オフィオライトというものをご存知でしょうか。私の卒業論文、修士論文、そして博士論文は、オフィオライトを素材にして、書きました。その後は、いろいろな研究に興味は移りました。でも、10年近くは、オフィオライトを研究してきました。今回は、オフィオライトというものを紹介しましょう。
オフィオライト(英語でophioliteと書きます)とは、ギリシャ語の蛇をあらわす言葉オフィス(ophis)と、石をあらわす言葉リソス(lithos)を合わせた言葉です。19世紀中ごろから、英語として使われている言葉です。なぜ、このような「蛇の石」などという言葉が使われているのでしょうか。それは、オフィオライトに伴われるカンラン岩が、蛇紋岩(じゃもんがん)と呼ばれる岩石になっているからです。日本語でも蛇紋岩といわれていることからわかるように、岩石が、蛇ような模様や色をして、岩石の表面も蛇の肌のように、てかてかと光っているためです。
現在では、オフィオライトは、一連の岩石グループの名称となっています。その一連の岩石グループとは、海洋底を構成していたものです。下から、カンラン岩、斑レイ岩、玄武岩、チャートと呼ばれる岩石が重なっています。
それぞれの岩石を紹介しましょう。
カンラン岩は、マントルを構成している岩石です。カンラン石という鉱物をおもな構成物とする岩石で、比重も大きく、オリーブ色のきれいな岩石です。しかし、地表で見られる岩石は、オリーブ色でみられることは少なく、多くは、濃緑色、緑色など色の濃い、黒っぽく見える岩石になっています。これは、カンラン石が、蛇紋石に変わってしまっているからです。岩石名も、カンラン岩から蛇紋岩となります。
カンラン岩には、もともとマントルにあったものと、マントルが溶けていったんマグマになり、そのマグマからカンラン石が沈積してできたカンラン岩があります。ですから、カンラン岩にも起源の違うものがあるのです。その違いは、岩石の組織の違いで見分けられます。マグマからできたカンラン岩は、沈積したときに鉱物がつくる縞模様(層状構造といいます)ができますが、マントルにあったカンラン岩にはそのような構造はみられません。そして、岩石の種類が、マグマからできた層状カンラン岩は、鉱物の量比が変化して、多様なカンラン岩の種類ができます。一方、マントルのカンラン岩は、マグマが抜けて、ハルツバージャイトと呼ばれる一様なカンラン岩になっています。
つぎの斑レイ岩は、粒の粗い鉱物からできている岩石で、層状構造をもっている部分と層状構造のない部分があります。層状構造を持つ斑レイ岩は、層状のカンラン岩の上部で、斜長石が多く含まれるようになって、岩石としてカンラン岩ではなく、斑レイ岩と呼ぶべき岩石種になったものです。さらに上部では、マグマ溜まりで、マグマがそのままゆっくりと固まったものです。
玄武岩は、斑レイ岩と同じような化学成分を持ちます。しかし、斑レイ岩がゆっくり冷え固まったのに対し、玄武岩は、急激に冷え固まったものです。ですから、玄武岩は細かい粒、あるいは鉱物が十分成長できず、マグマがそのまま固まったもの(非晶質、あるいはガラス質といいます)になっているところもあります。
玄武岩には、構造によって、岩脈と枕状溶岩の2つの種類があります。
岩脈というのは、マグマが別の岩石を通り抜けるとき、つきぬけ、そのまま固まったものです。オフィオライトで見られる岩脈は、多数の岩脈が平行に貫入しているものです。非常に不思議な形態を示す岩脈群です。このような岩脈は、大地が常に広がろうとする地域でなければ、形成されないと考えられています。
枕状溶岩とは、玄武岩のマグマが、水の中で噴出したときできる形態です。字の意味するところ通り、枕をいくつも積み重ねたような構造をもっています。すべてのオフィオライトの上部にある玄武岩は枕状溶岩になっていますので、オフィオライトは、常に、水底で活動していたことを意味します。
岩脈状の玄武岩と枕状の玄武岩の関係は、連続的です。つまり、ある岩脈の上部で枕状溶岩になっているところあります。ところには、枕状溶岩を突き抜けている岩脈もあります。でも、そんな岩脈もさらに上部では枕状溶岩になっています。つまり、マグマが岩脈のあるところを通り抜けて、水底で枕状溶岩として噴出したことになります。
チャートとは、放散虫など珪質のプランクトンの遺骸からできた岩石です。ですから、チャートには、海水中に生きている生物の化石がたくさん含まれて、保存されていることもあります。その小さな化石(微化石とよびます)を調べますと、たまった年代がわかります。
チャートのほかにも、量は少ないのですが、大陸から遠く離れたところにたまる、粘土層が含まれていることがあります。粘土は、大陸の岩石が風化してできるもので、河川や風によって海に運ばれたものです。粘土のように粒の細かいものは、陸から遠い海洋にもゆっくりと堆積します。
カンラン岩、斑レイ岩、玄武岩の3種類の火成岩とチャートの堆積岩が、オフィオライトの構成メンバーです。オフィオライトの岩石グループが示したそれぞれの性質は、かつての海洋地殻を構成していたこと意味しています。オフィオライトは、海洋地殻の「化石」のようなものだったです。
オフィオライトは、大陸の各地に、さまざまな時代のものがあります。つまり、過去のいろいろな時代の海洋地殻を、陸地の調査で、研究することができるのです。なおかつ、重要なことは、海底にある海洋地殻が、2億年より若いものばかりで、もっと古いものは、陸地のオフィオライトを調べるしかないのです。
オフィオライトの重要性が再認識されだしたのは、1970年代後半のころです。プレートテクトニクスの理論が普及して、陸地の地質が、すべてプレートテクトニクスの考えで見直されたころのことです。
過去の海洋地殻を調べるにはオフィオライトを調べるしかないのです。まだ、オフィオライトが海洋地殻であることが認知されないころは、オフィオライトと海洋地殻が一致する根拠が少ないと反対する人もいました。しかし、現在では、海洋地殻やオフィオライトに関する知識も増え、その類似性を否定する人はなくなりました。しかし、注意が必要なのは、オフィオライトとよばれる岩石グループにも、海洋地殻以外の場所で形成された岩石が混じっていることあるからです。
こんなオフィオライトを、私は研究してきました。卒業論文は、北海道日高静内川上流の西縁構造帯のオフィオライト、修士課程では、岡山県西部井原地方、博士論文では、舞鶴構造帯のオフィオライトを研究しました。野外調査、岩石の顕微鏡観察、岩石と鉱物の化学組成、同位体組成をおこない、オフィオライトの年代決定、形成場、マグマの起源、マグマの組成変化をおこないました。
このような研究の指導をしていただいたのは、田崎耕市先生でした。田崎先生は、修士論文の時の指導教官でしたが、博士課程や、その後の私の研究者人生において、よき相談相手になっていただいたり、家族ぐるみの付き合いをしておりました。その付き合いは、22年に及びます。
田崎先生自身は、北海道の神居古潭帯のオフィオライト、房総半島嶺岡のオフィオライト、三郡帯のオフィオライトを研究されてきました。岡山大学、愛媛大学で教鞭をとられ、退官前や退官後は、核廃棄物について研究や、金沢市市民や子供たちへの科学教育をおこなわれていました。
2002年8月19日の朝、田崎先生は、69歳で亡くなられました。墓石は、三郡帯の鳥取県若桜地方の輝石斑レイ岩の自然石を使うように遺言されています。質素で、虚飾をきらう研究者としての最後の我儘が、墓石に込められた思いでした。それを考えると身につまされます。ご冥福を祈ります。
(合掌)
(2002.08.21)
恩師との出会いは、修士課程で、O大学O研究所(当時)を選んだときでした。
それまで、私は、H大学理学部のK教授(当時)、N助手(当時)のもとで、卒業論文で、日高のオフィオライトの調査研究をやっていました。そして、修士論文では、地域にはこだわらず、オフィオライトの研究したいために、田崎先生が、助教授(当時)でいたO研究所に進学しました。1980年4月のことでした。
そして、三郡帯のオフィオライトを研究するために、先生と一緒にいくつかの地域を回りながら、岡山県井原市付近のオフィオライトの研究をすることに決めました。
1980年の夏、井原市の由緒正しきお寺に下宿して、自転車屋で、バイク(カブという車種)を借りて、一月あまり、野外調査をしました。
修士課程2年生とき、C型肝炎の検査で恩師は、大学病院に入院されました。そして、私は、井原市で2度目の夏の調査を、恩師の車を借りて、おこないました。今度は、民家に下宿をしました。
そして、1981年の春に助手で別の講座に赴任してきたT氏に私を託し、この年夏、カナダのカルガリーに在外研究に1年間、お子さんを連れて、旅立たれました。そして、カナダ、カルガリーで先発されていた奥さんに合流されました。
その頃、私が、博士課程に進学したいといっていたので、「修士論文を無事、自力で書き上げ、博士課程に進学したら、カナダに来なさい。一緒にカナダのオフィオライトを見に行こう」と約束していました。
1982年4月、私は、H大学の博士課程に進学しました。S君は、私と入れ替わりに田崎先生の研究室に修士課程で入ってきました。約束どおり、夏休みに1ヵ月半ほど、カルガリーの田崎先生のアパートに滞在して、カナディアン・ロッキー、カルガリーのスタンピード、カナダ東部(ケベック、ニューファンドランドなどの)の地質巡検や観光を楽しみました。カナダ東部への旅行は、家族旅行も兼ねていました。ただし、行きのトロントから帰りのトロントまで、田崎先生と私は、奥さんと娘さんたちは、別行動でした。
私が帰るとき、娘さんたちは、先発して帰るため、私と一緒に日本に帰国しました。そして、子供たちは、学校が始まるまで、しばらく親戚にいました。
博士課程では、私は、フィールドを拡大して、中国地方から近畿地方にまたがる舞鶴構造帯全体に広げていました。その後、私は、年に一度か二度は、O大学C研究所(当時)を、分析のために訪れるようになっていました。そのたびに、田崎先生と研究上の相談し、家族のいる自宅を、訪れていました。私が博士論文を書きあげるころ、田崎先生は、E大学に転勤されました。
私は、博士論文提出後、1年間、O大学で研究生をしているころ、ニュージーランドへの海外調査を、田崎先生、S君、小出でいきました。その調査が、縁で、S君はニュージーランドに1年間留学しました。
結婚する前には、家内を連れ、E県の田崎先生のところを訪ねました。そのときは、歓待して頂いて、本当に楽しかったです。
あとは、電話やメールによる連絡や、機会があるたびに、顔を合わす程度でした。田崎先生がE大学を定年されて金沢で自宅をもたれ、奥さんと一番下の娘さんと住んでいたとき、田崎先生の退官記念シンポジュームが金沢大学でおこなわれました。そこで、私は、田崎宅を訪れ、一泊させていただきました。
前の職場であるK県立博物館にもこられ、箱根に2泊していただきました。そのうち、一泊は、長男と家内も一緒に宿泊しました。長男は誕生後2ヶ月で、それが最初の外泊で、田崎先生が、長男を最初に抱いてもらった人でした。
また、2001年9月下旬、日本地質学会が金沢であったとき、学会をぬけ出し、半日、田崎先生の家で、話し込みました。そのときも、病み上がりで気落ちされていた先生を励ましながら、翻訳をしましょうと話ていました。
金沢での恩師に関する記述が2つあったの紹介します。
●金沢にて● 2001.9.22
金沢にいる。
昨日から、金沢に来ている。
昨夜は学会の懇親会があり、
懐かしい、多くの人とあった。
学部と博士過程時代の恩師にあった。
今日は、朝一番の発表である。
それが終われば、金沢在住の修士過程時代の恩師と、
ゆっくりと話し合う予定である。
学会に来ると、
近くの観光地や地質名所を見るということを、
かつてはよくやっていた。
今回もすぐ近くに兼六園がある。
しかし、出かける気にならない。
これも、忙しさのせいだろうか。
それとも、老化?
