2001年10月23日火曜日

special3 分類と類型(2001年10月23日)

 分類と類型とは、似たような言葉です。原意は、似たものかもしれませんが、ここでは、こう定義しましょう。分類とは、個々の性質をまず調べ、その性質から似ているものを分けること。類型とは、型や性質なんでもいいから似ているところに基づいて分ける。その違いは、分類は個々の性質を基にするが、類型は共通項を優先して考えることである、とします。だから、分類には、根拠があり、そのグループ分けは、根拠を変えれば、変更可能です。一方、類型化は、類似性がまずあり、そこから、そのグループの性質を考えることができます。
 岩石の区分は、分類と類型の両方が可能です。一番基本となるのは、分類です。その分類とは、成因に基づいたものです。つまり、ある石の原料がどのように変化してできたものかを、区分の基準としたものです。成因に基づいて岩石を分類すると、堆積岩(たいせきがん)、火成岩(かせきがん)、変成岩(へんせいがん)の3種になります。
 堆積岩とは、土砂が海底にたまって、圧密によって固化した岩石です。火成岩とは、深部で形成されたマグマが、地中もしくは地表で、冷却により固化した岩石です。変成岩とは、その岩種を問わず、地下で高温か高圧あるいは高温高圧にさらされ、溶けることなく固体のまま他の結晶へと変化し、別の岩石になったものです。
 それぞれの岩石は、素材、形成環境、形成場、温度条件、圧力条件などが違います。堆積岩の素材は土砂、火成岩はマグマ、変成岩は種類を問わない岩石となります。堆積岩の形成環境は圧密による固化、火成岩は冷却による固化、変成岩は温度圧力による再結晶化となります。堆積岩の形成場は海底、火成岩は場所は問わない、変成岩は地中のみとなります。堆積岩の温度条件は低温、火成岩は高温、変成岩は低温から岩石が溶けないまでの高温となります。堆積岩の圧力条件は低圧、火成岩は圧力は問わない、変成岩は低圧から岩石が溶けない程度の高圧となります。
 このように3種は、基本的な性質の違いがあり、分類されています。どんなに見かけが似通っていても、堆積岩、火成岩、変成岩とはそのような基本的性質が違うので、同一視はできません。このように分類とは、現実的に岩石の分類ができるかどうかは別にして、その分類の意味するところは理解できるでしょう。
 ところが、類型となると、その基準は便宜的、恣意的になってしまうことがあります。気をつけないといけないのは、そのような類型化による区分が、恣意的に線を引いて分けたものが、含まれるということです。もともとは隣同士のものが、類型化によって線引きされたために、別の名前がつけられることあります。注意が必要です。
 例えば、玄武岩と安山岩という火成岩があります。その分類の基準は、一番よく使われる基準によれば、珪酸(SiO2)の含有量が、55重量パーセントです。砂岩と泥岩の区分、変成岩の分類など、一個一個の近縁関係はあっても、ある基準で、隣同士のものが別の名前がつけられることがある。これは、類型化です。この類型化による名前が、一人歩きしだすと、そこに問題が生じます。類型化には根拠のない、区分が混じっていることがあります。注意が必要です。
 分類をヒトのレベルに移すと問題が生じます。個々の人に名前を付けるまでは良しとしましょう。でも、その名前の上の統合的にグループ分けをしようとするときに問題が生じます。
 それは、人種差別に通じるところです。どういうことかといいますと、ヒトは、大きく分けても白人、黒人、黄色人種がいます。あるいは、もっと細かく民族レベルまで分けることも可能です。
 このような人種を分類するときには、人種の起源、つまりヒトの進化を考えなければなりません。これら人種のうちどれが進化しているかということを考えることに繋がります。単に進化を調べるだけならいいのですが、よりあとに進化したものほど進歩しているという考えや、その種の方が進んでいるというような考え、つまり「優生学」というべきものが出現してきます。
 「優生学」とは、F. ゴルトンが1883年に提唱した考えです。優生学とは、人類にとって好ましい遺伝子を増加させ、好ましくない遺伝子を減少させるということを研究するような学問でした。その学問によって、好ましくない遺伝子を減少させようという法規(優生法)が各国で施行されたことがあります。ナチスドイツのユダヤ人狩りは、この法律に基づいています。それは、政府が国を挙げて政策として行ったことです。
