2016年1月1日金曜日

168 ミネルヴァの梟は、いつ飛ぶのか

 2016年の年頭にあたり、「ミネルヴァの梟」という言葉に関連して、ひとの知恵について考えました。自然科学と人文科学との違いに端を発し、私の考えは、二転三転していきました。そんな思考の流転を紹介していきましょう。最終的には、ひとつのところに落ち着きましたが。

 日本ではあまり梟(ふくろう)を重視していなかったようなのですが、アイヌの人たちは、梟を守り神としています。アイヌ神話では、天神と地神が、この国を統治する神をどうするか、と悩んでいたところに、梟が飛んできて、目を瞬きました。神々はそれで気づいて、沢山の神々を生み出したというものです。そのよな神話に基づき、アイヌは梟(シマフクロウ、コタンコロカムイ)を守り神として大切にしています。アイヌの彫刻にも、梟がよくモチーフに用いられています。我が家の玄関に、4匹の梟がかかっています。
 ヨーロッパでは、梟は知恵の象徴とされています。それをもとに重要な言葉が生まれました。「ミネルヴァの梟」という言葉です。まずは、その語の意味を考えていきましょう。
 ローマ神話にミネルヴァ(Minerva)という女神がいます。この女神は、詩や知恵、技術・職人(医学、製織、商業工芸)などを司っていました。ギリシア神話のアテナという女神に対応していると考えられています。ローマでは、かなり信奉されていたようで、「千の仕事の女神」(goddess of a thousand works)と呼ばれていました。ミネルヴァは、知恵を司る女神でもあったので、古くから彫像などの芸術作品にもなったり、欧米の教育機関や政府、協会、公共機関の紋章や勲章などに取り入れられています。
 ミネルヴァの聖なる動物が、梟(ふくろう)とされていました。その影響でで、西洋では梟は知恵の象徴でもあるとされています。ミネルヴァとともに梟が描かれることも多かったようです。
 西洋では、そのような知的背景があり、それをもとにした有名な言葉として、「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」というものがあります。これは、ヘーゲルの「法の哲学」という著作の序文に書かれた文言です。本文に入る前に、哲学とは何かを語っているものです。ヘーゲルのいう哲学とは、「理性的なものの根本を究めること」といっています。当たり前のことをいっているようです。続けて「現在的かつ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうち立てることではない」といいます。ものごとの現実的な本質を考えていくということです。
 そして、「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」という言葉が用いられます。なかなか含蓄のある言葉なのですが、ヘーゲルは、「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである」といいます。そして、「現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」としています。哲学は現実より遅く、現実が終わってしまった後に、哲学が現れるといいます。それを象徴した言葉として「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」と表現したと考えられています。哲学は現実の本質を把握するためのものなに、現実が終わってしまったあとにできてくるものなのです。自己矛盾をしていように見えますが。
 哲学(知恵、学問)は、時代を総括するものです。ひとつの時代が終わる時、古い知恵が黄昏を迎える時、梟が飛び立つのです。時代に固執しすぎれば、教条的になっていく恐れもあります。梟は活動時間のはじまりである黄昏に飛び立つように、時代の束縛から解き放たれ、新しい知恵を求めるためだ、という解釈もあります。
 ミネルヴァの梟は、哲学者の言葉です。哲学や人文科学は、人の思考や社会の営みから重要なものを抽象していくものです。この言葉を聞いた時、自然科学では、知識や知恵に対して、違った見方、取り組み方をしているので、ミネルヴァの梟は、違った行動をするのではないだろうかと考えました。それでは、どんな行動になるのだろうかと考えました。
 自然科学は、自然から規則性を抽象していくものです。知りたいひと(科学者)の欲求や目的に応じて、自然から知識をえようとします。知りたいことがあれば、目的に応じた手段を用いて、なんらかの知識や知恵を抽象しています。それを公開していくことが、科学の営みといえます。それは、科学の新しい時代や分野の始まりであろう、爛熟期であろうと、衰退期であろうと、過渡期であろうと、新しい情報や知見が継続的に積み上げられています。ミネルヴァの梟は、いつも目を見開いて、知恵を吸収していくのではないでしょうか。梟に寝ている暇がなく、忙しく思えました。
 ここまで考えてきた時、いやいやもっと深く考えると、違ってくるのではないかという思いに至りました。自然科学にも大きな転換期があることに気づいたのです。新しい知識がたくさん積み重なっていくと、従来の原則では説明できないことがあり、それを説明するとき、大きな転換期が訪れるというものです。質的変化やコペルニクス的転回、パラダイム転換などと呼ばれているものです。この考えを取り入れると、実は過去の集積の後に大きな視座の変化が起こります。そんなときミネルヴァの梟は飛び立つのです。パラダイム転換期は、古い分野の黄昏と呼べるのかもしれません。
 さらに、自然科学にかんする深い思索も、やはりヘーゲルのいうように、「いつも来方が遅すぎる」といえそうです。ですから、自然科学の知恵を司る梟も、やはり黄昏に飛び立つのでしょう。
 梟は昼も目を見開き、黄昏にはやはり飛び立つのです。ミネルヴァの梟は、自然科学では、なかなか忙しいようです。
 ヘーゲルはいいます。
 「理性的であるものこそ現実的であり、
 現実的であるものこそ理性的である。」
と。さてさて、理性と現実、なかなか難しい課題です。

・今年もよろしく・
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年も、いろいろ考えたことを
書いていきたいと思います。
このエッセイは、私にとっては、
いろいろな考えをまとめたり、
新しいことを考える時のきっかけに
利用されてもらっています。
私は考えるという行為を、
基本的に一人でおこなっています。
考えをまとめる前に、まとめる途中で、
人に聞いてもらうという行為は
いいきっかけになっています。
そんな場に、今年もしていきたいと思います。
よろしければ、
今年もお付き合いをいただければと思います。

・自分の歩み・
齢を積み重ねるに連れて
少しずつ、肩から力が抜けていくようです。
その意味は、
自分の決めた道を、
自分の歩き方で、
自分の足で、
急がず、焦らず、
しかし休むことなく、淡々と
進むことだと
思えるようになってきということです。
今年もそのように歩みたいと思っています。

2015年12月1日火曜日

167 地質の唯物史観

 地質学という学問は、唯物史観にそって進められているようにみえます。唯物史観の背景になっている唯物論や弁証法は特別なものではなく、ごく普通にある、当たり前の考え方でもあります。

