2026年1月1日木曜日

288 日本の習慣と宗教観:神道、儒教、仏教

 日本人は、暮れから正月にかけて、多くの人が恒例の年中行事となっている習慣がいくつもあります。そこには、日本に固有の信仰と呼ぶべきものがあります。それは、他国にはみられない、特徴的な宗教観となっているようです。


 明けましておめでとうございます。日本では、多くの人が、大晦日には、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞き、気の早い人は、除夜の鐘の直後に、初詣に出かけるのでしょう。元旦の朝には、家族が集まり新年の挨拶をし、雑煮を食べて祝います。年長者が年少者にお年玉をあげ、届いた年賀状を読んだりします。
 最近は薄れているかもしれませんが、これが日本の年末年始の習慣といえそうです。それぞれの行事を信仰としてみると、除夜の鐘はお寺で鳴らし、初詣は神社へ、正月の挨拶は家族の和、序列の重視や恭順、先祖への敬意は儒教など、さまざまなものがあります。
 日本では、年中行事やひとりの精神的背景の中に、仏教、神道、そして儒教という信仰が混在し、それぞれを時と場合に応じて使い分けています。それに加えて、クリスマスやハロウィーンなどキリスト教の行事もおこなっています洗礼を受けていないのに、教会で結婚式を上げることもあります。熱心な信者からみると、このようないろいろな信仰が混在した宗教観に混乱を覚えるでしょう。しかし、日本では、家族、コミュニティ、社会、そしてメディアも、年中行事を、その背景にある信仰にまで考えが及ぶことなく、不思議とは思わず受け入れています。
 西洋には、ユダヤ教、キリスト教やイスラーム教などの一神教が、多くの信者を集めています。古代ギリシアの宗教やヒンドゥー教などは、多神教として、インドからアジアに多くの信者がいます。仏教(上座部)や道教は、神に概念のない非神論的宗教となりますが、東アジアに広がっています。日本には、神道という古来からある土着の信仰があります。人間関係や社会秩序のための倫理や思想として儒教があり、中国から韓国、日本にも信仰されています。
 このような日本の宗教的な背景をもった習慣が気になったのは、科学と宗教の関係について、最近は研究で進めているためです。日本の習慣と信仰について少し考えていきましょう。
 研究者も人間なので、日常生活や家族、地域やコミュニティ、国、民族との社会との関係の影響、生まれ育ち、その地域の文化、受けた教育などの影響を色濃く受けます。その影響は、研究者という人間にも反映されているはずです。科学的方法論に則っている研究活動にも、多かれ少なかれ影響があるはずです。研究の遂行や成果、そのアウトプットに、宗教的タブーになるもの、自身の人間関係や文化、そして信仰を否定することになった時、どう振る舞うのでしょうか。
 欧米では、科学は宇宙や地球の創成、生命の起源、生物の進化など、地質学と生物学の成果では、特にキリスト教とは反する成果を出してきました。そんな時、研究者も、個人のレベルでも、学界や研究者階層のレベルでも、信仰と向き合うことになりました。その向き合い方は、宗教組織が社会における力関係などに応じて、変化してきました。この状況を、現在、まとめています。
 今後、日本や日本人の精神や文化、信仰への特殊性に考察を進めていくつもりです。その時、多くの日本人の信仰あるいは倫理の基盤が、神道、儒教と仏教にあるので、その影響は一神教のキリスト教社会とは明らかに異なったものになっていくと予想されます。
 日本では、「儒仏道三教一致」もといわれ、役割分担しながら、重なり合いながら存在していることが前提となっています。その上で、それぞれ信仰を概観していきましょう。
 神道は、特定の開祖はなく、明文化された教典や倫理体系もありません。日本固有の古代から自然発生的に形成されたもので、自然との調和や秩序、先祖や土地との結び付きを重視しています。ほかの地域にもあるような自然崇拝といえる思想とも共通しています。日本の神道では、清浄と穢れなどの概念が生まれました。加えて、現世の人間関係(家族と社会など)の共同体への安定も重視していきます。初詣だけでなく、誕生、成人、季節行事や収穫祭など、多くの日本人の生活習慣の中に組み込まれた信仰となっています。
 儒教は、中国(紀元前6~5世紀)で孔子が創始しました。日本には仏教と同時期に伝わり、古くから導入されていました。特に江戸時代には、朱子学が幕府の官学となり武士道精神や、陽明学として幕末の志士の精神的な支えとなりました。儒教は、宗教ではなく倫理観を重視し、そして政治哲学、社会秩序に関する思想体系となります。現世での人間関係と社会の調和を重視し、徳を身につけた「君子」になることを理想としています。学問や礼儀の実践を重視しています。神道や仏教と対立することはなく、補完する関係となっています。
 仏教は、インド(紀元前6~5世紀)の釈迦が開祖で、6世紀に朝鮮半島(百済)から伝わった外来の宗教ですが、現在の日本の文化に深く結びついています。死や苦(四諦:苦・集・滅・道)からの解放のために、戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)や修行をすることで、悟りに到達すること(解脱)を目指します。煩悩や輪廻転生からの解脱を目指す実践的哲学体系でもありますが、現在の日本では、死から救済、死生観などを提供していくことで、日本の文化に深く定着しています。仏教には、創造神はない(無神論的)のですが、仏や多数の菩薩、あるいは解脱した人を信仰の対象とする宗教となります。
 神道は自然の中に八百万の神が存在し、仏教も多神教で、儒教は倫理観を重視しているため、いずれもゆるい信仰や信心となっています。それらが混淆し漠然と一体感をもった日本固有の宗教観を醸造しています。そんなことを感じています。

