明けまして、おめでとうございます。今年も引き続き「Terra Incognita 地球のつぶやき」をよろしくお願いします。2009年最初のエッセイとして、ついついやってしまいがちな物言いについて考えていきます。これは自戒の意味をこめて書いています。
誰もが思い当たると思いますが、「近頃の若い者は・・・」とか「自分の若いときは・・・」という物言いをすることがよくあります。そのような物言いは、年齢を経ると共に多くなっていくように思えます。しかし、よくよく思い返してみると、年をとってから、そのような物言いをしはじめたのではなく、ずっと以前からやっていることのような気がします。
現役の大学生との会話の中で、大学生からも、「最近の小学生は・・・」や「自分が子供のころは・・・」という物言いを聞くことがあります。自分もたぶん大学生のころも、同じような物言いをしていたのでしょう。ですから、ある程度年齢を経ると、人はだれでもこのような物言いをしてしまうものなのかもしれません。ただ、年齢と共にそのような物言いの頻度は確実に増えている気がしますが。
さて、「近頃の若い者は・・・」という物言いの問題点は、経験や年齢という年少の者には決して勝ちようがない土俵で、美化した自分自身の記憶と比べています。このような比較は、身勝手なもので、卑怯な手法ではないでしょうか。これを議論の手段とするのは、公正ではありません。
「自分の若いときは・・・」という物言いは、身勝手な比較になることも多いのですが、別の場面で使われることもあります。自分を貶めて語る場合です。たとえば、「私も若い頃はこんな失敗をよくしたんですよ」とか、「私も若い頃は、無茶なことを・・・」とか「私は若い頃はバカで・・・」などと、自分の失敗例を出して語ることがあります。本音では、粗暴やバカだと思っているわけではなく、そのような物言いで、自分も「そんな弱点をもっていた人間」ということを表出しているのではないでしょうか。
過去の自分自身を出して自虐的に、誰にもなじみやすい一般論を述べる方法です。でも、自分を本当に卑下しているわけではなく、話を聞いてもらいやすくするという無意識の配慮でしょう。そのような物言いに文句のつけようがありません。もし文句を言うと、相手の昔の所業を責めることになりますし、自虐的な物言いを否定しても険があるだけです。
このような本音とは違う物言いをして場面がよくありそうです。言葉のあやで、本音は別にあるというといってしまえばそれまでです。しかし、そのような物言いもほどほどにしておかないと、時には本音を忘れ、間違った物言いだけが残っていくこともあります。
今回の議論は、このような物言いとは逆で、もともとは別の意味だったものが、無意識に本音に近い物言いになってしまう場合の話しです。そのような変移する物言いに含まれる本質について考えていきます。
科学の世界で、意味がすり替わった例を紹介しましょう。
生物学では、「進化」は重要な概念です。生物学者の大部分は、進化が自然界で起こっていると考えています。もちろん科学者でない市民も、生物の進化を知っています。しかし、巷間では、進化という言葉は生物界の変化だけでなく、いろいろなものの変化に対して適用されています。文明の『進化』、コンピュータ技術の『進化』、宇宙の『進化』、革新的『進化』、などなど、例を挙げればきりがありません。
本来、生物学における進化という述語は、一般に使われているものとは違った意味合いで使われます。進化という言葉は、もともとは生物学から転用されたはずです。しかし、進化が使われている場面は、もともとの意味とは違ったものになっています。生物学者も、同様の間違いを犯していることがあります。
進化とは、英語でevolutionです。もともとはラテン語「evolutio」から由来する言葉で、「(巻物などを)開くこと」という意味でした。そこから、英語のevolutionでは、「(劇などの)時間的な展開」という意味に使われるようになりました。ですから、もともとは、現在の「進化」という意味合いはありませんでした。
ダーウィンは、「種の起源」の中で、「evolution」という言葉を、最初は使っていませんでした。彼が「進化」の意味合いで使ったのは、「descent with modification」という言葉です。「descent」とは、「家系、系図、血統」とか「世襲、相続」という意味です。ですから、「descent with modification」とは、「変化を伴う系統」という意味となります。翻訳としては、「変化を伴う継承」が使われることが多いようです。
ダーウィンが「evolution」という言葉を使わなかったのは、ホムンクルス説というものがあり、そこから派生したの前成説の中で使われていたからです。
「ホムンクルス説」とはもともと、錬金術の一種で、人工生命体を作る方法があるという考えです。その概念を、生物学が、「前成説」の一部として用いていました。「前成説」とは、精子(あるいは卵)の中にヒトの形をした「ホムンクルス」がすでに入っていて、それが成長してしていくのが生物の誕生であるとするものです。そして成長した個体の精子や卵子にはホムンクルスがいる、という生命が入れ子状になっている考え方です。「evolution」とは、生命とは、精子の中の小人が入れ子状に、次々と世代交代していくという意味の言葉だったようです。
ダーウィンは、「前成説」で使われていた言葉を、「種の起源」で使うという発想にはならなかったのでしょう。
ダーウィンが「種の起源」の中で語った「descent with modification」、つまり「進化」とは、個体の変化がどのように蓄積し継承されていくかということです。「進化」の原因を、「自然選択」だと考えました。
ここで注意が必要なのですが、個体は適応も進化もしません。ただ、自然選択されることで、生き延びやすい個体と生き延びにくい個体が生じるだけです。また、種は淘汰や競争をしません。生き延びた個体の変化が継承されていき、それが新たな種へと導きます。
「evolution」という言葉を、現代風の使い方で世間に広めたのは、社会学者のスペンサーです。スペンサーは、「社会はどんどん複雑なものになる」という考え方で「evolution」という言葉を使いました。そこには、明らかに進化が進歩や発展という意味を持っていました。現代よく使われている『進化』と同じ意味です。
「survival of the fittest」(適者生存)や「struggle for existence」(生存競争、生存闘争)という用語も、スペンサーが用いたものです。ダーウィンは、「種の起源」の後の版で、「自然淘汰」より「生存競争」の方が、「正確な表現」で、「時には同じくらい便利」としています。しかし、スペンサーが用いた「evolution」という言葉には、当初、抵抗を示していました。それは、生物の「進化」には、「進歩」という意味合いはまったく含まれているないはずなので、ふさわしくない用語だからです。
一方、当時のキリスト教的世界では、ヒトは、神に似せてつくられた生き物で、他の種に比べて、もっとも『進化』した種という位置づけでした。この考えは、キリスト教を信じる限り、無意識に受け入れられていた考え方です。ダーウィンの時代の科学者も、ヒトは万物の霊長であると考え、ヒトはその生物種より『進化』していると考えていました。この考えは今も、私たちには心地よい響きを持っています。そして実際、スペンサー流の『進化』は、現在も広く流布しています。
ヒトは他のどの生物より、高度で進歩しているという考えは、ヒトという種にとって、都合のよいものです。多く人は意識せず、「進化」を進歩しているという意味で使います。科学者でも、意識しないときは、「進化」と進歩を区別せず使ってしまうことがあります。
ある時代の社会背景は、すべての思考に影響を与えます。この背景からは、科学者でも、逃れることができません。その背景から逃れるためには、常識に対して強い問題意識を持ちつづけないとなりません。私は、大学で、「生物学で使われる進化には進歩という意味ない」と講義しています。でも、気を許すとついつい背景に飲み込まれます。もともとの定義を知っていて、定義に反する術語の使用は、重要な間違を犯しているわけです。教える立場で、たとえ無意識であろうと誤用するのは、講義で悪癖を流布させていることになります。注意が必要です。生物学を専門にしていない先生の物言いの中に、進化ということばが、進歩という意味合いで使われていることがよく見受けられます。
科学の世界でもこのようなことがおこるのですから、普段使いの語り口におておや、です。無意識に本来の意味からずれてしまうことがよく起こります。気をつけないと、そんな繰り返しが、ずれたままの使用を定着させてしまいます。まして、それが本音に近いずれであったりすると、ますますその傾向は強くなるはずです。
最初に示した例のように、勝ちようがない比較での非難や自虐的な物言いなどは、結局は、自分の本音を棚に上げて語っているのです。「自分のことを棚に上げる」物言いは、褒めらない方法であることは、だれもが知っています。そのような物言いは、決して自分の人間性が良く見えるようにするものではありません。でも、無意識についつい「自分の棚上げ」は行われています。これは、個人レベルでは、自分が賢いと思っていることや、もっと大きなレベルでは、人類は他の生物種と比べてどこかで勝っていると思っていることなど、いろいろなレベルで起こっています。そのような無意識の思い込みを、他人から指摘されると、嫌な思いをします。これは、「自分の棚上げ」がよくないことだと知っているためでしょう。「自分の棚上げ」をなくすことが『進化』となるはずです。
さてさて、このエッセイの内容も「自分の棚上げ」を注意を促しながら、「自分の棚上げ」して語っている節があります。もしそうなら、年頭から物言いで失敗していることになります。今年は、こんな失敗や誤用にくれぐれも注意していきたいと思っています。
・白い正月・
明けましておめでとうございます。
北海道は、白い年明けとなりました。
12月下旬まで雪は積もらず、
まるで秋のような景色の年末を迎えつつありました。
しかし、年末に寒波が押し寄せ、
やっと北海道の冬らしい雪景色になりました。
しかし、余り急激だと生活に支障をきたします。
私の母が暮れに来て25日に飛行機で帰ったのですが、
その翌日の26日から大荒れの天候となり、
交通は大いに乱れ、飛行機も欠航が相次ぎました。
ほんの少しの差で、母の移動は無事できました。
しかし、この激しい寒波は多く人に影響を与えました。
穏やかな正月になるといいのですが。
・ものは考えよう・
昨年、我が家は、誰かが体調不良の時期が次々とあり、
ぱっとしない年となりました。
今年こそは、体調に気をつけて、
無事に過ごしていきたいと思います。
どんなにやりたいことがあっても、
体調不良ではなにもできません。
ですから、まず健康でいることが大事です。
そんな単純なことを気づかされた昨年1年でした。
もし、体調不良がなければ、
健康のありがたさを忘れていたかもしれません。
前向きに考えれれば、病気がちの1年も意義あるものとして
振り返ることができそうです。
今年も、現在の私の健康法である
通勤のための7kmのウォーキングと週末の水泳をかかすことなく、
健康維持に努めていきたいと考えています。
・母の携帯電話・
年末は、子供たちが次々に風邪を引きました。
母が滞在中も、どちらかの子供が風邪で寝ているという状態でした。
残念ながら、母をあちこちに連れて行く予定が
すべてキャンセルになり、母に残念な思いをさせました。
滞在中、母に専用の携帯電話を渡し、
自宅でも持ってもらうことにしていました。
携帯電話は、主として我が家との連絡用です。
それと母が田畑にいるときの緊急連絡用です。
母は、滞在中にかなり練習をしていたのですが、
なかなかその操作は覚えられないようです。
何度も失敗をして、メールを送るつもりが
電話を間違ってならしてしまいます。
帰宅して翌日の朝6時に突然、
携帯電話がなり、驚かされました。
でも、孫たちと連絡を取るために、
なれない携帯電話の操作に毎日四苦八苦しています。
突然の携帯の呼び出し音も、
70歳を過ぎた母の元気な知らせと考えましょう。
2009年1月1日木曜日
2008年12月1日月曜日
83 ベリンガー事件と造形力説:化石の認識(2008.12.01)
化石が昔の生き物の一部というのは、当たり前の考え方に思えます。ところが、その考え方にいたるまでには、紆余曲折がありました。その紆余曲折の原因として造形力説があります。造形力説を象徴するようなべリンガー事件が起こりました。それらを紹介しながら化石の認識に関する歴史をみていきしましょう。
化石とは、字のごとく「石に化けてしまう」ことです。何が石に化けるかというと、もともと石でないものです。化石の代表として上げられるのが、貝の殻や歯、骨などがあります。
化石は、英語でfossilと書きますが、ラテン語のfossilisがその語源となっています。ラテン語のfossilisは、「掘り出されたもの」という意味で、現在の化石の意味とはかなり違っています。
もちろん現在では、化石やfossilを「掘り出されたもの」という意味に使われることはありません。今では、小学生でも、化石は昔の生物が石になって発見されたものだ、ということを知っています。その考え方は、直感にあっています。
たとえば、山奥の地層の中から貝化石がでてきたとしたら、どうして山で貝化石が見つかったと考えましょう。貝化石が、今は海に住んでいる貝が持っている殻に似ていることは、誰でも一目見ればわかります。その類似性に注目すれば、この地層自体が海でたまったものであること、そしてその中に海に住んでいた貝も一緒に埋もれてしまったこと、体の身の部分は腐って硬い殻だけが残ったということを、容易に連鎖的推測ができるはずです。この話を子供にしても、十分理解できるでしょう。
昔の人も、同じような発想を持っていました。
中国では、顔真卿(がんしんけい、709~786)や朱子(しゅし、1130~1200)の書いた書物の中に、「化石は過去の生物の遺骸である」という意味の文章があります。ですから、今の同じような化石の認識を持っていたのです。
ギリシア時代にも、タレス(Thales、BC640~546頃)やその弟子のアナクシマンドロス(Anaximandron、BC615~547)は、化石が過去の生物の遺骸であるという考え方をしていました。また、クセノファネス(Xenopanes、BC570~475頃)は、山の地層から見つかった貝化石から、そこがかつて海であったと考えていました。
このように過去の知識人たちは、上で述べたような素直な発想で化石をみて、妥当な推測をしていました。
ところが現在の科学の源流となっている西洋では、そのような認識が長く失われていました。その原因の一つとして、西洋の宗教的背景が挙げられます。化石への間違った認識に至ったのは、宗教の呪縛ともいうべきものがあったためです。
アリストテレス(Aristoteles、BC374~322)は、化石の起源として「造形力説」という考え方を示しました。造形力説は、神秘的な特殊な力によってつくられたという考え方です。化石は、「自然のいたずら」や「神のたわむれの作品」などとする説が中世のヨーロッパでは主流となってのです。
宗教の教義は聖書、それ以外の学問はアリストテレスの考え方が、キリスト教に取り入れられました。この化石の起源の造形力説も、宗教的な背景を支持するものとして、キリスト教が勢力を持っていた間、西洋で主流の考え方として信じられていました。
