2005年8月1日月曜日

43 数で勝負:時間の矢を飛び越える(2005.08.01)

 本当のことを知りたいと思っても、なかなか知ることはできません。でも、何とか知りたいとき、人はあの手この手を使って、知恵を振り絞って考えていきます。この世に一つしかないものが経てきた時間、まだ来てないが来るであろう時間、そのようなものは、今からはなかなか知ることできません。でも、知ろうという努力がなされています。

 日本では四季がはっきりとしており、季節ごとに風物や楽しみが違っていて、いい環境だと思います。どんなに暑い夏もやがて秋になり涼しくなります。どんなに雪の多い冬も、やがて雪が融けて春になります。季節は巡り、そんな繰り返しが日本列島では起こっています。
 昨年の夏は例年になく、暑く、台風もたくさん上陸しました。このようによくみると巡ってきた季節にも、その年その年で違いがあります。暑い夏、寒い冬といっても、違いを探せば見つかります。
 自然界における出来事、現象、作用は、どんなに同じような繰り返しがあるように見えても、同じものではありません。つまり、時間経過に伴う自然の変化とは、不可逆な変化といえます。自然界では一方向にしか時間が流れないのです。自然界における時間の流れは、「時間の矢」ともいうべき存在なのです。
 それぞれの人の経歴は、自分しか経験したことがなく、誰にもマネのできないことです。では、自分中心に考えると、自分の歴史を探るには、どのようにすればいいでしょうか。2つのアプローチがあり得ます。ひとつは、自分自身の内部を詳しく調べる方法、もうひとつは、自分以外の類似のものから間接的に調べる方法、の2つがあります。
 自分が誕生したときの様子を知ろうとしても、自分自身には誕生の記憶はほとんどないはずです。しかし、自分の体を何らかの方法で調べれば、自分の年齢はいくつくらいかは見当がつくはずです。記憶をたどれば、誕生以降の様子は思い出すことができます。記憶のある時期の経歴はたどれたとしても、正確な誕生の様子には、たどり着くことはできません。
 より多くの情報を得るには、自分より前から生きている人で、自分の誕生知っている人、たとえば母親から当時の様子を聞くことが、非常に有効な方法です。しかし、これは、人だからできる手法であります。もし、自然物であれば、まして地球や太陽のようにこの世に一個しか存在しないものについては、この方法は使えません。
 では、太陽や地球の一生、あるいは履歴、歴史を探りたいと思ったら、どうすればいいでしょうか。少し深く考えていきましょう。
 地球の場合は、地球内部にその岩石や化石などに歴史が断片的ですが記録されています。ですから、自分の内部を調べる方法が適用できます。また、地球以外の惑星もありますから、それらとの比較する方法も使えるでしょう。
 しかし、太陽は、一つしかありません。太陽自身も、今の状態の太陽しか探ることができません。過去の太陽の歴史を、今の太陽から試料を手に入れたり、証拠を得て、直接探ることはできそうにありません。では、どうすればいいでしょうか。
 そんなとき、数で勝負する方法があります。
 宇宙を、もし宇宙の外から眺めることができれば、宇宙は多数の輝く小さな点でできていることが見えてくるはずです。その輝く点とは、銀河のことです。つまり、多数の銀河があるということです。また銀河を外から見ると、多数の輝く小さな点、星でできていることが見えてくるはずです。天の川は、英語でミルキーウェイと呼ばれるように、ぼんやりと明るい光の帯です。これはすべて星(恒星)によってできています。
 自然界は、このような階層があります。小さなスケールでも、生物、岩石、鉱物、分子、原子、素粒子など、さまざまな階層があります。そしてそれぞれの階層には、構成要素が多数あります。もちろん、ひとつひとつ詳しく調べれば、それぞれ個性が見つかるかもしれません。しかし、たとえば、恒星という階層の構成物という視点で見れば、多数の同等のものがあるということになります。つまり、私たちは、多数の実例をもっていることになります。
 宇宙には、多数の星があります。そのような多数の実例を利用すれば、太陽の生い立ちを、間接的ですが調べる方法となります。
 たくさんの星があります。たくさんあるのなら、とりあえず整理することです。整理するには、まず区分して、似たものを順番に並べてみる必要があります。もし、その区分や順番に意味が見出せれば、それは何らかの論理を見出せるかもしれません。
 やってみましょう。やり方は次のようになるでしょう。
 星にはいくつかの種類があるはずです。太陽と似た星を多数集めて、調べていきます。太陽と似たタイプの星の中にも、いろいろな種類の星に区別があるでしょう。それらいろいろな太陽類似の星を、ある星の一生だと仮定して、並べてみます。もちろん、誕生の頃にする理由、死の間際にする理由が必要でしょう。なんらかの理由を見出しながら、見出せないときには、強引に並べてみます。すると、そこには、時系列らしきものに沿って並べられた星の列ができます。ひとつひとつの星はまったく違うものですが、一見星の一生を示すような順番とみえるものがこれでつくることができます。もし、その並びに、何らかの法則、原理、論理によってで説明できるものがあれば、その順番は単に偶然ではなく、ある必然の可能性を示すことができます。
 もちろん、このやり方でてくる論理は仮説にしか過ぎません。歴史は繰り返しませんし、太陽にも個性があるし、規則には例外があるでしょう。だからの仮説の可能性は高めることはできるしょうが、あくまでも仮説の域を出ることはできません。しかし、まったく履歴がわからないと投げ出すより、仮説でもいいですから手にできれば生産的です。この宇宙で唯一の太陽自身の履歴が、誕生から死まで、何らかの根拠を持って推定することができるかもしれないのです。
 では、今いったような考え方で、太陽の履歴を探っていきましょう。
 分類の仕方は、まず、よく見ることです。今回の場合は、星をよく見ることです。星が瞬くのは、地球の空気が揺れているためです。地球の大気を通して星を見ていることを、忘れないようにする必要があります。
 星を見たとき、明るさと色に違いあることに気づきます。この明るさと色の違いが、区分の重要な手がかりとなります。
 明るい星から暗い星まであります。肉眼では見えないような暗い星もあります。同じ明かりでも、近いと明るく、遠いと暗くなります。ですから、遠い星は暗くなっています。見かけの明るさは、本当の星の明るさとは限りません。もし、星までの距離が何らかの方法で測ることができれば、本当の明るさがわかります。本当の明るさは、真の明るさ、絶対等級、光度などで表されています。
 星の色は、青白、白、淡黄、オレンジ、赤、深赤に大雑把に分けられます。多数の星を色に合わせて並べてみると、青白から深赤まで、ただらかに変化していきます。欠けた色もなく、緑色もないがわかります。これらの色の違いは、星の構成成分の違いではなく、星の表面温度に由来していることがわかっています。つまり、高温の星(10,000 K 以上)は青く、低温の星(2,500 K)は赤いのです。
 もっとく、詳しく星を見ていきましょう。
 太陽の光を、プリズムを通して見ると、黒い線がみつかります。これをフラウンホーファー線といいます。フラウンホーファー線とは、発見者の名にちなんでいます。フラウンホーファーは、576本の黒い線を発見しました。その後、これが、太陽の外側にある温度の低いガスの成分によってできた吸収スペクトルと呼ばれるものであることがわかりました。また、明るく輝く輝線スペクトルもあることが発見されました。
 このように、光の成分を細かく調べていくことをスペクトル分析といいます。スペクトルとは、光を波長の順に分解して並べたものです。離れていても、スペクトル分析すれば、その星にはどのような成分が含まれているかがわかるのです。現在、太陽の光の中から、25,000本あまりのフラウンホーファー線がみつかっています。
 輝線スペクトル(星に含まれる元素の特徴)によって、星が区別できます。このような星の分類を、スペクトル型といいます。そして、各スペクトル型は、さらに0~9まで細分されています。
 さて、明るさと色が、星の特徴となることがわかりました。それをグラフにして比べた人がいます。横軸に色(スペクトル型、表面温度、色指数、色温度、有効温度のいずれか)、縦軸に明るさ(絶対等級、真の明るさ、光度のいずれか)をとり、観測した星のデータを並べます。
 この図は、1905年に ハートスプラング(Hertsprung)が考え、1913年にラッセル(Russell)が図にしたものです。二人の頭文字をとって、HR図とよばれています。
 この図では、大部分の星が集まる並びができました。このような並びにある星を、主系列星と呼んでいます。なんと、星の92%がこの領域に入ります。私たちの太陽も、主系列星にはいり、G2型というスペクトル型で約6,000 Kの温度をもつ星だとわかります。まあ、ごく普通の星だということです。
 この主系列から外れる8%ほどの星は、特殊なものとなります。星が特殊であるとは、もともと似たような星だとすると、星の誕生の頃と死の間際のため、特殊な状態にいると考えられます。
 さまざまな星が、この図でつくる一連の経路がどうも、星の一生を示しているようです。この図の星の並び総括的に説明する理屈がわかれば、星の一生の一般的なシナリオができます。そして、そのストーリーは、太陽自身にもあてはめられるはずです。
 以上のような考え方に基づき、太陽の誕生のストーリーをつくることができます。それは、次のようなものとなります。
 太陽誕生の場は、 分子雲と呼ばれているところです。分子雲とは、普通の宇宙空間に比べて、分子が少し多いところです。宇宙空間には、1立方cmに、10のマイナス30乗からマイナス29乗個という、ごく少しの物質(分子、原子)しかありません。真空といっていいほどです。分子雲では、1立方cmに、100から1000個の物質があります。温度も宇宙空間の3Kの比べればやや高く10~30Kとなっています。
 分子雲の中に物質のムラがあると、物質の多いところ、少ないところができます。物質が集まっているところは、周りより、引力が強くなります。するとと、引力によって分子が集まってきます。物質が集まれば、さらに引力は強くなります。その相乗効果がおきます。やがて、分子雲の中にコアと呼ばれる物質が濃集したところができます。
 分子雲コアの密度は、1立方cmあたり、1万から10万個になります。コア全体では太陽系の数倍ほどの量になります。
 分子雲コアができるとさらに引力が強くなり、さらに物質が集まります。ある量の物質が集まると、コア自身の収縮が始まります。密度も温度も急激に上昇していき、星と呼ぶべきものができます。
 まだ輝いてはいないのですが、星の温度は上がっています。しかし、光(可視光)は、星の周りにあるガスがじゃまをして外にはもれることはありません。そんなガスの中で、星が生まれ、成長していきます。ただし、赤外線がもれるので、観測することはできます。
 ある程度以上の大きさの星になると、核融合が始まります。つまり、星として輝きはじめることになります。明るく(太陽の1,000 倍程度)、高温(3,000~5,000 K)で輝きます。まだ、核融合は不安定な時期です。このような時期の星を、古典的Tタウリ期星(CTTS)とよびます。この星は、特徴的にガスを自転軸の上下から噴出する双極分子流というものがみられます。まわりのガスを集めて、あまったものが飛び出していくためと考えられます。
 やがて、不安定であった核融合が安定しはじめます。核融合が安定した星を、弱輝線Tタウリ期星(WTTS)と呼びます。この時期は、300万から6000万年ほど続くと考えられます。CTTSとWTTSをあわせて、研究者の名前をとって林フェーズと呼んでいます。
 弱輝線Tタウリ期星を過ぎると、星は主系列星となります。星の安定期に入ります。一定の明るさで、長期間、燃え続けます。燃え続ける期間は、星の物質量によって違いますが、太陽では、100億年ほどだと考えられます。1億年たらすの誕生の時期を考えると、かなり長い安定期間です。つまり、星は安定した期間で一生の大部分を過ごします。ですから、主系列星の星が大部分であったのです。
 星の誕生と同じようにして、星の死も、多数の星の観測からわかります。私たちの太陽の将来も、推定できるのです。
 物質の多い(質量の大きい)星ほど、早く燃え尽きます。それは、放出エネルギーが大きいからです。大きな星は、明るく輝き、短い一生を送ります。そして最後は、超新星爆発という華々しい終わりを迎えます。その跡には、ブッラクホールや中性子星が残ります。
 太陽程度の星だと、爆発せずに、赤色巨星となって、惑星状星雲を形成して、やがて白色矮星になります。
 以上述べたような手法が、多数の類似のものから、固有のものの一生を推定する方法です。この方法を使うことで、太陽の誕生から死までの一生を推定することはできました。しかし、ここでの論理の組み立ては、完結した論理ではありません。なぜなら、太陽もそうであった、あるいはそうなる可能性は高いでしょうが、本当にそうであったのか、本当にそうなのかは、実証できません。なぜなら、過ぎ去った時間はもう二度も再現できませんし、まだ来ていない時間を調べることはできないからです。
 時間の矢の中で起こる出来事は、今以外、完全な証明はできないのです。しかし、これでもかこれでもかと多数のデータを並べることによって、推定に説得力を持たせることが、この方法です。ちょっと強引ですが、時間の矢の先や根っこを見るには、このような大胆な方法しかないようです。

