仕事には、rice work、like work、life workの3つの側面があります。この3つをどう共存させるか、働く人の気持ちがもっとも重要です。畢生の仕事が天職になればいいのですが。
ライフ・ワーク(life work)という言葉は、よく聞き、よく使う言葉です。「一生をかけてする仕事」とか、「畢生(ひっせい)の仕事」とも訳されることがあります。life workは、若い頃はあまり気にしない言葉ですが、仕事を退職するころ、あるいは人生の終わりが近づいてきたころ、ふと頭に浮かぶ言葉ではないでしょうか。life workは、自身の人生でもっとも長く継続している仕事になるはずです。もし、点々と職場や職業を変えていたとしても、自身の中で目指しているものが統一されていれば、職歴を通じて全体がlife workとなるでしょう。
ライス・ワーク(rice work)は、以前誰かが使われているのを聞いたことがありますが、聞き慣れない言葉かと思います。「ご飯を食べるための仕事」、「飯のタネ」とも訳すことができそうです。誰でも、食うためには、働らかなくてはなりません。食うための仕事のことを意味します。
ライク・ワーク(like work)は、特別な言葉ではなく、ごく普通の言葉です。文字通り「好きな仕事」のことです。今回は、この3つのrice work、like work、life workについて考えていきます。
現在では、ブラック企業が問題となっています。勤務時間を大幅に超えて長く働くこと、正当な賃金が支払われないなど、大学でも学生に注意を喚起しています。大学という職場自体でも、ブラックにならないように注意喚起がなされています。多く人が経験していることでしょうが、好きなことであれば、何時間でもそれを続けていきます。大人も子どもも関係なく、時間を忘れて集中していきます。ところが、同じような仕事であっても、riceのための仕事と考えると、辛い仕事、早く終わりたい時間となります。それが長時間労働や残業手当がつかないとなると、ブラックな仕事となります。
例えば、会社の創業時は、多分超過勤務当たり前、残業費ゼロ当たり前のブラックな働き方をすべての社員がしているのではないでしょうか。でも、それはriceよりlikeが勝っていて、会社を成り立たせつために使命感や熱意をもっていたので、本人も会社も、その仕事をブラックに思わなかったのでしょう。その会社が大きくなり、riceのための人が加わると、likeだけの体質は変えなければなりません。それが社会や会社の運営で、あり方なのでしょう。もちろん、会社としてブラックな仕事や働き方は問題ですし、改善すべきでしょう。2つの例を示しましたが、同じ仕事でも、自分自身がどう思うか、気持ち次第で全く違った面がみえます。
life work、rice work、like workと並べて、これらすべてのworkが一致していることが、理想なのでしょう。そのような仕事をもっている人は稀でしょう。「天職」という言葉があります。「天から命ぜられた職」や「神聖な職務」などの意味もありますが、「生まれながらの性質に合った職業」という意味もあります。このエッセイでは、「生まれながらの性質に合った職業」という意味で使います。天職は他人が判断することもあるでしょうが、自分自身がこれが天職と思えるかどうかを考えていきましょう。先程の例のように、考え方を変えることで、3つのworkを一致させ、天職を得ることは可能なような気がします。
天職をはじめから持っている人はいません。実際に職業についたとき、それが生まれながらに、自分に合っているとわかる仕事などはないと思います。
例えば、小学校の先生や保育士になりと思い、資格を取るために大学や短大などで勉強をしていきます。基礎や専門について学び、実習もしていくことになり、大変なことも辛いこともあります。一般の職業でも、はじめて会社に入って仕事をはじめる時、新人として研修や訓練を受け、配属が決まっても先輩について、そのポジションですべきことを少しずつ習って覚えていくはずです。そんな訓練を経て仕事を身につけていくことになります。つまり、天職は最初からアプリオリにあるのではなく、実際にその仕事について、ある程度経験してみてはじめて天職と思えることになるはずです。
天職と思える期間、時間はどうでしょうか。仕事はすべて技術や手順が必要なので、最初から一人前になることはないはずです。仕事は複雑なところがあったり、ある程度の技能が必要なものには、人にとっては向き不向きが生じるかもしれません。、向いている人が1年で習熟することでも、向いていないとしても3年、5年と続けれていけば、上手にはできなくとも、失敗しない程度の技術や技能が身につくのではないでしょうか。長く続ければ、多くの人が一人前になれるかと思います。長く続ける忍耐は、その仕事へのlikeな気持ちがないとできないでしょう。仕事に向いた能力や才能があったとしても、likeでないと長続きができませんし、それがriceにならなければ、一生の仕事にはなりません。
多くの人は、まずはriceのために職につくはずです。もちろんそれがlikeな職でありたいと多くの人が思っているでしょう。今の時代、最初からlikeな仕事がriceになるのは、一部の人だけかもしれません。でも、多く人が現在の職をlikeと思わず、riceのためでだけと思って就いているのでしょうか。大変さの中にもlikeを見出し、大変さ、辛さとどこかで折り合いをつけていると思います。そして、長年その職業についていると、どんなに大変であっても、どんなに辛いものであっても、そこにはriceだけでなく、likeを見出しているのではないでしょうか。長い職業経験を経てriceとlikeが、混沌となり一致した状態になったとき、life work、畢生の仕事となり、天職と思えるのではないでしょうか。
つまり、天職と思えるかどうかは、自身の気持ちしだいということになります。天職にするには、それなりの努力も時間も必要ですが、riceを確保でき、嫌いではなく、普通よりややlikeの仕事がスタートなのでしょう。あとはその仕事を続けることで、likeが多くなってくればlife work、畢生の仕事にできるのではないでしょうか。それが天職への道かもしれません。
私は今の研究を進めながら、それを集大成することがlike workになっています。若い人たち(学生)を少しでも自身をもって社会に送り出せることをrice workにしています。大学教員ですから、研究もrice workで、若者を教育することもlike workです。そんな職場で、いく種類かの仕事で、likeとriceが混沌している状態となっています。ですから、現在の私の仕事は、畢生の仕事であり、天職なのでしょうね。
・エルニーニョ・
6月は前半は、いい天気が続いていたのですが、
後半は不順な天候となっていました。
思っていたほど暑くなることはなく、
涼しい6月となりました。
7月は、どうでしょうか。
現在、エルニーニョになっているようなので、
平年とは少々違ってくるのかもしれません。
通常であれば北海道は冷夏になるようなので、
最近はエルニーニョの状態も変化しているようです。
・野外調査・
5月から6月にかけて
前期の野外調査のシーズンになっていました。
主に道内を4回にわたって調査しました。
6月29日から30日が最後となりました。
7月は大学の行事がいろいろあり
週末を利用して出かけることが難しくなります。
次は8月下旬から11月上旬までが
後期の野外調査のシーズンとなります。
毎年いくつもの目的をもってい調査をしているので、
ここの成否はいろいろです。
野外調査にでると、気分転換でき、英気を養える
という捨てがたい大きなメリットがあります。
2019年7月1日月曜日
2019年6月1日土曜日
209 地層の成因:スケーリング則の逆用
思考実験は、非常の有効な道具になります。問題はどう使うかなのですが、うまくいく、いかないがあります。しかし、チャレンジしないことには、はじまりません。さてこの地層の思考実験はうまくいったでしょうか。
地層がでている大きな露頭があるとします。その地層の成因を考えるという思考実験をしましょう。
地層とは層が繰り返しているものです。ですから地層では、似た層が繰り返されていること、層の構成物が土砂で似ていること、層内の土砂は粗いものから細かいものへという変化が似ていること、など類似性が目立っているようです。でもよく見ると、類似性だけでなく、層ごとに違った特徴もあることがわかります。層の厚さ、色合い、構成物の種類やその量比も、層によって違っています。地層には、層ごとに個性や特異性があることもわかります。地層の成因を考える時、このような類似性と特異性のできかたも説明できなければなりません。
まず、類似性を考えていきましょう。類似性としては、構成物が土砂であることが一番の特徴で、そして本質的に見えます。構成物は、地層をつくる素材であり、素材が成因の重要な要素となります。土砂がたまっているのは、砂漠や砂丘、水底です。砂漠や砂丘では岩や砂だけで、土はなさそうですし、繰り返し層をつくっているとは思えません。では、水底とすると、水の流れる川沿いの河原や河口、海底が思い浮かびます。私たちは、川が土砂を山から運んでいることを、体験から知っています。ただし、河原や河口は、広く層を成すような、そして何度も繰り返えし層をなすような場所ではありません。
ですから、河口のさらに先の海の底、見えにくいところが候補になりそうです。では河口付近の海で繰り返し土砂がたまるようなことはあるでのしょうか。日常的な場面では、そんな状況は考えられません。でも、数10年、数100年に一度しかないでしょうが、大洪水が起これば、川沿いや河口付近の土砂を一気に大量に海底に流していくことができます。一度の大洪水で、河口周辺の海の広い範囲に土砂がたまりそうです。大洪水が起これば、一層の地層をつくることができそうです。
さて、ここまでひとつの地層をつくための想像、推量でしたが、そこにはいくつか重要な考え方が含まれていました。
洪水は同じ場所では稀なことですが、広く見ていくと、河川の氾濫や大洪水は日本だけでも、毎年何件もニュースになります。そのうち大規模な災害をもたらすものも、数年に一度はくらいはあります。ひとつの地域では稀な現象であっても、日本から地球全体にまで広げると、当たり前の現象となります。つまり、現在の地球では、洪水による土砂の海底への堆積は、頻繁に起こる当たり前の現象と考えてよさそうです。
ここでの考え方は、局所的には稀なことでも、面積を広げ、広域で見ると当たり前のことになることを意味しています。統計的に扱う集団が小さければ稀な事象だったとしても、扱う集団を大きくすると、稀な現象とは言えなくなるということを意味します。空間におけるスケーリング則を逆用したものと見なせそうです。
スケーリング則とは、ある条件で法則が成り立っている場合、その条件が大きく異なった場合でも正しいものとみなせそうだということです。逆に条件を限定すると、スケールの小さいものは頻繁に起こり、大きなものは稀にしか起こらないということです。当たり前のことが1年に一度だとすると、とんでもないことは100年に一度の頻度となります。この関係がスケーリング則となります。このスケーリング則を逆用すると、ある地域で稀なことでも、空間を広げることで、稀なことではなく、ありふれたことと見させることになります。
一つの地層が上で述べたようなでき方だったとすると、地層は繰り返されています。一連の地層は、ひとつの場所(堆積場)でできたものです。ひとつの地域では、大洪水は稀な現象ですが、それが繰り返されることになります。時間の間隔を長く取ることで、このような稀な現象を、当たり前の現象にできます。地質学的な時間、地球史的な時間で見ると、河川があれば、大洪水は繰り返されると考えることができます。そう考えれば、地層の繰り返しが説明できます。これは、時間におけるスケーリング則の逆用となります。
人の視野や時間スケールで見ているために、大洪水という現象は稀に見えたのです。空間や時間のスケールを広げることで、稀ではなく、当たり前になるということです。