西洋社会が宗教の呪縛から解き放たれつつあったルネッサンスころには、少しずつ化石の認識が変わってきました。レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci、1452~1519)は、陸で発見した貝化石を、かつて海にすんでいた海生生物が地層にうまり、地殻変動で陸地に上がったという推定をしていました。彼の手記には、その記録が残されています。また、「鉱物学の父」と呼ばれたアグリコラ(G. Agricola、1494~1555)は、1546年に「化石の本性について」を出版して、化石を生物の遺物としていました。
さらに時代が進んで18世紀になると、西洋では産業革命が起こります。それに伴って大規模な土木工事がおこなわれるようになり、各地で化石が発見されるようになりました。それに興味を惹かれる研究者もでてきました。多くの観察事実から化石の正しい認識への道を歩む一方、造形力説を信じている人たちはまだたくさんいました。そんなとき、造形力説の衰退を象徴するようなベリンガー事件がおこりました。
ドイツのヴュルツブルク大学の教授ベリンガー(J. B. A. Beringer、1670~1740)は、三畳紀の石灰岩層に含まれている化石を研究していました。同大学の地理と数学のロデリック教授と大学図書館の司書のエックハルトは、ベリンガー「我々に対しあまりにも横柄で見下した態度をとった」ため、腹を立てたていました。そこで彼らは、ベリンガーに復讐するために、3人の青年を使って、石灰岩を削って偽の化石をつくりました。偽化石をベリンガーが調査で調べそうなところに埋めておきました。
偽化石の中には、クモ、カエル、ハチ、カタツムリ、トカゲや鳥、ナメクジやミミズなど、およそ化石になりそうにないものや、輝く太陽や月、星、彗星の化石、ヘブライ語の文字の化石など信じられないものも含まれていました。
ところが、ベリンガーは、これらすべてを本物と信じて疑問を持たなかったのです。化石の一部は生物の遺骸に由来すると考えていましたが、残りの多くは、「神の気まぐれないたずら」という「造形力説」で解釈していました。また、化石に明に残っていたノミの跡さえ、神がふるったノミの跡と信じていました。一方、ロデリックとエックハルトは、贋作という悪戯が行き過ぎたので、偽造の過程を示したり、偽造した石を送って贋作を知らせたのですが、それすら、自分の手柄を妬んで、貶めるためだと考え無視しました。
彼は、その成果を、1726年に「リトグラフィエ・ヴュルセブルゲンシス」(Lithographiae Wirceburgensis、ヴュルツブルク産化石の石版図集と呼ばれることがあります)を出版しました。
その後すぐに、この贋作事件は発覚し、べリンガーは名誉毀損の訴え、裁判沙汰になりました。ロデリックはヴュルツブルクを離れ、エックハルトも司書をやめざる得ませんでした。べリンガーの名誉は失墜したでしょうが、その後も大学で教鞭をとり続けたようです。
ベリンガー事件の犯人は裁かれ処分を受け、べリンガー人も名誉を傷つけられました。しかし、この贋作事件のそもそもの犯人は、化石が造形力説によって形成されるという考え方がではないでしょう。ある考え方を信じ、それに基づいて行動していくと、たとえその考えが間違っているという証拠が一杯あったしても、見えなくなってしまうのです。「あなたは間違っていますよ」という助言があったとしても、それすら疑ってしまうのです。思い込み、あるいは思い入れには、注意が必要です。常に冷静に、そして公平に周りをみる目が必要です。心しなければなりません。
このような贋作事件は、造形力説が生み出したものですが、18世紀には、斉一説やそれに基づく進化論の登場によって、造形力説が終焉を迎えます。その話は、別の機会にしましょう。
・日本の化石・
日本は、中国の影響によって本草学が
古くから伝わっていてました。
本草学の対象に、化石も含まれていました。
しかし、本草学の中には、現在の化石という認識はありませんでした。
ですから、日本では、化石に対する認識はなかったのです。
日本語の「化石」は、平賀源内などによって用いられ、
木や葉の石になったものの俗称だったそうです。
明治初期より鉱山関係者で化石という言葉や認識が
普及し、定着してきました。
日本の化石の認識は、西洋より遅れていたのです。
・師走・
11月の週末に我が大学の推薦入試が行われました。
もうそんな季節になったのです。
大学では、来春のための準備が着々と進んでいます。
そして、大学を目指す若者は、
必死で入試に臨んでいるわけです。
そんなひたむきな若者の姿をみると、
教員の心に響くものがあります。
応えるべき教員も誠意をもって
入試に当たらなければなりません。
そんな忙しさを感じる師走です。
このエッセイが今年の最後の号となります。
今年一年このメールマガジンの購読ありがとうございました。
来年も継続していきますので、よろしくお願いします。
化石とは、字のごとく「石に化けてしまう」ことです。何が石に化けるかというと、もともと石でないものです。化石の代表として上げられるのが、貝の殻や歯、骨などがあります。
化石は、英語でfossilと書きますが、ラテン語のfossilisがその語源となっています。ラテン語のfossilisは、「掘り出されたもの」という意味で、現在の化石の意味とはかなり違っています。
もちろん現在では、化石やfossilを「掘り出されたもの」という意味に使われることはありません。今では、小学生でも、化石は昔の生物が石になって発見されたものだ、ということを知っています。その考え方は、直感にあっています。
たとえば、山奥の地層の中から貝化石がでてきたとしたら、どうして山で貝化石が見つかったと考えましょう。貝化石が、今は海に住んでいる貝が持っている殻に似ていることは、誰でも一目見ればわかります。その類似性に注目すれば、この地層自体が海でたまったものであること、そしてその中に海に住んでいた貝も一緒に埋もれてしまったこと、体の身の部分は腐って硬い殻だけが残ったということを、容易に連鎖的推測ができるはずです。この話を子供にしても、十分理解できるでしょう。
昔の人も、同じような発想を持っていました。
中国では、顔真卿(がんしんけい、709~786)や朱子(しゅし、1130~1200)の書いた書物の中に、「化石は過去の生物の遺骸である」という意味の文章があります。ですから、今の同じような化石の認識を持っていたのです。
ギリシア時代にも、タレス(Thales、BC640~546頃)やその弟子のアナクシマンドロス(Anaximandron、BC615~547)は、化石が過去の生物の遺骸であるという考え方をしていました。また、クセノファネス(Xenopanes、BC570~475頃)は、山の地層から見つかった貝化石から、そこがかつて海であったと考えていました。
このように過去の知識人たちは、上で述べたような素直な発想で化石をみて、妥当な推測をしていました。
ところが現在の科学の源流となっている西洋では、そのような認識が長く失われていました。その原因の一つとして、西洋の宗教的背景が挙げられます。化石への間違った認識に至ったのは、宗教の呪縛ともいうべきものがあったためです。
アリストテレス(Aristoteles、BC374~322)は、化石の起源として「造形力説」という考え方を示しました。造形力説は、神秘的な特殊な力によってつくられたという考え方です。化石は、「自然のいたずら」や「神のたわむれの作品」などとする説が中世のヨーロッパでは主流となってのです。
宗教の教義は聖書、それ以外の学問はアリストテレスの考え方が、キリスト教に取り入れられました。この化石の起源の造形力説も、宗教的な背景を支持するものとして、キリスト教が勢力を持っていた間、西洋で主流の考え方として信じられていました。
西洋社会が宗教の呪縛から解き放たれつつあったルネッサンスころには、少しずつ化石の認識が変わってきました。レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci、1452~1519)は、陸で発見した貝化石を、かつて海にすんでいた海生生物が地層にうまり、地殻変動で陸地に上がったという推定をしていました。彼の手記には、その記録が残されています。また、「鉱物学の父」と呼ばれたアグリコラ(G. Agricola、1494~1555)は、1546年に「化石の本性について」を出版して、化石を生物の遺物としていました。
さらに時代が進んで18世紀になると、西洋では産業革命が起こります。それに伴って大規模な土木工事がおこなわれるようになり、各地で化石が発見されるようになりました。それに興味を惹かれる研究者もでてきました。多くの観察事実から化石の正しい認識への道を歩む一方、造形力説を信じている人たちはまだたくさんいました。そんなとき、造形力説の衰退を象徴するようなベリンガー事件がおこりました。
ドイツのヴュルツブルク大学の教授ベリンガー(J. B. A. Beringer、1670~1740)は、三畳紀の石灰岩層に含まれている化石を研究していました。同大学の地理と数学のロデリック教授と大学図書館の司書のエックハルトは、ベリンガー「我々に対しあまりにも横柄で見下した態度をとった」ため、腹を立てたていました。そこで彼らは、ベリンガーに復讐するために、3人の青年を使って、石灰岩を削って偽の化石をつくりました。偽化石をベリンガーが調査で調べそうなところに埋めておきました。
偽化石の中には、クモ、カエル、ハチ、カタツムリ、トカゲや鳥、ナメクジやミミズなど、およそ化石になりそうにないものや、輝く太陽や月、星、彗星の化石、ヘブライ語の文字の化石など信じられないものも含まれていました。
ところが、ベリンガーは、これらすべてを本物と信じて疑問を持たなかったのです。化石の一部は生物の遺骸に由来すると考えていましたが、残りの多くは、「神の気まぐれないたずら」という「造形力説」で解釈していました。また、化石に明に残っていたノミの跡さえ、神がふるったノミの跡と信じていました。一方、ロデリックとエックハルトは、贋作という悪戯が行き過ぎたので、偽造の過程を示したり、偽造した石を送って贋作を知らせたのですが、それすら、自分の手柄を妬んで、貶めるためだと考え無視しました。
彼は、その成果を、1726年に「リトグラフィエ・ヴュルセブルゲンシス」(Lithographiae Wirceburgensis、ヴュルツブルク産化石の石版図集と呼ばれることがあります)を出版しました。
その後すぐに、この贋作事件は発覚し、べリンガーは名誉毀損の訴え、裁判沙汰になりました。ロデリックはヴュルツブルクを離れ、エックハルトも司書をやめざる得ませんでした。べリンガーの名誉は失墜したでしょうが、その後も大学で教鞭をとり続けたようです。
ベリンガー事件の犯人は裁かれ処分を受け、べリンガー人も名誉を傷つけられました。しかし、この贋作事件のそもそもの犯人は、化石が造形力説によって形成されるという考え方がではないでしょう。ある考え方を信じ、それに基づいて行動していくと、たとえその考えが間違っているという証拠が一杯あったしても、見えなくなってしまうのです。「あなたは間違っていますよ」という助言があったとしても、それすら疑ってしまうのです。思い込み、あるいは思い入れには、注意が必要です。常に冷静に、そして公平に周りをみる目が必要です。心しなければなりません。
このような贋作事件は、造形力説が生み出したものですが、18世紀には、斉一説やそれに基づく進化論の登場によって、造形力説が終焉を迎えます。その話は、別の機会にしましょう。
・日本の化石・
日本は、中国の影響によって本草学が
古くから伝わっていてました。
本草学の対象に、化石も含まれていました。
しかし、本草学の中には、現在の化石という認識はありませんでした。
ですから、日本では、化石に対する認識はなかったのです。
日本語の「化石」は、平賀源内などによって用いられ、
木や葉の石になったものの俗称だったそうです。
明治初期より鉱山関係者で化石という言葉や認識が
普及し、定着してきました。
日本の化石の認識は、西洋より遅れていたのです。
・師走・
11月の週末に我が大学の推薦入試が行われました。
もうそんな季節になったのです。
大学では、来春のための準備が着々と進んでいます。
そして、大学を目指す若者は、
必死で入試に臨んでいるわけです。
そんなひたむきな若者の姿をみると、
教員の心に響くものがあります。
応えるべき教員も誠意をもって
入試に当たらなければなりません。
そんな忙しさを感じる師走です。
このエッセイが今年の最後の号となります。
今年一年このメールマガジンの購読ありがとうございました。
来年も継続していきますので、よろしくお願いします。
2008年11月1日土曜日
82 生きていた証を残すには:存在証明(2008.11.01)
生きているということについて、ここ数回のエッセイで考えています。今回は、「生きていた証」について考えていきます。「生きていた証」と「生きている証」は、言葉としては似ていますが、実はその意味には大きな違いがあります。「生きていた証」を残すことの難しさと重要性について考えていきます。
「80 生きているとは:生命の定義(2008.09.01)」と「81 生命の宿るもの:生命論(2008.10.01)」で、「生きている」ということについて考えてきました。「生きている」とは、生物学的に考えても、なかなか難しい問題でした。そして、哲学的にも同様に難しい問題でした。
ヨーロッパでは、近世まで、宗教を絶対的なものと考えている社会でした。宗教的な社会では、信仰によってのみすべての「真理」が得られると考えられていました。このような1000年以上にわたる伝統的な考え方は、スコラ哲学として体系化されていました。
ところが近世になり、デカルトが「方法序説」(1637)の中で、「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum:ラテン語)という言葉に象徴されるように、「自己を確立しろ」と唱えました。ラテン語の「コギト・エルゴ・スム」が有名ですが、実は「方法序説」はフランス語で書かれていました。当時の学術書はラテン語で書かれるのが慣例でしたが、デカルトはあえて母国語であるフランス語で書いたのです。「コギト・エルゴ・スム」は、デカルトの親友のメルセンヌ神父がラテン語訳した言葉なのです。閑話休題。
デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の意味するところは、真理の追究を、人間が本来持っている理性(自然の光と呼んだ)によっておこなうべきだという姿勢を表すものでした。それに共感して、宗教から自己を解き放ち、自己の確立が、この時からはじまったのです。
では、自己が確立されると、次に何がおこるでしょうか。それは、「自分は何のために生きているのか」という自己の生存の目的が重要になってきます。つまり、自分が「生きている証(あかし)」を求めるようになるはずです。「生きている証」とは、自分の「存在証明」であり、「生きがい」ともいえます。言い換えると、一種の自己顕示ともなります。
「生きている」とは、物理的、生物学的に考えれば、自分自身のために、自身の肉体を未来においても存続することで、「生」を少しでも永らえる活動といえます。そのためには、食べなければなりません。「食べる」とは、見方を変えると、今の空腹を満たすという意味のほかに、未来に向けて自己の生を永らえるという重い意味もあります。
人が自分自身を生き永らえるための原動力となるものこそが、「生きがい」と呼ぶべきものではないでしょうか。そして、本当の自己の「生きがい」の発見は、自己の確立から始まるのです。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」には、そのような意味があると思われます。
