2020年4月1日水曜日

19 知の伝播と行動の監視

 新型コロナウイルスでの現在の日本の対応から、知と行動決定、そして知の伝播と行動監視の役割を考えてみました。その背景にある、民主主義の原理という、当たり前のことも考えました。


【配信中止】
というまえがきのメールマガジンを予約配信をしていたので、その後新型コロナウイルスのデータの更新、感染拡大もあり、この時期にふさわしくない内容なと判断し、配信を急遽、停止しました。したがって、今月の配信は、申し訳ありませんが、取りやめとします。

・躊躇・
今回のエッセイを書くのは、かなり躊躇しました。
なぜなら、多くの人の考えと、少々異なっているからです。
また、メールマガジンであっても公の場ですので、
このような考えを示すのは
無駄に不安は安心感を与えたりしかねかねないからです。
淡々とデータだけを示すことにしました。
また、前提が疫学的に間違っていると
混乱を与えるかもしれません。
でも、現在の私の科学的考えからすると
ごく当たり前の考え方かと思えます。
なので、思い切って発行することにしました。
ただし、ホームページの提示はやめます。

・影響・
オリンピックが延期となりました。
札幌でのマラソン、競歩もなくなりました。
しかし、そのため、教員採用試験などのスケジュールが
変更されて告知されています。
現在ところ、その修正はまだ出されていませんので、
そのスケジュールのまま進むのでしょう。
採用試験受験者には、大きな影響があります。
また、来年のオリンピックが同じ時期に、
札幌で開催されるのであれば
そのスケジュール変更が続くことでしょう。
来年の受験者にも影響がありそうです。

2020年1月30日木曜日

217 私の夢は302:ステータスコード

 目標を設定したり、目標の達成法を考えることは、一度はあるいは定期的にしたほうがいいはずです。特に若い人は試した方がいいでしょう。年配の人が同じ方法でやってみたら、うまくいくのでしょうか。試してみました。

 大学の教職課程のある授業で、小学校5年生の道徳の教科書を紹介された先生がおられました。私の共同で担当している授業でした。その教科書に、「夢をかなえるために」という教材がありました。その教材では、大谷翔平さんの通った高校では夢や目標を実現するために「目標達成シート」というものを書いたのを紹介していました。児童も自分の夢で、そのシートに書き込んでいくということをしていきます。
 このシートは「マンダラチャート」とも呼ばれているそうですが、長方形の内部が3X3に9等分されています。この9マスの長方形が基本となります。そのような長方形が3X3個、集まっています。つまり、81個のマスがあることになります。使い方は、まず真ん中の3X3の長方形の中心のマスに、かなえたい目標、夢を書き入れます。できるだけ高い目標、大きな夢にします。目標の周りの8つのマスには、その目標を達成するための要素(項目)をキーワードで書きます。さらに8つのキーワードを、周囲の8つの3X3の中心のマスに書き写します。それぞれのキーワードを達成するために、すべき具体的な内容を書いていきます。つまりひとつの目標を達成するために、8つのキーワード(要素)を決め、それぞれを達成するために8つの具体的な方法を決めていくわけです。具体的な方法を実践していくことで、目標達成に近づいていくということになります。
 ちなみに大谷さんが高校生の時に書き込んだ目標は「ドラ1 8球団」とあります。これは、8球団からドラフト1位をもらうことでした。そしてその目標は達成されました。
 大学の授業では、教員志望の学生たちに「目標達成シート」を書いてみることにしました。私も学生一緒に、このシートを書きはじめました。ところが、書こうとすると、なかなか埋まらかなったので、かなりあせりました。
 実は、別の方法で目標を決めて、それを達成するために年にいくつかの項目を決めています。いわゆる今後の人生設計を立てて行動しています。そして、一つの項目が達成できたり、年末か年始になると、その設計を見直して最適なものに修正しています。ですから、形式は異なっているのですが、目標達成のための手段や確認作業は、いつもやっています。
 授業で、いつもやっている自身の目標とその手段を、このシートに書いていけばいいのだと思って臨んだのですが、全然埋まりませんでした。どうしたことでしょうか。多分、このシートは、若者(大きな夢を持つべき人)が、これからすべきことがまだ定まっていない時、あるいは大きな目標のため、達成すべきことがいろいろあり、手段もいくつもある時に有効な方法なのかと思います。私は限られた時間内で、限られた目標で進めていくことを最優先しているので、大きな目標ではないため、埋まらないのかもしれません。
 さて、話題は転換します。インターネットについてです。インターネットは、今では利便性だけでなく、娯楽としても重要なツールとなってきています。ネットサーフィンをしていると、動画や音楽、映画など、好きなものだけを見て、長時間、彷徨っていても飽きることがありません。また気の合った友人とも、SNSでつがっているので、インターネットを通じての友人関係もできます。最近の若者はインターネットへの接続は、スマートフォーンが手段となっているので非常に重要なものとなっています。スマートフォーンの小さな窓ですが、そこには広い世界、多くの友人につながっています。自分の好きな世界だけで、多くの時間を費やすことができます。
 ところが、現実には、嫌でもしなければならないこと、体を使わないとできないこと、手間のかかること、避けては通れない人間関係など、いろいろと気の重いことも対処しなければなりません。それが社会で生きていくということでしょう。だから、余計に好きなことだけを提供してくれるインターネットの世界が住み良くなるのでしょう。
 住み良いはずのインターネットで検索していくと、別のサイトへといこうとすると、
 Not Found(見つかりません) や HTTP Error 404 - Not Found
というメッセージ(ステータスと呼ばれます)が出てくることがあります。インターネットを利用する人は、時々目にしているものでしょう。特に、昔に作成されたサイトだと、そこで引用されたリンク先も古くなっているので、更新されたり、別の名称に変わったりすると、そのサイトは見つからなくなります。そんな時に、表示されるステータスです。
 このようなステータスの番号には意味があります。ステータス番号は、インターネットのサーバーとブラウザーとのやり取りに関して、サーバーの状況をを、3桁の数字として返してきます。通常は、そのサイトの構成するデータが送信され、いわゆるページが表示されていきます。しかし、エラーがあるときにそのようなステータスが表示されます。
 HTTP 403 Forbidden(アクセス拒否)
などもよく見かけます。また、
 HTTP 302 Found(発見)
という訳のわからないステータスもあります。「302」は、サイトは存在するのですが、現在一時的に別のところにあり、表示するデータはないという意味です。サイトは存在するのですが、一時的に表示できない状態だということです。
 「302」は、もともとサーバーの開発者が一時的にデータを移動している時のステータスとして使うものだそうです。開発者にはそれなりに使い道があるのでしょうが、私にはよくわかりません。
 重要な情報、是非欲しい情報を検索していとき、ステータスの「404」や「403」が出るとがっかりしてしまいます。でも、なにも起こらない無反応の状態よりは、「404」や「403」などと、ステータスが表示され状態がはっきりしたほうがいいはずです。
 そのスタータスが私の人生設計では、ページが表示されています。目標や手段は、自分のやり方で進めているのですが、本当に達成できたかどうか、その達成度は私が後年判断することになるのでしょう。でも、「目標達成シート」ではステータスは「404」になります。「403」でないだけマシなのでしょうね。しかし目標が、「302」でも困るのですが。

