日本人は、暮れから正月にかけて、多くの人が恒例の年中行事となっている習慣がいくつもあります。そこには、日本に固有の信仰と呼ぶべきものがあります。それは、他国にはみられない、特徴的な宗教観となっているようです。
明けましておめでとうございます。日本では、多くの人が、大晦日には、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞き、気の早い人は、除夜の鐘の直後に、初詣に出かけるのでしょう。元旦の朝には、家族が集まり新年の挨拶をし、雑煮を食べて祝います。年長者が年少者にお年玉をあげ、届いた年賀状を読んだりします。
最近は薄れているかもしれませんが、これが日本の年末年始の習慣といえそうです。それぞれの行事を信仰としてみると、除夜の鐘はお寺で鳴らし、初詣は神社へ、正月の挨拶は家族の和、序列の重視や恭順、先祖への敬意は儒教など、さまざまなものがあります。
日本では、年中行事やひとりの精神的背景の中に、仏教、神道、そして儒教という信仰が混在し、それぞれを時と場合に応じて使い分けています。それに加えて、クリスマスやハロウィーンなどキリスト教の行事もおこなっています洗礼を受けていないのに、教会で結婚式を上げることもあります。熱心な信者からみると、このようないろいろな信仰が混在した宗教観に混乱を覚えるでしょう。しかし、日本では、家族、コミュニティ、社会、そしてメディアも、年中行事を、その背景にある信仰にまで考えが及ぶことなく、不思議とは思わず受け入れています。
西洋には、ユダヤ教、キリスト教やイスラーム教などの一神教が、多くの信者を集めています。古代ギリシアの宗教やヒンドゥー教などは、多神教として、インドからアジアに多くの信者がいます。仏教(上座部)や道教は、神に概念のない非神論的宗教となりますが、東アジアに広がっています。日本には、神道という古来からある土着の信仰があります。人間関係や社会秩序のための倫理や思想として儒教があり、中国から韓国、日本にも信仰されています。
このような日本の宗教的な背景をもった習慣が気になったのは、科学と宗教の関係について、最近は研究で進めているためです。日本の習慣と信仰について少し考えていきましょう。
研究者も人間なので、日常生活や家族、地域やコミュニティ、国、民族との社会との関係の影響、生まれ育ち、その地域の文化、受けた教育などの影響を色濃く受けます。その影響は、研究者という人間にも反映されているはずです。科学的方法論に則っている研究活動にも、多かれ少なかれ影響があるはずです。研究の遂行や成果、そのアウトプットに、宗教的タブーになるもの、自身の人間関係や文化、そして信仰を否定することになった時、どう振る舞うのでしょうか。
欧米では、科学は宇宙や地球の創成、生命の起源、生物の進化など、地質学と生物学の成果では、特にキリスト教とは反する成果を出してきました。そんな時、研究者も、個人のレベルでも、学界や研究者階層のレベルでも、信仰と向き合うことになりました。その向き合い方は、宗教組織が社会における力関係などに応じて、変化してきました。この状況を、現在、まとめています。
今後、日本や日本人の精神や文化、信仰への特殊性に考察を進めていくつもりです。その時、多くの日本人の信仰あるいは倫理の基盤が、神道、儒教と仏教にあるので、その影響は一神教のキリスト教社会とは明らかに異なったものになっていくと予想されます。
日本では、「儒仏道三教一致」もといわれ、役割分担しながら、重なり合いながら存在していることが前提となっています。その上で、それぞれ信仰を概観していきましょう。
神道は、特定の開祖はなく、明文化された教典や倫理体系もありません。日本固有の古代から自然発生的に形成されたもので、自然との調和や秩序、先祖や土地との結び付きを重視しています。ほかの地域にもあるような自然崇拝といえる思想とも共通しています。日本の神道では、清浄と穢れなどの概念が生まれました。加えて、現世の人間関係(家族と社会など)の共同体への安定も重視していきます。初詣だけでなく、誕生、成人、季節行事や収穫祭など、多くの日本人の生活習慣の中に組み込まれた信仰となっています。
儒教は、中国(紀元前6~5世紀)で孔子が創始しました。日本には仏教と同時期に伝わり、古くから導入されていました。特に江戸時代には、朱子学が幕府の官学となり武士道精神や、陽明学として幕末の志士の精神的な支えとなりました。儒教は、宗教ではなく倫理観を重視し、そして政治哲学、社会秩序に関する思想体系となります。現世での人間関係と社会の調和を重視し、徳を身につけた「君子」になることを理想としています。学問や礼儀の実践を重視しています。神道や仏教と対立することはなく、補完する関係となっています。
仏教は、インド(紀元前6~5世紀)の釈迦が開祖で、6世紀に朝鮮半島(百済)から伝わった外来の宗教ですが、現在の日本の文化に深く結びついています。死や苦(四諦:苦・集・滅・道)からの解放のために、戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)や修行をすることで、悟りに到達すること(解脱)を目指します。煩悩や輪廻転生からの解脱を目指す実践的哲学体系でもありますが、現在の日本では、死から救済、死生観などを提供していくことで、日本の文化に深く定着しています。仏教には、創造神はない(無神論的)のですが、仏や多数の菩薩、あるいは解脱した人を信仰の対象とする宗教となります。
神道は自然の中に八百万の神が存在し、仏教も多神教で、儒教は倫理観を重視しているため、いずれもゆるい信仰や信心となっています。それらが混淆し漠然と一体感をもった日本固有の宗教観を醸造しています。そんなことを感じています。
・年始には・
一富士二鷹三茄子がいいとされ、
かつては、枕の下に宝船の絵を
入れたりしていました。
現在はこんな風習は
ほとんどしなくなったでしょう。
暮れには年賀状を書いて送りました。
若い世代には、年賀状を送り合う習慣も
ほとんどなくなってきているようです。
時代は変化していきます。
年賀状だけでなく、手紙も
メールやSNSに代替されてきました。
便利さもありますが、
心や精神性が減ってきたように思います。
これは年寄の愚痴でしょうか。
・時代の趨勢・
私は大学からずっと親元を離れていましたが
特別な用事がない限り、
正月には帰省していました。
年末には恒例として次男が帰省してきます。
長男は夏にフェスを見るために8月に帰省しますが、
正月には帰省しなくなっています。
北海道という遠隔地でもあるのでしょうが
新しい時代の趨勢なのでしょう。
ですから、今回のエッセイの議論が理解してもらえるのは
私たちの世代だけなのかもしれませんね。