さらに重要なことがあります、層の厚さや色合い、構成物の種類、量比などの地層内の差異や多様性も、同じメカニズムで説明できます。洪水でもたらされる土砂は、河川の河岸や河口に堆積していたもので、すべて河川の侵食、運搬、堆積作用によるものなので、その構成物の種類に違いや量比などは、一定しているわけではありません。土砂の種類や量比には、多様性が生じる必然性が自然にはあります。また、土砂が堆積する場でも、洪水でどこに、どの程度たまるかは、洪水しだいで変化します。仮に同じような土砂が、同じような規模の洪水があっても、土砂が流れる流路やたまる場所が異なれば、海底の定点でみると、土砂の成分や構成比、量に違いが生じることになります。定点で見るという意味は、露頭では断面を見ているということは、堆積場の垂直断面ですから、堆積場のある地点をみていることになります。洪水によって堆積するという機構自体に、多様性が形成されるメカニズムが組み込まれていることになります。
このような成因であれば、地層に見られる類似性と相違性の説明できます。実際の地層の成因はどうかは、地質学の科学的検証になりますので、思考実験では、ここまでです。
この多様性と類似性の成因を客観的にみると、さらに別のものが見えてきます。多様性と類似性が地層にどう反映されるでしょうか。もし多様性が強ければ、層ごとの個性が強くででることになるはずです。例えば、層の厚さの変化、構成物の多様さ、量比の変化などが大きく変わってくるでしょう。上記の成因でいえば、土砂の供給量にバラツキがある、海底での土砂の流路の変化が激しい、などの原因が考えられます。このような疑問は、同じ地層を広域でみていけば、答えが出るはずです。
もし類似性が強い地層であれば、安定した土砂の供給地(後背地といます)があり、安定した河川の堆積、安定した海底での土砂の流路があったことになります。類似性はすべて安定性の反映となります。ただし、この安定性が本物かどうかは、やはり広域に同じ地層を追いかけることで明らかになります。
もし地層の差異と類似性が数値化できたとすれば、後背地の安定性や流路の安定性などを定量化できるかもしれません。現実は、なかなか難しいと思いますが。
ここで用いた考え方は、スケーリング則でした。ただし、今回の思考実験では、スケーリング則を時間や空間を何階層にもわたってみています。地層の構成要素はmmスケール、層の厚さはcmスケール、地層の繰り返しはmスケール、地層の広がりや対比、堆積場や河川は数10kmスケール、さらには地球スケールまで空間スケールは階層化していました。また時間スケールでは、洪水現象や堆積物の沈降の期間は日のスケール、洪水の頻度は数100年のスケール、露頭の地層の形成は数100万年スケールという時間スケールを階層化していました。だたし時間スケールの階層化は過去へしか伸びません。ただし、億年前というスケールまで非常に広い階層への適用は可能です。
さらに多様性と類似性という普遍的概念にも、スケーリング則をメタ的に適用しました。広く階層の違った要素に対して、多階層への多重的にスケーリング則を利用していたことになります。
さてさて、こんな思考実験はいかがでしたでしょうか。最後の考え方も多階層的でしたね。
・初夏の訪れ・
北海道では着実に季節がめぐり、
初夏になってきました。
快適な季節です。
今年は快晴の日々が多いので、
快適さが一段と際立っています。
たし、春は特に天候不順で、
寒い日と暖かい日の気温の変動が激しかったです。
初夏は安定しているようです。
このまま夏になればいいのですが、
どうなるでしょうか。
・道内調査・
5月から6月にかけては、
道内の野外調査を何度か計画しています。
昨年に続いて2年目の道内調査です。
すでに道北へ2度でかけました。
6月は道東と道央を考えています。
7月は校務がいろいろ詰まっているので
調査にでることはできません。
9月上旬は山陰で、それ以降は、
再度の道内の調査を予定しています。
どこにいくかは、調査の結果、次第です。
地層がでている大きな露頭があるとします。その地層の成因を考えるという思考実験をしましょう。
地層とは層が繰り返しているものです。ですから地層では、似た層が繰り返されていること、層の構成物が土砂で似ていること、層内の土砂は粗いものから細かいものへという変化が似ていること、など類似性が目立っているようです。でもよく見ると、類似性だけでなく、層ごとに違った特徴もあることがわかります。層の厚さ、色合い、構成物の種類やその量比も、層によって違っています。地層には、層ごとに個性や特異性があることもわかります。地層の成因を考える時、このような類似性と特異性のできかたも説明できなければなりません。
まず、類似性を考えていきましょう。類似性としては、構成物が土砂であることが一番の特徴で、そして本質的に見えます。構成物は、地層をつくる素材であり、素材が成因の重要な要素となります。土砂がたまっているのは、砂漠や砂丘、水底です。砂漠や砂丘では岩や砂だけで、土はなさそうですし、繰り返し層をつくっているとは思えません。では、水底とすると、水の流れる川沿いの河原や河口、海底が思い浮かびます。私たちは、川が土砂を山から運んでいることを、体験から知っています。ただし、河原や河口は、広く層を成すような、そして何度も繰り返えし層をなすような場所ではありません。
ですから、河口のさらに先の海の底、見えにくいところが候補になりそうです。では河口付近の海で繰り返し土砂がたまるようなことはあるでのしょうか。日常的な場面では、そんな状況は考えられません。でも、数10年、数100年に一度しかないでしょうが、大洪水が起これば、川沿いや河口付近の土砂を一気に大量に海底に流していくことができます。一度の大洪水で、河口周辺の海の広い範囲に土砂がたまりそうです。大洪水が起これば、一層の地層をつくることができそうです。
さて、ここまでひとつの地層をつくための想像、推量でしたが、そこにはいくつか重要な考え方が含まれていました。
洪水は同じ場所では稀なことですが、広く見ていくと、河川の氾濫や大洪水は日本だけでも、毎年何件もニュースになります。そのうち大規模な災害をもたらすものも、数年に一度はくらいはあります。ひとつの地域では稀な現象であっても、日本から地球全体にまで広げると、当たり前の現象となります。つまり、現在の地球では、洪水による土砂の海底への堆積は、頻繁に起こる当たり前の現象と考えてよさそうです。
ここでの考え方は、局所的には稀なことでも、面積を広げ、広域で見ると当たり前のことになることを意味しています。統計的に扱う集団が小さければ稀な事象だったとしても、扱う集団を大きくすると、稀な現象とは言えなくなるということを意味します。空間におけるスケーリング則を逆用したものと見なせそうです。
スケーリング則とは、ある条件で法則が成り立っている場合、その条件が大きく異なった場合でも正しいものとみなせそうだということです。逆に条件を限定すると、スケールの小さいものは頻繁に起こり、大きなものは稀にしか起こらないということです。当たり前のことが1年に一度だとすると、とんでもないことは100年に一度の頻度となります。この関係がスケーリング則となります。このスケーリング則を逆用すると、ある地域で稀なことでも、空間を広げることで、稀なことではなく、ありふれたことと見させることになります。
一つの地層が上で述べたようなでき方だったとすると、地層は繰り返されています。一連の地層は、ひとつの場所(堆積場)でできたものです。ひとつの地域では、大洪水は稀な現象ですが、それが繰り返されることになります。時間の間隔を長く取ることで、このような稀な現象を、当たり前の現象にできます。地質学的な時間、地球史的な時間で見ると、河川があれば、大洪水は繰り返されると考えることができます。そう考えれば、地層の繰り返しが説明できます。これは、時間におけるスケーリング則の逆用となります。
人の視野や時間スケールで見ているために、大洪水という現象は稀に見えたのです。空間や時間のスケールを広げることで、稀ではなく、当たり前になるということです。
さらに重要なことがあります、層の厚さや色合い、構成物の種類、量比などの地層内の差異や多様性も、同じメカニズムで説明できます。洪水でもたらされる土砂は、河川の河岸や河口に堆積していたもので、すべて河川の侵食、運搬、堆積作用によるものなので、その構成物の種類に違いや量比などは、一定しているわけではありません。土砂の種類や量比には、多様性が生じる必然性が自然にはあります。また、土砂が堆積する場でも、洪水でどこに、どの程度たまるかは、洪水しだいで変化します。仮に同じような土砂が、同じような規模の洪水があっても、土砂が流れる流路やたまる場所が異なれば、海底の定点でみると、土砂の成分や構成比、量に違いが生じることになります。定点で見るという意味は、露頭では断面を見ているということは、堆積場の垂直断面ですから、堆積場のある地点をみていることになります。洪水によって堆積するという機構自体に、多様性が形成されるメカニズムが組み込まれていることになります。
このような成因であれば、地層に見られる類似性と相違性の説明できます。実際の地層の成因はどうかは、地質学の科学的検証になりますので、思考実験では、ここまでです。
この多様性と類似性の成因を客観的にみると、さらに別のものが見えてきます。多様性と類似性が地層にどう反映されるでしょうか。もし多様性が強ければ、層ごとの個性が強くででることになるはずです。例えば、層の厚さの変化、構成物の多様さ、量比の変化などが大きく変わってくるでしょう。上記の成因でいえば、土砂の供給量にバラツキがある、海底での土砂の流路の変化が激しい、などの原因が考えられます。このような疑問は、同じ地層を広域でみていけば、答えが出るはずです。
もし類似性が強い地層であれば、安定した土砂の供給地(後背地といます)があり、安定した河川の堆積、安定した海底での土砂の流路があったことになります。類似性はすべて安定性の反映となります。ただし、この安定性が本物かどうかは、やはり広域に同じ地層を追いかけることで明らかになります。
もし地層の差異と類似性が数値化できたとすれば、後背地の安定性や流路の安定性などを定量化できるかもしれません。現実は、なかなか難しいと思いますが。
ここで用いた考え方は、スケーリング則でした。ただし、今回の思考実験では、スケーリング則を時間や空間を何階層にもわたってみています。地層の構成要素はmmスケール、層の厚さはcmスケール、地層の繰り返しはmスケール、地層の広がりや対比、堆積場や河川は数10kmスケール、さらには地球スケールまで空間スケールは階層化していました。また時間スケールでは、洪水現象や堆積物の沈降の期間は日のスケール、洪水の頻度は数100年のスケール、露頭の地層の形成は数100万年スケールという時間スケールを階層化していました。だたし時間スケールの階層化は過去へしか伸びません。ただし、億年前というスケールまで非常に広い階層への適用は可能です。
さらに多様性と類似性という普遍的概念にも、スケーリング則をメタ的に適用しました。広く階層の違った要素に対して、多階層への多重的にスケーリング則を利用していたことになります。
さてさて、こんな思考実験はいかがでしたでしょうか。最後の考え方も多階層的でしたね。
・初夏の訪れ・
北海道では着実に季節がめぐり、
初夏になってきました。
快適な季節です。
今年は快晴の日々が多いので、
快適さが一段と際立っています。
たし、春は特に天候不順で、
寒い日と暖かい日の気温の変動が激しかったです。
初夏は安定しているようです。
このまま夏になればいいのですが、
どうなるでしょうか。
・道内調査・
5月から6月にかけては、
道内の野外調査を何度か計画しています。
昨年に続いて2年目の道内調査です。
すでに道北へ2度でかけました。
6月は道東と道央を考えています。
7月は校務がいろいろ詰まっているので
調査にでることはできません。
9月上旬は山陰で、それ以降は、
再度の道内の調査を予定しています。
どこにいくかは、調査の結果、次第です。
2019年5月1日水曜日
208 忘筌:しがらみが令和を区切る
時間は、区切りがなく連続的なものです。そこに区切りをつけるのは、天文学であれば客観的に決まります。人が時間を区切る時、そこには常に忘筌があるようでしょう。