 唯物史観という考え方があります。「唯物論的歴史観」の略で、史的唯物論と呼ばれることもありますが、ここでは唯物史観と呼ぶことにします。唯物史観は、19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史の見方です。マルクス本人はこの用語を使用することなく、後に用いられるようになったそうです。マルクス主義に基づいた歴史の見方のことなので、思想的な背景もあり、なかなか使いづらい用語かもしれません。しかし、本稿では、「唯物論的歴史観」という原意にそって使うことにします。政治的、思想的な考えをもっているものではありませんので、ご了承ください。
 そもそも唯物史観は、唯物論と弁証法を背景にしています。
 唯物論とは、すべての根源は物質にあるという考え方です。現在の自然科学は、基本的に唯物論の立場をとっているといえます。自然現象は、根源が精神や心にあるという観念論に立つと、科学的論証や検証が難しいためです。観念論では白黒がつかないものが多く、自然科学の方法論には馴染みません。唯物論であれば、事物や事象が論証の対象となるので、成否や正誤の区別がしやすくなります。
 自然科学だけでなく、科学技術も唯物論的立場で進んでいることになります。科学技術に依存している現在社会も、かなり唯物論的状況にあると言えるのでしょう。ところが人文科学や社会科学は、かならずしも唯物論的ではありません。デジタルやインターネットを通じたバーチャルの世界もかなり比率を占めています。そこで使用しているのは科学技術なのですが、営みは社会性、人間の関与、精神への反映などもあり、唯物論ではすまない観念論的部分も多くなります。金や資本が大きな要素になっている経済や人の集合にかかわる政治や社会もまた、唯物論では治まらないようです。
 本題にもどりましょう。唯物論とは古くからある考え方で、古代インドや中国にもありました。また、古代ギリシアの哲学者の唱えた、万物は原子や元素からできている、という考え方は、明確に唯物論といえます。知覚・思考すら元素に還元しました。したがって唯物論は、観念論にたっているキリスト教とは相容れず、批判する立場になっていきます。その後の近世では、フランスのデカルトらの機械論なども唯物論の継承しています。そして、ヘーゲルなどの哲学に取り込まれるようになり、唯物論の重要性が認識されてきました。つまり、現在までさまざまな形態をとりながらも、人の思考には唯物論は絶えず現れている考え方といえます。
 次に弁証法をみていきます。弁証法とは、ものごとの発展様式のことです。ある事物や思考(テーゼ、定立)があったとき、やがてそれと相対するもの(アンチテーゼ、反定立)が出てきて、それら対立、矛盾したものを解消するためによりよいもの(アウフヘーベン、止揚)へと発展していくというものです。それを哲学的構築したのが、ヘーゲルでした。この考え方は、変化しながらも発展、継続していくものに適用可能です。変わりゆくものは、弁証法的変化はよく起こるものです。
 マルスクは、歴史を唯物論的に捉え、弁証法的に発展していくものだとして、唯物史観を考え出しました。現状の国家運営では社会主義がすたれ、共産主義が崩壊しそうで、唯物史観はあまり話題になりませんが、唯物論も弁証法も実は、あちこちに見え隠れしている気がします。
 地質現象も、その好例となっていると思います。
 例えば、地層です。ある時に海底にたまった土砂が、長い時間かかって堆積岩となります。土砂は、過去の時空間で占めていたものが、堆積岩という物質として現在に残されます。それを地質学では、過去を知る研究素材としています。堆積岩は、現在の時空間に存在する「物質」に過ぎません。過去の時空間において形成された「物質」ですが、過去の時空間を形成場としてているもので過去の時空を見ているのではありません。あくまでも物質で、時空間そのものではありません。しかし、地層は、時空間を読み解くために唯物論的アプローチが適用されています。また、土石流のような土砂と水の混じった未固結の物質から、固結した岩石へと変化したものです。物質としても、変化したものから、変化前(過去)の堆積場、堆積環境や後背地を読み取る素材とみなしています。これは堆積岩を唯物史観的視点で見ていることになります。
 化石も似た見方がされています。過去の生物の一部が石化して堆積岩に取り込まれたのが、化石です。化石は堆積岩の一部の構成物であり、「生きている生物」ではありません。論理的には「化石=過去の生物」は検証不能です。なぜなら化石に生物の定義をまったく適用できないからです。しかし、「過去の生物」の一部だったとみなして、過去の生命を探る素材にしています。化石に対して、唯物論を適用しています。さらに、現在見つかっている化石を、過去の生物の一部とした上で、過去の生態、環境を探る手段として利用されています。化石から、過去の生物、そして暮らしていた生態系へと、弁証法的見方があります。化石の研究にも、唯物史観があるように見えます。
 火成岩にも唯物史観が適用されています。過去の既存の岩石が、温度圧力などの条件変化によって溶融したものがマグマです。マグマが固まったものが火成岩です。固体(既存の岩石)から液体(マグマ)を経て、別の固体(火成岩)になるという過程は、弁証法的変化です。火成岩を用いて、マントルや地殻下部の様子や地球の過去の状態を探るのは唯物論的です。
 さらに、岩石の成因として、火成岩、堆積岩そして変成岩があります。3つの成因の中で岩石の多様性を広げる作用として、火成岩が一番大きくなります。それは一番弁証法的変化が起こっているためです。また、地球でできた最初の岩石を考えるとき、弁証法で突き詰めていくことが可能です。地球オリジナルの岩石として最初にできたのは、マグマオーシャンからできた火成岩となります。詳しくは別の機会にしましょう。
 地質学は、過去の時空間で形成された物質から、過去を読み取ります。研究者は、現在手に入る岩石を通じて過去を読み解きます。時間に伴ってさまざまに変化した岩石を扱うので、常に唯物史的視点で岩石を見ていることになります。その手段として、たとえ物理学、化学、数学などの原理を使っていても、過去へ適用するときには、唯物史観が働きます。地質学者は、無意識に唯物史的に自然現象を眺めていることになっています。

