2011年9月1日木曜日

116 崇高なる深みを目指して

 今回のエッセイは、前身から数えてちょうど10年目にあたります。10年というのは、10進法で数るえから意義があるのであって、他の進法では、全く意味を成さないものでしょう。でも私たちは10進法を採用しているので、10年目はひとつの区切りになります。10年目を迎えるにあたって、このエッセイの目指すものを再確認しておきます。こんな区切りの利用は行こうではないでしょうか。

 スティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould、1941年9月10日生まれ)は、月刊「Natural History」誌にエッセイ"This View Of Life"(1974年1月からスタート)を連載していました。グールドのエッセイは、発刊から25年目の2001年1月に300回(10冊のエッセイ集になっている)の最終回を迎えました。
 その最後のエッセイが掲載された待望の翻訳「ぼくは上陸している:進化をめぐる旅の始まりの終わり」の上下巻が、2011年8月15日に発行されました。これで、グールドのエッセイ集は、10冊に達しました。8月初旬に発刊のアナウンスを聞いたので、早速予約しました。オリジナル版のエッセイ集は、2002年に発行されています。それが約10年の期間を経て、やっと日本語で読めるようになりました。手元に届いたので、さっそくいつもの長い「はじめに」を読みました。すると「はじめに」のはじめに、「はじめにの前置き」がありました。
 現在、感慨深く、この本を読み始めました。まずは1章だけ「ぼくは上陸している」を読みました。一気に読むのがもったいなくて、じっくりと時間をかけて味わいながら読んでいこうと決めています。もう、グールドの著作は、これ以上増えそうもないからです。以下で、グールドとこのエッセイの関係について述べて、志を新たにしたいと思っています。
 2001年は、9.11の事件が起こった年としてアメリカ合衆国だけでなく世界中の人にとって重要な意味があるはずです。9.11はテロでしたが、グールドにとっては、2001年は別の意味がありました。彼の祖先が移民としてアメリカに上陸したのが1901年でした。ですから祖先がアメリカに移民してきて、ちょうど100年目にあたる年でした。さらに9.11は、移民当時14歳の祖父が、英文法の教科書に最初に書き込んだ言葉が「1901年9月11日、ぼくは上陸している」(I have landed. Sept. 11th 1901)というものでした。その100年後、同じ日に、9.11が起こました。また、孫のグールドが、25年間続けてきたエッセイの300号、最終号のタイトルを「ぼくは上陸している」(2001年1月号)にしました。そしてエッセイ集も同じタイトルでした。
 300、100、25などというキリの良い数字は、10進法を採用しているためであって、7進法や11進法を採用していたら、半端な数字になっていたことでしょう。また年月の符合も偶然でしょう。しかし、多くの人は、キリの良い数字を何らかのきっかけにするのは、よくあることでけっして悪いことではないでしょう。ですから、私もグールドのキリの良い数字にあやかって、この文章を書くことにしました。
 さて、このエッセイ「地球のつぶやき」は、今回で116号となります。2002年2月7日が第1号の発刊ですから、9年6ヶ月が経過したことになり、キリの悪い数字です。でも、私にとっては、あるキリのよい数字になるのです。
 「地球のつぶやき」が月刊メールマガジンとしてスタートしたのは2002年ですが、2001年9月20日から発行していた非公開のエッセイがありました。それがこのエッセイの前身となります。非公開だったのは、限定100名(当時使用していたプロバイダーのメールマガジンの機能が100名まででした)に対して、特別に書いたエッセイを発行していました。2000年9月20日から発行しはじめた週刊「地球のささやき」の読者向けのものでした。メールを下さった方に対する私の感謝の気持ちとして始めたものでした。「地球のつぶやき」は、不定期の発行でしたが、7号まで発行しました。半年後の2002年2月からは、月刊として公開の場で発行してきました。そして現在に至っています。ちなみに、それらのバックナンバーは、ホームページで見ることができます。
 ですから、2011年9月は、エッセイ「地球のつぶやき」がスタートして10周年にあたります。そんなとき、グールドの最後のエッセイ集の翻訳版が、出版されました。
 週刊「地球のささやき」は、地質学のトッピクスを短かい文章(原稿用紙2、3枚程度)でわかりやすく紹介することが目的でした。一方、「地球のつぶやき」は、グールドの連載エッセイを多分に意識してました。グールドは私が尊敬する科学者です。幸いなことに、彼は地質学者(古生物学や進化生物学を専門としている)であったので、彼の書く題材は、私にとっても身近なものが多々ありました。しかし、その内容は高度で、地質学の範疇を越えた非常に広い教養、博識の上に成り立っているものでした。「地球のつぶやき」では、グールドにはおよばないまでも、グールドを目標にして、少々長め(原稿用紙10数枚程度)で、地質学のテーマを少々掘り下げたものを書くことにしていました。グールドを目指して。