禅に忘筌(ぼうせん)という言葉があります。忘筌は、中国の「荘子」の「外物篇(がいぶつへん)」からとられたものです。
筌者所以在魚、得魚而忘筌
(筌(せん)は魚(うお)に在る所以(ゆえん)なるも、魚を得て筌を忘る)
という文章からです。ここで筌とは、細くけずった竹で編んだ魚をとるための道具です。ロート状になった口があり、返しなどをつけることで、入った魚が出れなくなるような形をしています。現在でも利用されている道具です。「せん」あるいは「うけ」と読まれることがあります。
その意味は、魚りを取りにいったので、魚は持って帰るのですが、道具である筌を忘れているという意味です。最後の「得魚忘筌(とくぎょぼうせん)」という四字熟語にもなっています。
荘子には、続く文章があります。
蹄者所以在兎、得兔而忘蹄
(蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る所以なるも、兎を得て蹄を忘る)
ここの「蹄」は、ウサギを生け捕りにするための道具です。意味は、ウサギをとって帰るのですが、蹄を忘れるということです。忘筌と同じことを言っています。さらに重ねて、
言者所以在意、得意而忘言
(言(げん)は意に在る所以なるも、意を得て言を忘る)
言とは言葉や文章のことで、それは意を表すため手段、道具なのですが、言を忘れるということです。
同じ比喩が3つも続いています。この忘筌は、道具である筌を忘れるな、という戒めと解釈することあるようですが、本来は反対の意味のようです。それは、続く文章からわかります。
吾安得夫忘言之人、而與之言哉
(吾、安(いず)くにか夫(か)の忘言(ぼうげん)の人を得て、之と与(とも)の言わむや)
と続きます。どうにかして忘言の人と共に、語り合いたいものだ、という意味の文章です。これが続くので、目的を重視して、手段を忘れるほど、意識しないほどになれという意味になるようです。
もともと目的(魚や兎、意)が重要だったはずなので、道具や手段(筌や蹄、言)は必要なのですが、手段にこだわるな。手段にかまけて、目的を忘れてはいけないという意味になるようです。ついつい、道具や手段が多様で工夫が必要なので、そこにこだわってしまうことがあります。しかし、重要なのは目的であって、手段にだけとらわれてはいけないということです。手段より目的が重要だという、戒めの言葉になります。
さて、話題はまったく変わります。時間の流れについてです。
時間の流れは、連続的で切れ目はありません。多くの人は、時間が連続していることは、理解しているはずです。ところが、デジタル時計を見ていると、秒針や分針の刻み、あるいは表示の数字の変化を見ていると、時間はついついてデジタルのように区切りをもって進んでいくように見えてしまいます。しかし、時間は連続していて、そこには区切りなどありません。時間は、必要に応じて、人が区切っているにすぎないのです。
時間の区切りとして、もっとも身近なものは、日付の変わり目です。現在の日付は、ある日の太陽の南中から次の日の南中までのちょうと中間を、24時、あるいは0時として、日付の区切りとしています。このような決め方は、南中を正午12時とすれば、その12時間後なので、地球のどこでも、天文学的に正確に日を区切ることができます。これは、非常に客観性があり、人為的であっても、よい区切りだと思います。
では、1年のはじまりの日、つまり1月1日は、客観的に決められているのでしょうか。現在の暦は、グレゴリオ暦というもので、その起源は古代ローマ教皇グレゴリウス13世が復活祭の季節を一定の範囲にするために、ある時から用いられるようになったの起こりだそうです。現在の暦は、グレゴリオ暦によって決め、世界的に統一され、同じものを用いています。暦の規則に従って時間(閏(うるう)秒)や日にち(閏日)などを導入していますので、世界で統一された月、日、時刻が決まっています。
年の区切りを天文学的に考えるのであれば、冬至や夏至、秋分や春分など、客観性のある時刻に、はじまりの日を置くべきでしょう。しかし、1月1日は、天文学的に決められたものではなく、人の都合によって決められてきました。時間は、どうも昔から、ある時代の一部の人たちの都合によって区切られてきたようです。
年の区切りが人の都合ですから、時代の境目も、もちろん人が決めています。何年何月何日から、ある時代がはじまるということになります。昔の中国や日本の元号と呼ばれるものは、権力者や政治家が、自分たちの都合によって決めてきました。
元号といえば、「令和」という新元号が、今日からスタートします。世間(多数のメディア?)では、大騒ぎになっていることでしょう。4月1日の元号の名称の発表の時にも、世間は大騒ぎをしました。
しかし、元号を変えること(改元)には、賛否両論があります。
賛成の意見として、日本古来の伝統を守り、新しい天皇の時代になったことを祝う、時代を語るのに便利などなど、いろいろとあります。特に今回の元号は、古典文学の万葉集からとったということで、日本の伝統を重んじる方針が示されました。
一方、反対の意見としては、官公庁では改元のために書類のすべて修正が必要になり大変な手間だったり、年代や期間を計算するのに一度西暦変更して計算する面倒があったりなど、いろいろな理由があります。
元号の存在も改元について、賛成論者の意見は否定はしませんが、年代を計算するときは、西暦が便利なので否定論者の意見も理解できます。また、元号にはそれぞれの時代感覚が、人それぞれにできているので、心の問題としてあっていいかとも思います。
例えば、平成と昭和を生きてきた日本人が多いので、元号と生活が強く結びついていますので、同時代人に共通の生活感、経験、記憶などが生まれます。次の令和になれば、新たな経験が生まれ、時代共通のイメージができてくることになるはずです。
今生きている人の多くは生まれていなかった戦前や昭和初期、大正などの時代でも、身近な親族にその時代を生きた人がいれば、自身に経験がなくても親近感もわき、元号のイメージが形成されることもあるでしょう。しかし、日清日露の戦争のあった時期くらいになると、近い時代ですが、面識のない祖先が生きた時代になり、元号の感覚や実感は全くありません。明治初期や江戸時代の元号は、教科書などから作られたイメージになっていきます。
元号とその年号は、人が過去を振り返るときに、記録の呼び起こしの装置として便利です。特に改元の時期などは、その記憶を思い起こさせる情報を、メディアは一杯流しています。それも記憶を新たにするきっかけになのでしょう。
元号に対する私の意見や、一般の改元に関する是々非々もさておき、改元は何のためであったのかを、考えていくべきではないでしょうか。過去には、元号はいろいろな政治や権力の都合で決められてきたのですが、現在では1979年(昭和54年)に成立した「元号法」によって決まっています。ですから民主的に、つまり万人のために決められた法律となります。
ところが、この法律の成立にも、詳細ははぶきますが、多分に人の都合によって決められているようです。幸いなことに、暦も1月1日の年のはじまりは、今では、客観的に「しがらみ」にとらわれることなく決まってきます。元号もそうであることを願いたいのですのが、元号の決定も、人の都合によっているようです。
今回の改元、元号の名称の決定に至るまでの経緯をみても、一部の人によって決められてきました。改元が法律という約束事として決まっているのであれば、それに従えばいいのですが、一見民主的に見せようとしていますが、明らかに一部の人たちで決められていきました。一部の人たちが、新たな元号を導入すること、名称を決めることなど、元号をなにかに利用しているように見えてしまいます。
もし元号という時代の区切りを決めるのであれば、そして日本の固有の伝統というのであるのなら、多くの人のため(目的)であるべきでしょう。多くの人のためが「目的」であるのなら、一部の人のしらがみ、政治の道具、駆け引きの手段にするのは、「忘筌」になるのではないでしょうか。
改元の騒ぎの中に、忘筌を見ました。
・休日と研究・
発行日の5月1日は、ゴールデンウィークのま只中です。
このエッセイは、予約送信しています。
夫婦で4泊5日間、北海道の田舎に滞在しています。
ゴールデンウィークの半分を休日にしました。
北海道の田舎の春を満喫しようと考えています。
後半は通常の研究にもどろうと思っています。
長い休みの期間は、研究に最適です。
半分休日で、半分研究のような生活になります。
ですから、このエッセイの配信されるころは、
旅先から自宅へ向かう日になっています。
天気がよければいいのですが。
・5月病・
今年のゴールデンウィークは
大学もカレンダー通りに休日になります。
そのため10日間という長い期間になります。
こんなに休みが長いと、
例年より新入学の大学生が
「5月病」に陥る危険性が増えます。
大学でも、事前に学生に案内を出したり、
5月講義再開の時に対策を
アナウンスをしているのですが、どうなるでしょうか。
少々心配ですが、見守っていくしかありません。
禅に忘筌(ぼうせん)という言葉があります。忘筌は、中国の「荘子」の「外物篇(がいぶつへん)」からとられたものです。
筌者所以在魚、得魚而忘筌
(筌(せん)は魚(うお)に在る所以(ゆえん)なるも、魚を得て筌を忘る)
という文章からです。ここで筌とは、細くけずった竹で編んだ魚をとるための道具です。ロート状になった口があり、返しなどをつけることで、入った魚が出れなくなるような形をしています。現在でも利用されている道具です。「せん」あるいは「うけ」と読まれることがあります。
その意味は、魚りを取りにいったので、魚は持って帰るのですが、道具である筌を忘れているという意味です。最後の「得魚忘筌(とくぎょぼうせん)」という四字熟語にもなっています。
荘子には、続く文章があります。
蹄者所以在兎、得兔而忘蹄
(蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る所以なるも、兎を得て蹄を忘る)
ここの「蹄」は、ウサギを生け捕りにするための道具です。意味は、ウサギをとって帰るのですが、蹄を忘れるということです。忘筌と同じことを言っています。さらに重ねて、
言者所以在意、得意而忘言
(言(げん)は意に在る所以なるも、意を得て言を忘る)
言とは言葉や文章のことで、それは意を表すため手段、道具なのですが、言を忘れるということです。
同じ比喩が3つも続いています。この忘筌は、道具である筌を忘れるな、という戒めと解釈することあるようですが、本来は反対の意味のようです。それは、続く文章からわかります。
吾安得夫忘言之人、而與之言哉
(吾、安(いず)くにか夫(か)の忘言(ぼうげん)の人を得て、之と与(とも)の言わむや)
と続きます。どうにかして忘言の人と共に、語り合いたいものだ、という意味の文章です。これが続くので、目的を重視して、手段を忘れるほど、意識しないほどになれという意味になるようです。
もともと目的(魚や兎、意)が重要だったはずなので、道具や手段(筌や蹄、言)は必要なのですが、手段にこだわるな。手段にかまけて、目的を忘れてはいけないという意味になるようです。ついつい、道具や手段が多様で工夫が必要なので、そこにこだわってしまうことがあります。しかし、重要なのは目的であって、手段にだけとらわれてはいけないということです。手段より目的が重要だという、戒めの言葉になります。
さて、話題はまったく変わります。時間の流れについてです。
時間の流れは、連続的で切れ目はありません。多くの人は、時間が連続していることは、理解しているはずです。ところが、デジタル時計を見ていると、秒針や分針の刻み、あるいは表示の数字の変化を見ていると、時間はついついてデジタルのように区切りをもって進んでいくように見えてしまいます。しかし、時間は連続していて、そこには区切りなどありません。時間は、必要に応じて、人が区切っているにすぎないのです。
時間の区切りとして、もっとも身近なものは、日付の変わり目です。現在の日付は、ある日の太陽の南中から次の日の南中までのちょうと中間を、24時、あるいは0時として、日付の区切りとしています。このような決め方は、南中を正午12時とすれば、その12時間後なので、地球のどこでも、天文学的に正確に日を区切ることができます。これは、非常に客観性があり、人為的であっても、よい区切りだと思います。