「生きがい」が昂じると、自分が「この世」に生きているという証を、他人に示したくなります。自分の「存在証明」は、対外的に社会に対しておこなうのですが、最終的には自分の心における満足感を得るためのものです。「死」が訪れれば、自分の「存在証明」は、無になってしまいます。
「生きている証」とは、生きている自分自身のためで、個人の生存期間しか保持できないものです。ところが「生きていた証」は、生が過去になってから、つまり当人が死んでからのことです。「生きている証」は、本人の死とともにすべて消えていきます。「生きていた証」は、本人の意志に関わりなく、残ったり消えたりします。そこには、必然だけでなく、偶然も働きます。本人が生きている間に「生きている証」を残す努力をいくらしても、後の時代にまで、「生きていた証」が残るかどうかはわからないのです。
たとえば、ある研究やある作品などとして「生きている証」が示されたものは、後の時代に「生きていた証」として残るかどうかは、本人には判断できません。同時代の人にも判断できません。その時点で、どんなに「生きている証」が評価されていても、10年後、100年後、1000年後に同じ評価が下されているとは限らないのです。100年前の研究や作品、1000年前の研究や作品で、現代に残っているものが、どれほど少ないかを考えれば、「生きていた証」が残ることの難しさがわかります。
逆に本人が生きているときに「生きていた証」としての評価が低くても、後の時代にその重要性が高く評価され、歴史に名を残すこともあります。
ドイツ人の気象学者ウェゲナー(A.L. Wegener, 1880~1930)は、1912年に、「大陸と海洋の起源」のという著書の中で、「大陸漂移説」を唱えました。彼の大陸漂移説の根拠として、大西洋の両岸の海岸線の類似性、氷河や古気候の連続性、南半球の古生代末の化石の共通性などを挙げ、大陸が分かれて現在の位置に移動したことを主張しました。
現在の科学の基準と照らし合わせても、この根拠は立派に通用するものです。
大西洋をはさんで南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線の形が似ているのは、地図を見れば誰でもわかることです。しかし、当時の地質学者たちは、それは偶然の産物としました。
また、氷河の痕跡や古気候も、同緯度、似た標高であれば、氷河はできるし、似た気候帯もできるのだから、それが大陸が移動したという根拠にはならないとされました。
化石は、当時も重要な根拠でした。化石は、現在でも離れたところの地層を対比するために使われる地質学の基本的な手法でもあります。当時の地質学者も、当然両大陸に似た化石があることを知っていました。しかし、大陸は動くはずもない考えていた地質学者たちは、「陸橋説」で説明していました。
陸上植物や陸上動物などが移動するためには、陸地が必要です。海で隔たった大陸で似た化石があるのならば、大陸間を橋のように細くてもいいから一時的に陸地つづきであったと考えたのです。そのような陸地の橋を陸橋と呼んだのです。陸橋説は、地質学ではよく使われている説明方法で、実際に一時的に陸続きなっていた地域もあり、実用的でもありました。実際には、大西洋はあまりに広く、陸橋の証拠もありませんでした。当時は海底の情報がなく、消えた陸橋の痕跡なというような反論をすることもできませんでした。
地質学者ではなく気象学者だというハンディだけでなく、ウェゲナーの不幸であった点は、当時の地質学者が、そろって大陸漂移説を否定するか無視をしたことでした。反論としては、ウェゲナーの漂移説の最大の問題点である大陸移動の原動力が証明できないことが指摘されました。ウェゲナーはマントル対流を理由としてあげていましたが、証拠がなく説得できませんでした。
ウェゲナーは、大陸漂移説が評価されることなく、1930年におこなったグリーンランドの5回目の調査中に遭難して、50歳で死にました。翌年遺体が見つかりました。ウェゲナーの死とともに、大陸漂移説は正当な評価を受けることなくこの世から忘れ去られたのです。
ところが1950年代に、プレートテクトニクスの出現によって、ウェゲナーの大陸漂移説は復活し、評価されました。今では、当時ウェゲナーを批判した多数の地質学者の名前は歴史から消えましたが、ウェゲナーの名前は歴史に残り、今も彼の書いた「大陸と海洋の起源」は再出版され、何度も翻訳され、多くの人に古典として読まれています。
ウェゲナーの「大陸と海洋の起源」は、自分が生きている間は、非難の矢面に立たせる「生きている証」であったのです。しかし、「大陸と海洋の起源」を書いたからこそ、彼は「生きていた証」として蘇ったのです。同じ本が、ウェゲナーに時間経て批判と賞賛の両方を与えたのです。
「生きていた証」は意図して残ることはできませんが、「生きている証」は意図して残すことはできます。生きている人間にとって、「生きている証」を残す努力はできるのです。人間社会において「生きている証」を残さないことには、「生きていた証」として残る可能性はゼロに近いのです。もし、「生きている証」を残せば、そこには、「意図しない評価」が生じることもあります。だから、私たちは、対外的に自分の「存在証明」を残し続けていかなければならないのです。
ところが自然界は、意図しされた存在証明などありません。そこには意図されない存在証明しかないのです。古生物学という学問は、過去を探る手法として、化石を用います。古生物学では、過去の生物の一部を「生きていた証」として用いて研究をしていきます。化石は、生物が生きていたという証拠になります。生物の死が、科学の素材となるのです。しかし、化石なった生物は、意図して死んだわけではありません。でも、その死が無駄になることなく、存在証明として、私たちの科学で蘇ったのです。死が資料として、本人は「意図しない評価」が生じるのです。古生物学とは、死の蓄積の上に築かれているのです。化石の元になった生物の死は、古生物学にとってなくてはならないものとなっています。
化石は、生物が、その時代に、その地で、生きていたという存在証明です。存在証明こそ「生きていた証」なのです。
・累々たる死・
以前、私は自然史博物館に勤務していました。
博物館には、恐竜の化石、大きなアンモナイト化石、
動物の骨格、剥製、植物の押し葉標本、昆虫の標本など
わくわくするようなものがいろいろありました。
もちろん今も展示されています。
考えてみると自然史博物館とは、死の蓄積、展示所ともいえます。
見事な死体が、子供たちや市民に、
昔の不思議な生物、現在の多様な生物を教えてくれるのです。
展示場でそのような状態ですから、
収蔵庫は、もっと死が満ち満ちています。
累々たる死の山が、彼らが生きていた証として
科学を進めているのですね。
・秋も終わり・
北海道は、いよいよ秋も終わりに近づいてきました。
近隣の山並みにも、初冠雪がありました。
通勤途中の道から、白くなった山並みを見ることができました。
里でも、冷たい風が吹くようになってきました。
例年、札幌市内では、10月下旬から11月上旬に初雪が観察されます。
もう11月ですから、いつ初雪があってもおかしくない状態です。
朝夕の通勤で寒さがこたえるようになって来ました。
冬のコートを着なければならないほど
冷え込みに強くなりました。
「80 生きているとは:生命の定義(2008.09.01)」と「81 生命の宿るもの:生命論(2008.10.01)」で、「生きている」ということについて考えてきました。「生きている」とは、生物学的に考えても、なかなか難しい問題でした。そして、哲学的にも同様に難しい問題でした。
ヨーロッパでは、近世まで、宗教を絶対的なものと考えている社会でした。宗教的な社会では、信仰によってのみすべての「真理」が得られると考えられていました。このような1000年以上にわたる伝統的な考え方は、スコラ哲学として体系化されていました。
ところが近世になり、デカルトが「方法序説」(1637)の中で、「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum:ラテン語)という言葉に象徴されるように、「自己を確立しろ」と唱えました。ラテン語の「コギト・エルゴ・スム」が有名ですが、実は「方法序説」はフランス語で書かれていました。当時の学術書はラテン語で書かれるのが慣例でしたが、デカルトはあえて母国語であるフランス語で書いたのです。「コギト・エルゴ・スム」は、デカルトの親友のメルセンヌ神父がラテン語訳した言葉なのです。閑話休題。
デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の意味するところは、真理の追究を、人間が本来持っている理性(自然の光と呼んだ)によっておこなうべきだという姿勢を表すものでした。それに共感して、宗教から自己を解き放ち、自己の確立が、この時からはじまったのです。
では、自己が確立されると、次に何がおこるでしょうか。それは、「自分は何のために生きているのか」という自己の生存の目的が重要になってきます。つまり、自分が「生きている証(あかし)」を求めるようになるはずです。「生きている証」とは、自分の「存在証明」であり、「生きがい」ともいえます。言い換えると、一種の自己顕示ともなります。
「生きている」とは、物理的、生物学的に考えれば、自分自身のために、自身の肉体を未来においても存続することで、「生」を少しでも永らえる活動といえます。そのためには、食べなければなりません。「食べる」とは、見方を変えると、今の空腹を満たすという意味のほかに、未来に向けて自己の生を永らえるという重い意味もあります。
人が自分自身を生き永らえるための原動力となるものこそが、「生きがい」と呼ぶべきものではないでしょうか。そして、本当の自己の「生きがい」の発見は、自己の確立から始まるのです。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」には、そのような意味があると思われます。
「生きがい」が昂じると、自分が「この世」に生きているという証を、他人に示したくなります。自分の「存在証明」は、対外的に社会に対しておこなうのですが、最終的には自分の心における満足感を得るためのものです。「死」が訪れれば、自分の「存在証明」は、無になってしまいます。
「生きている証」とは、生きている自分自身のためで、個人の生存期間しか保持できないものです。ところが「生きていた証」は、生が過去になってから、つまり当人が死んでからのことです。「生きている証」は、本人の死とともにすべて消えていきます。「生きていた証」は、本人の意志に関わりなく、残ったり消えたりします。そこには、必然だけでなく、偶然も働きます。本人が生きている間に「生きている証」を残す努力をいくらしても、後の時代にまで、「生きていた証」が残るかどうかはわからないのです。
たとえば、ある研究やある作品などとして「生きている証」が示されたものは、後の時代に「生きていた証」として残るかどうかは、本人には判断できません。同時代の人にも判断できません。その時点で、どんなに「生きている証」が評価されていても、10年後、100年後、1000年後に同じ評価が下されているとは限らないのです。100年前の研究や作品、1000年前の研究や作品で、現代に残っているものが、どれほど少ないかを考えれば、「生きていた証」が残ることの難しさがわかります。
逆に本人が生きているときに「生きていた証」としての評価が低くても、後の時代にその重要性が高く評価され、歴史に名を残すこともあります。
ドイツ人の気象学者ウェゲナー(A.L. Wegener, 1880~1930)は、1912年に、「大陸と海洋の起源」のという著書の中で、「大陸漂移説」を唱えました。彼の大陸漂移説の根拠として、大西洋の両岸の海岸線の類似性、氷河や古気候の連続性、南半球の古生代末の化石の共通性などを挙げ、大陸が分かれて現在の位置に移動したことを主張しました。
現在の科学の基準と照らし合わせても、この根拠は立派に通用するものです。
大西洋をはさんで南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線の形が似ているのは、地図を見れば誰でもわかることです。しかし、当時の地質学者たちは、それは偶然の産物としました。
また、氷河の痕跡や古気候も、同緯度、似た標高であれば、氷河はできるし、似た気候帯もできるのだから、それが大陸が移動したという根拠にはならないとされました。
化石は、当時も重要な根拠でした。化石は、現在でも離れたところの地層を対比するために使われる地質学の基本的な手法でもあります。当時の地質学者も、当然両大陸に似た化石があることを知っていました。しかし、大陸は動くはずもない考えていた地質学者たちは、「陸橋説」で説明していました。
陸上植物や陸上動物などが移動するためには、陸地が必要です。海で隔たった大陸で似た化石があるのならば、大陸間を橋のように細くてもいいから一時的に陸地つづきであったと考えたのです。そのような陸地の橋を陸橋と呼んだのです。陸橋説は、地質学ではよく使われている説明方法で、実際に一時的に陸続きなっていた地域もあり、実用的でもありました。実際には、大西洋はあまりに広く、陸橋の証拠もありませんでした。当時は海底の情報がなく、消えた陸橋の痕跡なというような反論をすることもできませんでした。
地質学者ではなく気象学者だというハンディだけでなく、ウェゲナーの不幸であった点は、当時の地質学者が、そろって大陸漂移説を否定するか無視をしたことでした。反論としては、ウェゲナーの漂移説の最大の問題点である大陸移動の原動力が証明できないことが指摘されました。ウェゲナーはマントル対流を理由としてあげていましたが、証拠がなく説得できませんでした。
ウェゲナーは、大陸漂移説が評価されることなく、1930年におこなったグリーンランドの5回目の調査中に遭難して、50歳で死にました。翌年遺体が見つかりました。ウェゲナーの死とともに、大陸漂移説は正当な評価を受けることなくこの世から忘れ去られたのです。
ところが1950年代に、プレートテクトニクスの出現によって、ウェゲナーの大陸漂移説は復活し、評価されました。今では、当時ウェゲナーを批判した多数の地質学者の名前は歴史から消えましたが、ウェゲナーの名前は歴史に残り、今も彼の書いた「大陸と海洋の起源」は再出版され、何度も翻訳され、多くの人に古典として読まれています。
ウェゲナーの「大陸と海洋の起源」は、自分が生きている間は、非難の矢面に立たせる「生きている証」であったのです。しかし、「大陸と海洋の起源」を書いたからこそ、彼は「生きていた証」として蘇ったのです。同じ本が、ウェゲナーに時間経て批判と賞賛の両方を与えたのです。
「生きていた証」は意図して残ることはできませんが、「生きている証」は意図して残すことはできます。生きている人間にとって、「生きている証」を残す努力はできるのです。人間社会において「生きている証」を残さないことには、「生きていた証」として残る可能性はゼロに近いのです。もし、「生きている証」を残せば、そこには、「意図しない評価」が生じることもあります。だから、私たちは、対外的に自分の「存在証明」を残し続けていかなければならないのです。
ところが自然界は、意図しされた存在証明などありません。そこには意図されない存在証明しかないのです。古生物学という学問は、過去を探る手法として、化石を用います。古生物学では、過去の生物の一部を「生きていた証」として用いて研究をしていきます。化石は、生物が生きていたという証拠になります。生物の死が、科学の素材となるのです。しかし、化石なった生物は、意図して死んだわけではありません。でも、その死が無駄になることなく、存在証明として、私たちの科学で蘇ったのです。死が資料として、本人は「意図しない評価」が生じるのです。古生物学とは、死の蓄積の上に築かれているのです。化石の元になった生物の死は、古生物学にとってなくてはならないものとなっています。