 2002年、10冊目のエッセイ集と共に、グールドのライフワークともいえる「進化理論の構造(The Structure of Evolutionary Theroy)」が同時に発行されました。原書で1500ページにもなる大著でした。さすがグールドです。このようなライフワークが、私に書けるのでしょうか。私のライフワークの目標だけはできています。
 何度か書いたことがあるのですが、つぎのような経緯でライフワークの目標はできました。私は、大学と研究所から地質学で研究者人生をスタートしました。博物館では、地質学に加えて科学教育へも興味をもちました。
 博物館時代、父の死を契機にして、理性と感性の兼ね合い、自分にとって仕事や研究とはなにか、などなど、いろいろなことについて悩み、将来についても考えるようになりました。それは父の残した宿題として深く考えるきっかけになりました。
 その結論の一つとして、自分の理想の研究者像についても考えるようになりました。理想の研究者像として考え至ったのが、三位一体の必要性でした。三位一体とは、一人の研究者に、研究、教育、哲学の3つが融合しながら内包されているのが理想ではないかというものでした。私の場合なら、地質学を中心に、科学的な探求をしながら、そこで得た地質学の知見や素材を科学教育として活用し、地質学が取り扱う特徴的属性を哲学のテーマとして掘り下げ地質哲学としようと考えました。そして、いずれの分野でも一般化できれば、成果(論文)になるではないかと考え実践してきました。非常に大胆で大きなテーマですが、これは自分「ひとり」で行うライフワークと位置づけました。
 そんな思いをもって、2002年4月に、現在の大学に転職しました。大学では地質学と科学教育、特に地質哲学に力をそそぐことになります。世界中で私が考えているような地質哲学をおこなっている先達として、グールドがいました。当然、地質哲学においても、グールドが目標になりました。
 グールドの著作はよく知っていましたが、面識はなかったので、知り合いの先生に紹介を頼もうと思っていました。大学の研究休暇を利用して、あわよくばグールドのところに、1年間滞在させてもらおう考えていました。
 その矢先、2002年5月20日、グールドは脳まで転移した肺線腫によってこの世をさりました。訃報を知った時、私は大きなショックを受けました。手持ちの彼の書籍を整理しました。何度もの引越しで手放したり、博物館の図書館に大量の書籍を寄贈してたので、かなりの著作は欠けていました。改めて買い集めしました。翻訳書がないものは、原書でも集めました。エッセイで翻訳されたものは大部分読んていたのですが、まだ読んでいないものもありました。読んでないエッセイを読み始めました。そして、やはりグールドが偉大であることを再確認しました。
 グールド亡き後、私にとって「地球のつぶやき」のエッセイは、地質哲学のアイディアを展開する上で、非常に重要な場となりました。今では、インターネットのメールマガジンを利用することで、自分のエッセイを発表の場を持つことできます。さらにありがたいことに、メールマガジンの購読者という明確な読者を持つことができます。そんな場や人は、私にとっては、非常に有効なものとなっています。
 私のこの「地球のつぶやき」は、内容も深みも、グールドの足元にも及びません。グールドは、すべての論拠やデータを一次文献にあたっています。そして、「一般向け」でありながら、「専門書でも一般書でも概念上の深みに差があるべきではない」という妥協しない姿勢で、エッセイを書き続けました。それは、崇高なる「深み」のあるエッセイでした。知性に妥協しない姿勢は見習うべきものでした。
 私の「地球のつぶやき」も、それを目指していますが、まだまだ「深み」が足りません。それでもグールドの「深み」を目標として、10年間続けてきました。内容はかなり劣りますが、継続に関しては25分の10にやっと届きました。長ければいいというものではありません。しかし、継続は努力なくしてできません。少なくとも目標に向かって、努力を怠りなくやっているという証にはなるでしょう。グールドまでは、まだまだ先は長いですが、継続もさることながら、よりよき崇高なる「深み」を目指して、心新たにエッセイを続けようと考えています。
 私の歩みはのろいですが、一応進み続けています。「ひとり」ですので何かと大変ですが、苦労も成果もすべて自分のものです。失敗しても誰にも迷惑をかけないという気楽さもあります。そして、なんといっても、誰もいったことない「深み」への興味は尽きません。そんな「深み」が、このエッセイで今後も紹介できればと思っています。