では、1年のはじまりの日、つまり1月1日は、客観的に決められているのでしょうか。現在の暦は、グレゴリオ暦というもので、その起源は古代ローマ教皇グレゴリウス13世が復活祭の季節を一定の範囲にするために、ある時から用いられるようになったの起こりだそうです。現在の暦は、グレゴリオ暦によって決め、世界的に統一され、同じものを用いています。暦の規則に従って時間(閏(うるう)秒)や日にち(閏日)などを導入していますので、世界で統一された月、日、時刻が決まっています。
年の区切りを天文学的に考えるのであれば、冬至や夏至、秋分や春分など、客観性のある時刻に、はじまりの日を置くべきでしょう。しかし、1月1日は、天文学的に決められたものではなく、人の都合によって決められてきました。時間は、どうも昔から、ある時代の一部の人たちの都合によって区切られてきたようです。
年の区切りが人の都合ですから、時代の境目も、もちろん人が決めています。何年何月何日から、ある時代がはじまるということになります。昔の中国や日本の元号と呼ばれるものは、権力者や政治家が、自分たちの都合によって決めてきました。
元号といえば、「令和」という新元号が、今日からスタートします。世間(多数のメディア?)では、大騒ぎになっていることでしょう。4月1日の元号の名称の発表の時にも、世間は大騒ぎをしました。
しかし、元号を変えること(改元)には、賛否両論があります。
賛成の意見として、日本古来の伝統を守り、新しい天皇の時代になったことを祝う、時代を語るのに便利などなど、いろいろとあります。特に今回の元号は、古典文学の万葉集からとったということで、日本の伝統を重んじる方針が示されました。
一方、反対の意見としては、官公庁では改元のために書類のすべて修正が必要になり大変な手間だったり、年代や期間を計算するのに一度西暦変更して計算する面倒があったりなど、いろいろな理由があります。
元号の存在も改元について、賛成論者の意見は否定はしませんが、年代を計算するときは、西暦が便利なので否定論者の意見も理解できます。また、元号にはそれぞれの時代感覚が、人それぞれにできているので、心の問題としてあっていいかとも思います。
例えば、平成と昭和を生きてきた日本人が多いので、元号と生活が強く結びついていますので、同時代人に共通の生活感、経験、記憶などが生まれます。次の令和になれば、新たな経験が生まれ、時代共通のイメージができてくることになるはずです。
今生きている人の多くは生まれていなかった戦前や昭和初期、大正などの時代でも、身近な親族にその時代を生きた人がいれば、自身に経験がなくても親近感もわき、元号のイメージが形成されることもあるでしょう。しかし、日清日露の戦争のあった時期くらいになると、近い時代ですが、面識のない祖先が生きた時代になり、元号の感覚や実感は全くありません。明治初期や江戸時代の元号は、教科書などから作られたイメージになっていきます。
元号とその年号は、人が過去を振り返るときに、記録の呼び起こしの装置として便利です。特に改元の時期などは、その記憶を思い起こさせる情報を、メディアは一杯流しています。それも記憶を新たにするきっかけになのでしょう。
元号に対する私の意見や、一般の改元に関する是々非々もさておき、改元は何のためであったのかを、考えていくべきではないでしょうか。過去には、元号はいろいろな政治や権力の都合で決められてきたのですが、現在では1979年(昭和54年)に成立した「元号法」によって決まっています。ですから民主的に、つまり万人のために決められた法律となります。
ところが、この法律の成立にも、詳細ははぶきますが、多分に人の都合によって決められているようです。幸いなことに、暦も1月1日の年のはじまりは、今では、客観的に「しがらみ」にとらわれることなく決まってきます。元号もそうであることを願いたいのですのが、元号の決定も、人の都合によっているようです。
今回の改元、元号の名称の決定に至るまでの経緯をみても、一部の人によって決められてきました。改元が法律という約束事として決まっているのであれば、それに従えばいいのですが、一見民主的に見せようとしていますが、明らかに一部の人たちで決められていきました。一部の人たちが、新たな元号を導入すること、名称を決めることなど、元号をなにかに利用しているように見えてしまいます。
もし元号という時代の区切りを決めるのであれば、そして日本の固有の伝統というのであるのなら、多くの人のため(目的)であるべきでしょう。多くの人のためが「目的」であるのなら、一部の人のしらがみ、政治の道具、駆け引きの手段にするのは、「忘筌」になるのではないでしょうか。
改元の騒ぎの中に、忘筌を見ました。
・休日と研究・
発行日の5月1日は、ゴールデンウィークのま只中です。
このエッセイは、予約送信しています。
夫婦で4泊5日間、北海道の田舎に滞在しています。
ゴールデンウィークの半分を休日にしました。
北海道の田舎の春を満喫しようと考えています。
後半は通常の研究にもどろうと思っています。
長い休みの期間は、研究に最適です。
半分休日で、半分研究のような生活になります。
ですから、このエッセイの配信されるころは、
旅先から自宅へ向かう日になっています。
天気がよければいいのですが。
・5月病・
今年のゴールデンウィークは
大学もカレンダー通りに休日になります。
そのため10日間という長い期間になります。
こんなに休みが長いと、
例年より新入学の大学生が
「5月病」に陥る危険性が増えます。
大学でも、事前に学生に案内を出したり、
5月講義再開の時に対策を
アナウンスをしているのですが、どうなるでしょうか。
少々心配ですが、見守っていくしかありません。
2019年3月1日金曜日
206 物忌と直毘:心の切り替え
日常生活で、煮詰まる状態が生じることがあります。時間に追われていると、その間で完成度を上げることに最大限の努力をします。時間があれば新たな心になって、再度取り組むと、よりいいものになりそうなのですが。
人生において、生活が大きく変化する機会としては、人生の初期には幼・少・保・中・高・大学への入学と卒業、就職が大きなものでしょうか。成人後は、結婚、出産、転職、退職などがあるでしょう。1度ではなく何度も繰り返される転機もあるでしょう。人生の初期の転換は、ある時期が来たら、好むと好まざるかかわらず、必然的に起こってしまいます。日本中で、一斉にある年齢や階層の人に、その時期が訪れてしまいます。一種の風物詩ともいうべきものにもなります。人生における新天地は、その人の希望をどの程度叶えているかは不明ですが、新たな門出、転機であることには違いありません。3月から4月は、そのような時期でもあります。いずれも受動的です。自身が切り替えたい時に、切り替えることは難しいでしょう。
しかし、成人し社会に出てからの転機は、自身の考え、思い、タイミングで迎えることが可能となるでしょうか。でも、多くの人は、なかなか自身の意思で転換するのは難しいかもしれません。特に会社などの組織に属していると、組織の意思による切り替えはあっても、自身で時期を選ぶことはなかなかできません。
人には自身が望む時期に、切り替えをすることが必要ではないでしょうか。立場や身分などは、自身の都合で変えることは難しいのですが、自身の精神的な切り替えであれば、時期を選ばずに可能ではないでしょうか。一時的に非日常の世界に自身をおくことで、切り替える方法があります。
その方法は、身体も常とは改まった状態、心も異なる状況に置いて非日常の中で過ごします。そのような非日常を受け入れて、一定期間過ごした後、日常の生活に戻れば、精神の切り替えができるというものです。自身の精神世界での行為であれば、時期や場所を選ぶことなく、心を切り替える機会がつくれるはずです。もし心の切り替えができれば、以前見ていたものが、新たな見えかたがするかもしれません。
それに近い状況を、現在、私自身で意図的につくり出しています。最近まで、長い期間に渡って本の執筆をしていました。その間、頭は本のことで一杯になった状態が続きます。一通り素稿ができた時、安堵感とともに、頭の中に本の内容で一杯になった状態で、煮詰まった感じがします。続いて文言の修正や構成の見直しなど、校正作業に入っていくことになります。これまでも同じような状態で、執筆から推敲をしていました。それは、時間が限られていたからです。
実は、執筆からすぐに推敲に入っていくと、頭の切り替えができていないので、なかなか大胆な修正、大規模な変更がしにくい状態になっています。ですから、完成度というより、少修正、誤字脱字などの推敲になっていきます。そんな時、まったく別の仕事を一時することで、頭が切り替えられれば、自分の書いた文章であっても、客観的に眺めることができます。このようなことは、多くの方が経験しているのではないでしょうか。
昔、自分が書いた論文を時間がたってから読み返すと、客観的にみることができます。自身の論文ですから興味深く読めるのですが、文章や書き方に関しては修正が必要だと感じることが多々あります。このような発見ができるのは、時間をおいて、心を切り替えたため客観的な視点が持てるようになったからではないでしょうか。これは、私の独自の方法ではなく、多くの人が同じような経験をしているのではないでしょうか。昔から人は、そのような心の切り替えの方法を、意図的に用いてきました。
例えば、物忌(ものいみ)という昔からの風習があります。神事として、あるいは凶事があったりすると、ある期間、つつしみをもって、身を浄めた生活をすることを物忌といいます。神官だけでなく、今でも市民も同じような物忌を行っています。親族が亡くなったときなど、喪中として賀状のやり取りを遠慮するというのは、この物忌の風習が残っているからでしょう。当事者以外にとっては形式的かもしれませんが、生活や習慣に根付いている物忌は、それなりの効用はあるようです。
物忌の期間を過ぎて、普通の生活にもどることを「なおび」といいます。直毘、あるいは直日と書きます。古くから人は、物忌に入ったあと、直毘として戻ることで、心を切り替え、生活に区切りをつくっていたのでしょう。多分、精神的に大きな変化が起こった時の対処法として、物忌と直毘は用いられるようになってきたのでしょう。
精神的に大きなダメージ、変化があったとき、一旦物忌として心身を非日常に置くことで、心を落ち着かせていきます。現代社会では、1年や数年に渡る物忌はできなくても、数日、数週間、数ヶ月の短い時間であれば、物忌の期間に精神を落ち着かせ、心を切り替えができるはずです。その後、新たな気持ちで直毘で日常にもどることで、意図的にダメージ回復、心の切り替えを行っていたのではないでしょうか。昔からの、いい方法心のリセット方法ではないでしょうか。
直毘は、古事記や日本書紀にも、神の名前として登場しています。古事記では神直毘神(かみなほびのかみ)と大直毘神(おほなほびのかみ)として、日本書紀では神直日神(かみなほひのかみ)と大直日神(おほなほひのかみ)として登場しています。古事記では、黄泉の国で穢れたイザナギが禊(みそぎ)をして生まれた神となっています。直毘は、もともとは神道の考え方のようです。
物忌や直毘は、宗教的な意味合いが濃いものですが、このような精神の切り替えの方法と考えれば、有効な方法に思えます。心や生活を非日常の期間を過ごし、再度もとの日常に戻ってくるという、一種の心の転換方法として使えます。論文の後日読み直すとより客観的に見れるようになったもの、この心の転換を行ってことになっているはずです。理にかなった方法ではないでしょうか。
そのような考えから、先日、書き終わった文章を、一旦寝かすことにしました。2週間ほど別の論文の準備をすることにしました。その間、これまでの論文の整理と今後の方針、そして次の論文の位置付けに1週間、複雑な地質図を作成とソフトの習熟に1週間を費やしました。さらに、1週間ほど帰省も入りました。合わせると、3週間ほど全く別の状態に頭をもっていきました。この期間を物忌とすれば、これからいよいよ以前の文章の作成が直毘として、日常に戻ることになります。
