2010年5月1日土曜日

100 検証不能の過去を分ける:自然分類

 現在、論文を書いています。生物と石の分類についての論文です。この論文は、実は地層形成についての総説を書き進めていると、内容が多くなってきたので、いくつかのパーツに切り分けていったとき、生じたものです。石の分類と生物の分類は、このエッセイでも何度か取り上げたことがあるのですが、一見全く違った対象であるかに見えます。しかし、両者は同じ自然分類を目指すものです。その先にあるのはやはり人為分類なのです。

 石と生物は、無機物と有機物、生きてないと生きている、硬いと柔らかい、などなど、いくつもの違いを挙げることができます。しかし、分類を考える場合、なんといっても一番の違いは、各分類群に、明瞭な境界があるかどうかです。生物は種という明瞭な境界があるのに対し、石は境界が不明瞭です。
 生物はどんなに姿、形、模様が似ていようが、種が違えば別物(別種)になります。種の判定は、子孫を残せるかどうかで、確実に判別可能です。種こそが、生物における分類のための本質的な属性となります。
 種の判別のための基準(生物の種の定義)はあるのですが、それを適用するのは、栽培種や飼育種でない限りなかなか困難ですから、実際には、形質を利用して区分されていきます。
 生物の種を認定するとき、似た種と詳細に比較して、色や形態(形質といいます)を、顕微鏡をも使って調べていきます。その上で新種という分類が決定されていきます。まあ、これは分類にいたる便宜的な方法として活用されていますが、種は、人間が間違いを犯そうが、どんな分類をしようが、ア・プリオリに(a priori、先験的に)存在するものなのです。生物の分類において、種こそが、本質的属性として着目すべきものです。
 生物の色は、区別はなかなか難しいです。ただ、色だけを手がかりにすることはありませんし、色見本を使えば、なかり細かく識別して客観的な区分は可能です。形態も言葉では表現しづらいですが、スケッチや写真を利用すれば、その特徴を示すことは可能です。
 生物は、できるできないに関わらず、種の判別方法として、子孫を残せるかどうかという決め手があります。どんなに便宜的に形質によって分類しているといっても、定義の上での決め手がありました。本質的属性として種が、そもそも存在しているのです。人間には見分けられないかもしれませんが、同種同士の生物は見分けて、子孫を残しているのですから、種はあるはずです。
 石を分類するとき、一番目に付く特徴である形や色を手がかりにしようとするのは、あまり適切でありません。なぜなら、石の形や色は、形成後、変化してしまうことがあるためです。色や形は簡単に変化してしまい、石の本質的な属性とはいえないからです。分類するのであれば、石の本質を示しているような属性を見つけて、それを手がかりにして分類しなけばなりません。では、石の本質的属性とは、どのようなものでしょうか。
 本質的属性にたどり着くために、重要な属性があります。それは、つくり(組織)とそれを構成している鉱物だとされています。組織と鉱物は、その石がでたときに形成され、そのときのまま状態を保持しているはずです。組織や構成鉱物は、石が割れたり削れても、時間がたっても、もともとの石の部分さえ残っていれば、判別できるからです。これが石の重要な属性であると考えられますので、そこに着目する必要があります。
 石の組織は、言葉での表現は難しいですが、代表的な組織には名称が与えられています。そして、言葉で表現しにくいときは、スケッチや写真で示すことができます。私が学生のころは、1年かけて岩石専用に顕微鏡の使い方を習った後、岩石のスケッチを伴った記載をするための実習講義をいくつか受けました。今はどうなっているのでしょうかね。
 顕微鏡がなくても肉眼でも、鉱物の種類は、ある程度大きなものであれば、判別できます。調査にはルーペを持っていきますから、野外でも代表的な鉱物は、大体判別可能です。もちろんそれなりの訓練と経験は必要ですが。
 石の組織と構成鉱物が判別できれば、石の重要な属性を記述することができ、それに基づいた分類が可能となります。
 この重要な属性に基づいて、石の名前をつけることができます。しかし、詳しく調べれば、石のつくりや鉱物に基づいていても、いろいろな分類が可能なはずです。生物の種のように、石にはたどり着くべき目標地点はあるのでしょうか。それがなかなか難しい問題でもあります。