・418・
エラーには 418というものがあります。
I'm a teapot (私はティーポットです)
その意味は文字通り「私はティーポットです」
ということで、表示が拒否された場合に返される
ステータスコードです。
つまり、ティーポットの私(サーバーのこと)に、
コーヒーを淹れさせようとしたから、拒否します
ということだそうです。
このエラーは、1998年のエイプリルフールに
Hyper Text Coffee Pot Control Protocol
に由来するジョークだそうです。
本来なら使わずに終わっているはずなのですが、
この418ステータスコードは
Googleでは実装されています。
興味がある方は、
https://www.google.com/teapot
を御覧ください。

・新型コロナウイルス・
2月になりました。
北海道では各地が雪不足になっており、
いろいろな行事が縮小されたり、
中止になったりしています。
札幌の雪まつりも雪集めに苦労しているようですが
なんとか開催するようです。
北海道の特徴の雪を使う大きなイベントなので
国内だけでなく海外からも多くの観光客が訪れます。
中国から観光客も多いことでしょう。
しかし、最近は新型コロナウイルスが心配です。
自衛として、人混みは出ないようにすること
そして体調を整えることでしょうね。

2020年1月1日水曜日

216 百年一瞬耳 君子勿素餐

 人は学んだことを自身の血や肉にし、それに従って考え振る舞っていました。学びからの信念に、命を懸けることすらありました。そんな人物が残した言葉には重みがあり、聞く人にも重く伝わっていくことでしょう。そんな重みのある言葉から、新年のエッセイをはじめます。

 昨年秋、山口県萩市にいきました。萩には、はじめてでした。萩は日本海を望む町です。阿武川の河口近くにできた中洲に、古くからの城下町が広がっています。中洲の東を流れる川沿に宿泊し、近くにある松陰神社を訪ねました。松陰神社は吉田松陰を祀るために、明治になってから建立された神社でした。
 萩は、かつての長州藩の本拠地で毛利家が支配していました。長州といえば、幕末に土佐、薩摩と並んで尊皇攘夷として維新を起こし、明治の中枢の人材を多く出した藩でした。中でも長州の吉田松陰は有名なので知ってはいましたが、特別に興味があったわけではありませんでした。観光として訪れました。
 松蔭は1830(文政13)年に萩の城下で生まれ、安政の大獄で囚われ1859(安政6)年に伝馬町牢屋敷で死刑(斬首刑)となっています。享年30歳、若き死でした。また、私塾の松下村塾で多くの人材を育成したことも知られています。
 松陰神社には、吉田松陰歴史館と松下村塾や旧宅が残されていたので見学しました。松下村塾という小さい建物で生活し、多くの人が学んでいたのかと驚きました。松蔭の詳しい履歴は知りませんでしたが、歴史館や塾の解説で、いろいろとわかり、すごい人物であったことを知りました。そして、このエッセイを書くにあたり少し調べました。
 松下村塾は、叔父の玉木文之進が身分に関係なく受け入れていたもので、松蔭も小さい時、学んでいました。松蔭は幼少の頃から秀才で、四書五経などを早くに身につけ、9歳で藩の武士が学ぶ藩校の明倫館の兵学師範になり、11歳で藩主毛利慶親への御前講義、13歳で長州軍の演習を指揮し、15歳で日本の兵学を修めたとされています。
 秀才であっただけではなく、行動力もありました。アヘン戦争の結果を知り、西洋兵学の必要性を痛感し、九州や江戸などで学びはじめました。藩の許可をとらずに脱藩し東北へ出か、江戸に戻ったとき士籍剥奪や世禄没収の処分を受けています。ペリー来航で衝撃を受け、長崎でロシア軍艦に乗り込もうと画策しました。そして、ペリーの再来で密航しようとして捕まり、下田奉行所に自首しています。その罪で伝馬町牢屋敷に投獄され、やがて国許蟄居になり野山獄に幽閉されました。野山獄内で教育をして、獄から出され杉家で幽閉されたときに講義をはじめ、多くの人が受講しました。そこで杉家を改築、増築していきました。1857(安政4)年、松蔭27歳のとき、松下村塾の名を引き継いで、開塾となりました。
 そんな折、幕府が朝廷の許可をえず、日米修好通商条約を結んだことに怒り、政府要人を討ち取る計画をし、1869(安政6)年の安政の大獄で捕まり、死刑になります。吉田松陰は秀才でありながら、知に留まらず、行動できる人だということわかります。
 松蔭の経歴をみていくと、松下村塾で教えていたのは、1856年8月から1858年12月までのわずか2年余りしかありません。その期間に後に明治維新で活躍する多く人材を輩出しました。有名ところとしては、山縣有朋、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞などがいます。
 松蔭など江戸時代の教育を受けた人は、四書五経などを身につけ、それを実践していました。「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書は、高校の漢文でほんの一部を学びますが、そこからでも内容の正しさ、崇高さはわかります。ただし、実践していく人はどれくらいいるでしょうか。昔の知識人は実践もしていました。
 松蔭は、書や文の達人でもあったようで、いろいろな名言や教えが残されています。1858年6月、塾生の山田市之允(15歳)に松蔭が扇に書いて与えた文があります。