 このように、ことヒトが絡むと、のろくなことは生じません。でも他の生物に関しては同様のことを無意識にしています。では、ヒトに関する分類も解禁すればよりフェアなのですが、どうでしょうか。
 まあ、非常に難しい問題です。でも、私たちは、分類のようにはっきりと因果を決めずに、単純に相関があるだけで、区分する類型化をよくやります。ときには相関すらないのに、「感じ」だけで類型化の転用をし、それを真実と思ってしまうことがよくあります。
 例えば、血液型や占星術、手相、易などなどの類型化を、多くの人が単純に信じています。占星術はある規則に則って、複雑な類型化をおこないますが、血液型では、経験による「感じ」に頼って、A、B、AB、Oのたった4つに類型化をします。こんなに単純な類型化で人間が理解できれば苦労しません。
 あるいは肩書きによる類型化、宗教による類型化、言葉、国による類型化、ファッション、髪の色、年齢による類型化、などなど、いつもどこかで類型化をしています。こんなに簡単に信じていいのでしょうか。多様であるから、人間は複雑で不可解なのです。
 人一人とって見ても、その考え方や行動は、人それぞれです。それに、一人の人でも、心の持ちようによって、考え方や行動は変化していきます。ですから、人の類型化は無駄です。類型化が唯一有効なのは、自分がこうなりたいという理想をイメージするときのパターンとしてでしょう。
 人間は、もっと多様なものです。そして、人間は、「こうなりたい」と思えば、そのように変わることも可能です。外見状の変化はなくても、心は大きく変わっていくことだってあります。人間関係だって同じです。それまで良好な付き合いが、ある日突然、不仲になることだってあります。逆に、不仲が、誤解がとけて良好な関係なることもあります。

・不特定一人のために(Koさんへ)・
 Koさんの書かれるエッセイは、量も多く、なんといっても内容が硬派な感じがします。欧米の知識人が書くようなタイプの科学的文章のような気がします。私もそのようなものを書きたいと望んでいるのですが、なかなか難しいです。でもそのエッセイが、定期的なものから不定期のものになりました。残念だったのですが、それを惜しみながら、メールをやり取りしました。
 Koさんは、「小出さんがおっしゃっていたように、そのときそのときの取り組みを精一杯やっておくべきで、そこから何かが生まれて、さらに発展してゆくのだと思います。人と人とのつながりは絶対に無駄になることはないですし。」「人の心は生き物なので、変化していきますが、それにともなってネットワークも変化してゆくかもしれません。でも、つながったまま変化してゆく。ネットワークも生きていますね。生きている心やネットワークは思い通りにならないこともありますが、その分思いがけない変化をして発展してゆくかもしれませんね。それがまた面白かったりして。」とおっしゃいました。
 それに対して、私は、「そうですよね、だから、多くの人の声が私の活動の支えとなっているのです。だから、私は、一人に向けても可能限り時間をかけて説明することにしています。心に感じるところがありました。」
と答えました。
 このようなメール交換のあと、私は、メールマガジンを、不特定一人のために出すことにしました。その結果の一つが「地球のつぶやき」でもあるのです。そして、頂いたメールに大しても、そのつもりで対応しています。

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・メールマガジンを始めた訳(またまたKoさんへ)・
 Koさんとのメール交換で、「心」に関する話題になりました。「心」の問題が、私がこの「地球のささやき」と「地球のつぶやき」なdのメールマガジンを始めたきっかけとなっています。そのきっかけを話しましょう。以下、そのメールの転載。
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 博物館に勤務する学芸員として、どうせ伝えるなら、一人でも多くの人がわかるように、と考えてしまう癖は、一種の職業病かもしれません。でも、このような形態になった、一番の原因は、懇意しているプロバイダーへのボランティア活動に、このエッセイが端を発しているせいでもあります。