さてさて、本当に心のリセットはできているのでしょうか。推敲すべき文章に戻れば答えがでることでしょう。
・無為も有為に・
いやはや、もう3月です。
月日の流れは速いものです。
速い時間の流れに対抗する手段があります。
無駄をなくし、無為な時間をなくすことです。
さらに言えば無為の時間も有為な時間にすればいいのです。
常に何事かを目的を持って成し続けていればいいのです。
今回の物忌のように他のことを成していれば、
本の執筆におては、有為となります。
その間に遊びの時間を入れることも
心の切り替えという意味をもたせれば、
その間も有為となります。
なにやら屁理屈ぽく聞こえますが、
残された時間が減っていくことを感じると
そのような気持ちになってしまいます。
・帰省・
京都に帰省したのですが、
その間に暖かい日と寒い日があり、
まして京都の昔風の家にいたので
寝る場所も寒く体調を崩しそうでした。
でも、その間に咲き始めた梅をみることができ
久しぶりに家族や親族に会うことができました。
弟も久しぶりにあって一杯やることができました。
しかし、移動だけでなく、寒い実家と
いろいろ所用をしたので、疲れていたのでしょう
帰宅した日はぐっすりと寝ることができました。
人生において、生活が大きく変化する機会としては、人生の初期には幼・少・保・中・高・大学への入学と卒業、就職が大きなものでしょうか。成人後は、結婚、出産、転職、退職などがあるでしょう。1度ではなく何度も繰り返される転機もあるでしょう。人生の初期の転換は、ある時期が来たら、好むと好まざるかかわらず、必然的に起こってしまいます。日本中で、一斉にある年齢や階層の人に、その時期が訪れてしまいます。一種の風物詩ともいうべきものにもなります。人生における新天地は、その人の希望をどの程度叶えているかは不明ですが、新たな門出、転機であることには違いありません。3月から4月は、そのような時期でもあります。いずれも受動的です。自身が切り替えたい時に、切り替えることは難しいでしょう。
しかし、成人し社会に出てからの転機は、自身の考え、思い、タイミングで迎えることが可能となるでしょうか。でも、多くの人は、なかなか自身の意思で転換するのは難しいかもしれません。特に会社などの組織に属していると、組織の意思による切り替えはあっても、自身で時期を選ぶことはなかなかできません。
人には自身が望む時期に、切り替えをすることが必要ではないでしょうか。立場や身分などは、自身の都合で変えることは難しいのですが、自身の精神的な切り替えであれば、時期を選ばずに可能ではないでしょうか。一時的に非日常の世界に自身をおくことで、切り替える方法があります。
その方法は、身体も常とは改まった状態、心も異なる状況に置いて非日常の中で過ごします。そのような非日常を受け入れて、一定期間過ごした後、日常の生活に戻れば、精神の切り替えができるというものです。自身の精神世界での行為であれば、時期や場所を選ぶことなく、心を切り替える機会がつくれるはずです。もし心の切り替えができれば、以前見ていたものが、新たな見えかたがするかもしれません。
それに近い状況を、現在、私自身で意図的につくり出しています。最近まで、長い期間に渡って本の執筆をしていました。その間、頭は本のことで一杯になった状態が続きます。一通り素稿ができた時、安堵感とともに、頭の中に本の内容で一杯になった状態で、煮詰まった感じがします。続いて文言の修正や構成の見直しなど、校正作業に入っていくことになります。これまでも同じような状態で、執筆から推敲をしていました。それは、時間が限られていたからです。
実は、執筆からすぐに推敲に入っていくと、頭の切り替えができていないので、なかなか大胆な修正、大規模な変更がしにくい状態になっています。ですから、完成度というより、少修正、誤字脱字などの推敲になっていきます。そんな時、まったく別の仕事を一時することで、頭が切り替えられれば、自分の書いた文章であっても、客観的に眺めることができます。このようなことは、多くの方が経験しているのではないでしょうか。
昔、自分が書いた論文を時間がたってから読み返すと、客観的にみることができます。自身の論文ですから興味深く読めるのですが、文章や書き方に関しては修正が必要だと感じることが多々あります。このような発見ができるのは、時間をおいて、心を切り替えたため客観的な視点が持てるようになったからではないでしょうか。これは、私の独自の方法ではなく、多くの人が同じような経験をしているのではないでしょうか。昔から人は、そのような心の切り替えの方法を、意図的に用いてきました。
例えば、物忌(ものいみ)という昔からの風習があります。神事として、あるいは凶事があったりすると、ある期間、つつしみをもって、身を浄めた生活をすることを物忌といいます。神官だけでなく、今でも市民も同じような物忌を行っています。親族が亡くなったときなど、喪中として賀状のやり取りを遠慮するというのは、この物忌の風習が残っているからでしょう。当事者以外にとっては形式的かもしれませんが、生活や習慣に根付いている物忌は、それなりの効用はあるようです。
物忌の期間を過ぎて、普通の生活にもどることを「なおび」といいます。直毘、あるいは直日と書きます。古くから人は、物忌に入ったあと、直毘として戻ることで、心を切り替え、生活に区切りをつくっていたのでしょう。多分、精神的に大きな変化が起こった時の対処法として、物忌と直毘は用いられるようになってきたのでしょう。
精神的に大きなダメージ、変化があったとき、一旦物忌として心身を非日常に置くことで、心を落ち着かせていきます。現代社会では、1年や数年に渡る物忌はできなくても、数日、数週間、数ヶ月の短い時間であれば、物忌の期間に精神を落ち着かせ、心を切り替えができるはずです。その後、新たな気持ちで直毘で日常にもどることで、意図的にダメージ回復、心の切り替えを行っていたのではないでしょうか。昔からの、いい方法心のリセット方法ではないでしょうか。
直毘は、古事記や日本書紀にも、神の名前として登場しています。古事記では神直毘神(かみなほびのかみ)と大直毘神(おほなほびのかみ)として、日本書紀では神直日神(かみなほひのかみ)と大直日神(おほなほひのかみ)として登場しています。古事記では、黄泉の国で穢れたイザナギが禊(みそぎ)をして生まれた神となっています。直毘は、もともとは神道の考え方のようです。
物忌や直毘は、宗教的な意味合いが濃いものですが、このような精神の切り替えの方法と考えれば、有効な方法に思えます。心や生活を非日常の期間を過ごし、再度もとの日常に戻ってくるという、一種の心の転換方法として使えます。論文の後日読み直すとより客観的に見れるようになったもの、この心の転換を行ってことになっているはずです。理にかなった方法ではないでしょうか。
そのような考えから、先日、書き終わった文章を、一旦寝かすことにしました。2週間ほど別の論文の準備をすることにしました。その間、これまでの論文の整理と今後の方針、そして次の論文の位置付けに1週間、複雑な地質図を作成とソフトの習熟に1週間を費やしました。さらに、1週間ほど帰省も入りました。合わせると、3週間ほど全く別の状態に頭をもっていきました。この期間を物忌とすれば、これからいよいよ以前の文章の作成が直毘として、日常に戻ることになります。
さてさて、本当に心のリセットはできているのでしょうか。推敲すべき文章に戻れば答えがでることでしょう。
・無為も有為に・
いやはや、もう3月です。
月日の流れは速いものです。
速い時間の流れに対抗する手段があります。
無駄をなくし、無為な時間をなくすことです。
さらに言えば無為の時間も有為な時間にすればいいのです。
常に何事かを目的を持って成し続けていればいいのです。
今回の物忌のように他のことを成していれば、
本の執筆におては、有為となります。
その間に遊びの時間を入れることも
心の切り替えという意味をもたせれば、
その間も有為となります。
なにやら屁理屈ぽく聞こえますが、
残された時間が減っていくことを感じると
そのような気持ちになってしまいます。
・帰省・
京都に帰省したのですが、
その間に暖かい日と寒い日があり、
まして京都の昔風の家にいたので
寝る場所も寒く体調を崩しそうでした。
でも、その間に咲き始めた梅をみることができ
久しぶりに家族や親族に会うことができました。
弟も久しぶりにあって一杯やることができました。
しかし、移動だけでなく、寒い実家と
いろいろ所用をしたので、疲れていたのでしょう
帰宅した日はぐっすりと寝ることができました。
2019年2月1日金曜日
205 視読:子ども時代の教育で
読書は現代人にとって必要不可欠なスキルとなっています。私が受けた教育では、速読の技術は学びませんでした。しかし現代の若者は、ネットの検索でその技術を身に着けているのかもしれません。
団塊ジュニアが大学に入りだす年齢に達した1993年の大学・短期大学(以下大学と略します)生数が約240万人になり、2000年には約275万人、大学進学率がはじめて50%を超えた2009年には約285万人となっています。多少の増減はありますが、学生数は横ばいのようです。2018年度の大学生数は291万人、進学者数は58万人となっています。
一方、大学・短大(以下大学と略します)への進学率は、年々伸びています。2018年度の統計では、57.9%の人が大学に進学しているとのことです。高度経済成長期以前は、大学進学率は10%以下でしたが、年々増えてきて、近年では世代の半数が大学に進学しています。重要なのは、進学者数ではなく、進学率は増えていることです。18歳人口は1990年中ごろから減っているのに、進学率が上昇しているのは、その世代がますます大学へ進学していることになります。
進学率の伸びは、社会が豊かになってことが一番の原因でしょうが、医療の発達などで平均寿命も伸びているので、社会にでる年齢も遅くてもいいし、現代社会への適応を考えると、長い教育期間も必要になっているなど、さまざまな要因があるのでしょう。
教育は、若い時期、学びが身につきやすい年齢で、基礎的なスキル、例えば読み書き計算など、また基礎的な知識を身につけることは有効です。これは理にかなったもので、国策として進めていくべきで、日本では9年間が義務教育となっています。現代では、世代人口の半分が大学までの16年間を学ぶことになってきことになりました。
大学の教育が必ずしも昔と比べてレベルが上がったかいうとそうでもなさそうです。大学進学者の中には、大学以前の学び直し、リメディアル(Remedial)教育も必要な学生も一定数います。もちろん、しっかりと学んできた学生は、それなりのレベルを保っていますが。
私が教育を受けた時期は、団塊世代やポスト団塊世代よりあとの世代(しらけ世代ともいう)なので、受験戦争の影響は残っているのですが、団塊世代が起こしてきたさまざまな社会問題(例えば学生運動など)の余波がまだ残っている時代に教育を受けていました。良かった点も悪かった点もありました。当時受けた教育を評価することは、何年たっても、なかなか難しいものです。
しかし、そんな教育の中で今も残念に思えるスキルがあります。これは若い時に身につけるのは簡単ですが、大きくなってからは非常に難しいスキルのようだからです。私は、中年以降になって、何度がチャレンジしたのですが、その度に挫折しています。
それは読書です。小学校で文字を読み書きを習います。「読み」の中に読書もあります。読書についても、小学校から高校までの教育で指導を受けました。そして、読書感想文なども宿題になったこともあります。読書をした前提で、考えること、書くことなどに終始していてように思えます。読書の方法については、十分な教育がありませんでした。
読書の方法として、音読(声に出して読む)と黙読(声を出さず頭のなかで音声化して読む)などは、小学校で教育を受け、すべての人はできるようになっています。しかし、読書には、もう一つ目読(もくどく)、あるいは視読(しどく)というものがあります。黙読と目読は同じ意味という解説もありますので、ここでは「視読」をもちいましょう。視読とは、頭の中で声を出さず、音声化しないで読む方法です。この方法は、文字を見て意味を理解しながら文章を読んでいく方法で、非常に速く文章を読めることになります。速読といわれている方法は、この視読のスピードを上げていく訓練をすることなります。私も何度か挑戦したのですが、うまくいきませんでした。