・フラウンホーファー・
 上で出てきたヨゼフ・フォン・フラウンホーファー(Joseph von Frahofer)は、1787年3月6日にドイツのバイエルン州のシュトラウビンクでガラス磨き職人の息子として生まれました。1799年、11歳からガラス製造工場で、レンズ磨きの徒弟として働き始めました。
 バイエルンの知事を務めたヨゼフ・フォン・ウッツシュナイダーに才能を見出され、1806年19歳のときに、ウッツシュナイダー光学研究所に雇われました。彼は、ウッツシュナイダーの援助を受けて、光学や数学の専門知識を修得していきました。
 フラウンホーファーは、ガラス製造の光学機器の腕のよい職人で、22歳には早くも監督者となっていました。光学機器の技術開発、新しい研磨技術、高精度なガラス材料の製造などで、その才能を発揮していきました。
 1813年に、上で述べた太陽光のスペクトルの中に暗線を発見しました。実は、イギリスの科学者ウィリアム・ウォラストン(William Hyde Wollaston、1766年8月6日~1828年12月22日)が、1802年に太陽光のスペクトルの中に、太陽の元素により吸収されてできる暗線のあることを発見しています。それとは、まったく独自にフラウンホーファーも発見していたのです。
 普通であれば、最初に発見した人にその栄誉が与えられるのです。つまり、1年先に見つけたウォラストンの名が付くはずなのに、フラウンホーファーの名がついたのは、なぜなのでしょう。
 実は、ウォラストンは、この暗線を、色の境目にあるために、意味がないと考えたのでした。ですから、暗線の意義を最初に見出したフラウンホーファーに、発見者としての栄誉が与えられたのです。ウォラストンは、すばらしい結果を手にしていたのに、常識にとらわれて、その意味を理解できなかったのです。フラウンホーファーの意味の発見の報告には、ウォラストンは、さぞ、悔しい思いをしたことでしょう。
 さて、フラウンホーファーは、1819年にはミュンヘン大学に勤務して、1823年にはミュンヘン大学教授になり、同年バイエルン科学アカデミーの正会員になりました。彼は、職人という出身でありながら、研究者として華々しい出世をしていきました。
 もちろん、他にもさまざまな業績もあげていました。1821年には回折格子の製作、1824年には大きな屈折天体望遠鏡を製作、などさまざまな研究機材も開発しました。
 フラウンホーファーは、技術者と研究者の両方の才能を兼ね備えた人だったようです。現在の科学界では、なかなか両方を兼ね備えた研究者は少ないようです。科学技術が多岐にわたること、複雑さを増していることなどから、なかなか一人でいろいろな才能を発揮するのが、難しい時代なのかもしれません。しかし、私は、そんな研究者にあこがれていますが、まあ無理な話ですね。

2005年7月1日金曜日

42 思考実験:思考と現実の狭間(2005.07.01)

 考え、想像する力は、人間の偉大なる能力です。そんな能力を科学にも有効に使っている人もいます。私の想像したものも、一緒に紹介します。さて、いいものでしょうか。それとも、とんでもないものでしょうか。

