2023年1月1日日曜日

252 可知・不可知の不思議

  明けましておめでとうございます。今回のエッセイは、地質哲学をより深く考えるための指針について考えていきます。南方熊楠の思索が重要な指針になるのではないかと考えています。


 大学教員として残された在籍期間が、あと2年3ヶ月となりました。今年4月からはサバティカル(研究休暇)で、12年ぶりに愛媛県西予市に半年間滞在します。サバティカルの期間の研究計画は申請時に立てています。校務から開放された期間でもあるので、地質哲学として、より深い思索をしていこうとも考えています。その時の指針になるものとして、南方熊楠の思考が参考になるはずです。
 熊楠は、哲学的思索を論文や書籍でまとめたわけでありません。その思索は、土宜法龍(どきほうりゅう 1854 - 1923)との交換書簡で残されています。現在までに発見されている書簡の総数は152通。その内訳は南方から土宜に宛てたものが73通で、残りが土宜からの書簡です。ただし、これらが書簡のすべてではなく、未発見のものがあることも判明しています。
 土宜は、真言宗を代表する僧侶で、高野山の管長も努めました。1893年の万国宗教会議に日本代表のひとりとして参加しています。その時、ロンドンを訪れ南方熊楠と会い、気投合しました。帰国後も30年間にわたって親交が続きますが、その多くは書簡によるものでした。国内では一度しか顔を合わせていません。その時にも面白いエピソードがあるのですが、別の機会としましょう。
 熊楠にはいくつかの重要な思索があるのですが、ここでは可知・不可知、不思議の見方について概観していきます。このような視座は、科学がなにをどこまで解明できるかにも示唆を与えてくれそうです。
 1893年の書簡内の「事の学」、1897年の「金剛の相承」(このエッセイ独自の名称です)、そして1903年の「南方曼荼羅」について見ていきます。それぞれ象徴的な図があるので、よく取り上げられている思索です。
 まずは「事の学」です。現代の自然科学が物の世界を研究し、物同士の関わりの因果を追求してきました。そこには「心」は介在させませんでした。客観性を担保するためでした。ところが、「事の学」とは、心(精神、心理)の世界と物(物質・現実)の世界との関わりについて考えています。「心界と物界とが相接して、日常あらわる」ものを「事」と呼んでいます。両者が交わると「事」ができ、そこには「因果」があるとしています。熊楠のいう因果は、物同士の因果より、心も関係するもっと大きなものと捉えています。
 「金剛の相承」については、釈迦の悟りについての議論となっています。修行により金剛(真実の知恵で堅固で壊れないもの)を悟った時、その理解した内容を言語したものを真言といいます。真言は、悟った人の理解によるものなので、それぞれ独自の内容になり、その表現の仕方も独自のものになります。したがって釈迦も悟りも釈迦独自の真言となります。
 その説明として、2つの図が並べて示されています。ひとつ目の図は、網の目に直線が交っている交点に数字(1~7)やアルファベット(a~d)が書かれています。この世には大本の真理の体系(金剛)が存在し、それが複雑で多義的であるとき(網の目で表記)、人によって理解したこと(真言)は同じではなく、説明をするときもそれぞれの人固有に言語化されたものになるため、多様な表現(相承)となります。このようなものを、ここのエッセイでは「真言の相承」と呼ぶことにしましょう。
 手紙では、「網の目のごとく、二集まって一となり、一散じて二となるように二倍ずつのものとせる」と多様化していくと書いています。ひとつ目の図の横にも図があり、たんぽぽの綿毛のようなものが3つほど書かれています。「レースをあんだように、百集まりて一となり、また分かれて百となる」と非常に多様な(相承)もの(真言)として表現されていくと、熊楠は書いています。
 さらに、「骨髄は同一でも、方便、軌範等の末事はちがうなり」として、悟りも時代変化があると説明しています。時間経過によって、「c d の外物と混和雑揉せる」ために起こり、「1、2、3と年代もかわり、また後になるほど外物外境の関係もかかわるゆえ」、時代によって「真言の相承」も変化していくといいます。
 「真言の相承」の説明は、複雑な自然現象を考える時にも相通じます。自然現象は未だに全貌を知り得ない「金剛」のもとに営まれているように見えます。研究者によって自然現象の見方、捉え方が異なってきます。そのため、説明の仕方も異なっていきます。見方や説明の仕方の違いは、時代の知識体系、パラダイムなど(外物と混和雑揉)により変化するという意味に捉えることができます。
 自然界の金剛の全体像をどのように捉えればいいのでしょうか。「南方曼荼羅」が参考になります。この曼荼羅図の解釈には「不思議」という言葉が使われています。不思議とは、まだ言葉化できていないことです。
 本来、曼荼羅とは、思想の本質を図化したものです。真ん中に主たる仏を示し、周りに他の仏を配置した、対称性をもった幾何学的にきれいに配置された図です。ところが、熊楠の手紙では、曲がりくねった線が多数描かれています。従来の曼荼羅とは、南方曼荼羅は明らかに異なった独自のものです。
 この世の不思議は「その数無尽なり」で、3次元体に広がっていて、「前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す」としています。不思議には、事不思議、物不思議、心不思議、理不思議、そして大不思議があるといいます。心不思議は心理学が、科学は物不思議を解明しています。物不思議と心不思議が交わり事不思議となります。「物心事の上に理不思議がある」とし、物心事の不思議は、これらは理(すじみち)不思議となっていき、やがて「必ず人智にてしりうるもの」としています。
 「どこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをも見出だし、いかなることをもなしうる」ことを意味しているといいます。この図では、多数の線が交わったところを「萃点(すいてん)」と呼び、そこは「いろいろの理を見出だすに易くしてはやい」ところとしています。そこを手がかりに理不思議は調べていけるというわけです。
 南方曼荼羅では、曲がりくねった線の集まりの上に、二本の線が描かれています。近い方の線は、曲がりくねった線と2点で接しており、「人間の今日の推理の及ぶべき事理の一切の境の中で(中略)かすかに触れおるのみ」ですが、この接点が線(理不思議)を探究する手がかりとなるため、「やがてしりうるもの」となります。理不思議な可知の範囲になりうるということです。
 さらに外の線は、「可知の理の外」になり、それが「大不思議」だとしています。大不思議は大日如来に属するもので、別格の不思議だとしています。
 なかなか興味深い思索です。これが、書簡の中で、それも熊楠独自の書かれ方をしているため、難しい表現になっています。知り得たもの(もちろん全てではない)と、知り得ないものを、どう整理していくかについて体系的に示されています。それは密教に中に見いだせると熊楠は述べています。すでに先人が、このような知的探究を深くおこなっていることに驚かされます。
 そのような知恵、思考方法を科学にどう落とし込んでいくかを、サバティカルから今年の1年で考えていくことを、目標としようと考えています。

・南方曼荼羅・
以前、南方熊楠顕彰館を訪れた時、
南方曼荼羅を3D化して
ガラスの中にレーザーで描いた置物が
販売されていました。
線は前後左右上下に広がるといっています。
文字は書かれていませんが、
萃点は示されていました。
萃点の重要性は鶴見和子さんが、
熊楠の思考の重要性は中沢新一さんが
再発見してきました。
その象徴として
南方曼荼羅が有名な図となりました。

・歳のはじめに・
新しい年を迎えました。
年末になると、その年1年間のことを
いろいろと振り返ってしまいます。
そして、新年になると、どうような目標をたてようか
コロナ、政治、社会の状況など
新たな1年を思い描いてしまいます。
4月からはサバティカルがあるので
その時の思索の方針も考えてしまいました。
その思考経過が、このエッセイとなりました。