 私は、インターネットを利用して、科学教育の新しい方法論を目指して、さまざまな実験的取り組みをしています。このプロジェクトに賛同してくれて、ボランティアとしてサーバーや技術を提供してくれているプロバイダーがあります。「Te」という小田原の小さな会社ですが、心意気があり、私たちのプロジェクトに「心に感じるもの」があり、ボランティアとして協力してくれています。このような協力関係も、今年で3年半になります。
 去年、そのプロバイダーが自分たちの会社のある商店街の町おこしとして、インターネットによる広告をしようと考えました。その一環として、メールマガジンも発行して、最初は、無料ですべて行うが、ゆくゆくは有料化も考えようというものでした。そのメールマガジンは、地域情報を発信をするのですが、それだけではつまらないかもしれないので、連載記事として私が「地球のささやき」を書くことを提案しました。
 ホームページは、私が製作、管理することと、そのメールマガジンには、私のエッセイの200字程度の要約だけが載り、ホームページにリンクをはり、本文はホームページで読むこと、などを最初に決めました。彼らは地域の文化レベルをあげるために、会社として無料で努力をしているわけです。われわれに対して行ってくれた無私の心が、ここでも発揮されたのです。このような「無私の心」に対して、私も「無私の心」で、「地球のささやき」を始めました。
 それから、200字の要約だけではもったいないので、メールマガジンとして発行するを、私から申し出たら、快く了承してくださいました。それが、この「地球のささやき」のメールマガジンの発行の経緯です。
 その後、私は、メンバーの1人で、視覚障害の人で、やっとインターネットに接続でき、メールの交換もできるようになった方がいました。9月の研究会の会合で、その話がわかったときに、私と視覚障害者の方の2人で、ゆくゆく公開することを前提で、メールを交換しようということを話しました。そして、去年のやはり9月から始めました。それは、「Dialog」というホームページとして公開し、その後2月下旬にメールマガジン「Dialog」として週刊として発行を続けています。
 また、メンバーの1人に、国文学の大学4年生の人がいます。彼女は、我々と活動するようになって、地質学や自然科学の面白さに目覚めつつあります。私は、科学が芸術的側面を持つべきだという持論を持っています。ですから、そのようなScience&Artを、彼女が実践してくれないかと考えています。そして、彼女とも今年の2月ころからメールを交換を始め、「Metamorphic」いうホームページを公開しています。これから、何かほかの公開方式がないか、これから、2人でゆっくりと考えていきたいと思っています。
 このように、私はこの1年間で、心を交わすネットワークのようなものの必要性と、その実践をおこなってきました。これらの結果がどうなるかわかりませんが、しばらく続けていくつもりです。そして、このような実践から何か、今までにないものが私の心の中に生まれないかと期待しているのですが、それは、望みすぎですかね。
 ところで、実は、一般ルートのメールマガジンではなく、私的なメールマガジンとして、自分の書きたいことを、読んでくれる人にだけに、配ろうかと考えています。これは公開ではなく、半公開で、「地球のささやき」の購読者のなかで、希望者にだけ送るものです。特別号としてスタートしますが、そこで、少し実験的にやってみたいと考えています。Koさんがおっしゃる「地質学という分野も、渋くて、落ち着いていて、味わい深いです。」そんな面やハードな内容、あるいは心の問題、魂の問題など、「地球のささやき」で取り上げにくい内容を、発信できるマガジンとなればと考えています。今のところは、少数のためにメールマガジンとして、さきほど出てきたTeというプロバイダーが提供するメーリングリスト機能の特殊な使い方として、メールマガジン的に使うことができます。その機能を使って、100名まで限定ですが、メールマガジンを発送しようと考えています。
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以上です。