 人は昔から、いろいろなことを想像して、考えてきました。しかし、想像しただけでは、正しいかどうかわかりません。想像したことが正しいかどうかは、実験で調べることができます。また、実験の結果から、新しい考えを生み出すということもしてきました。想像と実験の繰り返しによって、人は深く考えるということをおこなってきたのです。
 想像とは頭の中(思考)の中の産物であり、実験とは現実のものごとを調べることです。想像と実験は、思考と現実ですから、一見相反するものにみえます。しかし、想像と実験は相反するものではなく、うまく共同し、すばらしい成果が出せることが、今まで多くの人が、それを証明してきました。頭の中で実験をして、その頭の中の実験結果から、いろいろなすばらしい考え方を生み出してきたのです。そんな思考と現実の狭間の考えを紹介しましょう。
 まずは、頭の中での実験を体験してみましょう。まず、何でも真っ二つに切れるナイフを用意します。もちろんそんなものは現実にはありませんが、頭の中ではどんなものでも想像できます。ものを切るためには、ものが見え、切れたかどうかの結果を見る目も必要です。それも用意しましょう。何でも切れるナイフを持つ実行者と何でも見えるという観察者が必要ですが、それを頭の中で用意すればいいのです。
 では、実験をはじめましょう。川原に落ちているどんな種類の石でもいいですから、拾ってきて、それをこの何でも切れるナイフで切っていくことにしましょう。もちろん、その石も想像でいいのです。
 切るたびに石は半分の大きさになります。どちらか半分の石を再度切ります。4分の1になった石をまた半分に切ります。さて、この半分に切るという行為は、どこまで続けられるでしょうか。もし、物質が無限に小さくできるのであれば、この行為は無限に続けられます。もし物質の大きさに限界があるとするならば、あるところでこれ以上切れない「何か」になってしまいます。さて、どちらになるでしょうか。
 ギリシア時代の哲学者のデモクリトス(Demokritos、 紀元前460年頃~紀元前370年頃)は、もうこれ以上切れないものにいきつくと考え、それを「アトム」と呼びました。デモクリトスは、アトムが特有の性質を持つ究極のものだと考えました。何種類かのアトムがあり、それらが万物の根源だとしました。
 これは、現在の原子論に通じる考えかたです。デモクリトスは、現代風の原子論を、頭の中の実験だけで作り上げたのです。ギリシア時代には、現代のような実験装置はありませんでした。しかし、デモクリトスだけでなく、多くの哲学者たちが、このようなすばらしい実験をおこなっていたのです。
 デモクリトスの実験は、頭の中でおこなうおこなっていますが、実験の一種とみなされます。このような頭の中の実験を、「思考実験」と呼んでいます。思考実験とは、実験道具や実験装置を使うことなくおこなうものです。思考実験は、時には、妄想やデタラメ、間違いに結びつくことにもなることがあります。しかし、うまく使えば、非常に有効なものです。
 先ほどのナイフのように実際には存在しないものや、どんなものでも見える目のような、ありえない条件を想定して、目的のものはどうなるかを、想像力だけで展開していけるからです。目では追えないほど早い出来事、見えないくらい大きいもの、知ることのできないほど昔のことなど、思考実験はどんな条件でも実験可能にしてくれます。
 今では、思考実験の多くは、コンピュータの中でシミュレーションとしておこなわれているものです。でも、残念ながら、プログラムを書いたり、初期条件を決めたり、データを選ぶのは、人間ですが、行うのはコンピュータです。思考実験と同じことを、人間とコンピュータが共同でおこなっているのですが、思考実験の手軽さと比べると、シミュレーションは煩雑です。シミュレーションのほうが科学的ではありますが、やはり限界があります。
 思考実験には、いろいろな効用があります。例えば、その時代の科学の重要な問題点を指摘することがあります。有名な思考実験に、「シュレディンガーの猫」というものがあります。
 「シュレディンガーの猫」の思考実験とは、次のようなものでした。箱の中に放射性物質のラジウムを入れます。ラジウムはアルファ線を出して崩壊します。箱の内に飛び出したアルファ線をすべて捕らえられる検知器を設置します。検知器がアルファ線を捕らえたら、箱の中に青酸ガスを注入する装置のスイッチが入ります。ラジウムは1時間で1個のアルファ線を出すとしましょう。
 さて、この箱に猫を入れると、1時間後に猫はどうなっているでしょうか。つまり、猫は生きているか、死んでいるかどちらでしょうか、という思考実験です。箱のフタを開けるまで、結果はわかりません。実は、この実験は、重要な問題を提起し、まだ完全には解決されていない問題です。
 多くの研究者は、観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、その猫の状態群(この場合は生きている状態と死んでいる状態の2つ)が、一つの状態に収縮する、と考えています。これは、コペンハーゲン派とよばれる解釈で、現在主流となっている考え方です。これは、観察者を、特別な存在として解釈していることになります。崩壊が1時間で一度起こるというのは確率であって、本当に起こるかどうかはわかりません。このような確率的な振る舞いは、量子力学による解釈によるもので、フタを開けるまでは決められないという考えです。
 この考えに対してシュレディンガーが反論するために、この思考実験を提示したのです。時間の流れでみれば、フタを開ける前に、この事件はすでに起こってしまっていることです。もし、コペンハーゲン派の説を信じるなら、生きた猫と死んだ猫が重ね合わさっているというとんでもない状態であります。こんなばかげたことがあっていのかということを、この思考実験を通じて、シュレディンガーが主張したのです。
 現在、このシュレディンガーの提示したおかしな世界がありうるという解釈もあります。生きている猫の観測者と死んでいる猫の観測者がフタを開けるまでは、重ね合わさった状態で存在し、箱を開けた瞬間に、どちらか一方の観察者だけに分岐してその世界が継続し、他方は知らない別の世界の状態へと分岐する、というものです。そのため、この考え方は多世界解釈(エベレット解釈)と呼ばれています。
 「シュレディンガーの猫」の思考実験の意味するところは、「ミクロの世界の理論をマクロの世界に結びつけることができるか」という問いだったのです。大きさの違う世界では、それぞれ別の振る舞いとして捕らえられているものを、同時に起こす思考実験を提示して、そのとき、どう解釈すべきかを考えるきっかけを与えたのです。なかなか意義のある思考実験でした。
 思考実験の効用の次の例を出しましょう。今までの考え方が間違っていることを、思考実験によって示すことができます。そのいい例が、ガリレオ・ガリレイの落下実験です。これは、一種の背理法をものいうべきものを用います。
 ガリレオは、アリストテレスが示した「重いものほど速く落下する」という考えを否定する思考実験をしました。アリストテレスの考えは、一見正しく思えます。では、アリストテレスの考えを信じて、重いものほど速く落下するとしましょう。
 2個の同じ重さの鉄球を用意します。これらを高いところから落とすと、2個とも同じ速さで、同時に地面に落下するはずです。では、2個の鉄球を軽いひもでつなき、ひもをたるませて落しましょう。さて、このたるんだひもで結んだ鉄球はどのようなスピードで落ちるでしょうか。
 鉄球はひもで結ばれたのだから、1個の物質とみなせます。すると2倍の重さを持つので、2倍の速さで落ちます。しかし、ひもがたるんだ状態で落ちているのですから、1個のときの同じ速さで鉄球は落下していくはずです。どちらが本当なのでしょうか。ひもでつながれた2個の鉄球を1とみなすのか、2つみなすのかによって、結果が変わってきます。これは、最初の、「重いものほど速く落下する」が間違っているに違いないと考えたため起きた矛盾です。
 ではどれが正のかは、ものはどのように落ちるかを実験で確かめて、正しい法則を見つければいいのです。実際にはガリレオは、実験室で、ゆるい傾斜の斜面を使って落下の法則を見つけています。これも、なかなかすばらしい思考実験です。
 次なる思考実験の効用として、ある考えを拡大していき、別のより大きな概念へといたることがあります。タイムマシーンが実在するという私が考えた思考実験を紹介しましょう。
 地球上にどこまでも鮮明に見える望遠鏡を用意します。もうひとつ、宇宙のどこでも置ける鏡を用意します。遠くに置いた鏡で、望遠鏡で覗くという思考実験です。この鏡と望遠鏡を使えば、自分自身や周辺の様子が見えるはずです。
 さて、月に鏡に置き、地球から望遠鏡で覗きます。地球の光が月に届き、その光が鏡に反射しているのを望遠鏡で覗くのです。月まで光が届くのに片道で1.28秒ほどかかります。それを望遠鏡で覗くと2.56秒前の自分の姿が見えることになります。
 この思考実験を拡大していきます。もし、火星に鏡を置くと、12.67分(火星の平均公転半径を使いました)×2で、25.3秒前の自分の姿が見えます。冥王星に鏡を置くと、5.5時間×2で、11時間前の自分の姿がみえます。もしかすると、望遠鏡を覗く前の準備している姿が見えるかもしれません。この思考実験は、私たちはタイムマシーンの原理をもっているということを示しています。
 しかし、よく考えると、この効果は離れてさえいれば、その距離に応じて起こっているのです。光は有限のスピードで伝わります。ある距離を伝わるには有限の時間が必要です。この思考実験では、その有限の時間が核になるようにしたものです。
 光でもの見る限り、私たちは、過去を見ていることになります。遠くなればなるほど、昔のものを見ていることになります。これは、この思考実験の中だけの話ではなく、現実に起こっていることです。何のことはない、私たちは、タイムマシーンの乗っているのです。日常生活では、その効果があまりに小さいため気づかないだけなのです。
 タイムマシーンは実在しないのではなく、実在し、私たちはタイムマシーンに常に乗っているのです。目でものを見るということは、タイムマシーンを通じてしか、見れないということです。私たちは下りることのできないタイムマシーンの乗組員なのです。現在というものは、自分の頭の中にしかなく、周辺に広がって見えているのは、距離に応じた過去なのです。
 実は、このタイムマシーン効果は、私たちはよく知っていることなのです。遠くの星からの光は、過去のものであるということです。星の距離を示すのは光年という単位を使います。たとえば1光年の距離の星とは、その星が1年前に放った光を今見ているということです。宇宙のような広大な世界では、タイムマシーン効果は絶大です。それを私たちは知っているのに、日常にはタイムマシーンはないと考えてしまってます。この思考実験はそんな盲点を教えてくれるものです。
 さて、この私の考えた思考実験は、うまくいったでしょうかね。

・過去、現在、未来・
このタイムマシーンを突き詰めるのと、
目では「今」が見えないということになります。
目で見えているのは、距離に応じた過去です。
「今」を感じ、見ているのは、
頭の中、つまり思考でだけになるのです。
また、行動することとは、「今」考えていることを、
「未来」に向けて実践することです。
行動とは「未来」へとステップといえます。
私たちは、「過去」を見て、頭の中で「今」を感じ、
「未来」に向けて行動しています。
これが、私たちの行動の時制なのかもしれません。
私たちは過去しかみえないタイムマシーンに乗って
今を感じ、未来に向かって今の行動をしているのです。

・腕の見せどころ・
思考実験とは、すばらしい道具だと、
私は常々考えています。
これを使わない手はないとすら思います。
しかし、科学の世界では、
なかなか常套的な手段とはなりません。
それに思考実験だけで論文なんて書けません。
でも、思考実験こそ、腕の見せどころともいえます。
いくら知恵を絞っても、
すばらしい思考実験なんてなかなかでてきません。
でも、そんなことを意識しながら、考え事をしていれば、
いつか、いい思いつきが生まれるかもしれません。
そんな日を夢見ながら、
今日も想像を膨らませていきましょうか。

2005年6月1日水曜日

41 多数決:太陽と惑星の重み(2005.06.01)

 多数決で自然の現象を考えては、大きな失敗をすることがあります。少数派にも重要な役割があります。そんな役割について、多数決を太陽系にあてはめることで考えてみました。

