2024年11月1日金曜日

274 守破離への時の淘汰

  道を極めることは重要です。目指した道での成果は、他者が評価していきます。他者から評価されたものは、人類の知的資産となるのでしょうか。時の淘汰に耐えたものだけが、真に人類の知的資産となるのではないでしょうか。


 千利休の教えを和歌にしてまとめた「利休道歌」というものがあります。そこに
  規矩作法守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな
という歌があり、そこから「守破離」という言葉ができました。
 その意味は、師の教えや型、規則、その道の作法を「守る」ことから、修行がはじまります。修行を積んで型を身につけたら、その型を研究したり、他の作法と比較し、自身でいろいろ工夫しながら、既存の型を「破り」、よりよいものへと進んでいきます。やがて既存の型にとらわれることなく、「離れて」自在に自由にできるところまでいくのが、修行だとしています。ただし、「本」質を忘れてはならないといっています。
 2022年3月1日発行の「242 守破離はできたのか」にて、これまでの研究歴を振り返りなが、守破離を考えました。それを、今回再考しました。
 大学の学部にて地質学を志して基礎から学び、修士から博士課程で地質学の専門知識、各種の研究手法も学びました。修士課程から、毎年学会発表しはじめて、博士課程ではいく編かの論文を投稿することで、研究者としての経験を積んできました。特別研究員(期限付きですが、給料と研究費をもらう)に採用され、申請した自身のテーマで研究を進めました。そこから一人前の研究者として、歩んでいくことになりました。ここまでの期間は「守」でした。
 博物館の学芸員として期限なしの研究職に就きました。博物館では、もともと最先端の地質学を進めていくために採用されたのですが、予算上の都合で、最先端の研究はできなくなりました。しかし、地質学の研究を進める条件や環境は整っていました。加えて旧博物館の改変に伴って新しい博物館の開設のための要員でもあったので、教育委員会で開設準備に当たりながらも、博物館での業務にも就くことになりました。
 博物館では、市民への科学教育が本務としてありました。学芸員の中には、市民教育に長けた人もおられました。その技は、簡単に身につけられそうもありませんでした。しかし、業務として、市民への科学教育は押し寄せてきます。
 自分なりの方法論を見つけることに、チャレンジしていくことにしました。科学的成果をどのように伝えるかを、科学教育のテーマにして、共同でいくつかの新しい実践をおこなうプロジェクトを進めてきました。本務としてに市民への科学教育へ費やす時間が多くなるにつれ、プロジェクトが成果が出すにつれて、科学教育への興味も、地質学と同じ程度に大きくなってきました。
 科学への興味も、地質学の先端を求めるのではなく、自然に直に接し、自然を記載するという、非常にシンプルで基本的な自然史学的な手法になっていきました。この時期から、地質学への「破」へとなってきました。
 そして、大学に転職しました。博物館では、基礎的な地質学、自然にもっとも接する地質学、つまり自然史学ともいうべきものの成果を、市民にいかに伝えるかという科学教育(自然史教育)を進めてきました。大学では地質学と科学教育に加えて、地質哲学を進めようと考えました。3つの学問体系をバラバラではなく、有機的に体系的にまとめる要として地質哲学を捉えていました。それを、大学での大きなテーマとしました。
 ただし、地質哲学という学問体系はありません。学会もありません。ですから、新しい学問領域を開拓していくことになります。地質学固有の概念、あるいは地質学だけが扱える素材、例えば冥王代という特異性をもった時代などが、思索の素材となりました。これが地質学からの「離」となりました。
 地質哲学として、いくつかのテーマを定めて進めてきましたが、最初のうちは、なかなか方針も定まらず、模索が続きました。当然成果も出ませんでした。しかし、新しい地質学(自然史学)や、市民への新しい科学教育(自然史リテラシー)を進めていくのと並行して、本エッセイで地質学に関する思索を進めました。少しずつ地質哲学のテーマも出てきて、成果も挙がってきました。
 大学にきて10数年して、大学での残された時間が見えてきてから、これまでの成果を「地質学の学際化プロジェクト」としてまとめることにしました。最初は全貌もわかりませんでした、毎年出版することができ、今年には全9巻の著書としてまとめることができました。また、本エッセイは地質哲学の契機、萌芽となるアイディアを生み出せ、また思索の実践とも考え、「地質学の学際化プロジェクト地質哲学実践編」として4巻にまとめることもできました。
 今年度で退職しますが、「地質学の学際化プロジェクト」、あるいは地質哲学は、まだ終わりそうにありません。今後、総説になるような体系化するような思索を継続していこうと考えています。守破離の最後に地質学の「本」質を極めたいと考えました。
 さて、ここまで、地質学との関わりを守破離、そして本として見てきました。しかし、これまでの成果は、独善的なものです。他者からの評価もほとんどもらえないでしょう。すべての他者からの評価であっても、現時点でのものに過ぎません。どれほど評価が大きくても、10年後まで残るものは、どれほどあるでしょうか。100年後まで残るものは、ほんの一握りでしょう。さらに何百年の「時の淘汰」に耐えて残るものは・・・と考えると、現在高い評価であっても、すべて霞んでいきそうです。
 時の淘汰を耐えた成果も当然あります。プラトン、アリストテレス、デカルト、ガリレオ、ニュートン、ダーウィンなど、科学的には必ずしも正しいとは限らなくても、いまだにその重要性が認識され、その著作は読まれています。
 時の淘汰は、発表時点の評価を反映しているとは限りません。大陸移動を唱えたウェゲナーやメンデルの遺伝の研究は、当時の評価は低いものでしたが、後に再評価されました。
 私の評価がそうなるといいたいのではありません。それぞれの時代の科学者が、それぞれの成果を、学界あるいは知的資産の公開、保存システムに残すことこそが重要だと考えています。短期間の評価は、いろいろとあるでしょう。しかし、最終的な評価は、時間に委ねるしかありません。「時の淘汰」を耐えぬいたものが、真に人類の知的資産としての価値をもってくるのでしょう。
 どの成果が資産になるかは、今生きる人にはわかりません。ですから、小さくてもいいから、個々の成果を残し続けていくしかないのでしょう。

・地質哲学・
今年最後になる著書2冊の原稿は、
9月末に印刷屋さんに入稿しました。
校正も終わりましたので、
今月末には出来上がりそうです。
これで、著書については終わりとなります。
現在、投稿済みの報告が1篇あります。
最後の著書に関連した論文が2編が、
ほぼ出来上がっていて、推敲中です。
今年は一気に研究成果を出すことができました。
しかし、まだまだ地質哲学の思索は続いていきそうです。

・これまでの歩み・
これまで、多数の論文や著書を公表してきました。
それぞれでは至らない、不足している点、
課題、矛盾など色々見つかります。
昔の論文を読み返すことがあるのですが、
それを読んていると面白いのです。
内容の詳細は忘れていることもありますが、
問題提起、アプローチの方法、思索の方向性など、
納得できるものがあります。
論文を書いた当時の興味が
今の自分には理解でき、
未だに興味が持てているということなのでしょう。
これは、これまで歩んできた道が
間違っていなかったのではなかいと思っています。