 立志尚特異 俗流與議難
 不顧身后業 且偸目前安
 百年一瞬耳 君子勿素餐

読み下すと、

 立志は特異を尚(たっと)ぶ
 俗流は與(とも)に議し難し
 身后(しんご)の業を顧(おも)わず
 且つ目前の安きを偸(ぬす)む
 百年は一瞬のみ
 君子素餐(そさん)するなかれ

となります。その意味は、

 志を立てる時、特異を尊(尚)ぶものだ
 俗人(俗流)とは話し合うこともできない
 身后(死後)の業などは考えるい
 目先の安楽に心を盗(偸)まれるな
 百年は一瞬だ
 君子よ徒食(素餐)をするな

ということでしょうか。世に出るためには、特異であれ、俗になるな。死後のことなど考えず、安楽に溺れるな。時間のたつのは早いので、徒食をするな。誰もが納得することでしょう。でもなかなか実践できないことでもあります。しかし、松蔭の実践力を知っているものにとっては、この言葉の重みが違います。多分、若き山田市之允は、同時代に松蔭の生き方をみて、その意味の重さを痛感したことでしょう。
 現代に生きる私たちにも、過去の偉人が実践して伝えた言葉は重く響きます。感心するだけでなく、実践する必要があります。
 百年一瞬耳 君子勿素餐
を心に命じましょう。

・良き一年ありますように・
明けましておめでとうございます。
昨年は本エッセイを購読いただき、ありがとうございました。
本年も、引き続き購読のほどよろしくお願いします。
北海道の年末には寒波で冷え込みもあり
ドカ雪も降りました。
でも、暮れらしい景色になりました。
今年の冬もはじまったばかりですが
穏やかであることを願っています。

・オリンピックイヤー・
今年は、オリンピックイヤーとして
世間は浮かれることだと思います。
私は、8月の時期にオリンピックを開催するのは反対です。
拝金的背景やIOCの不正、ロシアのドーピング疑惑、
アスリートより国の思惑が優先している
など、純粋なスポートの祭典であるはずなのに
その純粋さが穢されているようにみえます。
私は、はじまればテレビ観戦するのでしょうが。
やはりunder uncountable での
7、8月の最悪条件ので開催は反対です。

2019年12月1日日曜日

215 多様性の中のバイアスのトラップ

 多様性を知ることは重要です。たとえ、多様性が、これまでの成果を覆えしても、歓迎して受け入れるべきです。しかし、多様性には、バイアスというトラップが隠れているかもしれません。注意しましょう。