●恩師の気力● 2001.9.22
急に涼しくなってきた。
初冠雪のニュースも流れている。
秋が、深まってきた。
電話では話していたが、
久しぶりに恩師に会った。
恩師は、最近病気がちで、
気力も低化している。
昨年、手術した。
7月にアルゼンチンに行って、
肺炎になり、8月はずっと寝こんでいたそうである。
今年の10月にも手術する予定だそうだ。
そして、生きることに積極的でない。
恩師は、弟子が少なく、
私と後輩の2人くらいしかいない。
だから、その後輩と恩師をなんとかしたい、
と相談している。
英語文献の日本語への翻訳が
いいのではないかと考えている。
奨めているのだが、どうも乗り気にならないようだ。
でも、なにか目的を持って生きて欲しいのだが、
今日は、1日その相談をするつもりである。
うまくいくかどうか。
あきらめずに説得しよう。
この2つが、最後にあったときの記述です。あとは、時々、電話で、体調伺いをしながら、話したことがある程度です。今年の1月に、私の転進が決まって手紙を書き、その後、電話した時、ある本が借りたくてお願いしたら、お祝いだという手紙がついていました。
もともと、あまり日記などつけない私が、転勤のときだけは、いろいろなことがあるだろうと、半年ほど日記というかメモをつけていました。
以下、転勤のころの日記より(抜粋)
2002年1月9日
田崎氏に転職の手紙を書く。退職願を提出する。
2002年1月22日
田崎氏に電話をして、転職や今後のこと話す。転職祝いに、Johanssen著のPetrography4巻を頂くことになる。
2002年1月29日
田崎氏よりPetrography4巻が着く。ありがたい。
私の過去の記録には、これだけの記述しかありません。少ないです。でも、心に占める、空虚感は大きい。
以上が私の恩師との付き合いと、思い出の概略です。書いてしまうと、これだけなのかという気もします。もっともっと長い付き合いのような気がします。年数で言えば22年に及ぶ付き合いでした。
最後のもう一度、田崎先生のご冥福を祈ります。
(合掌)
2002年9月1日日曜日
2002年8月1日木曜日
07 構造主義的地質学(2002年08月01日)
構造主義という考え方をご存知でしょうか。もともとソシュールという言語学者に、その方法論の端は発しますが、レビ・ストロースという人類学者が確立した方法であります。構造主義というと、硬く、形式を重んじるような感じがしますが、実は、形式を打ち砕いた考え方なのです。
構造主義を簡単にいうことは難しいのですが、考えをまとめる方法として、以下のようなやり方で行われます。レビ・ストロースの神話学を例としましょう。
方法には4つのステップがあります。
1. まず、対象としているもの(文化、自然、理論なんでもいいのですが、レビ・ストロースは神話)ものの集合をひと束にして考えます。広範囲にわたってもいいのですが、その集合は何らなの共通性、何か、どこか似ているものをあつめます。
2. つぎに、その集合の基本となる要素、単位に分割していきます。その要素、単位をレビ・ストロースの場合は神話素とよんでいます。
3. その要素をつらぬ「軸」をいくつか、みつけます。その軸のうち、二項対立するようなもの(これを「構造」と呼んでいます)をいくつか選びます。
4. そして最後に、その対立軸を「構造」として、整理、分析します。レビ・ストロースは、その軸をもとに、表を作成し、解釈しました。そこから、さらにプラスαを見出せればしめたものです。
ここでは、「構造」とは、要素に分解されたものから作りあげられたものですから、定まったものではありません。構造主義でいう「構造」とは、それぞれの対象に応じて見出されるものです。ですから、もともとあるものではないのです。帰納的に見出されるものです。
それに、「構造」は、分析するための視点を示すものです。その「構造」解析から、何を抽出するかは、研究者の能力によっています。ですから、「構造」は、ある対象物の本質を見抜くための、ひとつの手法なのです。より深く分析するための方法論というべきものです。
構造主義は、要素還元主義とそこから総合的に組み立てていく手法、いってみれば西洋の伝統的な帰納法と演繹法を合体させたような手法を構築したのです。レビ・ストロースが、人類学や神話学であまりにみごとにおこなったものですから、大いにはやり、多くの分野でその適用者がいます。
この構造主義の祖ともいうべきレビ・ストロースが、構造主義の源泉として、マルクス主義、精神分析、そして地質学があるといっているそうです。意味深長です。いずれも、一見すると無秩序にみえるようなものですが、その奥には、隠された本当の秩序(構造)が見つかるというのです。あるところまで調べが進んでいきと、急に構造が見えてくるというのです。
地質学のどのような点をさしてそういったかは詳しくは知りませんが、私なりに解釈していきましょう。
たとえば、整然と重なった地層があるとします。まず最初にその地層をみたとき、その地層の重なりの整然さだけが見えてきます。しかし、そこで自然を相手にデータを収集をすれば、さまざまな次元、階層の秩序(構造)が見えてくるというのではないでしょうか。それを、わかりやすく説明するために、こんな例を考えました。
この地層から、地質学的に読み取れるさまざまなことを、その各地質学的要素(地層素とでも呼びましょうか)として考えていきます。地層素にあたるものは、岩石の種類(岩相)、化石、地質構造、変成・変質作用などが考えられます。
岩相、つまり岩石(堆積岩)の種類の違いを詳しく調べます。すると、堆積岩がたまった環境、たとえば深海や、沿岸、河口、扇状地などが読み取れます。そして、地層の下から上に岩相変化を調べていくと、環境の時間変遷が読み取れます。
つぎに、化石を調べていくと、化石とはもともとその時代に生きていた生物ですから、生活環境を知ることができま。また、地球の長い時間の経過の中で、化石が生存していた時代がわかります。つまり、化石の種類に応じて時間と環境が読み取れます。あるいは、環境の時間変化が読み取れます。
また、地層の地質構造を調べていきますと、その地層が、現在のこの地で見れるようになるために経てきた地質学的変動を、順番に、つまり時間にそって読み取っていくことができます。また、地質学的変動とは、地質学的環境の変化を意味します。
また、岩石の、変成作用や変質作用を調べていくと、堆積物が固まり、変成し、変質し、風化していく変化の順番、程度、そして変化のための条件変化(環境変化)が読み取れます。
以上のように、岩相、化石、地質構造、変成・変質作用などの地層素は、時間と環境、環境変化という軸が見えてきます。2項対立的ではないですが、無理くり対立させて、時間、変化という軸を選びます。これが、地層における「構造」ということになります。
それを、表やグラフにして考えていくと、なにかそこから新しいことがわかってくるでしょうか。これからの課題です。とりあえずは、このような手法で、分析してみようと考えています。構造主義の手法は、地質学という学問の体系を整理するのには役立かもしれません。
でも、現在のところ、それ以上でも、それ以下でもないような気がします。レビ・ストロースのような閃きは、生まれません。このような方法論は、どうも、私には、還元主義的で、いままでの科学的手法の範疇を超えていないような気がします。構造主義をしっかりと理解した人がおこなえば、もっと違った分析ができるかもしれませんが、今のところ、私にはうまくいきません。
もっと還元主義的でない手法、もっと総合的な手法、もっと自然を理解しやすい手法はないのでしょうか。私が、いま模索しているのは、そのような方法です。現在、構造主義をアンチテーゼとすべく、ポスト構造主義、あるいはポストモダンなどという考え方が提唱されています。でも、私には勉強不足でまだわかりません。人間の知恵など限りがあるはず、過去の哲人の中に、いい知恵があるかもしれません。それを勉強中です。
・哲学者の生き方・
実は、わたしは、今、地質学を考えるための新しい手法がないか模索しています。そのためのブレインストーミングとして、先人のいろいろ考えた人たち、つまり哲学者の考えを勉強しています。それは、著者の書いたものから、その解説書まで、その哲学の内容が直接わかるものであれば、原著(もちろん日本の訳)を読むより、解説書を読んだほうがいいかもしれません。両方を平行しておこなっています。
今回のエッセイは、構造主義の解説書と、デカルトの「方法序説」、プラトンの「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「パイロン」(いわゆるソクラテスの3部作)を読んだのちの私なりの復習を兼ねています。
デカルトも、ソクラテス、プラトンも読んでいると、その学問に対する真摯な態度に感銘を受けます。その内容に関しては、古い部分もあるのですが、その精神は、時代を超えて、現在にもつうじるものです。彼らの哲学よりも、生き方を学ぶべきなのかもしれません。
・地質哲学・
実は、先月(7月)の13日から23日まで、カナダのニューファンドランドにいってきました。カナダの大西洋側にある大きな島です。
目的は、先カンブリア紀-カンブリア紀境界(V-C境界と呼ばれています)の地層を見ることです。地質調査ですので、地層とその地層をつくる石を、しつこく見てきました。
でも、本当にしたかったことは、地質学的に第一級の意味をもつ境界を、「生(なま)で」みて、そこで何かを感じられないかということです。自然、実物に接したときでないと、その感覚、感動は得られません。それを味わいたかったのです。
というのも哲学というのは、書斎的でずっとこもって思索していくような感じがしますが、もっといろいろな哲学の形態があってもいいのではないかと考えています。構造主義は、そういう意味では、人文科学だけでとどまらず、自然科学の分野(生物学)でも、応用されています。
ソクラテスが、対話を通じて、哲学を深めました。デカルトも、いまでの書物を通じた哲学に限界を見出し、世界を見聞してその哲学を深めていきました。わたしも、彼らにあやかって、自然物(地層や岩石)をじかに触れることによって、地質学への思索を深められないかと考えています。書斎派ではなく、野外(フィールド)派として地質哲学を構築できないかと考えています。
まあ、それこそ、机上の空論とならいようにがんばるしかないです。本当にできるかどうか、私の能力と努力にかかっているのでしょう。まあ、道は険しく遠いけれどがんばります。
このエッセイでは、その思索の遍歴が、現れてくるはずです。実は、最初から、そのつもりではじめたのですけどね。
構造主義を簡単にいうことは難しいのですが、考えをまとめる方法として、以下のようなやり方で行われます。レビ・ストロースの神話学を例としましょう。
方法には4つのステップがあります。
1. まず、対象としているもの(文化、自然、理論なんでもいいのですが、レビ・ストロースは神話)ものの集合をひと束にして考えます。広範囲にわたってもいいのですが、その集合は何らなの共通性、何か、どこか似ているものをあつめます。
2. つぎに、その集合の基本となる要素、単位に分割していきます。その要素、単位をレビ・ストロースの場合は神話素とよんでいます。
3. その要素をつらぬ「軸」をいくつか、みつけます。その軸のうち、二項対立するようなもの(これを「構造」と呼んでいます)をいくつか選びます。
4. そして最後に、その対立軸を「構造」として、整理、分析します。レビ・ストロースは、その軸をもとに、表を作成し、解釈しました。そこから、さらにプラスαを見出せればしめたものです。
ここでは、「構造」とは、要素に分解されたものから作りあげられたものですから、定まったものではありません。構造主義でいう「構造」とは、それぞれの対象に応じて見出されるものです。ですから、もともとあるものではないのです。帰納的に見出されるものです。
それに、「構造」は、分析するための視点を示すものです。その「構造」解析から、何を抽出するかは、研究者の能力によっています。ですから、「構造」は、ある対象物の本質を見抜くための、ひとつの手法なのです。より深く分析するための方法論というべきものです。
構造主義は、要素還元主義とそこから総合的に組み立てていく手法、いってみれば西洋の伝統的な帰納法と演繹法を合体させたような手法を構築したのです。レビ・ストロースが、人類学や神話学であまりにみごとにおこなったものですから、大いにはやり、多くの分野でその適用者がいます。
この構造主義の祖ともいうべきレビ・ストロースが、構造主義の源泉として、マルクス主義、精神分析、そして地質学があるといっているそうです。意味深長です。いずれも、一見すると無秩序にみえるようなものですが、その奥には、隠された本当の秩序(構造)が見つかるというのです。あるところまで調べが進んでいきと、急に構造が見えてくるというのです。
地質学のどのような点をさしてそういったかは詳しくは知りませんが、私なりに解釈していきましょう。
たとえば、整然と重なった地層があるとします。まず最初にその地層をみたとき、その地層の重なりの整然さだけが見えてきます。しかし、そこで自然を相手にデータを収集をすれば、さまざまな次元、階層の秩序(構造)が見えてくるというのではないでしょうか。それを、わかりやすく説明するために、こんな例を考えました。
この地層から、地質学的に読み取れるさまざまなことを、その各地質学的要素(地層素とでも呼びましょうか)として考えていきます。地層素にあたるものは、岩石の種類(岩相)、化石、地質構造、変成・変質作用などが考えられます。
岩相、つまり岩石(堆積岩)の種類の違いを詳しく調べます。すると、堆積岩がたまった環境、たとえば深海や、沿岸、河口、扇状地などが読み取れます。そして、地層の下から上に岩相変化を調べていくと、環境の時間変遷が読み取れます。
つぎに、化石を調べていくと、化石とはもともとその時代に生きていた生物ですから、生活環境を知ることができま。また、地球の長い時間の経過の中で、化石が生存していた時代がわかります。つまり、化石の種類に応じて時間と環境が読み取れます。あるいは、環境の時間変化が読み取れます。
また、地層の地質構造を調べていきますと、その地層が、現在のこの地で見れるようになるために経てきた地質学的変動を、順番に、つまり時間にそって読み取っていくことができます。また、地質学的変動とは、地質学的環境の変化を意味します。
また、岩石の、変成作用や変質作用を調べていくと、堆積物が固まり、変成し、変質し、風化していく変化の順番、程度、そして変化のための条件変化(環境変化)が読み取れます。
以上のように、岩相、化石、地質構造、変成・変質作用などの地層素は、時間と環境、環境変化という軸が見えてきます。2項対立的ではないですが、無理くり対立させて、時間、変化という軸を選びます。これが、地層における「構造」ということになります。
それを、表やグラフにして考えていくと、なにかそこから新しいことがわかってくるでしょうか。これからの課題です。とりあえずは、このような手法で、分析してみようと考えています。構造主義の手法は、地質学という学問の体系を整理するのには役立かもしれません。
でも、現在のところ、それ以上でも、それ以下でもないような気がします。レビ・ストロースのような閃きは、生まれません。このような方法論は、どうも、私には、還元主義的で、いままでの科学的手法の範疇を超えていないような気がします。構造主義をしっかりと理解した人がおこなえば、もっと違った分析ができるかもしれませんが、今のところ、私にはうまくいきません。