化石は、生物が、その時代に、その地で、生きていたという存在証明です。存在証明こそ「生きていた証」なのです。
・累々たる死・
以前、私は自然史博物館に勤務していました。
博物館には、恐竜の化石、大きなアンモナイト化石、
動物の骨格、剥製、植物の押し葉標本、昆虫の標本など
わくわくするようなものがいろいろありました。
もちろん今も展示されています。
考えてみると自然史博物館とは、死の蓄積、展示所ともいえます。
見事な死体が、子供たちや市民に、
昔の不思議な生物、現在の多様な生物を教えてくれるのです。
展示場でそのような状態ですから、
収蔵庫は、もっと死が満ち満ちています。
累々たる死の山が、彼らが生きていた証として
科学を進めているのですね。
・秋も終わり・
北海道は、いよいよ秋も終わりに近づいてきました。
近隣の山並みにも、初冠雪がありました。
通勤途中の道から、白くなった山並みを見ることができました。
里でも、冷たい風が吹くようになってきました。
例年、札幌市内では、10月下旬から11月上旬に初雪が観察されます。
もう11月ですから、いつ初雪があってもおかしくない状態です。
朝夕の通勤で寒さがこたえるようになって来ました。
冬のコートを着なければならないほど
冷え込みに強くなりました。
2008年10月1日水曜日
81 生命の宿るもの:生命論(2008.10.01)
生命という言葉、なにか生物の違ったニュアンスがあります。生物が実体があるのに対して、生命は生物の中に宿っている目に見えない何かのような意味合いに使っています。生命という不思議なものについて考えていきましょう。
生物の定義は、なかなか難しいものです。前回のエッセイでも取り上げたように、生物なら満たすべき条件を示すことは可能で、多くの生物はその条件を満たしています。たとえば、個体、代謝、複製、進化というキーワードを、必要条件としてして挙げることはできます。
しかし、本当にそれで生物の定義を完全にできたかどうかは、怪しいものです。なぜなら、生物の十分条件を挙げることができていないからです。「生きている」ということは、先にあげた必要条件でだけではすまない、やはり神秘的な部分があります。その神秘的なものを「生命を宿す」などと表現しているのではないでしょうか。生物は「生命を宿す」ものといえます。「生命を宿す」かどうか、つまり生きているかどうかは、直感的にわかるようなものもあるのですが、生死の境界があやふやな生物もいます。
生物も生命と呼ぶと、とたんに曖昧模糊としたものになりそうです。このような疑問は、私だけのものではなく、昔から悩んできたものです。たとえば、「霊魂」という言葉があります。霊魂とは、「身体内にあってその精神・生命を支配すると考えられている人格的・非肉体的な存在」(広辞苑)として、生きているものにあり、死ぬと肉体から抜けていくものと捉えられていました。人間だけに霊魂があるのではなく、生物全部にあるという考え方もあります。
このような生命について考えることを、生命論(あるいは生命観)と呼ばれてきました。もちろん、生命をどう考えるかは、科学の発展によって変わってきます。
西洋では、そのような霊魂の存在を認める立場で、生気論(活力論ともいう)という考え方がありました。生気論は、古くからある考え方で、生物に非物質的な「生命力」と呼べるようなものが存在していて、無機物とは異なった現象をおこすという考え方です。
生命論には、三大問題がありました。
1 無機物からの生物の発生が可能か
2 個体発生は前成か後成か
3 生物の種は不変か、それとも進化するか
の3つです。今では、これら3つの問題は、生物学の問題として解くことになります。かつては、この3つの問題でどの考えをとるかは、キリスト教の教義にかかわる重要な問題でした。キリスト教では、神が生物をつくり(1は生物の発生はない)、個体発生は前成説で、種の不変という立場でした。
1の問題には、2つの側面があります。ひとつは生物の起源と、もうひとつは個々の個体の発生の問題です。
個体発生において、無機物から生物が発生することを自然発生といいます。生物の自然発生については、L.パスツールが1862年におこなった有名な「白鳥のくびフラスコ」の実験によって否定されています。空気だけが出入りする長く細いフラスコを使って行われた巧みな実験です。フラスコの中に生命が自然発生しそうな条件(栄養や環境条件)を与えたのですが、生物は発生しないという実験でした。この実験によって、個体の自然発生がないという決着がつきました。
では、生物は自然発生をしないのなら、神がつくったのかということになります。現代の科学は、それは否定してます。しかし、残念ながら生物の起源について完全な答えは、まだ出ていません。ただ、1936年、オパーリンによって科学的研究の方向性が示され、1953年におこなわれたユーリーとミラーの原始生物の誕生に関する実験によって、生物起源も科学的に探究できる可能性が示されました。以来、いろいろな実験が行われ、生物起源に迫ろうとしています。しかし残念ながら、科学的に生物起源のシナリオは、まだ完成していません。
2の問題の中にあった前成と後成というのは、聴きなれない言葉です。生物の個体発生のときに、成体の原型が卵・精子あるいは受精卵にすでにあるというのが前成で、もともと特別は構造はなく受精後いろいろな器官ができて最後に成体になるというのが後成です。
2に関しては、キリスト教の重要な論理的指針をつくったアリストテレスは、後成説をとっていました。顕微鏡ができて、受精卵の観察ができるようになると、後成説を示す証拠が見つかってきました。ですから、現在の科学では、前成説は否定され、後成説となっています。
3の問題については、ダーウィンの「種の起原」(1859年)よって進化の考えが提示されて以来、科学は多数の化石などの証拠から進化が起こっていることを示しました。
でも、よく考えると、これら3つの問題も、実は生物の必要条件を検討していることになります。科学とは、必要条件を求める行為なのかもしれません。
科学の発展にともなって、17世紀ころの西洋では、生物は一種の機械とみなす「生命機械論」が生まれてきました。生命機械論とは、生物の現象を最終的に物質現象として理解していこうという立場で、今の科学のアプローチと同じものです。
デカルトは、「人間論(1633年に書かれたのですが、この年のガリレイ宗教裁判を知ってその発表を断念しています)」や「方法序説(1637年)」の中で、生命機械論を展開しています。「方法序説」では、動物を「ゼンマイをまいた自動機械」と書いています。ですから、霊魂の存在を議論することなく、生物を機械として解明していこうという考え方でした。魂(アニマ)の存在は認めながら、植物も動物も人体も機械と同様の物体であるとしました。そして、最終的には、科学と宗教を分離しようという主張になります。
その後も、生命機械論は受け継がれ、ラ・メトリーの「人間機械論」(1748年)では人間の霊魂をも否定し、生命機械論を徹底していく立場のありました。当時、このような生命機械論は、少数意見で、反キリスト教の危険思想でもありあまり受け入れませんでした。
18世紀後半から現在まで、生命機械論は還元主義的機械論となっていきます。生命現象は、究極には物理的、化学的現象であり、物理的、化学的法則によってすべて解明できるという考え方です。そこでは、特殊な生命力や霊魂などというものは認めていません。
さらに、F.ウェーラーは1828年に無機化合物から尿素を、A.W.H.コルベは1845年に酢酸を合成しました。それまで生物しかつくりえないと考えられてきた有機物が化学的に合成されたのです。これらの実験によって、ますます、生命力や霊魂などが必要でないということになりました。
19世紀後半に、エンゲルスが弁証法的唯物論の立場での生命観を論じ、その考え方が、20世紀の唯物論者に引きつがれた。そして今の科学へとつながります。
もちろん、そのような考え方に批判的な立場もあります。たとえば、デュ・ボア・レーモンは、機械論的立場を取りながらも、宇宙の究極には不可知の問題が残るはずだとして、単純な唯物論的理解を批判した。20世紀初頭になると、各種の現代的な生命論が現れました。H.ドリーシュは、1899年に生気論に立つことを表明し、「有機体の哲学」(1909年)で新生気論を展開し、動物の調和した現象を成り立たせる超物質的原理が存在するとしました。ほかにも、J.C.スマッツやJ.S.ホールデンの全体論(holism)、ベルタランフィの有機体論などが現代の生命論としてあります。
20世紀後半には情報理論の分野が発展してきて、生物学にも広く適用されてきました。そのから、生物の個体を自動制御機械とみなすような考えもできてきました。たとえば、ウィーナーによる生体を自動制御のシステムと見なすサイバネティックスや、ベルタランフィの一般システム理論、人間を一種の有限自動機械(ファイナイト・オートマトン)とする見方などが、広がってきました。
今後も、生物に関する現象は、科学の進歩によってますます詳しくわかっていくはずです。しかし、やはりどうしても解けない、理解しがたい存在して「生命」は残るような気がします。生物を生物たらしめるなんらかの存在、まさに生命力や霊魂のような存在を認めるか否かの選択に、最終的になりそうです。
・授業スタート・
わが大学も、いよいよ後期の講義が始まりました。
またあわただしい日々が続きます。
わが大学は、他の大学に比べて、
後期のスタートが1週間遅くなっています。
でも、いよいよ講義が始まります。
これが大学の日常といいうべきものでしょうが、
やはり長い休みから講義が始まるときは、
つらいものがあります。
これが重要な本務ですから手を抜くことができません。
・秋・
今年の夏は例年なみの気温でしたが、
9月の中旬から北海道は、
急に冷え込みだしました。
朝夕は寒く、上着がないとすごせないほどです。
まだストーブはつけていませんが、
寒がりの人たちは、もうつけているかもしれません。
ところが、我が家の次男は、まだ半袖でいます。
家内がいくら言っても半袖を着ようとします。
風呂上りには、暑いといって、上半身裸です。
とうとう家内が半袖をすべてしまってしまいました。
本当に暑いのかもしれませんが、
いくらなんでも、半袖はみるからに寒そうです。
風邪をひかなければいいのですが。
生物の定義は、なかなか難しいものです。前回のエッセイでも取り上げたように、生物なら満たすべき条件を示すことは可能で、多くの生物はその条件を満たしています。たとえば、個体、代謝、複製、進化というキーワードを、必要条件としてして挙げることはできます。
しかし、本当にそれで生物の定義を完全にできたかどうかは、怪しいものです。なぜなら、生物の十分条件を挙げることができていないからです。「生きている」ということは、先にあげた必要条件でだけではすまない、やはり神秘的な部分があります。その神秘的なものを「生命を宿す」などと表現しているのではないでしょうか。生物は「生命を宿す」ものといえます。「生命を宿す」かどうか、つまり生きているかどうかは、直感的にわかるようなものもあるのですが、生死の境界があやふやな生物もいます。
生物も生命と呼ぶと、とたんに曖昧模糊としたものになりそうです。このような疑問は、私だけのものではなく、昔から悩んできたものです。たとえば、「霊魂」という言葉があります。霊魂とは、「身体内にあってその精神・生命を支配すると考えられている人格的・非肉体的な存在」(広辞苑)として、生きているものにあり、死ぬと肉体から抜けていくものと捉えられていました。人間だけに霊魂があるのではなく、生物全部にあるという考え方もあります。
このような生命について考えることを、生命論(あるいは生命観)と呼ばれてきました。もちろん、生命をどう考えるかは、科学の発展によって変わってきます。
西洋では、そのような霊魂の存在を認める立場で、生気論(活力論ともいう)という考え方がありました。生気論は、古くからある考え方で、生物に非物質的な「生命力」と呼べるようなものが存在していて、無機物とは異なった現象をおこすという考え方です。
生命論には、三大問題がありました。
1 無機物からの生物の発生が可能か
2 個体発生は前成か後成か
3 生物の種は不変か、それとも進化するか
の3つです。今では、これら3つの問題は、生物学の問題として解くことになります。かつては、この3つの問題でどの考えをとるかは、キリスト教の教義にかかわる重要な問題でした。キリスト教では、神が生物をつくり(1は生物の発生はない)、個体発生は前成説で、種の不変という立場でした。
1の問題には、2つの側面があります。ひとつは生物の起源と、もうひとつは個々の個体の発生の問題です。
個体発生において、無機物から生物が発生することを自然発生といいます。生物の自然発生については、L.パスツールが1862年におこなった有名な「白鳥のくびフラスコ」の実験によって否定されています。空気だけが出入りする長く細いフラスコを使って行われた巧みな実験です。フラスコの中に生命が自然発生しそうな条件(栄養や環境条件)を与えたのですが、生物は発生しないという実験でした。この実験によって、個体の自然発生がないという決着がつきました。
では、生物は自然発生をしないのなら、神がつくったのかということになります。現代の科学は、それは否定してます。しかし、残念ながら生物の起源について完全な答えは、まだ出ていません。ただ、1936年、オパーリンによって科学的研究の方向性が示され、1953年におこなわれたユーリーとミラーの原始生物の誕生に関する実験によって、生物起源も科学的に探究できる可能性が示されました。以来、いろいろな実験が行われ、生物起源に迫ろうとしています。しかし残念ながら、科学的に生物起源のシナリオは、まだ完成していません。
2の問題の中にあった前成と後成というのは、聴きなれない言葉です。生物の個体発生のときに、成体の原型が卵・精子あるいは受精卵にすでにあるというのが前成で、もともと特別は構造はなく受精後いろいろな器官ができて最後に成体になるというのが後成です。
2に関しては、キリスト教の重要な論理的指針をつくったアリストテレスは、後成説をとっていました。顕微鏡ができて、受精卵の観察ができるようになると、後成説を示す証拠が見つかってきました。ですから、現在の科学では、前成説は否定され、後成説となっています。
3の問題については、ダーウィンの「種の起原」(1859年)よって進化の考えが提示されて以来、科学は多数の化石などの証拠から進化が起こっていることを示しました。
でも、よく考えると、これら3つの問題も、実は生物の必要条件を検討していることになります。科学とは、必要条件を求める行為なのかもしれません。
科学の発展にともなって、17世紀ころの西洋では、生物は一種の機械とみなす「生命機械論」が生まれてきました。生命機械論とは、生物の現象を最終的に物質現象として理解していこうという立場で、今の科学のアプローチと同じものです。
デカルトは、「人間論(1633年に書かれたのですが、この年のガリレイ宗教裁判を知ってその発表を断念しています)」や「方法序説(1637年)」の中で、生命機械論を展開しています。「方法序説」では、動物を「ゼンマイをまいた自動機械」と書いています。ですから、霊魂の存在を議論することなく、生物を機械として解明していこうという考え方でした。魂(アニマ)の存在は認めながら、植物も動物も人体も機械と同様の物体であるとしました。そして、最終的には、科学と宗教を分離しようという主張になります。
その後も、生命機械論は受け継がれ、ラ・メトリーの「人間機械論」(1748年)では人間の霊魂をも否定し、生命機械論を徹底していく立場のありました。当時、このような生命機械論は、少数意見で、反キリスト教の危険思想でもありあまり受け入れませんでした。