 25年ほど前のことです。1990年2月14日、地球から60億キロメートルも離れたところから、写真が送られてきました。そこには、強烈に輝く太陽が写り、別の角度でとった写真には、金星、地球、木星、土星、天王星、海王星が写っていました。しかし、地球から60億キロメートル離れたところから見る金星や地球の画像は、1ピクセルにも満たない大きさでしか写っていませんでした。
 この写真は、1977年9月5日、アメリカ合衆国フロリダ州にあるケープ・カナベラルから打ち上げられたボイジャー1号が撮ったものでした。ボイジャー1号は、先行して打ち上げられたボイジャー2号と共に、太陽系の外側にある惑星のうち、木星、土星、天王星、海王星を探査するためのものでした。
 なぜこの時期に2台の探査機が打ち上げられたのかというと、これら4つの惑星をひとつの探査衛星で一度に巡ることができる位置に来るからです。このような惑星の配置になるのは、175年に一度のことで、そのチャンスを有効に使うために2機が投入されたのです。
 土星に接近した後、太陽系の軌道面から大きく離れていったボイジャー1号に、太陽から60億キロメートルも離れたところから、太陽系を眺めるという重要なミッションが与えられました。そのためには、機体を反転させ、60枚のショットを撮り、地球の送るということを成し遂げなければなりません。どこかのプロセスで失敗すれば、以降の観測はできなくなるかもしれない危険性もありました。最大の危険性は、カメラを太陽に向けると、あまりの明るさのためにカメラが壊れるのではないかというものです。実際にこのミッションで、太陽の像の焦点を結んだところが熱くなってシャッターが歪んでしまいました。
 それでもボイジャーは任務を遂行し、成功しました。広角カメラによる39枚のショット、望遠カメラによる21枚のショット、計60枚が撮られました。そして、望遠カメラで捕らえられた地球は、0.12ピクセルの大きさにしかなりませんでした。木星でも3ピクセルほどにしかなりません。これが私たちの住む星である地球の太陽系における実像です。
 この一連のミッションから得られた写真は、地球が太陽系において如何に小さな存在か、そして太陽が太陽系において如何に大きな存在かを、改めて教えてくれました。
 もしもっと遠くから太陽系を遠くから眺めとしたら、輝く太陽の存在だけしか見えないでしょう。太陽系を遠くから眺める存在があったとしたら、彼らは太陽しか見えていないでしょう。それは、私たちが他の天体を見るときに、輝く太陽(恒星)しか見えないのと同じことです。つまり、太陽系において、太陽が代表的な天体であるというのは、誰もが理解できることでしょう。
 輝きだけではありません。太陽を質量でみると、太陽系の99.9 %を占めます。太陽は、太陽系のほぼすべてといえるでしょう。
 さて、話は、「多数決」に、突然変わります。
 多数決は、民主主義では欠かすことのできない意思決定のための方法です。多数決は、多くの人の意見を反映するのは、もっとも適切な方法と考えられます。その背景には、多数の方が、より正しい答えを導き出すと考えられるからです。
 でも、多数決について、もう少し深く考えてみましょう。
 実は、気軽に使っている多数決というのは、ある暗黙の前提をもとに成立していることに考え及びます。つまり、多数決において、
・人は賢い
・人は善である
という前提です。
 「人は賢い」というのは、次のようなことを意味します。ある選択肢、たとえばYesかNoかの2者選択があったとき、単純に確率で考えるとYesもNoも2分の1です。しかし、人は賢いので、2分の1以上の確率で正解を答えられるということを前提としてます。それが複数人によって選ばれていくのですが、ますます正解の確率は高くなっていきます。ですから多数決では、賢い人がたくさん集まって選択するのですから、もっとも確からしいことを選ぶということになります。
 もうひとつの「人は善である」というのは、選択肢を選ぶとき、自分のこととか、誰か特定の人とか、特別な条件などに片寄らず、いつも最善のものを選ぶということです。人はいつも善良な判断をしているという前提を持って多数決をおこなっています。
 このような暗黙の前提は、一般論では正しいものです。しかし、運用上は必ずしもそうでありません。いくつもの欠点があります。
 先ほどの前提が壊れたとき、多数決は破綻します。あるいは前提をうまく覆せば、多数決を悪用できるのです。
 人は賢く振舞えないことがよくあります。メディアによって与えられる情報によって、人の判断は影響を受けます。あるいは、宣伝などはその効果をうまく利用しています。
 美容食品や健康器具などは、使用前、使用後での変化を示して、その効果を強調します。しかし、本当にその商品の効果があったかどうかは、公正な判断がされているでしょうか。確率的に少ないことでも、有効性を示す数少ない例だけを示せば、人を欺くことができます。例えば、1万人の人がある健康食品を試して、たった10名にしか効果が認められなかったとしましょう。その10の成功例だけを示して宣伝すれば、その健康食品の効果があったかのように伝わります。あるいは、その10名の本当にその健康食品による効果だったかどうか因果関係を本当は示すべきでしょう。反例を示さないで、有利な例だけをメディアを利用して大々的に示すと、人はますます騙されます。
 また、人は最善を選ばないこともよくあります。
 選挙では、個人の正当な判断より、政党や団体、組織の判断、時には金銭によって自分の判断を変えてしまいます。組織票として、一部の人の考えが、無批判に支持され場合があります。メディアは組織票の存在を承知していて、公然と組織票を前提として選挙の行方を予想をしたります。本当に民主的な判断がなされているのでしょうか。
 また、上記の前提を満たしたとしても、多数決をおこなう場合、選択肢が多くなると、選ばれない選択肢への票も増えていくことになります。このように選ばれなかった票を死票というのですが、選択肢が多くなるほど、死票も増えていきます。
 死票が多いということは、賢い人の判断も、条件によってどれが最善かが変わるということを示しています。つまり、人の判断は必ずしも、同一の結論を導くとは限らないということです。
 多数決は、社会や組織、コミュニティなどのことを判断する場合につかわれましたので、きわめて人間的な判断です。自然界のことを考える場合、多いから、つまり多数決での判断が最良の方法とはいえない場合がよくあります。
 自然現象や自然物を調べていくときは、多数が、ある場合、ある状態、ある結果、になったとしても、それが自然の本来の姿を多数決の数値どおりに正しいかどうかは、保証の限りではないはずです。
 論理的に、そして網羅的に証明できなければだめではないでしょうか。それが本当に自然を知ることになるのではないでしょうか。論理的に、すべてのことを証明するには、すべての可能性を考慮し、それらすべてを証明できたときです。
 例えば、数学では、すべての場合を網羅して、それぞれが正しいことを示さないと、証明できたとはいえません。言い換えると、確率的に高いか低いかどうかということと、正しいこととは、違うものなのです。確率が正しさを決めるわけではないのです。
 いい例かどうかわかりませんが、私たちが宝くじを買う理由も、そこにあるかもしれません。確率的に宝くじの1等を当てるのは、ものすごく低いことです。でも、確率がゼロではないし、実際に誰かが1等を当てて、賞金をもらっています。もしかするとその少ない確率を自分が手にできるかもしれないのです。その確率もゼロではなく少ないながらあるのです。たとえそれが交通事故にあう確率より低くても、自分に当選する確率が巡ってくる可能性に賭けているのです。確率を信じるなら、宝くじに当たる夢を見るより、交通事故にあうことを心配すべきでしょう。
 多くの人は、99.9%の確率で正しいものがあるとすると、それを選らぶでしょうし、それで満足してしまうでしょう。しかしもし、自分が多数派ではなく、少数派に属しているとき、少数派のことが一番気になるはず。死票とはされたくないはずです。そんなとき、救いになるのは、論理的には、確率的に少ないことも十分理解しているべきだという点です。自然を調べる場合、ありとあらゆることを、網羅的に検討すべきなのです。そうすれば、後で悔やむことはないのです。
 もし、0.1%でも可能性があり、自分がそれが気になるのであれば、実際にそれは起こりうるのであから、信じるところを進めばいいのです。もし、1万回起こることであれば、0.1%の確率でも、10回は起こるはずです。それが確率が教えてくれることです。それを信じて、行動していくこともありうるのです。
 そこで、太陽系が再び登場します。太陽以外のものがもつ特性とはなんでしょうか。もし、太陽にしか目が行かなければ、惑星のことは目に入らないでしょう。太陽系で少数派について考えてきましょう。太陽系を外から見たとき、99.9%に含まれない特性を、太陽以外のものが持っているかもしれません。それが見つかれば、惑星などの太陽以外のものが持つ重要性も認識でるきでしょう。
 そのようなものとして、私たちの太陽系では、角運動量というものがあります。角運動量とは、回転運動をしている質点の半径と運動量をかけたものです。平たくいうと回転の勢いともいえるものです。運動量とは、質量と速度をかけたものです。よく動いて回っているものほど、大きな角運動量を持っています。
 太陽系全体の角運動量のうち、太陽はたった2%しか担っていないのです。他の98%は、惑星たちが担っているのです。よかったです。少数派でも、重要な役割を持ちうることが、太陽系でも実証できました。
 このようなことは、視点を変えて少数派に目を向けたからわかることです。では、この視点を他の太陽系に向けるとどうなるでしょうか。
 角運動量が太陽以外の惑星が大部分を担っているとなると、いろいろなことが考えられます。もし大きな惑星があり太陽の周りを回転運動をしていれば、その太陽は惑星の運動によってたとえ質量が格段に勝っていても、振り回されます。そんな太陽系を遠くから観測すれば、太陽が振り回されている様子が観測できるかもしれません。
 実際に、1995年ころからあちこちの天体でそのような運動が観測されるようになりました。実際に恒星のふらつきは微妙なものなので、恒星の放つ光のドプラー効果を長期間にわたって測定されなければなりません。そして今では、多数の恒星に惑星あることがわかっていました。
 すると、生命の発生についても重要な条件が、そこから得られます。輝く太陽の中では、少なくとも私たちが知っている生命は発生しそうにありません。生命が発生するには、恒星周辺の惑星でなければなりません。1995年以前には惑星の存在が観測でなかなかわかりませんでした。しかし、観測によって惑星が実際に他の恒星にもあるとわかってきたのです。その結果、私たち生命は、少なくとも地球のみに、誕生の条件があったのではなく、他の天体にもその可能性があったことになってきました。多数の恒星系に惑星はあるのだから、地球と同じような条件の惑星も、もしかしたらいくつもあるかもしれないのです。そしてその中の惑星では、地球と同じように生命の誕生を経験している星が地球以外にあるかもしれません。
 そんな想像が不可能でないことが、少数派で低い可能性を調べることによってわかるようになったのです。

・いい季節・
 とうとう季節は巡り6月になりました。日本は春を区切りとすることが多いので、まだ2005年度は始まったばかりのような気がしますが、暦では2005年も半分ほど過ぎたのです。
 北国では、一番いい季節でです。この時期に、各地の大学の学園祭も6月頃から始まります。北海道大学では大学祭の最中は禁酒が大学当局から告知されました。北海道ではメディアは、その是非について、議論百出です。わが大学の学園祭は秋ですが、どうなるでしょうか。
 今年は天候不順で、春の花の季節が例年より遅くなりました。でも、やっと遅い春を迎えました。天気のいい日には、もう初夏というべき暖かさです。若者たちは外で、半袖のTシャツ姿で走り回っています。
 しかし、私は、教室での講義と、研究室でのデスクワークばかりで、一日の大半を室内で過ごしています。でも朝夕の通勤は徒歩か自転車なので、自然の移り変わりを肌で感じながら過ごすことができます。それが日々の日課の中で、唯一の息抜きで、一番の楽しみでもあります。
 今年は、そんな自然に触れるために、家族であちこちにキャンプにいきたのですが、どうなることでしょうか。

・プログラミング・
 昨年の夏から冬にかけて、必要に迫られてプログラム作成したことがあります。かつて、私もBASICやPASCALなどを使ってプログラムをおこなっていました。当時はコンピュータがありましたが、ソフトは自作するものでした。多くはパソコンについていたBASICを使っていました。
 しかし、技術の進歩によって、表計算ソフトやグラフ作成ソフト、ドロー系の作画ソフトなど、便利なアプリケーションの出現で、自分自身でプログラミングする必要がほとんどなくなってきました。
 しかし、昨年夏、大量のデータを形式変換しなければならないことがありました。大量の数値データが、似た形式で数1000個ファイルがありました。DVDに2枚分のデータでした。それは既存のアプリケーションではできないことでした。しかたなく、私が以前おこなっていたBASICがそのまま使えるものを、無理くり使ってプログラムしました。私が持っている最速のパソコンでも、1週間ほどかかる計算時間となりました。
 しかし、プログラムをしていて、その面白さを再確認しました。そして簡単なプログラムを作成するために、再度プログラムを学ぶことにしました。ただし、最近のプログラムの大半は、オブジェクト指向というもので、何をするにも、オブジェクトにして、プログラムを作成しなければなりません。以前はただ、計算結果をファイルやプリンターに出すだけですんだのですが、今や、人にわかりやすいプログラムになるようにと、いろいろなプロパティやメソッドなどを事細かに設定しなけばなりません。
 はたして、便利になったのでしょうか。少なくとも単純なプログラムで住む人には、大変になったはずです。遅ればせながら、私もオブジェクト指向のプログラムを始めました。なじみのあるTurbo PASCALを最初やろうとしたら、今はDelphiというものになっています。わが学部のプログラミング言語も2002年まではDelphiとC++でした。今では、JBuilderになりましたが。
 そこで、うちの学生が使うDelphiをはじめました。しかし、マイナーなソフトのせいか、解説書があまりありません。やりたいことがどうすればいいのかなかなか見つけられません。そこで、DelphiからC++への移行は簡単だというので、C++Builderにも手を出しています。
 さてさていったい、いつになったらプログラムが造れるようになるでしょうか。まだまだ道は遠そうです。まあ気長にやりましょうかね。