もっと還元主義的でない手法、もっと総合的な手法、もっと自然を理解しやすい手法はないのでしょうか。私が、いま模索しているのは、そのような方法です。現在、構造主義をアンチテーゼとすべく、ポスト構造主義、あるいはポストモダンなどという考え方が提唱されています。でも、私には勉強不足でまだわかりません。人間の知恵など限りがあるはず、過去の哲人の中に、いい知恵があるかもしれません。それを勉強中です。
・哲学者の生き方・
実は、わたしは、今、地質学を考えるための新しい手法がないか模索しています。そのためのブレインストーミングとして、先人のいろいろ考えた人たち、つまり哲学者の考えを勉強しています。それは、著者の書いたものから、その解説書まで、その哲学の内容が直接わかるものであれば、原著(もちろん日本の訳)を読むより、解説書を読んだほうがいいかもしれません。両方を平行しておこなっています。
今回のエッセイは、構造主義の解説書と、デカルトの「方法序説」、プラトンの「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「パイロン」(いわゆるソクラテスの3部作)を読んだのちの私なりの復習を兼ねています。
デカルトも、ソクラテス、プラトンも読んでいると、その学問に対する真摯な態度に感銘を受けます。その内容に関しては、古い部分もあるのですが、その精神は、時代を超えて、現在にもつうじるものです。彼らの哲学よりも、生き方を学ぶべきなのかもしれません。
・地質哲学・
実は、先月(7月)の13日から23日まで、カナダのニューファンドランドにいってきました。カナダの大西洋側にある大きな島です。
目的は、先カンブリア紀-カンブリア紀境界(V-C境界と呼ばれています)の地層を見ることです。地質調査ですので、地層とその地層をつくる石を、しつこく見てきました。
でも、本当にしたかったことは、地質学的に第一級の意味をもつ境界を、「生(なま)で」みて、そこで何かを感じられないかということです。自然、実物に接したときでないと、その感覚、感動は得られません。それを味わいたかったのです。
というのも哲学というのは、書斎的でずっとこもって思索していくような感じがしますが、もっといろいろな哲学の形態があってもいいのではないかと考えています。構造主義は、そういう意味では、人文科学だけでとどまらず、自然科学の分野(生物学)でも、応用されています。
ソクラテスが、対話を通じて、哲学を深めました。デカルトも、いまでの書物を通じた哲学に限界を見出し、世界を見聞してその哲学を深めていきました。わたしも、彼らにあやかって、自然物(地層や岩石)をじかに触れることによって、地質学への思索を深められないかと考えています。書斎派ではなく、野外(フィールド)派として地質哲学を構築できないかと考えています。
まあ、それこそ、机上の空論とならいようにがんばるしかないです。本当にできるかどうか、私の能力と努力にかかっているのでしょう。まあ、道は険しく遠いけれどがんばります。
このエッセイでは、その思索の遍歴が、現れてくるはずです。実は、最初から、そのつもりではじめたのですけどね。
2002年7月1日月曜日
06 生物の進化:グールドの死を悼む(2002年07月01日)
生物は、進化してきました。その進化の結果、私たち人類も誕生しました。私たちは、この話をごく当たり前のこととして受け入れていますが、これを受け入れないひとも、世の中にはたくさんいます。それも、充分教育の行き届いたひとや地域においてでもです。
あるひとたちは、進化を否定します。そのひとつに創造説があります。創造説では、聖書の創世記に書かれているように、生命は神がつくったものであり、種は、べつべつに創造されたまま、現在に至ります。したがって、ヒトはヒトとして、つねに万物の長として、この世に君臨しつづけてきましたし、これからも君臨していくのです。創造説のように、種の変わること、つまり進化すること否定する考えをするひとたちもいるのです。このようなひとたちは、進化説だけを学校で教えるは、間違っているとして、進化説と創造説との両方を教えるべきだと考えています。
有名な事件として、スコープス事件があります。1925年7月、アメリカ合衆国テネシー州デートンで、高校で進化論を教えた生物教師、ジョン・スコープスが、聖書の創造説に反するとして、裁判がおこなわれました。この裁判は波紋を呼び、アメリカを代表する弁護士クラレンス・ダローと、元国務長官W.J.ブライアンが検察側に立ち、世界中の注目を浴びました。その間、テネシー州は、進化論は聖書の創造説に反するとして、公立高校で進化論を教えることを禁止するバトラー法を制定しています。スコープスは有罪となり、罰金100ドルを科せられました。その後、州の最高裁判所で無罪となり、バトラー法も1967年に廃止されています。
余談ですが、ブライアンは、晩年、原理主義(Fundamentalism)に献身していました。その影響もあって、裁判で検事補をつとめました。しかし、この裁判で、ブライアンが科学上の発見に無知なことが判明し、面目をつぶしました。それと同時に、原理主義も大きな打撃を受けました。ブライアンは裁判の結審から5日後に急死しました。
もちろん科学者たちは、創造説に反対します。その反対者のひとりに、古生物学者グールドがいました。裁判の顛末は、彼のエッセイに詳しく書かれています。
進化論への道は、険しく遠いものでした。進化説が出現する前、激変説(catastrophism)の立場の科学者たち、たとえばキュビエが唱えたのは、一度の生物の創造ではなく、ノアの大洪水のような天変地異によって、何度も生物は死に絶え、そのたびに生物はあらたに創造されたと考えました。種は不変で、生物相が置き換わるだけです。これによって、古い時代からいる古生物やその多様性を説明しようとしました。しかし、創造するのは神です。
激変説に対して、より新しい考え方として、斉一説(uniformitarianism)がありました。斉一説では、過去も現在と同じような作用が働いていたと考えました。ラマルクの考えは、生物は、いつでも無生物から誕生し、そしてつねに単純なものから複雑なものへと「前進」していると考えました。ですから、ある時点で生物相をみると、早く出現した生物は複雑で、あとから出現したものは単純な生物であることになります。
激変説も、創造説の一部を含んでいます。生物は神の連続的創造によるものである。スイス生まれのアメリカ博物学者のアガシーも、このような創造説の立場をとっていました。アガシーは1846年ハーバード大学の博物学教授で、比較動物学博物館は、彼が、創設したものです。そのアガシー教授のポストに、グールドがついていました。
連続的創造説には、宗教的背景のほかに、当時の生物発生に対する常識があったのです。有機物から、生物は、偶然に、自然に、生まれてくると考えられていました。このような考えを、偶然発生説、または古い自然発生説といいます。たとえば、食べ物を放っておくと、カビが生えてきたり、ウジがわいてきたります。有機物から、まるで生物が生まれたきたようにみえます。ですから、環境さえ整えば、どこからでも生物は誕生したと考えられていました。
無生物から生物が出現すると前提は、パスツールの科学的実験で否定されました。白鳥のような形をしたガラスビンを用意します。そのなかに、有機物(肉汁)を入れます。有機物を加熱して、中にいる微生物を殺します。殺菌後、外から微生物が入らないように、ガラスビンの口を長く、細く伸ばし、口はあけておきます。こうしたことによって、空気は出入りするのですが、長い首の入り口付近ついた水滴のために、微生物は進入できず、そのビンの中の有機物からは、生物は誕生しなかったのです。この実験によって、生物の偶然発生しないということが確かめられました。
この実験によって、ラマルクの連続創造説の部分は否定されました。「前進」という部分だけのこし、生物はあるとき、あるところで誕生し、その生物を祖先として私たちに至る道筋があるということです。このような考えを新しい自然発生説といいます。
そして進化という仕組み知ったのは、1859年です。そう、それは、ダーウィンの「種の起源」の出版された年です。私たちのいま信じている進化説というものは、長い歴史をもっていたのです。「種の起源」から、まだ150年もたってないのです。
150年たって、私たちは進化に関して、多くのことを学びました。進化を担っているのは、DNAとよばれる物質であること。そして、DNAは、すべての生物に共通するもものであること。進化が生物の多様性をつくったこと。などなど、私たちは科学の名のもの、多くのことをダーウィン以来、付け加えてきました。でも、なぜ、キリンの首が長くなったか。なぜ、ゾウの鼻が長くなったのか。なぜヒトは考えるようになったのか。その理由は、DNAの研究は答えてくれません。わたしたちは、いまだに、進化の仕組みの全容がわかっていないのです。
もし、私たちの地球とまったく同じ、もうひとつの地球があったとしたら、そこでは同じように人類が、誕生したでしょうか。そして動物園や水族館、植物園には同じ生き物が見えることができるでしょうか。
ひとつの考えとして、進化とは長い時間の思考錯誤の結果あるのだから、現在の生物種は、現時点での最高の組み合わせであるというものがあります。その頂点にいるのが人類である、と考えます。人類は、生まれるべくして生まれたという考えがあります。でも、これは、ラマルクの考えの変形版にみえます。そこには、科学的根拠はありません。それは、私たちの願望であって、人類が誕生する必然性は、今での研究成果からはみることができません。
もうひとつの地球では、想像もつかない生物の国があるはずとグールドは考えました。つまり、進化などというものは、予測不可能で、なにがおこるかわからないというのです。
進化は、目的論的に、キリンの首や、ゾウの鼻は、伸びるべくして伸びたという答えを求めるのでしょうか。もしそうなら、首の短いキリンから今のような長いキリンまで、また鼻の短いゾウから今のように長いゾウまで、さまざまの長さの首を持つキリン、さまざまの長さの鼻を持つゾウがいてもいいはずです。このような考え方を平衡進化説といいます。
でも、化石の証拠は、そうはなっていません。あるとき突然、首の長いキリンが出現し、あるとき突然、鼻の長いゾウが出現します。つまり、新種がある日突然、誕生し、その後、ほとんど変化してないということを示しているようにみえます。このようは考え方を、断続進化説といいます。1972年、グールドたちは、この考えを提唱しました。その後、この断続進化については長く議論されてきました。
人類は生物の長で、それは、生まれるべくして生まれたという、人間には非常に心地よい考え、あるいは、変化とは、時間によって一様におこるという考え、そこには斉一説的考え方が見え隠れしています。そのように考えたいという気持ちが、科学者の心のどこかに潜在し、無意識にその虜になっているのかもしれません。グールドは、そんな甘い考えつぶしてきました。
グールドは、なにもアナーキストのように、なんでもかんでもつぶせというのではなく、科学的に、素直に、自然を眺めた結果、そうなったのです。なかなか抜け出れない歴史的束縛、人類として優越感、常識という根拠のない先入観、それは、上で述べたように科学の歴史では、失敗の歴史として語られています。現在のわたしたちにも、実はつねにその危険にさらされているのです。歴史的束縛、優越感、先入観などだれもが、意識していようが、いまいが、心にもっている考え方を前提とすれば、議論なしに論理を展開していけます。でも、これは、大きな落とし穴なのです。
そんな落とし穴にはまらずに、科学をすべきだとグールドは教えてくれました。科学的には冷静で、カリブ海の陸産巻貝化石の研究をし、進化についてつねに新しいことを考え、Natural History誌に25年間科学エッセイを連載し、バージェス頁岩を世界的に有名にし、ハーバード大学およびニューヨーク大学教授で、1982年のNewsweek誌の表紙になり、1997年にはアニメThe Simpsonsに登場し、野球好きで、クラシック好きで、毒舌家で、2番目の妻と二人の子供が残して、60歳でグールドは逝きました。まだまだ教えてほしいことがいっぱいあったのですが、もう新たな教えを乞うことはできなくなりました。今回はグールドの成果の中心に書きました。
・グールドへの道・
私の専門は地質学でも、岩石学や地球科学とよばれる分野です。ですから、グールドの専門の古生物学とは、少しずれています。専門が違うので、私は、グールドの論文は、読んだことがありません。多分今後も読まないと思います。でも、彼の書いたエッセイや書籍は、いくつか読んでいます。そして、彼のその博識と深い思索には、いつも感銘を受けていました。
私は、グールドとは、まったく面識はないのですが、彼の研究態度や研究手法に感銘を受けていたので、できれば、彼のところに、1年間滞在できないかと考えていました。それは、今いる職場が、5年間勤めると、1年間の研修をさせてくれるので、その時の研修先としてグールドのところを考えていた矢先の訃報でした。
グールドと私は、専門も違うし、考え方も違います。でも、考える姿勢や態度は、非常に共感を覚えました。現在の科学者でいちばん気になっていた人でした。
せめて、彼の仕事から学ぶために、本を見ようにも、グールドのエッセイや書籍で読んだものは、残念ながら手元にはありません。今まで、読んだ本は職場の図書館に寄贈していたからです。そして、転職のためにそれは見れなくなりました。でも、グールドの書籍で、この2年ほどの間の読書記録に残っているものをたどると、
Natural History誌に連載されたエッセイ集:
ダーウィン以来 ―進化論への招待
パンダの親指 ―進化論再考(上・下)
ニワトリの歯 ―進化論の新地平(上・下)
がんばれカミナリ竜 進化生物学と去りゆく生きものたち(上・下)
単行本:
ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説
時間の矢・時間の環―地質学的時間をめぐる神話と隠喩
を読んでいます。
まだ、読んでない本として
エッセイ集:
干し草のなかの恐竜 ―化石証拠と進化論の大展開(上・下)
ダ・ヴィンチの二枚貝 ―進化論と人文科学のはざまで(上・下)
八匹の子豚 ―種の絶滅と進化をめぐる省察(上・下)
フラミンゴの微笑 ―進化論の現在(上・下)
嵐のなかのハリネズミ
単行本:
個体発生と系統発生
人間の測りまちがい ―差別の科学史
暦と数の話 ―グールド教授の2000年問題
などがあります。さらに、まだ訳されていないものとして、
エッセイ集
I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History
単行本
Rocks of Ages : Science and Religion in the Fullness of Life
The Structure of Evolutionary Theory
があります。このほかにも多数のものがあるはずですが、私の現在手元にあるか、発注中のものです。
中でも「The Structure of Evolutionary Theory」は、グールドの大作のひとつで、2002年3月発行されたものです。1464ページにおよぶもので、最後の大作というべきものでしょう。執筆に20年を費やしたといわれています。
今注文中でまだ手元にはありませんが、書評によると内容は以下のようです。自然選択、適応、変化の蓄積という古典的ダーウィニズムに関する3つの観点についての議論、そして、種からさまざまなレベルでの自然選択、自然選択だけでないさまざまな仕組みによる進化、激変説を含む広範な進化の原因が、古典的ダーウィニズムへの3つの挑戦的試みとしておこなわれているようです。進化についての、彼のライフワーク的考えがまとめられているようです。