多分、私は、読書が好きだったので、黙読の習慣が強く身についてしまい、それを変更することができず、手遅れになってしまったのだと思います。ところが、我が家の長男が小学生の時、頭の中で声を出さないで読むといいとアドバイスしたことがあります。しばらく練習したら、そのような読み方ができるようになったようです。読書スピードが一気に上がりました。もちろん書いてある内容がすでに知識としてあり、文字がすべて理解できる内容のものです。児童書などは、非常に速く読めるようになったといいます。次男もそうるようにいうと、簡単にできたようです。ただし、次男は読書があまり好きでないようです。視読の技術が現在も生かされていればいいのですが。
私も視読できるようになりたいのですが、黙読の習慣が抜けません。頭で声を出してしまうため、どんなに努力してもスピードアップができません。通常技術は熟練すれば上がり、スピードアップも期待できるのですが、読書スピードは、若い頃も今も全く変わりません。声に出すため、一定以上には速度が上がらないためのようです。このスキルは、ちょっとした意識を向けるだけで画期的速度が上がるので、若い人はぜひ身につけるといいです。年齢を経るにつれて、読みたいもの、読まなければならないものが増えるので、速読できれば大きな福音になります。
ところが、最近の若者たちは、実はもう視読を身につけているのかも知れません。スマホやネットなどの検索し、情報を読み取るスピードは、黙読ではなく視読をしている速度のように見えます。道具が、視読を促しているのかも知れません。教育でする必要もないのでしょかね。
・慌ただしさで・
あっという間に1月も終わりました。
大学は、冬休み、講義、定期試験、卒業研究の発表会など
次々の学事スケジュールが進みます。
そんな慌ただしいに、学内ではセンター試験があり、
次には一般入試が始まります。
そんな慌ただしさで1月は過ぎてしまいます。
2月上旬は成績評価と入試があるので
その慌ただしさは残りますが、
3月まで一番研究に没頭できる時期でもあります。
やりたいことがいろいろ溜まっています。
でも、この時だけに集中しようなどと思っていると
なかなかはかどらないのは経験済みです。
やるべきことを、やるべき時にやり続けることが
一番効率的なのでしょうね。
でも精神的に開放されます。
・研究計画・
2月は大学の競争的研究費の申請の時期になります。
いつもこの時期、来年度の研究計画を考えます。
研究テーマと野外調査がセットなので、
直近の計画として、2月に考えます。
研究テーマは、来年度の執筆予定の論文と直結しています。
いつ、どこに、どの程度の期間、調査に行くかを考えていきます。
今年度は、予定変更で道内の調査を頻繁に行いました。
そしてその重要さと手軽さを味わい、
来年度道内調査を入れることにしました。
本州での長期調査を1度、予算のゆる範囲で、
道内での調査を複数回行うことにしました。
来年の研究計画を考えている時はワクワクしています。
団塊ジュニアが大学に入りだす年齢に達した1993年の大学・短期大学(以下大学と略します)生数が約240万人になり、2000年には約275万人、大学進学率がはじめて50%を超えた2009年には約285万人となっています。多少の増減はありますが、学生数は横ばいのようです。2018年度の大学生数は291万人、進学者数は58万人となっています。
一方、大学・短大(以下大学と略します)への進学率は、年々伸びています。2018年度の統計では、57.9%の人が大学に進学しているとのことです。高度経済成長期以前は、大学進学率は10%以下でしたが、年々増えてきて、近年では世代の半数が大学に進学しています。重要なのは、進学者数ではなく、進学率は増えていることです。18歳人口は1990年中ごろから減っているのに、進学率が上昇しているのは、その世代がますます大学へ進学していることになります。
進学率の伸びは、社会が豊かになってことが一番の原因でしょうが、医療の発達などで平均寿命も伸びているので、社会にでる年齢も遅くてもいいし、現代社会への適応を考えると、長い教育期間も必要になっているなど、さまざまな要因があるのでしょう。
教育は、若い時期、学びが身につきやすい年齢で、基礎的なスキル、例えば読み書き計算など、また基礎的な知識を身につけることは有効です。これは理にかなったもので、国策として進めていくべきで、日本では9年間が義務教育となっています。現代では、世代人口の半分が大学までの16年間を学ぶことになってきことになりました。
大学の教育が必ずしも昔と比べてレベルが上がったかいうとそうでもなさそうです。大学進学者の中には、大学以前の学び直し、リメディアル(Remedial)教育も必要な学生も一定数います。もちろん、しっかりと学んできた学生は、それなりのレベルを保っていますが。
私が教育を受けた時期は、団塊世代やポスト団塊世代よりあとの世代(しらけ世代ともいう)なので、受験戦争の影響は残っているのですが、団塊世代が起こしてきたさまざまな社会問題(例えば学生運動など)の余波がまだ残っている時代に教育を受けていました。良かった点も悪かった点もありました。当時受けた教育を評価することは、何年たっても、なかなか難しいものです。
しかし、そんな教育の中で今も残念に思えるスキルがあります。これは若い時に身につけるのは簡単ですが、大きくなってからは非常に難しいスキルのようだからです。私は、中年以降になって、何度がチャレンジしたのですが、その度に挫折しています。
それは読書です。小学校で文字を読み書きを習います。「読み」の中に読書もあります。読書についても、小学校から高校までの教育で指導を受けました。そして、読書感想文なども宿題になったこともあります。読書をした前提で、考えること、書くことなどに終始していてように思えます。読書の方法については、十分な教育がありませんでした。
読書の方法として、音読(声に出して読む)と黙読(声を出さず頭のなかで音声化して読む)などは、小学校で教育を受け、すべての人はできるようになっています。しかし、読書には、もう一つ目読(もくどく)、あるいは視読(しどく)というものがあります。黙読と目読は同じ意味という解説もありますので、ここでは「視読」をもちいましょう。視読とは、頭の中で声を出さず、音声化しないで読む方法です。この方法は、文字を見て意味を理解しながら文章を読んでいく方法で、非常に速く文章を読めることになります。速読といわれている方法は、この視読のスピードを上げていく訓練をすることなります。私も何度か挑戦したのですが、うまくいきませんでした。
多分、私は、読書が好きだったので、黙読の習慣が強く身についてしまい、それを変更することができず、手遅れになってしまったのだと思います。ところが、我が家の長男が小学生の時、頭の中で声を出さないで読むといいとアドバイスしたことがあります。しばらく練習したら、そのような読み方ができるようになったようです。読書スピードが一気に上がりました。もちろん書いてある内容がすでに知識としてあり、文字がすべて理解できる内容のものです。児童書などは、非常に速く読めるようになったといいます。次男もそうるようにいうと、簡単にできたようです。ただし、次男は読書があまり好きでないようです。視読の技術が現在も生かされていればいいのですが。
私も視読できるようになりたいのですが、黙読の習慣が抜けません。頭で声を出してしまうため、どんなに努力してもスピードアップができません。通常技術は熟練すれば上がり、スピードアップも期待できるのですが、読書スピードは、若い頃も今も全く変わりません。声に出すため、一定以上には速度が上がらないためのようです。このスキルは、ちょっとした意識を向けるだけで画期的速度が上がるので、若い人はぜひ身につけるといいです。年齢を経るにつれて、読みたいもの、読まなければならないものが増えるので、速読できれば大きな福音になります。
ところが、最近の若者たちは、実はもう視読を身につけているのかも知れません。スマホやネットなどの検索し、情報を読み取るスピードは、黙読ではなく視読をしている速度のように見えます。道具が、視読を促しているのかも知れません。教育でする必要もないのでしょかね。
・慌ただしさで・
あっという間に1月も終わりました。
大学は、冬休み、講義、定期試験、卒業研究の発表会など
次々の学事スケジュールが進みます。
そんな慌ただしいに、学内ではセンター試験があり、
次には一般入試が始まります。
そんな慌ただしさで1月は過ぎてしまいます。
2月上旬は成績評価と入試があるので
その慌ただしさは残りますが、
3月まで一番研究に没頭できる時期でもあります。
やりたいことがいろいろ溜まっています。
でも、この時だけに集中しようなどと思っていると
なかなかはかどらないのは経験済みです。
やるべきことを、やるべき時にやり続けることが
一番効率的なのでしょうね。
でも精神的に開放されます。
・研究計画・
2月は大学の競争的研究費の申請の時期になります。
いつもこの時期、来年度の研究計画を考えます。
研究テーマと野外調査がセットなので、
直近の計画として、2月に考えます。
研究テーマは、来年度の執筆予定の論文と直結しています。
いつ、どこに、どの程度の期間、調査に行くかを考えていきます。
今年度は、予定変更で道内の調査を頻繁に行いました。
そしてその重要さと手軽さを味わい、
来年度道内調査を入れることにしました。
本州での長期調査を1度、予算のゆる範囲で、
道内での調査を複数回行うことにしました。
来年の研究計画を考えている時はワクワクしています。
2019年1月1日火曜日
204 不立文字の多義性
今年最初のエッセイは、文字にできないことについてです。言葉できないことも、多々あるはずです。大切なことであっても、言葉にすると多義性が生まれてくることがあります。ですからそれは感じ、悟るしかありません。
人は、さまざま物事や感情、思いなどを伝えるために言葉を利用しています。言葉とは不思議なものです。鳥類や哺乳類のように、鳴き声でそれなりのコミュニケーションをしているものもいます。人の言葉を話す鳥もいます。ただし、自身の意図を言葉として組み立て、他者がその意図を解することができるのは、人だけです。人が操る言葉を、ここでは「言語」と呼びましょう。
人と他の生物、特に類人猿との差をDNAでみていくと、非常に小さいといわれています。ところが、両者の形態や機能における差は、非常に大きなものに見えます。この意味するところは、人の特徴である言語の獲得は、遺伝的には大きな差ではなく、ささやかな差と推察できます。
人の進化として、600~700万年前に脳容積の増大と二足歩行が起こります。その後、複雑な音声を生み出すために必要な、口腔(口の中の空間)と咽頭腔(喉と声帯の間の空間)が直角になって、咽頭が下に移動するという生物学的変化がありました。これらの生物学的変化は、DNAに記録されているはずです。この変化の結果、人は4~5万年前に言語を操れるようになったといわれています。言語の獲得は、人類の歴史からすると、それほど前ではないということです。
コミュニケーションの手段として言語を手に入れて(発明、発見?)以降、文明の発達、人の活動の多様化にともない、言語は複雑化、高度化を遂げてきました。その変化は、現在も継続中です。ただし、言語能力の変化は、DNAに遺伝情報として書き込まれた変化ではなく、文明や文化として学習することで継承してきたと考えられます。文化とともに言語を修得するために、子どもの教育には、多く時間が必要になってきました。現在では、文化の複雑化、高度化によって修得には、ますます長い期間が必要になってきました。
一方、文化や知的資産を伝達、継承するために、言語を文字にして書き留めてもきました。文字が紙に記録され、それが長く保存されることで、資料となり、歴史が編まれてきました。言語はコミュニケーションをとるため、そして文字は人の知的営みを記録し資産とするために、重要なツールとなりました。言語が人という種を特徴づけ、そして地球で繁栄を遂げるのに、重要な特性であったことは確かです。