2005年5月1日日曜日

40 地層に記録された時間(2005年5月1日)

 地層は堆積岩という物質からできています。そんな物質から、過ぎ去った時間をどの程度再現することができるでしょうか。そして何度も起こったかもしれない出来事の前後関係の見つけ方、そして実際残されている時間について考えてみましょう。

 誰もが、一度は地層をご覧になられている思います。ですから、地層といえば、人それぞれでイメージが違うかもしれません、地層を理解できる方が多いと思います。ある人は山道の切り通し道で、ある人は海岸や川原の崖で、またある人は道路の工事中に掘られた穴で、いろいろな地層を見たのかもしれません。学校の野外授業で化石探しをした時に見た人もいるかもしれません。家の近く毎日見ている人もいるかもしれません。しかし、イメージをあわせるために、こんな地層を想像しましょう。
 ここで思い浮かべ土層は、海岸沿いで何枚もの地層が斜め(////////のように見える)になって積み重なっています。ひとつの地層の厚さは、50cmから1mくらいです。そんな地層の見える崖が、100mくらいの長さで海岸に連続してます。
 地層とは、海の底にたまった土砂が何度も重なりながら、固まったものです。もともと海底にあった地層は、やがて地殻変動で、陸地に持ち上げられ、雨や風、川や波の侵食を受けて、今思い浮かべたような崖となります。
 さて思い浮かべた地層ですが、地層は海の底で新しい土砂が上に次々と重なりながら溜まっていきますから、上にある地層ほど新しいものだということになります。つまり、地層の上下関係がわかれば、地層の新旧の関係がわかります。何枚かの地層が重なり合っていて、どちらが上か下かがわかれば、何年前ということはできませんが、どちらか先に溜まったか、あるいはどちらが古いかがわかります。新旧の順番が決められるわけです。
 陸地に上がった隣りあう2つの地層で、どちらが古いか新しいかを考えるとき、現在の地層の上下関係をそのまま用いると、見誤ってしまうことがあります。地層は、海底では水平に溜まります。それが陸地に持ち上げられるとき、地層が大地の営みによって、上下運動だけでなく、曲がったり、折れたり、ひっくり返ったり、ひどいときにはぐちゃぐちゃにちぎれたりしてしまうことあります。ですから、溜まったときの上下関係を示す証拠がないかを、地層をよく見て、判定しなければなりません。
 上下関係を知る手がかりは、いくつかありますが、一番よく使われる方法を紹介しましょう。
 ひとつの地層をよく見ると、ひとつの地層を構成している粒、つまり土や砂や礫がごちゃごちゃにあるいは均質に混在しているのではなく、地層のどちらかに粒の粗い礫があり、もう一方に粒の細かい砂や粘土がかたよっています。そして粒の大きさは、徐々に変わっていきます。
 つまり、地層とは均質なものではなく、構成物が非対称になっているということです。そのような非対称性は、地層ができたときに起こった作用が、そのまま記録されているのです。その非対称性は、地層の上下関係に由来していると考えられます。つまり、重力による作用です。
 地層が海底に溜まるとは、どんなときでしょうか。定常的に川から運ばれてくる成分もあります。しかし、そのような成分は川の河口を見るとわかるのですが、非常に細かい粒子か、大きくてもせいぜい砂粒くらいです。礫などの小石サイズは通常の川の流れではなかなか運ばれません。しかし、地層をみると、荒い礫から、時にはコブシほどの大きな礫もみられます。
 これは、地層が定常的な川の運搬作用で運ばれる成分で形成されるのでないということです。多分大きな礫まで運ばれるような状態のときにきるものであると想像できます。
 河口に溜まった土砂が、一気にそれも大量に河口から遠くの海底に運ばれたときに、上で見たような地層ができると考えられます。そのような現象を見たことがあるでしょうか。なかなか想像できないことです。つまり、それは、めったにない現象でできていることになります。それは、ほとんどの人が経験できないような大洪水による土石流や地震による海底地すべりなどによって、運ばれると考えられます。ひとつの地層は、めったにないような、大洪水や地震などの大事件によってできているようです。
 土石流や地すべりによって、礫、砂、泥などが混じった水が海底に一気に大量に流れ込んで溜まるとすると、泥水の中ではまず、粒の大きな礫が沈み、だんだん粒の小さなものが沈んでいき、最後には長い時間をかけて、粘土のような粒の細かいものが溜まります。ペットボトルの中に土砂と水を入れて振って混ぜれば、同じような現象が再現できます。このような地層のでき方を考えると、一つの地層の中で、粒の粗いものが下で、粒の細かいものが上であったことがわかります。このような粒の非対称性を地層から読み取ることができれば、どちらが上か下かを判定できます。
 他にもいろいろと地層の上下を決める方法がありますが、よく見れば地層の上下の関係を見抜くことは可能です。
 さて、先ほど想定した崖では、海から崖に向かって、右が下で、左が上と読み取れたとしましょう。つまり、一番右の地層がここでは一番古く、左に行くにしたがって、新しくなっていき、一番左の地層が一番新しくなります。
 今見えている一番下の地層をNo.1としましょう。先ほど、地層ひとつの厚さが、50cmから1mくらいとしました。崖は100mの長さがあるとしました。地層は斜めになっていますが、100枚くらいはありそうですので、見えている一番上の地層まで、100枚あったことにしましょう。ということは、一番上、つまり一番左の地層はNo.100となるはずです。
 この地層の番号は、単に地層を区別するだけではなく、地層の溜まった順番、新旧関係をも示していることになります。今までの情報では、正確に何年前という数字では表せませんが、順番はわかったことになります。
 もう少し深く考えてみましょう。
 見えているだけでも100枚もの地層あったわけです。こんな大量の地層が整然と溜まる環境とは、どんなところでしょうか。まず、どれくらいの間隔かわかりませんが、大洪水による土石流や海底地すべりが起こり、そのときには河口付近にあった大量の土砂を、遠くの海底まで運んでいきます。上で述べたように、ひとつの地層が溜まって、次の地層が溜まるまでには、ある程度の時間が必要だと考えられます。
 大量の土砂を海に運べるような土石流なんて、見たことがありますか。私は見たことがありません。ときどきニュースで、どこどこ地方に台風による集中豪雨で大洪水が起こったというをニュースを見ることはあります。ニュースとしては、何年か一度が毎年のように見ますが、実はひとつの地域では、大洪水がしょっちゅう起こっているのではありません。ある地域では、やはりめったないことなのです。
 めったにないということは、大洪水に襲われた地域の老人が、「今まで、こんな洪水を見たことはない、とか、「子供の頃に来た○○台風以来だ」というようなコメントも流れることがあるくらい、100年や50年に一度、あるか、ないかの出来事なのです。大洪水を知らない地域では、数100年に一度の出来事なのかもしれません。
 想定する崖の地層が100枚もたまっているということは、ひとつの地層がほぼ100年に一回できるとすると、大体の見当ですが、この崖の地層が溜まるには、1万年の単位の時間が流れているということです。地層と地層の間には、粒のすごく細かい粘土のようなものがほんの少し溜まっているだけなのです。その薄い粘土の中に、長い間海が変動することなく地層をためる環境が維持されているということが示されているのです。
 地層に残された時間の記録とは、めったにない出来事でできたものが大半を占めています。そして物質としては見えるか見えないかの量の粘土のように細かい粒子の薄い堆積のなかに、海底でこの地層が過ごした大部分の時間があるのです。
 しかし、100回もめったにないことが起こって、この崖の地層はできたのです。「めったにないこと」とは、実は人間中心の見方であったのかもしれません。地球という45億年に及ぶ時間の経過をもつものにとって、数100年に一度の現象とは、もしかすると「日常的な」出来事なのかもしれません。やはり、地球は地球的スケールの見ていく必要があるのでしょうか。

・道南の調査・
 私は、ゴールデンウィークは、道南の調査に行きます。私は、北海道の川と海岸の砂と石を調査するために、各地に出かけます。北海道の海岸線を調査で一回りしたいと考えています。現在、約半分ほど巡ったでしょうか。
 今回道南を回れば、北海道の西半分は終わったことになります。あとは、道東のサロマ湖から十勝川の河口までの海岸線と川が残されています。私は以前に道東へは何度かいったことがあるのですが、このような目的のためにいっていませんでした。調査を始めて3年目ですから、まだ未調査地域として残っています。
 あと、1、2年で、未調査の地域も終わらせたいと考えています。砂と石のデータベースを作って、川と海と大地を成り立ちを探るための研究に使っています。そして、その研究成果を科学教育にそのまま反映していきたいと考えています。そんな全体を私のライフワークとしてやっていきたいと考えています。

・北海道の春・
 北海道にも本格的な春が来ました。先週の4月24日から23日には雪が降ったので、驚きました。その週に冬用タイヤから夏用タイヤに履き替えたばかりだったのです。でも、うっすらと白くはなりましたが、車がすべるほどの積雪ではなかったので、ほっとしました。
 でも、今は春の芽吹きが著しい季節です。そしてゴールデンウィークの後半には桜も咲くことでしょう。いよいよ北海道のまちにまった花と新芽の春が始まります。今回の調査行でもいろいろな花に出会えることでしょう。楽しみです。

2005年4月1日金曜日

39 石ころの弁証法(2005年4月1日)

