仏教は世界三大宗教のひとつで、多くの信者がいます。日本では、仏教を多くの人が信じています。仏教には宗教としての面だけでなく、哲学的側面も強くあります。このシリーズでは哲学側面をみていきます。
世界の三大宗教とされているのは、キリスト教、イスラム教、そして仏教です。西洋から中東では、キリスト教やイスラム教の信者が多く、東洋では仏教の信者が多くなっています。キリスト教とイスラム教が一神教であるのに対し、仏教は多神教(?)となっています。それぞれの特徴をみてきましょう。
ここで、仏教を「多神教(?)」と示したのは、仏教にはもともと神という概念がないのですが、仏を神扱いして布教していおり、大乗仏教では仏が多数存在するので、このような表現をしました。
キリスト教は、ユダヤ教を源流とし、現在では世界で最大の信者をもつ宗教です。キリスト教は一神教なので、神は唯一神(一性・Unity、父とも呼ばれています)のみとなります。人であるイエス・キリストが敬われているのは、エルサレムで十字架で処刑されて死んだ後に復活したことから、神の子としてメシア(救済者)とされているためです。また、唯一神(父)の内在的な力を「聖霊」としています。神は唯一神だけなのですが、父・子・聖霊を三位一体(Trinity)として信仰されています。三位があるので、多神教にみえますが、あくまでも父だけを唯一神としています。三位一体についても、神学的問題として議論されてきましたが、キリストという人格をもった神を偶像として崇拝対象にしています。
イスラム教は、預言者ムハンマドからはじまっています。アッラーを絶対的唯一神として、ムハンマドはその使徒になります。ムハンマドが天使ジブリールを通じて聞いた神の言葉を、アラビア語でまとめたものがクルアーン(コーラン)になります。クルアーンは、神の言葉(アラビア語)そのものになります。この点でキリスト教の聖書とは異なっています。五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を実践していくことが信仰の中心となり、偶像崇拝は禁じられてます。
仏教の源流はインド哲学にたどり着きます。インド哲学自体は、バラモン教において紀元前1500〜1200年頃から形成されたヴェーダ(Veda)と呼ばれる宗教文献群に端を発しています。ヴェーダは4つ(リグ、サーマ、ヤジュル、アタルヴァ)からなり、そこには宇宙を貫く秩序・真理・正義の原理があると考えられていました。
祭祀中心のバラモン教から、紀元前800〜200年頃に、哲学的思索を重視するウパニシャッド(Upaniṣad)がでてきました。ウパニシャッドは、苦しみからの解放(解脱)のための方法を探ることを目的としました。その時、宇宙の根本的実在、究極的原理となるブラフマン(梵、Brahman)と、個人の内なる永続的自己や霊魂であるアートマン(我、Ātman)が重要だと考えました。
その後、アルニ(Uddalaka Aruni)は、ブラフマンがアートマンと同一であるとし、ヤージュニャヴァルキヤ(Yajnavalkya)はアートマンがすべてであると説きました。そこから、ブラフマンとがアートマンが同一(一如)であるという「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という概念ができました。
8世紀頃、シャンカラ(Śaṅkara)は、梵我一如をさらに進めた二元論的に分けることができないという「不二(ふに)」という哲学的概念を示しました。不二とは、「一つ(一元)」とはいわず、「二つではない」という否定的な表現を用いました。不二は、仏教、特に禅などに取り入れられ、広く東洋哲学の重要概念となっていきました。
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、ウパニシャッドの目的である苦しみから自己を解放(解脱)していく(涅槃に至る)ことを目指しながらも、異なった道を進みました。聖典や権威、祭祀主義、苦行などを否定し、出自を問うことなく目指せる思想としました。また、アートマンを否定して無我になること、縁起という相互依存的な因果などの概念を導入して、四聖諦や八正道という実践体系を構築して解脱を目指しました。
苦しみは誰もが経験していることなので、始点は明確に存在しています。苦から解放(解脱)も、誰もが望むことなので、目標もはっきりしています。目標に達するために、聖典も苦行も不要で、出自も不問としました。ただし、苦は個人の経験に属するものなので、自身で実践していくことのみで解脱できるという方法論になります。筋道は、非常にわかりやすい体系となっています。
仏教は、時代と経ることで、個人の修行によって解脱するという伝統的方法論を重んじる「上座部仏教」と、修行で悟りを開いた宗教家が衆生(生きとし生けるもの)の救済(利他的救済)を教義して展開する「大乗仏教」に、大きく分かれてきました。修行で悟りを開いた宗教家を仏陀(ブッダ、Buddha)や如来、縁覚(えんがく)など呼び、上座部仏教では阿羅漢(あらかん)、大乗仏教では菩薩(ぼさつ)と呼びます。ただし、上座部では完全な悟りをした人は釈迦のみを仏陀と呼び、それ以外のひとは阿羅漢を目指します。大乗では多数の仏を認めています。
実践(修行)により解脱を達成した人が、自身の思想(教義)で民衆を導くために活動し、信頼を集めていくことで、人が集まることで宗教的行為へと移行していきます。
日本は大乗仏教に属し、日本固有の多くの宗派があります。信者数は浄土真宗が多く、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗が続きます。日本では、古くからあった神道と仏教が神仏習合という歴史的背景があり、キリスト教などの行事も取り込まれ、複合的な宗教文化が根付いています。冠(結婚)や年始行事は神道、葬(葬儀)や年末行事は仏教、またイベント(クリスマス、バレンタイン、ハロウィーンなど)としてキリスト教の行事も普及しています。日本は、宗教的には非常に特異な地域といえます。そのため、宗教の影響も受けにくいという国民性ともいえるかもしれません。
キリスト教やイスラム教と、仏教では、一神教と多神教という大きな違いがあります。それだけではなく、本質的な違いがあります。
キリスト教は信仰という行為を通じて神からの救済を受け、イスラム教では神への服従を行動として実践していきます。
仏教では、基本的に神への祈りはありません。苦しみという自身の経験をもとに、実践的に(八正道や瞑想)で克服する(解脱)していく思考法をとっています。その過程で、諸法無我、諸行無常、縁起、空などの固有の概念が生まれ、さらに言語や概念の限界も自覚されていきます。仏教には宗教的側面もあるのですが、苦を深く考え、解脱を追求していく哲学的側面を強くもっています。そのような思考法や方法論が、科学と調和しやすいものだと考えられます。
このシリーズでは、仏教の思索を「仏教哲学」と位置づけて、論理や思考法を、抽象化し普遍化していき、地質学や科学における不可知領域への方法論に転用できるのではないかと考えています。
・文献について・
このエッセイは、論文にしていくためのに
考えを整理していくことを目標としていました。
そのため、学術論文や文献は示していません。
本来の論文では、文献を引用しながら
自身の論理を進めていくことになります。
このエッセイではそのような書き方はしていません。
今後、主張にあった文献を集め、
文献の内容を確認して、論文を修正したり、
時には主張を変更していきます。
その作業は、論文作成において重要になります。
その作業を、今後、1年かけて進めていくことになります。
・葬儀・
葬式仏教とも呼ばれていますが、
このような儀式があることで、
悲しみの中でも淡々と葬儀という儀式が
進むという利点もあります。
当事者は、突然のことで右往左往していても
淡々と儀式として手順が進んでいきます。
父の葬儀は、田舎の昔ながらの方法で
1週間ほどかけて儀式が進みました。
母の葬儀は、コロナ禍の時期でもあったので、
私たち家族と弟家族だけの家族葬になりました。
我が家の両親は仏教で葬儀もしました。
家の先祖代々の墓もあり、
地元の親族が墓守をしてくれています。