学的にきれいに配置された図です。ところが、熊楠の手紙では、曲がりくねった線が多数描かれています。従来の曼荼羅とは、南方曼荼羅は明らかに異なった独自のものです。
 この世の不思議は「その数無尽なり」で、3次元体に広がっていて、「前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す」としています。不思議には、事不思議、物不思議、心不思議、理不思議、そして大不思議があるといいます。心不思議は心理学が、科学は物不思議を解明しています。物不思議と心不思議が交わり事不思議となります。「物心事の上に理不思議がある」とし、物心事の不思議は、これらは理(すじみち)不思議となっていき、やがて「必ず人智にてしりうるもの」としています。
 「どこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをも見出だし、いかなることをもなしうる」ことを意味しているといいます。この図では、多数の線が交わったところを「萃点(すいてん)」と呼び、そこは「いろいろの理を見出だすに易くしてはやい」ところとしています。そこを手がかりに理不思議は調べていけるというわけです。
 南方曼荼羅では、曲がりくねった線の集まりの上に、二本の線が描かれています。近い方の線は、曲がりくねった線と2点で接しており、「人間の今日の推理の及ぶべき事理の一切の境の中で(中略)かすかに触れおるのみ」ですが、この接点が線(理不思議)を探究する手がかりとなるため、「やがてしりうるもの」となります。理不思議な可知の範囲になりうるということです。
 さらに外の線は、「可知の理の外」になり、それが「大不思議」だとしています。大不思議は大日如来に属するもので、別格の不思議だとしています。
 なかなか興味深い思索です。これが、書簡の中で、それも熊楠独自の書かれ方をしているため、難しい表現になっています。知り得たもの(もちろん全てではない)と、知り得ないものを、どう整理していくかについて体系的に示されています。それは密教に中に見いだせると熊楠は述べています。すでに先人が、このような知的探究を深くおこなっていることに驚かされます。
 そのような知恵、思考方法を科学にどう落とし込んでいくかを、サバティカルから今年の1年で考えていくことを、目標としようと考えています。

・南方曼荼羅・
以前、南方熊楠顕彰館を訪れた時、
南方曼荼羅を3D化して
ガラスの中にレーザーで描いた置物が
販売されていました。
線は前後左右上下に広がるといっています。
文字は書かれていませんが、
萃点は示されていました。
萃点の重要性は鶴見和子さんが、
熊楠の思考の重要性は中沢新一さんが
再発見してきました。
その象徴として
南方曼荼羅が有名な図となりました。

・歳のはじめに・
新しい年を迎えました。
年末になると、その年1年間のことを
いろいろと振り返ってしまいます。
そして、新年になると、どうような目標をたてようか
コロナ、政治、社会の状況など
新たな1年を思い描いてしまいます。
4月からはサバティカルがあるので
その時の思索の方針も考えてしまいました。
その思考経過が、このエッセイとなりました。