2026年4月1日水曜日

292 無限への挑戦

 いいことでも悪いことも、印象に強く残ったものは、記憶されやすくなります。日々の出来事が、記憶に残らなくなりました。年齢とともに、物忘れが激しくなってきています。人間の記憶について考えました。


 妻との会話で、過去の思い出話しが、お互いに何度も繰り返しされています。いったん長期記憶におさまった思い出は、忘れることはないようです。そして、話すことでさらに記憶が定着していきます。
 年齢とともに、最近のことや、日々当たり前にしていることほど、記憶に残らず、忘れていきます。そして問題は、重要なことも、長期記憶になることが少なくなり、すぐに忘れてしまうようになってきました。記憶力の衰えは、老化なのでしょうか。
 さて、話題は変わります。科学には帰納法と演繹法という考え方があります。帰納法は、データを集め、そこから一般則を導き出していきます。演繹法は、未知の現象に法則を適用していくことで、その法則に則った現象か、それ以外の因果によるものか、あるいは法則を検証していくことができます。
 両方法には、それぞれに特徴があります。帰納法には、新たな法則を見つけられる創造性があります。演繹法は、法則の検証でき、因果関係を確定でます。利点だけでなく、弱点もあります。帰納法では、法則を導き出したデータの範囲では、法則の確かさが保証されていますが、範囲外では確かさは不明で検証されていません。演繹法では、法則がすでに存在していなければならず、法則が存在しないときは使い道がありません。そのため創造性や新規性がありません。
 それぞれ単独で用いるには、問題がありそうです。そこで、両者を組み合わせて、帰納法で法則(仮説)を導き、演繹法でその法則を検証するという「仮説演繹法」が用いられています。現在の自然科学では、すべて研究において、仮説演繹法が用いられています。自然科学で新しい仮説を提唱するとき、あるいは仮説の検証をするとき、この手法を用いないものは、科学論文としては、問題があることになります。
 では、仮説演繹法には、問題がないのでしょうか。実は、上記に示した帰納法と演繹法の弱点が、克服されたわけではありません。ですから、論理的正当性は保証されていません。
 仮説を演繹法で検証する時、検証できる範囲は、自ずから限定されています。可能な限り範囲を広げようとしても、装置や測定の限界、データ収集の範囲などには、限界があります。また、地球内であればデータや資料が収集でき、検証可能ですが、地球外、あるいは過去や一度限りの事象などになると、証拠をすべて入手することは不可能になります。そのため、仮説演繹法を用いた規則性、あるいはすべての自然科学の結果は、「仮説」の域は越えられないことになります。なぜなら、自然界ではデータが入手できるの範囲が有限で、「すべて」を調べることが不可能だからです。自然界は「無限」なのに、人間あるいは科学は、有限の中でしか営めないからです。
 広い視点で考えると、科学の方法論の限界とは、「無限」を相手にして、法則を「普遍化」していこうしている点でしょう。「普遍化」とは、すべてに対して適用できることを保証しているのですが、「無限」を相手にすべてを検証できないかたです。科学において、「無限」は不可知領域に存在しているといえます。
 話を人間の記憶に戻していきましょう。人間は、脳内で記憶をしてきます。記憶のメカニズムはかなり明らかになっており、情報を記憶(銘記)し、保持(維持)し、想起(思い出す)するというプロセスがあり、海馬が情報の重要性を仕分けし、大脳皮質へ長期的に保存していくことになります。神経細胞の結合(シナプスと呼ばれます)で、情報の伝達効率を高めたり(強化)、結合の数を変化させたりすることで、脳内に情報を定着させることで記憶されていきます。
 脳のサイズ、あるいは細胞、シナプスは有限なので、人間の記憶には限界があるはずです。しかし、シナプスの結び付きで記憶されていくのなら、数は有限でも、組み合わせは膨大な量なので、無限と呼べないでしょうか。さらに、シナプスの組み合わせだけでなく、結合にも26の異なった強さがあり、その変化も記憶に反映してできることがわかってきたので、ますます記憶量は増えていくことになります。そうではあっても、シナプスの数が有限であれば、組み合わせも有限でなので、記憶量も有限となるはずです。
 記憶の謎を考える時、いつもひとりの人間を思い浮かべてしまいます。キム・ピーク(Kim Peek、1951 - 2009)です。キムは、人類の記憶の限界を限りなく広いことを教えてくれた人です。
 キムは、1歳半のころから、読み聞かされた本を、暗記できたそうです。字が自力で読めるようになると、1ページを10秒ほどで、完全に記憶できました。直観像、あるいは写真記憶とも呼ばれている能力です。キムは、ほぼ毎日の午後を図書館で過ごし、ありとあらゆる本を見て覚えていきました。45歳頃の時には、12,000冊の本を記憶していました。
 単に覚えるだけでなく、その情報を検索し、自由に組み合わせて、答えることができました。尋ねると、記憶の連想が止まることなく、語りは永遠と続いていったようです。
 キムは、サバンあるいはスーパー・サバンとも呼ばれています。キムは会話でのコミュニケーションは可能ですが、行動や会話のコントロールがうまくいかず、能力を実験的に調べることも難しかったようです。
 キムの能力は、広く知られていて、脳の検査をうけて、脳が平均よりも30%ほど大きいのですが、左右の脳半球を繋ぐ脳梁と前後の交連がなく、小脳にも障害のあることがわかりました。脳の神経繊維レベルでは、連携があることがわかっています。脳梁がないことから、左右の脳が連携をとりずらいので、別々に機能していると想定されています。
 テレビ番組で茂木健一郎氏が、キムを訪問し、インタヴューしているものを見たことがありました。お父さんが、ひとつの図書館の本は覚えてしまったので、別の図書館に通いだしたといったのを覚えています。映画「レインマン」で、ダスティン・ホフマン演じるレイモンド・バビットのモデルにもなっていました。
 キムは、日常生活にも支援が必要で、父が補助していました。2009年12月19日、心臓発作のため58歳で死去したましたが、父の方が長生きだったので、最後まで支援をうけることができました。58歳の短い人生だったのですが、少なくとも、人間の脳には、図書館がまるごとはいるくらの記憶容量があることが示してくれました。現在のコンピュータがもっている記憶容量や検索能力を凌駕するほどの機能が、脳にあること、そしてそれはまだだれも満杯にできず、使い切っていないことを、キムは示してくれました。
 もし、キムがもっと長生きしていたら、彼の記憶能力、記憶の検索、連携、あるいは記憶量などはどのように変化したのでしょうか。老化と記憶の関係もわかったのかもしれません。

・努力すること・
人間の記憶は、不思議です。
私たち夫婦は、記憶ができなくなり、
物忘れが多くなったと嘆いています。
しかし、記憶する努力を継続すると、
高齢になっても記憶力が維持できるということを
渡部昇一氏がエッセイで書いていました。
渡部氏は80歳を越えても、
記憶することを実践されていました。
記憶する努力することが、重要なのでしょう。
容量は十分あるはずなので。

・新年度・
新年度がはじまりました。
4月が年度のはじまりの季節ということを、
退職とともに薄れてきていきます。
今年度も、大学で非常勤講師をしていくので、
年度のはじまりは、かろうじて感じています。
非常勤講師の仕事がなくなると、
年中行事が少なくなりそうです。
そうなると季節感が薄れないか心配です。