・走り続ける・
火成岩の弁証法的変遷については、
以前論文に書いた内容でした。
その後、最初の岩石についても考えを進めていますが、
その前に考えなければならないことが多々あり、
なかなか研究が進みません。
アイディアを簡単に述べるのは楽なのですが、
深く考えていくと、いろいろなことが頭をよぎり
なかなか一筋縄ではいかないテーマだと思えます。
それでも、どこかで割りきって
進めていくほうがいいのでしょう。
完璧主義では、終わりがないからです。
走りながら考えましょう。
ということは、私はこれからも
ずっと走り続けなければならないということでしょうね。

・根雪か・
今年も最後の月、師走となりました。
慌ただしさはいつもなります。
11月末には、激しい雪となり、
その後雨に変わったり
目まぐるしく変化した月末でした。
そして雪で師走ははじまりました。
まさか根雪にはまだならないと思いますが、
心配したくなる雪景色です。

2015年11月1日日曜日

166 凡百の才能は手作業を

 科学や技術が進み、非常に便利な世の中になってきました。そんな最新の世界を切り拓いているのは、研究者たち、技術者たちですが、実はそんな世界にも凡庸な人も多数います。凡庸な研究者の生きる道もあるのです。

 科学や技術の進歩により、多くの分野で分業化が進み、それぞれの成り立ちや仕組みを知らなくても、その恩恵を受けることができるようになりました。たとえば、本を一つでも、多くの分業がなされています。まず、本は何からできているかというと、紙からです。紙にインクで印刷され、製本されているものが本です。では紙はどうしてつくられるかというと、木を材料として、繊維状にほぐして平らに、白くしたものです。インクはかつては鉱物や生物などから色素(染料)を抽出したもので、今では化学的に合成されているものです。そのインクを活字や刷版にぬり、紙に押し付けて印刷します。印刷されたものを、かつては手作業で、今では機械により製本していきます。これが本の構成と製造過程の概略です。
 素材は、技術の進歩に伴って、天然自然のものから人工、化学合成のものへ、作業工程も手作業から、機械やコンピュータ制御の自動機械に、そして高精度に大量に安価に作成できるようになってきました。そこに従事する人も、機械の運転、運用、監視、管理などの作業が中心になり、人の労力を要する工程が減ってきました。もちろん本を書く人は編集する人は、特別な能力を持った人も必要でしょう。ただし、生産する側の人は、複雑な装置の原理を理解することなく、ルーティンなっている作業や、コンピュータによる制御を、日々の業務としてこなすことになります。このような作業員は、全貌を知ることなく生産をすることも可能です。
 便利さの陰には犠牲になっているものもあるはずです。それは人が体を使ってこそ得られる感覚や体験などでないでしょうか。人は、生物であり、動物でもあります。動物は、外から栄養を取り入れ、いらないものを体外へ排泄します。栄養を摂るためにエネルギー、労力を使って行動します。採食行動が報われると、満足感が得られます。行動と快楽の繰り返しが、生命活動を維持しているのでしょう。
 現代人は、生きるために体を使うことが減りました。しかし、動物的本能を満たすように、人はスポーツやレクショーンなどで肉体を使い、運動をしています。運動して汗をかくと疲れますが、そのかわり達成感や爽快感があります。人は、本能的に体を使うことの大変さとその後にくる爽快さを知っているのです。
 現代社会では、製造業では多くの部分で肉体的な労働は機械が肩代わりし、機械操作、制御操作、あるいはデスクワークが多くなっています。現場労働者は、通勤、通学などで動くだけで、ほとんの仕事が机の上、あるいはパソコンですむようになってきました。
 会社だけでなく、科学の世界でも似た現象は起きています。分析装置、測定装置は、機械化、コンピュータ制御が進んでいて、いかにそれを使いこなすかが、研究者にとって重要な技能になっています。しかし、それは研究というより、分析技術や実験手法であり、それだけでは独創性のある研究ができるわけではありません。
 もちろんテーマによっては、従来のデータを用いて新しい成果を生み出すことも可能でしょう。そもそも科学のおいて、そのプロセスではなく、結果の新規性、独創性などによって、評価されるべきものです。素晴らしい着想で、最小の労力でスマートに、独創的な成果をエレガントに出すことが、本当は一番素晴らしい成果です。そんな画期的な成果を、一生のうちにいくつもだせる人は、本当に優秀な一握りの研究者でしょう。
 私を含めて凡百の研究者は、泥臭い手作業による研究をしていくことになります。手作業の多い研究は、才能がなくても、努力し手間をかければ、それなりの成果を挙げられます。基礎的な記載には、今でも多くの部分で手作業がなされています。新規性や独創性が少なくても、成果は、その分野の基礎データ、記載データとして必要な情報になります。泥臭く見えますが、多くのデータを得ることは、基本的で重要な作業です。幸いなことに研究には、まだまだ手作業が必要なもの含まれています。そのような分野であれば、愚直に淡々と進めるしかない研究もあるのです。
 例えば、地質学でいえば、広範囲を丹念に歩いて調査したり、範囲が狭くても大量の試料を採取し大量の分析したり、ひとつのテーマにそって多数の地域で試料を集め比較検討したり、大量の文献をまとめるなど、手間がかかる研究があります。大量の野外調査や試料数、データ数などをそろえた研究成果を見ると、圧倒されてしまいます。地質学者の多くは自分もそんな苦労をしてきたので、その研究の背景には手作業を伴う、多くの苦労や労力、強い精神力が払われていることが想像できるのです。その労を知っているからこそ、多くの手作業の必要な研究は尊ばれます。基礎データ、記載データの持つポテンシャルだけでなく、その背景にある労働への畏敬の念も含まれているのでしょう。
 研究者となるため、最新の装置の使い方とともに、泥臭いですが手作業の必要なもの(野外調査、試料の準備、単調な記載)、精度を上げる苦労(装置の維持、調整、長時間の分析)も一緒に修行していくことになります。この修行により、潰しのきく研究者となっていけるような気がします。手作業を能力、個性に応じて進めれば、研究者として生き残っていけるということです。この苦労を端折った人は、恵まれた才能がないと、なかなか生き残れないのではないでしょうか。
 ある人は修行時代、駆け出し時代に苦労した手作業の部分を、少しでも楽にするために技術開発を、苦労して達成した精度を維持したり簡便化するための工夫、手作業の部分を改善することも成果として、科学へのささやかな貢献となります。それは、手作業による大変さを知っているからこそ、改善をしたいという発想が生まれるものです。これらが積もり集まって、現在の技術の礎となっていきます。
 もう少し才のある人は、従来の使い方、従来の装置ではできないような、新しい分析、測定、観測などによる研究をしていきます。時には、手作りの装置、手作業による測定、思考錯誤の観測などを行います。このようなことも、今までの方法の少しの改善、改良、別の使用のしかたなどの応用によるもの多く、少しの発想があれば、あとは時間と労力をかけて成果を上げることになります。これも凡百の研究者の進む道です。
 研究者の道は、一部の才能のある人だけの世界ではなく、普通の能力しかない研究者であっても、手作業で努力をしたり、手作業の部分を少し改善したり精度の向上させていくことで、その凡庸さ補えます。あるいは、大量の手作業が必要な研究もあるので、そのような場こそ凡庸な研究者の力の発揮できる道ではないでしょう。私もそんな凡百の研究者ですから、淡々と汗を流して努力すること、デスクワークでも手間のかかること、大変な作業量を要することに対して、逃げることなく取り組んでいきたいと思っています。