グールドの本で、読んだものは、半分ほどです。読んだ量でいえば、半分しか、学んでいないことになります。
でも、読むことと学ぶこと、あるいは読んだ量と学んだ量が比例する訳ではありません。ようは、彼のスピリッツというか、態度、姿勢、心構えというようなものを学びたいのです。
それは、いつになることでしょうか。たどりつけない目標かもしれません。ですが、目標達成は、目標を向かうことから、はじまります。長い道のりの、まだ一歩を踏み出したばかりかも知れませんが、まずは、学び、理解すること。そして、できれば、グールドとは違った地平を目指したいと考えています。
最後になりましたが、グールド(Stephen Jay Gould)享年60歳、心からご冥福を祈ります。(合掌)
あるひとたちは、進化を否定します。そのひとつに創造説があります。創造説では、聖書の創世記に書かれているように、生命は神がつくったものであり、種は、べつべつに創造されたまま、現在に至ります。したがって、ヒトはヒトとして、つねに万物の長として、この世に君臨しつづけてきましたし、これからも君臨していくのです。創造説のように、種の変わること、つまり進化すること否定する考えをするひとたちもいるのです。このようなひとたちは、進化説だけを学校で教えるは、間違っているとして、進化説と創造説との両方を教えるべきだと考えています。
有名な事件として、スコープス事件があります。1925年7月、アメリカ合衆国テネシー州デートンで、高校で進化論を教えた生物教師、ジョン・スコープスが、聖書の創造説に反するとして、裁判がおこなわれました。この裁判は波紋を呼び、アメリカを代表する弁護士クラレンス・ダローと、元国務長官W.J.ブライアンが検察側に立ち、世界中の注目を浴びました。その間、テネシー州は、進化論は聖書の創造説に反するとして、公立高校で進化論を教えることを禁止するバトラー法を制定しています。スコープスは有罪となり、罰金100ドルを科せられました。その後、州の最高裁判所で無罪となり、バトラー法も1967年に廃止されています。
余談ですが、ブライアンは、晩年、原理主義(Fundamentalism)に献身していました。その影響もあって、裁判で検事補をつとめました。しかし、この裁判で、ブライアンが科学上の発見に無知なことが判明し、面目をつぶしました。それと同時に、原理主義も大きな打撃を受けました。ブライアンは裁判の結審から5日後に急死しました。
もちろん科学者たちは、創造説に反対します。その反対者のひとりに、古生物学者グールドがいました。裁判の顛末は、彼のエッセイに詳しく書かれています。
進化論への道は、険しく遠いものでした。進化説が出現する前、激変説(catastrophism)の立場の科学者たち、たとえばキュビエが唱えたのは、一度の生物の創造ではなく、ノアの大洪水のような天変地異によって、何度も生物は死に絶え、そのたびに生物はあらたに創造されたと考えました。種は不変で、生物相が置き換わるだけです。これによって、古い時代からいる古生物やその多様性を説明しようとしました。しかし、創造するのは神です。
激変説に対して、より新しい考え方として、斉一説(uniformitarianism)がありました。斉一説では、過去も現在と同じような作用が働いていたと考えました。ラマルクの考えは、生物は、いつでも無生物から誕生し、そしてつねに単純なものから複雑なものへと「前進」していると考えました。ですから、ある時点で生物相をみると、早く出現した生物は複雑で、あとから出現したものは単純な生物であることになります。
激変説も、創造説の一部を含んでいます。生物は神の連続的創造によるものである。スイス生まれのアメリカ博物学者のアガシーも、このような創造説の立場をとっていました。アガシーは1846年ハーバード大学の博物学教授で、比較動物学博物館は、彼が、創設したものです。そのアガシー教授のポストに、グールドがついていました。
連続的創造説には、宗教的背景のほかに、当時の生物発生に対する常識があったのです。有機物から、生物は、偶然に、自然に、生まれてくると考えられていました。このような考えを、偶然発生説、または古い自然発生説といいます。たとえば、食べ物を放っておくと、カビが生えてきたり、ウジがわいてきたります。有機物から、まるで生物が生まれたきたようにみえます。ですから、環境さえ整えば、どこからでも生物は誕生したと考えられていました。
無生物から生物が出現すると前提は、パスツールの科学的実験で否定されました。白鳥のような形をしたガラスビンを用意します。そのなかに、有機物(肉汁)を入れます。有機物を加熱して、中にいる微生物を殺します。殺菌後、外から微生物が入らないように、ガラスビンの口を長く、細く伸ばし、口はあけておきます。こうしたことによって、空気は出入りするのですが、長い首の入り口付近ついた水滴のために、微生物は進入できず、そのビンの中の有機物からは、生物は誕生しなかったのです。この実験によって、生物の偶然発生しないということが確かめられました。
この実験によって、ラマルクの連続創造説の部分は否定されました。「前進」という部分だけのこし、生物はあるとき、あるところで誕生し、その生物を祖先として私たちに至る道筋があるということです。このような考えを新しい自然発生説といいます。
そして進化という仕組み知ったのは、1859年です。そう、それは、ダーウィンの「種の起源」の出版された年です。私たちのいま信じている進化説というものは、長い歴史をもっていたのです。「種の起源」から、まだ150年もたってないのです。
150年たって、私たちは進化に関して、多くのことを学びました。進化を担っているのは、DNAとよばれる物質であること。そして、DNAは、すべての生物に共通するもものであること。進化が生物の多様性をつくったこと。などなど、私たちは科学の名のもの、多くのことをダーウィン以来、付け加えてきました。でも、なぜ、キリンの首が長くなったか。なぜ、ゾウの鼻が長くなったのか。なぜヒトは考えるようになったのか。その理由は、DNAの研究は答えてくれません。わたしたちは、いまだに、進化の仕組みの全容がわかっていないのです。
もし、私たちの地球とまったく同じ、もうひとつの地球があったとしたら、そこでは同じように人類が、誕生したでしょうか。そして動物園や水族館、植物園には同じ生き物が見えることができるでしょうか。
ひとつの考えとして、進化とは長い時間の思考錯誤の結果あるのだから、現在の生物種は、現時点での最高の組み合わせであるというものがあります。その頂点にいるのが人類である、と考えます。人類は、生まれるべくして生まれたという考えがあります。でも、これは、ラマルクの考えの変形版にみえます。そこには、科学的根拠はありません。それは、私たちの願望であって、人類が誕生する必然性は、今での研究成果からはみることができません。
もうひとつの地球では、想像もつかない生物の国があるはずとグールドは考えました。つまり、進化などというものは、予測不可能で、なにがおこるかわからないというのです。
進化は、目的論的に、キリンの首や、ゾウの鼻は、伸びるべくして伸びたという答えを求めるのでしょうか。もしそうなら、首の短いキリンから今のような長いキリンまで、また鼻の短いゾウから今のように長いゾウまで、さまざまの長さの首を持つキリン、さまざまの長さの鼻を持つゾウがいてもいいはずです。このような考え方を平衡進化説といいます。
でも、化石の証拠は、そうはなっていません。あるとき突然、首の長いキリンが出現し、あるとき突然、鼻の長いゾウが出現します。つまり、新種がある日突然、誕生し、その後、ほとんど変化してないということを示しているようにみえます。このようは考え方を、断続進化説といいます。1972年、グールドたちは、この考えを提唱しました。その後、この断続進化については長く議論されてきました。
人類は生物の長で、それは、生まれるべくして生まれたという、人間には非常に心地よい考え、あるいは、変化とは、時間によって一様におこるという考え、そこには斉一説的考え方が見え隠れしています。そのように考えたいという気持ちが、科学者の心のどこかに潜在し、無意識にその虜になっているのかもしれません。グールドは、そんな甘い考えつぶしてきました。
グールドは、なにもアナーキストのように、なんでもかんでもつぶせというのではなく、科学的に、素直に、自然を眺めた結果、そうなったのです。なかなか抜け出れない歴史的束縛、人類として優越感、常識という根拠のない先入観、それは、上で述べたように科学の歴史では、失敗の歴史として語られています。現在のわたしたちにも、実はつねにその危険にさらされているのです。歴史的束縛、優越感、先入観などだれもが、意識していようが、いまいが、心にもっている考え方を前提とすれば、議論なしに論理を展開していけます。でも、これは、大きな落とし穴なのです。
そんな落とし穴にはまらずに、科学をすべきだとグールドは教えてくれました。科学的には冷静で、カリブ海の陸産巻貝化石の研究をし、進化についてつねに新しいことを考え、Natural History誌に25年間科学エッセイを連載し、バージェス頁岩を世界的に有名にし、ハーバード大学およびニューヨーク大学教授で、1982年のNewsweek誌の表紙になり、1997年にはアニメThe Simpsonsに登場し、野球好きで、クラシック好きで、毒舌家で、2番目の妻と二人の子供が残して、60歳でグールドは逝きました。まだまだ教えてほしいことがいっぱいあったのですが、もう新たな教えを乞うことはできなくなりました。今回はグールドの成果の中心に書きました。
・グールドへの道・
私の専門は地質学でも、岩石学や地球科学とよばれる分野です。ですから、グールドの専門の古生物学とは、少しずれています。専門が違うので、私は、グールドの論文は、読んだことがありません。多分今後も読まないと思います。でも、彼の書いたエッセイや書籍は、いくつか読んでいます。そして、彼のその博識と深い思索には、いつも感銘を受けていました。
私は、グールドとは、まったく面識はないのですが、彼の研究態度や研究手法に感銘を受けていたので、できれば、彼のところに、1年間滞在できないかと考えていました。それは、今いる職場が、5年間勤めると、1年間の研修をさせてくれるので、その時の研修先としてグールドのところを考えていた矢先の訃報でした。
グールドと私は、専門も違うし、考え方も違います。でも、考える姿勢や態度は、非常に共感を覚えました。現在の科学者でいちばん気になっていた人でした。
せめて、彼の仕事から学ぶために、本を見ようにも、グールドのエッセイや書籍で読んだものは、残念ながら手元にはありません。今まで、読んだ本は職場の図書館に寄贈していたからです。そして、転職のためにそれは見れなくなりました。でも、グールドの書籍で、この2年ほどの間の読書記録に残っているものをたどると、
Natural History誌に連載されたエッセイ集:
ダーウィン以来 ―進化論への招待
パンダの親指 ―進化論再考(上・下)
ニワトリの歯 ―進化論の新地平(上・下)
がんばれカミナリ竜 進化生物学と去りゆく生きものたち(上・下)
単行本:
ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説
時間の矢・時間の環―地質学的時間をめぐる神話と隠喩
を読んでいます。
まだ、読んでない本として
エッセイ集:
干し草のなかの恐竜 ―化石証拠と進化論の大展開(上・下)
ダ・ヴィンチの二枚貝 ―進化論と人文科学のはざまで(上・下)
八匹の子豚 ―種の絶滅と進化をめぐる省察(上・下)
フラミンゴの微笑 ―進化論の現在(上・下)
嵐のなかのハリネズミ
単行本:
個体発生と系統発生
人間の測りまちがい ―差別の科学史
暦と数の話 ―グールド教授の2000年問題
などがあります。さらに、まだ訳されていないものとして、
エッセイ集
I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History
単行本
Rocks of Ages : Science and Religion in the Fullness of Life
The Structure of Evolutionary Theory
があります。このほかにも多数のものがあるはずですが、私の現在手元にあるか、発注中のものです。
中でも「The Structure of Evolutionary Theory」は、グールドの大作のひとつで、2002年3月発行されたものです。1464ページにおよぶもので、最後の大作というべきものでしょう。執筆に20年を費やしたといわれています。
今注文中でまだ手元にはありませんが、書評によると内容は以下のようです。自然選択、適応、変化の蓄積という古典的ダーウィニズムに関する3つの観点についての議論、そして、種からさまざまなレベルでの自然選択、自然選択だけでないさまざまな仕組みによる進化、激変説を含む広範な進化の原因が、古典的ダーウィニズムへの3つの挑戦的試みとしておこなわれているようです。進化についての、彼のライフワーク的考えがまとめられているようです。
グールドの本で、読んだものは、半分ほどです。読んだ量でいえば、半分しか、学んでいないことになります。
でも、読むことと学ぶこと、あるいは読んだ量と学んだ量が比例する訳ではありません。ようは、彼のスピリッツというか、態度、姿勢、心構えというようなものを学びたいのです。
それは、いつになることでしょうか。たどりつけない目標かもしれません。ですが、目標達成は、目標を向かうことから、はじまります。長い道のりの、まだ一歩を踏み出したばかりかも知れませんが、まずは、学び、理解すること。そして、できれば、グールドとは違った地平を目指したいと考えています。
最後になりましたが、グールド(Stephen Jay Gould)享年60歳、心からご冥福を祈ります。(合掌)
2002年6月1日土曜日
05 地質学的定常と人間的非定常(2002年6月1日)
大きな地層切断面の前に立つと、その地層に中に刻まれている事件と時間に圧倒されます。そして、それがどんな事件でできたかが気になります。
地層の基本的単位は、単層(たんそう)と呼ばれるものです。単層とは、地学辞典(平凡社)によると
「連続的に堆積した1枚の地層のこと」
「ふつう、その上面と下面は堆積の休止期を示す層理面によって限られる」
となっています。この定義は、湊正雄「地層学(第2版)」(1973)を原典とし、そこでは、
「単層とは、上下の相隣れる二つの地層面(層面)で境された地層の部分である」
と定義されています。では、その境界である地層面の定義は、湊正雄を、困らせています。そして、最終的に、
「1枚1枚の単層が固化するときの上表面または下面である」
と、湊正雄は定義しています。
上の定義から、単層とは、一連の、あるいは一つ事件による堆積作用でたまった物質で、次の堆積事件までには時間を隔てているということになります。
一連の堆積事件には、堆積物の堆積状態によって、定常的現象と非定常的現象とに区分できます。しかし、定常と非定常の区分は、曖昧です。
定常的現象とは、常に堆積作用が続いている状態です。たとえば、深海底にマリンスノーが降り、微生物の死骸が堆積物としてたまっていくような状態です。しかし、定常的とはいっても、その堆積量や成分には、時間、季節や気候変動による変化が生じえます。
マリンスノーが深海底にたまったものが、チャートと呼ばれる岩石になります。地層として陸地に出ているチャートをみますと、数cmから数10cm程度の厚さの縞模様が観察されます。その縞は、珪質の生物の死骸以外のものからできていて、陸地から飛んできた火山灰や細粒の堆積物(泥質物質)が混入することで、形成されています。