 今年のノーベル物理学賞では、系外惑星の発見者であるマイヨール博士とケロー博士にも与えられました。そんな頃、必要性があって、系外惑星について調べていました。2つの出来事が重なるタイミングでした。そこで、考えたことがありました。
 かつて、私たちが知っていた惑星系は、太陽系だけでした。太陽系の惑星の形成過程や現状を説明するために、研究者たちは、モデルを試行錯誤しながらつくってきました。多体問題やカオス、複雑な過程などの困難さなどを解いていかなければなりませんでした。最近では、コンピュータの発達で、複雑な過程のシミュレーションもできるようになってきて、惑星系の形成の概要や、課題なども整理されてきました。ところがそんな矢先に、系外惑星が発見されました。
 観測が進むについて、驚きに満ちた発見が連続しました。恒星のすぐ近くを回る木星のような大きなガス惑星(ホットジュピターと呼ばれる)や、異常に離心率の大きな軌道をもった惑星(エキセントリック・プラネット)など、多様な惑星が発見されてきました。岩石の地面をもった惑星や、遠くを回る惑星、地球のようなサイズの惑星も、数は少ないですが発見されてきました。恒星の近くを回っている大きな惑星の数が、多数派、主流派でした。
 地球に似た系外惑星は、少数でしたが、見つかったことは重要です。地球は宇宙において、唯一の例外的な存在ではなく、他のところでも、形成されうることが検証できたことになります。ただ地球のような惑星は、宇宙で普遍的な存在ではなく、特別なもの、特異な惑星であることは、現状の発見数から推定できそうです。
 そうなると、これまで培ってきた太陽系の惑星形成に関するモデルが、他の惑星系には、まったく適用できないか、適用できてもほんの一部の惑星系(私たちの太陽系)のみにしか使えないものになったてきたのです。
 ところが、この考え方にはバイアスがあるので、注意が必要です。
 系外惑星の探査では、遠くの恒星の前を横切ったときの明るさの差や、恒星のブレをドプラー効果を利用して検出することで、惑星の特徴(サイズや質量、軌道など)を見積もっていました。いずれの方法でも、恒星に近い惑星、それも大きなものが見つかりやすくなります。その効果は遠い恒星ほど強くなります。遠くにある恒星系や小さな惑星は、発見されにくくになります。これがバイアスになります。つまり、地球のようなサイズや軌道上の惑星は、発見されにくくなります。地球に似た惑星の発見された数が、少ないとしても、それは惑星系の平均的な姿ではないという、バイヤスのかかった姿となります。
 次に、ものと定義についてみていきましょう。子どもでも、犬や猫は認識できます。大きな猫、小さな犬がいても、鳴き声がわからなくても、色が違っていても、その違いを区別することができます。これは、犬や猫の概念を身につけているからです。
 犬という概念をどうして身につけていくのでしょうか。小さい子どもに、犬がいれば、それを「わんわん」や「犬」として親や大人が伝えます。それをいろいろな犬で繰り返していきます。絵本やテレビ画面でも、繰り返し学びます。多数の事例の学習から、色やサイズ、動き、音声などに関して、一定の多様性を含んだ犬の概念が生まれてきます。そのような概念が生まれると、はじめて見たパターンの組み合わせであっても、いくつかの条件を満たしていなくても、犬が区分できるようになります。
 では、その犬という概念を、言葉で定義できるでしょうか。なかなか難しい作業でしょう。犬といっても、サイズも、色も、毛並みも、鳴き声も、行動も、多様です。さらに、自分が知っている犬の色などは、これまで見た経験に基づいて、定義の範囲が定められています。しかし多様な犬を見るという経験をすると、犬の定義が広がっていくことになります。やがて気づいたら、その定義では、狼や近縁種の境界を侵害していることになるかもしれません。多様な犬をみることで、犬の定義が、犬を限定することができないという矛盾が生じます。この犬の例では、多様性を取り込む、定義が拡大し、類似物との区別がつかくなっていくことがわかります。
 では、犬の多様性の例を系外惑星の発見に適用するとどうなるでしょうか。地球に似た系外惑星を見つけようとすると、どこまでが地球の類似天体とするか、どこからが地球とは異なるとするのか、という定義が曖昧になっていくことになります。
 系外惑星の原点にもどって考えていくと、第2の地球を探すというモチベーションがありました。生命が誕生しているかもしれない惑星を探すことでもあります。その最初の条件として、水が存在する軌道域(ハビタブルゾーン)に地球タイプの惑星があるかどうかが、重要とされています。
 これは、地球型生命の誕生のための条件として水が不可欠だとみなしてきたためです。しかし、水が惑星表面にないと、生命は誕生しないのでしょうか。地球では確かに水が海として惑星表面にあり、生命がいます。これは地球での生命誕生、もしくは生存においては必要な条件であったのかもしれませんが、多様性の一つかもしれません。
 水の存在だけを問うのであれば、太陽系でも氷衛星の地下には液体の水があることが検証されています。そこには生命がいるということまではいっていませんが、可能性は否定されてはいません。探査が及んでいないだけです。つまり、あまりも少ない事例で必要条件を設定をしていくと、太陽系惑星の形成モデルは系外惑星の多様性に対応できないという轍を踏むことになります。生命の誕生、存在のための条件を限定しすぎてはいけません。
 また、犬の定義では、身近な犬から多様性の範囲が限定されていました。もし、わんわんとしか鳴かない犬しかみてないとしたら、それ以外の鳴き声の生き物は、犬に分類しないでしょう。もし、遠吠えを聞いたことがない子どもが、その遠吠えをする犬をみたら、狼に分類するかもしれません。系外惑星でも同様でしょう。多様性を謙虚に受け入れましょう。
 多様なものが見つかると、その概念、定義が広がります。また、一部のものから抽象された定義は、新たな多様性の発見で、大きく変更、修正が迫られます。しかし、そこには、なんらかの限界(経験や技術)により、バイアスが生じてしまうことがあります。そのバイアスは目に見えないものなので、トラップとなります。多様性を知ることと共に、一部しか見ていないというバイアスがあることを意識しておくことが重要でしょう。

・思索への・
今年最後のエッセイとなりました。
地質学に関係することだけでなく、
広く考えたこともエッセイしました。
もちろん私は地質学者なので、
地質学に関連した事例や事柄などからの
発想や考察になります。
地質学を巡ったものになるのは、
私のアイデンティティでもあり、
取り柄にもなるはずです。
それにしても、ものごとを深く考えることが多くなりました。
それは、年齢に相応のことでしょうか。
それとも、哲学に興味が深まっているためでしょうか。
両方かもしれませんね。