・重要なエッセイ・
このエッセイは、実は別のテーマで書き始めました。
しかし、書いていく途中で別の方向に話がそれいきました。
気づいたら、私のような凡庸な研究者は
手作業が重要な研究手法をとっている
という話になりました。
このエッセイを書いたことで、
自分の進むべき道、とるべき態度を
再確認することができました。
興味のない人には迷惑かもしれませんが、
この回は、私にとって重要なエッセイとなりました。

・いよいよ冬へ・
通勤途中から見える山並みでは
もう何度も冠雪がありました。
北海道は寒波の到来で里にも雪が降り、
冬の様相に一旦はなりました。
その後、冬型が収まり、晩秋にもどりました。
残った木々で紅葉が進んでいます。
名残の秋を楽しんでいます。
いよいよ北国の季節は冬に向かいます。

2015年10月1日木曜日

165 Ubiquity:遍在する冪乗則

 ある現象が起こったら、その現象は結果となり、その現象を起こした原因があるはずです。今、その因果関係がわからないのなら、調べることは立派な研究となります。しかし、そこに因果関係がないこともあるのです。

 "Ubiquity"という語はあまり聞き慣れない、難しい英語です。コンピュータに詳しい人は、OSのLinuxの一種(Ubuntuと呼ばれるフリーソフト)で動くプログラムの一つに、この名称を持つものがあり、それを思い浮かべるかしれませんが、かなりの少数派でしょう。Ubiquityは、「遍在」、「至る所に存在する」という意味で、平たくいえば「どこにでもある」ということになります。「遍在」は、同じ発音で「偏在」とは全く反対の意味を持ちます。Ubiquityは、ラテン語のubiqueを語源していて、「everywhere、至るところ」という意味です。
 遍在とは、どこにでも存在していることなのですが、その存在が知り得るかどうかはわかりません。今回は、気づきにくい遍在した存在について考えていきましょう。
 その偏在している存在は、だれもがなんとなく存在を感じているのですが、その存在に実態には気づきにくいものです。まったく関係ない現象に遍在するもの。同じ現象でもスケールが大きく違ったものに、見かけの全く違ったものに偏在するもの。存在する対象がかけ離れれば離れるほど、そんな遍在は気づきにくいものです。さらに偏在の本質となると、なおさら見抜きにくいものになるはずです。
 例えば、大規模な地震は多く、小規模なものは少ないという規則性。売れている商品には、爆発的に売れるがしばらくすると売れなくなるというもの、爆発的ではないが少しずつ長く売れ続けるものがあるという規則。一定量の砂を上から落とし続けると砂山は大きくなるが、あるとき突然崩れるという規則。株価の日々上下していますが、大きな崩落、激しい乱高下は稀にしかないが必ずあるという規則。インターネットのサイトで数個からリンクされているものは無数にあるが、100ヶ所から、1000ヶ所から・・・とリンクされている数が多くなるほどサイトの数は著しく減るという規則。などなど。
 ここで示した例は、スケールも性質も、自然現象だったり経済活動、消費行動だったりし、一見するとなんの関係もないように見えるものです。また、予測は不可能なのですが、きっと起こるものです。しかしそれがいつ、どこでかはわかりません。こんな多様でバラバラの事例ですが、個々の事例内には、何らかの規則性が存在しそうにみえます。
 実は、このような事象、事物には、すべてに共通する、遍在する法則があります。それは、冪乗則(べきじょうそく)と呼ばれるものです。指数の形式、あるいは対数で示されているものは、すべて冪乗則と呼ばれます。非常にいろいろな規則があります。その関係が法則や規則となっているものも多いです。ところが、規則性がわかっているからといっても、その原理や因果関係がわかっているとは限ならいものも多数あります。
 法則の原理がはっきりしているものとして、万有引力の法則は距離の2乗に反比例します。電磁気力も光の減衰も同様に逆2乗の法則になります。これらは、作用する場を面として捉えると、距離の2乗に比例して面は増えるため、作用力は2乗に反比例し減少するということになります。
 一方、まだ原理が定かでないものもあります。先ほどの示した例の多くはこちらです。他にも、乱流のエネルギーは長さの5/3乗にに比例し、動物の代謝は体重の3/4乗に比例しているという規則性が知られていますが、その理由はまだ不明です。
 規則性があるのがわかっているもので、原因がまだわかっていないものは、立派な科学となるはずです。研究されている人や分野もあるはずです。しかし、それが徒労に終わるかもしれないのです。
 マーク・ブキャナンは、冪乗則を「歴史の方程式」(ISBN4-15-208528-2 C0040)という書籍にしました。副題は「世界が考えているよりずっと単純なのはなぜか」というものでした。書名を「歴史は「べき乗則」で動く―種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学」と変えて、文庫化されています。この本の原著のタイトルが、実は”Ubiquity”となっています。複雑な歴史、世の中、現象に偏在している規則性、冪乗則があるというのです。現象とそこから導かれる冪乗則は、グラフ化、統計処理をすれば、導き出されるものです。それは、単純で、一目瞭然で、明快です。そして、それらの多くは、コンピュータによるシミュレーションとも一致していきます。
 ところがブキャナンは、冪乗則になる現象が、フラクタルの臨界状態から起こることであり、現象自体には原因がないといいます。フラクタルとは、部分と全体が自己相似になっているもので、規則は簡単なのですが、起こる現象は複雑になります。フラクタルで臨界状態(安定が崩れる寸前)になっていると、どの部分が、その規模で、あるいは全体が崩壊するかは、まったくわからなくなります。どこか壊れてもおかしくないという状態なのです。ただし、頻度は小さいものは多数起こり、大きいものは稀だという冪乗則が働きます。
 もしこのようなフラクタルな臨界状態が本質なら、原因は現象の中に見出されないことになります。地震の時期と規模などが、この臨界からの崩壊によるものだと考えられています。また、生物の大絶滅の同じだと考える人もいます。自然現象だけでなく、人口集中や経済活動などの人間活動にも冪乗の規則性があります。それらの現象には、原因が現象の中にはないことになります。現象を調べても、事実の記載はできても、因果が見いだせないことになります。このような不思議なことが、冪乗則の中にはあるというのです。
 通常の研究では、いろいろな現象で繰り返し起こることには、原因がありはずだと考え、調査研究が進められています。もしその現象が、冪乗則であれば注意が必要となります。その現象には因果に基づかないものがあるからです。自然現象だけでなく、あらゆる冪乗の規則性の現象には、原因を調べてもわからないものが紛れ込んでいます。これは、科学が「すべからく因果関係あり」として研究を進めていくことに、待ったをかけていることになります。冪乗則は、かなり恐ろしい遍在則なのかもしれません。