それは、定常的現象のなかに、非定常的現象が混在していることを意味します。その原因は、定常的現象の時間スケールが非常に長いため、非定常的現象が、間歇(かんけつ)的ですが、あたかも定常的に起こっているかのように見えるのです。定常的現象とはいいながら、非定常的現象とは区別がつきにくくなってしまうのです。
では、非定常的現象とは、どんなものでしょうか。それは、時間的に、ある限られた時間に一気に堆積作用がおこることです。たとえば、土石流や海底地すべりのような短時間に起こる激しい堆積作用や、季節変化(黄砂の堆積、雨季の洪水)や気候変動(岩塩などの蒸発岩、氷河堆積物)による比較的長い時間をかけておこる穏やかな堆積作用などがあります。
定常的現象による堆積物か、非定常的現象による堆積物か、どちらが多いでしょうか。統計を取っていないので、正確なところはわからないのですが、多分、非定常的現象による堆積物が圧倒的に多いと思います。
もし、この予想が正しいとすると、非定常的現象とは、地質学的時間スケールで眺めると、「定常的」といってもいいほど、ありふれた現象といえます。
日本列島太平洋側の堆積岩によくみられる地層は、砂岩から泥岩へと連続して変化する単層が、幾重にも重なって、繰り返しているものです。このような単層は、何100年に1回という人間にとっては非常に珍しい、大土石流や大海底地すべりのような非定常的現象で形成されたものと考えられています。土石流や海底地すべりは、大型の地震が、その引き金となって起こると考えられています。
短時間でおこる非定常的現象は、まさに天変地異ともいうべき、めったに起こらない現象です。しかし、地層とてして残されている膨大な回数の繰り返しをみると、非定常的現象は、地質学のスケールでは定常的現象というべきものとなってきていると感じてしまいます。
地質学には、人間の時間とはまったく違う時間が流れている気がします。ですから、今まで述べた定常と非定常という区分は、もしかしたら、人間の日常感覚にもとづくものであって、地質学的には、あまり通用しない区分なのかもしれません。
非定常現象であっても、「定常的」といえるほど、繰り返しおこっていることが一般的です。それは、地質環境として見た場合、その場は、「定常的」に地震が起こる場であり、「定常的」に海底地すべりが起こる場なのです。そして、これが、地層というタイムレコーダーに残るのは、むしろそのような非定常的現象なのです。人間と地質の時間流れは、これほどまでに違っていたのです。
・圧倒される膨大さ・
人間の時間と地質学の時間はあまりにもかけ離れていて、もはや、同じ土俵で議論できなほどなのです。例えば、人間の一生からすると、100年以上のサイクルは、体感できる時間としては、もはやサイクルではないのです。一生に一度あるかないかできごとなのです。しかし、上で述べたような海底地すべりによる、事件は何100年に一度の出来事として起こることなのです。
時間の長さを感じるために、簡単な計算をしてみましょう。
ある時代の地層を考えましょう。例えば、第三紀の中頃(中新世初期アクイタニアン)の地層だったとしましょう。その地層の年代は、2330万年前から2150万年前の時代です。期間でいうと、180万年かかってたまったものです。そのうちの半分、つまり90万年間が、砂岩から泥岩という単層の繰り返しによってできている地層だとしましょう。もし、1000年に一度の天変地異によって、その単層が一つ(約30cmの厚さ)できるとしましょう。とすると、この地層はどれほどの規模のものとなるでしょうか。
単純に割り算してみましょう。90万年÷1000年=9000です。つまり、9000枚の単層が形成される訳です。その地層の全厚さは、掛け算をすればいいので、9000枚×30cm=2700mとなります。
つまり、1000年に一度の天変地異でも、90万年という地質の時間が流れれば、それは、2700mという膨大な地層の連なりとして記録されていくのです。
地質の時間を体感するのは、実は難しいのですが、今のような感覚をもっていると、地層の前に立つと、その地層に記録されている、時間と事件の膨大さが窺い知れると思います。
私は、このエッセイの冒頭に書いたように、その膨大さに圧倒されるのです。
地層の基本的単位は、単層(たんそう)と呼ばれるものです。単層とは、地学辞典(平凡社)によると
「連続的に堆積した1枚の地層のこと」
「ふつう、その上面と下面は堆積の休止期を示す層理面によって限られる」
となっています。この定義は、湊正雄「地層学(第2版)」(1973)を原典とし、そこでは、
「単層とは、上下の相隣れる二つの地層面(層面)で境された地層の部分である」
と定義されています。では、その境界である地層面の定義は、湊正雄を、困らせています。そして、最終的に、
「1枚1枚の単層が固化するときの上表面または下面である」
と、湊正雄は定義しています。
上の定義から、単層とは、一連の、あるいは一つ事件による堆積作用でたまった物質で、次の堆積事件までには時間を隔てているということになります。
一連の堆積事件には、堆積物の堆積状態によって、定常的現象と非定常的現象とに区分できます。しかし、定常と非定常の区分は、曖昧です。
定常的現象とは、常に堆積作用が続いている状態です。たとえば、深海底にマリンスノーが降り、微生物の死骸が堆積物としてたまっていくような状態です。しかし、定常的とはいっても、その堆積量や成分には、時間、季節や気候変動による変化が生じえます。
マリンスノーが深海底にたまったものが、チャートと呼ばれる岩石になります。地層として陸地に出ているチャートをみますと、数cmから数10cm程度の厚さの縞模様が観察されます。その縞は、珪質の生物の死骸以外のものからできていて、陸地から飛んできた火山灰や細粒の堆積物(泥質物質)が混入することで、形成されています。
それは、定常的現象のなかに、非定常的現象が混在していることを意味します。その原因は、定常的現象の時間スケールが非常に長いため、非定常的現象が、間歇(かんけつ)的ですが、あたかも定常的に起こっているかのように見えるのです。定常的現象とはいいながら、非定常的現象とは区別がつきにくくなってしまうのです。
では、非定常的現象とは、どんなものでしょうか。それは、時間的に、ある限られた時間に一気に堆積作用がおこることです。たとえば、土石流や海底地すべりのような短時間に起こる激しい堆積作用や、季節変化(黄砂の堆積、雨季の洪水)や気候変動(岩塩などの蒸発岩、氷河堆積物)による比較的長い時間をかけておこる穏やかな堆積作用などがあります。
定常的現象による堆積物か、非定常的現象による堆積物か、どちらが多いでしょうか。統計を取っていないので、正確なところはわからないのですが、多分、非定常的現象による堆積物が圧倒的に多いと思います。
もし、この予想が正しいとすると、非定常的現象とは、地質学的時間スケールで眺めると、「定常的」といってもいいほど、ありふれた現象といえます。
日本列島太平洋側の堆積岩によくみられる地層は、砂岩から泥岩へと連続して変化する単層が、幾重にも重なって、繰り返しているものです。このような単層は、何100年に1回という人間にとっては非常に珍しい、大土石流や大海底地すべりのような非定常的現象で形成されたものと考えられています。土石流や海底地すべりは、大型の地震が、その引き金となって起こると考えられています。
短時間でおこる非定常的現象は、まさに天変地異ともいうべき、めったに起こらない現象です。しかし、地層とてして残されている膨大な回数の繰り返しをみると、非定常的現象は、地質学のスケールでは定常的現象というべきものとなってきていると感じてしまいます。
地質学には、人間の時間とはまったく違う時間が流れている気がします。ですから、今まで述べた定常と非定常という区分は、もしかしたら、人間の日常感覚にもとづくものであって、地質学的には、あまり通用しない区分なのかもしれません。
非定常現象であっても、「定常的」といえるほど、繰り返しおこっていることが一般的です。それは、地質環境として見た場合、その場は、「定常的」に地震が起こる場であり、「定常的」に海底地すべりが起こる場なのです。そして、これが、地層というタイムレコーダーに残るのは、むしろそのような非定常的現象なのです。人間と地質の時間流れは、これほどまでに違っていたのです。
・圧倒される膨大さ・
人間の時間と地質学の時間はあまりにもかけ離れていて、もはや、同じ土俵で議論できなほどなのです。例えば、人間の一生からすると、100年以上のサイクルは、体感できる時間としては、もはやサイクルではないのです。一生に一度あるかないかできごとなのです。しかし、上で述べたような海底地すべりによる、事件は何100年に一度の出来事として起こることなのです。
時間の長さを感じるために、簡単な計算をしてみましょう。
ある時代の地層を考えましょう。例えば、第三紀の中頃(中新世初期アクイタニアン)の地層だったとしましょう。その地層の年代は、2330万年前から2150万年前の時代です。期間でいうと、180万年かかってたまったものです。そのうちの半分、つまり90万年間が、砂岩から泥岩という単層の繰り返しによってできている地層だとしましょう。もし、1000年に一度の天変地異によって、その単層が一つ(約30cmの厚さ)できるとしましょう。とすると、この地層はどれほどの規模のものとなるでしょうか。
単純に割り算してみましょう。90万年÷1000年=9000です。つまり、9000枚の単層が形成される訳です。その地層の全厚さは、掛け算をすればいいので、9000枚×30cm=2700mとなります。
つまり、1000年に一度の天変地異でも、90万年という地質の時間が流れれば、それは、2700mという膨大な地層の連なりとして記録されていくのです。
地質の時間を体感するのは、実は難しいのですが、今のような感覚をもっていると、地層の前に立つと、その地層に記録されている、時間と事件の膨大さが窺い知れると思います。
私は、このエッセイの冒頭に書いたように、その膨大さに圧倒されるのです。
2002年5月1日水曜日
04 地質学とは(2002年5月1日)
私が地質学に携わって、四半世紀になります。短いような、長いような期間です。しかし、今まで私は、「地質学とはどんな学問か」ということについて、深く考えたことがありませんでした。今後、そのあたりを深く考えていきたいと思っています。とりあえず、今回は、地質学とはなにか、地質学と他の自然科学とはどう違うのかを考えてみます。
まず、地質学を、どう定義すべきでしょうか。その点について、少し考えてみます。
色々な定義の仕方があると思うますが、ここでは、次のように定義してみましょう。
「地質学とは、時間、実物、野外、実験、という要素からなる」
と。
以下、その要素について、少々考察してみましょう。
まず、「時間」についてです。
地質学における「時間」とは、過ぎ去った一度限りのものです。そこには、全く等質の繰り返しや、これから来る時間(未来)は含まれません。
もし、過去における法則(地質学の法則)が、「時間」において普遍的なものであれば、その法則を未来へ外挿できるかもしれません。つまり、地質学は、「過去の時間」における法則を見出す学問ですが、そこから普遍性を導き出せば、その法則は、一気に「未来の時間」に適用できる可能性が生じるのです。過去の事象に関する科学が、未来学の一翼を担える可能性があるのです。それも、かなりの論理的にです。
たとえば、プレートの動きを観測していくと、年間何センチメートル、どの方向に移動している、ということが正確に測定することができます。それは、過去から現在まで続いている地質現象です。
この現象は、未来に対する永続性の保障は、今のところありません。しかし、この運動は、未来にわたって(永遠とはいわないが、プレート全体の運動を考えれば、どの程度継続可能かも推定できるでしょう)継続すると推定できます。この推定は、かなりの確実性があると考えられます。
その推定を前提に、プレートの移動が予測できます。予測は、数百万年、数千万年の単位の予測となります。さらに、プレートの移動よって、大陸配置が変われば、気候や地質現象(火山、地震、造山作用など)の様式も変化します。当然、それも、予測可能です。
このような「未来の時間」での予想を、地質学はなしうるのです。しかし、このような研究を前面に出しておこなっている研究者は少ないようです。
つぎに、「実物」です。
地質学における「実物」とは、過去に形成された岩石、過去に起きた現象、過去に生きた生物(古生物)などのことです。
地質学として利用できる「実物」になるには、いくつかの条件を満たす必要があります。それは、「実物」が、すべて過去のもので、手にできるのは、その一部しかないからです。
「実物」は、形成時にまず、断片化がおこります。断片化に堪えなければなりません。あるいは、断片化されても、もとの「実物」に関する情報を保存していなければなりません。さらに、「実物」は、時間を経ても残りうるものでなければなりません。
つぎに、「実物」は、地質学的変動に耐えねばなりません。続成作用、変成作用、造山運動、風化、削剥などの地質学的変動を受けても、変化、破壊、消失することなく、現在まで残らなければなりません。
最後に、幸運でなければなりません。「実物」が存在しても、それをしかるべき時期に、しかるべき人に、発見されなければなりません。「実物」に書きこまれた情報が、読み取りたい人に、読み取りたい時期に、読み取るための技術によって、読み取れなければならないのです。
これらのどれかが欠けても、たとえ重要と思われる「実物」が発見されても、「実物」の有効利用はできないのです。そのために、重要だと思われる「実物」は、人類の共有の資産として、永久保存される必要があるのです。その機能を持つのが、博物館でしょう。
次ぎの要素は、「野外」です。
「野外」は、フィールドとも呼ばれます。地質学における「野外」とは、野外で「実物」を調査し、採集することを意味します。野外調査には、有効な「実物」を得るために、独自の方法があります。
求めている情報が、どの「実物」に入っているのかを事前に知っているか、あるいは見当をつけなければ、有用な「実物」を採集できません。なにせ、その気になれば「実物」は大量にあるのです。そのためには、それなりの知識や経験が必要です。
野外では、「実物の産状」を読み取る必要があります。産状とは、「他の実物」との時間の前後、上下などの相互関係、構成物の量比、空間的位置、分布などのことで、「野外」でしか得られない情報です。「実物の産状」を調べるにも知識や経験が必要です。
以上のような意味で、地質学において「野外」は、習熟を要する科学であるといえます。
最後は、「実験」です。
地質学における「実験」とは、野外で採集した「実物」から情報を読み取る作業です。その手法は多様です。代表的なものとして、化学分析、詳細観察、再現実験、計算機実験などがあります。
化学分析には、完全手作業による湿式分析や、各種の装置を利用した機器分析があります。機器は、科学技術、特に電子技術とコンピュータの進歩、普及に伴って、分析の精度や簡便さは格段に向上しました。
物資を詳細に調べるには、拡大する技術が不可欠です。昔は、肉眼や虫メガネ(ルーペともいう)で、その後は顕微鏡で、今や電子顕微鏡、トンネル顕微鏡、原子間力顕微鏡などというものまであります。その拡大能力は、原子を一つ一つみることができるまでになっています。
再現実験は、天然の「実物」や合成の「実物」から、それが形成されるための条件を推定したり、決められた条件で合成物がどのような相や性質を持つかを、実験室で調べるものです。
