最近、地質学をはじめた頃を思い出しています。必要があって、新たな研究領域の文献を調べています。初心者になった気持ちで、文献を読んでいます。時間の流れの中で、知らない領域での「初心」を味わっています。
2025年3月末で退職してから、5ヶ月が過ぎました。校務がなくなり、講義ノルマもほとんどなくなり、精神的に楽になりました。春からは、別のキャンパスでの講義という新たな体験もしましたが、それも無事終わりました。全く新しい生活パターンとして過ごしてきましたが、なんとか対応してきました。9月下旬から、現在いるキャンパスでの、一日で2つの講義をします。前期よりも、少々多くなりますが、慣れていくしかありません。
人生にはさまざまな時間の区切りが設けれられています。それらは、時間軸の上につけられた区切りなので、必ず訪れ、必ず過ぎ去ります。最近もいろいろな区切りが通り過ぎていきました。例えば、8月が終わったので、退職最初の1年の3分の2が過ぎました。2025年なっているので21世紀の四半世紀が過ぎたことになります。
自身にとって、人生の大半が過ぎ去りました。残された時間が不明なので、どこで終わってもいいように、やりたいことを優先順にこなしていこうと考えています。去りゆく時間を振り返ることも時には重要ですが、未来を見据えて淡々と過ごしていこうと考えています。
退職したので校務はなくなったので、研究に主力をおいて興味のままに継続していこうと考えていました。体力維持に心がけながら、環境も整えてきたのですが、そんな矢先です。最近、一気に体調不調に陥りました。退職の1年ほど前から、体のあちこちに変調をきたし、治療を受け続けています。現在も不調が継続しています。
集中力を維持するのがなかなか難しいのですが、ただ幸いなことに、好奇心は継続しています。4月以降、人生における時間的縛り、あるいは大きな区切りはなくなったので、日々、ワクワクしながら研究に臨んでいます。とりあえず、体と相談しながら、無理をしないで、現在の研究テーマの区切りまで進めて完結できればと考えいています。
ただ、初心不可忘(初心忘るべからず)と思って日々励んでいます。そもそも「初心忘るべからず」とは、世阿弥の「花鏡」の中にある言葉です。物事をはじめた頃は、謙虚で真剣な気持ちでだったはずです。それを忘れていけないという教訓です。
現在、初心状態になっています。なぜなら、退職後、初心になるような研究テーマに移行したためです。教員時代は、科学、教育、哲学という研究体系を目指して、科学それも地質学を中心に研究を進めてきました。退職後は、より学際的で哲学寄りのテーマに分け入っています。それは、退職前から考えていた構想に沿っています。
ただし、教育実践は非常勤講師として前期1つ後期2つの講義をしていますが、主にはメールマガジンを使った配信による科学教育の実践だけにしました。3つあったものを2つにしました。教育実践にための大学の専用サーバも閉鎖しました。小さなレンタルサーバをもっていますが、個人用なので教育実践には用いていません。
地質哲学を中心に、ここ数年は研究を深めていこうと考えています。現在、探求しているのは、地質学に端を発した疑問が、地質学では対処できず、宗教的な手法(密教の考え方や方法論)ならば、解決可能かもしれないと思いつきました。そんな手法を地質哲学に導入し、開拓していこうと考えています。
現在、広く宗教全般における密教の位置づけをまとめていこうと考えました。広く宗教を考えると、西洋における宗教全般の変遷史を考えなければならず、それは世界史に直結します。また、密教には東洋史、日本史も深く関わってきます。さらにそんな宗教と科学の関係を整理して置かなければならないと考えています。現在の科学は西洋に端を発していますので、科学と宗教の関係、あるいは地質学と宗教との関係もどのように扱われてきたのかなども整理していくことになります。さらに哲学と宗教の関係・・・と、テーマが連鎖的に広がっています。
おかげで当初1編の論文として書く予定の内容が、あれこれ調べていくと、それぞれに興味が湧いてきて、現在、数編(少なくとも4編)に膨らんでいきそうです。どこまで調べて、どのようにまとめていけるかは、まだわかりませんが、興味が継続していく限り、進めていこうと考えています。
退職前後は、南方熊楠による密教の方法論を適用していこうという方針は考えていたのですが、冥王代にどのよう展開していくのかが、今後の課題となっています。その方針や方法論の全貌については、まだまだ未定です。まとまってきたら、このエッセイでも紹介していきたいと考えています。
非常に広い学際的なテーマになってきていますので、知らないこと、わからないことだらけです。新たな文献を、次々と調べては読んでは知識をえて、見識が広まっていくことが楽しく、ワクワクしています。ただし、集中力は衰えてきているようですので、現在の自分に合ったスピードで進めていくしかありません。
そんなときこそ、初心不可忘です。現在の興味の中心は、冥王代という地球最初の年代で、証拠のない時代へのどのような地質学的アプローチができるかということです。証拠のないため、科学的に不可知の領域へ、どのように科学的方法論を導入していくのか。検証不能の命題です。
しかし、そんな不可知を探求する方法論を、仏教や密教では確立されています。その方法論を地質学に転用し、展開できれば、これまでになかった地質哲学の開拓になっていくのではと考えています。
専門である地質学でのテーマを極めるために、新たな研究領域を学んでいます。そこでは、以前からはじめていた科学哲学だけでなく、歴史学や宗教学など、新たな分野へ興味が展開しています。しかし、地質学の初心を忘れることなく、進めていこうと思います。
・腰痛がまた発症・
先日、大学が全館計画停電だったので
この機会に、自宅で、いろいろ工作や
大工仕事をしていたら、
また腰痛がでてきました。
自宅で、体を使う作業をすると
よく腰痛を発症します。
今回は、痛みはあるのですが、
ひどくはなっていないので
無理せずに様子をみていくしかありません。
・例年の夏・
今年の北海道の夏は、
暑かった日はありましたが、
特別に暑くは感じませんでした。
例年のような夏と思いました。
本州では猛暑が続いたようですが、
北海道、あるいは私の体感かもしれませんが
エアコンを使った回数は
それほど多くはありませんでした。
また、寝室で扇風機をつける回数も
それほどではありませんでした。
例年の夏に思えました。