・それでも調べる・
上のように原理を述べたとしても、
科学者は現象を調べていくでしょう。
そして予測、予知もしていくでしょう。
地震、火山、山崩れ、洪水などは、
現象の頻度は冪乗則になっているのですが、
調べないわけにはいきません。
なぜなら、その現象は災害になり
起これば困る人がいるからです。
行政は災害への対策を考えなければならないし
科学者、技術者も災害を防ぐことは
社会的責務として対応しなければならないからです。

・中秋の名月・
9月末、北海道は冷たい空気がはってきたので
急に冷え込みました。
今年は、27日が中秋の名月でした。
私は忘れていたのですが、
メールで見られてた方がおられ知らせていただき
思い出すことができました。
中秋の名月は9月27日ですが、
翌28日に満月になり、月が地球に最も近づき、
最も大きく見えるスーパームーンになりました。
みなさんはご覧になられたでしょうか。
このメールマガジンは、28日に配信しますので、
残念ながら、見えたかどうかはお知らせできませんが。

2015年9月1日火曜日

164 三樹の教え:人を育てる

 計画的にものごとを進めることは、重要だし、達成する可能性を上げるためにも、必要不可欠でしょう。計画的に進める上で、人を育てることは、重要ですが、これほど難しいものはないかもしれません。

 なにかを成し遂げるとき、目的に応じた期間で計画を立てます。私の周りだけでしょうか、最近はどうもいろいろな場面で、計画作成を命じられることが多いように思えます。もちろん何かを成すならば、強制的であっても、計画がないよりは、あったほうがいいでしょう。
 特に長期に渡るもの、複雑なもの、多人数での進めるものには、計画は不可欠です。強制された計画でも、集団として取り組んでいたり、業務として厳しいノルマがあれば、十分な効果は得られるでしょう。
 では、個人のレベルで計画を考えると、どうなるでしょうか。
 そもそも個人がやる気もないのに、他者から計画を義務付けられ、実施を強制されたら、どれだけ実効性があるでしょうか。特に創造性を強要されたら、本当にいいものが生まれるでしょうか。形だけのもの、とりあえずのものしかできないのではないでしょうか。
 計画もなく、ものごとを遂行することは可能でしょうか。計画を立てないと、ものごとはなかなか進まないものです。個人であっても、自主的に立てた計画を持ったほうがいいはずです。ところが、自主的に立てた計画であっても、実施できるかどうかは、個人の気の持ちようや、状況にも依存するでしょう。
 私は、若い時からいろいろ計画を立ててきました。さんざん失敗してきたせいでしょうか、歳を経るにつれ、実効性のある計画を建てられるようになってきたように思えます。ただし、時には無謀だと思いながら、自分への動機付けのつもりで計画を建てることもあります。これは、自己弁護でしょうか。
 次に、計画の立て方を考えていきましょう。
 計画には、その期間によって、長期、中期、短期の区分ができるでしょう。この期間の区分は相対的なものであって、場面によって違ってくるでしょう。
 例えば、それぞれの一日の仕事の場合です。一日でも、この3つの区分が可能です。一日でも、いろいろな仕事があるはずです。仕事の手間にしても、数分でできるもの、1時間ほどかかるもの、数時間かかるものなど、いろいろがあります。そんな時は、一日の全体の仕事量と、その仕事の重要度、あるいはこなすに必要な集中度も重要になるでしょう。そんな区分をしてから、仕事に取り組んだほうがいいでしょう。私は朝型なので、集中して行うべきものは、朝、早めにスタートして、頭が働くうちに終わらすようにしています。午後は、作業量や時間がかかるのですが、集中力があまりいらないものに取り組むように心がけています。
 仕事の中には重要度の低いものがあります。時間に余裕があるときは、ついついだらだらと進めがちで、集中すれば一日で終わるはずのものも、終わらなかった経験は、だれもであるのではないでしょうか。気づいたら締め切りが目前だったりとか。仕事は計画的に進めていくべきでしょう。
 例えば、一週間ほどの野外調査の場合です。目的地までの移動に二日かかるとすれば、正味は五日分が調査日となります。その中には、調査地域内での移動時間も含みます。私は欲張らずに、一日に一、二地点の重要ポイントを定めて見るようにしています。また、全体として優先順位をつけ、最優先のものをできるだけ最初に調べるようにします。もし、天気が悪かったり、条件が悪ければ、再度調査できる可能性を残しておくためです。それでもだめなときは、別の機会に、再度訪れるようにしてます。
 では、年や一生のように長い期間に及ぶ計画は、どのように立てればいいのでしょうか。ある教えがあります。「三樹の教え」と呼ばれるものです。「管子」(かんし)で示された考え方です。
 一年之計、莫如樹谷
 十年之計、莫如樹木
 終身之計、莫如樹人
というもので、読み下すと、
 一年の計、谷(穀)を樹う(う)るに如(し)くはなし
 十年の計、木を樹うるに如くはなし
 終身の計、人を樹うるに如くはなし
となります。
 農村に暮らす人の考え方なのかもしれませんが、ここから学ぶべきことは、期間に応じて目指すものを変えるべきである、ということではないでしょうか。一年で収穫(達成)できるもの、10年で収穫できるものを考えろ、ということです。さらに重要なところは、最後の一文にあるのではないでしょうか。生涯をかけて、人を育てる重要性を説いています。人材の育成は、なかなか難しい目標です。
 教員は、人を育てるのが仕事です。私は大学の教員ですが、小・中・高校の教師、各種の塾や講座の先生、など人に教える職業は多様です。長くひとつ場で経験を積むと、職場やクラブ、なんらかの組織に後輩や後進が出現し、育てる必要性が生まれるはずです。あるいは質問に対する回答であっても、答えるときは教える立場になるはずです。多くの場面で教える側、先生は、生じます。それに見合った教わる側、学生も多数いることになります。
 ある場面であなたは、先生として、本当に人を育てているといえるか、ということを問われている気がします。先生側は一生懸命に教えていたとしても、教わる側は、身についていない場合も多々あるはずです。一方、教師の何気ない一言が、学生には重要な教えとして伝わることもあるかもしれません。あるいは、教えの場では気づかなかったとしても、後々に響いてくる場合もあるかもしれません。私には思い当たることがあります。多くの教育現場で、似たことが起こっているのではないでしょうか。
 一人の人を手塩にかけて育てるということは、現在社会では少なくなったように思えます。短時間、長くても数年の単位での教えの場面が多くなりました。ですから、教える側は、いかなる時も手を抜くことなく、精一杯に励み、教える努力を怠ってはならないのです。
 では、人を教える人がいない場合、この「三樹の教え」は無用のものでしょうか。そうではないと思います。他人を育てるのではなく、自分を育てると読むことが可能でしょう。一生をかけて、自分を育むのです。これは、誰にでも適応可能です。
 しかし、これはなかなか難しいことには変わりはないのですが、自分にとって自分は一番大切なものでしょうから、欺くことのできない存在です。取り組む姿勢、集中度、本心がわかり、いつもサボってないかを監視し、いくつになっても見守ることができます。努力はすべて自分に跳ね返ってきます。
 自分を育てるためには、一生かけて取り組むべき作業です。そのためには、10年の計、1年の計が必要になるのでしょうね。