・年始には・
一富士二鷹三茄子がいいとされ、
かつては、枕の下に宝船の絵を
入れたりしていました。
現在はこんな風習は
ほとんどしなくなったでしょう。
暮れには年賀状を書いて送りました。
若い世代には、年賀状を送り合う習慣も
ほとんどなくなってきているようです。
時代は変化していきます。
年賀状だけでなく、手紙も
メールやSNSに代替されてきました。
便利さもありますが、
心や精神性が減ってきたように思います。
これは年寄の愚痴でしょうか。

・時代の趨勢・
私は大学からずっと親元を離れていましたが
特別な用事がない限り、
正月には帰省していました。
年末には恒例として次男が帰省してきます。
長男は夏にフェスを見るために8月に帰省しますが、
正月には帰省しなくなっています。
北海道という遠隔地でもあるのでしょうが
新しい時代の趨勢なのでしょう。
ですから、今回のエッセイの議論が理解してもらえるのは
私たちの世代だけなのかもしれませんね。

2025年12月1日月曜日

287 心の余裕:時間価値

 退職してから、校務が激減して、余裕ができました。研究にかけられる時間も増えました。時間のゆとりが、心の余裕になったような気がします。年末の整理として、心の余裕と時間価値について考えました。


 2025年3月末に退職してから、いろいろな余裕ができてきました。しかし、大学での1年間、研究室の使用が認められたので、これまで通り研究のできる環境が継続できました。おかげで、いつも大学まで歩いてきて、大学で仕事をするという生活パターンが維持できました。ありがたいことでした。
 退職後、講義が少なくなったのがなにより大きな変化となりました。現在でも非常勤として前期にひとつ、後期にふたつを担当させてもらい、いずれも午前中に終わるようにしています。それぞれの講義の準備にかける時間は、以前と変わりはないのですが、講義数が5分の1から4分の1に減っているので、その比率で講義の準備にかける時間も減っています。
 校務分掌にある校務やそれにともなう出張、担当する学生や保護者への対応などがかなりあったのですが、すべてなくなりました。それにかけている時間が解放されたことになります。退職前後の時間の使用に関する変化を整理してみました。
 教員として勤務していたときと、退職してからの時間の使い方を比べてみました。大学に滞在しているときにしている作業を、研究、校務、ボランティアに大雑把に区分しましょう。研究とは、学外にでている野外調査などの時間は除いて、研究室でデータ整理や論文執筆などに使っている時間となります。校務とは、現在では講義とその準備ですが、以前は校務分掌や対人関係など、さまざまなものがありました。ボランティアとは、以前から継続しているメールマガジンの執筆です。
 それぞれにかけている時間を計算してみました。
 教員として勤務していた時、大学にいる時間(土日も出勤していた)は平均すると56時間となります。それぞれの区分による比率は、研究 34.3%、校務 47.1%、ボランティア 19.7%となりました。退職後の現在は、大学にいる時間(土日も出勤)は48.5時間で、研究 48.5%、校務 31.8%、ボランティア 19.7%という比率となりました。
 ボランティアにかけている時間はあまり変わらないのですが、校務時間が大きく減少したのですが、その分が研究の時間へと割り振られたことになります。大学にいる時間が、56時間から48.5時間で、7.5時間に減りました。これは、健康や体力維持を考えて、夫婦で市民プールに通っています。プールにいくときは、妻に大学まで迎えに来てもらい、平均すると40分から45分ほど泳ぐので1時間ほど施設で過ごすことになります。週に3日から4日程度は泳ぎにいって、プールにいかないときは、帰りも歩くようにしています。健康のためにはいいのでしょうが、それでも体力の衰えを感じます。
 時間でみてきたのですが、時間では計れない変化があります。退職後は、校務としての対人関係が減ったことで、そこで使っていた精神的な力が解放されました。講義や学生や保護者への対応に臨むときの精神的な負担は、その以外の作業をしている時間にも、かなりストレスを与えていした。心の「ゆとり」がなくなっている状態となっていました。
 ストレスがなく、ゆとりをもって自由にできる時間の価値は、数値化できないものとなります。同じ時間を使っていても、心の状態によって価値が変わってくるということになります。時間価値がいい状態で作業に取り組めれれば、同じ時間数であっても、集中した内容や充実感へとつながっていきます。それは、研究の内容や、ボランティアとして取り組んでいるメールマガジンの発行にも反映されていると思います。
 時間価値の増加の効用として、年齢による衰えを補っているようです。体力だけでなく、集中力や記憶力も年々衰えを感じています。その衰えを時間価値が補ってくれているように感じています。
 その時間価値をつぎ込んで進めようと考えている研究プロジェクトがあります。その研究プロジェクトは、今年2025年からはじめて、あと3年(2028年まで)かけて、遂行してまとめていくと考えています。そのため、この時間価値の効果が維持できればと思っています。

・片付け・
今年は、定年退職という大きな節目を迎えました。
幸いなことに、エッセイも書いたように
研究環境が退職後も1年間継続できたので
ゆっくりと新しい研究条件になじむことができました。
ただし、2026年2月には引き払うことになるので
最後には研究室を空っぽにするので
機会がある度に片付けています。
荷物を出すために、根雪になる前に、
講義や研究を続けるのに使うのに
最低限必要なものだけを残しています。