・師走の声が・
師走の声を聞くと、どうしても私は焦ります。
昔の人も走り回っていたのでしょうが、
今はどうなのでしょうか。
私は、クリスマスも、暮れも特別なことはしません。
年賀状も年々その数を減らしています。
定年までには、仕事上の挨拶状は
ゼロにしたいと考えています。
限られた集中力を、自分のことだけに
専念させいたと思っているためです。

2019年11月1日金曜日

214 鍾乳石のカオスとフラクタル

 鍾乳石は、単に柱があるのではなく、その形状や表面に、模様がいろいろ形成されています。その模様は、ひとつひとつは異なっているのですが、どこか似たものがあります。カオスとフラクタルには不思議な魅力があります。

 音楽には、人に安らぎだけでなく、気分を変えてくれたり、さまざまな感情を湧き起こす力があります。音楽のどこにそのような機能があるのでしょうか。なかなか難しいテーマでしょう。誰もがいいと思える音楽、誰もが楽しくなるような音楽、誰もが心を癒やされる音楽があります。クラッシクとして現在も演奏されるもの、懐メロとして残っている楽曲、現在ヒットしている音楽もその候補でしょう。しかし、時間経過に耐えられるかどうかは不明ですが。
 多くの人がいいと思える音楽は、簡単に作れるわけではありません。AIを用いて、そんな音楽を目指している人もいるでしょう。でもまだその域まで達していないようです。もしAIあるいは誰かが、意図的に誰もがいいと思える音楽をつくることができれば、それは必ずヒットする楽曲ができることになります。その人は、有名になったり、大儲けできることでしょう。音楽を作っている人は、多くの人に届き、ヒット曲を生み出すことを目指しているのでしょうが、現実にはそうはいっていません。たとえ作った本人がいいと思っていても、他の多くの人にいいと思ってもらえるかどうかは、別の問題なのでしょう。そこに感性だけでなく、宣伝効果、集団心理や社会心理などの要因も関わってきそうです。
 さて、自然な中にも、誰もが心地よく思える造形がいろいろあります。自然の造形の中で、対称性や繰り返し、リズムなどがあると、美しいと感じます。美しさより、もう一歩踏み込んでいくと、対称性やリズムを持ちながらも、少しずつ乱れていくとき、その違和感に不思議さを感じることがあります。その典型を鍾乳洞に見ることができます。
 鍾乳石は、地下水の中で炭酸カルシウムが沈殿してできていきます。地下水ですから流れています。流れの作用と、大きな石灰岩の存在とが前提条件がですが、沈殿は水の流れの泣けで形成されます。流れの条件に応じて、沈殿の量や形状が定まっていくはずです。水は流れているので、波動が生じます。波動は水量、スピード、流れのサイズなどに応じて変化しているはずです。沈殿は、それら多様な条件の影響を受け、波動が変化すれば対応するでしょう。もちろん変化が起こらないところもあるでしょう。少しずつ変わるところ、急に変わること、変化してから安定するところなど、変化にもバリエショーンがあるでしょう。その条件を要素還元的に考えるのは困難ではないでしょうか。
 鍾乳石には、変化の多様性の結果が残されています。同じリズムの繰り返し、またそこから別のリズムに変わっていくもの、また同じものへと戻るもの、変わらず変化し続けるものなど、いろいろなリズムの変化を鍾乳石の模様に見ることができます。
 例えば、秋吉台の黄金柱は何本かの筋が集まっているように見えます。上から流れ落ちる水の異なったリズムでの沈殿でできています。しかし、石柱には、さままざまな模様がありますが、模様は連続して変化しているのですが、どこか共通したリズムがあったりします。このような予想できない変化の中にカオスを感じます。
 カオスとは、なんらかの規則性は存在しているのですが、どうなるかは、実際に計算や実証していかないとわからない現象です。初期値の鋭敏性や計算上の誤差の蓄積、誤差の増幅など、事実上、予測不能であるものをいいます。ただし、決してデタラメ、ランダムということはなく、法則や規則性があるものをいいます。決定論的現象ではあるのですが、経験論的に検証していかないと答えがえられない、予測不能性をもっています。考えれば不思議な現象です。通常の因果律が成り立たない現象が起こっていることになります。
 ところが、カオスは、何も特別な現象ではありません。例えば、水の流れにもカオスがよく見られます。川面の流れがつくる模様をみていると、同じ場所では似た渦ができていますが、その渦は一定せず、しょっちゅう変化していきます。しかし、同じ場所では何度も同じ渦が繰り返し生まれていきます。規則性はあるようですが、その規則性が不規則に現れています。
 鍾乳石の模様と同じようなカオスを感じます。さらに、リズミックな繰り返しの中に似たリズムがスケールを変えて現れることがあります。そこにはフラクタルが見えます。
 フラクタルとは、似た規則性(模様)がスケールがいろいろなスケールを変えて繰り返し現れることです。河川の流れは土砂のサイズと水量、傾斜などがその形を決めていると考えられます。それが似た比率の値をとれば、公園に雨の後にでた流れの模様と、人工衛星でみた大河に似た模様を見ることができます。スケールは全く違いますが、似た形状ができます。スケールがわかるものがないと、どのスケールの現象がわからないくらい似ています。そのようなものを自己相似形といいます。
 例えば、秋吉台の百枚皿は、同じような皿状の池が多数あります。上流から流れてきた水が、小さいなプールにたまりその縁に沈殿します。そこから溢れた水が次のプールになります。そのプールの縁にも沈殿ができます。そのような繰り返しで多数の皿ができているところです。それぞれの皿のサイズや形、深さ、縁の模様は異なっています。しかし、なぜか似た形状の皿が多数できています。共通性、フラクタルを感じます。
 鍾乳洞は、単に穴がある、鍾乳石があるだけんでなく、そこにある繰り返し模様に美しさを、カオスとフラクタルに不思議さを感じているようです。鍾乳石はフラクタルとカオスの造形なのでしょう。