18世紀後半から現在まで、生命機械論は還元主義的機械論となっていきます。生命現象は、究極には物理的、化学的現象であり、物理的、化学的法則によってすべて解明できるという考え方です。そこでは、特殊な生命力や霊魂などというものは認めていません。
さらに、F.ウェーラーは1828年に無機化合物から尿素を、A.W.H.コルベは1845年に酢酸を合成しました。それまで生物しかつくりえないと考えられてきた有機物が化学的に合成されたのです。これらの実験によって、ますます、生命力や霊魂などが必要でないということになりました。
19世紀後半に、エンゲルスが弁証法的唯物論の立場での生命観を論じ、その考え方が、20世紀の唯物論者に引きつがれた。そして今の科学へとつながります。
もちろん、そのような考え方に批判的な立場もあります。たとえば、デュ・ボア・レーモンは、機械論的立場を取りながらも、宇宙の究極には不可知の問題が残るはずだとして、単純な唯物論的理解を批判した。20世紀初頭になると、各種の現代的な生命論が現れました。H.ドリーシュは、1899年に生気論に立つことを表明し、「有機体の哲学」(1909年)で新生気論を展開し、動物の調和した現象を成り立たせる超物質的原理が存在するとしました。ほかにも、J.C.スマッツやJ.S.ホールデンの全体論(holism)、ベルタランフィの有機体論などが現代の生命論としてあります。
20世紀後半には情報理論の分野が発展してきて、生物学にも広く適用されてきました。そのから、生物の個体を自動制御機械とみなすような考えもできてきました。たとえば、ウィーナーによる生体を自動制御のシステムと見なすサイバネティックスや、ベルタランフィの一般システム理論、人間を一種の有限自動機械(ファイナイト・オートマトン)とする見方などが、広がってきました。
今後も、生物に関する現象は、科学の進歩によってますます詳しくわかっていくはずです。しかし、やはりどうしても解けない、理解しがたい存在して「生命」は残るような気がします。生物を生物たらしめるなんらかの存在、まさに生命力や霊魂のような存在を認めるか否かの選択に、最終的になりそうです。
・授業スタート・
わが大学も、いよいよ後期の講義が始まりました。
またあわただしい日々が続きます。
わが大学は、他の大学に比べて、
後期のスタートが1週間遅くなっています。
でも、いよいよ講義が始まります。
これが大学の日常といいうべきものでしょうが、
やはり長い休みから講義が始まるときは、
つらいものがあります。
これが重要な本務ですから手を抜くことができません。
・秋・
今年の夏は例年なみの気温でしたが、
9月の中旬から北海道は、
急に冷え込みだしました。
朝夕は寒く、上着がないとすごせないほどです。
まだストーブはつけていませんが、
寒がりの人たちは、もうつけているかもしれません。
ところが、我が家の次男は、まだ半袖でいます。
家内がいくら言っても半袖を着ようとします。
風呂上りには、暑いといって、上半身裸です。
とうとう家内が半袖をすべてしまってしまいました。
本当に暑いのかもしれませんが、
いくらなんでも、半袖はみるからに寒そうです。
風邪をひかなければいいのですが。
2008年9月1日月曜日
80 生きているとは:生命の定義(2008.09.01)
生きているということについては、哲学的な問題として取り上げられますが、今回は、生物学的な見方をしていきます。生きていることについて考えるとき、いたるところに落とし穴がありますから、注意して考えなければなりません。
「生きている」ということは、どういうことでしょうか。なかなかの難問です。多くの哲学者が、その答えを求めて悩んできました。悩んだ末に出された答えは、難解です。だれでもがわかるようには、提示されていません。そんな難問に、気軽に取り組むと、迷路に入り込んでしまいます。そこで、「生きている」目的を問うのではなく、「生きている」ことを定義してみることにしましょう。
「生きている」ということは、いろいろな考え方ができるでしょう。ここでは、生物が無生物とは違う点として、共通に持っている特性のことにます。生物共通の特性には、いろいろなものがありそうですが、「生命」をもっているということと言い換えられそうです。
ここでは、「生きている」ことを考えのですが、それを「生命」の定義と置き換えて考えていきましょう。では、その「生命」とは何か。
私たちが知っている生命は、地球の生命だけです。地球の生命でも、その営みは炭素を中心としておこなわれ、なおかつ私たちが生命とみなせるものだけです。もしかすると、地球には私たちが知らない、あるいは知り得ない生命がいるやも知れません。
生命の中で私たちが扱うことができるのは、「(地球)生物」だけです。これ以外の「ガイア(地球生命)」や「地球外生物」、「デジタル(人工)生命」などは、生物学の対象となりません。なぜなら、実体が不明で、実証的な科学では扱えないからです。
それでは、「生命」の定義をみていきましょう。
生物学辞典では、生命とは、「生物の本質的属性」で、それは「すべての生物がもっている共通の性質」となっています。これは、このエッセイの前提としてていることですが、答えにはなっていません。
上の文章でも、生物学辞典の定義でも、「生物」という言葉がでてきました。「生物」は、当たり前に使っている言葉ですが、この言葉も調べておきましょう。生物学辞典で、生物とは、「生命現象を営むもの」とあります。
この「生命現象」の生命は、上の定義では、「生物の本質的属性」となっていました。「生命」と「生物」は、お互いに相手が定義に依存していて、独自に定義ができていません。つまり、両者が一種の循環論法を用いていることになります。これは、生命および生物の定義が、完全なものではないこと、あるいは非常に難しい問題であることを反映しています。この問題は、長く人類を悩ましてきたことを反映しています。しかし今や、その答えを、不完全ながら出すことが可能になってきました。
定義を述べる前に、少し考えておくべきことがあります。それは、私たちは、生命というものをなんとなく見分けることができるのではないかということです。定義などできなくても、私たちは、なんとなく直感的に生命を感じとることができます。もしそうなら、わざわざ定義などする必要はありません。
たとえば、じっとしている茶色い犬と、その犬にそっくりな置物があるとします。両者には、共通点がたくさんあります。茶色い、動かない、4つ足があるなどというようなものを、多数挙げることができるでしょう。両者の決定的違いは、遠目ではわからないかもしれませんが、近づいて見るとわかります。小さな違いは探せばいくらでもでてくるでしょうが、その違いの中には本質あるいは生命にかかわるものが混じっているはずです。それが、私たちには直感的にわかるようなのです。私たちには、犬は生きていて、置物は生きていないという決定的で本質的な違いがわかるのです。
次の例です。寝ている猫と死んでいる猫がいるとします。これらの違いも、よく見ればわかります。その違いは、探せばいくらでも出てくるでしょうが、私たちには、生きているか死んでいるかが、直感的にわかります。「生きている」、つまり生命があるかないかは、定義など知らなくても、私たちには、直感的にわかるのです。
実はそこに、落とし穴があります。犬や猫のように、私たちに身近な、あるいは近縁な生物の「生命」のあるなしは見分けやすいのですが、縁の遠い生物では見分けづらくなっていきます。
植物の枝を切ったします。その枝を生育できる環境に挿せば、挿し木として生命活動をします。しかし、ほったらかしにしたらその枝は枯れてしまいます。では、この枝の、生きていると死んでいるの境界はどこにあるのでしょうか。なかなか難しい問題です。
タバコやトマトの葉に斑点ができ、奇形でよじれ、成長が悪くなるタバコモザイク病というものがあります。その原因は、現在では、タバコモザイクウイルスであることがわかっています。そのウイルスは、1935年アメリカの生化学者スタンレーが化学的に抽出しました。抽出したものは、なんと高分子の「結晶」となりました。「結晶」というものは、無生物の特徴でもあります。この一見、無生物にしか見えない結晶を、タバコの葉にすりこむと、結晶が溶けて生命活動をはじめ、増殖していきます。そして、葉にタバコモザイク病を起こします。
ウイルスには、DNAやRNAだけを持ち、タンパク質の外皮に包まれているだけというタイプのものもいます。他の生物などとは、全く違ったシステムで「生きて」います。ウイルスは、他の生物に寄生するまで、生命活動をすることなく、変化することもなく、無生物のような振る舞いをします。ところが、他の生物に寄生し、いい環境が与えられると、活動を開始し、栄養を摂取し、子孫をつくるという生命現象が見られます。
ウイルスがあまりに異質ですから、生物ではないというウイルス学者もいます。しかし、ウイルスが活動しているときは、明らかに生物としての働きをしています。そのメカニズムは、生物に共通する仕組みによって解明されています。ですから、ウイルスも、特殊な様式を持った生物と考えるべきでしょう。なんといっても、ウイルスを研究しているのは、生物学者なのですから。
では、改めて生物の定義をしていきましょう。
生物は、思っている以上に多様です。生物と呼ぶからには、多様性の中にも、何らかの共通する機能や仕組み、方法などをもっているはずです。その共通する働きの総体を「生命」と呼んでいるはずです。すべての生物に適用できる定義はできそうにありませんが、大部分の生物に適用できそうなものならば可能です。
生物の定義としては、いろいろな表現のしかたがありますが、
・入れ物にはいっている
・食べる
・コピーをつくる
・変化する
という4つの項目をすべて満たすものということになりそうです。
生物は、「入れ物にはいっている」とは、外界と隔壁をもって区分されているということです。外界との隔壁は、生体膜とよばれるものからできており、材料は脂質です。生物学では、個体と呼ばれます。この個体が定義できることによって、実体が存在できます。実体があれば、科学の対象となります。じつは、個体という概念は、生物の定義に含まれていないことがあります。しかし、生物を語るときに、最初に個体を確立しておくべきだと思います。
「食べる」とは、「代謝」とよばれます。栄養を摂取し、いらくなくなったものを排出するところまでを含みます。代謝を考えるとき、個体の内外の物質の出入りが基準となります。代謝とは、物理的な言いかたをすると、外から個体内に物質を取り入れ、エネルギー変換をし、外に不要な物質を排出する能力ともいえます。代謝の結果、個体は恒常性(ホメオスタシスと呼ばれます)を維持ことができます。代謝では、限られた種類のアミノ酸からできている多様なタンパク質が働いています。タンパク質は、DNAに書き込まれている遺伝情報を元に合成されます。
「コピーをつくる」とは、自分と同じ個体のコピーができるということです。つまり、人間的にいうと子供を作るということです。人間のようにオスメスの2種がいなくても、生物によっては、1つの個体が2つに分かれることで、複製をつくることもあります。複製の材料は、4種のヌクレオチドからできているDNA(デオキシリボ核酸)とその部分的コピーであるRNA(リボ核酸)が担っています。
「変化する」とは、環境の変化に応じてゆっくりとですが、世代を重ねるとともに個体の特性が変わっていくことです。適応とも呼ばれています。どんなに環境が変化しても、いずれかの生物が、その環境に適応していきます。一連の個体が、適応を続けて、DNAにその特性が記録されていくようなメカニズムを、進化といいます。進化があることによって、多様な生物種が形成され、地球の変化に対応して現在まで生物が生き延びてこれたのです。
これら生物の4つの定義は、完全なものではありません。すべての生物が、4つの条件を必ずしも満たしているわけではありません。生育環境が整わないと代謝をまったくしない種や、複製の仕組みを個体の中に持たないウイルスは、活動していないとき、生物の定義を満たしていません。しかし、彼らも、生物の仲間です。
一方、生物の定義をいくつか満たす無生物もあります。たとえば、鉄サビは、鉄という「食料」に、水と酸素という「環境」が整えば、自己触媒作用という「代謝」によって、酸化鉄という仲間が「増殖」していきます。もしそれが鉄サビであることを知らなければ、まるで代謝をして複製をおこなっている生物かのようにみえます。でも、これは、無機的な化学反応であって、生命活動ではありません。
多くの生物は、この4つの条件を満たしています。ですから、生物とは、これら4つの条件を「ほぼ」満たしている物質の総称となります。条件の総称を生命と呼べばいいのです。生物の厳密な定義ができないので、それを反映して、生命も厳密に定義できないのです。生物と生命は循環論法の関係にあるのではなく、生物の定義が不完全なために、それに依存すべき生命が定義できないのです。なぜなら、実態のある生物だけが、科学の対象となるからです。
生物とは、ある物質に特有の性質を持っているものをいいます。その特性こそが、生命と総称されるものです。物質という実態を伴う性質の解明から生物の定義ができれば、その定義の総体を生命と呼べばいいのです。これが科学的なアプローチといえます。でも、その道は遠そうです。
・生命論・
生命とは、なかなか一筋縄ではいかない厄介なテーマです。
非常に抽象的、概念的なものでもあります。
その抽象的、概念的な生命を宿している状態を
「生きている」といってるわけです。
だから完全な定義もできないのです。
生命に対する科学的なアプローチは古くからなされてきました。
生気論や生命論などと呼ばれています。
機会があれば、それについても紹介してきます。
・調査行・
北海道は、8月上旬は暑かったのですが、
お盆ころから涼しくなってきました。
8月下旬には、秋の気配が漂うような
気候となってきました。
今年の北海道は、ここ数年の暑い夏と比べれば、
非常に快適な日々となりました。
私は、例年のように9月になったら1週間ほど調査に出かけます。
今回は能登半島から飛騨の方に抜けていくコースになります。
一人旅で、いろいろ地質を見てきたと思っています。
「生きている」ということは、どういうことでしょうか。なかなかの難問です。多くの哲学者が、その答えを求めて悩んできました。悩んだ末に出された答えは、難解です。だれでもがわかるようには、提示されていません。そんな難問に、気軽に取り組むと、迷路に入り込んでしまいます。そこで、「生きている」目的を問うのではなく、「生きている」ことを定義してみることにしましょう。
「生きている」ということは、いろいろな考え方ができるでしょう。ここでは、生物が無生物とは違う点として、共通に持っている特性のことにます。生物共通の特性には、いろいろなものがありそうですが、「生命」をもっているということと言い換えられそうです。
ここでは、「生きている」ことを考えのですが、それを「生命」の定義と置き換えて考えていきましょう。では、その「生命」とは何か。
私たちが知っている生命は、地球の生命だけです。地球の生命でも、その営みは炭素を中心としておこなわれ、なおかつ私たちが生命とみなせるものだけです。もしかすると、地球には私たちが知らない、あるいは知り得ない生命がいるやも知れません。
生命の中で私たちが扱うことができるのは、「(地球)生物」だけです。これ以外の「ガイア(地球生命)」や「地球外生物」、「デジタル(人工)生命」などは、生物学の対象となりません。なぜなら、実体が不明で、実証的な科学では扱えないからです。
それでは、「生命」の定義をみていきましょう。
生物学辞典では、生命とは、「生物の本質的属性」で、それは「すべての生物がもっている共通の性質」となっています。これは、このエッセイの前提としてていることですが、答えにはなっていません。