 前回と前々回で、石ころを素材とした還元論的考え方を展開してきました。今回は、石ころの弁証法について考えてみます。

 多様な石ころの中にも共通する何かがあります。もちろん、「石ころ」と呼べるような共通性は前提としてありますが、その中でも共通する何かがいろいろ見出せます。そんな共通性を探る考え方に、還元論と弁証法というものが役に立つと考えています。
 前回と前々回では、石ころを還元論的なアプローチで考えてきました。今回は少し違った弁証法というアプローチを考えていきましょう。
 石ころには、いろいろなものがあります。そのような石ころの多様性がなぜできたかを、再度考えていきましょう。
 多様性について考えるときに、2通りのアプローチがありえます。ひとつは、今ある多様なもの(石)から調べていく方法、もうひとつは、今あるもの(石)より前のものから多様性を調べる方法です。
 現在ある多様なものから調べるという方法は、石ころを分類し、その分類をもとして、なぜそのような分類ができているかを、考えていくことになります。この方法を突き詰めていくと、分類の基準を追及していくことなります。それは、いってみれば、分類から多様性の本質へとたどる還元論的な手法へと発展していきます。
 もうひとつの今あるものより前のものから調べる方法は、現在ある石は、何からできたか、をまず考えていきます。石の生成プロセスはどうだったのかや原料は何かということを考えていくことから、多様性を考えるわけです。
 まず、石の形成のプロセスを、いろいろな石すべてにおいて考えていきます。石は、火成岩、変成岩、堆積岩のいずれかに分けられます。これら3つをすべての石の基本的なものとして、その素性をただっていきます。前回やりましたが、すべての石は、やがては、火成岩にたどりつきます。
 さらに、火成岩のもとをたどっていくと、火成岩はマグマからできているということになり、マグマが、すべての石の前身であり、多様性を生む本質であることがわかります。
 マグマが固まった火成岩には多様な岩石があります。ということは、マグマができるときと、マグマが石として固まるまでの間、の2つのプロセスで多様性をつくる仕組みが働いているはずです。
 言い換えると、火成岩の多様性は、2つのプロセスで説明できるということです。マグマができるときに多様性も同時につくられるというプロセスと、マグマが石になる間に多様性を生むメカニズムが働いているというプロセス、の2つです。この2つのプロセスは、どちらか一方だけが働くのではなく、同時に働きます。ただ、条件によって、どちらかのプロセスの効果が大きい、小さいなど、いろいろな場合があります。それも多様性を生むことことにつながっています。
 この2つのプロセスは、マグマや岩石の起源を考える上で、地質学では重要な研究分野になっています。
 マグマが石になることを固結(こけつ)といいますが、その固結過程で起こる現象には、分別結晶作用、平衡結晶作用、混合作用、汚染作用などがあります。それぞれの作用については、解明されています。
 マグマができるときは溶融(ようゆう)といいますが、溶融作用としては、平衡溶融作用、分別溶融作用、ゾーンリファイニングなどがあります。それぞれの作用については、解明されています。また、マグマの起源となる石は、起源物質といいますが、起源物質の多様性についても調べられています。つまり、石ころの多様性を生むプロセスは、概要ですが、わかるようになってきました。
 さらに考えを進めていきましょう。マグマはどうしてできるかというと、マグマは地球の深部にある石が融けてきるます。石の多様性の知るために遡ると、マグマにたどり着きました。マグマの多様性を探るために遡ると、またまた石にもどってしまったのです。ここが重要な点だと考えています。
 単純化して、時間の順に考えていくと、マグマの原料となる石(固体)は、ある条件で融けます。融けてできたものが、マグマ(液体)という石(固体)とはまったく違う性質のものです。マグマが固まると石(火成岩)になります。マグマ(液体)から、まったく違った性質を持つ石(固体)ができました。このようなプロセスは、石の多様性を生むメカニズムの基本的なものとなります。
 マグマ(B)の原料の石(A:起源物質)と、マグマからできた石(A':火成岩)とは、石という共通性はありますが、まったく違った性質のものです。これをわかりやす、
A→B→A'
というプロセスで書くことができるでしょう。Aは固体、Bは液体を意味して、AとA'は別の固体ですから'をつけて区別しています。
 このような図式で示されるプロセスは、何も石とマグマの関係だではなく、よくある関係です。そのため、昔から多くの人たちが、このようなプロセスについて考えてきました。このようなプロセスは、「弁証法」とみなせます。
 弁証法とは、ギリシア時代からある考え方で、ソクラテスの問答の方法を発展させ、プラトンが確立したものです。カントを経て18世紀にヘーゲルによって完成され、今日に至っています。
 「弁証法」の考え方とは、先哲によって一般化されています。その考え方とは、次のようなものです。
 Aをテーゼ(These、定立、即自、正)と呼びます。テーゼとは、自らの矛盾・対立がまだ自覚されていない、最初のものでありす。今回の場合は、マグマの起源となる石のことで、地質学では起源物質と呼ばれています。何事もなければ、たとえ地球深部とはいえ、石のままであり続けます。地球内部のマントルや地殻と呼ばれるところは、石でできていることは、地震波からわかっています。ですから、普通におかれている条件では、石で存在し続けます。
 Bは、アンチテーゼ(Antithese、反定立、対自、反)と呼ばれています。アンチテーゼとは、自己の矛盾があらわになり、その対立する関係の中で自己を深く理解するということを意味しています。その自己とは、テーゼとは違ったものになっています。今回の場合アンチテーゼは、マグマにあたります。Aの起源となるマントルや地殻の岩石が、条件の変化によって、岩石では存在できない状態になり、融けはじめます。そして、固体の石とはまったく違った性質を持つ液体のマグマとなります。ここでは、起源となった石の多様性が反映されることと、溶けるときに多様性を生む作用が働きくことによって、多様なマグマができることになります。
 A'はアウフヘーベン(Aufheben、止揚、即自かつ対自、合)と呼ばれています。アウフヘーベンとは、矛盾・対立を根本的に解消して、より高度の状態へと飛躍的に発展していくことです。マントルや地殻などの地球深部でも、物質は基本的には固体である条件です。ですから、マグマのような融けた状態は、特別な状態であるといえます。そのような特別な状態は、マグマが冷めることによって固体になり、解消されます。そして次なる安定状態へとたどり着くわけです。
 以上の弁証法的プロセスを経ることによって、起源となった石(起源物質)とマグマが固まった石(火成岩)とは、まったく違ったものとなっています。この違ったものが、多様性なのです。弁証法的プロセスの条件やたどり方によって、石の多様性が生まれるわけです。
 現在の地質学では、上でも紹介したように、弁証法的プロセスの個々の部分は解明されつつあります。現在の地質学の学問的興味は、この弁証法的プロセスが繰り返しおこることによって、経時的な質の変化が起こっているのではないかということに移っています。弁証法自体は変化しませんが、起源となる石が積分的あるいは時間的変化をしていくので、地球の石は時間とともに系統的変化がないかが、注目されています。
 たとえば、起源の石が溶けるときにマグマに入りやすい成分は、もとの石よりマグマの方にたくさん入っていきます。マグマは、地球内部から地表に向かいます。これが繰り返し起こると、マグマに入りやすい成分は、地球表層の地殻もしくは海洋、大気に移動していくはずです。このような移動は、時間の効果が働きます。時間が立てばたつほど、この効果は進行していくはずです。そして、やがては、マントルからはマグマに入りやすい成分が枯渇していくはずです。
 いくつかの時間変化を示す証拠があります。ある時代に固有の石、ある時代以降にだけ見つかる石、石に含まれるある鉱物の性質が時間によって変わっている、などというものが、証拠として見つかっています。
 このような時間変化が起こる一番の原因は、地球の熱です。地球ができたときに蓄えられた熱が、時間とともに徐々に地球外へと抜けていきます。その地球の熱を運ぶ役割を担っているのが、マントル対流とマグマの移動なのです。
 マントル対流とは、地球深部の温かい石が、浮力によって上がっていきます。マントル対流の上昇口には、海洋底の山脈である中央海嶺があります。そこでは、活発なマグマの活動があり、その活動でも熱が放出しされます。マントル対流によって地表付近に達した温かいマントルの石は、海洋底を移動しながら、海洋に熱を渡すことで冷めていきます。このような移動する岩石体をプレートと呼んでいます。プレートが十分に冷めると、今度は密度が大きくなって、マントルへと沈み込みます。これが、マントル対流の下降流となります。マントルが下降するときに、抜けです成分が海溝で放出され、温かいマントルに加わることでマグマができます。
 マントル対流でも見られましたが、地球深部で何らかの原因で、温度が上がったり、圧力が低下したり、成分が添加したりすると、マグマができます。できたマグマは周りの石より軽いので浮いていきます。やがてマグマは地表あるいは地表付近に達します。そこは、地球深部より温度が低いので、そこに熱を渡して冷めていきます。このようなプロセスが繰り返し起こると、熱が内部から外に向かって運ばれていくことになります。
 このように弁証法が繰り返しおこることによって、石の質的変化が起こってきたようです。石の弁証法自体は変わりません。変わるのは弁証法的変化を繰り返し受けた石、あるいはその総体である地球です。その変化は地球の進化とみなせます。地球の進化とは、時間と熱、弁証法がキーワードになりそうです。これらが、地質学では今後の重要な研究テーマとなりそうです。

・エンゲルス・
 石ころは、ありふれたもののように見えます。しかし、石ころはひとつとして同じものがありません。これは、まるで人間のようにも見えます。上でたとえた石を人間にも当てはめてみると、少々変更は必要ですが、そのまま通じてしまいそうです。
 弁証法とその積分あるいは経時変化は、もしかすると多くのものに適用可能なものなのでしょう。私は、地質学でも弁証法的アプローチは、まだまだ適用の可能性があると考えています。
 ギリシア時代以降、多くの先達の賢者たちが、この方法の重要性を見ぬいて、すでにいろいろな試みがなされています。エンゲルスもその一人です。エンゲルスの「自然の弁証法」では、次のような記述があります。
「継続しつつある変化、すなわち、自身との抽象的な同一性の止揚、はたまたいわゆる無機界にも。地質学はそういう変化の歴史でもある。」(岩波文庫1967、下巻63p)
 「自然の弁証法」は手稿なので、荒削りな表現ですが、地質学の本質を突いた内容だと思います。石の個々の弁証法的プロセスは解明されてきましたが、「変化の歴史」が、今やっと地質学の課題になってきました。19世紀の終わりに記された課題にやっと地質学者は取り組めるようになったのです。先哲の偉大さが偲ばれます。

・天災・
 北海道はやっと春めいてきました。この冬は5年ぶりの大雪で、なかなか雪が消えませんが、主な道路の雪はなくなりました。まだ、花の季節には少し早ですが、雪解けがかなり進んできました。北海道に住むようになってから、春が待ち遠しくなりました。特に今年のように雪が多い季節だと、春がより一層待ち遠しくなります。
 昨年は台風と地震の天災にたくさん見舞われました。今年こそは穏やかな年がこないかと思っていたら、福岡での地震がありました。自然現象ですから、来るのはしようがありません。しかし、予知がもっと正確にできないのでしょうか。残念です。
 しかし、台風のように予想がかなりできても、被害が発生します。自然には人類はまだまだ翻弄されそうです。