計算機実験は、長い時間を計算機で短縮したり、非常に短い時間をゆっくり再現させたり、超高温、低温や超高圧にしたりなど、実験室ではできない、計算機でしかできない実験領域でその能力を発揮します。それと、失敗を気にせず何度でも繰り返すことも可能です。
「実物」から、「野外」と「実験」で読み取った情報が、地質学における基礎データとなります。基礎データを時間軸に沿って並べ、何らかの規則性が見えてきたとき、新たな理論が生まれるのです。その理論は、時間に特異性をもつ地質学の固有のものとなるのでしょう。そして、そんな理論の積み重ねが、地質学の新転地を切り拓くでしょう。
・非常識な論理派・
私は、エッセイでも書いたのですが、地質学を専門としています。しかし、それだけでなく、もっと広い分野、視点で、その地質学の特性を考え、発言してきたいと思っています。あるいは、地質学という視点で、ある分野のある考え方、ある資料を見たらどう見えるか。そんなことをしていきたいと考えています。
例えば、それは、環境問題、自然教育、自然史観、自然哲学、人間倫理、生命倫理、自然倫理、環境倫理、地球倫理など、「夢は大きく」です。
そのためには、地質学を知らなければなりません。それは、単に地質学の研究をするというだけでなく、地質学の本質、根源、根本にかかわるようなことを、突き詰めて、あるいはこだわって、考えていきたいと思っています。
そんな思考のプロセスの断片を、このエッセイで表現できればと思っています。その答えは、全く非常識なものになるやもしれません。あるいは意図して非常識なものを提示するかもしれません。もちろんそこには地質学的論理があるものです。
しかし、その非常識な考え方が間違いだとはかぎりません。もしかすると、その非常識な考えの中に、次のブレークスルーのきっかけになるものがあるやもしれません。大発見や大発明は、非常識なところから生まれることが多いのは、歴史が証明していることです。
非常識であるかどうかより、多様性、つまりは多様な視点での議論を、まずは受入れる必要があります。一種のディベート、ブレインストーミングです。そんなことを常にしているべきです。それができないと、本当に重要な提案がそのなかにあるかもしれないのに、それをみすみす見過ごすことだってあるかもしれません。
そんなことにならないように、皆さんも、私の非常識な意見に、賛成しろといいませんが、耳を傾けて下さい。
非常識派から、最後に一言。常識や非常識で、提案を判断するのではなく、そこで展開されている論理で、判断して下さい。常識派の多くの意見は、誰かが言ったことを前提にしています。その誰かがいったことは、別の誰かが言ったことだったりまします。そんな意見より、論理として筋の通っている新しい提案のほうが重要ではないでしょうか。
自分自身への戒めを一つ。非常識な論理派を目指せ。なぜなら、常識の非論理派よりまさり、常識の論理派より有用だから。決してなるなかれ、非常識の非論理派。
・新しいメールマガジンの発行・
先月から、新しいメールマガジンを発行しました。それは「Terraの科学-Club Geoの冒険-」という週刊誌です。内容は、大学教養程度の「地球科学」の内容を、2年間にわたって講義していく予定です。内容はレベルを落とすことなく、小学生にも理解できるようにを目指します。もし興味おありでしたら、一度購読してみて下さい。
申し込みは、
http://www1.cominitei.com/lecture/regis.html
からです。
ちなみに私は、「Terra Incognita」以外に「地球のささやき」
http://www1.cominitei.com/earth/regis.html
と、「Dialog2」
http://www1.cominitei.com/dialog2/regist.html
という週刊誌を発行しています。もし興味おありでしたら、購読してみて下さい。
まず、地質学を、どう定義すべきでしょうか。その点について、少し考えてみます。
色々な定義の仕方があると思うますが、ここでは、次のように定義してみましょう。
「地質学とは、時間、実物、野外、実験、という要素からなる」
と。
以下、その要素について、少々考察してみましょう。
まず、「時間」についてです。
地質学における「時間」とは、過ぎ去った一度限りのものです。そこには、全く等質の繰り返しや、これから来る時間(未来)は含まれません。
もし、過去における法則(地質学の法則)が、「時間」において普遍的なものであれば、その法則を未来へ外挿できるかもしれません。つまり、地質学は、「過去の時間」における法則を見出す学問ですが、そこから普遍性を導き出せば、その法則は、一気に「未来の時間」に適用できる可能性が生じるのです。過去の事象に関する科学が、未来学の一翼を担える可能性があるのです。それも、かなりの論理的にです。
たとえば、プレートの動きを観測していくと、年間何センチメートル、どの方向に移動している、ということが正確に測定することができます。それは、過去から現在まで続いている地質現象です。
この現象は、未来に対する永続性の保障は、今のところありません。しかし、この運動は、未来にわたって(永遠とはいわないが、プレート全体の運動を考えれば、どの程度継続可能かも推定できるでしょう)継続すると推定できます。この推定は、かなりの確実性があると考えられます。
その推定を前提に、プレートの移動が予測できます。予測は、数百万年、数千万年の単位の予測となります。さらに、プレートの移動よって、大陸配置が変われば、気候や地質現象(火山、地震、造山作用など)の様式も変化します。当然、それも、予測可能です。
このような「未来の時間」での予想を、地質学はなしうるのです。しかし、このような研究を前面に出しておこなっている研究者は少ないようです。
つぎに、「実物」です。
地質学における「実物」とは、過去に形成された岩石、過去に起きた現象、過去に生きた生物(古生物)などのことです。
地質学として利用できる「実物」になるには、いくつかの条件を満たす必要があります。それは、「実物」が、すべて過去のもので、手にできるのは、その一部しかないからです。
「実物」は、形成時にまず、断片化がおこります。断片化に堪えなければなりません。あるいは、断片化されても、もとの「実物」に関する情報を保存していなければなりません。さらに、「実物」は、時間を経ても残りうるものでなければなりません。
つぎに、「実物」は、地質学的変動に耐えねばなりません。続成作用、変成作用、造山運動、風化、削剥などの地質学的変動を受けても、変化、破壊、消失することなく、現在まで残らなければなりません。
最後に、幸運でなければなりません。「実物」が存在しても、それをしかるべき時期に、しかるべき人に、発見されなければなりません。「実物」に書きこまれた情報が、読み取りたい人に、読み取りたい時期に、読み取るための技術によって、読み取れなければならないのです。
これらのどれかが欠けても、たとえ重要と思われる「実物」が発見されても、「実物」の有効利用はできないのです。そのために、重要だと思われる「実物」は、人類の共有の資産として、永久保存される必要があるのです。その機能を持つのが、博物館でしょう。
次ぎの要素は、「野外」です。
「野外」は、フィールドとも呼ばれます。地質学における「野外」とは、野外で「実物」を調査し、採集することを意味します。野外調査には、有効な「実物」を得るために、独自の方法があります。
求めている情報が、どの「実物」に入っているのかを事前に知っているか、あるいは見当をつけなければ、有用な「実物」を採集できません。なにせ、その気になれば「実物」は大量にあるのです。そのためには、それなりの知識や経験が必要です。
野外では、「実物の産状」を読み取る必要があります。産状とは、「他の実物」との時間の前後、上下などの相互関係、構成物の量比、空間的位置、分布などのことで、「野外」でしか得られない情報です。「実物の産状」を調べるにも知識や経験が必要です。
以上のような意味で、地質学において「野外」は、習熟を要する科学であるといえます。
最後は、「実験」です。
地質学における「実験」とは、野外で採集した「実物」から情報を読み取る作業です。その手法は多様です。代表的なものとして、化学分析、詳細観察、再現実験、計算機実験などがあります。
化学分析には、完全手作業による湿式分析や、各種の装置を利用した機器分析があります。機器は、科学技術、特に電子技術とコンピュータの進歩、普及に伴って、分析の精度や簡便さは格段に向上しました。
物資を詳細に調べるには、拡大する技術が不可欠です。昔は、肉眼や虫メガネ(ルーペともいう)で、その後は顕微鏡で、今や電子顕微鏡、トンネル顕微鏡、原子間力顕微鏡などというものまであります。その拡大能力は、原子を一つ一つみることができるまでになっています。
再現実験は、天然の「実物」や合成の「実物」から、それが形成されるための条件を推定したり、決められた条件で合成物がどのような相や性質を持つかを、実験室で調べるものです。
計算機実験は、長い時間を計算機で短縮したり、非常に短い時間をゆっくり再現させたり、超高温、低温や超高圧にしたりなど、実験室ではできない、計算機でしかできない実験領域でその能力を発揮します。それと、失敗を気にせず何度でも繰り返すことも可能です。
「実物」から、「野外」と「実験」で読み取った情報が、地質学における基礎データとなります。基礎データを時間軸に沿って並べ、何らかの規則性が見えてきたとき、新たな理論が生まれるのです。その理論は、時間に特異性をもつ地質学の固有のものとなるのでしょう。そして、そんな理論の積み重ねが、地質学の新転地を切り拓くでしょう。
・非常識な論理派・
私は、エッセイでも書いたのですが、地質学を専門としています。しかし、それだけでなく、もっと広い分野、視点で、その地質学の特性を考え、発言してきたいと思っています。あるいは、地質学という視点で、ある分野のある考え方、ある資料を見たらどう見えるか。そんなことをしていきたいと考えています。
例えば、それは、環境問題、自然教育、自然史観、自然哲学、人間倫理、生命倫理、自然倫理、環境倫理、地球倫理など、「夢は大きく」です。
そのためには、地質学を知らなければなりません。それは、単に地質学の研究をするというだけでなく、地質学の本質、根源、根本にかかわるようなことを、突き詰めて、あるいはこだわって、考えていきたいと思っています。
そんな思考のプロセスの断片を、このエッセイで表現できればと思っています。その答えは、全く非常識なものになるやもしれません。あるいは意図して非常識なものを提示するかもしれません。もちろんそこには地質学的論理があるものです。
しかし、その非常識な考え方が間違いだとはかぎりません。もしかすると、その非常識な考えの中に、次のブレークスルーのきっかけになるものがあるやもしれません。大発見や大発明は、非常識なところから生まれることが多いのは、歴史が証明していることです。
非常識であるかどうかより、多様性、つまりは多様な視点での議論を、まずは受入れる必要があります。一種のディベート、ブレインストーミングです。そんなことを常にしているべきです。それができないと、本当に重要な提案がそのなかにあるかもしれないのに、それをみすみす見過ごすことだってあるかもしれません。
そんなことにならないように、皆さんも、私の非常識な意見に、賛成しろといいませんが、耳を傾けて下さい。
非常識派から、最後に一言。常識や非常識で、提案を判断するのではなく、そこで展開されている論理で、判断して下さい。常識派の多くの意見は、誰かが言ったことを前提にしています。その誰かがいったことは、別の誰かが言ったことだったりまします。そんな意見より、論理として筋の通っている新しい提案のほうが重要ではないでしょうか。
自分自身への戒めを一つ。非常識な論理派を目指せ。なぜなら、常識の非論理派よりまさり、常識の論理派より有用だから。決してなるなかれ、非常識の非論理派。
・新しいメールマガジンの発行・
先月から、新しいメールマガジンを発行しました。それは「Terraの科学-Club Geoの冒険-」という週刊誌です。内容は、大学教養程度の「地球科学」の内容を、2年間にわたって講義していく予定です。内容はレベルを落とすことなく、小学生にも理解できるようにを目指します。もし興味おありでしたら、一度購読してみて下さい。
申し込みは、
http://www1.cominitei.com/lecture/regis.html
からです。
ちなみに私は、「Terra Incognita」以外に「地球のささやき」
http://www1.cominitei.com/earth/regis.html
と、「Dialog2」
http://www1.cominitei.com/dialog2/regist.html
という週刊誌を発行しています。もし興味おありでしたら、購読してみて下さい。
2002年4月4日木曜日
03 学について(2002年4月4日)
「学」について、考えます。「学」はマナブではなく、ガクの方です。学が必要か、不要かについて、ここ数年、悩んでいます。つい最近まで、私は不要と考えていたのですが、「学」があった方がいいのではないのかと考えるようになりました。今回は、「学」について考えます。
ことの起こりは、私が書いた論文からでした。私は、地質学を研究しながら、教育、それも自然史教育というものも研究しています。その内容については、別の機会にして、自然史教育に関する考えを一連の論文として発表していたのですが、関連する学会のシンポジウムで講演した時のことです。
その時まで、私はあまり意識せず、「自然史学」という用語を使っていました。それに対して、ある人から質問を受けました。「自然史」は、英語で、natural historyといいます。それでは、「自然史学」はどう英訳するのですか、という指摘でした。「学」をどう英語に反映するのかということでした。
その時の答えは、「no idea」でした。しかし、考えた後の判断は、「学」のあるなしは、英語には反映できない、というものでした。だから、自然史に関しては、「学」を付けずに、「自然史」で統一しようと考えました。それ以降、私の論文では、「自然史」という用語で、「自然史学」という意味も、文脈で読み取ってもらうということにしました。ずっと、そういう用法を守ってきました。
論文の査読で、何人かの人に、「自然史」に、「学」を付けたほうがいい場合があるという指摘をされたことがありました。しかし、その場合は、以下のような説明をしていました。
「自然史」の英語表記、natural historyという用語には、「自然史」と「自然史学」の両方の意味がある。私は論文では、「自然史」をnatural historyと同様の使い方をしている。したがって、意味としては、「自然史」と「自然史学」両方の意味の場合があるが、私の論文では英語表記にならって、「自然史」に統一した。という回答をしてきました。そう説明すると、査読者は、この説明を納得して、受け入れられてきました。そして、何篇かの私の「自然史」と書いた論文が印刷されました。一応、学会的にも、この「自然史」という使い方は、小出風かもしれませんが、認知されたということになるわけです。
このような事例は、いくつかの用語であります。英語のgeologyも、「地質」と「地質学」の両方の意味で用いられています。例えば、「日本の地質」と「日本の地質学」とは、全く違ったものを指します。「日本の地質」は、日本列島がどのような時代の岩石や地層からできているかを記述したものです。一方、「日本の地質学」とは、日本の地質学という学問の歴史や特徴を記述したものになります。