上の文章でも、生物学辞典の定義でも、「生物」という言葉がでてきました。「生物」は、当たり前に使っている言葉ですが、この言葉も調べておきましょう。生物学辞典で、生物とは、「生命現象を営むもの」とあります。
この「生命現象」の生命は、上の定義では、「生物の本質的属性」となっていました。「生命」と「生物」は、お互いに相手が定義に依存していて、独自に定義ができていません。つまり、両者が一種の循環論法を用いていることになります。これは、生命および生物の定義が、完全なものではないこと、あるいは非常に難しい問題であることを反映しています。この問題は、長く人類を悩ましてきたことを反映しています。しかし今や、その答えを、不完全ながら出すことが可能になってきました。
定義を述べる前に、少し考えておくべきことがあります。それは、私たちは、生命というものをなんとなく見分けることができるのではないかということです。定義などできなくても、私たちは、なんとなく直感的に生命を感じとることができます。もしそうなら、わざわざ定義などする必要はありません。
たとえば、じっとしている茶色い犬と、その犬にそっくりな置物があるとします。両者には、共通点がたくさんあります。茶色い、動かない、4つ足があるなどというようなものを、多数挙げることができるでしょう。両者の決定的違いは、遠目ではわからないかもしれませんが、近づいて見るとわかります。小さな違いは探せばいくらでもでてくるでしょうが、その違いの中には本質あるいは生命にかかわるものが混じっているはずです。それが、私たちには直感的にわかるようなのです。私たちには、犬は生きていて、置物は生きていないという決定的で本質的な違いがわかるのです。
次の例です。寝ている猫と死んでいる猫がいるとします。これらの違いも、よく見ればわかります。その違いは、探せばいくらでも出てくるでしょうが、私たちには、生きているか死んでいるかが、直感的にわかります。「生きている」、つまり生命があるかないかは、定義など知らなくても、私たちには、直感的にわかるのです。
実はそこに、落とし穴があります。犬や猫のように、私たちに身近な、あるいは近縁な生物の「生命」のあるなしは見分けやすいのですが、縁の遠い生物では見分けづらくなっていきます。
植物の枝を切ったします。その枝を生育できる環境に挿せば、挿し木として生命活動をします。しかし、ほったらかしにしたらその枝は枯れてしまいます。では、この枝の、生きていると死んでいるの境界はどこにあるのでしょうか。なかなか難しい問題です。
タバコやトマトの葉に斑点ができ、奇形でよじれ、成長が悪くなるタバコモザイク病というものがあります。その原因は、現在では、タバコモザイクウイルスであることがわかっています。そのウイルスは、1935年アメリカの生化学者スタンレーが化学的に抽出しました。抽出したものは、なんと高分子の「結晶」となりました。「結晶」というものは、無生物の特徴でもあります。この一見、無生物にしか見えない結晶を、タバコの葉にすりこむと、結晶が溶けて生命活動をはじめ、増殖していきます。そして、葉にタバコモザイク病を起こします。
ウイルスには、DNAやRNAだけを持ち、タンパク質の外皮に包まれているだけというタイプのものもいます。他の生物などとは、全く違ったシステムで「生きて」います。ウイルスは、他の生物に寄生するまで、生命活動をすることなく、変化することもなく、無生物のような振る舞いをします。ところが、他の生物に寄生し、いい環境が与えられると、活動を開始し、栄養を摂取し、子孫をつくるという生命現象が見られます。
ウイルスがあまりに異質ですから、生物ではないというウイルス学者もいます。しかし、ウイルスが活動しているときは、明らかに生物としての働きをしています。そのメカニズムは、生物に共通する仕組みによって解明されています。ですから、ウイルスも、特殊な様式を持った生物と考えるべきでしょう。なんといっても、ウイルスを研究しているのは、生物学者なのですから。
では、改めて生物の定義をしていきましょう。
生物は、思っている以上に多様です。生物と呼ぶからには、多様性の中にも、何らかの共通する機能や仕組み、方法などをもっているはずです。その共通する働きの総体を「生命」と呼んでいるはずです。すべての生物に適用できる定義はできそうにありませんが、大部分の生物に適用できそうなものならば可能です。
生物の定義としては、いろいろな表現のしかたがありますが、
・入れ物にはいっている
・食べる
・コピーをつくる
・変化する
という4つの項目をすべて満たすものということになりそうです。
生物は、「入れ物にはいっている」とは、外界と隔壁をもって区分されているということです。外界との隔壁は、生体膜とよばれるものからできており、材料は脂質です。生物学では、個体と呼ばれます。この個体が定義できることによって、実体が存在できます。実体があれば、科学の対象となります。じつは、個体という概念は、生物の定義に含まれていないことがあります。しかし、生物を語るときに、最初に個体を確立しておくべきだと思います。
「食べる」とは、「代謝」とよばれます。栄養を摂取し、いらくなくなったものを排出するところまでを含みます。代謝を考えるとき、個体の内外の物質の出入りが基準となります。代謝とは、物理的な言いかたをすると、外から個体内に物質を取り入れ、エネルギー変換をし、外に不要な物質を排出する能力ともいえます。代謝の結果、個体は恒常性(ホメオスタシスと呼ばれます)を維持ことができます。代謝では、限られた種類のアミノ酸からできている多様なタンパク質が働いています。タンパク質は、DNAに書き込まれている遺伝情報を元に合成されます。
「コピーをつくる」とは、自分と同じ個体のコピーができるということです。つまり、人間的にいうと子供を作るということです。人間のようにオスメスの2種がいなくても、生物によっては、1つの個体が2つに分かれることで、複製をつくることもあります。複製の材料は、4種のヌクレオチドからできているDNA(デオキシリボ核酸)とその部分的コピーであるRNA(リボ核酸)が担っています。
「変化する」とは、環境の変化に応じてゆっくりとですが、世代を重ねるとともに個体の特性が変わっていくことです。適応とも呼ばれています。どんなに環境が変化しても、いずれかの生物が、その環境に適応していきます。一連の個体が、適応を続けて、DNAにその特性が記録されていくようなメカニズムを、進化といいます。進化があることによって、多様な生物種が形成され、地球の変化に対応して現在まで生物が生き延びてこれたのです。
これら生物の4つの定義は、完全なものではありません。すべての生物が、4つの条件を必ずしも満たしているわけではありません。生育環境が整わないと代謝をまったくしない種や、複製の仕組みを個体の中に持たないウイルスは、活動していないとき、生物の定義を満たしていません。しかし、彼らも、生物の仲間です。
一方、生物の定義をいくつか満たす無生物もあります。たとえば、鉄サビは、鉄という「食料」に、水と酸素という「環境」が整えば、自己触媒作用という「代謝」によって、酸化鉄という仲間が「増殖」していきます。もしそれが鉄サビであることを知らなければ、まるで代謝をして複製をおこなっている生物かのようにみえます。でも、これは、無機的な化学反応であって、生命活動ではありません。
多くの生物は、この4つの条件を満たしています。ですから、生物とは、これら4つの条件を「ほぼ」満たしている物質の総称となります。条件の総称を生命と呼べばいいのです。生物の厳密な定義ができないので、それを反映して、生命も厳密に定義できないのです。生物と生命は循環論法の関係にあるのではなく、生物の定義が不完全なために、それに依存すべき生命が定義できないのです。なぜなら、実態のある生物だけが、科学の対象となるからです。
生物とは、ある物質に特有の性質を持っているものをいいます。その特性こそが、生命と総称されるものです。物質という実態を伴う性質の解明から生物の定義ができれば、その定義の総体を生命と呼べばいいのです。これが科学的なアプローチといえます。でも、その道は遠そうです。
・生命論・
生命とは、なかなか一筋縄ではいかない厄介なテーマです。
非常に抽象的、概念的なものでもあります。
その抽象的、概念的な生命を宿している状態を
「生きている」といってるわけです。
だから完全な定義もできないのです。
生命に対する科学的なアプローチは古くからなされてきました。
生気論や生命論などと呼ばれています。
機会があれば、それについても紹介してきます。
・調査行・
北海道は、8月上旬は暑かったのですが、
お盆ころから涼しくなってきました。
8月下旬には、秋の気配が漂うような
気候となってきました。
今年の北海道は、ここ数年の暑い夏と比べれば、
非常に快適な日々となりました。
私は、例年のように9月になったら1週間ほど調査に出かけます。
今回は能登半島から飛騨の方に抜けていくコースになります。
一人旅で、いろいろ地質を見てきたと思っています。
2008年8月1日金曜日
79 人は何を信じるか:信憑性と信頼性(2008.08.01)
人が信じるのは、信憑性があるかです。多くの人が信じているからといって、正しいというわけではありません。人は何を信じ、どれを信頼すればいいのでしょうか。
以下に3つの事例を紹介します。その事例から、考えていただきたいことがあります。
まずは、コンドン・レポートからの事例です。
コンドン・レポートというの御存知でしょうか。コロラド大学教授のエドワード・コンドンが、アメリカ空軍の依頼を受けて、1967年にコンドン委員会を設立して調査をはじめ、1969年に報告書をまとめました。その報告書の通称が、コンドン・レポートです。
コンドン・レポートの事例37(Case 37)として、次のような内容ものがあります。
1967年のある夜、アメリカのジョージア州でパトロール中の2名の警官が、フットボールのような明るい赤色のUFOを目撃しました。警官らは、パトカーで州の外まで追跡したが、見失ってしまいました。ところが、彼らが帰ろうとしたら、またUFOが出現して、今度は警官らを追跡しはじめました。最後に、UFOは、木の高さの2倍ほどの位置に停止し、色をオレンジから白に変え、徐々に消えていったそうです。その後、このUFOは4日間にわたってこの地区に出現しました。ハイウェーで車を追いかけたり、森林パトロールの飛行機に追跡されたりしました。後で調べたら、11の町の警官たちに目撃され、写真まで撮られていたことがわかりまし。
連絡を受けたコロラド大学の研究者が、現場に急行しました。そして、研究者自身も空で停止しているUFOをみつけました。そのUFOは、マイナス4.2等星に匹敵する明るさでした。最終的に研究者は、そのUFOと呼ばれていたものが、金星であることを確認しました。
実は、コンドン・レポートとは、UFOに関する調査をまとめたものだったのです。その報告書では、このような多数の事例を調べた結果、「UFOが地球の外からやってきたという説には、何の証拠も認められない」という結論をだしました。
次の事例は、「地球が丸い」ことの証明です。
多くの人は、「地球が丸い」と思っています。しかし、それを証明しなさいというと、なかなか証明の方法は思いつけません。「地球が丸い」ことを示す証拠は、学校で習ったはずです。でも、その証拠や証明方法を忘れて、結果だけを記憶して、正しいと信じています。自分で証明を思いつけない人に、「地球が丸い」ことの根拠を尋ねると、多くはアポロやスペースシャトルから撮った写真や映像を示すことでしょう。写真には、暗い宇宙い間に浮かぶ、青くて丸い地球が写っているはずです。多くの人は、写真のようなイメージを根拠に、「地球が丸い」と信じていることになります。
「地球が丸い」のを直接見た人は、宇宙飛行士以外いません。しかし、多くの人は、自分が宇宙飛行士でもないのに、「地球が丸い」と信じています。丸い地球を見た宇宙飛行士が撮影した画像をもとに、多くの人は「地球が丸い」と思っているわけです。これは、一種のまた聞きの情報を基に判断しているようなものです。
3番目の事例は、原子の存在です。
多くの人は、原子の存在を信じています。学校教育で原子があることを教わります。しかし、だれも肉眼で原子を見た人はいません。なぜなら、見えないほど小さいものだからです。原子のイメージは、模型やイラストによるものだと思います。原子の存在の証拠は、信じるに足るものだったでしょうか。証拠に、自分自身が独自に判断できる情報があったでしょうか。
多分、探して見つかるのは、証拠ではなく、原子が存在するという論理だけではないでしょうか。人は、見たことのないものでも、論理とそれに基づく傍証があれば、信られるのです。
以上、3つの事例を紹介しました。1番目のUFO以外は、2番目の地球が丸いも3番目の原子の存在も、科学では正しいと考えられています。それらは、多数の証拠あるいは傍証と理論から、すでに科学では存在が確立されているものです。
ところが、聞いた人が、信じてしまうような気になるかどうかの程度ともいうべき、信憑性には、違いがでます。
3つの事例について、次のような問題が出たとしましょう。
問題 次の3つの中で一番もっともらしいのは、どれでしょうか。
1 (事実を知る前の)UFOを目撃した警官の説明:本人たちの経験談
2 地球が丸いのを知っているという人の説明:写真の提示
3 原子が存在する証拠を知っている人の説明:イラストの提示
説明を受ける人は、どれも見たことのないものです。3つの例は、いずれも自分が実体験したことのないものです。間接的な情報や証拠によって、もっともらしさを競うのです。
これら3つの場合で、予備知識もなく先入観もない人が、それぞれの証人から説得されたら、どれを、一番信憑性が高いと思うでしょうか。多分、先入観のない人は、1 UFO、2 地球が丸い、3 原子の存在、という順に、信憑性が高いと答えるでしょう。
では、なぜこのような信憑性に違いが生まれるのでしょうか。それは、証拠の提示する人と、証拠の質が違っているためだと考えられます。それぞれの事例で書き出してみると、
1 提示する人:多数の警官、証拠:直接体験した経験談
2 提示する人:知っているという人、証拠:写真
3 提示する人:論理を知っている人、証拠:イラスト
となります。
UFOは、社会的に信頼がある警官が、それも多数目撃したということが、信憑性を増しています。もし、これが、どこかの未開の部族の人たちが、同じ証言をしても、その信憑性は上がらないでしょう。証拠がたとえ経験談であって、その信憑性はゆるぎないものとなります。つまり、同じ人間でも、肩書きや、社会的立場によって、同じことを話しても、信じてもらえるかどうかに大きな違いがあるのです。
それに比べ、普通の人が一人で説得する2と3の事例の場合、証拠の質の違いが信憑性の違いを生みます。地球の写真も、原子のイラストも、いずれもサイズの変換が行われていて、実物ではありません。ですから、事実(実物)を証拠にしているわけではありません。
写真は、現実をありのままに写し撮ります。大きなものは遠くから、小さなものは近づいて撮れば、一枚の写真のサイズに写すことができます。
一方原子は、もともとだれも実物を見たことがないものですから、何らかの情報を元に、頭でイメージして描いたものです。どんなに写実的に描いても、それは架空のものになります。
実物に依拠するものと架空のものとで、証拠の優劣が生まれます。実物以外の証拠は、証拠の質によって、信憑性に差ができます。
以上述べてきたように、人がものごとの信憑性を判断するとき、提示した人、提示した証拠の質に大きく左右されるます。これを悪用すると、いかさま商法もできます。
