似ている似ていないや、同じ違うなどは、当たり前に判断しています。そのため、あまり考えることなく判断しているのではないでしょうか。もしかすると、間違った使い方をしているかもしれません。
私たちは、ついつい人と比べてしまいます。自分より優れている人がいるとがっくりしたり、劣っている点がある人を見て自尊心を増したりすることもあります。本来は、他人と自分とは、個性も能力も育った環境も異なっているので、同じ条件で比べていないことも多いでしょう。本来なら同じ条件で比べるのが前提となるはずです。
そなんことはお構いなし比べてしまいます。人間の感覚(視覚や聴覚、味覚、嗅覚など)は、違いや似ているところを検出するのに優れています。その能力を活かそうとしているのか、それとも比べたいという本能があるため、能力が発達したのか、わかりませんが、私たちは比べてしまいます。
いくつかのものの間で、似ているところを探す行為は、類比(類推、アナロジー、analogy)といい、違うところを見出すのは、対比(対照、コントラスト、contrast)といいます。
類比は、帰納法の一種としてはじめます。例えば、石ころAとBがあるとしましょう。両者にいくつも似た特徴があれば、「同一」(A=B)という仮定ができます。次に、AとBで、「同一」という前提のもとで、もっと多数の特徴を比べていくと、演繹となります。AとBの特徴の集合間の比較となっています。
集合間の比較において、「同一」の特徴が多くなってくと、「同一」が真の可能性が高くなります。両集合の共通部分が広くなっていきます。しかし、どんなに共通する特徴を多数の挙げても、「同一」ということになりません。もし、AとBの特徴に、重要な違いがひとつもで見つかったら「同一」の仮説は崩れます。
これの類比は、多数の事例(個別命題)から、ある抽象(帰納)された概念(普遍命題)を定義していくことなるのですが、蓋然性は高まっていくのですが、必然性は生まれません。これは、自然界に帰納法を適用するとき起こる、論理的弱点である枚挙的帰納法になっているからです。
もうひとつ別の例を出しましょう。いろいろな泥岩や砂岩を集めていき、それら共通する特徴から、堆積岩の特徴を探していくことにします。これは、泥岩や砂岩の多数の事例を含んだ集合間の類比から、それらを含んだより広い集合、上位概念となる堆積岩を、帰納的に定義していくことになります。
泥岩や砂岩を集めて、それが堆積岩に含まれるかどうかを演繹的に検証していくこともできます。ただし、これはあまり意味がありません。なぜなら、泥岩も砂岩も、堆積岩の集合内にあるからです。一方逆の場合は真とはいえません。堆積岩の集合に含まれていても、泥岩や砂岩の集合には属さないもの、例えば礫岩など、が見つかることがあります。
ここまでわかりやすい例を出しましたが、未知のもの、未定義のものでの類比では、集合から外れるものを意識的に比較の対象にしていく必要があります。なかなか思いつきにくいことですが。これは対偶による検証、あるいは背理法に属する考え方になります。
対比では、相違点に着目していきます。2つのもので、違っている点を見つけていきますが、その前提として似ているところがあるもの間で比べていくことになります。似ているもの同士で、相違点を見つけていきます。対比にもいくつかの方法があります。
堆積岩という類似性をもった分類群の中で、泥岩や砂岩、礫岩などの相違を調べていきます。この方法では、ひとつの集合内(堆積岩)の対比で、部分集合の区分していくことが可能となります。
別の例も出しましょう。火成岩には、玄武岩、安山岩、流紋岩という区分がされています。これらの違いが、どのような成因に由来しているのかを、対比から探っていくことにも利用できます。ひとつの集合内で、部分集合ができる原因を追及していくことができます。
ひとつの大きな集合内での細分化となります。便利ではあるのですが、詳しく対比していくと、多数の区分が可能になるはずなので、どこまで区分していくのか、あるいはどこで区分をやめるのかが難しくなります。一つの集合内、つまり普遍命題の中で、小さな普遍命題に区分していく方法となります。
さらに対比には、もう一つの考え方があります。似ているが異なっているものを用いて、その違いが正当であることを示していきます。例えば、堆積岩を考えている時、礫岩と見かけの似た岩石として粒の粗い花崗岩と比べていきます。この対比では、両者は粒が粗いという類似点があるのですが、なぜ礫岩は堆積岩で、花崗岩は火成岩に区分されるのかを考えると、堆積岩と火成岩の成因の違いにたどり着きます。これは、堆積岩という集合の特徴を、異なった集合と対比していくことになります。
少々複雑な内容になりましたが、集合のオイラー図やベン図を書いてみるとわかりやすくなるでしょう。
当たり前に使っている似ている(類比)や、違っている(対比)について考えてきました。それぞれをよく見ていくと、いろいろな意味合いや使用法の違いがあることがわかります。もしかすると、間違った使い方をしていることもあるかもしれません。
・挨拶・
いよいよ3月になりました。
この時期には、大学の行事がいろいろあり
私にとっては退職のための手続きも続きます。
まずは、集中講義が週明けからはじまります。
その後、学位記授与式、送別会、
離任式など次々とあります。
まあ、永く勤めたので、
それぞれの場でお別れの挨拶をすることになります。
・ついつい比べてしまう・
小・中学校の時代は、同じ時期に、同じ地域で、
同じ年齢の児童生徒として机を並べているので、
かなり条件が揃ってきます。
試験の点数や通知表などの評価、
入試による入学した学校のランクなど、
比べる条件も客観性をもつものもあります。
しかし、それは一側面での評価の比較に過ぎません。
厳密に比べるには
難しい条件があるはずなのですが、
ついつい比較してしまいます。