・管子・
現在の中国の山東省を中心にして、
昔、斉(せい)という国(紀元前1046年から386年)がありました。
斉は有名な太公望によって建国されました。
その斉の第15代の王、桓公を補佐する宰相として
管仲(かんちゅう)がいました。
管仲に由来する書物として
「管子」(かんし)があります。
その中に「三樹の教え」が説かれています。
重要な教えは、時を越えて残るのでしょうね。

・野外調査・
9月4日から10日まで野外調査に出ます。
上で述べた例がそのまま当てはまります。
6泊7日ですが、移動に2日、調査は正味5日間です。
泊まるところはすでに確保しています。
大分から宮崎、熊本にかけて移動しながら
野外調査を進めていきます。
最重要ポイントは、数カ所があり、
それに次くものもいくつかあります。
今回は移動範囲が広いので
重要ポイントが時間が足りないときは、
翌日に再度みることにしています。
それでも足りない時は、次回とします。
天候だけは、どうしようもないので、
悪天候の時は、諦めて、次なる機会を待ちます。

2015年8月1日土曜日

163 はじまりの石:成因のジレンマ

 地球の「はじまりの石」はどんなものか、という素朴な疑問について考えています。多分、その石は地球には残っていません。今は亡き石がどのようなものかについて、思いを巡らせています。真夏の夜の夢として、見てください。

