2016年6月1日水曜日

173 Local KnowledgeからGlobal Knowledgeへ

 ある地域の知識や文化などローカルノレッジが、広まって世界的な共有知グローバルノレッジになっていくことがたまにあります。地域やコミュニティだけの知識が拡散していくのには、どのような要素が必要なのでしょうか。

 家内は、新聞やテレビのニュース、ワイドショウなどを見ているので、最新の事件や話題(とくに芸能ニュース)をよく知っています。子どもたちとも、芸能ニュースなどの話題で盛り上がったりもしています。それらほとんどの話題に、私はついていけませんが、あまり気にしていません。もちろん私も自分の興味あるニュースや話題は、気にして見ていますが、既存のテレビや新聞などのメディアをほとんど見なくなっています。いつの頃からはわかりませんが、インターネットから、自分の興味ある情報だけを仕入れるようになってきています。
 ある地域、ある民族、あるコミュニティだけで通用する知識や話題、隠語などが、よくあります。同じ言語で話していても、そのコミュニティに属していない人にとっては、たとえ知っている単語であったとしても、文脈がわからないので理解できないものがよくあります。インターネットの発達によって、同好の士が集まるコミュニティ・サイトが多数できると、そのようなコミュニティ発のいろいろな固有の文化が形成されていきます。
 グローバル化が進む世の中ではあるのですが、かたや地域性は深まっています。ただしこの「地域性」とは具体的な場所というより、インターネットなどを介した小さな文化圏というべきものでしょう。このような地域性の強い文化を、ローカルノレッジ(Local Knowledge)と呼びます。
 ローカルノレッジは、通常は地域の知恵という一般の用語でしたが、アメリカの文化人類学者ギアツ(Clifford Geertz、1926〜2006)が、1983年の「ローカル・ノレッジ 解釈人類学論集」という著書で使用したため、人類学のみならず、広く社会科学に大きな影響を及ぼすようになりました。ローカル・ノレッジという用語を、狭いコミュニティや社会だけの知識以上に解釈や意義を広げて用いるようになりました。ここではギアツの考えをなぞるのではなく、私の身近な分野を例にして、原意のローカルノレッジから考えていきましょう。
 ローカルノレッジには、あるコミュニティやマニアだけの世界だけで通じる隠語や独特のやり方、風習などのように、閉鎖的に生き残ったり、消えてしまったりしていくものも多数あります。一方、コミュニティだけが共有していた最先端、あるいは非常にディープな知識から、世間に広まり、人類共通のグローバルノレッジ(lobal Knowledge)として定着していくものもあります。
 古くはアップルなどのパソコンの開発、普及もマニアたちが生み出したローカルノレッジがグローバルノレッジとなったといえます。日本の漫画やアニメも、一部の世代や愛好家が楽しんでいたものが、いろいろな世代に普及し、世界に広まり、やがて定着し、今では日本を代表する文化となっています。またスポーツやゲームなども、多くは一部の愛好家がはじめたものが、多くの人たちが行うようになりグローバル化した、とみなせるのではないでしょうか。
 一部のコミュニティでのみで使われていたローカルノレッジのうち、外にでてきそうもないような知識は、どのような意義をもっているでしょうか。私は地質学を専門としていますが、地質学を例にローカルノレッジについて考えていきましょう。
 地質学というコミュニティ(地域性)には、科学の先端の知識も、古くから使われている知識もあります。地質学を学ぶ学生は、両者を区別なく学んでいきます。もちろん知識は体系化されているものから、経験でしかないものや、理屈もなくただ身につけるべきスキルなどが混在しています。
 抽象的でわかりにくかったかもしれなせん。地質調査における経験からくるいろいろなノーハウのようなものがそれにあたります。例えば、堆積岩や堆積物をこすった時の手触りで、ザラザラだと砂、サラサラだとシルト、スベスベだと粘土や、ハンマーで叩いたりこすったりした時、腐った卵の匂いがすると硫化物やイオウを含んでいるとか、石を舐めた時吸い付くような感じがするとある種の粘土鉱物を含んでいる、などの経験的なローカルノレッジがあります。それは野外調査では、石を見分ける上で重要な知識ですが、これはローカルノレッジで外にでることなく、単に砂(岩)、粘土(岩)があるという記載に落とし込まれていきます。