知的資産とは、言い換えると言語化できるものということになります。では、そこからこぼれ落ちたものはないでしょうか。ここからが本題となります。
「不立文字」と書いて、「ふりゅうもんじ」と読みます。禅の言葉で、
「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」
(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん、
じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)
という言葉の一部になります。言語や文字で伝えることのできないもの(不立文字)があり、それは書かれたり伝えられたりしたもの以外から学ぶもの(教外別伝)であって、それは自身の心で直感的につかみとるべきもの(直指人心)で、その本質をつかみとれば悟を得たことにとなる(見性成仏)ということです。昔の賢人は、言語にはできないけれども、大切なことも多々あると考えたのです。達観ではないでしょうか。それは、一部の人にしか悟れないものでしょうか。いろいろな悟りがあり、その一端は多くの人は経験がしていることと思います。
科学は論理性を重んじます。論理なき科学はありえません。ここでいう論理とは、数式を含む言語によって構築されたものです。しかし、論理が人類の知恵や創造性のすべてを網羅しているのでしょうか。論理化できない「なにか」も多々あるはずです。多くの人は、それを知っています。ただし、その論理化できない「なにか」には、多くの人が共通に理解できるものと、共通理解が成り立たないものがあります。
「なにか」を伝える(訴える)芸術作品を例にみていきましょう。これは、一部の芸術家のみが使用できる手段ですが、すぐれた作品は、多くの人に「なにか」を訴えています。絵や音楽などのように、言語化できなくとも、感情を動かす(感動させる)ことができます。動かされる感情には、多くの人が共通して抱くものもあります。これは共通理解を生み出す作品でしょう。
一方、芸術作品の中には、人によって、あるいは精神状況によって、異なる感情を生み出すものもあります。例えば、ダビンチのモナリザや能面の表情などは、見方によって、条件によって、いろいろな感情の生みます。つまり共通理解は成り立たず、理解に多義性が生まれることになります。
また言語できるものにも、芸術作品としての小説や詩歌などにも、論理的に解釈が難しいですが、感動させるものもあります。その感動にも、共通理解の生まれるものと、多義理解を生むものもあります。
では、それらが「なにか」のすべてでしょうか。大切なことにも、一部の人にしか理解できない「なにか」もあるかもしれません。それが不立文字たる悟りのようなものでしょう。悟りというと一部の努力した人にのみに適用できないものに思えますが、
身体的なものを思い浮かべるとその例となるでしょう。身体的なものではコツというとわかりやすいかもしれません。例えば、自転車に乗れる瞬間などは、突然そのコツが体得(教外別伝)できます。そのコツは体が覚えており、長年自転車に乗っていなくても、体は忘れません。
ここで示したコツは技術や体感での例ですが、より深い思索、より抽象的概念などの理解においても、このような「なにか」があるのではないでしょうか。それは教わるものではなく(教外別伝)、自身が感じること(直指人心)で悟れる(見性成仏)もののはずです。多分、その「なにか」とは、一通りに解釈されるものではなく、時と場合によって、さまざまな見え方がする多義性を持つものでしょう。
私は、なかなかその境地に立てませんが、まずは文字にできない不立文字があることから、スタートですね。
・年頭の挨拶・
あけましておめでとうございます。
旧年中はこのメールマガジンの購読をいただき、
ありがとうございました。
本年も購読をよろしくお願いします。
昨年1年は、研究に没頭できる有意義な年となりました。
成果は例年並でしたが、集中できる時間が確保できたので、
達成感、満足感は例年にない充実したものとなりました。
願わくば、新しい1年も同じようでありたいものです。
・そこに「なにか」が・
このエッセイは、地質学やその周辺にある感じたこと
文字によって、できるだけ「論理的」に示しすことを意図してきました。
しかし、新年最初のエッセイは、その論理性の限界と
その先に文字にできない何かがあるのではないか
という内容になりました。
文字化できないものを、文章で論理的に示しました。
表現と内容が矛盾しているのですが、
そこに「なにか」があるように思えます。
人は、さまざま物事や感情、思いなどを伝えるために言葉を利用しています。言葉とは不思議なものです。鳥類や哺乳類のように、鳴き声でそれなりのコミュニケーションをしているものもいます。人の言葉を話す鳥もいます。ただし、自身の意図を言葉として組み立て、他者がその意図を解することができるのは、人だけです。人が操る言葉を、ここでは「言語」と呼びましょう。
人と他の生物、特に類人猿との差をDNAでみていくと、非常に小さいといわれています。ところが、両者の形態や機能における差は、非常に大きなものに見えます。この意味するところは、人の特徴である言語の獲得は、遺伝的には大きな差ではなく、ささやかな差と推察できます。
人の進化として、600~700万年前に脳容積の増大と二足歩行が起こります。その後、複雑な音声を生み出すために必要な、口腔(口の中の空間)と咽頭腔(喉と声帯の間の空間)が直角になって、咽頭が下に移動するという生物学的変化がありました。これらの生物学的変化は、DNAに記録されているはずです。この変化の結果、人は4~5万年前に言語を操れるようになったといわれています。言語の獲得は、人類の歴史からすると、それほど前ではないということです。
コミュニケーションの手段として言語を手に入れて(発明、発見?)以降、文明の発達、人の活動の多様化にともない、言語は複雑化、高度化を遂げてきました。その変化は、現在も継続中です。ただし、言語能力の変化は、DNAに遺伝情報として書き込まれた変化ではなく、文明や文化として学習することで継承してきたと考えられます。文化とともに言語を修得するために、子どもの教育には、多く時間が必要になってきました。現在では、文化の複雑化、高度化によって修得には、ますます長い期間が必要になってきました。
一方、文化や知的資産を伝達、継承するために、言語を文字にして書き留めてもきました。文字が紙に記録され、それが長く保存されることで、資料となり、歴史が編まれてきました。言語はコミュニケーションをとるため、そして文字は人の知的営みを記録し資産とするために、重要なツールとなりました。言語が人という種を特徴づけ、そして地球で繁栄を遂げるのに、重要な特性であったことは確かです。
知的資産とは、言い換えると言語化できるものということになります。では、そこからこぼれ落ちたものはないでしょうか。ここからが本題となります。
「不立文字」と書いて、「ふりゅうもんじ」と読みます。禅の言葉で、
「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」
(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん、
じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)
という言葉の一部になります。言語や文字で伝えることのできないもの(不立文字)があり、それは書かれたり伝えられたりしたもの以外から学ぶもの(教外別伝)であって、それは自身の心で直感的につかみとるべきもの(直指人心)で、その本質をつかみとれば悟を得たことにとなる(見性成仏)ということです。昔の賢人は、言語にはできないけれども、大切なことも多々あると考えたのです。達観ではないでしょうか。それは、一部の人にしか悟れないものでしょうか。いろいろな悟りがあり、その一端は多くの人は経験がしていることと思います。
科学は論理性を重んじます。論理なき科学はありえません。ここでいう論理とは、数式を含む言語によって構築されたものです。しかし、論理が人類の知恵や創造性のすべてを網羅しているのでしょうか。論理化できない「なにか」も多々あるはずです。多くの人は、それを知っています。ただし、その論理化できない「なにか」には、多くの人が共通に理解できるものと、共通理解が成り立たないものがあります。
「なにか」を伝える(訴える)芸術作品を例にみていきましょう。これは、一部の芸術家のみが使用できる手段ですが、すぐれた作品は、多くの人に「なにか」を訴えています。絵や音楽などのように、言語化できなくとも、感情を動かす(感動させる)ことができます。動かされる感情には、多くの人が共通して抱くものもあります。これは共通理解を生み出す作品でしょう。
一方、芸術作品の中には、人によって、あるいは精神状況によって、異なる感情を生み出すものもあります。例えば、ダビンチのモナリザや能面の表情などは、見方によって、条件によって、いろいろな感情の生みます。つまり共通理解は成り立たず、理解に多義性が生まれることになります。
また言語できるものにも、芸術作品としての小説や詩歌などにも、論理的に解釈が難しいですが、感動させるものもあります。その感動にも、共通理解の生まれるものと、多義理解を生むものもあります。
では、それらが「なにか」のすべてでしょうか。大切なことにも、一部の人にしか理解できない「なにか」もあるかもしれません。それが不立文字たる悟りのようなものでしょう。悟りというと一部の努力した人にのみに適用できないものに思えますが、
身体的なものを思い浮かべるとその例となるでしょう。身体的なものではコツというとわかりやすいかもしれません。例えば、自転車に乗れる瞬間などは、突然そのコツが体得(教外別伝)できます。そのコツは体が覚えており、長年自転車に乗っていなくても、体は忘れません。
ここで示したコツは技術や体感での例ですが、より深い思索、より抽象的概念などの理解においても、このような「なにか」があるのではないでしょうか。それは教わるものではなく(教外別伝)、自身が感じること(直指人心)で悟れる(見性成仏)もののはずです。多分、その「なにか」とは、一通りに解釈されるものではなく、時と場合によって、さまざまな見え方がする多義性を持つものでしょう。
私は、なかなかその境地に立てませんが、まずは文字にできない不立文字があることから、スタートですね。
・年頭の挨拶・
あけましておめでとうございます。
旧年中はこのメールマガジンの購読をいただき、
ありがとうございました。
本年も購読をよろしくお願いします。
昨年1年は、研究に没頭できる有意義な年となりました。
成果は例年並でしたが、集中できる時間が確保できたので、
達成感、満足感は例年にない充実したものとなりました。
願わくば、新しい1年も同じようでありたいものです。
・そこに「なにか」が・
このエッセイは、地質学やその周辺にある感じたこと
文字によって、できるだけ「論理的」に示しすことを意図してきました。
しかし、新年最初のエッセイは、その論理性の限界と
その先に文字にできない何かがあるのではないか
という内容になりました。
文字化できないものを、文章で論理的に示しました。
表現と内容が矛盾しているのですが、
そこに「なにか」があるように思えます。
2018年12月1日土曜日
203 不可知の肩に立って
巨人の肩の上に立って眺めると、遠くの景色が見えます。そこからは、実は言語化できる景色だけが、見えているのではないかもしれません。言語化できない不可知の肩からは、どんな景色が見えるのでしょうか。
Google Scholar という学術論文を探すサイトがあるのですが、検索の窓の下に「巨人の肩の上に立つ」という一文が、さり気なく添えられています。「巨人の肩の上に立つ」という文は、ニュートンがフックに宛てた手紙で、
If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.