・晩秋の紅葉・
10月下旬になって、里には一気に晩秋がきました。
雪虫が何度か飛び交いました。
紅葉も一気に艶やかに染まりました。
早くから紅葉しているものもあるので、
落ち葉はだらだら散っていましたが、
最後の紅葉は一気でした。
冬ももうすぐで、間近に感じます。
11月中旬に今年最後の調査にでます。
雪が心配なのでどうなんなのですが、
冬タイヤにするかどうか迷っています。

・北海道の冬・
大学は、淡々とした日常を繰り返しています。
初雪から根雪になると、
北国に人々は、室内での生活が多くなります。
私も野外調査以外では、
室内での生活時間が多くなります。
北国は、昼の時間も短くなります。
北海道は、明石よりだいぶ東にあるので
時刻より太陽が早く出、早く沈みます。
いつもの時間に自宅を出ても
日はまだ登っていないとき歩きます。
いつもの時間に大学を出ても、
日が落ちて真っ暗中、歩いて帰ります。
そんな冬が間近です。

2019年10月1日火曜日

213 森鴎外とナウマンの論争

 津和野は小さな谷間の町です。古い町並みはきれいに整備されています。地質調査の途上、豪雨だったので、津和野の博物館を見学しました。その時、鴎外とナウマンという地質学者に、接点があることを知りました。

 8月下旬に山陰東部を調査しました。津和野で調査したい露頭がありました。九州北部に洪水を起こした前線が、島根西部にも伸びており、激しい雨が降っていました。豪雨で野外調査はできず、雨でも見学できる観光施設へ行くことにしました。森鴎外博物館があったので、見学することにしました。博物館の見学者は私一人でした。時間があったのでのんびりと見学することができました。
 そこで思わぬものを見つけてしまい、驚きました。森鴎外とナウマンが論争をしていたという記述でした。その様子を福元圭太(2004)「国家と個人のはざまで:一「鴎外・ナウマン論争」をてがかりに一」という論文を参考に紹介していきます。
 森鴎外(1862-1922)は、文学者として有名です。しかし、本業は軍医で、軍人としても明治政府に奉職していたこともよく知られています。鴎外は、津和野に生まれ、父とともに弱冠10歳で上京しました。親戚の西周宅に寄宿しながら、ドイツ語を学び、13歳のとき年齢を2歳ごまかし東大医学部の予科、そして15歳で東大医学部の本科に入学しました。4年で卒業したとき弱冠19歳6ヶ月の若さでした。秀才だったようです。卒業後、陸軍省に入り陸軍病院に勤務しました。その時、ドイツの陸軍衛生制度を調査して、政府から陸軍の衛生制度調査と軍陣衛生学の研究のために、ドイツ留学を命じられました。その時まだ22歳でした。
 ドイツ語を学んでいたのですが、ドイツに入った時、ドイツ語が十分理解できていたそうです。1884年(明治17年)10月から1888年(明治21年)9月まで、4年間にドイツに留学していましたが、ライプチッヒ(1年)、ドレスデン(5ヶ月)、ミュンヘン(1年1ヶ月)、ベルリン(5ヶ月)と、ドイツの国内を移動しながら、何人かの師について学んできいきました。26歳で帰国しています。
 一方、ナウマン(1854-1927)は、ドイツで地質学を学び、1875年(明治8年)、20歳で来日し、10年間、日本の地質学に貢献し、地質調査をしました。東大の地質学教室の初代教授、地質調査所の設立、調査責任者などに就き、帰国後も、1887年には日本の地質図を作成したり、「日本列島の構造と起源について(Über den Bau und die Entstehung japanischen Inseln)」の出版し、フォッサ・マグナ説を提案したりして、日本の地質学の研究を進めました。日本の地質の基礎を築きました。後に関東大震災で東大図書館が消失したとき、自分の蔵書を寄贈しています。
 鴎外はドレスデンに1885年10月11日から1886年3月7日まで滞在していましたが、移動する前日の6日に、ドレスデン東亜博物学・民俗学協会の年次講演会に出席しました。その時、ナウマンと顔を合わせています。その邂逅が、鴎外とナウマンの論争に発展していきます。
 ナウマンは、発展途上の日本で、10年間の仕事を終え帰国してすぐの頃の講演でした。大仕事を終えて意気揚々の頃で、自身が心血を注いで貢献してきた国への親心もあったと思います。ただしナウマンは血の気も多かったようで、来日中の1882年に、部下が妻と浮気したとして白昼に乱闘をし、罰金を払っています、
 一方、鴎外はナウマンより8歳年下でした。ライプツィヒで過ごした後、2つ目の都市としてドレスデンで5か月ほど生活した最後の日でした。留学から1年半がたっているので、ドイツの生活にも馴れ、自己主張もできるようになってきたのでしょう。日本陸軍からの大きな期待、日本の将来への大きな抱負をもっていたのでしょう。
 ナウマンは、講演会で日本を批判するような発表をおこなっています。批判の内容は、日本の開化は自発的な行為ではなく、外国の圧力によるというものというものだったそうです。ナウマンは講演後も、雑談で日本を批判するような冗談をいくつもいっていたそうです。鴎外はナウマンのこのような発言に対して、その場で反論の演説したと「独逸日記」に書いています。
 社交的な場だったので、その場は論争は収まったようですが、論争は舞台をミュンヘンの新聞「Allgemeine Zeitung」に移し、再開されました。まだまだ小国日本に関する論争が、大新聞での取り上げられ、国民に知らせるというジャーナリズム、そして論争を受けれたドイツの知識人の度量の広さには、感服します。
 小堀桂一郎「若き日の森鴎外」によると、鴎外とナウマンの論争の論点は、日本人の起源およびアイヌ人の待遇、衣食生活の粗末さ、健康状態、風俗習慣、油絵技法の日本画への影響、仏教と伝説、旧態の近代化運動の是非、日本の将来の8つだったそうです。中でも、「日本の近代化運動の是非」と「日本の将来」が大きな争点となっていたようです。
 ナウマンの日本批判は、外圧によって開国した日本が、西洋文明を安易に表層的に受け入れている点、伝統文化を日本人自身が否定している点でした。鴎外は、西洋文明の導入が自然で合理的で自然なものであり、重要なことは、何を西洋化し、何を日本の伝統文化として評価するか、という点にあるとしました。
 日本に近代化や将来について、ドイツの紙上で議論したのは、両者とも日本を思ってのことでしょう。ナウマンは、模倣だけでは日本はやがて衰退すると憂います。鴎外は西洋文明の導入が合理的で自然であったことを主張します。ナウマンの指摘はもっともなところがあります。しかし、講演や宴席での乱暴な発言には問題があったのかもしれません。また、鴎外の反論は必ずしも的を得たところばかりではないようです。学ぶべきこととして自由と美と主張しましたが、それ以外にも当時の日本は多くのことを西洋から学びました。
 両者の思いが一日だけの邂逅で衝突したのです。鴎外は早熟の秀才でしたが、その才能は晩年まで衰えることなく、国家のために、そして文学へと活用されました。若きナウマンは、日本を広く精力的に歩き回り日本の地質の基礎を築きました。
 明治の若き知性のぶつかりも、いずれも日本の思っての論争でした。このような明治の日本を憂慮しての公開の場での論争は活かされたのでしょうか。両者の思いとは裏腹に、日本は富国強兵を強く進め、やがて1894年から日清戦争に入っていきました。このような時代の流れは悲しいものです。現在の日本には、健全なジャーナリズム、知的な論争土壌は育ったのでしょうか。少々が不安があります。