2005年3月1日火曜日

38 タイタンから還元論的拡大へ(2005年3月1日)

 前回は、石ころから還元論を展開しました。今回は、石ころから地球、そして天体へと還元論を展開していきましょう。

 1月から2月にかけて、科学の世界では、タイタンの話題が盛んに語られていました。ご存知かと思いますが、探査機がタイタンに着陸したためです。タイタン(Titan)とは土星の最大の衛星のことです。タイタンには大気があります。惑星以外の天体にそれも大気を持つものとに、人類は初めて人工物を着陸させ、探索がされたのです。その探査の概略は次のようなものでした。
 1997年10月15日にアメリカのケープ・カナベラから打ち上げられたNASAの土星探査機カッシーニ(Cassini)は、7年近い歳月をかけ2004年7月に土星に到着して、土星の探査を現在も続けています。このカッシーニにはヨーロッパ宇宙機関(ESA)のホイヘンス(Huygens)と呼ばれる小さな探査機(probe)が搭載されていました。ホイヘンスは、カッシーニにから土星の衛星タイタン(Titan)に打ち出され、パラシュートでゆっくりの地表に落ちていき、2005年1月14日に地表に着陸しました。タイタンの大気圏突入(11時13分)からカッシーニへのデータ転送が途切れるまで(15時44分)まで、4時27分間分のデータ収集をして、母船のカッシーニ経由で地球にデータを送りました。カッシーニから見てホイヘンスがタイタンの地平線に消えたので、それ以降のデータの転送はできませんでした。
 得られたデータから、いくつか面白いことがわかってきました。まず最初に送られてきた画像には、着陸地点の景色が写っていました。その景色の中には、数cmから10数cmの石ころが転がっています。また落下中、上空から撮った写真には、陸と海、海に注ぐ短い川などが映っていました。解析されていくにつれて、着陸地点には硬い表面の下に泥のような柔らかいものがあり、川の中の島や泉などが見えてくるようになってきました。
 以上が現在前のタイタンの探査の概要です。しかし、このエッセイの目的は探査を紹介留守ことではありません。実は、ここでさりげなく使ってきた語句をよく考えると、常識と非常識が混在していることがわかります。つまり、地球では普通に使っているもので、違和感なく読めたと思います。しかし、その語句の意味するところはだいぶ違っています。
 たとえば、地表という言葉ですが、地表の「地」とは、地球の「地」です。月なら「地表」であはなく、「月面」と呼んでいます。では火星なら「火面」、水星なら「水面」、金星なら「金面」、そしてタイタンなら「タイ面」とでもいうのでしょうか。ややこしくなります。英語ではsurfaceで混乱はないのですが、日本語では混乱を招きます。
 硬いことを言わないでという言い方もできるのですが、「地表」という言葉は、地球の表面の延長線上に置かれます。つまり、ある限定された意味で、あるいはある常識に基づいて使っている言葉であるということになります。そして、その常識から、「石ころ」は地球の岩石を想定していきます。ここに、大きな落とし穴があります。
 地球の「地表」は、大地か海になります。地球の大地は、物質でいうと岩石か土、砂、まれに氷のころもあるでしょう。海なら水になります。岩石や砂は、珪酸塩を主成分とする固体で、土は珪酸塩と有機物水を主成分としてます、水とはH2Oの液体のことです。しかし、タイタンの場合、この常識が通用しないのです。
 それは、タイタンの天体の成分が地球とは、かなり違っているからです。タイタンの中心部には岩石の核があり、地球のマントルに当たるところが、H2Oの氷になっています。
 このような成分になっているわけは、タイタンあるいは土星が誕生した環境が、素材としてのH2Oの氷があったためです。地球より太陽に近いところでは、H2Oは気体です。地球や火星ではH2Oは液体です。気体や液体は、小さな惑星の主成分にはなりません。太陽から遠く離れていることで、H2Oが気体や液体ではなく、固体の氷として存在すると、天体の主成分として重要な働きを持ちます。タイタンは、そんな環境で生まれたのです。
 タイタンの表面温度は、マイナス180℃になっています。H2Oはもちろんすべて氷になっています。ですからタイタンの大地は、硬い表面があるのですが、H2Oの氷からできているのです。タイタンの表面に転がっていたのでは、「石ころ」ではなく「H2Oの氷の破片」だったのです。
 タイタンの大気は、窒素を主成分としています。メタンの雲が極付近には見られます。また、大気中には光を通さないオレンジの色の成分が含まれていいて、それは有機物の分子だと考えられています。ですから、タイタンでは、有機物を含んだ「メタンの雨」が降り、有機物をたくさん含んだ「メタンの海」あるいは「メタンの川」があります。そして、陸地は「H2Oの氷」の大地が広がっているのです。ですから、タイタンの表面の海や川、泉、島などは、液体のメタンが織り成したタイタン固有の地形なのです。
 このようにしてみてくると、地球で用いている語句を、タイタンに直接用いるのには注意が必要だということです。少なくとも常識的な定義では使えないことになります。
 今回のように、人は新しい世界を見つけたとき、今までの常識を変更することに迫られます。そんなとき人は、2つの方法でこのような問題を解決してきました。ひとつは、今までの常識とされてきたことがらを、還元論的に拡大解釈していくことです。もうひとつは、まったく別の概念体系を作り出して、新たな常識を打ち出すことです。
 西洋人が、アフリカやアジア、アメリカなどにいろいろな民族や文化などがあることを知ったとき、西洋人は、あまりにも異質な民族や文化は、別の概念体系を用いました。「人」は西洋人だけにして、その他の有色人を別体系に位置づけました。そのため黒人を奴隷として扱うことも是とする論理を用いたのです。
 天動説から地動説に変わったとき、キリスト教的世界の人たちは、地球を世界の中心にした考えから、太陽を世界の中心にした考えにシフトしました。これは、世界の中心を地球から太陽へとシフトが、還元論的に拡大解釈してなされた例といえます。一方、科学者たちは、天体の運動を力学的に解き明かそうという別の概念体系を作り出し、物理学という普遍化への道へと進みました。
 還元論的拡大と別概念の導入は、どちらにも一長一短があります。歴史的にみても、人は両者を使い分けてきました。しかし、還元論的拡大は、意図的に使えば、特別な自体が起こらなくても、できるというメリットがあります。これをうまく使えば、地球でつくられた概念も他の天体に還元論的拡大が可能となります。つまり、思考実験でも試してみることができるのです。だたし、拡大しているという前提を常に意識しておく必要がありますが。
 地球の「空気」と呼ばれる大気は、特別なものになります。「空気」とは、窒素を主成分として酸素を20%を含んだ成分をいいます。このような成分は私たちが知っている天体の大気ではどこにもない性質です。しかし、窒素を主成分とするという大気は、タイタンの大気にもあります。その点ではタイタンの大気は地球の大気に似ています。もし、「空気」を窒素を主成分とする大気としたとき、地球もタイタンも似ているといえます。
 地球では、H2Oが液体、気体、固体を変わりうる条件を持っています。タイタンではメタンが同じ役割を果たしています。ですから、タイタンでは、メタンの固体が雲や氷になり、液体が雨や川、泉、海になり、気体が大気の成分として、環境変化(自転や公転、緯度など)によって、相互に変化しながら変動しています。地球の表層のH2Oの営みを、タイタンではメタンが果たしているといえます。
 地球の大地の営みでは、条件さえ整えば、ある場所で石がとけてマグマができます。タイタンではマントルや地殻がH2Oの氷ですので、深部に熱があり、ある条件になれば、H2Oがマグマとして噴出することが可能です。そこでは、岩石ではありませんが、H2Oの氷が大地の営みをおこなっているはずです。
 このように還元論的拡大をしたとき、地球とタイタンはかなり見ていると見ませます。
 現在のところタイタンに海は確認されていませんが、ホイヘンスが着陸した地点の硬い表層の下には、柔らかい泥のようなものがあるようです。それは、液体のメタンと固体のH2Oあるいはメタンの混合物によってできているのかもしれません。条件によっては、メタンの海ができるのかもしれません。
 海があるとなれば、生命の誕生は起こるのでしょうか。地球的常識では、生命に必要な元素として、炭素、窒素、水素、酸素などが必要です。しかし、DNAを構成する元素としてリンが不可欠となります。大気、海洋、大地を考えたとき、リンは大地の岩石中に含まれています。ところが、タイタンでは、肝心の大地は、H2Oの氷でできています。ですから、リンの調達がなかなか困難になるでしょう。でも、これは地球の常識に縛れた考え方です。なにも、地球の生物が、すべてではないはずです。もっといろいろなタイプの生物がいてもいいはずです。少なくとも科学的想像の範疇ではありえます。
 そうなるとタイタンには地球のタイプとは違った生命が発生していてもいいはずです。残念ながら今回のホイヘンスの探査ではわからなかったのですが、可能性はあるのです。ですから、数ある土星の衛星の中からわざわざタイタンが選ばれたのです。このような視点で考えると、太陽系にもまだまだ生命の可能性がありそうです。
 ただ、もし私たちが別の生命に出会ったとき、還元論的拡大と別概念の導入のどちらをするのでしょうか。その生物のタイプによって、大きく変わるでしょうが。

・非常識と常識・
 前回予告をしたのですが今回のエッセイでは、石ころの弁証法を書くつもりでした。しかし、タイタンのニュースを見ていて、還元論を再度、展開しました。タイタンのニュースを聞いたり、読んだりしながら、あまりにも還元論的拡大にぴったりだなと思えたからです。
 この還元論的拡大は、思考実験としては非常に有効なものです。私たちは、常識に囚われて、常識以外の答えがあると、ついつい間違いだと無意識に判断してしまいます。しかし、その常識を飛び越えたとき、大きな飛躍が生まれることがあります。
 私たちは、常識の現実社会世界に生きています。そして、常識があるからこそ、日常生活を送れるのです。非常識な人がそんな常識で成り立っている社会に中に一人でも混じっていると、その集団はかき乱されます。
 そのような現象が、どうも最近は多く見られます。たとえば児童生徒や学校への襲撃などは、社会的弱者へ暴力の対象を向けているといえます。これは、常識では判断できない、何かがそこにあります。このような現象は、非常識な人が常識集団に紛れ込んでいるとみなせるのではないでしょうか。
 非常識の利用は、思考実験という頭の中だけにしておきたいものです。