どちらも英語にすれば、Geology of Japanで表すことができます。あえて、後者用にStudies(あるいはResearches)of Japanese Geologyというような使い方をすれば、区別することが可能です。これでも、両方の意味に取ることも可能です。これは、geologyという用語に、「学」のある、なし、両方の意味があるために生じる混乱といえます。文脈によって判別できるのですが、論文や本の題名となる時は、注意が必要です。
Physicsも物理と物理学の両方の意味を持ちます。しかし、chemistryとbiologyは少し違います。Chemistryは、化学という一通りの訳で、学のありなしの両方に使います。つまり、英語の同じ用法です。Biologyは生物学だけに用い、生物としてはlifeやorganismなどという別の単語があります。
つまり、英語も日本語も「学」のある、なしが、概念として統一されているわけではないのです。ということは、慣例にしたがって用いればいい、あるいは自国の言葉でわかりやすいよう表現すればいいということになりそうです。
言語は、それぞれの国や民族の長い時間、歴史を背景にしています。ですから、2つの言語の完全に1対1の対応をした翻訳や訳語は在りえないはずです。日本語の意味を英語に訳すとき、日本語では一つの単語で済むのに、英語でその意味を表すには長い言いまわしが必要なこともあります。逆のことだってあるはずです。でも、これは、文化の違いだからしょうがないことなのです。でも、文化の違いさえ認めれば、すむことなのです。長たっらしい言いまわしにこそ、異聞化の接点を見出すべきでしょう。
そして、話しは、再び、自然史にもどるわけです。そもそも自然史は、自然の記述と、自然史という学問の二通りの意味を持つ用語でした。しかし、私は、英語を意識しすぎたため、自然史と自然史学の二通りの意味を、自然史という一つの用語に請け負わせようとさせました。しかし、これは少し不自然で、無理があったわけでした。Geologyに対して、「地質」と「地質学」の2つの日本語が用意されたように、natural historyにも、「自然史」と「自然史学」の2つを用意してもいいのです。これは、今まであまり意識されず、行われてきた方法です。
私は、まだ、それらを区別した論文は書いていません。このエッセイを書きながら、考えをまとめつつあるため、このエッセイが最初の区別する文章なのです。多分、私は、今後、これらを区別しながら、使い始めるでしょう。そして、私の論文を読んだ人の多くは、その変化に気づかないでしょう。なぜなら、「学」を必要に応じて付けたほうが、自然で、すんなりと読めるはずだからです。
今回は、「学」を付けた場合と付けない場合は、意味が違うのに、英語では一つの用語でしか使っていないという、ごくありふれた言語の相違について考えた。結局は、それぞれの国の言語でいいように使う、というごく当たり前の結論になりました。
・尊敬される「学」・
「学」は、あるべきか、なくてもいいか。
それは、問題です。
エッセイで述べたような「学」の使用の場合は、
用語として意味が違う場合には、「学」はあったほうがわかりいいと思います。
単純に「知識」という意味の「学」は、あったほうがいいでしょう。
ただ、あっても困りませんが、必要以上に時間をかけて覚えこむのも考えものです。
読者の方も、受験時代に興味のない科目の暗記に、
苦労された経験があるかと思います。
このような事前の暗記による知識も、それなりの効用はあるのですが、
必要に迫られた時や興味のある時に、覚える知識は、同じ暗記でも身につきます。
一方、「教養」に類する「学」は、あった方がいいと思います。
これは、リテラシーと呼ぶべきものだと思います。
リテラシーのような「学」は、単に知識の過多ではありません。
知識はなくとも、「学」のある人はいます。
優れた職人や優れたビジネスマンは、学歴や暗記や教科書のような知識がなくても、
人を惹きつけ、尊敬を得て、リーダシップを発揮します。
それは、充分な経験によって「学」を身に付けたためではないでしょうか。
リテラシーのような「学」は、経験や個性、生き方に裏づけされた
人格や人間性にまで及ぶもので、社会生活では非常に重要です。
では、そんな「学」は、どこで、誰に教えてもらえるのでしょうか。
あるいは、どうすれば身につくのでしょうか。
それが、わからないのです。
多分、どこでも、だれでも、「学」は、身につけられる可能性があるはずです。
ただ、それをなしうるのは、ほんの一部の人だけです。
そんな「学」を身につけた人が少ないから、尊敬に値するのでしょう。
我、まだまだ、「学」成り難し。
・表示方法・
メールの表示法について、いろいろ考えたのですが、
やはり、現状の方法で表示し、配信します。
それは、いくらインターネットとはいえ、文体があります。
このエッセイのような内容は、細かく分かち書きをするより、
段落を明瞭にしたほうが、論旨を汲みやすいと考えます。
もちろん、多くの改行をして分かち書きをしたほうが分かりやすい文章もあります。
また、苦情のない多く人は、もしかすると、
この文体の方が、読みやすいかもしれません。
それに、印刷して読みたい人もいるかもしれません。
そうすると、書籍や新聞の文章のよう、段落がはっきりしたほうがいいと思います。
もし、見づらい人は、メーラーの表示で、文字を大きくするか、
印刷で文字を大きくするかして下さい。
ただし、レターの部分は、できるだけ改行を多くして、見やすくしかます。
御了承ください。
ことの起こりは、私が書いた論文からでした。私は、地質学を研究しながら、教育、それも自然史教育というものも研究しています。その内容については、別の機会にして、自然史教育に関する考えを一連の論文として発表していたのですが、関連する学会のシンポジウムで講演した時のことです。
その時まで、私はあまり意識せず、「自然史学」という用語を使っていました。それに対して、ある人から質問を受けました。「自然史」は、英語で、natural historyといいます。それでは、「自然史学」はどう英訳するのですか、という指摘でした。「学」をどう英語に反映するのかということでした。
その時の答えは、「no idea」でした。しかし、考えた後の判断は、「学」のあるなしは、英語には反映できない、というものでした。だから、自然史に関しては、「学」を付けずに、「自然史」で統一しようと考えました。それ以降、私の論文では、「自然史」という用語で、「自然史学」という意味も、文脈で読み取ってもらうということにしました。ずっと、そういう用法を守ってきました。
論文の査読で、何人かの人に、「自然史」に、「学」を付けたほうがいい場合があるという指摘をされたことがありました。しかし、その場合は、以下のような説明をしていました。
「自然史」の英語表記、natural historyという用語には、「自然史」と「自然史学」の両方の意味がある。私は論文では、「自然史」をnatural historyと同様の使い方をしている。したがって、意味としては、「自然史」と「自然史学」両方の意味の場合があるが、私の論文では英語表記にならって、「自然史」に統一した。という回答をしてきました。そう説明すると、査読者は、この説明を納得して、受け入れられてきました。そして、何篇かの私の「自然史」と書いた論文が印刷されました。一応、学会的にも、この「自然史」という使い方は、小出風かもしれませんが、認知されたということになるわけです。
このような事例は、いくつかの用語であります。英語のgeologyも、「地質」と「地質学」の両方の意味で用いられています。例えば、「日本の地質」と「日本の地質学」とは、全く違ったものを指します。「日本の地質」は、日本列島がどのような時代の岩石や地層からできているかを記述したものです。一方、「日本の地質学」とは、日本の地質学という学問の歴史や特徴を記述したものになります。
どちらも英語にすれば、Geology of Japanで表すことができます。あえて、後者用にStudies(あるいはResearches)of Japanese Geologyというような使い方をすれば、区別することが可能です。これでも、両方の意味に取ることも可能です。これは、geologyという用語に、「学」のある、なし、両方の意味があるために生じる混乱といえます。文脈によって判別できるのですが、論文や本の題名となる時は、注意が必要です。
Physicsも物理と物理学の両方の意味を持ちます。しかし、chemistryとbiologyは少し違います。Chemistryは、化学という一通りの訳で、学のありなしの両方に使います。つまり、英語の同じ用法です。Biologyは生物学だけに用い、生物としてはlifeやorganismなどという別の単語があります。
つまり、英語も日本語も「学」のある、なしが、概念として統一されているわけではないのです。ということは、慣例にしたがって用いればいい、あるいは自国の言葉でわかりやすいよう表現すればいいということになりそうです。
言語は、それぞれの国や民族の長い時間、歴史を背景にしています。ですから、2つの言語の完全に1対1の対応をした翻訳や訳語は在りえないはずです。日本語の意味を英語に訳すとき、日本語では一つの単語で済むのに、英語でその意味を表すには長い言いまわしが必要なこともあります。逆のことだってあるはずです。でも、これは、文化の違いだからしょうがないことなのです。でも、文化の違いさえ認めれば、すむことなのです。長たっらしい言いまわしにこそ、異聞化の接点を見出すべきでしょう。
そして、話しは、再び、自然史にもどるわけです。そもそも自然史は、自然の記述と、自然史という学問の二通りの意味を持つ用語でした。しかし、私は、英語を意識しすぎたため、自然史と自然史学の二通りの意味を、自然史という一つの用語に請け負わせようとさせました。しかし、これは少し不自然で、無理があったわけでした。Geologyに対して、「地質」と「地質学」の2つの日本語が用意されたように、natural historyにも、「自然史」と「自然史学」の2つを用意してもいいのです。これは、今まであまり意識されず、行われてきた方法です。
私は、まだ、それらを区別した論文は書いていません。このエッセイを書きながら、考えをまとめつつあるため、このエッセイが最初の区別する文章なのです。多分、私は、今後、これらを区別しながら、使い始めるでしょう。そして、私の論文を読んだ人の多くは、その変化に気づかないでしょう。なぜなら、「学」を必要に応じて付けたほうが、自然で、すんなりと読めるはずだからです。
今回は、「学」を付けた場合と付けない場合は、意味が違うのに、英語では一つの用語でしか使っていないという、ごくありふれた言語の相違について考えた。結局は、それぞれの国の言語でいいように使う、というごく当たり前の結論になりました。
・尊敬される「学」・
「学」は、あるべきか、なくてもいいか。
それは、問題です。
エッセイで述べたような「学」の使用の場合は、
用語として意味が違う場合には、「学」はあったほうがわかりいいと思います。
単純に「知識」という意味の「学」は、あったほうがいいでしょう。
ただ、あっても困りませんが、必要以上に時間をかけて覚えこむのも考えものです。
読者の方も、受験時代に興味のない科目の暗記に、
苦労された経験があるかと思います。
このような事前の暗記による知識も、それなりの効用はあるのですが、
必要に迫られた時や興味のある時に、覚える知識は、同じ暗記でも身につきます。
一方、「教養」に類する「学」は、あった方がいいと思います。
これは、リテラシーと呼ぶべきものだと思います。
リテラシーのような「学」は、単に知識の過多ではありません。
知識はなくとも、「学」のある人はいます。
優れた職人や優れたビジネスマンは、学歴や暗記や教科書のような知識がなくても、
人を惹きつけ、尊敬を得て、リーダシップを発揮します。
それは、充分な経験によって「学」を身に付けたためではないでしょうか。
リテラシーのような「学」は、経験や個性、生き方に裏づけされた
人格や人間性にまで及ぶもので、社会生活では非常に重要です。
では、そんな「学」は、どこで、誰に教えてもらえるのでしょうか。
あるいは、どうすれば身につくのでしょうか。
それが、わからないのです。
多分、どこでも、だれでも、「学」は、身につけられる可能性があるはずです。
ただ、それをなしうるのは、ほんの一部の人だけです。
そんな「学」を身につけた人が少ないから、尊敬に値するのでしょう。
我、まだまだ、「学」成り難し。
・表示方法・
メールの表示法について、いろいろ考えたのですが、
やはり、現状の方法で表示し、配信します。
それは、いくらインターネットとはいえ、文体があります。
このエッセイのような内容は、細かく分かち書きをするより、
段落を明瞭にしたほうが、論旨を汲みやすいと考えます。
もちろん、多くの改行をして分かち書きをしたほうが分かりやすい文章もあります。
また、苦情のない多く人は、もしかすると、
この文体の方が、読みやすいかもしれません。
それに、印刷して読みたい人もいるかもしれません。
そうすると、書籍や新聞の文章のよう、段落がはっきりしたほうがいいと思います。
もし、見づらい人は、メーラーの表示で、文字を大きくするか、
印刷で文字を大きくするかして下さい。
ただし、レターの部分は、できるだけ改行を多くして、見やすくしかます。
御了承ください。
2002年3月1日金曜日
02 地質学における時間の不可逆性(2002年3月1日)
時間感覚とは、人それぞれによって違います。あるいは、同じ人でも置かれた環境や心理的状況によって、時間の流れるスピードは違います。例えば、面白いゲームや本、映画などに熱中してるときには、2時間でもあっという間に感じてしまいます。一方、つまらない会議や講演会、授業、挨拶などでは、30分や15分でも長く感じます。早く予定の30分や15分が終わらないかなと思ってしまい、もし予定より5分でも延びようものなら、とてつも長くなった気がします。
このような時間の流れは、感覚的なもので、客観的なものではありません。物理学的には、厳密な時間の定義があります。かつては、地球の公転速度や自転速度などの平均太陽日を基準にして時間が決められてていました。現在では、物理的な時間間隔の単位「秒」は、1967年10月パリの第13回国際度量衡総会において「秒は、セシウム133の原子の基底状態における2つの超微細準位間の遷移に対する放射の9,192,631,770周期の継続時間とする」と決められています。この基準による時間は、原子時と呼ばれています。太陽や地球の動きでは、現代科学の必要とする精度が、正確に定義できないために、原子時を使うようになったのです。しかし、かつての恒星時における1秒に合わせて、原子時は定義されています。
学問の世界では、時間を自由に操ることがあります。素粒子の世界では、1秒の1000分の1の時間でも、長いとされるのに、宇宙の歴史では、1億年の単位が使われているののです。
時間は、物理的には、自由に切り刻んだり、逆行させたり、止めたり、未来にしたりすることが可能です。しかし、日常的な感覚からすると、時間は一方的に流れて、「現在」を中心とすれば、「過去」と「未来」が厳然として存在します。つまり、不可逆(ふかぎゃく)なのです。不可逆な時間を一番強く感じているのは、地質学という学問かもしれません。