・fade out・
いよいよ2025年最後のエッセイとなりました。
これまでも、退職に向けてサーバーやメールマガジンを整理し
退職後もホームページやブログも整理してきました。
1月には新たな整理を進めていくつもりです。
だんだん個人での発信を減らしています。
退職前から進めてきたfade outを
さらに一段階進めていきます。
その分、自宅の整備もしていきます。

2025年11月1日土曜日

286 再考:予防原則

 10年以上前のエッセイで、予防原則について書いたことがありました。当時と比べ、状況は全くよくなっていないように見えます。そして今、再度、予防原則について考えました。


 2014年1月のエッセイ「144 大局観をもった予防原則」で、予防原則について考えたことがありました。当時は、原発事故のあとの原発再開の是非、秘密保護法の制定などを元に、拙速な行政や施策が気にかかっていました。そこで高所かた大局的に見る必要性を考えていました。現在は、10年前とは状況が異なっていますが、より閉塞感が広がっているように思えます。そんな時期に、再度、予防原則を考えてみました。
 予防原則(Precautionary Principle)とは、どのようなものかを、まずは説明しておきましょう。科学は、論理性を重視しているので、証明や検証がされていない結論や方法は採用できません。現状のまま放置、あるいは現在の方法を継続していると、将来深刻な危険性が考えられることがあります。科学的に確実ではない場合時、予防的に措置を講じていこうという考えです。
 1970年代の西ドイツで環境政策として採用された原則です。その後、1992年の国連の「環境と開発に関するリオ宣言」では明記されました。環境問題を考える時の基本となっていき、生命や医療の倫理、食品の安全性などを考える時にも適用されるようになってきました。
 予防原則とは、安全が証明されるまで危険は避けるために「やめる」考えです。一方、危険だと証明されるまで「やっていこう」という「リスク原則」という全く相反する考えもあります。いずれの原則も、科学では対処しづらい場面での判断の仕方となります。
 予防原則は、危険性や被害を未然に防ぐための危険回避ができそうです。ところが、技術や経済の進歩を抑止たり活動を抑制したりすることになり、自由な発展を妨げるという短所もあります。発展と危険を天秤にかけ、判断を迫ることになります。この判断をするのに、今の日本が適しているのではないかと考えています。
 かつて日本は、経済発展が著しく進んでいる時、工業化によって公害問題が各地で発生しました。当時は、経済発展を優先され、公害への対処はなおざりにされていました。当時、公害は、人類として初めての経験でもあったので、人的被害を顧みることも少なかったようです。その結果、被害が拡大していき、人的被害が深刻になってきました。そして、遅ればせながら、政策的に公害へ対処が進められました。それはあまりに後手で、被害への対応の不十分でした。
 対処を懸命にやったことは、悪いことばかりではありませんでした。対処の産物として、世界に先駆けて公害防止や省エネ、再生可能エネルギーの活用などの技術で、新たな展開を向かえることができました。日本人の得意としていた複雑な技術や繊細な技術の組み合わせることが、この時、開花しました。
 経済発展している時は、ジャパンアズナンバーワン(Japan as No.1)ともいわれていたため、マイナスへの対処が遅れました。先端技術を開発し、売る側にいました。そんな時代は遠く過ぎ去り、日本の科学や技術のアドバンテージもなくなり、他国に追い越されてしまい、追いかける体力もなくなっています。現在の日本では、他国の先端技術を享受する側、後塵を拝することになり、不景気による停滞が続いています。
 生成AIやICTの先端技術が、世界中でもてはやされています。新しい技術で経済効果が生まれれば、科学技術は限りなく進んできます。そのため、膨大な資金や人材が注ぎ込まれていきます。先発したもの、体力のあるもの、資金力や人材があるところが、先頭にたっていきます。その先に何が起こるのかは不明です。今の日本は、その技術を利用する側、買う側に回っています。
 Japan as No.1で日本は栄華を享受した後、公害で手痛い教訓を経験しています。その後も、バブル崩壊で、現在も停滞が続いています。国際的には以前の力を持たなくなってきました。しかし、何事も考えようです。Japan as No.1の頃は、「一番」、「豪華」、「大いなる」などが満足に基準でしたが、今では、「耐久」すること、「ささやか」楽しみに満足できるようになってきました。日本は、耐久の時代、あるいは停滞の経済状態にあります。こんな時にこそ、予防原則を見直す必要があるのではないでしょうか。
 技術は物理的に限界がくるまで進んでいきます。それを止めることは無理でしょう。先端技術はやがて使い古された、枯れた技術は、安くなり普及してきます。先端でなくても、そんな技術の恩恵に浴することができるはずです。
 普及した技術を組み合わせたり、より繊細にしたりすることで、安価に安全に耐久性を持たせられるかもしれません。アップルでスティーブ・ジョブスがおこなった組み合わせ技術を、日本はもっています。現在の環境問題や温暖化など、忍耐を要する対処ができるのも、日本ではないでしょうか。
 経済性や競争のためではなく、立ち止まって対処を進めていく必要があります。世界規模の問題であっても、対処に専念すれば、そこには新たな活路が見出されるはずです。それが将来の糧になるかもしれません。現状の世界規模の問題に予防原則を進められるのは、日本ではないでしょうか。
 これは、日本贔屓すぎるでしょうか。