・安野光雅・
津和野は小さな町です。
こじんまりとまとまっていて、なかなかいい街です。
実は、翌日、別の美術館があることを知りました。
安野光雅美術館でした。
彼の絵本は、若い時、よく見ていて、
何冊も集めていました。
その美術館が津和野にあることを、
出発の日に知りました。
チャンスがあれば、趣味として
安野光雅美術館を見学したいものです。

・季節は秋へ・
北海道は、9月中旬から急激に秋めいてきました。
9月には早くも大雪の方で初雪のニュースも流れました。
木々も少しずつ色づいてきました。
朝晩の寒いときは、何度かストーブをたきました。
通勤中のコートは、インナー付のものになりました。
北海道は、早くも夏も終わり秋へと向かいます。
まだ私の北海道の調査が残っています。
峠道に雪が降らないように願っています。
もう少し夏タイヤで走りたいものです。

2019年8月19日月曜日

212 両忘:未解決問題に挑む

 相対立することは、よくあります。結論がでないのであれば、未解決として、先送りできばいいのですが、そうもいかないことが多々あります。未解決問題の対処に、両忘という考えがあります。両忘をした孤高の天才数学者がいます。

 数学の世界は、大部分の場合、正誤をはっきりさせられるものから構成されています。また、解をもたない場合もありますが、その時にもはっきりとした「答え」があります。例えば、
  f(x)=a・x
という方程式を考えましょう。
  a=0 かつ f(x)=1
であれば、この方程式は、xについての解はありません。そのような場合、「不能」という「答え」になります。また、同じ方程式で、
  a=0 かつ f(x)=0
となる場合、xについての解は定まらないので、「不定」という「答え」になります。
 数学では、解がなければ「不能」、解が定まなければ「不定」という「答え」があることになります。それ以外で、まだ解がわかっていない、まだ証明がされていない問題は、「未解決」となります。問題が未解決とはっきりしているので、あとは解く努力がなされることになります。
 フェルマーの定理やポアンカレ予想など、有名な未解決問題がありました。フェルマーの定理は、1995年にアンドリュー・ワイルズによって、正しいことが証明されました。ポアンカレ予想は、2002年にグリゴリー・ペレルマンよって解かれました。ワイルズに関する本を読んだのですが、フェルマーの定理の証明は、取り組んでいたことを隠していました。まともな数学者は、フェルマーの定理などには挑まなかったようです。証明を投稿した後も、検証の過程で課題が見つかったのですが、なんとか解決することができました。
 数学には、他にも未解決問題は多数あり、有名なものでは、P≠NP予想やリーマン予想などがあります。ポアンカレ予想やP≠NP予想、リーマン予想などは、未解決な「ミレニアム問題」として、2000年に7つ提示されました。ポアンカレ予想以外の他の6つは、今も未解決のままです。数学では未解決問題は存在しますが、「未解決」であるとわかっているので、まあ白黒はついていませんが、「灰色」とはっきりとしているといえます。
 ところが、世の中、物事には、白黒がはっきりしないことが多々あります。ある状況に関しての苦楽などの感じ方は、自分自身のことであっても変わります。同じ状況であっても、精神的に安定していれば楽しく思え、精神的に疲れていれば苦に思えることもあるでしょう。行為の善悪でも、ある人の行為が、見る人によって、善いことと映ったりしたり、悪いことと見えることもあるでしょう。これは、状況や考え方などにより、判断基準がいろいろありうるためでしょう。
 さらに言えば、万人に一致した基準があったとしても、その基準に白と黒の間に漸移する灰色の部分があれば、灰色とはいっても濃淡があるので、人によって想像している灰色は違っているでしょう。灰色の濃淡部を定量化できればいいのですが、世の中の物事の判断には、定量化できないことが多くあります。ところが、灰色であっても判断をしなければならなかったり、議論して結論を出したりしなければならない場面もあります。そんなときは、困ってしまいます。
 議論する時には、どうしても自分の基準が中心にあり、そこから相反する人の意見をみてしまいます。相反する意見の側には、別の基準があるはずです。人の基準より、どうしても自身の基準に従ってしまいます。