・科学エッセイ・
グールドに考えが至った理由は
エッセイ集の発行の他にもありました。
それは、9月1日おこなわれる2時間ほどの講演会での話しで、
自分の研究を振り返ることにしました。
そのとき、地質哲学を目指した背景には
グールドの一連の著作がありました。
また科学エッセイについては、
アシモフの科学エッセイシリーズ、ガモフ全集、
米山正信の「化学のドレミファ」シリーズ
ロゲルギストの「物理の散歩道
ブルーバックスなどの本
からいろいろと影響を受けました。
本は、重要な影響力があります。
娯楽やスキル養成だけでなく、
時には人生の指針や指南書となます。
癒しや慰めにも、励まし、活力源などにもなります。
本は一生の伴でしょうか。

・グールドの著作・
以下ではグールドの著作をまとめておきます。
・エッセイ集
01 Ever Since Darwin (1977)/ダーウィン以来:進化論への招待 (1984)
02 The Panda's Thumb (1980)/パンダの親指:進化論再考 (1986)
03 Hen's Teeth and Horse's Toes (1983)/ニワトリの歯:進化論の新地平 (1988)
04 The Flamingo's Smile (1985)/フラミンゴの微笑:進化論の現在 (1989)
05 Bully for Brontosaurus (1991)/がんばれカミナリ竜:進化生物学と去りゆく生きものたち (1995)
06 Eight Little Piggies (1993)/八匹の子豚:種の絶滅と進化をめぐる省察 (1996)
07 Dinosaur in a Haystack (1996)/干し草のなかの恐竜:化石証拠と進化論の大展開 (2000)
08 Leonardo's Mountain of Clams and the Diet of Worms: Essays on Natural History (1998)/ダ・ヴィンチの二枚貝:進化論と人文科学のはざまで (2002)
09 The Lying Stones of Marrakech: Penultimate Reflections in Natural History (2000)/マラケシュの贋化石:進化論の回廊をさまよう科学者たち (2005)
10 I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History (2002)/ぼくは上陸している:進化をめぐる旅の始まりの終わり (2011)
・単行本
1 Ontogeny and Phylogeny (1977)/個体発生と系統発生(1998)
2 The Mismeasure of Man (1981)/人間の測りまちがい差別の科学史(1990)
3 Time's Arrow, Time's Cycle: Myth and Metaphor in the Discovery of Geological Time (1987)/時間の矢・時間の環(1987)
4 Urchin in the Storm (1987)/嵐のなかのハリネズミ(1991)
5 Wonderful Life: The Burgess Shale and The Nature of History (1989)/ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (1993)
6 Full House: The Spread of Excellence from Plato to Darwin (1996)/フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (1998)
7 Questioning the Millennium: A Rationalist's Guide to a Precisely Arbitrary Countdown (1997)/暦と数の話 グールド教授の2000年問題 (1998)
8 Rocks of Ages: Science and Religion in the Fullness of Life (1999)/神と科学は共存できるか? (2007)
9 The Structure of Evolutionary Theory (2002) /(邦訳未刊)