・冬仕様・
今年の北海道は、秋が短いようです。
里から見える山の冠雪も早いようです。
急激に寒くなり、紅葉から落葉へ
一気に進んでいるようです。
朝晩、ストーブがかかせなくなりました。
幸いも、里にはまだ雪は降っていません。
いつ降ってもおかしくない気候です。
コートも冬用、毛糸の防寒具も
身につけるようになりました。
すべてが冬仕様になっています。

・三ノ宮・
先日の帰省で神戸に一泊しました。
宿泊は三ノ宮でホテルをとりました。
神戸には、JR西日本の神戸駅や
新幹線の新神戸などがありますが、
三ノ宮が神戸市の中心地となり、
JR・阪急・阪神・地下鉄の駅があります。
以前にも神戸空港は使ったことがあるのですが
神戸に滞在するのは、はじめてでした。
三ノ宮の周りには異人館街があったり、
南京町とよばれる中華街、
港のメリケンパークなどがあります。
ただし、今回は異人館街だけを歩きました。
坂道なかりのところを歩くので、少々疲れましたが、
久しぶりに都会を散策を楽しみました。

2025年10月1日水曜日

285 コペルニクス的転回:意図したアブダクション

 現在の科学は仮説演繹法でなされていますが、意識的にすることを、カントは「コペルニクス的転回」と呼びました。最近、アブダクションという方法を導入して研究していますが、これもコペルニクス的転回になりそうです。


 現在進行中の論文で、科学や哲学の歴史を概観しています。科学は好奇心に基づいて進められているのですが、人の営みでもあるので、宗教や政治などの権力と大きく関わっていたことがよくわかります。
 ある時代に科学に携わっていた人たちは、その時代に翻弄されたり、迎合したり、回避したり、人それぞれのやり方で対処してきました。現在でも、科学者は、基本的に自身の好奇心に基づいて研究をしています。しかし、研究費の削減、過度の業績評価、研究以外の業務の増加など、現代という時代の影響を受けています。純粋な好奇心だけで進むことはできません。もちろん、科学だけでなく、すべての人の営みは、時代や世相の影響を受けているのでしょうが。
 人類の歴史において、科学的な考え方などないところから、科学は発展がしてきました。ここでは、17世紀から18世紀のかけて起こった科学革命という、現在の科学的考え方に至る歴史を概観していきます。当然、それはひとりの人によって達成されるわけではなく、多くの人の考え方、時に対立もしながら進められてきました。
 現在の科学の方法論は、帰納法と演繹法が基礎となり、それらを組み合わせた仮説演繹法が進められています。そこには、論理的欠点もあることもわかっているのですが、仮説演繹法が用いられています。そのあたりを詳しく見ていきましょう。
 帰納法とは、実験したり、観察したりして、具体的な事実を収集して、それらの事実をすべて満たした一般則を導いていきます。これら実験や観察など実施された事実が経験を通じて獲得されていきます。経験を重視しているので、経験論とも呼ばれています。フランシス・ベーコンを祖として、ジョン・ロックやジョージ・バークリー、デイヴィッド・ヒュームなど、イギリスの哲学者が中心になっていました。
 演繹法は、まず普遍的な原理があると考えます。普遍的な原理とは、フランスのルネ・デカルト「我思う、ゆえに我在り」という言葉で象徴されるように、私たちには、理性が平等に生得的に備わっているので、理性的に考えることから普遍的原理がえられると考えています。普遍的原理に基づけば、個別の結論も導き出されていきます。フランスのデカルトから、ドイツのゴットフリート・ライプニッツ、オランダのバールーフ・スピノザなど、大陸で発展していったので、大陸合理論とも呼ばれれます。
 両者は、経験論と合理論として、認識論の上で異なった思想体系となっていました。それを、イマヌエル・カントは統合していきました。これを天動説から地動説への見方を変えたニコラウス・コペルニクスにちなんで、「コペルニクス的転回」と呼びました。
 従来の経験論(知識)や合理論(理性)のいずれも、対象(客観)が人間(主観)に従うことで成り立っています。カントは、「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」といい、両者を分けることはできないと考えました。いずれも認識の主体が人間となり、感覚的な経験なしには考えることができないし、逆に理性的な概念なしには経験を理解することができません。経験論の経験も重要で、合理論の理性も不可欠となります。
 認識は、感覚的な経験をもとに、それを理性的に構造化するという相互作用によって成立すると考えました。経験に根ざしながらも、普遍的で必然的な知識となるためには、人間(主観)が知識や理性などを対象(客観)にして従わせることが必要だと主張しました。これは、帰納法で抽出した法則(仮説)を、演繹して真偽を検証する仮説演繹法ともみなせます。
 帰納法と演繹法には、問題があることは知られています。
 帰納法では、事実から法則を導きます。その法則は、これまで知られていなかったもので、新規性、独創性が生まれてきます。一方、演繹法では、事前に存在している法則にもどついて、未知の事象の結果を推測していきます。その事象が法則が成立するための条件を満たしていれば真、満たさければ偽となるはずです。そんな真偽の結果を予測することができます。
 見方をかえると、欠点も見えてきます。
 帰納法だけでは、えられた事実は満たす法則です。ところが、未知の事実については、検証されていないので、法則が適用できるという普遍性はありません。法則の真偽が確定ができません。演繹法では、いくらでも検証ができ、既存の法則の信頼性の確認はできるのですが、法則が存在を前提にしているので、新規の法則を見出すことはできません。
 これらの両者の利点を活かし、弱点を補ったのが、仮説演繹法となります。帰納法のえられた法則を仮説として、演繹法で検証していくという方法になります。仮説演繹法では、法則の適用範囲をチェックすることができます。
 ただし、帰納法の法則の普遍性を示せないという弱点はつきまといます。そのため、帰納法や仮説演繹法でえられる法則は、仮説に過ぎません。仮説をつくるだけなら、必ずしも多数の事実をもとにした帰納法の頼る必要はありません。たくさんの事実を集めなくても、いくつかの事実だけを満たす仮説、あるいは事実がなくても思いつきを仮説としてスタートしてもいいのです。いかなる仮説であっても、「作業仮説」として、あとは検証のための演繹法に入ればいいのです。そして、検証作業を進めながら作業仮説を修正していくというサイクルを繰り返せばいいのです。
 このような帰納法によらない作業仮説のたてる方法を、チャールズ・サンダース・パースは「アブダクション」と呼びました。アブダクションは、アリストテレスの論理学の中でも述べられており、中世スコラ哲学でも「帰納と演繹の間にある推論」として、その存在は知られていました。
 アブダクションの導入も、一種の「コペルニクス的転回」といえるのではないでしょうか。実は、アブダクションは、多くの人、もちろん科学者も含めて、「おもいつき」や「作業仮説」として無意識に用いているものです。多くの人は、なんらかの事象が起こったら、特にいつもと違ったこと、はじめのことがあったら、もっともらしい説明をしていこうとします。そこには根拠も検証もないので、アブダクションとなります。
 科学では、アブダクションでえられた作業仮説から、検証を進めていきます。もし仮説に合わない検証結果が出てくれば、よりよい仮説に修正していけばいいのです。帰納法だと、多くの事実の縛りがあるので、仮説の修正は大変ですが、アブダクションでは事実の縛りがゆるいので、仮説の修正の容易にできます。
 そのようにアブダクションを軽快に使っていくことも、「コペルニクス的転回」ではないでしょうか。