人は、案外簡単にだまされます。そして、見かけや、見栄え、肩書きなどの本質的でないものに、信憑性を見出します。ですから人の弱点を補うために、証拠との論理にもとづかなればなりません。
証拠には、見えないもの、断片的なもの、数字でしか示せないもの、痕跡でしかないもの、再現できないものもあります。証拠の違いによって信憑性に違いがあるとしても、信頼性とは違うものだという理性的な判断が必要です。そこに、人の肩書きや、証拠の過多のようなものに左右されない強い心(理性)が必要です。
最終的に信頼できるものは、筋の通った論理があること、その論理の根拠となる証拠があるものです。どんなに見かけの信憑性があっても、論理と証拠がなければ、信頼性がありません。逆にどんなに信憑性がなくても、論理と証拠があれば、信頼性があります。
・UFO・
コンドン・レポートは、UFOに関するものです。
UFOとは、空軍の公式用語では、
「正体を確認できない飛行物体」のことを意味します。
一般には異星人の乗り物の総称として
使用されることが多いのですが、
厳密には、違っています。
もし公式な用語としてUFOを使うとすると、
UFOはざらに存在することになります。
その飛行物体が、何かわからないまま飛び去ったとしたら、
それは、UFOであり続けます。
もし、UFOとされたものが、子供が手を離してしまった風船で、
風船だと判明した時点で、UFOでなくなります。
異星人の乗り物だと判明したら、UFOではなくなります。
御注意ください。
・夏休み・
夏休みになりました。
北海道の小・中・高学校の夏休みは、
7月25日から8月18までです。
4週間もない短い夏休みです。
まあ、7月下旬から8月上旬が一番暑く、
それ以外は、過ごしやすい時期ですから、
勉学に当てていいはずです。
大学は、9月まで休みになります。
北海道で一番いい時期を、休みとして学生は満喫します。
大学と小・中・高学校の夏休みには大きな違いあります。
この制度は、いいのでしょうか、それとも悪いのでしょうか。
判断に悩むところですね。
以下に3つの事例を紹介します。その事例から、考えていただきたいことがあります。
まずは、コンドン・レポートからの事例です。
コンドン・レポートというの御存知でしょうか。コロラド大学教授のエドワード・コンドンが、アメリカ空軍の依頼を受けて、1967年にコンドン委員会を設立して調査をはじめ、1969年に報告書をまとめました。その報告書の通称が、コンドン・レポートです。
コンドン・レポートの事例37(Case 37)として、次のような内容ものがあります。
1967年のある夜、アメリカのジョージア州でパトロール中の2名の警官が、フットボールのような明るい赤色のUFOを目撃しました。警官らは、パトカーで州の外まで追跡したが、見失ってしまいました。ところが、彼らが帰ろうとしたら、またUFOが出現して、今度は警官らを追跡しはじめました。最後に、UFOは、木の高さの2倍ほどの位置に停止し、色をオレンジから白に変え、徐々に消えていったそうです。その後、このUFOは4日間にわたってこの地区に出現しました。ハイウェーで車を追いかけたり、森林パトロールの飛行機に追跡されたりしました。後で調べたら、11の町の警官たちに目撃され、写真まで撮られていたことがわかりまし。
連絡を受けたコロラド大学の研究者が、現場に急行しました。そして、研究者自身も空で停止しているUFOをみつけました。そのUFOは、マイナス4.2等星に匹敵する明るさでした。最終的に研究者は、そのUFOと呼ばれていたものが、金星であることを確認しました。
実は、コンドン・レポートとは、UFOに関する調査をまとめたものだったのです。その報告書では、このような多数の事例を調べた結果、「UFOが地球の外からやってきたという説には、何の証拠も認められない」という結論をだしました。
次の事例は、「地球が丸い」ことの証明です。
多くの人は、「地球が丸い」と思っています。しかし、それを証明しなさいというと、なかなか証明の方法は思いつけません。「地球が丸い」ことを示す証拠は、学校で習ったはずです。でも、その証拠や証明方法を忘れて、結果だけを記憶して、正しいと信じています。自分で証明を思いつけない人に、「地球が丸い」ことの根拠を尋ねると、多くはアポロやスペースシャトルから撮った写真や映像を示すことでしょう。写真には、暗い宇宙い間に浮かぶ、青くて丸い地球が写っているはずです。多くの人は、写真のようなイメージを根拠に、「地球が丸い」と信じていることになります。
「地球が丸い」のを直接見た人は、宇宙飛行士以外いません。しかし、多くの人は、自分が宇宙飛行士でもないのに、「地球が丸い」と信じています。丸い地球を見た宇宙飛行士が撮影した画像をもとに、多くの人は「地球が丸い」と思っているわけです。これは、一種のまた聞きの情報を基に判断しているようなものです。
3番目の事例は、原子の存在です。
多くの人は、原子の存在を信じています。学校教育で原子があることを教わります。しかし、だれも肉眼で原子を見た人はいません。なぜなら、見えないほど小さいものだからです。原子のイメージは、模型やイラストによるものだと思います。原子の存在の証拠は、信じるに足るものだったでしょうか。証拠に、自分自身が独自に判断できる情報があったでしょうか。
多分、探して見つかるのは、証拠ではなく、原子が存在するという論理だけではないでしょうか。人は、見たことのないものでも、論理とそれに基づく傍証があれば、信られるのです。
以上、3つの事例を紹介しました。1番目のUFO以外は、2番目の地球が丸いも3番目の原子の存在も、科学では正しいと考えられています。それらは、多数の証拠あるいは傍証と理論から、すでに科学では存在が確立されているものです。
ところが、聞いた人が、信じてしまうような気になるかどうかの程度ともいうべき、信憑性には、違いがでます。
3つの事例について、次のような問題が出たとしましょう。
問題 次の3つの中で一番もっともらしいのは、どれでしょうか。
1 (事実を知る前の)UFOを目撃した警官の説明:本人たちの経験談
2 地球が丸いのを知っているという人の説明:写真の提示
3 原子が存在する証拠を知っている人の説明:イラストの提示
説明を受ける人は、どれも見たことのないものです。3つの例は、いずれも自分が実体験したことのないものです。間接的な情報や証拠によって、もっともらしさを競うのです。
これら3つの場合で、予備知識もなく先入観もない人が、それぞれの証人から説得されたら、どれを、一番信憑性が高いと思うでしょうか。多分、先入観のない人は、1 UFO、2 地球が丸い、3 原子の存在、という順に、信憑性が高いと答えるでしょう。
では、なぜこのような信憑性に違いが生まれるのでしょうか。それは、証拠の提示する人と、証拠の質が違っているためだと考えられます。それぞれの事例で書き出してみると、
1 提示する人:多数の警官、証拠:直接体験した経験談
2 提示する人:知っているという人、証拠:写真
3 提示する人:論理を知っている人、証拠:イラスト
となります。
UFOは、社会的に信頼がある警官が、それも多数目撃したということが、信憑性を増しています。もし、これが、どこかの未開の部族の人たちが、同じ証言をしても、その信憑性は上がらないでしょう。証拠がたとえ経験談であって、その信憑性はゆるぎないものとなります。つまり、同じ人間でも、肩書きや、社会的立場によって、同じことを話しても、信じてもらえるかどうかに大きな違いがあるのです。
それに比べ、普通の人が一人で説得する2と3の事例の場合、証拠の質の違いが信憑性の違いを生みます。地球の写真も、原子のイラストも、いずれもサイズの変換が行われていて、実物ではありません。ですから、事実(実物)を証拠にしているわけではありません。
写真は、現実をありのままに写し撮ります。大きなものは遠くから、小さなものは近づいて撮れば、一枚の写真のサイズに写すことができます。
一方原子は、もともとだれも実物を見たことがないものですから、何らかの情報を元に、頭でイメージして描いたものです。どんなに写実的に描いても、それは架空のものになります。
実物に依拠するものと架空のものとで、証拠の優劣が生まれます。実物以外の証拠は、証拠の質によって、信憑性に差ができます。
以上述べてきたように、人がものごとの信憑性を判断するとき、提示した人、提示した証拠の質に大きく左右されるます。これを悪用すると、いかさま商法もできます。
人は、案外簡単にだまされます。そして、見かけや、見栄え、肩書きなどの本質的でないものに、信憑性を見出します。ですから人の弱点を補うために、証拠との論理にもとづかなればなりません。
証拠には、見えないもの、断片的なもの、数字でしか示せないもの、痕跡でしかないもの、再現できないものもあります。証拠の違いによって信憑性に違いがあるとしても、信頼性とは違うものだという理性的な判断が必要です。そこに、人の肩書きや、証拠の過多のようなものに左右されない強い心(理性)が必要です。
最終的に信頼できるものは、筋の通った論理があること、その論理の根拠となる証拠があるものです。どんなに見かけの信憑性があっても、論理と証拠がなければ、信頼性がありません。逆にどんなに信憑性がなくても、論理と証拠があれば、信頼性があります。
・UFO・
コンドン・レポートは、UFOに関するものです。
UFOとは、空軍の公式用語では、
「正体を確認できない飛行物体」のことを意味します。
一般には異星人の乗り物の総称として
使用されることが多いのですが、
厳密には、違っています。
もし公式な用語としてUFOを使うとすると、
UFOはざらに存在することになります。
その飛行物体が、何かわからないまま飛び去ったとしたら、
それは、UFOであり続けます。
もし、UFOとされたものが、子供が手を離してしまった風船で、
風船だと判明した時点で、UFOでなくなります。
異星人の乗り物だと判明したら、UFOではなくなります。
御注意ください。
・夏休み・
夏休みになりました。
北海道の小・中・高学校の夏休みは、
7月25日から8月18までです。
4週間もない短い夏休みです。
まあ、7月下旬から8月上旬が一番暑く、
それ以外は、過ごしやすい時期ですから、
勉学に当てていいはずです。
大学は、9月まで休みになります。
北海道で一番いい時期を、休みとして学生は満喫します。
大学と小・中・高学校の夏休みには大きな違いあります。
この制度は、いいのでしょうか、それとも悪いのでしょうか。
判断に悩むところですね。
2008年7月1日火曜日
78 演繹と帰納との狭間:科学の柔軟性(2008.07.01)
このエッセイで、今まで何度か帰納法と演繹法について、取り上げてきました。今回、再度、帰納と演繹を取り上げて考えていきます。
以前、このエッセイで、「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽を明らかにすることは、論理的に不可能だということを示しました。「化石は、過去の生物の一部である」は、多くの人は当たり前だと思っています。しかし、論理的には証明できないのです。
偽であるという証明は、反例を一つ示せばいいので、簡単です。現在のところ、まだ反例を示されていないので、偽の証明もできていません。一方、真であることを示すためには、すべての化石が、過去の生物であることを示せない限り、証明は終わりません。真であることを示すのは、現実的には不可能なので、真という証明もできないわけです。かくて「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽は、判定できないということになります。
ところが、科学では、「化石は、過去の生物の一部である」という命題は、「多分、真である」と扱われています。
ある時代の貝化石で、現在生きている貝の殻とそっくりなものがあったとします。これを、「化石は、過去の生物の一部である」の一つの証拠(本当は証拠ではありませんが)とします。さらにいろいろな時代の貝化石が見つかり、同じように現生の貝と似ていました。すると証拠は増えいきます。動物の骨の化石でも同じことができたとしました。さらに、植物の葉、種、花粉、プランクトンなどなど・・・。証拠は、いっぱい見つかってきました。
化石と現在の生物の類似性を示す大量の「真」らしき証拠(傍証というべきもの)によって、古生物学では、「多分、真である」として扱われています。これは、アナロジー(類似)と枚挙的帰納という手法が用いられています。一種の帰納法です。帰納法は前回のエッセイで紹介したように、論理的には、事例をどれだけ増やして(化石と現生生物のアナロジーの枚挙)も、前提が真であっても、結論が真であることは保障されていません。これを「真理保存性がない」と呼んでいます。帰納法という手法は、もともと真理保存性がないという欠点を持っているのです。
しかし、帰納法は、科学においてて常套的に利用されています。科学における一番重要な場面は、仮説を作る段階です。アナロジーをうまく使えば、似た別のものへも論理を拡大できる可能性があります。また、枚挙的帰納法も、個々の事例を集めて、何らかの一般則を見出すことできます。あるいは、アブダクションと呼ばれる帰納法は、ある事例を、何らかの仮定を立てると上手く説明できるようなものもあります。このように帰納法は、仮説をつくるためには非常に有用となります。つまり帰納法には、正しさは保障されませんが、新しいものを生み出すという、捨てがたい利点があります。
現実に、科学は、真理保存性がない帰納法に基づいて、進められています。これでいいのかという不安があるのですが、仮説を立てるという利点があるので、今のところ利用されています。
一方、演繹法は、論理的に正しいことが分かっています。例えば、
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「化石」である。ゆえにこの石は、「昔の生物」である:一般的に書くと、AならばB、Aである、ゆえにBである、というモードゥス・ポネンスと呼ばれる
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「昔の生物」ではない。ゆえにこの石は「化石」ではない:AならばB、Bでない、ゆえにAでない、というモードゥス・トレンスと呼ばれるもの
・すべての「地層の中の貝殻」は「化石」である、そしてすべての「化石」は「昔の生物」である。したがってすべての「地層の中の貝殻」は「昔の生物」である:AはBである、BはCである、ゆえにAはCである、という三段論法の一種でバーバラと呼ばれるもの
などがあります。
これらは、どれも論理的に正しいものです。前提(「化石」ならば「昔の生物」である)が真なら、結論(この石は、「昔の生物」である)も真となります。演繹法においては、真理保存性があるということです。でも、個々で挙げた例を見てもわかるように、論理的に正しいことではあっても、新しいことが何か分かったわけではありません。当たり前のことを、回りくどくいっているに過ぎません。科学的には、演繹法は新しい知見を発見することがないわけです。
もちろん、何らかの法則や理論がわかっていれば、それを未知のものに適用していくことは可能です。つまり応用する場合には利用できます。しかし、演繹からは、新しい法則や理論を生まれるわけではないのでが、正しさは保障されので応用には便利です。
演繹法と帰納法のどちらにも長所と短所があって、歯がゆい思いをします。二つをうまく組み合わせて、多くの科学がなされています。帰納法にによって、何らかの仮説を導き出し、その仮説が正しいかどうかを、演繹法によって確認しようというものです。この方法を仮説演繹法と呼んでいます。