地質学の対象としているものは、過去のもの(昔の岩石、化石など)か、もしくは現在進行中の現象(火山、地震、プレート移動)です。地質学の時代区分では、一番古い時代を、冥王代(めいおうだい)(45.6~38億年前)、太古代(たいこだい)(38~25億年前)、原生代(げんせいだい)(25~5.8億年前)、顕生代(けんせいだい)(5.8億年前~現在)となります。それぞれの時代は細分されており、顕生代は古生代(こせいだい)(5.8~2.4億年前)、中生代(ちゅうせいだい)(2.4億~6500万年前)、新生代(しんせいだい)(6500万年前~現在)となり、新生代はさらに第三紀(だいさんき)(6500~164万年前)と第四紀(だいよんき)(164万年前~現在)に、第四紀はさらに更新世(こうしんせ)(164~1万年前)と完新世(かんしんせ)(1万年前~現在)となっています。
過去のものは、時代が古くなるほど、不明瞭となります。つまり、地質学的時代区分の単元の期間が、過去になるほど長くなっていきます。これは、時間を遡ぼるための私たちの能力が足りないのかもしれません。あるいは、時代を遡るほど地質学的記録が消えていくのかもしれません。いずれの場合にしても、私たちの過去を読み取る能力が向上すれば、過去がよりよく読み取れるはずです。でも、古いものほど読み取り誤差が大きくなっていくという原則は崩れそうにありません。
地質学においては、時間は不可逆に流れ、「現在」が常に原点となっています。だから、過去は時間が遡るほど、情報量は少なくなっていきます。
不可逆な時間とは、一度限りの再現不能な「流れ」を意味します。川が海へのそそぐ場所(河口)を「現在」としましょう。河口から川を見たとき、下流付近はよく見えます。中流は遠くにかすかに見えます。上流は山が見えますが、流れは見えません。時間の流れとはそんなものです。そして、地質学的証拠、あるいは素材とは、河口付近に転がっている石ころなのです。「上流のどこか」としか分からない石ころから、上流を想像するしかないのです。地質学では、物理学のように川を遡行することはできないのです。河口(現在)から動くことができないのです。上流を遠目に眺めるしかないのです。
地質学では、石ころの時間記録を読み取り、過去を「見てきたように語る」しかないのです。地質学者とは、1つの石ころから、10の情報を引き出し、想像力で100の物語としていく人達なのかもしれません。その物語が、説得力があるかどうかは、1から10までは技術力で達成できますが、10から100へは研究者の個人の能力である想像力なのです。
しかし、技術や個人の能力では、いかんともし難い部分があります。それは、1つの石ころを見つけることです。いくら探しても、最上流の石ころは、河口付近にはもともと1個しかないかもしれません。そして、その1個を発見できるかどうかは、偶然の賜物なのです。
地質学とは、時間を遡ることをその手法としています。ですから、地質学者は近未来を語ることは、苦手としても、遥か彼方の未来を語る力は、一番かもしれません。1000万年や1億年の単位での地球の未来図を、証拠をもって語れるのは、地質学者だけなのかもしれません。例えば、プレートテクトニクスの知識を使えば、現在のプレート移動の速度から、1000万年後や1億年後の大陸の配置を推定することができます。また、プルームテクトニクスの知識を使えば、1億年後や2億年後にその大陸が裂け、海洋ができるかを予測できます。
素晴らしい能力ではないでしょうか。地質学的時代区分では、「現在」を終わりとしましたが、「未来代(みらいだい)」という不可逆な時間の流れの先には広がっています。
過去を探る地質学は、その時間遡上能力を、現在から未来に向けることによって、未来を予測する能力身につけていたのです。地質学では「現在は過去の鍵である」という金言がありますが、今や「過去は未来の鍵である」という金言も持つことができるようになっていたのです。
・メールマガジンの表示方法・
このメールマガジンでは、地質学的なことに関する少し踏み込んだ議論をしています。
ですから、少々重たい内容で、文章量も多くなっています。
それによって、本文が読みにくいという指摘が、Takさんから、ありました。
この点は、私も気になって、読点ごとや、句点ごと改行をしてみたのですが、
かえってスクロールがおおくて読みづらくなったりしました。
ちなみに、このLetterは、句点といくつかの読点で改行してます。
もし、印刷して読みたい方がおられると、さらに読みにくくなります。
私の週刊メールマガジン「地球のささやき」でも同様の問題に直面しました。
でも、分量が少ないので、Letterの部分だけを、
細かく改行することで、対応させてもらいました。
Takさん、今回もまだ、解決策はでません。
とりあえず、今回は、メーラーで表示を大きくするか、
コピーアンドペーストでワープロにもっていって、見てください。
あと1ヶ月、私の検討します。
読者の方で、いい見本があれば教えていただきたいのですが・・・・
・常識の人・
前回の「オッカムの剃刀」に対して、
Kabさんから、こんなメールを頂きました。
「ニュートンは、一方で錬金術に凝っていた。
当時の錬金術、今は、化け学と見るべきでしょうね。
このニュートンの両面性は、共通点を持つのか?持たない、と観るほうが面白い。
なぜなら、その後の人が、ニュートンの神秘主義、
不合理性の面を切り捨てたことに問題あり、
と観ることができるから。
しかし、ニュートンは、錬金術にも神の手が働いており、
それを発見できると、信じていた、のでしょう。」
それに対して、私はこう答えました。
「ニュートンの物理学と錬金術は、奇異な感じがするかもしれません。
でも、私には、ニュートンも
その時代の常識に生きていた人に過ぎないと思っています。
ニュートン流の物理学を完成させたは、
彼の才が成せる技であるのでしょう。
でも、彼の成した微積分学は、同時期に、同じことを、
全く別途考えていたバロー、メルカトール、ライプニッツなどがいたわけです。
ニュートンが物理学をつくり上げなくても、
10年後あるいは50年後には、同じような成果を人類はつくり上げてきたはずです。
同じような事例が、キャベンディッシュの場合もありました。
孤高研究者であった彼は、業績を公表せず死んでしまいました。
後年、その重要性の気付いたマックスウェル(?)が、
何年もかかってその業績を発掘したそうです。
その業績の中では、他の科学者が発見する何年も前に、
彼が発見していた法則や原理があったという事実が明らかになってきました。
このようなことから、科学というのは、時流や潮流というものがあって、
ある時期に、ある成果が生まれる、という例証になっています。
それが、その時代の知能の質や運によって、
早いか遅いかの違いがあるだけなのかもしれません。
だから、逆にまったく時流にのらない、
役に立つのか立たないのかもわからないが、
なんとなくすごいような理論や原理を見出すのが本当の意味で、天才かもしれません。いや、時代と隔絶しているので、
そのような評価は生まれず、鬼才、変人になってしまうのかもしれません。
以上のことから、ニュートンは、常識の人であったの思います。
だから、物理学においては業を成したかもしれませんが、
化学では潮流が向いてなかったのでしょう。
当時の化学における常識的な範疇にいたわけです。
そして錬金術は失敗に終わったのす。」
このような時間の流れは、感覚的なもので、客観的なものではありません。物理学的には、厳密な時間の定義があります。かつては、地球の公転速度や自転速度などの平均太陽日を基準にして時間が決められてていました。現在では、物理的な時間間隔の単位「秒」は、1967年10月パリの第13回国際度量衡総会において「秒は、セシウム133の原子の基底状態における2つの超微細準位間の遷移に対する放射の9,192,631,770周期の継続時間とする」と決められています。この基準による時間は、原子時と呼ばれています。太陽や地球の動きでは、現代科学の必要とする精度が、正確に定義できないために、原子時を使うようになったのです。しかし、かつての恒星時における1秒に合わせて、原子時は定義されています。
学問の世界では、時間を自由に操ることがあります。素粒子の世界では、1秒の1000分の1の時間でも、長いとされるのに、宇宙の歴史では、1億年の単位が使われているののです。
時間は、物理的には、自由に切り刻んだり、逆行させたり、止めたり、未来にしたりすることが可能です。しかし、日常的な感覚からすると、時間は一方的に流れて、「現在」を中心とすれば、「過去」と「未来」が厳然として存在します。つまり、不可逆(ふかぎゃく)なのです。不可逆な時間を一番強く感じているのは、地質学という学問かもしれません。
地質学の対象としているものは、過去のもの(昔の岩石、化石など)か、もしくは現在進行中の現象(火山、地震、プレート移動)です。地質学の時代区分では、一番古い時代を、冥王代(めいおうだい)(45.6~38億年前)、太古代(たいこだい)(38~25億年前)、原生代(げんせいだい)(25~5.8億年前)、顕生代(けんせいだい)(5.8億年前~現在)となります。それぞれの時代は細分されており、顕生代は古生代(こせいだい)(5.8~2.4億年前)、中生代(ちゅうせいだい)(2.4億~6500万年前)、新生代(しんせいだい)(6500万年前~現在)となり、新生代はさらに第三紀(だいさんき)(6500~164万年前)と第四紀(だいよんき)(164万年前~現在)に、第四紀はさらに更新世(こうしんせ)(164~1万年前)と完新世(かんしんせ)(1万年前~現在)となっています。
過去のものは、時代が古くなるほど、不明瞭となります。つまり、地質学的時代区分の単元の期間が、過去になるほど長くなっていきます。これは、時間を遡ぼるための私たちの能力が足りないのかもしれません。あるいは、時代を遡るほど地質学的記録が消えていくのかもしれません。いずれの場合にしても、私たちの過去を読み取る能力が向上すれば、過去がよりよく読み取れるはずです。でも、古いものほど読み取り誤差が大きくなっていくという原則は崩れそうにありません。
地質学においては、時間は不可逆に流れ、「現在」が常に原点となっています。だから、過去は時間が遡るほど、情報量は少なくなっていきます。
不可逆な時間とは、一度限りの再現不能な「流れ」を意味します。川が海へのそそぐ場所(河口)を「現在」としましょう。河口から川を見たとき、下流付近はよく見えます。中流は遠くにかすかに見えます。上流は山が見えますが、流れは見えません。時間の流れとはそんなものです。そして、地質学的証拠、あるいは素材とは、河口付近に転がっている石ころなのです。「上流のどこか」としか分からない石ころから、上流を想像するしかないのです。地質学では、物理学のように川を遡行することはできないのです。河口(現在)から動くことができないのです。上流を遠目に眺めるしかないのです。
地質学では、石ころの時間記録を読み取り、過去を「見てきたように語る」しかないのです。地質学者とは、1つの石ころから、10の情報を引き出し、想像力で100の物語としていく人達なのかもしれません。その物語が、説得力があるかどうかは、1から10までは技術力で達成できますが、10から100へは研究者の個人の能力である想像力なのです。
しかし、技術や個人の能力では、いかんともし難い部分があります。それは、1つの石ころを見つけることです。いくら探しても、最上流の石ころは、河口付近にはもともと1個しかないかもしれません。そして、その1個を発見できるかどうかは、偶然の賜物なのです。
地質学とは、時間を遡ることをその手法としています。ですから、地質学者は近未来を語ることは、苦手としても、遥か彼方の未来を語る力は、一番かもしれません。1000万年や1億年の単位での地球の未来図を、証拠をもって語れるのは、地質学者だけなのかもしれません。例えば、プレートテクトニクスの知識を使えば、現在のプレート移動の速度から、1000万年後や1億年後の大陸の配置を推定することができます。また、プルームテクトニクスの知識を使えば、1億年後や2億年後にその大陸が裂け、海洋ができるかを予測できます。
素晴らしい能力ではないでしょうか。地質学的時代区分では、「現在」を終わりとしましたが、「未来代(みらいだい)」という不可逆な時間の流れの先には広がっています。
過去を探る地質学は、その時間遡上能力を、現在から未来に向けることによって、未来を予測する能力身につけていたのです。地質学では「現在は過去の鍵である」という金言がありますが、今や「過去は未来の鍵である」という金言も持つことができるようになっていたのです。
・メールマガジンの表示方法・
このメールマガジンでは、地質学的なことに関する少し踏み込んだ議論をしています。
ですから、少々重たい内容で、文章量も多くなっています。
それによって、本文が読みにくいという指摘が、Takさんから、ありました。
この点は、私も気になって、読点ごとや、句点ごと改行をしてみたのですが、
かえってスクロールがおおくて読みづらくなったりしました。
ちなみに、このLetterは、句点といくつかの読点で改行してます。
もし、印刷して読みたい方がおられると、さらに読みにくくなります。
私の週刊メールマガジン「地球のささやき」でも同様の問題に直面しました。
でも、分量が少ないので、Letterの部分だけを、
細かく改行することで、対応させてもらいました。
Takさん、今回もまだ、解決策はでません。
とりあえず、今回は、メーラーで表示を大きくするか、
コピーアンドペーストでワープロにもっていって、見てください。
あと1ヶ月、私の検討します。
読者の方で、いい見本があれば教えていただきたいのですが・・・・
・常識の人・
前回の「オッカムの剃刀」に対して、
Kabさんから、こんなメールを頂きました。
「ニュートンは、一方で錬金術に凝っていた。
当時の錬金術、今は、化け学と見るべきでしょうね。
このニュートンの両面性は、共通点を持つのか?持たない、と観るほうが面白い。
なぜなら、その後の人が、ニュートンの神秘主義、
不合理性の面を切り捨てたことに問題あり、
と観ることができるから。
しかし、ニュートンは、錬金術にも神の手が働いており、
それを発見できると、信じていた、のでしょう。」
それに対して、私はこう答えました。
「ニュートンの物理学と錬金術は、奇異な感じがするかもしれません。
でも、私には、ニュートンも
その時代の常識に生きていた人に過ぎないと思っています。
ニュートン流の物理学を完成させたは、
彼の才が成せる技であるのでしょう。
でも、彼の成した微積分学は、同時期に、同じことを、
全く別途考えていたバロー、メルカトール、ライプニッツなどがいたわけです。
ニュートンが物理学をつくり上げなくても、
10年後あるいは50年後には、同じような成果を人類はつくり上げてきたはずです。
同じような事例が、キャベンディッシュの場合もありました。
孤高研究者であった彼は、業績を公表せず死んでしまいました。
後年、その重要性の気付いたマックスウェル(?)が、
何年もかかってその業績を発掘したそうです。
その業績の中では、他の科学者が発見する何年も前に、
彼が発見していた法則や原理があったという事実が明らかになってきました。
このようなことから、科学というのは、時流や潮流というものがあって、
ある時期に、ある成果が生まれる、という例証になっています。
それが、その時代の知能の質や運によって、
早いか遅いかの違いがあるだけなのかもしれません。
だから、逆にまったく時流にのらない、
役に立つのか立たないのかもわからないが、
なんとなくすごいような理論や原理を見出すのが本当の意味で、天才かもしれません。いや、時代と隔絶しているので、
そのような評価は生まれず、鬼才、変人になってしまうのかもしれません。
以上のことから、ニュートンは、常識の人であったの思います。
だから、物理学においては業を成したかもしれませんが、
化学では潮流が向いてなかったのでしょう。
当時の化学における常識的な範疇にいたわけです。
そして錬金術は失敗に終わったのす。」
登録:
投稿 (Atom)