 決着の見ない議論をしているときは、参加者全員に消耗してしまいます。時には、相手に対して、感情的な不快感や敵意さえ抱いてしまうこともあるでしょう。行き詰まった局面を、どのようにして解決すればいいのでしょうか。数学の世界なら、未解決問題として先送りすことができました。しかし、社会や組織などの現実においては、先送りできない課題もあります。
 禅の世界にひとつの考え方があります。「両忘(りょうぼう)」という考え方です。これは、対立する両者の論点を、忘れてしまうこといっています。善も悪も、苦も楽も、一旦忘れ去ってしまいます。そうすることで、相対立する場から脱出することができます。執着や確執、感情も、いったんゼロにリセットします。
 その後、ゼロから再度、皆で考えていきます。あるいは、そもそも異なっていた基準についての話し合いから、はじめることも可能でしょう。一見、遠回りに見える考え方かもしれませんが、もしかすると、そのほうが近道なのかもしれません。
 さて、数学の未解決問題に戻りましょう。ポアンカレ予想を説いたペレルマンに関する本を読んだり、NHKのドキュメントも見たことがあります。彼は、小さいときから天才的で、大きくなってからもその能力は継続していました。数学者として、人との関わりも普通にもてていました。
 ところがポアンカレ予想を証明の公開のあたりから少々変わった行動をするようになりました。証明論文は、査読があるような学術雑誌ではなく、arXiv(アーカイヴ)というサイトに、2002年11月に投稿されました。arXivは、理数系の論文を無料で投稿でき、無料で閲覧できるところでした。そこは、一般的な査読のある学術雑誌のような公式の場ではありませんでした。また、ペレルマンは証明したことを講義で説明をおこなったこともあるのですが、専門が違っていたり、物理学の手法を使っていたりしているので、聞いた数学者にも全く理解できなかったようです。
 非常に難しい問題の証明だったので、ペレルマンの論文が正しいかどうかを、3つの数学者チームが長い時間をかけて検討しました。その結果、2006年に正しいということが報告されました。
 ミレニアム問題には、クレイ数学研究所から、懸賞金(100万ドル)がかかっていました。ポアンカレ予想にも懸賞金がかかっていたので、ペレルマンに、それ送ることが決定していました。さらに、数学のノーベル賞ともいわれているフィールズ賞も、ペレルマンに与えることになっていました。しかし、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」といって、いずれも辞退しました。フィールズ賞の辞退は初めてのことでした。懸賞金もフィールズ賞も、数学者にとって、願っても得られない大金あり、数学の世界での一番の栄誉です。しかし、ペレルマンには、金も賞も「両忘」となったようです。
 ペレルマンは、2005年12月にそれまでいた研究所に退職届を提出した後、顔を出していません。そして世間からも姿を隠しました。研究所退職後、世間との交流をまったく断っているようです。彼は、なにものにとらわれない、孤高の数学者になったようです。今も未解決問題に挑んでいるといいのですが。

・野外調査・
このエッセイは予約配信しています。
現在は、野外調査に出ていて、
終盤に差し掛かっています。
今年の野外調査は、山陰地方にでています。
昨年も同じところへ行く予定を組んでいました。
ところが、前日起こった北海道胆振東部地震と
その後の全道停電でいけなくなりました。
地震の直前には、台風による被害もありました。
昨年、北海道は散々な目に会いました。
昨年のことですが、ずっと前のような気がします。
今年は、無事調査が終わることを願っています。

・数学・
高校時代までは数学は、
好きで得意でもあり、興味もありました。
しかし、大学に入った頃、一気に興味が遠のきました。
受けた数学の授業では、
応用は各自おこないなさい。
時には、証明については
各自でおこなっておきなさい、というものでした。
大学に入って、気の抜けていた私は、
受験生のときには、全く接することができなかった
野外へと興味が移っていました。
数学は、少しさぼるとついていけず脱落しまし。
北海道の自然の素晴らしさに魅入られました。
それ以降、自然に接する野外調査が
研究の中心になっています。