・秋きたる・
9月中旬から、一気に秋めいてきました。
黒岳の初雪のニュースもすでに届きました。
これが例年の北海道の秋です。
9月下旬には、秋物のコートにして、
ストールを使いはじめました。
冷え込んだ朝には、もう必要になりました。
薄手の手袋も出したのですが、
まだ使うことはありません。
これから紅葉が一気に進んでいきそうです。

・リセット・
毎日、研究に集中しています。
主には論文を書くことに時間を費やしています。
データ集めや思索を、心ゆくまでできます。
在職中も、校務以外の時間を
すべてを研究に使っていたのですが、
退職して校務が激減したため、
論文執筆にほぼすべての時間が使えます。
しかし、問題があります。
集中力が続かないのです。
午前中で集中が切れてしまいます。
校務や講義があるときは、
その時間には、集中が分断します。
研究に戻った時、集中力のリセットができました。
そんなリセットのチャンスがなくなったのが悩みです。
まあ、贅沢な悩みでしょう。
このエッセイを書くものリセットになります。

2025年9月1日月曜日

284 初心の味わい:時間の流れの中で

 最近、地質学をはじめた頃を思い出しています。必要があって、新たな研究領域の文献を調べています。初心者になった気持ちで、文献を読んでいます。時間の流れの中で、知らない領域での「初心」を味わっています。