 また最先端の分析装置によって得られたデータは、その装置や分析の手順は一部は論文に書かれることがあっても、データの出し方や精度を示すためのもので、科学の議論では、ある精度が保証されたデータとしてのみの意味しか持ちません。ただし、その背景には、いいデータを出すために他の研究者には言わない、極意やノウハウが隠されています。私も他の研究者が論文で書いていた手法を自分で再現しようとしたとき、いろいろ苦労したことがありました。どんな最先端で、どんなに苦労しても、データになると多数の数の中に埋もれてしまいます。しかし、幸いなことに、データから導かれた論理は残りますが。
 このような地質学コミュニティにおいて必要なローカルノレッジには、そこで生きていくためには必要ですが、外に出すことのないものがありました。外に出していくべき知識は、普遍性を付与された形式で出すことが、定型化されています。これは科学という、より広いコミュニティが作り上げてきた、効率のよい知識共有化システムです。科学では、ローカルノレッジを、共有すべきグローバルノレッジにするための方法が確立がなされていることになります。
 このような決まったシステムがないコミュニティからでも、新しい知識が生まれてくること(例えば、パソコンやアニメのようなもの)は、すでに述べた通りです。そのとき外に漏れてくるローカルノレッジは、玉石混交の状態であることになります。
 残すべきものかどうか、あるいは実際に残っていくかどうかは、科学のようなシステムになっていないものは、集合知や時間淘汰が重要になってきます。つまりは、「成り行きにまかせる方式」ということです。そうなると、ローカルノレッジからグローバルノレッジへいたるには、多大な手間と時間がかかりそうです。しかしその手間と時間こそが、個人の打算や恣意が排除されていくという効用もあるのかもしれません。
 ギアツはいいます「局地的な事実のなかに広く普遍的な原理をみつけだす職人仕事に属する」と。それぞれのコミュニティに、普遍化する職人はそうそういそうにありません。いろいろな用語が、ある分野の専門家が通常の用法や意味以外に、別の用法や意味を付け加えていくと、その分野では特別な意味をもった用語となります。ギアツの用いたローカルノレッジという用語も、人類学の分野でのローカルノレッジなのでしょう。少々入れ子状態になっていてわかりにくかもしれませんが・・・。
 そのローカルノレッジを、私のような異分野の人間が、意義を見出し、注目して使用していくと、グルーバル化が起こります。これが集合知へとなっていくのでしょう。
 ローカルノレッジが、ローカルで利用され続ければ、洗練され、高度化され、質の向上がおこっていくはずです。それが長い時間、淘汰に耐えて生き残っていれば、グローバル化するチャンスも増えるのでしょう。
 システム化されていないローカルノレッジでは、集合知と時間淘汰が、ローカルからグローバルへの重要な役割を演じるのでしょうね。

・ラニーニャへ?・
いよいよ6月です。
北海道は新緑から初夏になっていきます。
今年の梅雨はどうなるでしょうか。
今年は、変動の激しい冬をすごしました。
春も目まぐるしく変化する気候でした。
今年の夏はどうなるでしょうか。
2014年夏に発生した強いエルニーニョ現象は
今年の春の間に終るとされています。
そのかわり、夏にはラニーニャ現象が発生するようです。
強いエルニーニョが終わって
ラニーニャになると暑い夏となるかもしれません。
そうなると暑さに弱い北海道人はへばってしまいます。
涼しい初夏から、夏の暑さが心配です。

・出張・
6月から7月にかけて、いろいろ出張があります。
教育実習が多数あり、そこに校務での2つと
私事での1泊も加わります。
私事は気分転換になりますが、
旧友との40年ぶりの再会のなので
楽しみではあるのですが、肝臓が疲れそうです。
いずれも肉体的には少々きついものがあります。
こうなると気持ちだけは切り替えて
出張は、気分転換にもなると考えて
行くしかありませんね。