(もし私が遠くを見れならば、それは巨人の肩の上に立っているからだ)
(ニュートンの英語表記は、古いもので、If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants. となっています)
と書いたものだそうです。1676年のことでした。
この一文は、先人の知識の上に新たな発見をしていくことをいったものです。先人の業績なくしては、新しい発見はなし得ないということです。私たちは、これまで多大な先人の知的資産を受け継いできました。そのような先人からの学びを土台として、新たにささやかな知見を発見し、付け加えてきました。しかし、多数のささやかな知見が、大きな知的体系へと成長してきました。
先人の知的資産は、論文や書籍など文章して残されてきました。現在でも、科学の成果は、学会誌や専門書の文章、もしくは学会の講演やポスターなどで発表され、言語化され報告されます。現在では、インターネットを通じたデジタルでの報告も多くなりましたが、そこでも文字や言葉が使われています。
現代の科学の成果は、媒体はいろいろと変化してきましたが、古くから文字での、報告、公開がされてきました。知は、いずれかの手段、なんらかの媒体で報告、公開しないと、科学の成果とはなりえません。知として残るためには、時間の風化にたえる媒体(たとえば石や紙)に記録され、保存されなければなりません。それらの媒体に文字として記録されてきました。最近ではデジタル化された情報として多くは文字として保存されています。はたしてデジタル情報は、時間の風化にどの程度耐えられるでしょうか。
もうひとつ知を伝承する方法があります。それは人を介したものです。現代社会では、先人の知的資産を、教育として教師が伝えることができます。教師は、先人の知的資産を教科書、専門書、論文など文字もあるでしょうが、先輩の教師からの言葉を通じて教わってきました。このような知的資産の文字と言葉による連鎖が続いてきました。言葉は消えますが、ものに転写された文字は残ります。
これまで、言葉と文字は、知の伝承には不可欠の存在でした。しかし、知というものは、文字や言葉に変換できたものがすべてでしょうか。もし、できない知があったとして、それが非常に重要なものだとしたら、その知はどうなうでしょうか。その知は、伝承されることなく、その人のみ一代で、その存在は継承することができないものになるのでしょうか。技術の極意、芸術などの表現方法などは、その例の最たるものでしょう。その人固有の高度な技術や表現は、言葉や文字では、伝えることができないものもあるかもしれません。
さらに、思考にも言葉にできないものがあるかもしれません。インドでは、概念的思索、あるは単なる現象や出来事も、言葉では捉えきれない、「不可知」ものがあると考えられていたそうです。不可知の概念を知るために、修行法や真言を唱えるなどの手段は、いろいろ考案され、不可知へ至るルートだけは示されてきました。得られた知は、悟りや大日などとして、大乗仏教として体系化されてきました。ただし、その知は言語化できないものでした。宗教的な概念だけでなく、深い思索には言葉にできない不可知のものもあるかもしれません。
言語化不能の知があったとして、ある人の得た知と、他の人の知とは、比較することはできないでしょう。知の差異や変化・変遷、進化なども、客観的に示すことはできません。そのような知は、積み上げていくことはできないものでしょう。ひとりひとりの知の高みがわかりません。知の高みと人間性、人徳と比例するということも判別できません。肩の高さは、巨人なのか、子どもなのか、普通の人なのか、比べることはできません。ひとりで、ただただより高みを目指すし、景色を変化を感じるしかありません。
知には、不可知の部分もあるという考え方は、不可知論と呼ぶのですが、英語では、agnostic、あるいは agnosticism と呼びます。agnostic は、gnostic に a をつけているので否定の意味となります。gnostic は、ギリシア語を語源として、知恵や知識という意味です。その否定なので、知識にできない、理解できないという意味合いになり、上で述べたのと一致しています。
人が認識できるのは、ある限られた領域(実証可能な現象の世界や経験可能な世界)であり、それ以上の超越的、超経験的な世界は、認識不可能だとされていました。キリスト教的社会では、神は超越者で、神が司る世界は超経験的世界であるとされています。
科学者が、神の存在について考えた時、科学的に証明できそうもないので、証明不能、不可知という立場を表明することになります。そのような立場を不可知論、不可知論者といいます。不可知論(者)を英語では、agnostic といい、ダーウィンの進化論を弁護したハクスリーが、自分の宗教上の立場を表明するのに初めて用いたとされています。以降、不可知論とは、神の存在は不可知である、という宗教上の立場を表明するために持ちられるようになりました。
一方、神の存在を否定する、無神論の立場もあります。無神論、atheist 呼ばれています。theist が有神論ですので、a がついて否定となる言葉になります。有神論と無神論は、神が存在するかしないかを証明できれば、決着を見ます。現状の科学では検証不可能です。ですから、不可知論という立場が生じるわけです。
もし上述したように、言語化できない領域があり、そのでの存在(例えば神)が、悟れる人のみが知り得るものとすると、他人には真偽のわからない存在となります。不可知の領域で、無神か有神の決着をしても、それを検証することはできません。悩ましいものです。
さて、ここまで、不可知の事柄について、言語化、文章化してきたのですが、本当に私の考えている概念が、完全に文章化できたとな思えません。また私の伝えたい内容が、私の本当に考えた通りに、あなたに伝わったでしょうか。それが、非言語的不可知の領域です。その肩の高さは、そこに立って見ている人にしかわかりません。
・厳冬期仕様・
わが町では、何度か雪が降りました。
時には激しい吹雪となった日もありました。
いよいよ冬が本番となってきました。
車のタイヤは、早めに冬用にしています。
着るもの、履くものも、厳冬期仕様にしました。
そして、季節は、師走を迎えることになります。
・授業体制・
大学の後期の講義も終盤となってきました。
1月下旬まで講義はあるのですが、
冬休みを挟むので、集中が途切れます。
また、教員はセンター試験も含めて
各種の入試が進行しています。
教員も講義への集中が途切れそうになります。
この授業体制の集中を途切れさせることは、
多くの大学での問題と思います。
常々思っているのですが、この学期と、
長期休み、月曜び振替休日、大学行事(主に入試)は、
なんとかならないものでしょうかね。
Google Scholar という学術論文を探すサイトがあるのですが、検索の窓の下に「巨人の肩の上に立つ」という一文が、さり気なく添えられています。「巨人の肩の上に立つ」という文は、ニュートンがフックに宛てた手紙で、
If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.
(もし私が遠くを見れならば、それは巨人の肩の上に立っているからだ)
(ニュートンの英語表記は、古いもので、If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants. となっています)
と書いたものだそうです。1676年のことでした。
この一文は、先人の知識の上に新たな発見をしていくことをいったものです。先人の業績なくしては、新しい発見はなし得ないということです。私たちは、これまで多大な先人の知的資産を受け継いできました。そのような先人からの学びを土台として、新たにささやかな知見を発見し、付け加えてきました。しかし、多数のささやかな知見が、大きな知的体系へと成長してきました。
先人の知的資産は、論文や書籍など文章して残されてきました。現在でも、科学の成果は、学会誌や専門書の文章、もしくは学会の講演やポスターなどで発表され、言語化され報告されます。現在では、インターネットを通じたデジタルでの報告も多くなりましたが、そこでも文字や言葉が使われています。
現代の科学の成果は、媒体はいろいろと変化してきましたが、古くから文字での、報告、公開がされてきました。知は、いずれかの手段、なんらかの媒体で報告、公開しないと、科学の成果とはなりえません。知として残るためには、時間の風化にたえる媒体(たとえば石や紙)に記録され、保存されなければなりません。それらの媒体に文字として記録されてきました。最近ではデジタル化された情報として多くは文字として保存されています。はたしてデジタル情報は、時間の風化にどの程度耐えられるでしょうか。
もうひとつ知を伝承する方法があります。それは人を介したものです。現代社会では、先人の知的資産を、教育として教師が伝えることができます。教師は、先人の知的資産を教科書、専門書、論文など文字もあるでしょうが、先輩の教師からの言葉を通じて教わってきました。このような知的資産の文字と言葉による連鎖が続いてきました。言葉は消えますが、ものに転写された文字は残ります。
これまで、言葉と文字は、知の伝承には不可欠の存在でした。しかし、知というものは、文字や言葉に変換できたものがすべてでしょうか。もし、できない知があったとして、それが非常に重要なものだとしたら、その知はどうなうでしょうか。その知は、伝承されることなく、その人のみ一代で、その存在は継承することができないものになるのでしょうか。技術の極意、芸術などの表現方法などは、その例の最たるものでしょう。その人固有の高度な技術や表現は、言葉や文字では、伝えることができないものもあるかもしれません。
さらに、思考にも言葉にできないものがあるかもしれません。インドでは、概念的思索、あるは単なる現象や出来事も、言葉では捉えきれない、「不可知」ものがあると考えられていたそうです。不可知の概念を知るために、修行法や真言を唱えるなどの手段は、いろいろ考案され、不可知へ至るルートだけは示されてきました。得られた知は、悟りや大日などとして、大乗仏教として体系化されてきました。ただし、その知は言語化できないものでした。宗教的な概念だけでなく、深い思索には言葉にできない不可知のものもあるかもしれません。
言語化不能の知があったとして、ある人の得た知と、他の人の知とは、比較することはできないでしょう。知の差異や変化・変遷、進化なども、客観的に示すことはできません。そのような知は、積み上げていくことはできないものでしょう。ひとりひとりの知の高みがわかりません。知の高みと人間性、人徳と比例するということも判別できません。肩の高さは、巨人なのか、子どもなのか、普通の人なのか、比べることはできません。ひとりで、ただただより高みを目指すし、景色を変化を感じるしかありません。
知には、不可知の部分もあるという考え方は、不可知論と呼ぶのですが、英語では、agnostic、あるいは agnosticism と呼びます。agnostic は、gnostic に a をつけているので否定の意味となります。gnostic は、ギリシア語を語源として、知恵や知識という意味です。その否定なので、知識にできない、理解できないという意味合いになり、上で述べたのと一致しています。
人が認識できるのは、ある限られた領域(実証可能な現象の世界や経験可能な世界)であり、それ以上の超越的、超経験的な世界は、認識不可能だとされていました。キリスト教的社会では、神は超越者で、神が司る世界は超経験的世界であるとされています。
科学者が、神の存在について考えた時、科学的に証明できそうもないので、証明不能、不可知という立場を表明することになります。そのような立場を不可知論、不可知論者といいます。不可知論(者)を英語では、agnostic といい、ダーウィンの進化論を弁護したハクスリーが、自分の宗教上の立場を表明するのに初めて用いたとされています。以降、不可知論とは、神の存在は不可知である、という宗教上の立場を表明するために持ちられるようになりました。
一方、神の存在を否定する、無神論の立場もあります。無神論、atheist 呼ばれています。theist が有神論ですので、a がついて否定となる言葉になります。有神論と無神論は、神が存在するかしないかを証明できれば、決着を見ます。現状の科学では検証不可能です。ですから、不可知論という立場が生じるわけです。
もし上述したように、言語化できない領域があり、そのでの存在(例えば神)が、悟れる人のみが知り得るものとすると、他人には真偽のわからない存在となります。不可知の領域で、無神か有神の決着をしても、それを検証することはできません。悩ましいものです。
さて、ここまで、不可知の事柄について、言語化、文章化してきたのですが、本当に私の考えている概念が、完全に文章化できたとな思えません。また私の伝えたい内容が、私の本当に考えた通りに、あなたに伝わったでしょうか。それが、非言語的不可知の領域です。その肩の高さは、そこに立って見ている人にしかわかりません。
・厳冬期仕様・
わが町では、何度か雪が降りました。
時には激しい吹雪となった日もありました。
いよいよ冬が本番となってきました。
車のタイヤは、早めに冬用にしています。
着るもの、履くものも、厳冬期仕様にしました。
そして、季節は、師走を迎えることになります。
・授業体制・
大学の後期の講義も終盤となってきました。
1月下旬まで講義はあるのですが、
冬休みを挟むので、集中が途切れます。
また、教員はセンター試験も含めて
各種の入試が進行しています。
教員も講義への集中が途切れそうになります。
この授業体制の集中を途切れさせることは、
多くの大学での問題と思います。
常々思っているのですが、この学期と、
長期休み、月曜び振替休日、大学行事(主に入試)は、
なんとかならないものでしょうかね。
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