 2025年3月末で退職してから、5ヶ月が過ぎました。校務がなくなり、講義ノルマもほとんどなくなり、精神的に楽になりました。春からは、別のキャンパスでの講義という新たな体験もしましたが、それも無事終わりました。全く新しい生活パターンとして過ごしてきましたが、なんとか対応してきました。9月下旬から、現在いるキャンパスでの、一日で2つの講義をします。前期よりも、少々多くなりますが、慣れていくしかありません。
 人生にはさまざまな時間の区切りが設けれられています。それらは、時間軸の上につけられた区切りなので、必ず訪れ、必ず過ぎ去ります。最近もいろいろな区切りが通り過ぎていきました。例えば、8月が終わったので、退職最初の1年の3分の2が過ぎました。2025年なっているので21世紀の四半世紀が過ぎたことになります。
 自身にとって、人生の大半が過ぎ去りました。残された時間が不明なので、どこで終わってもいいように、やりたいことを優先順にこなしていこうと考えています。去りゆく時間を振り返ることも時には重要ですが、未来を見据えて淡々と過ごしていこうと考えています。
 退職したので校務はなくなったので、研究に主力をおいて興味のままに継続していこうと考えていました。体力維持に心がけながら、環境も整えてきたのですが、そんな矢先です。最近、一気に体調不調に陥りました。退職の1年ほど前から、体のあちこちに変調をきたし、治療を受け続けています。現在も不調が継続しています。
 集中力を維持するのがなかなか難しいのですが、ただ幸いなことに、好奇心は継続しています。4月以降、人生における時間的縛り、あるいは大きな区切りはなくなったので、日々、ワクワクしながら研究に臨んでいます。とりあえず、体と相談しながら、無理をしないで、現在の研究テーマの区切りまで進めて完結できればと考えいています。
 ただ、初心不可忘(初心忘るべからず)と思って日々励んでいます。そもそも「初心忘るべからず」とは、世阿弥の「花鏡」の中にある言葉です。物事をはじめた頃は、謙虚で真剣な気持ちでだったはずです。それを忘れていけないという教訓です。
 現在、初心状態になっています。なぜなら、退職後、初心になるような研究テーマに移行したためです。教員時代は、科学、教育、哲学という研究体系を目指して、科学それも地質学を中心に研究を進めてきました。退職後は、より学際的で哲学寄りのテーマに分け入っています。それは、退職前から考えていた構想に沿っています。
 ただし、教育実践は非常勤講師として前期1つ後期2つの講義をしていますが、主にはメールマガジンを使った配信による科学教育の実践だけにしました。3つあったものを2つにしました。教育実践にための大学の専用サーバも閉鎖しました。小さなレンタルサーバをもっていますが、個人用なので教育実践には用いていません。
 地質哲学を中心に、ここ数年は研究を深めていこうと考えています。現在、探求しているのは、地質学に端を発した疑問が、地質学では対処できず、宗教的な手法(密教の考え方や方法論)ならば、解決可能かもしれないと思いつきました。そんな手法を地質哲学に導入し、開拓していこうと考えています。
 現在、広く宗教全般における密教の位置づけをまとめていこうと考えました。広く宗教を考えると、西洋における宗教全般の変遷史を考えなければならず、それは世界史に直結します。また、密教には東洋史、日本史も深く関わってきます。さらにそんな宗教と科学の関係を整理して置かなければならないと考えています。現在の科学は西洋に端を発していますので、科学と宗教の関係、あるいは地質学と宗教との関係もどのように扱われてきたのかなども整理していくことになります。さらに哲学と宗教の関係・・・と、テーマが連鎖的に広がっています。
 おかげで当初1編の論文として書く予定の内容が、あれこれ調べていくと、それぞれに興味が湧いてきて、現在、数編(少なくとも4編)に膨らんでいきそうです。どこまで調べて、どのようにまとめていけるかは、まだわかりませんが、興味が継続していく限り、進めていこうと考えています。
 退職前後は、南方熊楠による密教の方法論を適用していこうという方針は考えていたのですが、冥王代にどのよう展開していくのかが、今後の課題となっています。その方針や方法論の全貌については、まだまだ未定です。まとまってきたら、このエッセイでも紹介していきたいと考えています。
 非常に広い学際的なテーマになってきていますので、知らないこと、わからないことだらけです。新たな文献を、次々と調べては読んでは知識をえて、見識が広まっていくことが楽しく、ワクワクしています。ただし、集中力は衰えてきているようですので、現在の自分に合ったスピードで進めていくしかありません。
 そんなときこそ、初心不可忘です。現在の興味の中心は、冥王代という地球最初の年代で、証拠のない時代へのどのような地質学的アプローチができるかということです。証拠のないため、科学的に不可知の領域へ、どのように科学的方法論を導入していくのか。検証不能の命題です。
 しかし、そんな不可知を探求する方法論を、仏教や密教では確立されています。その方法論を地質学に転用し、展開できれば、これまでになかった地質哲学の開拓になっていくのではと考えています。
 専門である地質学でのテーマを極めるために、新たな研究領域を学んでいます。そこでは、以前からはじめていた科学哲学だけでなく、歴史学や宗教学など、新たな分野へ興味が展開しています。しかし、地質学の初心を忘れることなく、進めていこうと思います。

・腰痛がまた発症・
先日、大学が全館計画停電だったので
この機会に、自宅で、いろいろ工作や
大工仕事をしていたら、
また腰痛がでてきました。
自宅で、体を使う作業をすると
よく腰痛を発症します。
今回は、痛みはあるのですが、
ひどくはなっていないので
無理せずに様子をみていくしかありません。

・例年の夏・
今年の北海道の夏は、
暑かった日はありましたが、
特別に暑くは感じませんでした。
例年のような夏と思いました。
本州では猛暑が続いたようですが、
北海道、あるいは私の体感かもしれませんが
エアコンを使った回数は
それほど多くはありませんでした。
また、寝室で扇風機をつける回数も
それほどではありませんでした。
例年の夏に思えました。

2025年8月1日金曜日

283 未来のために種を蒔く

 ベーコンは壮大なる学問の体系を考えましたが、死によって道半ばで終わってしまいました。自身が達成できなくても、未来の人が、その体系を育ててくれることに期待していました。