 大枠の目標はあります。それは、石の起源と形成プロセスに基づいた分類です。
 起源とは、火成岩(深成岩か火山岩か)、変成岩、堆積岩という基本的な石のでき方です。これは、比較的簡単で、だれも理解できる属性で、本質的属性というべきものです。
 さらに、それぞれの起源ごとに、詳細な区分が成されます。そこで注目されるのが、一連の形成プロセスになっているかどうかです。
 この形成プロセスはいろいろな時空規模で考えられます。たとえば、火山を例に取ると、ある火山活動で、一度の噴火で噴出したものかどうかが最小の単位となります。その噴火では、溶岩もあるでしょうし、火山噴出物もあるでしょう。それが一致させることはなかなか困難ですが、起源としてはっきりと時空をもったものであるはずです。次に、一連の火山活動(同じ時期)で噴出したものかどうか。さらに同じ火山体で噴出したものかどうか。同じような活動場(一連の火山列)で形成されたものかどうか。プレートテクトニクスにおいてある時期に一連の形成場(たとえば島弧や中央海嶺、ホットスポットなど)でできたかどうか。
 このような成因的な関連性がある形成プロセスこそが、本質的な属性となります。石の本質的属性で、形成プロセスは、なかなか見分けるのが困難な場合があります。時代が古くなるにしたがって、石からは、それらの情報が消えていき、読み取りづらくなるはずです。もちろん、それを見つけられるかどうは、生物の種と同じで、人間側の問題です。
 生物の種、石の成因と形成プロセスは、いずれも分類のために不可欠な本質的属性です。このような本質的属性は、それぞれのもの(生物と石)がア・プリオリに持っているですから、それに基づいた分類ができれば、人間の恣意が入ることのない「自然分類」といえます。
 でも石では、石の成因と形成プロセスだけでは、あまりに大雑把過ぎる分類であまり区分されたことになりません。同じ区分の中には、見かけの違う石がかなり入っています。それを細分する必要があります。その先は、人為分類となります。もちろん人為分類でも、客観性を持たせるために、定義を明確にして、だれでも再現して、適用できればいいのです。
 生物の場合は、種を階層化するときに問題が生じます。種は似た形態や遺伝子などの分子化学的データで、その類似関係を調べることができます。それらを近縁なものをグループ化して、種の上位の階層をつくり上げていきます。種の上の属から、科、目、綱、門、界、ドメインという階層のピラミッドが形成されています。
 それらの階層は、「進化」という形成プロセスによってつくられたきたと考えられています。しかし、それが問題なのです。生物の進化はあったのでしょうが、それを種の分類のときのように、決定づけるための方法論が用意されていないのです。階層化の定義も定かではありません。もちろん、階層化したときのデータと方法論はあります。そのデータと方法論が、進化を意味するという保障はないのです。
 過去に進化は確かに起こったのでしょう。しかし、それを検証する手がかりは、不完全です。それは石の形成プロセスを考えるときのハンディと同じものです。過ぎ去った時間という不可避の検証不能のハンディです。自然分類を目指して行われているはずの階層の体系化は、実は人為分類の可能性を秘めています。
 生物と石の分類について考えながら、私は、悩み多きゴールデンウィークにを過ごしそうです。

・定住者の視線・
愛媛にきて早、1月が過ぎました。
生活にもなれ、日常生活のパターンもできてきました。
なんといっても研究三昧の生活が送れる幸せを感じています。
そして、1年に渡って地域の祭やイベントを味わうことができます。
それは、観光客の視点ではなく、
定住者の視線で味わうことができます。
それも楽しみの一つになってきました。
都会では忘れられてしまった
風習、信仰などが、この地には息づいています。
それは、観光用ではなく、
実用物として今なお利用されているものがたくさんあります。
そんな人々にまじって生活しています。

・ものにすること・
論文は書いているのですが、
なかなか完成に至りません。
文章量は日々増えています。
頭も一杯使っています。
知的刺激に富んだ日々を過ごしています。
それをなんとかものにすること(論文化)が
当面のそして一番重要な目標です。
そして5月からは地質調査も進めていきます。