2005年2月1日火曜日

37 石ころの還元論(2005年2月1日)

 多様な石ころの中にも共通する何かがあります。石ころの共通性を探る考え方に、還元論というものが役に立つと考えています。石ころに対して、還元論的な見方で考えていきましょう。

 石ころには、いろいろなものがあります。まったく同じものというものは、決して見つかりません。同じ質の石ころがあったとしても、形や大きさが違うでしょう。形が同じでも、石ころの質やつくりがどこか違うはずです。ぱっと見ただけでは違いがわからなくても、よく見たり、虫眼鏡で見たり、顕微鏡で見ると、きっと何らかの違いが見えてくるはずです。石ころは、実に多様です。
 もし、何の前提もなく、たくさんの石ころを与えられ、2つに分けなさい、といわれたら、どうするでしょうか。
 ある人は、数を重視して、正確に半分に分けるでしょう。また、ある人は、数だでけでなくて、大きさも重視して、大きいものから順に並べて、数がちょうと半分のところで、大きいものと小さいものとに分けたとしました。他にもいろいろな分け方ができるでしょう。形、色、模様、つくり、重さ、手触り、など、いろいろと分ける基準があるでしょう。これらの分ける基準は、集められた石ころという集合に対して、なんらかの共通する性質や特徴に基づいて、分けられたものです。
 これらは非常に簡単でわかりやすい基準です。この石ころの集合に対しては、それぞれ根拠のはっきりした分け方であるといえます。しかし、同じ集合を用いても、人それぞれによって分け方が違ってきます。これは、仕方がないことなのです。なぜなら、石ころ自体に、境界線がないからです。このような分け方を人為分類といいます。
 ある石ころが、白い鉱物と黒い鉱物からできているとしましょう。その白と黒の鉱物の量比は、0から100%の範囲でとりえます。ですから、原理的には、鉱物の組み合わせによっては、灰色にも城に近いものから黒に近いものまで境界なくとりえます。もともと石には境界がないのです。ですから、人為的にどこかに境界を置いて、それを区分の目安とする方法です。
 それに対して生物は、人がどう考えようが、種(しゅ)というものがあり、どんなに姿かたちが似ていようとも、別種になることもあります。逆にどんなに姿かたちが違っていても、同種ということがあります。このような分類体系を、自然分類といいます。
 石ころに対しては、人為分類で分けるしかありません。いってみれば、人それぞれで、勝手な分け方が可能であるということです。しかし、それでは、知識を積み上げていく時に困ります。何らかの分類の仕方があったほうがいいと考えられます。できれば、誰もが納得できるようなものが必要です。
 そのためには、石ころの本質に基づいた基準がいいはずです。それも、誰でも納得でき、特別な道具などなくても、ぱっと見て使える方法が望ましいはずです。でも、実はそんな便利な分類方法はありません。これが、石ころの難しさでもあり、面白さでもあります。石ころとは、なかなかどうして奥深いものです。
 いい分類方法がありませんといって開き直っているわけにはいきませんので、なんらかの方法を考える必要があります。この際、見分けるのが少々大変でも、本質的な分け方を採用しようというのが、次善の策です。
 形や大きさ、重さなどは、もともと同じ崖にあった同じ質の石ころが、砕かれる途中に、たまたまそのようなものが違っているに過ぎないかもしれません。もしかすると、形や大きさ、重さなどは、同じ石ころが、変化の過程において、さまざまな要因によって、偶然に多く左右されながら、たまたま得た属性かもしれません。ですから、そのような偶然性をはらんだ属性に基づいた分類方法は、あまり本質的でありません。
 では、どのような方法が本質的でしょうか。そのときに使われているのが、石ころの起源に基づく方法です。石ころの起源は、大きく3つに分けられています。マグマからできたもの、石ころが砕かれてできたもの、ある石が高温や高圧などの条件で別の石にかわったもの、の3つです。マグマからできたものは火成岩、石ころが砕かれてできたものは堆積岩、ある石が高温や高圧などの条件で別の石にかわったものは変成岩です。
 このように分けていけば、理屈の上では、本質的な分け方であるといえます。しかし、実際に野外で石ころをみたとき、その石ころがどのような起源であったのかを、即座に判断するのはなかなか困難なことです。地質学者でも、見慣れていない石だと、判断できないときがあります。特に、粒子の細かい岩石では、難しいことがあります。
 野外で即座に利用できない困難さがあるのに、なぜ、起源を石ころの分類の一番本質的なものとして使っているかというのは、上で述べたように、石ころは人為分類しか使えない対象だからです。
 本質を見ていていくときに、変化しやすい、移ろいやすい性質は、ばっさりと切り捨てていくのです。そして、最後に残った性質を、分類の基準としています。そのときには、本質的性質という観点で、取捨選択をしていますので、どのような石が多いかとか、どこにあるのかなどという副次的な属性は切り捨てられていきます。また、野外で見分けやすい、使いやすいなどいうきわめて人間的な要求は却下されていきます。
 そして、最後に残ったのが、火成岩、堆積岩、変成岩という3つの区分だったのです。分類基準としてさまざまなものがある中で、より基本的と考えられるものだけにしぼり、使ってきました。このようにある本質的な要素に着目して、そこから考えを始める方法を、還元主義、あるいは要素還元主義と呼んでいます。
 もちろん、この火成岩、堆積岩、変成岩という3つの区分だけでは、少なすぎますから、つぎの段階として、細分がされていきます。そのときも、それぞれの分類のなかで、より本質的と考えられる方法でなされていきます。しかし、細分化していくにしたがって、研究者ごとにさまざまな考え考え方が生まれます。これは、人為分類ですから、仕方のないことなのです。
 ここで終わらず、さらに還元主義を進めていきましょう。
 火成岩は、マグマが固まったものです。マグマとは、液体です。火成岩とは液体から固体へと変化したものといえます。ここでは「液体起源岩」とでも呼びましょう。もちろんこのような呼び方の専門語はありません。私の造語です。では、同じような視点で他の2つ分類区分を見てきましょう。
 堆積岩は、ある岩石が風化や侵食によって砕かれ、移動して、集まったものが、再び固まり岩石となったものです。どんなに砕かれたとはいえ、固体の石が集まったものが、堆積岩です。ですから、固体が再編されて新たな固体へと変わってきたものが堆積岩といえます。つまり、固体から固体への変化です。「液体起源岩」に習えば、「固体起源岩」というべきでしょう。
 変成岩は、ある岩石が地下深部で、高温になったり、高圧になったり、あるいは高温高圧になって、溶けることなく、別の石に変わっていくものです。ですから、固体から固体への変化となります。やはり「固体起源岩」になります。
 起源による3つに区分は、液体から固体になった火成岩「液体起源岩」と、固体が変化して固体になった堆積岩、変成岩の「固体起源岩」との2つに分けられます。この2つの分類体系も、還元論的には、より進んだ分類方法といえます。
 さらに進めましょう。「固体起源岩」である堆積岩と変成岩について見てきます。変成岩も堆積岩も、元の固体を問いませんでした。どんな岩石もいいわけです。元の岩石は、火成岩、堆積岩、変成岩のいずれかのはずです。もし、元の岩石が火成岩なら、「液体起源岩」という別の分類体系の岩石にたどり着きます。もし、堆積岩か変成岩のいずれかであれば、「固体起源岩」にたどり着きます。では、その固体起源はなにからできているのということを問い続ければ、やがてはすべて「液体起源岩」にたどりつきます。
 つまり、地球上のすべての岩石は、「液体」つまりマグマを起源としているわけです。でも、そのマグマは、「固体」つまり岩石が溶けたものです。「液体」か「固体」か、どちらが先かという問題に発展します。これでは、「ニワトリとタマゴ」のような水掛け論になってしまいます。還元論が水掛け論になっては無意味です。
 しかし、石ころの場合は、答えが出せます。地球の起源にまで遡れば、答えにたどりつきます。
 地球の誕生とは、小さいな石ころが衝突、合体をしながら、大きな惑星へと成長してきました。そして、地球形成時の衝突が激しかったため、地球表面の岩石が溶けてマグマの海ができるほどの状態を経験しています。つまり、地球表層の岩石を問題にするなら、マグマ「液体」から始まったのです。地球全体を問題にするなら、地球の起源物質である石ころ「固体」から始まったとなります。
 さらに地球の起源物質を遡ることも可能ですが、それは、もはや地球外、あるいは地球誕生以前という別の舞台での話となります。違ったカテゴリーでの話です。石ころの分類を還元的にたどるのは、ここまでにしておきましょう。
 さて、還元論と分類ということに戻りましょう。還元論的に分類を深めていくのは、ある一定のところで止めておかなければ、役に立たないものとなります。たとえば、ある石ころの集合が、火成岩だけからできているとすると、「火成岩とは基本的な分類なので、もうこれ以上分類できません」という立場は、分類を放棄することになります。ですから、還元論に基づく体系ではなく、より、細分する分類体系へと進むべきなのです。
 何事も、ほどほどに、中庸がいいようです。

・読者への感謝・
 この「Terra Incoginita」という月刊のメールマガジンを始めて、もう3年がたちました。このメールマガジンを通じて、私は、地質学的な素材や考え方を深く推し進めることによって、哲学的思索へと入れないかと考え、書き続けているものです。
 もちろん、十分に深まってない内容、テーマもあったことでしょう。ある時は、独善的なものもあったかもしれません。でも、月に一度、どんなに忙しくてもこのメールマガジンを書くとき、私のライフワークたるべくテーマとして選んだ「地質哲学」に対する自分の進捗を振り返ることになります。ある時は曲がりになりにも歩んでいるのだという自覚、またある時にはその歩みがあまりにも小さく遅いことを反省していることもあります。いずれにしても、私の研究のバロメーターとして見ることができます。
 原稿用紙10枚程度の分量を目安に書いているのですが、これほどの分量になると、ある思いつきだけで書くことはなかなか難しいものです。書く以前に何らかの思索をしています。そんな思索がある程度できていると、半日ほどで一気に書けますが、考えながら書くと何日も書き続けていきます。
 今回の石ころの還元論と次回予定している石ころの弁証法は、以前から考えているものです。ですから、一気に書き進めることができます。もちろん、書きながらも考えを修正したり、自信を深めたり、さまざまな思いを巡らしながら書き綴っています。
 それも、読者がおられるから成立する行為であります。ですから、読者の方に感謝します。これからもよろしくお願いします。