 最近、昨年書いた論文から派生した課題について考えています。考えがまとまったら、来年度に報告する予定です。その課題とは、地球に最初にできた岩石はどのようなものか、ということです。いいかえると、地球の「はじまりの石」は、どんなものかという問いです。論文を書いていた時は、簡単に答えが出たように思えました。ところが、論文を書きながら、かなり複雑であることとわかってきました。ですから、趣旨の違うその論文では深入りしせずに、次なる課題としました。
 地球の岩石の成因や多様性の形成のプロセスは複雑ですが、その素過程はかなり解明されてきました。もちろん、まだわかっていないことも、いろいろありますが。
 古い岩石を考える場合、深刻な問題があります。地球深部が本当に予測通りなのか、過去に起こったことが本当に推定されたシナリオや原因だったのか、などは、なかなか実証できないことがあります。地質学には、科学的、あるいは論理的に、実証不可能なことを探るという難さが、宿命としてつきまといます。そこには、確からしさを増すことはできても、証明が完結しないというジレンマがあります。これは、時間経過、あるいは歴史性を内在する自然科学、人文科学のどの分野にもある悩みだと思います。
 さて、「はじまりの石」です。「はじまりの石」とはどんなものかということについて、石の名前を定めるのではなく、もっと単純に成因を探るところからスタートしました。石の成因には、火成岩、変成岩、堆積岩の3つがありす。私は、「はじまりの石」は火成岩だと考えました。その理由は、地球の形成過程を考えるとそうなったからです。
 地球は、材料物質である隕石が、衝突、合体して形成されました。形成直後の地球は、隕石の混合物であったはずです。これは、地球をつくった石が集まったもので、地球固有の石ではありません。そして、混合物を3つの成因に区分すると、一種の堆積岩になるのでしょうか。ただし、集積の過程を考えると、そこには変成作用や火成作用も働いていたはずです。成因で考えると、堆積岩の中に、変成岩や火成岩も混じっていることになります。
 そこで私は、「はじまりの石」は地球の固有の石と限定しようと考えました。地球形成の後、衝突時の重力エネルギーの開放と揮発性ガスによる厚い大気により、地球表層は加熱され、温室効果が強烈に働き保温されることで、表層部が溶けてマグマオーシャンが一定期間、形成されたと考えられます。隕石の衝突がおさまると、重力エネルギーの供給がなくなり、地球は徐々に冷却してきます。やがてマグマオーシャンは冷え固まり、地面ができます。この地面を構成していたものが、「はじまりの石」になると考えました。
 その石は、今は存在しませんので、実証はできません。しかし、マグマオーシャンの表層は固まれば火山岩になり、玄武岩や超塩基性岩(ピクライトとも)と呼ばれるようなものになるはずです。深部でゆっくり冷えたものは深成岩になり、斑レイ岩やカンラン岩になったと推定されます。つまり「はじまりの石」は、マグマからできた、火成岩だということは確からしく見えます。
 このようなシナリオであれば、単純でいいのですが、マントルが問題となります。地球全体を考えると、マントルは地殻と比べると非常に多くの比率(体積、質量)を占めています。マントルを構成している岩石は、カンラン岩です。マントルが顔をだしているところ(アルパイン型カンラン岩やオフィオライト)や、深部でできたマグマが途中で取り込んできたマントルの捕獲岩(ゼノリス)、海洋深部掘削計画で掘られたものなどから、カンラン岩であることが、検証されています。
 マントルは、隕石とは化学的に明らかに違ったものです。隕石に含まれていた鉄の成分は、核の形成に使われたため、抜けています。地殻の岩石も、マントルからマグマとして抜けていったものです。量的に考えて、マグマオーシャンはマントルの上部のほんの一部でしょうから、マントルの大部分は地殻形成には関与していないはずです。
 隕石の混合物からマントルができるとき、鉄が大量に抜けていったことが重要です。ですから、マントルも地球固有の石ではないかと考えられます。ということは、「はじまりの石」の候補でもあります。
 その前に、核の話をしておきましょう。核にも「はじまりの石」の候補があります。核は、地球では大きな比率を占めています。外核は液体ですが、内核は固体の鉄です。内核は、液相から形成された固相です。これは地震波探査からわかっています。
 火成岩を広義(汎用的)に定義にすると、液相(マグマ)から固相(火成岩)ができる、といえます。ですから液体の鉄からできた固体の内核は、火成岩の一種と考えられます。そうなれば、「はじまりの石」と呼べるかもしれません。
 では本題にもどって、マントルです。マントルでは、地球形成初期に、地球の化学的な再構成が起こりました。地震波のデータや捕獲岩、火山岩の化学組成をみると、マントルの比較的均質に見えます。地震波は大きなスケールでみていますので、詳細な不均質はみえていません。また、火山は小さなスケールで、さらに溶融や固化という過程を経たもの(火成岩)からみています。そのため、マントルに複雑な化学的多様性があったとしてもが、見えていない可能性があります。いずれにしても地球深部の多様性、複雑性があったとしても、現在の情報からは、うかがい知れないものとなります。しかし、得られている情報から、マントルはある程度の均質性があると考えられています。
 均質なマントルは、地球初期に、地殻だけでなく核の成分が抜けて化学的再構成が起こった結果ですから、地球固有の石と考えられます。このような石は、「はじまりの石」と呼べるのではないでしょうか。
 ところが、マントルの岩石は、3つの成因のどれにあたるか、よくわからないのです。
 隕石の混合物から、鉄(多分液体として)が抜けていったと考えられます。マグマオーシャンは表層部分だけの出来事です。深い部分になる大半のマントルの石は、溶けてはいないはずです。マントルは、隕石の混合物から、固体のまま、ある成分が液相として選択的に抜けていったことになります。まあ、出がらし、抜け殻の石といえます。このようなタイプの石は、3つの成因には当てはまりせん。
 ですから、マントルも「はじまりの石」と呼べそうですが、石の成因に区分できないというジレンマがあります。「はじまりの石」には、最初の地殻、内核、深部のマントルと、3つの候補が挙がってきました。少々迷っています。再度考えていきたいと思っていますが、なかなか面白いテーマではないかと考えています。

・蒸し暑さ・
いよいよ8月です。
北海道は、蒸し暑い7月末を過ごしました。
晴れても、湿度が高いため、
体力が奪われます。
しかし、夜には涼しくなるので、
睡眠が比較的とれるので、
なんとか体力維持ができます。
我が家には扇風機しかありませんので
帰宅後の夕方の蒸し暑さは、扇風機でしのぐしかありません。
大学では、うちわや扇子です。

・二次試験・
教員採用試験の一次試験の結果がでました。
学科の一次試験の成績はまずまずですが、
問題の二次試験があります。
模擬授業や集団面接、一般面接、
実技などがあります。
その対策を教員はボランティアで
代わりばんこに行なっています。
あとは、学生本人の努力となります。

2015年7月1日水曜日

162 層に秘められた謎:層状チャート

 日本列島には、全く違う環境、位置で形成された岩石が、多数集まって形成されています。まるで寄木細工のようです。寄木の重要な構成岩石として、層状チャートがあります。層状チャートは、一見、単純なチャートの繰り返しに見えますが、実はそこには解明されていない謎があります。