 ルネサンスから科学革命へと16世紀末から17世紀にかけて、新しい科学的方法論が生まれてきました。その代表となるのがイギリスのベーコンに端を発する経験論と、フランスのデカルトからの合理主義です。
 ベーコンは帰納法を、デカルトは演繹法を提唱し、これらは現在の科学では不可欠な方法論となっています。デカルトの演繹法は「方法序説」の中でまとめられ、それは有名な書となっており、このエッセイでも何度か取り上げました。
 一方、ベーコンの帰納法は、「学問の大革新(Instauratio Magna)」という著書でまとめられているのですが、あまり有名ではないようです。その理由は、未完であったためではないでしょうか。
 ベーコンの「学問の大革新」の構想は、非常に壮大なものでした。「学問の大革新」は、全体で6部からなるものでした。第1部は学問の区分、第2部は新機関、第3部は自然と実験の歴史、第4部は知性の階段、第5部は先駆あるいは予兆、第6部は第二哲学あるいは能動的科学、という構成になっていました。以下で概要を見ていきましょう。
 第1部は「学問の区分」として、既存の学問を批判的に検討し、人間の知的能力(記憶・想像・理性)に基づいて、学問全体を歴史・詩・哲学に分類し、それぞれの分野の現状と欠陥を分析していきました。知識の空白地帯を、探求すべき分野として、今後の学問の再構築の方針を示しました。この内容は「学問の進歩」として1605年に刊行されました。
 第2部は、「新機関、あるいは自然の解釈に関する指針(Novum Organum sive Indicia Vera de Interpretatione Naturae)」として有名な著書です。その内容も重要で、従来のアリストテレスの知識獲得の方法(オルガノンなど)に代わって、帰納法を提案しています。イドラ(偏見や先入観)を排除するために、経験に基づく観察と実験を重要視して、帰納法にて客観的な真理に到達することを論じています。この「新機関」は非常に有名です。この著書は1620年に発行され、前著から15年の歳月をかけて執筆されています。力の入れようが伺わられます。
 第3部は「自然と実験の歴史」といわれますが、「宇宙の現象、自然誌と実験誌(Phenomena of the Universe / Natural and Experimental History)」ともいわれています。Historyという単語を用いていますが、その意味は「歴史」とも「誌」(記録という意味)と両方に使われています。ベーコンは、自然界のあらゆる事実や現象、実験の結果を網羅的に収集し、整理していこうとしました。帰納的推論の基礎となる、体系的なデータ収集の重要性を示しました。
 その構想の一部は、「シルヴァ・シルヴァルム、あるいは自然誌の十世紀(Sylva Sylvarum, or A Natural History in Ten Centuries)」としてベーコンの死の翌年1627年に出版されました。タイトルのSylvaはラテン語で「森」や「森林」と意味し、資料の比喩とも捉えられます。Sylvarumは属格複数形で、「森の」という意味をもっています。ですから、「資料集の中の資料集」や「素材の集積」となります。それを10世紀(1000年分)の期間にわたって試みました。動植物、鉱物、気象現象、物理現象など、多岐にわたる事実が詳細に記録されています。データ収集の重要性を実践した著書となります。
 以降は未完ですが、その構想があります。第4部は「知性の階段」で、理論と実践を示そうとするものでした。実際に帰納法を用いて理論を見出し、理論の具体的な実践例を示そうと考えていました。
 第5部は「先駆あるいは予兆」で、ここでは帰納しても不完全な状態であったとき、どう研究を進めるかを「予備的な結論」(一種の作業仮説の提示)として示す予定でした。
 第6部は「第二哲学あるいは能動的科学」で、究極の目標となる実践的な応用科学の完成を示そうとしました。「第一の哲学」とは、従来の哲学(特にアリストテレスやスコラ哲学など)は、抽象的な議論や観念的な思弁になっており、現実に利益をもたらしていない、不毛だと見なしました。ベーコンの目指す「第二哲学」は、獲得された知識を人類のために応用するためのものでした。そこから彼の有名な言葉「知識は力なり(Knowledge is Power)」が生まれてきます。
 ここまで見てきたように、「学問の大革新」は壮大な構想の体系でした。完成できなかったのが残念です。その理由のひとつは、ベーコンは1617年に国璽尚書、1618年からは大法官という高位の役職に就いて、非常に多忙な時期がありました。1621年に失脚して以降は著作活動に入りました。1626年に死亡したのですが、その時までに第3部の一部までが書かれており、そこまでが出版されました。
 構想はあまりに壮大で、ベーコン自身も一人では完成できるとは思っていなかったようです。「新機関」の「諸学の大革新の緒言」に、
「たとえ私がこの道を切り拓く努力が、私の生前に実を結ばず、世間に認められなくとも、私は満足である。なぜなら、私は未来(後世)のために種を蒔いているのであり、やがて来るべき時が、これらの種を育てるであろうことを知っているからだ。」
と述べています。自身で完成できなとくとも、その意図や価値をわかっていれば、未来の世代が発展させてくれることを期待していたのです。ベーコンの死後、400年がたちました。私たちは、ベーコンが期待した種を育てているのでしょうか。

・長男帰省・
8月は特別なことはないのですが、
淡々といつものルーティンをこなしていきます。
長男がお盆に帰省します。
家に帰ることもさることながら
サマーフェスティバルにいくことが
重要な目的のようです。
昨年も、暑い中、
一人で2日間、見学にいっていました。
長男の帰省期間中に、
おいしい食事や温泉でもでかけましょうか。

・猛暑への対処・
北海道は、今年も暑い日が続きました。
エアコンを一昨年から設置したのですが、
我が家は大きなストーブで
家全体を温める方式なので、
建物全体が仕切りが少ない状態になっており
エアコンには不向きな作りになっています。
一番長く滞在するLDKにエアコンをつけました。
夜寝る部屋にはエアコンがなく
窓を開け、扇風機をつけることで
対応していくしかありません。
今のところそれでなんと対処しています。

2025年7月1日火曜日

282 不可知の探求と密教の悟り

 人の信念や宗教的悟りのようなものは、なかなか言語化できないものです。それぞれの人の信念や悟りが、同じかどうかを比べることができません。密教では、悟りの探求が、古くからなされてきました。


