2017年11月1日水曜日

190 すべてのわざには時がある

 日々の多忙さに初心を忘れてしまいそうな時、多すぎる選択肢に悩むような時が多々あります。それらを個別に考えるより、自身の方針に基いてパッと決めてしまっていることが、私にはよくあります。それ名言に託すことができます。

 私は常々、心がけていることがあります。当たり前のことかもしれませんが、仕事は優先度に基いて進めることです。忙しくなればなるほど、雑多なことが次々と押し寄せてきて、それをこなすことに埋没してしまって、本来自身がしたいことを忘れてしまうことがあります。そんなとき、優先度の高いものから、済ませていくことです。同じようなことを述べている著名な研究者がいます。生物学者でノーベル賞受賞した利根川進さんが、
   選択するということは優先度をつけることであり、
   エネルギーの分散を極力避けることである
といっています。
 ここ数年、役職についてから校務が忙しくなり、この心がけどおり進めることが、非常に重要になってきています。校務を最短時間ですませることによって、自分の研究時間をなんとか確保できるようになります。そのかわり、細切れの空き時間でも、研究や論文執筆をしなければなりません。
 長い間このような心がけを継続していると、それが習い性になってしまい、意識することさえなくなっていきます。それぞれのことがらの判断より、手帳には優先度をつけることが当たり前になっています。以前の自分の仕事の仕方と比べると、使える時間が一杯あったなあ、としみじみと思ってしまうこともあります。
 でも私には、研究することが一番の望みであり、現在の職場に来たのも、それを実現するためであったのです。そんな初心を忙しさのあまり忘れてしまいそうです。日々の限られた時間を精一杯生きていなかければならないのです。ガンジーは、
   明日死ぬかのように生きよ。
   永遠に生きるかのように学べ。
と、述べています。同感です。
 私の研究の仕方は、大学にいるときと野外調査では、だいぶ違っています。大学では、野外調査で収集したデータ整理や解析、先行研究を学びながら、考えること(思索)が重要になっています。その思索の過程や結果を、論文としてまとめていくことが、現在の主な手法となっています。ですから、以前は頭を研究モードにして時間をかけなければ、深く考えることができませんでした。しかし、頭の切り替えさえできれば、細切れの時間でも研究を進めることができるはずです。忙しくなってきてからは、隙間時間でも思索を深めることできるようになってきました。
 野外調査ではどうでしょうか。一つの地域を長期に渡って調査を続けるという手法は取らなくなりました。それでも、年に少なくとも一度、できれば二度は、野外調査に出るようにしています。それを実行するために学内の研究費を獲得することで、少々忙しくても「行かなければならない」という必然的状況を生み出すようにしてます。研究費が当たらなければ、別の研究費や自費でも野外調査に出るようにしています。
 野外調査では、研究テーマの展開に合わせて、観察や検証できそうな地質体を定め、典型的な地層やできれば露頭が出る地点を先行研究から定め、じっくりと観察することにしています。現在は、層状チャートが調査の対象となっています。時代や地質区分の違うものや、重要な証拠がでた地層や露出などを探し求めて調査します。そして望みの、あるいは理想の露頭が見つかれば、そこを心ゆくまで観察します。重要な露頭だとわかった時は、同じ調査期間で日にちを変えて見に行ったり、別の時期に再訪したりします。
 そんな露頭は、お気に入りになり、何かの機会があれば、あるいは機会を作ってでも、何度も訪れることになります。このようは研究スタイルをとるようになって、各地にそんなお気に入り露頭がいくつもできてきました。
 お気に入り露頭は、アプローチのいいところもあるのですが、アプローチの大変なところもあります。天気のいい時、潮を引いている時など、時期や時間帯を狙って行かなければならないところもでてきます。もちろんいつでもOKのところあります。でも初めて行くときは、そのような条件もわからないところも多く、行ってみてはじめて、最適条件が分かるところもあります。
 私が野外調査をしている時の考え方は、旧約聖書の「コヘレトの言葉」に、
   天が下のすべての事には季節があり、
   すべてのわざには時がある
という言葉のとおりだということに気づきました。「コヘレトの言葉」には、他にも「石を集めるに時があり」や「捜すに時があり」などと、28の場面での「時」が示されています。この文章を読んで、野外調査をしている時に自分の心持ちにピッタリだと思える名句が、いくつも見つかったのです。これを野外調査の時の、座右の銘になると考えました。
 こちらが準備をしていけば、「時」への対応が可能なものもあります。例えば干満であれば、あらかじめ潮位表などを調べていけば、干潮時に訪れることも可能です。またその日の天候に左右されるところなら、予備日を設けておけば、対応可能になるわけです。今まで、そのようにして野外調査をしてきました。
 それでも想定外があります。台風などで長い期間、海が荒れることもあります。そんなあっさりと諦めることにしています。「捜すに時があり」です。別の機会に再度行けばいいのです。そんな気持ちにさせるほどの露頭かどうかが問題です。
 たまたま行ったところが、すばらしい露頭であったこともあります。あるいは、以前にも来ていたのですが、目的が違うので別の見方をしていて、興味がわかなかったところです。ところが、別の目的でいったら、その素晴らしさを感じた露頭もあります。「石を集めるに時があり」だったのでしょう。でも、苦労の末たどり着いた露頭が素晴らしいものであったときは、その感動もひとしおのものとなり、お気に入りになります。
 お気に入り露頭で、何度も行きたいと思っているもの、あるいはチャレンジしたものがいくつもあり、中には、一度しか行けてないところ、二度しか行けてないところなど、思いのつのる露頭もあります。「すべてのわざには時がある」と思い、次の機会にかけることにしています。
 野外調査は自然が相手です。自然に対しては、「すべてのわざには時がある」として、あるがままを受け入れる素直な気持ちになれます。机の前はでは、カリカリと優先度に基いて時間を惜しみながら研究をしているのですが、野外では大らかな気持ちで自然に対応しています。今の私はそんな両極端に見える気持ちで、忙しさで挫けそうな心のバランスを保っているのかもしれません。
 座右の銘とは、自分がものごとを考える時、自分の考えの指針としたり、戒めとする言葉です。現在の私の座右の銘は、「優先度」と「すべてのわざには時がある」になっています。

・含蓄を感じる言葉・
「コヘレトの言葉」は旧約聖書の一部あるものです。
名言が多い書だとされています。
宗教色を抜く聖書や仏教の経典には、
日常生活に十分使える名言があります。
私のような不可知論者にも、
この文章は含蓄を感じます。

・台風22号・
ジェット気流が北に上がっているので、
台風の経路が遅い時期まで
日本を通過しているようです。
先日は、温帯低気圧になった台風22号の影響で、
北海道も大荒れになりました。
雨はそれほど激しくはなかったのですが、
風が強くて、雨まじりの嵐で大変でした。
いつもの通り、大学に歩いてきましたが、
通勤時にも荒れていたので、
ズボンがぐっしょりと濡れました。
遅い時期の嵐に翻弄されてました。