 チャートという岩石があります。多分、多くの人が目にしたことがある岩石です。透明感がある硬い石で、赤っぽかったり、白っぽかったり、時には緑や黒色を帯びることがあります。大西洋の海岸沿いでは礫状のチャート(フリントと呼ばれています)が多いのですが、日本列島では層状になっているチャートが主な産状となります。このようなものは層状チャートと呼ばれています。縞模様がきれいだったり、見栄えのするものは、庭石などに利用されることの多い岩石です。
 今回は、層状チャートの起源について紹介します。
 まずはチャートの素材からです。層状チャートの素材は、海洋のプランクトンです。プランクトンが死ぬと、その死骸が沈んでいきます。沈む途中、あるいは海底で、プランクトンの体をくつっていた有機物は、すべて分解されていきます。プランクトンの中には、硬い殻を持った種類もいます。殻の材料は、炭酸塩(方解石)や珪酸塩(オパール)などが主なものです。
 深海底では、有機物が分解しまい、残るのは硬い殻だけです。殻も海水の化学的条件によって溶けることがあります。珪酸塩の殻は、浅い深度(4000mまで)では溶けていきます。珪酸塩の溶ける深度は、珪酸補償深度(SCD)と呼ばれています。また炭酸塩の殻は、深い深度(深度5000mほど)で溶けて(炭酸塩補償深度、CCDと呼ばれます)しまいます。
 珪酸塩は深いところでは溶けないので、深海底では炭酸塩だけが溶ける条件となります。このような化学的性質の違いの結果、深海底では珪酸塩の殻だけが残ることになります。深海底に堆積したプランクトンの死骸は、有機物や炭酸塩も溶けていき、珪質の堆積物だけが残り、固まればチャートができると考えられています。
 層状チャートが層を成しているのは、チャートの間に薄い層が挟まって境界となっているためです。薄い層は、粘土岩です。この粘土岩は、赤色をしていて、頁岩状になっているので赤色頁岩と呼ばれます。境界には、何も挟まない(本当は見えないほどの細い層)で割れ目だけが形成されていることもあります。このような細粒の粘土は、大陸から風や海流に運ばれてきたものだと考えられています。
 先ほどのチャートの起源を考えると、頁岩がたまっているときは、プランクトンが供給されていないことになります。季節変化や一時的な異常気象などでプランクトンの活動が急激に衰えれば、このような薄層ができるはすです。このような基本的な原理は、わかりやすく納得できるのものです。ところが、チャートの形成の速度を調べていくと、一筋縄ではいきそうもないことがわかってきました。
 チャートはプランクトンの殻の集まりですから、化石の固まりのような岩石です。ただし、その後の変質、変成により、化石が消えて消えてしまっていることも多いのです。しかし、化石の種類によっては、年代がわかるもの(示準化石と呼ばれています)もあります。チャートは深海、あるいは海表面(プランクトンの生活場)、海洋全体の環境を記録している重要な媒体となります。それも、複雑な処理や分析装置をもちいる放射性年代測定とは全く違った方法での年代決定が可能になります。非常に優秀な記録媒体なのです。
 示準化石により年代がチャートの正確に決められる層があります。連続した層状チャートで年代が決められた層が2つ以上あれば、その間の期間と層の数がわかれば、一層あたりの平均的な堆積速度が見積もることができます。
 いくつかの地域、時代の層状チャートで求められた値が、1000年で数mmというものでした。古い時代の層状チャートからの値は、実際の深海底から採取された深海底の珪質堆積物の推定された値とも一致しているので、正しいと考えられています。頁岩の堆積速度も同じ程度、もしくはもっとゆっくりとしか堆積しないと推定されています。
 層状チャートでは、チャートの厚さは数cmから十数cm、時には数10cmもありますので、チャート一層が堆積するのに、少なくとも数千年、時には数万年かかっていることになります。
 通常はプランクトンが活動しているときはチャート層が堆積しており、数千年か数万年に一度くらいの頻度で、珪質の殻をもつプランクトン全種類がいなくなったことを意味します。珪質のプランクトンは放散虫で、植物性プランクトンを餌としており、自身も大型の動物の餌となります。海洋の生態系の基礎を担っています。頁岩の堆積時期は、チャートの堆積がおこっていないということです。堆積速度から考えられることは、海洋生態系の長期(数千年以上)にわたる停止、つまり大絶滅の記録とみなせるのです。
 繰り返し大絶滅があったことになります。チャート層の数だけ、非常に頻繁に大絶滅が起こっているということです。これは、私たちの生物進化における絶滅観を変えるくらいの意味を持っていました。そんなに頻繁に大絶滅が起こっているとは、だれも想像していませんでした。
 だたし、層の形成には他の説もあり、説によっては別の意味を見出すことになります。
 ひとつは、層が深海底での地すべり、深海底タービダイトと呼ばれるものによって形成されたという説です。深海底タービダイトであれば、一度の地すべりで短期間(数時間から数日程度)で、チャートから頁岩までのひとセットの層ができるわけです。通常のタービダイトの形成メカニズムで説明できることになります。古い時代の層状チャートでは、タービダイトの構造があるという報告もあります。
 もうひとつ説として、ミランコビッチサイクルによるプランクトンの大量発生によってチャートが一気にできるのだという説です。ミランコビッチサイクルとは、地球の天体としての周期(公転軌道の離心率の10万年周期、地軸の傾きの4万年周期、歳差運動の2.3万年周期)を計算して、太陽からの地球への放射の変動周期を総合的に見た結果です。そしてチャートにとって重要なのは、ミランコビッチサイクルの周期によって南極と北極の日射量が変動し、プランクトンが大量発生したと考えるわけです。つまり通常はチャートはあまり堆積せず、頁岩が堆積し、プランクトンの大量発生時にチャート層ができるという考えです。今までの見解と、まったく堆積速度が違ってきます。
 この説の根拠となっているのが、宇宙から降り注いている小さいな隕石(宇宙塵と呼ばれます)です。単位面積あたりの量は少ないのですが、宇宙塵は定常的に降り注いでいます。深海底のような堆積速度の遅いところでは、宇宙塵は、一層から検出できるほどの量あります。
 チャートと頁岩部分で宇宙塵の量が全く違うとことがわかりました。頁岩がチャートより10倍たくさん宇宙塵を含んでいるということです。チャートは2000年程度で堆積し、あとの2万年は頁岩が堆積していて、一層のチャートから頁岩の堆積期間は、2万3000年程度になり、このサイクルはミランコビッチサイクル(歳差運動)に対応しているとされています。
 後で述べた2つの異説はいずれも、違ったメカニズムで層形成がさなれていること、化石年代から見積もられた堆積速度は見かけのものであること、を主張しています。
 それぞれの説に、証拠や根拠があります。今まで、最初に紹介した説で説明できると考えられていたのですが、どうもそう単純ではなさそうです。それぞれの成因の層状チャートがあるのでしょうか。もしそうなら層状チャートの産状を詳しく調べれば区別できるのでしょうか。それともそれぞれの成因が複合して起こっているのでしょうか。あるいは、層状チャートの成因はひとつで、それ以外の説は間違っているのでしょうか。
 謎は、まだ解かれていません。今後に期待したのですが、層状チャートの謎解きは、今はあまり重要なテーマになっていないようです。

・天候不良・
北海道は夏の草の成長がはやく
牧草の一度目の刈り取りが終わりました。
もちろん、雑草の刈り取りも終わっています。
雑草は順調に伸びているのですが、
北海道では天候不順の日照不足と低温と、
農作物への影響が心配されます。
早く、北国らしい青空が
戻ってきてもらいたいものです。

・大学祭・
我が大学の大学祭が、今年から、
秋から夏に開催時期が変更になりました。
当初、学生たちは混乱をして、
一時は開催も危ぶまれました。
日程が一日減りましたが、
なんとか開催にこぎつけました
この間の週末に無事、終了しました。
7月からは、前期の終盤の講義が始まります。
あと少し頑張らねばなりません。