例えば、白亜紀の地層から歯の化石が見つかったとします。その歯の化石と現生の生物とを比べてみると、肉食の爬虫類(例えばトカゲ)の歯のものとそっくりでした。ですから、白亜紀には今のトカゲと似たような「昔の生物」がいたというアナロジーという帰納法による仮説が立てることができます。さらに、肉食の爬虫類、つまり食べる肉食動物がいたのなら、食べられる草食動物もいたはずというアブダクションと呼ばれる帰納法による仮説をたてます。そのような仮説から、同じ時代の地層から餌となった草食動物の化石もみつかっていいはず、という仮説演繹法ができます。
実際に探してみたところ、草食の爬虫類化石が見つかったとしましょう。この仮説演繹法で、一種の「予言」をおこなったわけです。「予言」のとおり化石が見つかったわけです。仮説が正しかったから、「予言」も正しいという演繹法による真理保存性を利用したものになります。この「予言」は、重要です。いくつも「予言」できれば、それはいろいろな新しい知見を見出せるわけです。帰納法の新しいものを見出す長所と、演繹法の正しさを組み合わせて用いているわけです。これは科学でよく用いられている手法です。
ここに実は、だまされやすい罠があります。仮説の予言による検証の過程が、実は演繹法ではなく、帰納法になっているのです。帰納法ですから、仮説が検証されたわけではないのです。
上の話を単純化して書くと、A(仮説)ならばB(予言)である。Bである。ゆえにAである、となっています。A:白亜紀に肉食爬虫類がいればそれに食べられていた草食動物がいるはずだ(仮説)。B:餌となった草食動物の化石が見つかるはずだ。草食動物の化石が見つかった。ゆえにその草食動物は肉食動物の餌であった。というような論理になるわけです。
AならばB、Bである、ゆえにAであるは、モードゥス・ポネンス(AならばB、Aである、ゆえにBである)でも、モードゥス・トレンス(AならばB、Bでない、ゆえにAでない)でもない、似て非なる論理形式になっています。この仮説演繹法の形式は、正しい演繹法ではありません。
これは、よく考えるとおかしいことがわかります。草食動物の化石は、見つかったのは事実です。しかし、その草食動物が、必ずしも見つかっている肉食動物の餌であったかどうかわかりません。別の草食動物を食べていたかもしれないわけです。この例のように、仮説演繹法には、反例が存在する可能性があるので、正しい演繹法の条件を満たしていません。ですから、得られた結論は、真とはいえないのです。
ところが、科学は仮説演繹法を大いに利用しています。なぜなら、科学は現時点で一番もっともらしいものをとりあえず採用していく営みだからです。もし、あとで、間違いであることが判明すれば、修正や訂正、あるいは新しい仮説に乗り換えればすればいいのです。重要なことは、科学には、このような論理的には、解決不可能な困難さを内包しているということを、理解しておくことです。
科学のこの不確かさが、もしかすると科学の柔軟性といえるのかもしれません。この柔軟さがなければ、この世は科学が解き明かした数少ない真理だけしかありません。不確かさだけで確認されていくことになります。この世は分からないことだらけです。昔正しいとされていた理論だって、今では間違いだというものも、例を挙げるまでもなく、一杯あります。科学とは、現在一番もっともらしいものに過ぎず、よりよいものが現われれば、それちらに趨勢が流れていけるわけです。この柔軟さが、科学の営みの中で、もっとも重要な属性なのかもしれません。
・科学哲学・
ここで述べたようなことは、
哲学、特に科学哲学の分野で議論されているものです。
そして、未だに結論がでていない、非常の難解な内容です。
私もまだ勉強中で、全貌を把握している訳ではありません。
ですから、エッセイに間違いを含んでいるかもしれません。
しかし、非常に重要なことを議論しているように思います。
科学者の中には、科学哲学は生産的なく、
科学のアラ探しばかりしているように見えるので
毛嫌いしている人もいるようです。
しかし、論理性を追求する科学であるから、
科学の営み自体も論理的であるべきです。
そして、そのような論理的欠陥をあることを
理解しながら科学するとしないのでは、
大きな転換期への対処が変わってくるかもしれません。
そのような欠陥を知っていれば、
大発見の兆しや、理論の大転換のときに、
科学者として身の処し方を誤ることがないのではないでしょうか。
科学は、上で述べたような論理的欠陥を抱えながら運用です。
ですから、少々乱暴な言い方ですが、
科学とは、どんな仮説もありで、仮説演繹法による予言で
確度を少しでも高めていくことを繰り返すことではないでしょうか。
そして反例がでれば、潔くその仮説は捨て
よりよい新たな仮説を生み出でばいいのです。
・将来の目標・
7月になりました。夏です。
本州はまだ梅雨明けしていないようですが、
北海道は夏らしい爽快な季節となりました。
もちろん晴れて暑い日、蒸し暑い日、雨の日もあります。
このような季節の移り変わりが、
北海道では、より明瞭に感じられる気がします。
大学の講義も、前期もいよいよ終盤となってきました。
学生たちは、定期試験と夏休みのことを
考えるようになって来ています。
私の所属する学科は、設立3年目です。
3年生は実習、1、2年生は集中講義です。
来年には、教員採用試験を受ける4年生ができます。
少々忙しく、落ち着かない夏休みですが、
将来の目標に向かって学ぶ姿はいいものです。
以前、このエッセイで、「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽を明らかにすることは、論理的に不可能だということを示しました。「化石は、過去の生物の一部である」は、多くの人は当たり前だと思っています。しかし、論理的には証明できないのです。
偽であるという証明は、反例を一つ示せばいいので、簡単です。現在のところ、まだ反例を示されていないので、偽の証明もできていません。一方、真であることを示すためには、すべての化石が、過去の生物であることを示せない限り、証明は終わりません。真であることを示すのは、現実的には不可能なので、真という証明もできないわけです。かくて「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽は、判定できないということになります。
ところが、科学では、「化石は、過去の生物の一部である」という命題は、「多分、真である」と扱われています。
ある時代の貝化石で、現在生きている貝の殻とそっくりなものがあったとします。これを、「化石は、過去の生物の一部である」の一つの証拠(本当は証拠ではありませんが)とします。さらにいろいろな時代の貝化石が見つかり、同じように現生の貝と似ていました。すると証拠は増えいきます。動物の骨の化石でも同じことができたとしました。さらに、植物の葉、種、花粉、プランクトンなどなど・・・。証拠は、いっぱい見つかってきました。
化石と現在の生物の類似性を示す大量の「真」らしき証拠(傍証というべきもの)によって、古生物学では、「多分、真である」として扱われています。これは、アナロジー(類似)と枚挙的帰納という手法が用いられています。一種の帰納法です。帰納法は前回のエッセイで紹介したように、論理的には、事例をどれだけ増やして(化石と現生生物のアナロジーの枚挙)も、前提が真であっても、結論が真であることは保障されていません。これを「真理保存性がない」と呼んでいます。帰納法という手法は、もともと真理保存性がないという欠点を持っているのです。
しかし、帰納法は、科学においてて常套的に利用されています。科学における一番重要な場面は、仮説を作る段階です。アナロジーをうまく使えば、似た別のものへも論理を拡大できる可能性があります。また、枚挙的帰納法も、個々の事例を集めて、何らかの一般則を見出すことできます。あるいは、アブダクションと呼ばれる帰納法は、ある事例を、何らかの仮定を立てると上手く説明できるようなものもあります。このように帰納法は、仮説をつくるためには非常に有用となります。つまり帰納法には、正しさは保障されませんが、新しいものを生み出すという、捨てがたい利点があります。
現実に、科学は、真理保存性がない帰納法に基づいて、進められています。これでいいのかという不安があるのですが、仮説を立てるという利点があるので、今のところ利用されています。
一方、演繹法は、論理的に正しいことが分かっています。例えば、
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「化石」である。ゆえにこの石は、「昔の生物」である:一般的に書くと、AならばB、Aである、ゆえにBである、というモードゥス・ポネンスと呼ばれる
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「昔の生物」ではない。ゆえにこの石は「化石」ではない:AならばB、Bでない、ゆえにAでない、というモードゥス・トレンスと呼ばれるもの
・すべての「地層の中の貝殻」は「化石」である、そしてすべての「化石」は「昔の生物」である。したがってすべての「地層の中の貝殻」は「昔の生物」である:AはBである、BはCである、ゆえにAはCである、という三段論法の一種でバーバラと呼ばれるもの
などがあります。
これらは、どれも論理的に正しいものです。前提(「化石」ならば「昔の生物」である)が真なら、結論(この石は、「昔の生物」である)も真となります。演繹法においては、真理保存性があるということです。でも、個々で挙げた例を見てもわかるように、論理的に正しいことではあっても、新しいことが何か分かったわけではありません。当たり前のことを、回りくどくいっているに過ぎません。科学的には、演繹法は新しい知見を発見することがないわけです。
もちろん、何らかの法則や理論がわかっていれば、それを未知のものに適用していくことは可能です。つまり応用する場合には利用できます。しかし、演繹からは、新しい法則や理論を生まれるわけではないのでが、正しさは保障されので応用には便利です。
演繹法と帰納法のどちらにも長所と短所があって、歯がゆい思いをします。二つをうまく組み合わせて、多くの科学がなされています。帰納法にによって、何らかの仮説を導き出し、その仮説が正しいかどうかを、演繹法によって確認しようというものです。この方法を仮説演繹法と呼んでいます。
例えば、白亜紀の地層から歯の化石が見つかったとします。その歯の化石と現生の生物とを比べてみると、肉食の爬虫類(例えばトカゲ)の歯のものとそっくりでした。ですから、白亜紀には今のトカゲと似たような「昔の生物」がいたというアナロジーという帰納法による仮説が立てることができます。さらに、肉食の爬虫類、つまり食べる肉食動物がいたのなら、食べられる草食動物もいたはずというアブダクションと呼ばれる帰納法による仮説をたてます。そのような仮説から、同じ時代の地層から餌となった草食動物の化石もみつかっていいはず、という仮説演繹法ができます。
実際に探してみたところ、草食の爬虫類化石が見つかったとしましょう。この仮説演繹法で、一種の「予言」をおこなったわけです。「予言」のとおり化石が見つかったわけです。仮説が正しかったから、「予言」も正しいという演繹法による真理保存性を利用したものになります。この「予言」は、重要です。いくつも「予言」できれば、それはいろいろな新しい知見を見出せるわけです。帰納法の新しいものを見出す長所と、演繹法の正しさを組み合わせて用いているわけです。これは科学でよく用いられている手法です。
ここに実は、だまされやすい罠があります。仮説の予言による検証の過程が、実は演繹法ではなく、帰納法になっているのです。帰納法ですから、仮説が検証されたわけではないのです。
上の話を単純化して書くと、A(仮説)ならばB(予言)である。Bである。ゆえにAである、となっています。A:白亜紀に肉食爬虫類がいればそれに食べられていた草食動物がいるはずだ(仮説)。B:餌となった草食動物の化石が見つかるはずだ。草食動物の化石が見つかった。ゆえにその草食動物は肉食動物の餌であった。というような論理になるわけです。
AならばB、Bである、ゆえにAであるは、モードゥス・ポネンス(AならばB、Aである、ゆえにBである)でも、モードゥス・トレンス(AならばB、Bでない、ゆえにAでない)でもない、似て非なる論理形式になっています。この仮説演繹法の形式は、正しい演繹法ではありません。
これは、よく考えるとおかしいことがわかります。草食動物の化石は、見つかったのは事実です。しかし、その草食動物が、必ずしも見つかっている肉食動物の餌であったかどうかわかりません。別の草食動物を食べていたかもしれないわけです。この例のように、仮説演繹法には、反例が存在する可能性があるので、正しい演繹法の条件を満たしていません。ですから、得られた結論は、真とはいえないのです。
ところが、科学は仮説演繹法を大いに利用しています。なぜなら、科学は現時点で一番もっともらしいものをとりあえず採用していく営みだからです。もし、あとで、間違いであることが判明すれば、修正や訂正、あるいは新しい仮説に乗り換えればすればいいのです。重要なことは、科学には、このような論理的には、解決不可能な困難さを内包しているということを、理解しておくことです。
科学のこの不確かさが、もしかすると科学の柔軟性といえるのかもしれません。この柔軟さがなければ、この世は科学が解き明かした数少ない真理だけしかありません。不確かさだけで確認されていくことになります。この世は分からないことだらけです。昔正しいとされていた理論だって、今では間違いだというものも、例を挙げるまでもなく、一杯あります。科学とは、現在一番もっともらしいものに過ぎず、よりよいものが現われれば、それちらに趨勢が流れていけるわけです。この柔軟さが、科学の営みの中で、もっとも重要な属性なのかもしれません。
・科学哲学・
ここで述べたようなことは、
哲学、特に科学哲学の分野で議論されているものです。
そして、未だに結論がでていない、非常の難解な内容です。
私もまだ勉強中で、全貌を把握している訳ではありません。
ですから、エッセイに間違いを含んでいるかもしれません。
しかし、非常に重要なことを議論しているように思います。
科学者の中には、科学哲学は生産的なく、
科学のアラ探しばかりしているように見えるので
毛嫌いしている人もいるようです。
しかし、論理性を追求する科学であるから、
科学の営み自体も論理的であるべきです。
そして、そのような論理的欠陥をあることを
理解しながら科学するとしないのでは、
大きな転換期への対処が変わってくるかもしれません。
そのような欠陥を知っていれば、
大発見の兆しや、理論の大転換のときに、
科学者として身の処し方を誤ることがないのではないでしょうか。
科学は、上で述べたような論理的欠陥を抱えながら運用です。
ですから、少々乱暴な言い方ですが、
科学とは、どんな仮説もありで、仮説演繹法による予言で
確度を少しでも高めていくことを繰り返すことではないでしょうか。
そして反例がでれば、潔くその仮説は捨て
よりよい新たな仮説を生み出でばいいのです。
・将来の目標・
7月になりました。夏です。
本州はまだ梅雨明けしていないようですが、
北海道は夏らしい爽快な季節となりました。
もちろん晴れて暑い日、蒸し暑い日、雨の日もあります。
このような季節の移り変わりが、
北海道では、より明瞭に感じられる気がします。
大学の講義も、前期もいよいよ終盤となってきました。
学生たちは、定期試験と夏休みのことを
考えるようになって来ています。
私の所属する学科は、設立3年目です。
3年生は実習、1、2年生は集中講義です。
来年には、教員採用試験を受ける4年生ができます。
少々忙しく、落ち着かない夏休みですが、
将来の目標に向かって学ぶ姿はいいものです。
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