 現在、科学と宗教に関する論文の草稿を執筆しています。そこでは、両者の関係の歴史的変遷と現在の課題をまとめていこうとしています。日本(人)の宗教への寛容さと、多様な文化の受容性、その上での融合力が、対立を回避してきたのではないかと考えています。そんな日本的な宗教観から、不可知のものへの対処が見いだせるのではないかと考えています。
 まだ、執筆途中なので、今後、内容や結論は変化していくと思います。日本では、特異な宗教的背景や風土があり、大きな対立もなく、多くの宗教を受容してきことは確かです。
 前回のエッセイで書いたように、「冥王代前期」という科学的検証が困難な「不可知」の時代への方法論を模索していました。この論文では、「不可知」の探求が興味の中心となっているのですが、言語化できない真理(悟り)の探求に似ているのではないかと考えています。悟りにたどり着くためのアプローチとして、仏教の密教の思索の方法論が使えるのではないかと考えました。そんな経緯で、現在論文を書いています。
 今回のエッセイでは、宗教的「悟り」への興味を、若い時を振り返りながら紹介していこうと考えています。
 実家の宗教は、仏教(浄土真宗)の仏壇(金ピカ)があり、過去帳も置いてありました。そして、仏壇の中には、故人の位牌が多数ありました。また、別の部屋には神道の神棚もありました。母は、生前、毎日どちらにも水を変え、ご飯を供えて祀っていました。祖父が健在の時には、神道の儀式らしき、正月の飾りをしていました。いくつかの宗教行事が混在していることが、当たり前として立ち会っていた。
 調べると、浄土真宗では、金ピカの仏壇で過去帳をつけるようです。ですが、位牌は真言宗のものらしいです。その仏壇の前で、浄土真宗の僧侶は、檀家の我が家の仏壇でお教を上げて、法名も付けてくれていました。このような折衷が当たり前に存在するようです。
 高校生時代、禅宗への興味がありました。自力での「悟り」に憧れがありました。現在では、言語化できな真理への到達方法ということができるでしょう。悟りに至るための手段として、ヨガや坐禅を書籍を通じて、見様見真似で、自己流でやっていました。ヨガは健康のためでもありましたが、坐禅は精神統一やリフレッシュのためもあり、毎日続けていました。
 坐禅から、禅宗の悟りへの興味もでてきました。禅宗の曹洞宗では、悟りへの方法論として坐禅をしていたからです。その関連で、般若心経や鈴木大拙の著書などを読んでいました。禅宗には悟りへの方法として問答を中心とする臨済宗もあるのですが、一人で取り組むには、曹洞宗の坐禅による方法がよさそうに思えました。
 現在は、科学的探求の限界への対処として、密教の方法論がいいのではないかと考えています。これは、若い時の興味の持ち方とは、まったく別のアプローチからの発想でした。
 仏教には、上座部仏教と大乗仏教との2つがあり、上座部仏教が出家や苦行した者だけが救われ、大乗仏教は誰でも救われると説きます。大乗仏教には、顕教(けんぎょう)と密教があり、顕教は仏の教えを現世の言葉で顕せるとし、三密(身密・口密・意密)を通じで本人自身が悟っていこうとするのが密教です。
 地質学の研究の延長線で、前述の「検証不能」の「不可知」の時代への方法論と、言語化できない真理探求の方法論には、共通するものがあるように見えます。密教には、「縁起の法」などは、重要な考え方として、「検証不能」の「不可知」への手段として使えるのではないかと考えました。
 そもそも私は、自身の考えを言語化するのが苦手でした。口頭よりは文章のほうが、時間をかけてまとめられるので、まだ自分の考えに近いものになっていると思えます。知識や論理的内容であれば、客観性があるので、それなりに伝えたいことが表現できると思えます。
 ところが、主観的な内容については、言語として表現することが、今でも困難に感じていました。これは、当たり前なのかもしれません。なぜなら、言語化できない考え、感じ方があるはずです。それを言語化しても、完全に表現できてないように思えることも多々あります。
 それは、密教における悟りが言語化できないもので、それぞれの悟りが、同じかどうかもチックできません。言語化しても、本当の悟りとは、異なった表現になっているかもしれないからです。このエッセイも、本当に考えていることがうまく表現できていないなと思いを感じながら、書いています。

・自由な外出の幸せ・
さてさて、7月になりました。
今年も半分過ぎたことになります。
退職して3ヶ月が過ぎました。
前期は週1回の講義となり、
それ以外の6日間は、
研究室で、自分の好きな研究ができます。
時間に縛られることなく、
午前中に集中して、午後には読書
というパターンを作りつつあります。
何より、平日に旅行や街に
出かけられることがいいです。
夫婦で平日に街の施設や公園に
出かけられることに、幸せを感じています。

・のんびりとした旅・
これまで、自分の研究である地質を中心した
野外調査で各地に出かけていました。
春からは、妻も一緒に出かけることになったので
妻がいきたいところを
観光旅行として回っています。
4月は恒例となっている
横浜への帰省にいきました。
義母の墓まりと義父への面会、
ついでに次男とも会食しました。
5月末には沖縄へ、
6月末には羅臼へいきました。
9月には、道央にいきます。
いずれも、あちこち貪欲に回るのではなく、
のんびりと、ゆったりとまわることにしています。
そんなのんびりとした夫婦の旅もいいものです。